「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「ビンボー オーディオ」の逆襲

2021年08月30日 | オーディオ談義

オーディオをやっていると必然的にお金が付きものだが、お金を湯水のように注ぎ込んでも必ずしも思い描いた理想の音が出るとは限らないというのがこの拙い50年間の結論である。

いや、けっして「負け惜しみ」じゃなくて~(笑)。

たとえば我が家の場合なんぞは年金生活なので費用対効果のギリギリの妥協点でオーディオを愉しんでいるが、ハイエンドのお歴々に比べて音質的にそれほど引けを取るとは思っていない。

というのも、すべてのオーディオは大なり小なり弱点もあれば利点もあると思っているからで、それは音楽ソースによってまるで生き物のように千変万化する。

言い換えるとあらゆる音楽ソースに対応できるオーディオシステムはあり得ず、たとえば口径38センチのスピーカーがわずか口径20センチのスピーカーに太刀打ちできないことが起きたりする。

読者もその辺のニュアンスを微妙に嗅ぎつけていらっしゃるのだろうか、過去ブログのアクセスランキングに「お金があり過ぎる悲劇」がときどきランクインしている。

すっかり忘れていた内容だったが再読してみると我ながらなかなかの出来栄えだったので、再掲させてもらうとしよう。もしかしてご参考になるかもしれない。

それでは、以下の通り。

つい先日、このブログで「旧いステレオサウンド誌(40冊)を無償で差し上げます。」と募集してはみたものの、とうとう希望者が現れなかったので、やむなく去る5日(水)の廃品回収日に放出した。

        

他人に差し上げる分には少しも惜しいと思わなかったが、いざ廃品回収に出すとなると何だか勿体ないような気がして(笑)、3日ほどかけて全40冊にザット目を通してみた。

旧いものでは50年ほど前の号もあり「あのときのオーディオ熱気よ、今いずこ」とばかり、とても懐かしい思いとともに全体を通読したが、この際なので感じたことをあえて述べさせてもらうと、

「ステレオサウンド誌は古いものほど面白い。結局、連載されていた巻頭の五味康祐さんの「オーディオ人生」と瀬川冬樹さんのオーディオ評論で辛うじて持ちこたえていた雑誌だった。このお二人さんが亡くなられると途端に色褪せてしまい精彩を欠くようになった。」。

その五味康祐さんだが、1973年の「28号Autumn」版に「オーディオ愛好家の五条件」という記事があった。

すっかり忘れていた内容だったが、いくら天下の五味さんのご提唱といえども「オーディオは百人百様」で、本人さえ良ければいいも悪いもなく、公式とか条件とかの決まりごとはいっさい「要らん世話」だと思うので、これは「オーディオ愛好家はかくあってほしい」という五味さんなりの願望だと受け取らせていただこう。

稀代のクラシック通だった五味さんが掲げるその五条件とはこうである。

 メーカー・ブランドを信用しないこと

 ヒゲの怖さを知ること

 ヒアリング・テストは、それ以上に測定器が羅列する数字は、いっさい信じるに足らぬことを肝に銘じて知っていること

 真空管を愛すること

 お金のない口惜しさを痛感していること

自分のような「心なき身」でも、いずれも「そうですよねえ」と頷くことばかりだが、2の「ヒゲ」というのは聴き慣れない言葉だがレコード愛好家ならきっとお分かりのことだろう。端的に言えば音楽ソフトを大切にする心がけを失わないようにしようという内容である。

この中で一番オヤッと思ったのは5の「お金のない口惜しさを痛感していること」だった。皆さん、いったいどういう意味なんだろうと興味をそそられませんか?

青年時代に乞食同然の放浪生活を送られた五味さんの云わんとするところはこうである。

オーディオは周知のとおり機器などのハード部分と音楽のソフト部分とで成り立っている趣味だが、これらを購入するのに必然的にお金は付き物だ。

しかし、どうしても前者にお金が集中するのは否めない。すると後者が手薄になってしまい、音楽的な教養が失われてしまいがちだ。

そもそもオーデイオは音楽を聴くための道具に過ぎないのだから本末転倒はよくない。

したがって、お金がなくてお目当ての機器が購入できないときは、その口惜しさを音楽を一生懸命に聴くことでどうか(五味さんのように)昇華して欲しい。

以上、芥川賞作家の文章を要約するなんてとても恐れ多いが、かいつまむと以上のような趣旨だろうと思う。

「オーディオとお金」は少なくとも愛好家と名が付く方々にとっても普遍的なテーマだと思うが、今度はチョット違う視点からアプローチしてみよう。

以前、とあるオーディオ仲間と次のような会話をしたことがある。

「オーディオってお金が無い悲劇も勿論ありますが、お金があり過ぎる悲劇もあるようですね。沢山のお金を掛けた割には音がサッパリという事例をかなり見てきました。お金と音はけっして比例しないところがオーディオの面白いところですね。」と、持ち掛けた。

「そうなんです。お金があり過ぎるとすぐに煽動されていとも簡単に高級機器を購入してしまいますが、どうしても研究不足になりがちです。

どんな高級機器にしろ、ポンと据えつけただけでは絶対にいい音が出ませんからね。むしろ高級機器ほどうまく鳴らすのが難しいところがありますから、これは一種のオーディオの危険な罠ですよ。

しかも、いったん罠に入り込んでしまうと将来に亘って身動きが取れないようになる傾向があります。そこそこのお金がありさえすれば、それが一番ですよ・・・。」

ちなみに、かっての自分のケースのように「お金が無いくせに背伸びしすぎる悲劇」も散見されるのでどうかご用心めされ(笑)~。



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モーツァルトを聴く~私のベスト1~

2021年08月28日 | 音楽談義

このところ早朝からオーディオルームの窓を開け放しているが、「モーツァルト専門チャンネル」をBGMにしてブログを作っていると、家内の朝の散歩仲間が「今日も音楽が鳴っている!」と別れ際に呟いていくそうだ。

「よくもまあ毎日飽きもせずに」ということなんだろう(笑)。

それが飽きないんですよねえ!

作曲したジャンルが実に多彩というのもたしかにある。たとえば、

オペラ、シンフォニー、ピアノソナタ、声楽、ミサ、弦楽四重奏、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、ヴァイオリンソナタ、クラリネット協奏曲、同四重奏曲、フルート協奏曲、ファゴット協奏曲、ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲、フルートとハープのための協奏曲、ディヴェルティメント・・。ざっと思いつくだけでもこれだけある。

さて、モーツァルトは35歳の短い生涯を閉じるまでにこれら600曲以上もの夥しい曲目を作曲しているが、そのうち「ベスト1」とされる曲は一体何だろうかと改めて考えてみた。

わずか5歳のときにピアノの小曲を、8歳のときに最初の交響曲を、11歳のときに最初のオペラを書いたという早熟の天才にとって文字と音符(♪)は同じことなので、スイスイと手紙を書くみたいに作曲したとか、全体の構想が奔流のように一気にアタマの中に流れ出てきて、後は鼻歌でも歌いながら脳髄から引っ張り出してきて五線紙に書き写すだけだった(小林秀雄著「モーツァルト」)なんて話もあるところ。


そして、おおかたの衆目の傾向を知ることが出来るのが「モーツァルトを聴く~私のベスト1~」(リテレール誌別冊)だ。


文学界、音楽家、コラムニスト、学界など幅広い分野の方々52名を対象に「ベスト1と位置づけているモーツァルトの作品とそれにまつわる感想、意見など」を収録した本である。

多い順に挙げてみると次のとおり。

1 ピアノ協奏曲第20番ニ短調(6名)

2 オペラ「魔笛」(4名)

3 
交響曲第40番ト短調(3名)

4 
ピアノソナタ第8番イ短調(2名)
    〃    第14番ハ短調(〃)
  オペラ「フィガロの結婚」(〃)
  オペラ「ドンジョバンニ」(〃)
  クラリネット協奏曲イ長調(〃)
  レクイエムニ短調(〃)

以上、ズラリと挙がった曲目を見るとやっぱりというべきか定評ある作品ばかり。いずれも小差で紙一重といったところだが、1位のニ短調はたしかに名曲には違いないがこれを(1位に)択ぶ人とはモーツァルをともに語ろうとは思わない(笑)。

自分の一押しである「魔笛」はとっつきにくいのにもかかわらず第2位と善戦していてうれしくなるが、たいへんシンプルなピアノ・ソナタを挙げる人
にも大いに共感を覚える。

とりわけ共感を覚えたのは、コラムニスト「石堂淑朗」
氏である。~以下引用~

『一生の間、間断なく固執して作曲したジャンルに作曲家の本質が顕現している。ベートーヴェンは九つの交響曲、三十二のピアノ・ソナタ、十五の弦楽カルテットに生涯の足跡を刻み込んだ。モーツァルトの真髄はオペラとピアノ協奏曲にありで、同じく生涯に亘って作曲されたピアノ・ソナタはいくつかの佳曲を含みながらも弟子の訓練用に作られたことから、やや軽いといううらみを残す』

こういう前置きのもとに、石堂氏がベスト1として挙げられたのがピアノ・ソナタ第14番ハ短調K.457。

「湧き出る欲求の赴くままに、報酬の当てもなく作られた故か、
不思議な光芒を放って深夜の空に浮かんでいる」。

ウ~ム!

実を言うと、この「ハ短調ソナタK.457」は「魔笛」を越えぬまでもほとんど肩を並べるぐらい大好きな曲である。

「魔笛」(全二幕)は演奏時間が2時間30分、主役クラスの歌手が5名、登場人物が多数に及ぶ大曲なのに対して、このハ短調ソナタはピアニストがたった一人で鍵盤に向かってひそやかに音を紡ぎ出すわずか21分かそこらの小曲。

まったくの好対照の両者だが好きという面では十分比肩するのが不思議な気がする。

しかも、近年、加齢とともに長時間の曲を一気に聴ける根気がなくなってきているので20分前後の曲は本当にありがたい。

モーツァルトには自分にとってまだ未知の名曲がきっと残されているに違いないので、発掘するという意味で「モーツァルト専門チャンネル」の意義は実に大きい。

おそらくモーツァルト三昧のまま「音楽&オーディオ人生」を終えるんだろうなあ(笑)。

 

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TR式「プリアンプ」の試聴テスト

2021年08月27日 | オーディオ談義

「GUSTARDのDAC「A22」が想像以上に良かったものですから、おなじGUSTARDのプリアンプを購入しました。おたくのシステムでテストしたいんですけどいかがでしょうか」と、近隣にお住いのオーディオ仲間「Y」さんからご連絡があった。

オーディオの最大の楽しみは新機種や改造機種のテストにあると言っても過言ではない。

「ハイ、いいですよ~。楽しみです」

はたしてどんな音が出てくるか、ハラハラ、ドキドキ、ワクワク・・、いくら高齢になってもこれほど心をときめかせるものはないし、それも少ない経費で特上の音が出れば幸せ感は半端ない(笑)。

それにしても「Y」さんは真空管アンプ・オンリーの我が家の音にいつも賛同的なコメントを洩らされるのだが、実際に購入されるとなると、TR式なのだから「いったいどうなってんの?」と言いたくなる。

「真空管ばかり使わずもっと視野を広げた方がいいんじゃない」という親心があるのかもしれない(笑)。

気に入った音が出さえすれば「真空管であろうとTRであろうといっさい拘りはない」
つもりだが、真空管さえ使っていれば「大外れはない」という気持ちはたしかにある。

実はこのTR式プリアンプから気に入った音が出てくれれば、まったく手が出ない価格帯ではないので購入しても良いとさえ思っていた。

DAC「A22」の性能から考えて、GUSTARDへの信頼性はそれほどまでに高かった。



これが「GUSTARD」の「TR式プリアンプ」である。

テストしたシステムは次のとおり。

CDトランスポート(CEC:176.4KHz)→ DAC「A22」(GUSTARD) → プリアンプ「E180CC×3本」(マランツ7型)→ パワーアンプ2台 → スピーカー「AXIOM80+D123」



今回のGUSTARDのプリアンプ(以下「Gプリ」)の競争相手となる真空管式プリは「12AX7」(BRIMAR)に代えて「E180CC」を使った。

通常のミニチュア管に比べて「プレート」がやや大きいせいか音の重心が下がるし、それかといって中高音域の輝きが失われないので外せなくなった。情報量が明らかに増えるのだから実に楽しくなる。

テスト盤はクラシックよりもジャズボーカルの方が分かりやすいということでこの2枚を選択


「ダイアナ・クラール」盤は「指でパチッ・パチッ」と弾く音が収録されているトラックがあって、音響空間の中でその響きがどのように広がるかなどが聴きどころ。

両方のプリアンプを2時間にわたって聴き比べた結果、軍配は「真空管式プリアンプ」に上がった。

TR式はどうも中高音域がやや硬質気味で余韻に乏しい感じを受けた。この感想は自分ばかりではなくYさんもご賛同された。

もちろん、Yさんが賛同されないとこういうコメントは書けない(笑)。

以前から持っている印象だが「TR式は低音域は悪くないが中高音域の瑞々しさにやや乏しい」傾向は変わっていなかった。

パワーアンプに比べてプリアンプとなるとより一層この傾向が強くなるようだ。

まあ、スピーカーとの相性があるのでこれは「古典系スピーカー」を使っている我が家だけの現象かもしれず「鬼の首を取ったように、やっぱり真空管式の方がいい」と声高に叫ぶつもりは毛頭ないです、はい(笑)。



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音楽鑑賞と楽譜

2021年08月26日 | 音楽談義

クラシック音楽に親しんでおよそ50年近くになるが、未だにレパートリーがモーツァルトだけに留まっている。

他にも沢山の名作曲家達がいる。例えばベートーヴェン、バッハ、ヘンデル、ブラームス、マーラー、ワーグナーなど枚挙にいとまがない。

ときどきは目移りするのだが、そのうちいつのまにかまたモーツァルトに戻っている。


クラシック音楽全体を大きな山に見立てると、じぶんはおそらく1~2合目あたりでうろうろしているぐらいだろう。

これでは、とてもクラシック音楽を語る資格があるとはいえないが、もう一つ大きな壁がある。

それは、残念なことに楽譜が読めないことである。したがっていろんな作品を聴いても作曲家の意図を正確に推し量ることができないし、せいぜい演奏者を通じて想像を逞しくするくらいである。

ご存知のとおり音楽の場合、絵画や文学に比べて鑑賞の仕方が決定的に違うところがある。

≪絵画・彫刻≫ 製作者 → 絵・彫刻 → 鑑賞者

≪文学≫ 作家 → 本 → 鑑賞者

≪音楽≫ 作曲家 → 楽譜 → 演奏 →(オーディオ装置)→鑑賞者

ご覧のとおり、絵画や文学では鑑賞にあたって何の道具も要らず、極端に言えば眼さえあれば原作者の作品そのものに身近に接することができるのだが、音楽ではそういうわけにはいかない。

楽譜と鑑賞者の間に演奏(指揮者を含む)という行為が入ってくる。これらは、いわば視覚から聴覚へ変換する道具(コンバーター)みたいなもので音楽が「間接芸術」と言われる所以だ。

音楽の特殊性といえばそれまでだが、楽譜を本と同じように読めたら作曲家の意図にもっと近づけるのだろうが、そういうことが出来るのは指揮者や演奏者などごく一部の専門家に限られるだろう。

近代音楽の雄であるアーノルド・シェーンベルクが「音楽というのは楽譜で観念として読むものだ。実際の音は邪魔だ。」と言ったのも「むべなるかな」。

というわけで、残念ながら楽譜を読めない人間にとっては受身の立場として演奏者次第で幾通りもの解釈を聴かされて、それを甘んじて受けなければならない。

どうしようもないわけだが、実はこれが逆に音楽の楽しみ方を倍加させている面もある。

じぶんはオペラ「魔笛」にとち狂って50セット近く収集したが、指揮者や演奏者、音質が違えば全然違う魔笛になる。

中には、作曲したモーツァルトがもし生きていたら”そんなはずではなかった”と仰天するような魔笛だってあるはず。

しかし、演奏家によって独立した作品になった以上、それ自体が一人歩きしており作曲者が既に亡くなっていることで誰にも否定も肯定も出来る資格を持ち合わせず、せいぜい演奏の巧拙を論ずるくらいである。

というわけで、じぶんはいろんな「魔笛」をああでもない、こうでもないと勝手に言いながら鑑賞しているが、これは絵画や文学には絶対に不可能な楽しみ方である。

おまけに音楽は演奏会場以外で楽しむ場合にはオーディオ装置が必要となる。

これがまた実に千差万別で世界中で同じ組み合わせの装置(部屋の広さも含む)は珍しいときている。

CDなどの音楽ソースを再生すればそれは世界中で唯一の自分だけの音楽の世界となるがこれも音楽鑑賞に道具が必要であればこその楽しみ方である。

したがって、この頃では「楽譜なんか読めなくてもいっこうに構わないし、むしろ読めない方がいい」と開き直っているが、ちょっとおかしいかな?

「雉も鳴かずば撃たれまいに」という言葉もあるのだが(笑)。



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怪我の功名

2021年08月24日 | オーディオ談義

ご存知の方も多いと思うが「怪我の功名」という言葉がある。

広辞苑によると「過失が思いがけなくも良い結果を生むこと。また、何気なしにやったことが偶然に好結果を生むこと」とある。

あまりにも「変数」(部屋の広さ、様々な機種、箱の大きさ・・)が多いことから必ずしも理論と現象が一致しないケースがたびたび起きるオーディオのことだから全国至るところで「怪我の功名」が起こっていると言っても過言ではあるまい。

つい最近起こった我が家での「怪我の功名」を記してみよう。

このところ出番が少なくなった「WE300シングル」アンプの整流管「4274A」(英国STC)が故障したのは先日のブログに記載したとおり。



当然、代わりとなる整流管を探さねばならないが選択肢がいろいろあった。



274B(2本)、5R4GY、GZ32、そして83V(刻印)

一番図体が大きいのが「274B」なのでアンプの図体に呼応して挿し込んだわけだが、気になったのが比較的小ぶりの「83V」(下段右端:RCA)で、どうも手に入れたときの経緯が思い出せないし、素性も定かではない。

こういうときは「北国の真空管博士」の出番だ。

すると「貴方が所有している2台の71系アンプにも使えますよ。80型整流管に比べて5割増しほど元気のいい音が出るはずです」

それではさっそくというわけで、挿し込んでいる「80」を外して「83V」を挿し込んでワクワクしながら耳を傾けた。



前段管が左端の「A411」(バリウム昇華型フィラメント:独ヴァルボ)、真ん中の出力管は「171」(トリタンフィラメント)、そして整流管は右端の「83V」、出力の方はせいぜい1ワットぐらいだろう。

スピーカーは「AXIOM80」(復刻版:フルレンジ)にサブウーファーとして100ヘルツ以下を「D123」(口径30センチ:JBL)で補強。



すると信じられないような艶と輝きのある音が出てきた。

え~っ、整流管だけでこんなに音が変わるの!!

このアンプはこれまで全体的に音にやや元気が足りなくて能率の高いJBL「075」ツィーターなどへの出番が限られていたのだが、これなら他のアンプと十分伍していけると思わせるほどの健闘ぶり。

さっそく博士にご注進。

「そうでしょう!ただし刻印付きの83Vじゃないと駄目ですよ~。人気があって今や品薄状態です。」

結局「宝の持ち腐れ」状態だったのが悔しいが、とにかく気が付いて良かった。「4274A」が故障しないとこういう展開にはならなかったので、「怪我の功名」とはこのことだ。

それはさておき、我が家ではこのところ「ミチュア管アンプ」を含めてこの「171アンプ」などの小出力アンプの出番がどんどん増えていく。

主として古典系のスピーカーを使っていると「オーバー・パワー」の弊害がやたらに気になるようになったからである。

「AXIOM80」が製作された当時のテスト用アンプは小出力の「45」と聞いたことがあるので「むべなるかな」。

これから新たな視点で我が家のアンプ群をどう編成していくか、悩みは深くて尽きない(笑)。



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DAC「A22」の新たな展開

2021年08月22日 | オーディオ談義

つい先日のブログ「多様な音楽ソース」の冒頭で紹介させていただいた匿名の方のメールを覚えておられるだろうか。

「DACと一言で(片付けられていま)すが最新ハイエンドだったり大昔の貴重なDACを改造したり楽しい世界です。私は最近Youtube Musicで情報を得て尚且気に入ったらこれまた困ったものですが三種の再生ソフトを使いこなします。

パソコンとDACで見えてくる音楽の世界は膨大です。これからも音楽をお楽しみください。チープな環境の私でもこの世界は音楽の宝庫だと思っています。」

そして、このほど第二弾のメールをいただいたので再度ご紹介させていただこう。

「今回のA22はほんとうにタイミングが宜しかったですね。私もその後追いかけたら既に売り切れで入荷見通しなしでしたから私も現役引退しましたが、昨年でしたか?旭化成の工場が焼けてしまいその後このDACチップのラインの再開を断念という業者からの連絡がありました。

ほんとに良いタイミングで運も手伝いましたね~。

その後私もハード面が大好きなものでレビューなど拝見してますが驚きは本体重量・・・・ 7.5kgほどなんですね~

中華製品も多く出回る中、このA22はちょっと方向性が異なるようです今までの中華製品とは違い音の部分にかなり拘っているようですDACチップにいくら高級品を使っても音楽の楽しさはまた別ということですね^^
良い買い物されましたね~。
 
あ!今後あるかわかりませんが SNS上では HERA または herakyon  なのでこのネームなら匿名はご無用です」

以上のとおりだが、ブログの中に自分の考えばかりではなく他の方のご意見を織り交ぜると多様性が増すので展開上大いに助かります。「HERA」さん、今後ともよろしくお願いしますよ。

さて、以上の内容をもとにして話を進めさせていただこう。

まず、このたび運よく購入できたDAC「A22」(GUSTARD)に使ってあるチップは「旭化成」の「A4499」ですが、さる筋によるとクラシックファンから多大の支持を集めているようです。

もう再生産不可能ですから今後「幻のチップ」としてきっと後世に語り継がれていくことでしょう。

同じ「A22」を所有されている近隣のオーディオ仲間の「Y」さんともども「これからA22はあのマランツ7と同じようにプレミアム扱いで値段が高騰するかもしれませんね」と、勝手にほくそ笑んでいるところ(笑)。

そこでというわけだが、この「A22」は我が家のデジタルオーディオの中心機器として大いに活躍してもらいたいので、「パソコンによるCD再生のもとに信号を384KHzで出してA22で受け取れないだろうか」と思いついた。

つまり、CD再生でもパソコンを活用しようという算段でモーツァルトのCDは手持ちが豊富なので活用の場が大きく広がる。



「気ままなモーツァルト」(CD6枚)には有名なさわりの部分ばかり70曲ほどが収録されているし、モーツァルト全集にはCD111枚が編集されているので、出番には困らない。

そこで、パソコンに精通された「北国の真空管博士」に相談してみると、「ああ、できると思いますよ。試してみますからしばらく待ってください」

1時間後にご連絡があった。

「貴方のパソコンにインストールされている「AIMP」(ロシア)を活用します。これから私の言うとおりに操作してください・・・」

そして、見事にパソコンからDACへと通じて「384KHz」の再生音がシステムから鳴り響いた。

「え~、これならもうCDトランスポートは要らなくなりますね!」というほどの「PURE」な音質!

「CDトラポと比べると、読み取り精度と回転精度がやや落ちるでしょうがパソコンはエラーの修復機能に優れていますから十分太刀打ちできると思いますよ」と、博士。

我が家のケースでは、家主の年齢から鑑みてCDトラポが万一故障したときは買い替えはせずにパソコンで十分間に合いそうだとは現時点での感想である。

「A22」は「音楽とオーディオ」のいろんな楽しみ方を無限に広げてくれますよ~。



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読書コーナー~ジョン・ボルトン回顧録ほか~

2021年08月21日 | 読書コーナー

別に読みたいと思っていたわけではないが図書館の「新刊コーナー」でたまたま目に入ったのが「ジョン・ボルトン回顧録」(以下「回顧録」)と「バイデンの光と影」。



まず回顧録の方から先に読みだしたのだが、これが予想外にも面白い。

何しろ細かい字で上下2段組、600頁ほどの長編なので「貸出期間の2週間」ではとても読み切れないと思って2週間延長し都合4週間かかってようやく読み終えた。

まずはボルトンという人物の記憶力、観察力の並外れた鋭さに驚嘆させられた。

さすがにアメリカの名門「イェール大学」を首席クラスで卒業し、大学院(法学科)まで進んで弁護士資格を取得し、国務省などで要職(国連大使など)を重ねてきた逸材だけのことはある。

最終的には「国家安全保障大統領補佐官」として奮闘するも気紛れなトランプ大統領とソリが合わず、解任させられるまでの「453日間の記録」だが、微に入り細に亘り当事者たちの息遣いまで聞こえてくるようなトランプ政権内部の様子が細かい案件ごとに容赦なく暴かれている。

日本に対する言及もあって、安倍首相の「北朝鮮に関する的確な判断」など全体的に好意的な見方のように感じられた。その一方、韓国の大統領に対しては辛辣な表現で「なりふり構わず南北統一に邁進する」姿が浮き彫りにされている。

結局、トランプ政権の混沌とした4年間はいったい何だったのか、功罪を含めて後世の史家が判断することになるのだろう。

個人的な意見を言わせてもらうと、8年間に亘ってオバマ政権が中国を甘やかしてきた「ツケ」がトランプ政権になってもろに跳ね返ってきた、とみている。

最後に「アメリカ政府の仕事」は国際的な分析と対応が多岐にわたり、関係国家の調整がとても複雑でさすがに「世界に君臨する国家」の印象を深く抱いた。

興味のある方は一読しても時間の無駄にはならない本です。

その一方、「バイデンの光と影」はこれまでの関係記事の寄せ集めの編集で、さっぱり内容に統一性が無かった。

これは完全に時間の無駄になる本ですね。

✰ ミステリー「斜め屋敷の犯罪」



大のミステリーファンを自認している割には、迂闊にもその存在を知らなかった「斜め屋敷の犯罪」(島田荘司)。

メル友さんから情報が入って、現在世界のミステリー界をリードしているあの「アンソニー・ホロヴィッツ」(英国)がこの本を読んでいるそうで、それほどならと図書館内のパソコンを検索してようやく「文庫本」を見つけた。裏表紙に次のような解説があった。

「北海道の最北端・宗谷岬に傾いて建つ館~通称「斜め屋敷」。

雪降る聖夜にこの奇妙な館でパーティが開かれたが翌日、密室状態の部屋で招待客の死体が発見された。人々が恐慌を来たす中。さらに続く惨劇。

探偵「御手洗 潔」は謎をどう解くのか!?

日本ミステリー界を変えた傑作が大幅加筆の改訂完全版となって登場!」

以上のとおりだが、一言でいってたいへん趣向を凝らした「本格的なミステリー」ですね。

ただし、犯行の動機が弱い気もするが、こういう密室ものの作品に対しては仕方がない。

それよりも、なぜ一風変わった「斜め屋敷」が建てられたのか、そこには常人が及びもつかないような殺人のトリックが秘められており真相がわかると同時に思わず身震いするほどの興奮を覚えた。

ミステリーファンは一度読んでおいても損はしないでしょう。

「アンソニー・ホロヴィッツ」が愛読している理由もよくわかりました。


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オーディオの「まさか」にご用心

2021年08月19日 | オーディオ談義

ずっと以前のこと、元首相の「小泉純一郎」さんがテレビに出演してこういうことを言っていた。

「人間には上り坂と下り坂があるが、もう一つ”まさか”という坂がある」

長い人生には想像だにしないことが起こることを冗談交じりに述懐したものだが、「魑魅魍魎」(ちみもうりょう)が横溢し「百鬼夜行」の複雑怪奇な政界を乗り切った人物の言葉なので妙に記憶に残っている。

そして、オーディオにもその「まさか」があるようである。

我が家の真空管アンプ群のうちで性能的、お値段的、そしてブランド的にもっとも信頼できる存在の「WE300Bシングル」アンプ。

このところ新鮮な「ミニチュア管アンプ」に押されっぱなしだったが、久しぶりに電気を通しておこうとスイッチを入れたところ何と音が出てこない!

あれっ、おかしいなあ・・・。

前段管と出力管の点灯具合、そしてケーブル類の接触不良を疑ったがすべて異常なし。

首を傾げる中、ようやく最後になって「整流管」が点灯していないことに気が付いた。

ブランドは「STCの4274A」で3年ほど前にオークションで手に入れたものだ。



「STCブランド」(英国)は音もいいけれど、もともと出自が通信管なので簡単に故障しないことでも有名である。

「たまには球を入れ換えて違った音を楽しみたいのだが故障しないので困る」とまで、こぼされるほどのブランドである。

我が家でもSTCブランドが故障したのは初めてで、まったく信じられない思いである。

まさか・・。

さっそく「北国の真空管博士」にご意見を伺ったところ「ピンのハンダ付け不良かもしれませんね。そのうち送ってください」

「ハイ、分かりました。当面その代わりにどういう整流管を挿したらいいんでしょう」

ずっと以前にこのアンプを全面改造していただいた博士なので回路は隅から隅まで熟知されている。

「電源トランスの端子に合わせてヒーターが5ボルト、電流が2アンペアタイプの整流管を使ってください。たとえば、274B、83V、5R4GY、GZ32といったところでしょうか」

これらの比較的ポピュラーな球となると我が家の守備範囲である(笑)。



有名なウェスタン製ではないけれど「274B」が2本、「5R4GY」、「83V」「GZ32」が各1本づつの計5本。

それぞれピンの形態が違うが、幸いこのアンプは2種類のピンの挿し代えが可能になっている。



まず「274B」(シルヴァニア)を挿し込んで試聴したところ音が見違えるほど鮮明になって中高音域のあでやかさがひときわ響き渡った。

なるほど、このところこのアンプがイマイチとの印象を持っていたのだが整流管のヘタリだったかもしれないとの思いが脳裡をよぎった、と同時に
そのせいで「ミニチュア管」風情が「跳梁跋扈」する余地があったのかもしれないなあ(笑)。

ただし、「AXIOM80」に繊細かつ本来の「ふっくらとした柔らかい響き」を求めるとなると「WE300Bアンプ」はパワーがあり過ぎて相性がイマイチの感がありますね。我が家では・・。

最後に、整流管の役割は「交流を直流に換えて豊かな電流を供給する」という、いわば縁の下の力持ち的な存在だが、一番消耗が激しい球でもあるようでときどき状態をチェックする必要がありますよ。

我が家のようにブランドを盲信することなく、どうか「まさか」にはくれぐれもご用心くださいね~(笑)。



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多様な音楽ソース

2021年08月17日 | オーディオ談義

前回の「豊かな音楽ライフとパソコン」についてだが、さっそく次のようなメールが届いた。匿名ということで無断転載お許しください。

「DACと一言で(片付けられていま)すが最新ハイエンドだったり大昔の貴重なDACを改造したり楽しい世界です。私は最近Youtube Musicで情報を得て尚且気に入ったらこれまた困ったものですが三種の再生ソフトを使いこなします。

パソコンとDACで見えてくる音楽の世界は膨大です。これからも音楽をお楽しみください。チープな環境の私でもこの世界は音楽の宝庫だと思っています。」

以上のとおりだが、仰る通り「パソコンとDACで見えてくる音楽の世界は膨大」を実感しています!

そこで、この際とばかり我が家の音楽ソースを整理してみることにした。

レコードはやってないのでデジタル・オーディオのポイントとなるのが「DAC」だ。

現在、我が家では3台のDACを所有しているがこのうち「エルガー プラス」(dCS:英国)は予熱を入れた待機状態だけでも天板がかなり熱くなるので内部の「IC」にとってはたいへんよろしくない。

したがって夏の期間は使わないことにしており、今のところ「A22」(GUSTARD)と「HD7A・192」(PHASEMATION、以下「HD7A」)を使い分けしている。

CDトランスポートは「TL3 3.0」(ベルトドライブ方式:CEC)で、以下「TL3」と呼称。

それでは我が家の音楽ソースを「音質がいい順番」に挙げてみよう。

 「TL3」(176.4 KHz発) → DAC「A22」(176,4KHz受)

 「TL3」(44.1 KHZ発) → DAC「HD7A」(176.4KHz受)

 パソコン(384KHz発) → DAC「A22」(384KHz受)

 ブルーレイ(ハイレゾ強発) → DAC「HD7A」(192KHz受)

 ブルーレイ(ハイレゾ強発) → DAC「A22」(48Khz受)

というわけで、5系統あってそのうち一番音がいいのは「1」、もっとも聴く時間が多いのは「3」の「モーツァルト専門チャンネル」、そして最も手軽に聴けるのは「4」かな。

とはいいながら、聴力が衰えているのでどれもこれも似たような音質で結局「五十歩百歩」ですけどね(笑)。

となると手軽に聴けるものが優位に立つのは必定で、目下のところ「3」と「4」がメインとなっており、「1」はお客さんが見えたときぐらいになる。

視点を変えて「音質と使い勝手」の面から理想的な再生ソースは「ブルーレイ 384KHz発」 → 「A22 384KHz受」となるが、ブルーレイでそういう該当機種があるかどうかさっそくググってみた。

すると、ありました!

パナソニックの「UB9000」という機種がそれだが、何と業界最安値でも17万円もする。

「A22」よりも高い!


しかし、現在使用中の「ブルーレイ」や「CDトランスポート」が、万一故障したときは当然候補に上らざるを得ない。

今からコツコツとお金を貯めていくとするか~。

それまで肝心の寿命の方が持ってくれるといいんだが・・(笑)。



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豊かな音楽ライフとパソコン

2021年08月15日 | 音楽談義

パソコンはずっと苦手で「何か得体のしれないものを扱っている」感覚がどうしても拭いきれない。

ましてや我が家の「レーゾン・デートル」にあたる「音楽&オーディオ」で中心的な役割を果たしてくれるなんてまったく予想していなかった。

ところが今では・・。

このほど新たに手に入れた「GUSTARD」のDAC「A22」のおかげで様相が一変してしまった。



午前中はネットラジオ「モーツァルト専門チャンネル」や「オペラ専門チャンネル」(宣伝無し)をBGM風に流しているが、思い出深いメロディが次から次に出てきて思わず聴き惚れてしまう。

モーツァルト好きにはたまりませんね~。

以前読んだ本の中に「モーツァルトに耽溺するとほかの作曲家では満足できないようになる」とあったが、自分にとってはそのまま地でいく言葉になっている。

一言でいえば、何ら「作為」が感じられない自然な装いの音楽といえばわかっていただけようか。

さらにいいことには、曲目ごとにパソコン画面に表示されるので「好み」だと思ったときはすぐに手帳にメモしている。

帰し方40年あまり、モーツァルトの作品はほとんど精通しているつもりだったがやっぱり抜けがある。

たとえば、「ピアノ協奏曲12番 K414」「同13番 K415」「同14番 K449」「交響曲第28番 K200」「セレナード7番ハフナー K250」など、あまり有名どころではなく比較的若年の頃の作品がリストに上っている。

一般的にモーツァルトはピアノ協奏曲20番(K466)を契機に飛躍的な脱皮を遂げたみたいにいわれているが、これは間違いですね。

20番台は「円熟さ」とは裏腹に少々「マンネリ気味」みたいなものが感じられるが(聴き慣れたせいかもしれないが)、10番台には「新鮮で溌溂とした若々しさ」があるし、交響曲なんかにも同じことがいえる。

10代のころから35歳で亡くなるまでずっと同じ声を出し続けた天才モーツァルトにとって作品の価値は(作曲した)年齢とは関係ないことを改めて思い知らされた。

こういう新たな発見があるので豊かな「音楽」ライフを送ろうと思えばパソコンを避けて通るわけにはいかないことを痛感する今日この頃。

「ネットラジオ」以外にも、あるルートから仕入れた「TRANSCEND」の「ソリッド・ステート・ディスク」(およそ1500枚分のCDを収納)がある。



クラシックを中心にジャズ、ポピュラー、民族音楽などあらゆるジャンルが網羅されているが、これらの曲目をすべて「384KHz」で聴けるのだからまったくパソコン・サマサマである。

そのうち例によって「パソコン・オーディオ」の音をもっと良くする方法はないものかと思案するうちに、ふとパソコンとDACを繋ぐ特殊なUSBケーブルを保管していたことを思い出した。



これがその電源付きの「USBケーブル」だがこれまで使っていたDACでは読み込んでくれず接続不能だったが今回の「A22」はどうだろうかと試したところ見事にOK。

明らかに「SN比」が向上して音が静かになったのでケーブル効果を確認できた。

オーディオは、いったんいい方向に転がりだすと加速度がついてくるようですよ(笑)。



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スピーカーは「重厚長大」から「軽薄短小」へ

2021年08月13日 | オークション情報

「おい、福岡のSさんから連絡があってな~、タンノイの大型スピーカーにオートグラフというのがあって・・・」

「ダメよ!これ以上は何と言おうと無理なんだから・・」

「黙って最後まで俺の言うことを聞け!」

オーディオの話となるとこの調子(笑)。

要は、Sさんが在京中に交流があったオーディオ仲間が亡くなられ(享年70歳前後)、その方が愛用されていた「オートグラフ」を引き取って欲しいとご遺族から依頼されたとのことで、送料代だけの負担でよさそうですから要りませんか、というお話だった。

Sさん宅はタンノイの「コーナー・ヨーク」(オリジナル)に「シルヴァー」(口径38センチ)を容れて楽しんでおられ、もはやオートグラフを置くスペースが無いとのこと。

翻って我が家には大型のウェストミンスターを含めて5台スピーカーがあるのでこれ以上はいくら何でも無理。

そこでSさんに対してやんわりとお断りしたのだが、それでも送料代程度の負担でオートグラフが手に入るのなら引き取るのも「やぶさか」ではないがと少し心が揺れ動いたのも事実。

しかし我が家の「鬼軍曹」がこういう調子だから検討以前の問題である(笑)。

このところオークションを見ているとタンノイを含めて大型スピーカーの人気が凋落しているのを感じる。

オーディオ全盛期に適齢期だった愛好家が高齢になり次々に物故して、部屋を占拠している大型スピーカーが持て余し気味となり故人との懐かしい思い出も時とともに薄れていって、思い切って処分しようかという気になるのも無理からぬことである。

Sさんと話しながら「明日は我が身ですね」とこぼし合ったことだった。

今回のケースでは結局「引き取り専門業者」をご遺族に紹介してあげたそうだが、おそらく買い叩かれて「二束三文」だろう。

ま、いっか(笑)。

さて、大型スピーカーの範疇に入るかどうか微妙なところだが、つい最近のオークションに「コーネッタ」(タンノイ)が出品されていた。



コーネッタについてはこのブログでも以前紹介したことがあるので解説を再掲させてもらおう。

TANNOY cornetta コーネッタは、1976年のステレオサウンド誌の企画によって、タンノイ・オートグラフを模して誕生しました。
又、2008年12月にステレオサウンド誌のタンノイ特集号にて、コーネッタ製作記事などの復刻版が出ました。
タンノイの10インチ 希少なラージ・フレームのモニターゴールドを搭載しております。
型番は、IIILZ,ユニット:MONITOR GOLD LSU/HF/III.LZ/8/Uです。
タンノイの同軸スピーカーは、BLACK → SILVER → RED →GOLD → HPDとモデルチェンジして行きますが、RED、 GOLD期の10インチ・ユニットの名称が III-LZです。
過去に、TANNOY III-LZとして、オリジナルや国産キャビネットでのシステムを、数回紹介させて頂いておりますがスピーカーシステムの名称では無く、正式にはユニットの名称です。
タンノイ MONITOR GOLD III LZ 搭載のコーネッタをLUXMAN SQ38FDと繋ぎ、レコード、CDで試聴致しました...
音像定位の素晴らしさは、さすがにTANNOYです....
楽器の細やかな表情、繊細な響きと綺麗な余韻、多楽器でのスケール感と広がり.... 
低域の力感と豊かな量感があり、クラシック楽曲だけでなく、JAZZやポップス等々....様々な楽曲を堪能できました。
♪音楽に浸り癒される....優雅で素晴らしいシステムです♪
元々、タンノイでコーネッタ名のモデルはありますが、アメリカ市場用のシステムで、四角型キャビネットのバックロードホーンで、デザイン・音質共にまったく違うシステムです。
コーネッタは、ステレオサウンド誌の企画でオートグラフを模して誕生した、オールド・タンノイの風格と気品のある銘システムです。」

以上のとおりだが、個人的にはタンノイについては口径38センチは嫌い(シルバー、レッドを除いて)で、「ⅢLZ」クラスの口径25センチが音のバランスが取れていて好き。

したがって今回の「コーネッタ」がどのくらいの価格で落札されるか興味津々だったが結局「20万Ⅰ千円」だった。安っ!

ひところは軽く30万円以上はしていたのに落ちぶれたもんだと慨嘆。

スピーカーはこの世の中の動きと同様に確実に「重厚長大」から「軽薄短小」に向かっていますね。

最終的に「豊かな響き」を左右するのは箱の大きさで「決まり」と思うんだけどなあ・・。



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ミニチュア管用「変換アダプター」の活躍

2021年08月12日 | オーディオ談義

このところフル回転しているミニチュア管用の変換アダプター。



奥の方の2本に「ミニチュア管」(ムラード:E180CC)を挿し込んでいるアダプターがお分かりだろうか。

この場所には元々「6SN7」が出力管として挿し込んであったのだが、この変換用アダプターを使っていろんな球を差し換えながら楽しんでいる。

肝心の「μ(ミュー)=増幅率」となると「6SN7」が「20」、そして「E180CC」が「46」なので音が変わって当たり前だが、
それぞれに良さがあるものの前者に比べると後者の方がスピード感があっておまけに音に輝きが出てきたりでいいことづくめ、もはや元に戻る気がしない。

そうこうするうち、「北国の真空管博士」から「6GRU7、6CG7あるいは6DJ8用の変換アダプターもオークションに出品されてますよ」と耳寄りの情報が入ったのですぐに飛びついた。



左が既存の「E180CC」(ムラード)を挿し込んだアダプター、右が今回手に入れたアダプターで希少管「6CG7」(RCA:クリアトップ)を挿し込んでいる。

その構造上の違いとなると、表面ではわからないがおそらくピン配列を変えているのだろう。

問題は音質だが「E180CC」は低音域から高音域までフルレンジで鳴らしたくなるタイプだし、その一方「6CG7」は「スーパー3」(ワーフェデール)や「075」(JBL)などの中高音向けユニットを鳴らすときに使いたくなるタイプできれいに役割分担できるところが微笑ましい(笑)。

ここで読者の皆様にお知らせです。

家の中をよくよく探してみたところ「6SN7」から「12AU7」系に変換できるアダプターが3ペア見つかりました。もちろん、「6SL7」から、(μが同じくらいの)「12AT7」などへの変更も可能です。

そこで、いくらなんでも3ペアも要らないのでそのうち1ペアをお譲りしてもいいです。

さらに「E180CC」(AMPEREX7062)も余分にありますので1ペアお付けします。

試しに差し替えてやればガラッと雰囲気が変わり、音に明るさと輝きをもたらしてくれる可能性大です。

もし「6SN7」や「6SL7」
を前段管や出力管として使っている方があれば一度挿し込んで試してみてはいかが。

ほら「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という言葉もありますからね(笑)。

もちろん、システムとの相性があるので結果がイマイチのときは返品ご自由です。

希望者は自己紹介欄にあるメルアドあてご連絡ください。



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音楽と耳の機能にまつわる話

2021年08月10日 | 独り言

ようやく終ったかと思えば、またやってくるコロナ禍の猛威。

こういうご時世では個人ごとの「免疫力」がいちばん頼りになるので「適度な運動とリラックス」は必須ですね。


リラックスといえば我が家では「音楽&オーディオ」に尽きるが、そういう輩にとって「耳が遠くなる」ことほど悲しいことはない。

自分などは、そうなるともう死んだ方がマシとさえ思うが、悲しい現実として
聴力は20歳ころをピークに徐々に低下しはじめていき、65歳以上の4人に1人、75歳以上の2人に1人は補聴器が必要な状態だ」と、ショッキングな書き出しで始まるのが「耳トレ!」である。

                      
 

自分なんぞは年齢からしてよくもまあこんな耳でオーディオを楽しめるものだと我ながら感心するが、いまだにもっと「いい音を」という欲求が尽きないのだからおそらく傍から見ても呆れかえっている人が多いことだろう(笑)。

さて、大学教授で現役のお医者さんが書いたこの本には「耳の健康」に対する情報が満載で実に”ため”になる本だった。

以下、とりわけ興味を引いた点を自分のために忘れないように箇条書きスタイルで整理してみた。

なお、の部分は勝手な独り言なのでけっして鵜呑みにしないでくださいね(笑)。

☆ 難聴の大きな要因は「騒音」と「動脈硬化」

2007年10月、日本の国立長寿医療研究センターから「加齢と難聴には相関関係がない」というショッキングなニュースが発表された。主として難聴に関係していたのは「騒音」と「動脈硬化」の二つだという。

「騒音」の原因には「騒音職場」とともに「ヘッドフォン難聴」「イヤフォン難聴」が挙げられ、
一方の「動脈硬化」は言わずと知れたメタボリック・シンドロームである。

この二つは日常生活の中で十分予防が可能だが、比較的若い時期から一人ひとりが心がけていかない限り、近い将来「大難聴時代」がやってくることは必至だという。

☆ 日本語は世界一「難聴者」にやさしい言語

どの国の言語にもそれぞれ固有の周波数帯というものがあり、母国の言語を繰り返し聞いて育つうちにその周波数帯以外の音を言語として聞き取る脳の感受性が失われていく。

そのため生後11歳くらいまでには母国語を聞いたり発音する能力に特化した脳が出来上がる。

日本語で頻繁に使われる周波数帯は125~1500ヘルツだが、これが英語ともなると200~12000ヘルツとなって随分違う。日本語は世界の言語の中でもっとも低い周波数帯の言語で、英語は世界一高い周波数帯の言語である。

したがって、英語民族は高齢になると早い段階で高い音が聞き取りにくくなって不自由を感じるが、日本人はすぐには不自由を感じない。その点で日本語は世界一難聴者にやさしい言語である。

 これは一人で二か国の言語を操るバイリンガルの「臨界期」が10歳前後と言われる所以でもある。

また、英語圏の国で製作されたアンプやスピーカーなどのオーディオ製品には、高音域にデリカシーな響きをもったものが多いが、これで謎の一端が解けたような気がする。その一方で、とかく高音域に鈍感な日本人、ひいては日本のオーディオ製品の特徴も浮かび上がってくる。


☆ 聴力の限界とは

音の高い・低いを表す単位がヘルツなら、音の強さや大きさ(=音圧レベル)は「デシベル(dB)」であらわす。
 

人間が耳で聞き取ることのできる周波数の範囲は「20~2万ヘルツ(空気中の1秒間の振動が20回~2万回)」の間とされているが、イルカやコウモリなどは耳の形や構造が違うのでこの範囲外の超音波でさえ簡単に聞き取れる。 

ただし人間の場合は20ヘルツ以下の音は聴覚ではなく体性感覚(皮膚感覚)で感じ取り、2万ヘルツ以上の音(モスキート音)は光や色として感じ取りその情報を脳に伝えている。

 人間の耳は一人ひとりその形も構造も微妙に違うし、音を認知する脳の中味だって生まれつき違う。

したがって同じオーディオ装置の音を聴いたとしても各人によって受け止め方が千差万別というのが改めてよくわかるが、
音に光や色彩感覚があるように感じるのは超高音域のせいだったのだ!

☆ 音が脳に伝わるまでの流れ

耳から入った空気の振動は外耳道と呼ばれる耳の穴を通り、アナログ的に増幅されて鼓膜に伝わり、アブミ骨などの小さな骨に伝わってリンパ液のプールである蝸牛へ。そこで有毛細胞によって振動が電気信号に変換され、聴神経から脳に伝わる。これで耳の中の伝達経路はひとまず終了。

この電気信号が言語や感情と結びついた「意味のある音」として認識されるまでにはもう少し脳内での旅が続く。

電気信号が聴神経や脳幹を経て脳内に入ると、まず、大脳の中心部にある「視床」に送られる。ここは、脳内の情報伝達の玄関口となっている。視覚、聴覚、皮膚感覚などあらゆる感覚情報が必ず通る場所で、単純に音だけを聴いているつもりでも、様々な感覚情報とクロスオーバーしている。

また「視床」を通過すると音の伝達経路は「言語系ルート」と「感情系ルート」の二つに大きく分かれる。前者は最終的に「言語野」に到達するが、後者は大脳の一次聴覚野を通らず、いきなり「扁桃体」に直結していて「イヤな音」「うれしい音」というように音を直感的・情緒的に受け止める。

※ 音楽を聴くときにカーテンなどでスピーカーを隠してしまったり、あるいは目を瞑って聴いたりすると、機器の存在を意識しないでより一層音楽に集中できるのは経験上よく分かる。

さらに、直感的なイメージとして述べると、オーディオ愛好家が音楽を聴くときには心が揺り動かされるので主として「感情系ルート」がはたらき、それ以外の普通の人たちが(音楽を)聴くときには主として「言語系ルート」が働いているように思うが果たしてどうだろう・・・。

ほかにも本書には「音楽好きための難聴予防テクニック」など貴重な情報が満載で、末永く「音楽&オーディオ」を楽しみたいと思われる方は是非ご一読されることをお薦めしたい。
 


 
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オーディオに必要な「対決の構図」

2021年08月08日 | オーディオ談義

「修繕したEL34プッシュプルアンプの経過を見たいので6日(金)の午後にMさんと一緒にお伺いしていいですか?」とオーディオ仲間のNさん(大分市)からご連絡があった。

「ハイ、どうぞ、どうぞ~」

6日は今年一番の猛暑といっていいくらいのうだるような暑さだったが、それをものともせずにオーディオに邁進する3人・・、本当にオーディオが好きですねえ(笑)。

エアコン嫌いを自認しているが、さすがにお客さんの手前スイッチオンせざるを得ない。

最初に聴いていただいたのはこのスピーカーだった。



CDトラポから「176.4KHz」のハイレゾ信号をDAC「A22」(GUSTARD)で受信させ真空管アンプの「プリ」と「パワーアンプ」(2台)でこのスピーカーを駆動させた。

お客さんのお二人は大のレコード愛好家でCDにはまったく興味を抱かれていない。

こういう方たちに「どうです、CDもいいでしょう」と押し付ける気持はさらさらない。というのもCDはどんなにハイレゾ化しても「完璧に調整された」レコード・システムには敵わないと分かっているから。

ただし、この「完璧に調整された」という言葉にCDが挑戦する余地が残されている。

たとえばレコードではフォノモーター、トーンアーム、カートリッジ、そしてフォノイコライザーアンプなどの道具によって支えられているが、これらすべてが重要な役割を担っていていっさいの「手抜き」は許されない。

しかし、これらの道具を一部の隙も無いほど完璧に調整できたレコードシステムがこの世にあろうとはどうしても思われないのが現実だ。

したがって、中途半端なレコードシステムよりもうまくできた「デジタルシステム」の方がマシだよねえ・・という思いがどうしても捨てきれないし、実際に他家でレコードを聴かせてもらっても、カルチャー・ショックを覚えたことはない。

1時間ほど聴いていただいてから「これら5系統のスピーカーの中で一番お好きなのはどれですか?」との問いが発せられた。

「そうですねえ、やっぱりオーディオの最後に行き着くところ、豊かな響きを決めるのは箱だと思ってます。となると我が家ではウェストミンスターですかねえ・・。切り替えてみましょうか?」

「ええ、ぜひ・・」



「EL34プッシュプルアンプ」で内蔵の「スーパー12」(ワーフェデールの口径30センチ:赤帯マグネット)をフルレンジのままで駆動し、高音域は同じくワーフェデールの「スーパー3」(口径10㎝:赤帯マグネット)を「E180CCプッシュプルアンプ」で駆動した。

ウェスタン製のコンデンサー2個(ブラック・タイプ)でローカットした周波数は5000ヘルツくらいかな。

これで、結局2台のアンプとも「プッシュプルアンプ」となった。

「まるでホールで聴いているような豊かな響きです。低音とか高音がどうのこうのという音ではないですね。こういう音なら1日中クラシックを聴き耽っても疲れることなく聴き飽きないでしょうね。EL34が立派に役目を果たしていて安心しました」とNさん。

「そうですね。EL34のパワー感によってウェストミンスターが違った貌を見せ始めました。グレゴリオ聖歌がやっと身近になりましたよ。

こういう音に慣れてくると他のスピーカー群に対してどうしてもゆったり感が欲しくなります。もっと大きな箱にユニットを容れてやるといいんでしょうがこの部屋ではこれ以上どうしようもありません・・」

最後に、このところ「EL34」などのプッシュプル・アンプの出現によって「WE300B」や「PX25」などのシングル・アンプの出番が少なくなってきている。

はたしてパワー感に一日の長がある「プッシュプル・アンプ」がいいのか、それとも透明感の表現力に優れた「シングル・アンプ」がいいのか、我が家のオーディオの「一大テーマ」になりつつある。

それぞれの持ち味を吟味しながら割り切れない闘いが続いていく。

まあ、こうしていつも何らかの「対決の構図」を作っておくと飽きることなくオーディオが楽しめるのも事実ですけどね(笑)。



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「宇宙の音階」とは

2021年08月07日 | 音楽談義

一昨日(5日)のNHK・BSプレミアムの天文関係の番組「コズミック・フロント」(午後10時~)では「宇宙に響く不思議な歌」というタイトルで特集を組んでいた。

「地球は空気があるので多様な音(空気の振動)に満ちているが、誕生から138億年になる宇宙にも独特の響きを持つ星がある。その音とは・・」を探求したスケールの大きな番組だった。

そういえば、ずっと以前のブログに「宇宙の音階」というタイトルで投稿したことを思い出した。

ちまちました家庭オーディオの世界からいっきに宇宙へと視野を広げるのも悪くはないと思うので(笑)、以下、今風に手直しして再掲してみよう。

音楽ってなんだろう? 音っていったいなんだろう?と、思うことがときどきある。

こういう根源的な問いに対して「武満徹 音楽創造への旅」は手がかりらしきものを与えてくれる。著者はつい先日亡くなられた「立花隆」さん。



とはいえ、内容を一括りにして述べるのはちょっと凡才の手に余るので、(武満氏の)音に対する考え方が一番如実に表れていると思う「海童道祖と“すき焼き”の音」(467頁)の箇所から引用しよう。

海童道祖(わたづみどうそ:1911~1992)は単なる尺八演奏家に留まらず宗教家にして哲学者だが、武満氏と小さな座敷で同席して名曲「虚空」を聴かせるシーンの叙述である。

「目の前にはスキヤキの鍋があってグツグツ煮えており、外はダンプカーなどがバンバンと走ってうるさいことこの上ない。そういう環境のもとで、尺八の演奏を聴くうちに、僕はいい気持になってきて、音楽を聴いているのか、スキヤキの音を聴いているのかダンプカーの音を聴いているのか分からないような状態になってきた。

それらの雑音が一種の響きとして伝わってくると同時に尺八の音色が前よりもくっきりと自分の耳に入って来る。演奏が終わって海童氏が“武満君、いま君はきっとスキヤキの鍋の音を聴いただろう”と言われたので“たしかにそうでした”と答えると、“君が聴いたそのスキヤキの音がわたしの音楽です”と言われる。

ぼくは仏教とか禅とかは苦手で禅問答的な言い方はあまり好きじゃないのですが、そのときは実感として納得しました。」

つまり、音楽の音の世界と自然音(ノイズ)の音の世界が一体となっている、そこに武満氏は日本の音楽の特質を見出す。

海童同祖は次のように言う。

「法竹(修行用の尺八)とする竹にどんな節があろうが、なにがあろうがいっこうに差支えない。物干しざおでも構わない。ほんとうの味わいというのは、こういうごく当たり前のものに味があるのです。

ちょうど、竹藪があって、そこの竹が腐って孔が開き、風が吹き抜けるというのに相等しい音、それは鳴ろうとも鳴らそうとも思わないで、鳴る音であって、それが自然の音です。」


さらに続く。

「宇宙間には人間の考えた音階だけでなく、けだもの、鳥類、山川草木たちの音階があります。宇宙はありとあらゆるものを包含した一大音響体なのです。

どんなノイズも、クルマの音も、私たちが喋っている声も我々には同じ価値を持っている。それぞれに美しさがあります。

いわゆる調律された音だけではない音たち、それから音のもっと内部の音、そういうものに関心があります。つまり音楽の最初に帰ろうとしているわけです。」


以上のことを念頭におきながら2枚のCDを聴いてみた。

         

いきなりこういう音楽を聴くと、これまでの西洋の音楽、つまり「旋律とリズムとハーモニー」にすっかり麻痺してしまった耳にとって違和感を覚えるのは当たり前だが、これから繰り返し繰り返し聴くことによってどのように耳に馴染んでくるのか興味深いことではある。




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