日本での近代民主主義を大きく前進させる端緒となった大きな事件が、この富山から始まった「米騒動」です。ここから大正デモクラシーの幕が上がったのでした。
騒動直後、富山県人には「世間」を騒がせたという意識が強く、恥ずべき所業と考えられました。「富山県では大したことはなかった。県当局は上手に処理した」「新聞のセンセーショナリズムが、ことを大きくしてしまった」と考えられました。
現在はどうかと言いますと、この考え方が基本的には変わっていません。民主主義の門を開く先頭を切ったという意識はほとんどありません。富山県公文書館の「とやまの歴史」はもちろん、河出書房の「図説富山県の歴史」、山川出版社の「富山県の歴史」も同様です。労働団体の富山地評が水橋に建てた記念碑の記述すらも同様でした。未だに、富山県内には「米騒動=富山の恥」論が根強いと思われます。
最近、魚津の米倉庫前に「魚津市の自然と文化財を守る市民の会」が掲げた「魚津の浦の七月の風よ・・・」に始まる顕彰の文によって、やっと先人たちが救われたのではないかと思います。そこには画像のような当時の状況を説明する図も掲げられています。
「高岡新報」の井上江花記者の行動も決して浅薄な「センセーショナリズム」などではなく、当時の「社会経済組織の欠陥」を見抜いた見識と「記者としての使命感」から出たものだと、もっと評価したいですね。
つい最近放送されたNHKテレビの「その時歴史は動いた」の『米騒動』を見て思いました。これが歴史評価の常識だろうと思います。
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騒動直後、富山県人には「世間」を騒がせたという意識が強く、恥ずべき所業と考えられました。「富山県では大したことはなかった。県当局は上手に処理した」「新聞のセンセーショナリズムが、ことを大きくしてしまった」と考えられました。
現在はどうかと言いますと、この考え方が基本的には変わっていません。民主主義の門を開く先頭を切ったという意識はほとんどありません。富山県公文書館の「とやまの歴史」はもちろん、河出書房の「図説富山県の歴史」、山川出版社の「富山県の歴史」も同様です。労働団体の富山地評が水橋に建てた記念碑の記述すらも同様でした。未だに、富山県内には「米騒動=富山の恥」論が根強いと思われます。
最近、魚津の米倉庫前に「魚津市の自然と文化財を守る市民の会」が掲げた「魚津の浦の七月の風よ・・・」に始まる顕彰の文によって、やっと先人たちが救われたのではないかと思います。そこには画像のような当時の状況を説明する図も掲げられています。
「高岡新報」の井上江花記者の行動も決して浅薄な「センセーショナリズム」などではなく、当時の「社会経済組織の欠陥」を見抜いた見識と「記者としての使命感」から出たものだと、もっと評価したいですね。
つい最近放送されたNHKテレビの「その時歴史は動いた」の『米騒動』を見て思いました。これが歴史評価の常識だろうと思います。
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