立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

地鉄鉄橋など・・・立山町岩峅寺の雄山神社 

2013年04月20日 | Zenblog
 地鉄の鉄橋が見えますが、並行して向こう側に県道の橋も架かっています。対岸の上には、かつて大川寺遊園という地鉄経営の遊園地がありましたが、時代の流れで1996年閉園になりました。下の地鉄の駅で電車を降りた多くの人が楽しみに詰めかけていたとは、今では夢のようです。
 常願寺川は雪解けと雨で濁っています。

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神社の崖下は常願寺川・・・立山町岩峅寺の雄山神社 

2013年04月20日 | Zenblog
 神社の直ぐ下を常願寺川が流れています。谷の出口で、対岸は上が平地になっていますが、かなりの高さです。水力発電所が見えます。一帯若葉が萌え始めています。

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神社の森、ケヤキの若葉・・・立山町岩峅寺の雄山神社 

2013年04月20日 | Zenblog
 ケヤキの若葉を見上げています。その輝く美しさがまぶしいです。

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常東用水がトンネルから出た・・・立山町岩峅寺の雄山神社 

2013年04月20日 | Zenblog
 手前の岩峅雄山神社の下を通り抜けた常東用水が顔を出しました。桜はすでに散りました。その向こうに地鉄電車の踏切と県道があり、左側は常願寺川です。下流方向を向いています。

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雄山神社鳥居・・・立山町岩峅寺の雄山神社 つづき

2013年04月20日 | Zenblog
 昨日、常願寺川堤防道路を走って、岩峅寺の雄山神社の鳥居に着きました。そこから眺めた景観です。

 写真左のフェンスの中は神社の下を潜ってきた常東用水があります。神社の右は常願寺川が流れて、ちょうど谷から平野に出るところです。雄山神社はその崖の上に建っています。

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扉か壁に彫られた仏像・・・JingShangの河北易県への旅(清西陵・光緒帝の崇陵玄室)

2013年04月20日 | JingShang君からの上海レポート
 扉か壁に彫ってある仏像です。

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光緒帝と隆裕皇后の棺・・・JingShangの河北易県への旅(清西陵・光緒帝の崇陵玄室)

2013年04月20日 | JingShang君からの上海レポート
 棺です。手前が隆裕皇后、その先が光緒帝の棺です。

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光緒帝の生涯・・・JingShangの河北易県への旅(清西陵・光緒帝の崇陵玄室)

2013年04月20日 | JingShang君からの上海レポート
 玄室にある光緒帝の写真です。玄室には光緒帝と裕皇后の棺が並んでいます。それぞれの写真と説明板がついています。

 光緒帝の説明板は以下のように説明しています:彼は4歳で皇帝になり、1875年から1908年まで在位し、変法維新を主張したが失敗し、その後紫禁城外の中南海に軟禁され1908年38歳で逝去し、1913年にここに葬られた。2003年から2008年に科学的な調査により光緒帝の死因は砒素中毒であることを突き止めた。

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地下の通路・・・JingShangの河北易県への旅(清西陵・光緒帝の崇陵玄室)

2013年04月20日 | JingShang君からの上海レポート
 地下の通路です。人が居るところが玄室です。

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盗掘の址、崇陵の建設経緯は・・・JingShangの河北易県への旅(清西陵・光緒帝の崇陵玄室)

2013年04月20日 | JingShang君からの上海レポート
 盗掘の址です。この崇陵は1938年に盗掘され、1980年に対外開放されたとあります。この前方に金剛壁という堅固な壁が遮るので、壁下をU字形に通路を造って通り抜けようとしたようです。

 光緒帝は1908年に没したのですが、崇陵は生前ではなく、1909年に起工され、民国4年(1915年)に竣工したとのこと。誰が事業を続け、資金負担したのでしょうね。

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地下宮殿(宝頂下の玄室)への入り口・・・JingShangの河北易県への旅(清西陵・光緒帝の崇陵玄室)

2013年04月20日 | JingShang君からの上海レポート
 今日の上海の天気予報は小雨、最高気温は13度、最低は9度です。今日が気温の底で、明日の最高は少し戻って16度です。東アジアに冷気が来ているようです。北海道旭川で雪が降っているようですが、中国も昨日河北省で雪が降って積雪したと聞きました。

 今日も河北易県の清西陵です。光緒帝の崇陵を紹介しています。今日は地下宮殿(玄室)です。写真1枚目は地下宮殿への入り口です。明楼の下の通路にあります。ここから下に入り、宝頂下の玄室へいくことが出来ます。

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