「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

番組視聴コーナー~羊達の沈黙~

2007年01月31日 | 番組視聴コーナー

チャンネル      WOWOW191
放映日時       2007年1月26日(金曜日)22時~24時
番組名        洋画
「羊達の沈黙」(アメリカ)
制作年         1991年
監督          ジョナサン・デミ
出演者        アンソニー・ホプキンス(レクター役)
             ジョディ・フォスター(クラリス役)
             スコット・グレン(教官役)
上映時間       118分
原   作       トマス・ハリス「羊達の沈黙」
  

概  要

アカデミー賞作品部門ほか監督、主演男優、主演女優など主要5部門を独占したサイコスリラーの傑作である。猟奇殺人犯を追うFBI女性訓練生クラリスは、かって同様の事件を起こして服役中の天才博士レクターに助言を請いに監獄を訪ねるが・・・・・。

私の感想

約15年前に観た映画だが、再度観てもやはり面白かった。
冒頭のシーンでFBIの訓練学校の入り口近くの木に
「”苦しみ、悶え、痛み”を愛せ」という標語が掲げてあるのが印象的だ。自分自身が楽をしたがる性質(たち)なので戒めとして身に沁みて記憶に残っている。(ただし、実行はできなかったが・・笑)

貧しい家庭に育った利発なクラリスはFBIの訓練課程で立派な成績を残し、それがもとで教官から見出され、監獄にいる殺人鬼レクター博士の尋問に向かう。

ここでクラリスはおざなりに備えた靴と、気を入れて買ったハンド・バッグとのグレードの違いを指摘され、はっとする。ただの殺人鬼だとたかをくくっていたレクターが、観察力に優れたインテリであり、その発想には深い洞察が含まれていると知るからである。こうして、クラリスは凶悪犯に、いわば人生の師を見出していく。

この映画は猟奇的な殺人事件とそれを解決するのにFBIが凶悪な天才犯罪者の手を借りるというのがストーリーの核となっているが、一方でこういう若い女性と初老のインテリとのかかわりを描いた映画としても楽しめる。

前回観たときには、殺人捜査のミステリーの展開だけに関心を持ったが、今回ではむしろ、こういう人と人との関わりで若い女性が成長していく物語としてもよく出来た映画だという思いがした。人生の妙味とは優れた師とのめぐりあいでもある。

主役を演ずる、ジョディ・フォスターは知的な雰囲気があって含羞を感じさせる表情が実に豊かで、この映画をみてファンになったが今では押しも押されぬ大女優となっている。これは余談だが、男児を二人生んだ(父親をあかさないが人工授精との噂)そうだが・・・。

また、もう一人の主役アンソニー・ホプキンスも入魂の演技だ。超インテリと人肉を食する凶悪殺人犯との2つのイメージを演じ分けているが、複雑怪奇で不気味な雰囲気を見事に醸し出している。

映画の中程で、警官を惨殺するシーンの直前にバッハの「ゴールドベルク変奏曲」を聴いていたのが知的な静謐と残忍さの両極端を暗示して印象的だった。

まだご覧になっていない方は一度見ても損はしない映画である。(2007年2月18日14:50~16:50にWOWOWで再放送の予定)

なお、馬場啓一氏の「人生に必要な全てをミステリーに学ぶ」によるとトマス・ハリスの原作ではクラリスが貧しい境遇に育ったことが重要な背景になっており、「貧乏は恐ろしくない、しかし恥じる気持ちが人間を卑屈にしてしまう」という信念のもとで、さまざまな苦境を乗り越えて雄々しく生きていく若い女性の自立の過程を実にたくみに表現していて文学作品の香りがすると評されている。 

              
   苦しみ、痛み、悶え        フォスター           ホプキンス
 

 

 

 


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魔笛視聴コーナー~CD(ライブ)の部~♯1

2007年01月30日 | 魔笛視聴コーナー~CD(ライブ)の部~

CD番号       CACD 5.00273 F(2枚組)
収録年        1937年

評   価(A+、A-、B、C、Dの5段階)

総   合  A-

指揮者    A+   アルトゥーロ トスカニーニ(1867~1957) 
        
管弦楽団  A-    ウィーン フィルハーモニー

合唱団    A-   ウィーン国立歌劇場合唱団

ザラストロ  A+   アレキサンダー キプニス

夜の女王   A-   ジュリー オスバツ

タミーノ    A+   ヘルゲ ロスヴェンゲ

パミーナ   A-   ジャーミラ ノヴォトナ

パパゲーノ  A-   ウィリ ドムグラフ ファスヴェンダー

音   質  D

私   見

70年前の収録ということで、この録音の悪いCD盤をどのように再生するか、オーディオ装置の真価が問われるところである。

ひとつの方法として、こういう録音の悪い盤は可能な範囲でかなり大きい音で聴くことがコツで、その音が不自然にならないように調整すれば、時間の経過とともに自然に聴覚のフィルターが働いて録音の悪さが気にならなくなってくる。

さて、視聴結果だが一言でいって凄く人を惹き込む力を持っており、感動できる魔笛だった。ところどころカットされており、第二幕のエンディングでは録音の悪さで息も絶え絶えだがそれでも魔笛を沢山聴かれた方にお薦めしたい盤である。

全体的に大変メリハリのきいた緊張感の漂う演奏と進行で、厳しいことで知られるマエストロ「トスカニーニ」の指揮のもとで一糸乱れぬ行進を思わせるが、大事なポイントでは歌手を解放しているとみえてクライマックスの高揚感が見事である。

とにかく、当時の最高の歌手達が持てるだけの実力をフルに発揮した印象で、気迫、声量の豊かさ、声質の張りと艶いずれも現代の歌手達とは一線を画す印象を受けた。

特に、男性陣に特筆すべきものがあり、思わずすごい、スゴイを連発した。タミーノ役のロスヴェンゲはじぶんが最高のモーツァルト・テナーと思っていたあのペーター・シュライアーを凌ぐほどの歌唱力だったし、ザラストロ役も深々とした豊かな低音で周囲を圧倒する。その他の歌手も、極めてレベルが高い。

この魔笛は雑音が物凄くて聴くに堪えないが、まるで”それがどうした”といわんばかりに内容が濃い。明らかに芸術がテクノロジー(録音技術)を超越しているのではないかと思った。

これを敷衍していくとコンピューターが最後まで人間に追いつけない領域とは芸術に対する感性の分野ではなかろうかなどと勝手に連想したりしたが、自分自身にとってオーディオに対する考え方も含めて大変勉強になったCD盤だった。

                      

 


       


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独り言~宮崎県知事誕生~

2007年01月25日 | 独り言

随分昔、戦前の話になるが、各県の知事は県民の選挙で選ばれるのではなく、中央官庁(内務省)のお役人が派遣されていた。これを官選知事と呼んでいた。

しかし、終戦後の民主化に伴い昭和22年に地方自治法の施行によって知事は選挙で選任されるようになり、現在まで約60年の歴史を持っている。

中央官庁は、知事を選挙で選ぶことについて最後まで反対していたといわれる。それは何故か。いろんな理由の一つとして、果たして県民が知事にふさわしい人物を選ぶことができるのか危惧したためといわれている。

知事は、地方における絶大な権力者であり、県政推進のために数千億円(宮崎県17年度決算見込み額6196億円)の予算執行権と職員の人事権などの権力を一手に握っており、公平かつ人格識見ともに秀でた人材が求められるのだから当然の心配ではある。

また、役所の業務は全てといっていいほど法律に基づいて執り行われるので、トップとなる人物は法律を遵守する精神を持たなければならない。したがって、過去に法を犯して犯罪歴がある人物が好ましくないことも当然である。

さて、現実にその心配が当たったケースがある。タレント上がりの前大阪府知事の横山ノック氏が破廉恥罪で辞任のやむなきに至った例がまだ記憶に新しい。ただし、最近は前和歌山県知事の木村氏のように中央官庁出身の知事でさえ汚職で逮捕されるのだからタレント出身でも決して悪いわけではない。要するに人物の見極めだろう。

さて、宮崎県知事選挙である。東国原英夫(そのまんま東)氏がこのたびの選挙で2位に約7万票の大差を付けて当選した。宮崎県民の総意なのだから他県の人間がいろいろ言うことはないのだが果して大丈夫なのだろうか。過去に暴行事件、児童福祉法違反容疑で事情聴取を受けた人物である。

何だか随分知事のポストが軽く考えられている気がする。私見だが少なくとも素行に問題のある行政の素人が落下傘降下して急に務まるような職務ではない。よほど周囲がしっかりと補佐することが必要だろう。

同時に、人間は手を抜き、楽をしたがるのが本能だから、しっかりとコントロールする意味で周りから適度に畏怖感をもたれることも必要だ。威厳といっていいかもしれない。宮崎県がお笑い行政に陥らないことを祈っている。



 





 


 


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健康コーナー~納豆ダイエットのねつ造~

2007年01月23日 | 健康コーナー

我が家では地元紙と全国紙の二つの新聞を購読しているが、その二紙ともに21日(日曜)の第一面トップは、デカデカと納豆ダイエットの実験結果のねつ造記事が占めていた。

簡単に経過をいうと、関西テレビ制作の番組「あるある大事典」で納豆によるダイエット効果を放映したところ、それを信じた消費者が一斉に納豆の購入に走り首都圏で納豆の売り切れ現象が起こっていた。

しかし、その後外部の週刊誌からの指摘により調査したところ、制作を委託された会社がアメリカでの取材や実験結果の大半をねつ造しており番組への信頼を根幹から揺るがす内容とのことで、関係者は平謝りである。

今後の番組の打ち切りも検討しているそうで、結局は、テレビ局の委託先へのチェック機能が働かなかったことが大きな原因だろう。

じぶんも実際にこの番組を観たが、自分の経験を通して納豆を食べるだけでそんなにやせることはあるまいと半信半疑だった。要するに聞き流していたのだが、そうではない人が沢山いて影響が大きすぎたということだろう。

このブログ1月14日付けの「独り言~納豆の売り切れ現象~」でも、食品に対する過大な期待を持つ「フード・ファディズム」の典型的な一例として取り上げていただけに内容が正鵠を射た形になったが、そんなことよりもむしろ残念な気持ちの方が先にたつ。

というのは、この番組はずっと以前から素人向けの健康お宅に分かりやすい内容で毎週見続けており、NHKの「ためしてがってん」と並んで最新の健康情報の取得源にしていたので、今後もし打ち切られるとすると何だか半分楽しみが減ってしまう心境なのである。

ねつ造した原因の詳細についてはこれから調査委員会を設置して 究明し、再発防止策を練るそうだが、関係者は二度とこいうことを起こさないことを誓ったうえで少々スタイルを変えてでも是非再出発をしてほしい。

今回のねつ造事件の被害者は、納豆を購入しすぎた消費者、増産や販売計画が狂った生産者と流通業者、信用を失ったテレビ局だろうが、最大の被害者は番組を楽しみにしていた視聴者だろう。


 

 


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独り言~入室料一回500円~

2007年01月20日 | 独り言

現在の生活スタイルは、午後はトレーニング・ジムや用事で外出しているが、午前中は自分の部屋で魔笛の視聴、読書、取り溜めのテレビ録画鑑賞などをしている。

いずれも肩のこらない遊びとはいえ、あまり人に邪魔をされたくない孤独な作業なのだが、少なくとも日に2回ぐらいは90歳になる母がジワっと部屋に入ってくる。すかさず「入室料一回500円」と声を掛けるのだが、まったくの馬耳東風である。

それも、黙って入ってくれればいいのだが、敵もさる者で、必ずどうでもいいような質問を準備して声を発しながら入ってくる。時にはお茶をもってきたりする。足取りも覚束なさそうに入ってこられると、仕方が無いので、やむなく作業を中断して話し相手にならざるを得ない。そして結構な時間居座り続けるのである。

部屋は、音楽試聴室を兼ねているので防音用にかなり重くて開けにくい二重扉にしているのだが、敵はそれをものともせずに浸入してくる。鍵を掛けてもいいのだが、いくらなんでもそれはちょっと可哀相な気がする。

これ以外にも、時々は貯金通帳と印鑑の直し場所が分からなくなったといって家中を探し回るので、その加勢をしてやる。大体がこの繰り返しである。

つい先日には、家内の知り合いの90歳になる元気なおばあちゃんが急逝したが、実にいい死に方だったそうで、カレンダーをめくるのが大好きで朝、床の中でそれこそ半分めくりながら大往生を遂げてしまい関係者一同、見事な死に方だとうなったそうだ。そういう話をそばで聞いていたうちの母親は私なら大騒ぎをして死んでやると嫌味を言う。

お袋という世界中でただ一人の存在であり一日でももっと長生きをしてもらいたいので、自然の摂理を待つ気持ちには到底なれないが、何とかならないものだろうか。

                        

 

 

 


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独り言~”夢”の大吊橋から死のダイブ~

2007年01月18日 | 独り言

16日の午前10時45分ごろ、大分県九重町の鳴子川渓谷にかかる「九重”夢”大吊橋」から男性が手すりを乗り越えて飛び降りてしまった。初めての自殺者である。

同吊橋は全長390m、川床からの高さ173mと歩行者専用としては日本一で昨年10月の開通以来訪れた観光客は50万人を超え関係者にとっては予想以上の大盛況で喜びもひとしおといったところに、やや水をさされた感じである。自殺の名所なんかで有名になるのは是非避けたいところだ。

同吊橋の建設者である九重町は隣接する町との合併を県の強力な指導にもかかわらず頑強に拒み通し、周囲の冷たい視線のもとで財源の捻出に苦労しながらやっとの思いで完成にこぎつけた経緯がある。

自殺防止用の新たな対策などはハードの面からはまず不可能だろう。当面、16日の営業は中止、17日から再開して橋の上を巡回するスタッフの増強で対処する方針のようである。

自殺するのはご本人の自由なのだが、何も遠くから来てよりによって何故こんなところでと思っていたところ、17日付の地元新聞の朝刊で自殺者の身元が判明した。

近隣のO市の52歳の高校教諭で、「学校に行く」と家族に言い残して家を出たそうで、病気のため昨年12月から6ヶ月間の休暇届を出していたという。学校とはまるっきり方向の違う場所なのでよほど思いつめての行動のようだ。

どういう事情があるか詳細は不明だが、自殺者が生徒に物事を正しく教える立場にある学校の先生ということが気にかかる。そういえば近年、ノイローゼになる先生が増加傾向にあるそうだ。また、ストレス発散のためか不祥事も多い。

校長、教頭などからの強圧的な指導、同僚との摩擦、聞分けのない生徒達、何でも学校の責任にする父兄、PTAなどが四つ重なれば文字通りの四面楚歌である。これに家庭の不和などが加われば先生といえどもひとたまりもあるまい。

先生に限らず、人間には意外ともろい面があるのでいざというときの拠り所が必要な気がする。伸びきったゴムが用を足さないことで分かるように、日ごろから心のゆとりを持つ工夫が大切だ。

その意味で、何でもいいから熱中できる趣味を見つけておくことは遠回りのようだが最後には大きな味方となって役に立ってくれるので決して無駄な投資ではないと思う。

                          







 


 


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独り言~松坂VS井川~

2007年01月17日 | 独り言

野茂投手が海を渡った時期から大リーグに興味を持ち、その後イチロー選手の1年目の首位打者獲得で弾みがついて熱心にメジャーリーグを観戦するようになった。

その次には松井選手が名門球団ヤンキースに入り、ほとんど単打ばかりのイチローのプレースタイルにもやや飽きがきたので、松井の方に肩入れをした。

しかし、松井も期待したほどでもなく4年間の成績は日本のホームランバッターとして決して褒められた数字ではない。しかもプレーオフの大事な場面で打てない。

それなのに日本に帰ってきてもスターぶってマスメディアに登場して悪びれた様子が見えないのがどうも気に入らない。果たしてしっかりと練習しているんだろうか。

また、金満球団のおかげであんな成績にもかかわらず随分高給を取っているが、あれでは貧乏球団にいるというだけで年棒が抑えられているイチローの方が実力があるのに可哀想だ。

基本的には、愛国心も手伝って全ての日本選手が外人選手に負けないプレーをすればうれしくなるのだが、それやこれやで段々大リーグに興味が失せてきたところに今度の松坂投手のレッドソックス入りである。

おまけと言っては何だが井川投手までもがヤンキース入りで、これで俄然4月からが大きな楽しみになってきた。両投手の快投が見ものである。図体は大きいが総身に知恵が回らない連中をバッタ、バッタとなぎ倒して欲しい。

松坂には早くも米メディアで、新人王確実、16勝、防御率3.20前後の予想が出されているが、日本野球界のレベルを示す意味で20勝近くまでは期待したい。

早速ネットでメールマガジン(無料)に申し込んで登録したが、これからは、ヤンキースと並行してレッドソックスも応援しよう。

松坂VS松井では松坂が1年目ということもあり打ち取る方に期待する積もり。しかし松坂VS井川が投げ合った場合はどちらを応援しようか。

もうひとつ、松坂VSイチロー、城島といった対戦も見逃せない。今からもう悩ましいところである。

                           




 


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健康コーナー~ナノボットの時代がやってくる~

2007年01月16日 | 健康コーナー

「人間の血管の中にナノボット(超小型ロボット)が注入されて、自動的に病巣を捜し出し治療してくれる」そういう夢のような話が現実味を帯びてきている。

年末(2006年)にNHKBSで放映された「未来への提言」は世界のキーパーソンとして、20世紀のエジソンと呼ばれスキャナーの発明で有名なレイ・カーツワイル氏(マサチューセッツ工科大卒)へのインタビューだった。

同氏は、1988年の著作「インテリジェント・マシーン」でコンピューターの発達に伴う数々の予測を的中させてきた。

90年代初期のイラク戦争におけるデジタル技術の活用、90年代半ばのインターネットの誕生、90年代後半にはコンピューターがチェスの世界チャンピオンを打ち負かすなどなど。

「発明家は発表のタイミングが重要」と語る同氏だが、21世紀の「テクノロジーの急速な進化」について次の3つの分野が鍵とみている。素人の自分にはかなり分かりづらいが理解できる範囲で次のとおりだった。

遺伝子工学は既に2003年にヒトゲノムの解読が完了し、データベース化が成功したのでこれから遺伝子治療が飛躍的な発展を遂げる。

ナノテクノロジーは1mmの100万分の1を取り扱う技術が進展し、原子レベルで新たな物質の作成が可能となる。

ロボット工学はコンピューター技術の更なる進展により人間の知能に匹敵する人工知能を持ったロボットが開発される。

この遺伝子工学、ナノテクノロジー、ロボット工学が融合して冒頭で述べたナノボット(カーツワイル氏の命名)が開発されるとのことで、血液細胞よりも小さいロボットが血管の中に入って治療するというものだ。

これはガンなどをはじめとする現代の難病や老化を防ぐ画期的な治療になると待望されており、既にアメリカでは初期段階の動物実験に入っている。

さらに、番組の終わりでアメリカ医学会関係者が「ナノボットが登場する時まで人々の若さを保つことが医者の使命」と言っていたが、何だか現在の医学の限界を悟ったような物言いが印象的だった。

問題はこの新技術が確立し、応用される時期が何時なのかだが、カーツワイル氏の予想は2020年ごろ、アメリカ医学会では20年~30年後と双方の予測にかなり開きがある。

いずれにしても、医療の世界以外にも広範に利用されるナノボットの時代が到来して、社会と医療に大革命を起こすことは間違いない。

長生きの是非は別として、現在難病に苦しんでいる方は大きな光明だろうが、この新技術はプログラム・ミスなどにより人間にとっては両刃の剣になることも付言されていた。

また、同氏の近著「シンギュラリティ(特異点)は近い」によると2045年ごろにはコンピューターの演算処理の加速によって人工知能が人間の知能を上回る特異点が来ると予測されており、人類にとっては未知の領域に入るのでいかに備えるべきか大きな課題になってくるだろうとのことだった。

                         
                                      レイ・カーツワイル氏







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健康コーナー~納豆の売り切れ現象~

2007年01月14日 | 健康コーナー

最近、家内が左肩を痛めて無理がきかないので、運搬役として買い物によく駆出されるようになった。

車で20分ほどのスーパーなのだが、興味半分で納豆コーナーを覗いてみた。ご存知の方も多いと思うがテレビ「あるある大辞典」で納豆がダイエットに有効と放映されてから、首都圏では納豆が売り切れという店が続出している。

幸い、地方にはまだ沢山のストックがあるとみえ、それに人口も比較にならないほど少ないので、このスーパーでは従来どおり納豆が山積みにして販売されていた。しかし、このブームが全国的に続けばいずれその余波が押し寄せて来るかもしれない。

それにしても、女性の美と健康への執念はすごいなーと今更ながら感じ入った。

この納豆ブームが一過性なのか永続的なものになるのか即断は難しく、納豆は定評ある健康食品でもあり(自分は嫌い!)取りすぎても害はないだろうが少しばかり異常な現象といえるだろう。

一般的に食べ物が健康や病気に与える影響を誇大に信奉することをフード・ファディズムというそうだ。

もちろん、食と健康は密接に関連しているので、どこまでが適正でどこからが過大なのか個人差もあって判断が難しいが、マスメディアを通じて食品への過大評価は近年よく見られる傾向にある。

実を言うとじぶんも健康維持の面からこれまでいろんな食品を度々試したことがあるが、
その食品がおいしいと感じる場合でなければ長続きはしないと自分自身に体験付けている。

ま、いろいろいってみても長生きはしたいので健康食品には無関心ではいられず、こういった方面の資料にはかなり目を通してきたのだが、総じて栄養学の専門家のご意見は次のとおりである。


・食生活に一夜漬けは効かない

・万能薬として機能する食品も有毒物のように作用する食品も基本的には存在しない

・体に良いか、悪いかは摂取する量や摂取経路も大切な要素である

・とりわけ量の問題は重要で「ある物質が有益であるか否かは量で決まる」ともいえる。

・現代の科学をもってしても食品成分の分析は十全ではない。食品に効果・効能を求めるのはほどほどにして、「おいしさ」を優先する

結局、健康の維持・増進の三要素は「栄養・休養・運動」、これを分かりやすくいえば「食う・寝る・動く」であって、食だけで何とかなると期待してもどだい無理な話である。

日々まじめに、まんべんなく食べることが食生活の基本という常識論で締めくくりにしよう。

                          



 



 


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番組視聴コーナー~庄司沙矢香~

2007年01月10日 | 番組視聴コーナー

チャンネル       NHKBS2
放映日時        2007年1月5日10:00~
番組名         第1581回N響定期公演
曲目           ベートーベン作曲「バイオリン協奏曲」
指揮者         ロジャー ノリントン
管弦楽団        NHK交響楽団
演奏者         庄司 紗矢香(バイオリン:1983年生)

ベートーベンの「バイオリン協奏曲」は昔から親しんでおり、手持ちではダヴィド・オイストラフのバイオリン演奏のCD盤を有している。

また、庄司さんが1999年パガニーニ国際コンクールで史上最年少で第一位を獲得されたニュースを知っていたので、どういう演奏をされるのか興味があったので視聴してみた。

まず、指揮者のノリントン氏は外見からすると実に親しみやすい円満そうなお人柄が伺われる。詳しいことは分からないがNHKとは定期公演に出演するぐらいだから現在密接な協力関係にあるのだろう。

道理で、昨年(2006年)、1年間に亘ってNHKBSで放映された「毎日モーツァルト」の魔笛編でわざわざノリントン氏指揮の魔笛を使っていた理由がようやく分かった。

このノリントン氏の魔笛は、実は「魔笛視聴レポート~CDの部~♯16」に採り上げたのだがあまり感心しない出来栄えだったので、よりによってNHKが何故この盤をという思いがしたので記憶に残っていたのである。

指揮者の真価はおおむねオペラで発揮されると勝手に考えているが、本題とは関係がないのでこの話はここまでにしておこう。

さて、庄司さんの演奏だが若手のホープとしてこれから大きく羽ばたいてもらいたいのだが、率直に言ってこの演奏会では彼女の個性が十分発揮されていない印象を受けた。

技巧以前の問題としてバイオリンの音が少々細すぎるようでもっと伸び伸びとした野太い音が聴きたかった。(ただし、近年は細身の音が主流との話もあるが)。これからいろいろと経験を積み重ねて成長されていくのだろう。

結局、この演奏会では自分の鑑賞力の乏しさのせいか庄司さんの長所をあまり見出すことが出来なかった。

ダヴィド・オイストラフという稀代の名バイオリニストと比較するのもどうかとは思うが、選曲ミスも一因かもしれない。今度は独奏でバッハあたりをもう一度聴いてみたい気がする。

                       
                                           庄司 沙矢香


 

 


 

 



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音楽談義~魔笛の自筆譜~

2007年01月07日 | 音楽談義

先日、NHK・BSハイで「モーツァルトの真実」~自筆譜が明かす素顔~を放映していた。番組の趣旨は彼が遺した自筆譜を通して彼独自の作曲のノウハウにアプローチしたもので実に興味深かった。

とりわけ、番組の冒頭で書き直しのないオペラ「魔笛」の分厚い自筆譜が紹介されていたが、まるで清書されたような美しさに驚いた。

しかし、番組を終わりまでみて分かったのだが、意外にもかなり修正の跡を留めた楽譜がほかに遺されていたり、さらにはきちんと作曲の目録を作って整理しているなど几帳面でこまめなモーツァルトの素顔が浮かび上がってくる。

したがって、作曲の方法も、これまでは頭の中で全体が一瞬のうちに完成し後は引き出して、譜面に書き写すだけといわれているが、実はそうした曲ばかりでもなく、例えば先輩作曲家ハイドンに献呈する弦楽四重奏曲では相当に気を使い何回も書き直しの後が見られるそうで、ほかにも作曲前の下書きも時にはしているようだ。

また、生涯に600曲以上もの作品を作曲した天才といえども全てが良品ばかりではなく、熱意を注いだものと、そうでないものでは完成度に随分差があるのが面白い。ある意味では天才の気まぐれというか、ムラが激しいといってよいのかもしれない。

例えば、ほとんど同時期に作曲されたオペラ「魔笛」と「皇帝ティートの慈悲」には完成度に随分大きな差がある。両作品とも最晩年の最も脂が乗り切った時期の作品にもかかわらず、熱中して作曲した魔笛の方は最高傑作の名をほしいままにし、一方は今日ではまったくといっていいほど省みられない。

オペラ「ドン・ジョバンニ」にしても、自分が憧れていた(?)好色な主人公になりきったつもりで夢中になって作曲したそうで、これも魔笛に劣らぬほどの大傑作に仕上がっている。

この気まぐれの発生の理由がよく分からないが、これは個人的な憶測になるがひとつにはモーツァルトは自分の音楽が後世になって賞賛されることをあまり意識しておらず、その場その場の動機やきっかけ次第で熱中したり、あるいはまるで手紙を書くように作曲を流していった面が多分にあったのではないかと思う。

このように、モーツァルトにはいろんな曲目を通じて沢山の顔が見えてくるが、自分の内面をその時の気分の赴くままに作曲した意味で一連のピアノ・ソナタは本人自身の率直なつぶやきに近いものがあり、彼の内面を探る意味で最も重要な作品群だと思う。

ソナタ1番(K.279)から17番(K.576)まで、随分長期間に亘って折にふれて作曲されているが、特に
第14番ハ短調(K.457)第2楽章は他の作品とはまったく違う作風で、深刻な曲調が陽気なときばかりではない彼の違う内面を顕しているようで実に趣が深い。あのベートーベンの後期のピアノ・ソナタを思わせるものがある。

これは、じぶんが最も愛好するソナタでもあり、少なくとも週に一度くらいはじっくりと聴いているのだがピアノ演奏の方は、もちろん
グレン・グールドである。

彼の演奏には、文章でいう句読点が感じられ、音楽をきちんと解釈してしっかりしたストーリーを組み立てている感じを受けるし、何よりも野太いタッチが逞しくて安心感を覚える。

残念なことにグールドは1982年に50歳で他界しているが、とある一流の演奏家がスランプに陥ったときには、彼のピアノ演奏(録音)を聴くという記事を読んだことがある。もう、後にも先にもこういうピアニストは出てこないだろう。

                         

           魔笛の自筆譜1                魔笛の自筆譜2

 

 


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健康コーナー~ウォーキングの効用~

2007年01月04日 | 健康コーナー

運動不足解消のため毎日トレーニング・ジムに通っているが、公設のため12月27日の水曜日から休館日となっている。

開館するのは1月4日からなので、8日間は別の運動を考えなければならない。しかたがないので正月休みで帰省した娘と2人で近くの公園を毎日午後の約1時間ほど
ウォーキングをしていたが面白いことに気がついた。

トレーニング・ジムでは毎回自転車こぎをしているのだが、ウォーキングとでは同じ費やす時間で比較した場合にどうも消費カロリーが違う感じがする。

自転車の方が短時間で手足が温もり、汗をかくので、個人差はあるかもしれないがウォーキングよりも確実に効率的にカロリーを消費できるようである。

日ごろ、大阪の方で自転車漕ぎをしている娘も同意見であり、しかもどうやら違う筋肉を使うようでふくらはぎのこりをしきりに訴えている。

したがって、カロリー消費に限っては自転車有利なのだが、ウォーキングの場合、大地に直接足を設置するので太ももとふくらはぎの筋肉とが丈夫になるという利点もあるようで一概にどちらがよいとはいえないようだ。

これからは、ウォーキングと自転車こぎをうまく組み合わせようと考えているのだが、トレーニングジムの休館がこれからの運動習慣に思わぬ示唆を与えてくれた。

また、ウォーキングは話をしながら出来るのが強みで久しぶりに娘と長時間に亘って趣味の話を出来たのが面白かった。

娘の話では、宝塚歌劇では男役トップと娘役トップが劇の中心となるそうだが、この二人が歌唱力、演技力、容姿がそろって息が合うことは滅多にないそうで昨年退団した「和央ようか」さんと「花總まり」さんの場合は20年に一度ぐらいという息が合った
ゴールデンコンビとして有名だったそうだ。

実はモーツァルトのオペラ「魔笛」もそうで、タミーノ役(王子)とパミーナ役(王女役)の二人のゴールデンコンビには、これまで21セットのCD盤、5セットのDVD盤を聴いてきたが未だに巡り会えない。

どうしても、どちらかの役に何らかの不満が生じるのである。また、テノールとソプラノの二重唱は相性があって簡単にはごまかしが利かないのでアラが目立つのも一因だ。

ことほどさように良いコンビというのは実に難しいものだが、よく考えてみると身近な例で言えば夫婦も男女のペアとして同じことなのだが、我が家の場合は果たしてどういうコンビなんだろう!?

                       



 


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番組視聴コーナー~グレゴリー・ペック~

2007年01月02日 | 番組視聴コーナー

映画はあまり観るほうではないが、やはり好きな俳優は何人かはいる。その中でも双璧は、ジェームズ・スチュワートゲレゴリー・ペックである。

前者の場合は、ひ弱そうな外観なのに芯がしっかりした人間を演じるのが実に巧みで、「リバティバランスを撃った男」「ウィンチェスター銃73」「西部開拓史」「遠い国」「グレンミラー物語」「裏窓」などかなりの作品を鑑賞している。

後者の場合は、「ローマの休日」をみて以来のファンで「大いなる西部」「恐怖の岬」「オーメン」「白鯨」「ナバロンの要塞」など枚挙にいとまがない。

そのグレゴリ・ーペックの「わが人生を語る」がNHKのBS2で録画による放映があった。ペックは残念なことに2003年に87歳で死去しているが、実に懐かしかった。

番組では、観客の質問に答える形で進行されていたので分かりやすかった。興味のある質問と回答を拾ってみた。

一番好きな作品は? →「アラバマ物語」(アカデミー主演男優賞受賞)

「ローマの休日」で共演したオードリー・ヘップバーンの印象は? →ユニークな人で魅せられた。自分は引き立て役に過ぎなかった。宣伝用のポスターに自分の名前と併記するよう進言した。

「アラベスク」のソフィア・ローレンとのシャワーシーンでは彼女は本当に裸だったのか? →YesでもNoでもないが、かなり目を見張ったことは確かです

撮影中の恐怖の出来事は? →「白鯨」の撮影シーンで海に溺れかかった

どういう人として記憶されたいか? →いい夫、いい父親

そのほか、演技のコツ、好きな役柄、現在の伴侶とのなれそめなどがユーモアに富んだ語り口で披露されたが、人柄を表していて親しみやすさを感じた。懐古趣味かもしれないが、こういうバランスのとれた俳優はもう出てこないだろう。

                        

 



 


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