Jing Shangさんがコメントに書いてくれた「ネットで得た情報に依れば、富山のチューリップの栽培は東砺波郡庄下村(現在の砺波市)の水野豊造(みずのぶんぞう1898~1968)さんたちが、大正7年(1918年)に始め、そこは冬は積雪のある寒冷地帯で水稲単作しか出来ず、水田を有効に活用して農業所得を確保できる作物としてチューリップの導入がトライされたのが始まりのようです。そして、それが成功する背景として富山県には、チューリップの生育に適した気温、日照時間、肥沃な土地、豊富で良質な水等の自然の恵みがあったようです。」が、富山におけるチューリップ栽培の由来です。ぶんぞうさんは、「米作り」と「出稼ぎ」の富山に新しい風を吹かせました。それが、今は「富山の風」です。
約90年前、1918年といえば、水橋・魚津などから「米騒動」が始まり、全国に拡大した年です。シベリア出兵と不況のなか、農民も漁民も出稼ぎもしながら生活難にあえいでいました。ぶんぞうさんは、このころにチューリップ栽培を始めました。とくにアメリカへの輸出用の球根栽培です。
第二次大戦中は壊滅状態となり、戦後再び生産復興にも、彼は力を注ぎました。品種改良と生産拡大、海外・国内市場の開拓と、発展を続けています。富山の球根は、富山で買ってもオランダ産より高いです。世界的に高い評価を得ているということです。たくさん植えたいときは、私はやむをえずオランダ産を買います。
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約90年前、1918年といえば、水橋・魚津などから「米騒動」が始まり、全国に拡大した年です。シベリア出兵と不況のなか、農民も漁民も出稼ぎもしながら生活難にあえいでいました。ぶんぞうさんは、このころにチューリップ栽培を始めました。とくにアメリカへの輸出用の球根栽培です。
第二次大戦中は壊滅状態となり、戦後再び生産復興にも、彼は力を注ぎました。品種改良と生産拡大、海外・国内市場の開拓と、発展を続けています。富山の球根は、富山で買ってもオランダ産より高いです。世界的に高い評価を得ているということです。たくさん植えたいときは、私はやむをえずオランダ産を買います。
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最初、チューリップ畑を見に行ったときはびっくりしました。農家のおばさんが、チューリップの花を首のところでどんどん千切っていくではありませんか。聞けば、球根を育てるためにはこうしなければならないとのことで、やっと納得しました。
花が開くと、じきに摘花機という大きなどんどん花を摘み取る機械が進んでいって、花があっという間になくなっていくのです。それでも残った花は、手で摘み取ること(「花こぎ」というそうです)になります。花の命の短さを思いますが、地中の球根を立派に育てるためには必要なことなのです。したがって、チューリップ畑の花の絨毯を見ようとしても、一瞬のタイミングを外してしまうと花のなくなった畑しか見られません。
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