9月27日に配付したビラを紹介します。
本日(9月27日)の抗議行動に多くの方に参加いただきありがとうございます。今後も私たちは、中原教育長への抗議行動を継続していきます。レイバーネットHPに写真投稿しましたものを転載させていただきます。
とんでもない「口元チェック」
9月27日、私たち「日の丸・君が代」強制反対、不起立処分を撤回させる大阪ネットワークならびに不起立処分大阪府人事委員会不服申立当該11名のグループZAZAは、大阪府教育委員会前で「口元チェック」に反対する抗議行動第2波を行いました。
大阪府中原徹教育長は教育委員会会議にかけることもなく、9月4日に、全府立学校長に卒業式で教職員が「君が代」を斉唱しているかどうか教頭らに目視で確認させ、報告せよとの「口元チェック」通知を出しました。
このことは、9月19日付「毎日新聞」のスクープにより明らかになりました。私たちはすぐさま翌20日に抗議行動第一1波を行い中原徹教育長の人権侵害を糾弾しました。
この日の第二波行動にはより多くの人々が集まり、私たちの怒りの強さを示しました。大阪府教育委員会は10名近くの官吏に監視させ、また、多数の守衛に私たちの抗議行動を阻止させようとしました。
しかし、1時間近くの抗議行動で約1000枚のビラをまき、府庁職員や府民に訴えました。おかしなことに黙らない!声をあげる!このことが、あらゆる場面で必要なように思います。
私たちは第3波抗議行動を企画します。支援と連帯をよろしくお願いします。(グループZAZA・辻谷)
渡部秀清さんが、山形新聞に投稿され掲載された意見を紹介します。
口元までチェックとは・・・
山形に帰省中のテレビで、大阪府教育委員会(中原教育長)が卒・入学式での「君が代」斉唱時、教職員の口元チェックをする通知を出したというニュースを見た。これを見て、日本もここまできたかと思った。
この間、憲法改正問題が取り上げられ、自民党は昨年4月改憲案を発表した。それを見て私は驚いた。その前文には「日本国は・・・天皇を戴く国家であって・・」とあり、第3条には「①国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする②日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」とある。
1999年の「日の丸・君が代」法制化時には反対も多く、私も国会での公聴会を傍聴した。当時政府は「強制するものではない」と繰り返し述べ、内閣法制局長官も「国民が国歌斉唱等の義務を課されるものではない」と述べていた。
しかし、東京では石原前知事の下、2003年以来学校現場における強制が強まり、これまで強制に反対する教職員延べ450名が処分されている。また2011年には橋下大阪前知事の下、「日の丸・君が代条例」が成立、以降強制と処分が強まり、今回の教育長による通知となった。
私は長く高校で教員をやっていたが、ほとんどの生徒は、「君が代」の意味(天皇の世の中が永く続くようにという)を知らずに小・中学校と歌わされてきていた。
「君が代」を歌わないからといって「口元チェック」などということは、国民主権と人間の尊厳を踏みにじる行為で、教育現場にあってはならない行為だと思う。
国会の公聴会で意見を述べた北村小夜さんは、「教室から戦争が始まる」とも述べている。
日本はかなり危ないところまで来ているのではないだろうか。
本日の人事委員会第2回口頭審理を終えた山田肇さんのお礼と報告の弁です。
今日の口頭審理は、申立人側、つまり、私の側の証人尋問でした。
傍聴していただいた方、有り難うございました。
証人に立っていただいたお二人の方には、お世話をかけました。
まずは、同じ学校労働者ネットワーク・高槻の方の証言でした。
その証言をとおして、
高槻市教委が、学校労働者ネットワーク・高槻の4名の組合員にのみ、
選別的に、また、私たちの組合だけを狙い撃ち的に
『君が代』を立って歌えという職務命令を出してきたことが明らかになりました。
また、もう一人、証言に立ってくれた方は、
『希望の杜』施設内学級で2年間、苦労をともにしてきた元同僚の方です。
ありがたいことに、『希望の杜』施設内学級の子どもたちのこと、
そこでの教育活動、とりわけ、施設内学級に『学校をつくる』と言って
みんなで“格闘”してきたことを余すところなく語ってくれました。
緊張感が強くあったと思いますが、
そのことを堂々とくわしく語ってくれているのを聞いていると、
涙が出てきそうでした。ありがたく思いました。
教育委員会よ!その子どもたちの教育と将来を考えたことがあるのか!
と叫びたい気持ちでした。
そこで、7年間、私が子どもたちと向き合ってきたこと
さらに、あと1~2年、そこでがんばろうと心に決めて
しかも、再任用合格通知まで受けとりながら、
『君が代』の50秒座ったことを唯一の理由として、
「勤務実績が良好」から急転直下「勤務実績が良好でない」とされ、
合格していた再任用を取り消されたことに、また、怒りがわいてきました。
第3回口頭審理は、10月25日です。
次は、私が今から書く『陳述書』にそって、
申立人側、処分者側、それぞれの弁護士から質問を受けます。
可能な方は、傍聴をお願い致します。
東京の根津公子さんから最高裁判決批判が届きました。ひじょうに重要な指摘だと思います。司法と教育について、また私たちの運動の今後について示唆に富む助言とも言えます。
2013・9・5~10
「君が代」不起立処分取消訴訟第3波最高裁判決が出て
根津公子
◇またもや「教育の自由」判断を逃げ、教職員個人の問題に固定化させた最高裁判決
9月5~10日にかけて、5件77人に対する最高裁判決が出された。
判決は2011年5~6月に出された第1波判決が言う ア「起立を求める職務命令は合憲」、及び2012年1月に出された第2波判決が言う イ「減給以上の処分は慎重な配慮が必要」、ウ「過去の処分歴等、規律と秩序を害する具体的事情が処分の不利益よりも重い場合は重い処分も可」を判断基準にした高裁判決が確定した。戒告は処分妥当とし、停職2件、減給28件を取り消したが、根津の停職1月・減給6月はウを使って取り消さなかった。
第2波判決ではすべての処分に反対の意見を述べた宮川意見があったが、今回は第一、第二、第三小法廷とも、反対意見はなかった。
私たちは教職員ゆえに、その誰もが共通して都教委の不当介入を問題にし、「教育の自由」(憲法23条・学問の自由、26条・教育を受ける権利)を主張しているのに、今回もまた、最高裁はこの判断を逃げた。職務命令が合憲か否かは、「君が代起立」の職務命令によって教員が起立する、その姿を子どもたちに見せ起立をさせることが、果たして教育といえるのか。国民の間で意見の分かれる論争的主題である「日の丸・君が代」について、一方の意見を隠し考えさせないようにして、もう一方の意見を教え込むことが正しい教育といえるのかを判断せずに合憲判断を出せるはずがない。最高裁を「教育の自由」の問題に向き合わせるにはどうしたらいいのであろう。
ところで判決文に、今回唯一補足意見(注:判決に賛成の立場からの)を添えたのが鬼丸かほる裁判官、都立学校62名の訴訟についてであった(この訴訟では鬼丸氏が裁判長)。鬼丸裁判官は、「命令不服従に対する不利益処分は慎重な衡量的な配慮が求められるべき」と言い、求められるべき配慮として6点をあげ、その一つに、「代替措置の有無」をあげた。鬼丸補足意見は、第2波最高裁判決の補足意見と同じに、あるいはややそれを上回って教職員個人の「思想・信条の自由」の保障に立つ。それに対し、歓迎する向きがあるが、「求められるべき配慮」を、私は憂慮する。
「代替措置の有無」とは、「君が代」斉唱の際、起立・伴奏できない教職員に対し式場外の仕事を充てるなどして起立・伴奏をしない措置をとるということであろう。外に出されること自体屈辱的だが、それはさておき、もしもそれをいうならば、その対象は教職員だけでなく、子どもや他の参列者にも及ばせるべきである。起立できない考えを持つ参列者のうち、教職員だけが席にいなくてよく、しかし、子どもたちには起立以外の選択肢が用意されていないという状況を想像してほしい。また、起立できない教職員が席を外すことについて、その理由が公開され、子どもたちがそれを理解するに足る指導が保障されるであろうか。起立できない教職員を見えないようにして、「不起立0」にすることは、臭いものにふたをするだけ。都教委に利するだけだ。子どもたちが「日の丸・君が代」について考え判断する機会を、今以上に奪うことだと思う。
また、代替措置が用意されてもなお、それに応じない教職員がいたら、人々はその人の不起立・不伴奏処分をどう見るだろうか。「日の丸・君が代」強制に反対する人の間でさえも批判が起きはしないだろうか。
教職員個人の「思想・良心の自由」の問題であることをバージョンアップさせた鬼丸補足意見は、「教育の自由」の問題の入りこむ余地をさらに狭めたとしか、私には思えない。「思想・良心の自由」をいうならば、「教職員個人の」だけではなく、「子どもの教育に責任を有する教職員としての」「思想・良心の自由」に踏み込むべきである。教職員が処分されなくなればいいのではなく、教育の不当支配を排し、自由な環境の中で子どもたちが真実を学ぶことの保障を私(たち)は求めているのだ。
◇改めて3本の判断基準を問う
ア.「起立を求める職務命令は合憲」、イ.「減給以上の処分は慎重な配慮が必要」、
ウ.「過去の処分歴等、起立と秩序を害する場合は重い処分も可」
この判断基準のウを使って、私の処分は今回も取り消されなかった。ウを使い、都教委は今春の不起立処分で不起立4回目、5回目の田中聡史さんに減給1ヶ月処分を、また、大阪では条例を使って不起立2回で減給1ヶ月処分を出している現実がある中、今後、抵抗を続ける教職員に対しては、ウを使い、あるいは再発防止研修の結果を使って、重い処分がなされる危険を私は非常に強く感じている。大阪の条例の「同一の職務命令違反3回で分限免職」が非現実的と言えるほど今の政治状況は甘くない。
そうした中、イを前面に出してウに全く触れない最高裁判決の読み方は、行政を利することだと思う。最も重い処分が取り消されなかったことは、その当該個人の問題ではなく、そこに攻撃の本質があるのだと思う。たまたま処分歴のある根津がいたから、裁判所はそれを使ったのであり、根津がいなかったならば、別の一人にウを使ったはずだ。ウを入れることによって、今後徹底的に抵抗しようとする教職員を脅し、また、何よりも教育行政に最高裁お墨付きの処分のフリーハンドを与えたのだ。だから私は、私以外の人たちの減給・停職処分が取り消されたからと言って、素直に喜ぶことはできない。アだけでなく、ウを絶対に容認しないところから運動を再出発し、世論をつくらねばならないのではないか。
報道についていえば、昨年の1・16最高裁判決の際の報道もウについてはほんの少し触れただけであったが、今回の新聞報道は、全く触れていない。「減給・停職を取り消し、戒告は相当とした2審判決が確定した」(読売)、「今回の2訴訟で二審は、11人中2人の減給、1人の停職・減給の処分を取り消したが、戒告は妥当とし」(神奈川)、「3人について停職や減給の処分を取り消した二審判決が確定。残る8人は、それより軽い戒告処分を受けていた原告が多く」(朝日)と。東京新聞はア・イ・ウのいずれにも触れず、「一部の処分を取り消した二審東京高裁判決が確定した」のみだった。判決後の記者会見で私たちの弁護団の吉峯啓春弁護士は、私の処分を適法としたことについて、「司法が政府に追随するがゆえに、結論先にありきの判決なのだ。何度も処分をされたということは、何度も良心を貫いたということ」と強調し、私自身も発言したのに、報道機関は全く取り上げなかったのだ。
報道機関が何を報道するか、しないかについては、それぞれに意図があり、あるいは時流に応じてのことであろう。いずれにせよ、1・16判決時も今回もアとイを前面に出し、ウをなかったことにした結果、読者にどのような印象を与えたであろうか。アで「職務命令合憲」という教育行政の絶対的位置を示す一方、イで憲法19条の保障に前向きな司法のイメージを与えたのではないか。人びとの意識の中でイが膨らめば、「日の丸・君が代」の強制に反対する人々さえも安堵感を持ち、結果として不起立・不伴奏の闘いが終焉の方向に向かう。
ウは抵抗をし続けようとするごく少数の教職員に知らせればよいことで、一般の人に知らせる必要はない。知らせたくはない。その最高裁の意志を報道機関はあうんの呼吸で知っていたのではないか、と思うのだ。
報道機関にも、この裁判が「教育の自由」を問うものであることをわかってもらわねばならないし、何よりも、たたかいの中でその点の論議や情宣を大事にしたいと思う。
◇新聞社に記事の訂正と謝罪を求める
今回、ウを抜かした報道に私が最初に気づいたのは、神奈川新聞(注1)でであった。すぐに神奈川新聞社に電話をしたところ、配信元は共同通信社であり、共同通信社と話をしてほしいというので、まずは、それに応じた。
「記事の、『戒告は妥当とし』は誤り。『もう一人の停職・減給と戒告は妥当とし』とすべきだった。3本の判断基準の1本を使って停職・減給処分を妥当とした私の処分に触れないこの記事は全体像を大きく歪め、読者に誤解を与える。お詫びをつけた訂正記事を求める」と私は要求した。
それに対し共同通信社は、「別稿ならば書くが、訂正記事は書かない。謝罪(お詫び)も掲載しない。記事は言葉足らずだが、記事自体は誤りではないからだ。記事は、一審と二審で評価の分かれたもの、変更したものについて書いた。スペースとの関係で必要な要素を書く。それは編集判断だ。共同通信の有料サイトとデータベースは修正する。」と言い、平行線が続いた。しかし、私が「お詫びは、やんわりとで構わない。訂正記事にすべきと思うが、別稿でも、意味が分かればいい」と大きく譲歩したこともあり、後半からある程度の誠意を見せてくれたので、別稿記事で了承した。「納得したわけではないが」「今後、字数の制限はあっても、正確な記事を書いてくださいね」と申し添えて。
この記事は21日付神奈川新聞に掲載された。(注2)共同通信の配信記事を使った他の地方紙にも掲載するとのことだった。
私の判断はこれでよかったのか、と揺れる部分もあるけれど、やり取りのことばから今後、共同通信社は「君が代」報道に際し、「言葉足らず」を改め、3本の判断基準に沿った正確な報道をしてくれると判断した次第。申し入れをしてよかったと思う。
(注1)神奈川新聞6日付記事:■君が代不起立処分 元教員らの上告棄却■
入学式や卒業式で日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱することを拒否した東京都内の公立小中学校の元教員ら11人が、懲戒処分の取り消しなどを求めた2訴訟の上告審判決で、最高裁第1小法廷は5日、元教員の上告を棄却した。一部の処分を取り消した二審東京高裁判決が確定した。
最高裁は同種の訴訟で昨年1月、懲戒処分に関し「減給以上には慎重な考慮が必要」と初判断。今回の2訴訟で二審は、11人中2人の減給、1人の停職・減給の処分を取り消したが、戒告処分は妥当とし、慰謝料の支払い請求も退けた。11人は校長の職務命令に違反したことを理由に懲戒処分を受け、提訴していた。
(注2)21日付記事:■元教諭の減給、停職確定 君が代不起立訴訟■
2005年の卒業式で君が代斉唱時に起立しなかった東京都の元中学校教諭根津公子さんが懲戒処分の取り消しなどを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第1小法廷は19日までに、根津さんの上告を棄却した。5日付。減給と停職の処分が確定した。
5日は、他10人の懲戒処分でも判決が言い渡された。1人の減給、停職、2人の減給処分を取り消し、7人の処分は妥当とした二審東京高裁の判断が維持された。この裁判で減給以上の処分が確定したのは根津さんだけだった。
◇「日の丸・君が代」強制のターゲットが子どもたちであることがいよいよ鮮明に
今年度、陸上自衛隊朝霞駐屯地で田無工業高校生の「宿泊防災訓練」を初めて実施したこと、実教出版「高校日本史A」「高校日本史B」を各高校に選定させない都教委「見解」の発出など、都教委のしていることは、「お国のため」に忠誠心を誓う子どもづくりだ。「君が代」不起立処分と一体のものとして進行していることが、この二つの事態を通してますます鮮明になっている。
そうしたことを情宣活動等で明らかにしながら、「君が代」不起立・不伴奏をする教職員を支援し、たたかいを広めていかねば。「今が戦前」であることを情宣し、司法にも認識させていかねばと思う。