「いのちを楽しむ―容子とがんの2年間」を観て
この映画はビデオプレスの制作です。私が初めて「ビデオプレス」を知ったのは、「君が代」不起立を通して権力の横暴と闘う根津公子さんを取材した下記二つの作品を通してでした。ドキュメンタリーというのは、制作者(取材者)とその対象となる人物との間に、ある種の信頼関係が成立していなければ作れないものだと思います。では、権力に闘いを挑んだ根津公子さんを取材した「君が代不起立」の制作者が渡辺容子さんという一人のがん患者をなぜ取材対象として選んだのか、そしてそこにはどのような魂の交感があり、それがどのように映画に表れているのか、私にとってはそこが大きな関心事でした。しかし、その一方で、「死」が否応なく描かれていることがわかっているだけに、その重さに映画を観るには少しの勇気を必要としました。
下記はビデオプレス等のHPの案内です。
ビデオプレスHP http://vpress.la.coocan.jp/
「君が代不起立」 http://vpress.la.coocan.jp/kimi.html
「あきらめない―続・君が代不起立」 http://vpress.la.coocan.jp/kimi2.html
いのちを楽しむ―容子とがんの2年間―
観終わった後、脳裏にはしっかり「緑」が焼きついていた。すがすがしい緑のイメージが。それは杉並の容子さんの家であり、容子さんが訪れた小笠原母島の山であり、死後容子さんの散骨が行われた福島川俣町の牧場であるのかもしれないし、容子さんの生の軌跡が遺した印象なのかもしれない。
死を扱ったドキュメンタリーだけに、観る側にもある種の覚悟を迫る。映画を観る誰しもが、もし自分だったらと考えたのではないだろうか。確かに自分自身を思いながらも、しかし、この映画は容子さんの場合であった。容子さんの死にいたる周囲の人々との関係性を通して容子さんの生きざまが伝わって来る。死とは誰にも訪れる一般的なものでありながら極めて個別のものであるり、それはそのまま裏返して生を描いているということなのだろう。
映像のなかの容子さんは、話した後、必ずと言っていいほど笑い声でしめくくる。それは、納得できる自分の生き方を貫きながらも、その生き方への周囲の理解を求めるための気配りを絶やさなかった人であったのかもしれない。人はそれぞれ異なるのだが、どうも他人に合わせることを良しとする風潮がこの日本社会にはある。しかし、彼女はきっと合わせなかったろう。自分が自分らしく生きて行くことは存外難しい。目くじら立てて私は私はと叫んで生きては潰されるばかりだ。しなやかにしたたたかに彼女は我儘なほど自分を大切にした人かもしれない。
観ていて疲れない。小気味いいいほど自分に忠実なのだ。この世の多くの人が自分を裏切り自分を見捨てて生きているの比して。だから清々しい。「緑」のイメージはそういうこところから来ているのかもしれない。
何より容子さんとその周囲の人たちとの関係性が素敵だ。無理がない。みんなどうしてそんなに正直でいながらそんな素敵な関係が築けるの?と問いたくなる。主治医である近藤誠さんも、残酷なほど正直だ。正直だから関係性が成り立つ。ほとんどの医師が患者を対象物としてしか見ていないように思うが、彼は違う。その表情からもわかるが、彼は容子さんに限らず患者を人してみているような気がした。だからウソはつけないし、誠実なのだ。
ところが、社会ではしばしば「ほんとうのこと」は禁忌となる。近藤誠という医師が、いわば医師の世界の常識を離れて「ほんとうのこと」を言うことによって迫害され孤立させられることは容易に想像できたが、それはこの映画の主たるテーマではない。しかし、医師近藤誠も、患者渡辺容子も、それぞれが社会のいわゆる常識から脱け出したところに信頼性を築いていることが観る人に伝わってくる。
骨転移が進んだ容子さんは痛みに苦しむ。「そんなに簡単に死なしてはくれない」とつぶやく。私が最も怖れていた状況であるが、不思議と恐くはなかったし辛くもなかった。死はやはり重い現実であるが、避けては通れない。それが正直に映像に表れている。なんだか安心したと言ってもよい。
蛇足になるかもしれないが、映画を観終わった後、制作者の松原さんから、容子さんが杉並区の住人として、あの和田中夜スぺ裁判を本人訴訟として闘っていたと聞いた。やっぱりそういう人だったのだ。(裁判判決については下記ブログ参照のことhttp://lumokurago.exblog.jp/14066101/)
死は恐れることはない。容子さんは容子さんとして生きた。それが、さわやかな緑の映像となって観る人の心を打つ、そんな気がした。
なお、関西では、神戸に引き続き、京都みなみ会館で8月24日から9月6日まで公開されるそうだ。世の中の不正や矛盾にうんざりしている人、一服の清涼剤としていかがだろうか。きっと自分の生を取り戻せるような気がする。