「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

愛聴盤紹介コーナー~オッテルロー指揮の「アルルの女」~

2008年04月24日 | 愛聴盤紹介コーナー

昨年(2007年3月16日登載)のブログで、ビゼー作曲「アルルの女」を愛聴盤として紹介したが、そのときに学生時代にレコードで聴いていたオッテルロー(オランダ)指揮のCD盤がどんなに探しても見つからないので、やむなくマルケヴィッチ、クリュイタンス、オーマンディ、デュトワ(追加)指揮のものを購入してお茶を濁していると書いた。

これらの指揮者の中ではマルケヴィッチ盤を仕方なく「一押し」しておいたのだが、やはり若い自分に聴きなれたオッテルローの演奏がどうしても忘れられない。

再述するがこの「アルルの女」は、南フランス・アルル地方で展開される悲恋物語で、「好きになった邪な女性が別の男性と駆け落ちすると知り、嫉妬に狂った若者が許嫁を残して飛び降り自殺をする」という衝撃的なラストで終わるストーリー。

南フランスの平和で牧歌的な雰囲気と若者の自殺という形で終わる悲劇のコントラストが実に音楽的に鮮やかに描かれ、「カルメン」と並んで作曲家ビゼーの代表的な戯曲となっている。

オッテルローの演奏はこの牧歌的、情熱的、情緒性などが実にうまく織り込まれて演奏されているところに特徴があって、感性が瑞々しい若い時分にレコード盤のジャケットの解説文を読みながら何度となく聴いただけに
「恋愛のために死ねる程の情熱が人間にあるのか」というショックが当時の初心(うぶ)な自分の胸に沁みこんでロマンチックな思い出として今日まで記憶の片隅に残っている。

こういった思い出と音楽とが分かちがたく結び付いているため何度も繰り返すようだが結局このオッテルロー盤でなければ「アルルの女」はまるで聴いた気がしないという思いがずっと続いているというわけ。

もちろん、これは演奏の良否は別として最初に聴いた演奏ということで「まっさらの白紙に原画として描きこまれて簡単に消せない」という”刷り込み現象”というべきものかもしれない。

いずれにしても、もうCD盤は手に入らないものと諦めていたところ、つい最近何と
オッテルロー指揮の「アルルの女」オークションにかけられているのを発見した。

ケーゲル指揮の「アルルの女」(これも廃盤)の評判があまりにもいいために探していたところ偶然引っ掛かって網にかかったもの。

付属の説明文を読んでみると、フィリップス・レーベルがオランダ国内のみで発売するために制作した「Dutch Masters 」シリーズでのCDであり、既に廃盤のため現在では入手が絶望的とあった。もちろん
国内では販売されていない輸入盤である。

「やっと見つけたぞ!」と小躍りして喜び、「よし、絶対に手に入れる!」と決意を新たにしてさっそく入札に参加。

オークション開始日時は4月12日(土)16時6分、開始価格は1000円、出品地域は東京都、終了日時は4月19日(土)20時6分。

しめしめ、開始価格が1000円とは頂いたも同然と思い、まずは悠然と余裕を持って2100円で入札。もちろん自分が最初の入札者。

ところがである。翌日、メールを何気なく開いてみると高値更新とある。これはどこかの誰かさんが2200円以上で入札したということで
「自分以外にもこの盤を狙っている者がいる」とややショック。

「エイッ、負けるものか」とさっそくオークションの該当頁を開いて3100円で入札額をアップしたところ、依然として最高入札額に届かない。

やはり全国規模のオークションともなると、自分以外にもこの盤に
ものすごく執着している人が確実にいることが改めて分かった。やはり、世間は広い!

以前、オークション入札のノウハウ」を読んだことがある。どうしても手に入れたいときは気合で勝負するそうだ。誰かが自分よりも高値で入札したら、間髪をいれずすぐにそれ以上の高値を入れること。そうすると、相手方は戦意を喪失(?)して諦めるとあったのを憶いだした。

最終的には1万円以上でもしようがないと腹をくくって、たしか6500円だったと思うが入札したところ「貴方が最高額です」と表示されて、やっと6100円で登録された。「どこかの誰かさん」の入札額は6000円だったとみえる。

この気合が功を奏した(?)のだろう、その後、終了日時まで音沙汰なしで無事推移し、結局、
自分が手に入れる結果となった。(万歳!)

CDたった1枚が6100円!あとにも先にもこういう買い物は初めてだろうが、このオッテルロー盤だけはこういう機会でなければおそらく永久に手に入らないと思うので全然後悔なし。

出品者とすぐに連絡がつき、「代金振込み予定日は月曜日」とし、用心のため送付は「ゆうパック」を選定(通常は冊子小包)したところ、当方をアタマから信用してもらった様子でお目当てのCD盤が自宅に到着したのがなんと21日(月)の夕方。

本当にありがたいことで、通常では考えられない迅速な対応と、それからものすごく丁寧な梱包だった。出品者にとっては予想外の高値(?)により、落札者に対して親切心が起きたのかもしれない。

閑話休題。

オッテルローの「アルルの女」がこれでやっと聴けると、長年の思いがかなった喜びで胸を震わせながら期待と不安が交錯する中でさっそく試聴した。

 ビゼー(1838~1875)作曲 「アルルの女」
  指揮:ヴィレム・ヴァン・オッテルロー(オランダ、1907~1978)
      ※メルボルンで、自動車事故死
  演奏:ハーグ・レジディンティ管弦楽団
  録音:1959年前後

まず、約50年前の録音なのに
予想以上の鮮明なステレオ録音に驚いた。さすがにPHILIPSレーベルだけのことはある。

肝心の演奏の方も、非常に表現力が豊かというのが第一印象。

オッテルローは長いあいだ「ハーグ・・管弦楽団」の常任指揮者をつとめていたので固い信頼関係のもとに一糸乱れぬ演奏といってよいもので、ハープや弦のピチカートの伴奏でフルートやオーボエ、それにクラシックでは珍しいサキソフォンなどがこのうえなく牧歌的で魅惑的なメロディを歌っている。

そうそう、「こういう演奏だったなあ~」としばし往時の記憶が蘇って懐かしかった。何だか自分が学生時代に戻ったような感じ。

しかし、当時のチャチなレコード装置とSPで聴いていたときとは違って、今回は随分音質が全体的に引き締まった印象に思えた。

いずれにしても気を衒うことのない自然で音楽性豊かな演奏に再度惚れ直してしまった。やっぱり、購入してよかった!

カップリングされた「ペールギュント」も素晴らしい出来栄えで「ソルヴェイグの歌」のエルナ・スプレンベルクのソプラノは特上品。

とにかく、こういう若いときの思い出と分かちがたい演奏のCD盤との出会いはまるで
「初恋の人」に出会ったみたいで本当にうれしくてありがたい。

作家の村上春樹さんの言葉ではないが
「僕らは結局のところ、血肉ある個人的記憶を燃料として世界を生きているのだ。」

まさにネット・オークションさまさまである。

  
 


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オーディオ談義~真空管とトランジスターアンプ~

2008年04月17日 | オーディオ談義

オーディオ装置の中でアンプはスピーカーに次いで重要な機器。

たとえて言えばスピーカーが人間の容姿を表すとすればアンプはそれに魂を吹き込む役目などといわれている。

そういう大切なアンプにもいろんな種類があるが、大きく分けるとデバイス(素子)の違いで、真空管とトランジスター(以下、TR)に分けられる。

この二つのうち果たしてどちらが音の再生に適しているか、これはほんとにオーディオ愛好家にとっては
古くて新しいテーマで悩むひとつのポイント。

それぞれに一長一短あって論争は尽きないが結局のところ、使用しているSPの能率や個人の好みの差による使い分けになっている。

とにかく、昔TRアンプが発売されたときは、もうこれで真空管の時代は終わりだといわれたもので、物理特性がトランジスターに比べて数段落ちるし、出力も小さくスピーカーを駆動する力も弱い。

ところが、どっこい真空管はしぶとく生き残って現在でも息を吹き返すまでにはいかないが、一部のファンを魅了しながら命脈を保っている。真空管の供給先も現在では中国製を始めチェコなどのヨーロッパ系も生産していてことかかない。

果たして真空管のどこがいいのかというわけだが、愛用者の立場で言うと、中域から高域にかけてのあの鮮度の高い瑞々しさと独特の艶のあるビロードのような滑らかさが何ともいえず、この味はTRからは出ないのでやむなく使っている。別に懐古趣味ではなく音がいいのでという以外にない。

しかし、当然弱点があってその第一はダンピング特性が良くない。つまり、
音の立ち上がりというかSPユニットの収束がいまひとつ非力でこればかりはTRアンプに比べてどうしても見劣りする。とくにこの現象は膨大なエネルギーを要する低域において顕著に表れる。

結局、真空管は低域に弱いが中高域に強い、トランジスターは低域に強いが中高域に弱い、こういう構図が成り立つ。

自分の場合、これまで、低域、中域、高域に音色の統一感ということもあってそれぞれの帯域ごとに真空管アンプを使用してきたが、今回、低域に限って分解能の改善、歯切れのよさなどが欲しくなり、この辺で気分転換も兼ねてTRアンプを導入してみようと思い立った。

とはいっても、何も真空管を追放するわけではなく、そのときの気分によって使い分けようという算段。

ずっと以前に、友人のマッキントッシュのTRアンプを借りて低域に使用したことがあるがこのときは中高域の真空管との音色が合わず断念したことがあるので今回は二度目の挑戦になる。

気に入った音になるかどうか、やってみなければ分からないが、(中高域の)真空管と相性のいい音色のTRアンプなんてそうざらにはない。じっくりと検討した結果、真空管時代に製造された昔のアンプが良かろうということで目を付けたのが、
ケンウッドの非磁性体アンプ「L-01A」というアンプ。

このアンプは1979年発売だから約30年前の製品で当然のごとく現在では販売されておらず、オークションが唯一の狙い目。当時の人気製品で、価格は27万円。現在に換算すれば100万円程度だろうか。今でも年間に3~5台出品されているほどのなかなかの人気機種で、程度のいいものであれば約6万円が相場。

オークションで探したところ1台だけあって、8万円で出品されていた。ちょっと相場より高いが、完動品とあって随分程度がよさそう。急いでいたこともあり、仕方なく入札したところ、何と落札期日までに8人もの入札者が入り乱れ、結局意地を張って9万7千円という高値で自分が落札(4月9日23時30分)。随分高くついてしまったが、競争心理というものは見境がつかなくなって我ながら恐ろしくなる。

アンプ到着後さっそく電気技術に堪能な仲間のMさんに頼んで、プリメイン・アンプ形式を、諸悪の根源であるボリュームなどを外してメイン・アンプ形式へと内部を改造してもらった。

点検したMさんによると修理歴が2回あり、最新のものがメーカーによる2004年の修理。こういう年代もののアンプになるとむしろ修理歴がないよりもあったほうがベターだし、それも比較的近年の修理なので逆に一安心。

しかし、一つ問題点があって、本体部分は異常なしだったが、電源部のほうがヒューズを取り外して普通の電線を勝手に挿入するなど随分粗っぽくて危険極まりない改造をしていたそうで、やはりオークションでの中古のアンプはコワい。メカに自信がないと手を出さない方がよさそうだ。

さて、4月15日(水)に改造後のアンプの試聴をMさん立会いのもとに行った。試聴盤は
「ちあきなおみ全曲集」。

                  
       ちあきなおみ        L-01A本体         L-01A電源部

日頃ほとんどクラシックを聴いているが、装置を入れ替えたときのテスト盤としては彼女の歌声が最高。Mさんも同感とのことで、声質の微妙な陰影がほかのどの歌手よりも素晴らしく音質の微妙な判定にピッタリ。

低域の周波数の上限を従来どおり330ヘルツ付近に定めて聴いたが、期待どおりでやや心配していた中高域の真空管の音質とのマッチングもいいようだ。低域の分解能、質感と量感ともに違和感がなくどうやら及第でほっとした。電気信号に素直に反応する印象で、奥深いところでさりげなくドンドンという低音が鮮明に聞分けられ、やはり100ワットの出力の裏づけは頼もしい。 

とはいっても、プラスもあればマイナスもある世界なのでこれからいろんな調整が待っているがこれでしばらくは真空管アンプの出番がなさそう。

とりあえず、手っ取り早く出来る範囲から次の箇所をいじって整合性を図ってみた。

 ちあきなおみの歌声で「サシスセソ」の音が目立って刺激的すぎるので高域用のアンプの真空管をゴールデン・ドラゴンの4-300BCからWE300Bオールドに復帰。

 機器を結ぶケーブルの見直し

(1) アッテネーターとパワーアンプを結ぶケーブルの入れ替え(低域と中域)

(2) ワディア270(CDトランスポート)とワディア27ixVer3.0(DAコンバーター)をつなぐケーブルを、これまでのバランスコード(PADドミナス)から、ワディア・オリジナルのSTケーブル(グラス光ケーブル)に変更。音質にナチュラルさが出てきて随分の変わりよう。それも、アースがらみの関係でバランスコードをすっかり機器から取り外してしまうのが条件だがこれは大収穫だった。

以上のとおり、低域用のアンプ1台を替えただけで音質全体、とくに高域の音まで変わってくるのにはいつものことながら驚く。

”オーディオは摩訶不思議”の世界であり、現象面ばかりが先行してとても理論が追いつくのが難しいことを再確認した。


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音楽談義~指揮者チェリビダッケの音楽語録~

2008年04月15日 | 音楽談義

先日(4月5日)、我が家での試聴にjmc音楽研究所長のO君が持ってきたCD盤の「シェラザード」がすっかり気に入って、いまのところ愛聴盤として活躍中。(4月8日付けのブログで紹介)

オーケストラの音の響かせ方やテンポ、調和のとれたハーモニー、独奏ヴァイオリンの歌わせ方などによく練りこまれた独特の味わいが感じられる。

こうなると自然にその指揮者に関心が向く。

セルジュ・チェリビダッケ(1912~1996:ルーマニア)

「私が独裁者?モーツァルトこそ!~チェリビダッケ音楽語録~」(シュテファン・ピーンドルほか著、音楽の友社刊)に略歴や人となり、音楽の考え方などが詳しく記載されている。

哲学と数学を専攻する中、音楽に目覚め24歳のときにベルリンに移住して作曲、指揮、音楽学を修めた。1945年にはベルリン放送交響楽団の指揮者コンクールに入賞。

当時、ベルリン・フィルハーモニーの常任指揮者だったフルトヴェングラーが非ナチ化裁判のため指揮を許されなかった1945年から1947年にかけてベルリン・フィルを任されたほどの逸材。

フルトヴェングラー死去後、誰もが世界の名門オーケストラのベルリン・フィル常任指揮者に就任するものと思ったが、楽団員達が択んだのはなんとヘルベルト・フォン・カラヤンだった。

以後、チェリビダッケは国際的な指揮活動に集中せざるを得なくなり、イタリア、デンマーク、スウェーデン、フランスなどで指揮棒を振るが、晩年はミュンヘン・フィルハーモニーの音楽総監督として12年間に亘り蜜月時代が続く。

彼がとくに関心を抱いていたのが、若い指揮者を育てることで、自由になる時間のほとんどすべてを後輩の育成に捧げた。

彼がカラヤンに代わって当時のベルリン・フィルの常任指揮者に納まっていたら、その後、世界のクラシック音楽の動向も変わっていただろうといわれるほどの超大物指揮者だ。

チェリビダッケは言う。

「わたしがベルリン・フィルをさらに指揮し続けたら、このオーケストラは別の道を歩んだことだろう。カラヤンはアメリカ流に艶っぽく磨きぬかれたオーケストラに変えてしまった。わたしならそれを
ドイツ的なひびきを持つオーケストラに育て、その結果フルトヴェングラーの伝統を受け継いだことだろう。」

彼には指揮者から演奏者までさまざまな「歯に衣をきせない」発言がなかなか面白い。ここでは指揮者に限定して抜粋してみよう。

☆フルトヴェングラー

師として仰いだので次のように賞賛の言葉が続く。

「私はフルトヴェングラーの後継者になることを望まなかった。彼の後継者になれるものなどいない」

『私は彼にこう訊ねたことがある。「先生、ここのテンポはどうすればよいのでしょう。」答えは「そうだね、それがどんなひびきを出すかによるね」。まさに啓示だった。
テンポとはメトロノームで測れるような物理的なものではない。結局、テンポが豊かなひびきを出し、多様性を十分に得るのに私はかなりの期間を必要とした。』

通常、作曲家は楽譜にいかなるテンポで演奏するかを指定していないという。つまり、これは完全に指揮者任せということで、テンポ次第で音楽から受ける印象がすっかり変わる。しかし、速いテンポでも遅いテンポでも違和感がなく自然に聴ける唯一の音楽がベートーヴェンの作品!

☆クラウディオ・アバド

「まったく才能のない男。災厄だね。私は3週間何も食べなくても生きていける。だが演奏会に3時間もいれば~心臓発作を起こしかねない。その相手が彼なら怒り心頭」

☆カール・ベーム

「彼の演奏を聴けば聴くほど、彼が心の中で音楽と思い込んでいるものと、彼という人間のあいだの距離が目に見えてどんどん開いてゆくばかりだ。」

「ベーム・・・・・、これまでのキャリアのなかで、まだ一小節たりとも音楽というものを指揮したことのない男」

☆ヘルベルト・フォン・カラヤン

「彼は天才ではない。すべての若い音楽家にとってひどい毒となる実例である」

「彼は大衆を夢中にさせるやり方を知っている。コカ・コーラもしかり。」

☆ユージン・オーマンディ

「あんな凡庸な楽長がどうしてストコフスキーの後継者になることができたのか」

☆ヴォルフガング・サバリッシュ

「私の見るところ、彼は高校の校長といったところ。彼は音楽家ではない。メゾフォルテの男だ。イタリアでは長距離専門アスリートをメゾフォルテと呼ぶ」

☆ゲオルグ・ショルティ

「ピアニストとしては傑出している。指揮者としては凡庸な耳しかない。テクニックはお粗末。」

☆アルトゥーロ・トスカニーニ

「トスカニーニは楽譜どおりに演奏した唯一の指揮者だといわれてきた。といっても彼はそもそも音楽などまったくひびかせず、音符だけを鳴らした唯一の指揮者だった。彼は純粋な音符工場だった。」

以上、かっての名指揮者たちもチェリビダッケにかかってはかたなしというところ。

最後に、最近HMVから取り寄せた3枚のチェリブダッケが指揮するCD盤を試聴してみた。

ベートーヴェン交響曲第6番「田園」

以前、このブログで田園の11枚の試聴を行って、およその演奏レベルを把握しているつもりだが、これは、ベストだったマリナー、ワルター指揮と十分比肩しうる名盤。
嵐のあとの感謝の歌の神々しいまでの荘厳さといい、全体的に細かいところに手を抜かず、重厚かつ深々としたひびきに”チェリビダッケは凄い”と感心した。

ベートーヴェン交響曲「第九番」

何だかフルトヴェングラーの最新ステレオ録音を聴いている思いがした。第一楽章から第四楽章まで時を忘れて聴き耽った。

シューマン交響曲「第2番」

仲間のMさんによるとチェリビダッケはシューマンとかブルックナーといったあまり陽のあたらない作品に光を当てて、見直させるのが得意な指揮者だという。たしかにこのひびきは人を飽きさせず作品に没入させる何かを持っている。

以上3曲(ライブ録音)についてとにかく
重厚なひびきに圧倒された。これがドイツ的なひびき
というものだろうか。ミュンヘン・フィルでこのくらいだから、彼がベルリン・フィルを引き継いでいたらもの凄かっただろう。本人が言うようにフルトヴェングラーの伝統を引き継ぐ資格に太鼓判を押したい。

ただし、自分が思うところフルトヴェングラー、チェリビダッケともにひびきを重視していることに変わりはないが、前者はいったん演奏に入るとひびきを忘れて演奏に深く没入するが、後者は常にひびきを念頭において(そのひびきを)冷静に第三者の目で観察しているところに違いがある。


           
             田園             第九            シューマン



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魔笛談義~音楽の市民革命・神童モーツァルトの苦悩~

2008年04月13日 | オーディオ談義

毎週、水曜日午後10時から放映されているNHK総合テレビ番組「そのとき歴史が動いた」はなかなかの長寿番組。よほど根強い人気があるのだろう。

自分の場合は興味のある内容を択んで観ている程度だが、4月9日放映分は珍しいことに日本の歴史ではなくて西洋の歴史、それもモーツァルトのオペラ「魔笛」に関する内容だった。

「音楽の市民革命・神童モーツァルトの苦悩」と題して、モーツァルト(1756~1791)が亡くなる直前に心血を注いで作曲したオペラ「魔笛」が従来のような貴族のためのオペラから脱皮して市民のために作曲されたという趣旨のもとで最初の上演(1791年9月30日)に至る過程を描いたもの。つまり歴史の”そのとき”というのは「魔笛」上演の日。


                 

この番組で西洋のクラシック音楽が主題となって登場するのはおそらく初めてのはず。4月からの番組編成でプロデューサーをはじめ番組スタッフが一新されて衣替えでもしたのだろうか。それとも日本の歴史に関する題材もネタ切れとなって、西洋に目を向け始めたのかもしらんなどと思ったところ。

いずれにしても、こんなに名曲(22曲)がびっしり詰まった究極のオペラがテレビに登場し一人でも多くの方に興味を持ってもらうのは、「魔笛」のファンとしてうれしい限り。NHKにもモーツァルトに相当詳しい企画マンがいる!

そもそも、このブログにしてもオペラ「魔笛」の好きな方と交流のきっかけになればと始めたもの。

開始以来、何がしかの興味を示してご覧になっていただく方々に支えられて現在17ヶ月目に突入したが、魔笛のCD盤、DVD盤合わせて43枚の試聴結果(今となっては内容を見直す必要性大いにあり)の登載も完了し、既に魔笛に関する材料もネタぎれとなって仕方なく、他の作曲家の作品や読書、独り言、オーディオなどで埋め合わせているが、あくまでも
自分のブログのホームグラウンドは「魔笛」にある。

そういう意味では、やや焦点がぶれている今日この頃だが、この番組は久しぶりにそのことを憶い出させてくれた。

さて、肝心の番組の内容だが「そのとき歴史が動いた」という
趣旨のもと、仕方がなかったのだろう、「魔笛」の作曲の経緯をややセンセーショナルに仕立て上げすぎているようだ。決して間違いとは言えないが・・・。

モーツァルトが、(高貴な生まれという身分だけで)栄華を極める貴族たちに対する反発を心に秘め、徹底的に風刺するために「フィガロの結婚」、「魔笛」を次々と作曲したという流れだが、たしかにそれは事実だが大きな動機ではない。

モーツァルトは音楽家であって革命家ではない。市民に音楽を捧げようという動機もあったかもしれないがそれはほんの一部分。何よりもオペラが好きで好きでたまらず、ありあまる才能をオペラに注ぎたかったというのが一番の理由。

「魔笛」作曲に至る経緯については、以前、(題名不明の本から)部分的にコピーした手持ちの資料によるとこうある。

当時、大衆芝居の興行主シカネーダーは、ヒット作に恵まれずひどく落ち込んだ状況で、やむなく友人のモーツァルトにこう頼みこんだ


「完璧に今のウィーンの大衆好みのオペラを書いてほしい。ただ、第一にあらゆる階層に共通する最低限の平均的な好みを満たすように心がけてほしい。ぼくは台本と舞台装置その他をやることにする。すべては大衆が求めている今様なものを~。」

「よろしい~引き受けた」

「謝礼はいくらあれば」

「何もいらない!さあ、君が助かるように一緒に事を運ぼう、でも、ぼくは決して利益が全然欲しくないなんて思っていない。総譜を君に、君だけに上げよう。ただし、他に写譜を取らせないという約束のもとに、いくらでもいいから君が正当と思う額をくれたまえ。もし、オペラがうまくいったら、総譜を他の劇場に売ろう。それがぼくの報酬になる~。」

結局、シカネーダーは、「魔笛」が大ヒットしたにもかかわらずこの約束を守らなかった。モーツァルトは「あの恥知らず」と呟いたという。

以上が今のところ信憑性が高いとされている作曲の経緯だが、ほんとうのところ、こういうことは枝葉末節で「魔笛」の持つ音楽の魅力で番組すべてを覆い尽くしてもらいたかったところ。

無理な注文だが音楽の市民革命云々はほどほどにして、魔笛の音楽の素晴らしさをもっとアピールしてほしかった。時間の制約もあっただろうが、「夜の女王のアリア」や「パパパの二重唱」、「おいらは鳥刺し」についてはもっと放映時間が欲しい。

なお、番組中に使っていた映像はすぐに、コリン・デービス指揮の「魔笛」だと分かった。NHKハイビジョンで2007年4月29日放映していたので録画している。(市販のDVDも別途所有)。

現在のところ、数あるDVDの中では、演奏、録音、舞台装置からみてこの演奏がベストと断言してよい。因みに、イギリスのケネス・ブラナーが監督した映画「魔笛」が昨年公開されたが、期待していたわりには非常に評判が悪いのでまだ観ていないし、DVDを購入する気もない。

とにかく、一介の市井の徒にすぎない自分がどうこう言ってもぜんぜん説得力がないので、番組の中で解説者の横浜国立大学准教授小宮正安氏「魔笛礼賛」の言葉を最後に紹介しておこう。

ベートーヴェンがモーツァルトの幾多の作品の中で最良としたのがオペラ「魔笛」で「第九交響曲」にその影響が見られる。

彼は「魔笛」に心酔して「魔笛の主題による12の変奏曲」を作曲し、死後のモーツァルトに献じている。

「魔笛」にはいろんなものが極限までそぎ落とされた美しさがあり、非常にシンプルだけれども心がこもっている。

モーツァルトが築きあげてきた音楽人生の中で一番いいものが「魔笛」に凝縮されている。

以上の発言については納得の一言。

一度聴いただけではとっつきにくい音楽だが、聴けば聴くほどに味わい深く、そのうちその魅力に知らず知らず虜にされること請け合いの音楽なので、まだ聴いたことがない方は是非。(失望されても保証の限りではないが。)

オペラの場合、映像は必見だが「魔笛」に限っては音楽だけでもいいように思う。


とにかく「魔笛」にはモーツァルトの音楽のすべてが詰まっている!

 


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読書コーナー~読書あれこれ二題~

2008年04月11日 | 読書コーナー

≪絶妙な「数字で考える」技術≫(2008.2.11、村上綾一著、明日香出版社刊)

本書は数字(数学ではない!)が”ニガテ”という人に向けて書かれた本。数的センスを養うために豊富な実例が紹介されている。代表的な事例を4つほど挙げてみよう。

☆ シカゴにピアノ調律師は何人いるか?(シカゴの人口を約300万人とする)

物理学者エンリコ・フェルミに因んで「フェルミ推定」といわれているのが、仮説や推定を組み合わせて「およその数字」を見積もる方法。この調律師の問題は一番有名なもの。答えよりも、それに至る過程が大切。

 始めに世帯数を考える。アメリカも日本と同じく核家族社会と考えて平均2~3人、計算しやすくするため3人とする。
  300万人÷3人=100万世帯

 次にピアノのおよその台数を考える。ピアノ所有率を日本と同じくだいたい10世帯に1台程度とする。
  100万世帯÷10世帯=10万台

 その次に調律の年間需要を考える。ピアノ1台の調律は平均して1年に1回程度とする。
  10万台÷1回=10万台

 その次に調律師一人は年間に何台の調律が可能か考える。1日に3~4台が限界、年間に200~250日働くとすると1年間に600~1000台となる。真ん中を取って800台とする。

回答 シカゴのピアノ調律師の数は次のとおり。
  10万台÷800台=125より、約130人。

☆ ウィンカーの点滅テンポに隠された秘密

クルマのウィンカーは、1分間に約70回点滅します。これは意外なものが基準になっている。ご存知ですか?

実は、ウィンカーの点滅するテンポは、人間が適度に緊張したときの脈拍数とほぼ同じ。これ以上点滅回数が多くなると、あせってしまい、少なくなりすぎると間延びしてしまって事故が増えてしまう。

☆ とにかくNo.1

広告業界では、広告に載せるコピーはとにかく「No.1」が有効で、そのため、広告を作るときはその商品の「No.1」や「1位」を探す。地域限定でもいいし、期間限定でもかまわない、とにかく客観データで「No.1」に出来る状況をつくりあげ大きくアピールする。

さて、どう頑張っても「No.1」が見つからなかったらどうするのだろう。

『そんなときは、「私たちは業界No.1を目指しています!」でOK』。

☆ 割合の盲点

アメリカ海軍のPRで、こんなキャンペーンがあった。

「海軍の死亡率は0.9%、ニューヨーク市民の死亡率は1.6%です。海軍のほうが死亡率が低いのです。皆さん、海軍に入りましょう!」

どこがおかしいかわかりますか?

海軍は健康な男子の死亡率、ニューヨーク市民は老人や病気の人も含めた死亡率。ニューヨーク市民の死亡率のほうが高いのは当たり前!

≪昭和の名将と愚将≫(2008.2.20、半藤一利、保坂正康共著、文藝春秋刊)

太平洋戦争終結後約70年、世界各国の中で繁栄を謳歌している国のひとつ日本。

戦後の復興が比較的順調に推移したことが主な原因だが、歴史に”もしも”という言葉が許されるならば太平洋戦争に行き着く前に、ほかにもいろんな選択肢があった可能性がある。

本書ではこの戦争を引き起こし、遂行した当時の代表的軍人たち22人を俎上に載せて、先見性、責任感、リーダーシップ、戦略の有無、知性、人望などいろんな観点から評価を下しているがそのうち、極めて高い評価を得ている軍人に興味を持ったので焦点を当ててみる。

石原莞爾(いしわら かんじ:1889~1949、山形県)

陸軍大学校創設以来かってない優秀な頭脳の持ち主といわれた人物だが、性格は「粗野にして無頓着」との評がある。ナポレオン研究家としても著名。(「太平洋戦争への道」)

彼のユニークなところは通常の軍人と違って当時としては珍しい世界規模でのプログラムとビジョンを持っていたこと。

簡単に言えば、今後世界規模での勝ち抜き戦の結果、西洋文明ではアメリカ、東洋文明では日本が勝ちあがる。そしてチャンピオン同士、東西の文明と文明がぶつかり合って最終戦争をやるという
「世界最終戦論」という持論を持っていた。

その戦いに勝利したものが文明を支配して世界はやっと平穏になるという構想で、日本が東洋のチャンピオンになる過程で主体的に中国やアジアの国々と連携して力を蓄えていくというのが彼のプログラム。

現代からみると、荒唐無稽のようだがそれなりの背景があって、まず、その構想の根底にあったのは人種問題。
当時、
白色人種は結局、黄色人種を仲間に入れてくれないという思想があった。

非戦闘員を無差別に大量殺戮するという神をも恐れぬ所業である「原爆投下」は、当初からドイツに使用することは一切考えられておらず日本をターゲットにして開発、製造されたことはハッキリした事実で、これは一つの証左になる。

それに、アメリカは移民の国で人種問題には寛大な国というイメージがあるがこのブログで以前に取り上げた「バラク・オバマ自伝」でも白人と黒人とのどうしようもない摩擦の根深さがはっきりと伝わってきた。
個人的には人類の平和にとって「人種と信教」の二つの課題は永遠のネックだと思う。

とにかく、結局、石原の構想はあまりに遠大すぎて支持者が少なく、当時の権力者東条英機(終戦時の軍人宰相)と相容れなかったこともあって挫折したが、もしあのときに太平洋戦争を起こさずに中国やアジアの諸国と仲良くしてアジアの盟主の道をたどっていれば現在の日本の立場は良かれ悪しかれ大きく違っている。

もっとも、近年、日本の替わりに突出してきたのが中国。中国は、2025年にアメリカと正面から戦える戦力を目指して着々と軍事力を蓄えている。(「断末魔の中国」2007.11.15、柘植久慶著、学研新書刊)

ロシアやインドの存在があるので、世界がアメリカと中国の二極化に進むかどうかは疑問の余地があるが、将来的にはもしかすると
アメリカと中国の一騎打ちが演じられる可能性がなきにしもあらず。火付け役となるのは台湾問題あたりだろうか。

石原莞爾の世界最終戦構想は「中国」が「日本」に置き換わった形で部分的には受け継がれているような気もするが・・・・。

  

 


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オーディオ談義~オーディオ愛好家たちの来訪~

2008年04月08日 | オーディオ談義

昨年の6月頃から、ネット仲間に入れてもらって高校時代の多数の同窓生たちとメールのやりとりをしているが、そのうちやっぱり「音楽愛好家、オーディオ愛好家たち」わんさといるのが分かってきた。

その中で、福岡に在住の5人が自分のオーディオ装置に興味を持ち一度聴かせてくれないかとの話が持ち上がった。

午前中に福岡を出発、午後は我が家(別府)での試聴、夜は市内の和風旅館
ふぐ料理とヒレ酒をたらふく食べようという1泊2日の趣向。

「どうぞ、どうぞ」と、日時は4月5日(土)に決定。

やはりネットは便利がいい。メールのやりとりを重ねているものの、約40年前のことで顔の見えない(クラスが別だったり、覚えていない)友人たちだがこうしてすぐに話がまとまってしまうのだからその威力はすごい。

それにメンバーの顔ぶれが多彩でなかなか面白くてそれぞれが一家言の持ち主。

機械系進学のU君は今回の企画の発案者でオーディオにものすごく詳しい理論派でそれに耳もすごくいい

電気系進学のO君は真空管アンプを組み立てるがどちらかといえばクラシックに重心をおいており、持参してもらった沢山のCDが実に趣味がよくてほんとうの音楽愛好家

建築系進学のS君はオーディオと音楽の両方に均等に心を配るバランス派

自分と同じ農学系進学のM君は徳川家の末裔、世が世ならお殿様の身分で大のクラシック愛好家

最後にOH君は著名な音楽の専門学校、桐朋学園卒でドイツに留学、あのチェリビダッケ(ベルリンフィルの常任指揮者をカラヤンと争った指揮者)に師事した生粋の音楽家で声楽もピアノもこなし、生の音に精通していて、現在はJMC音楽研究所の所長として現役で活躍中。

というわけで、試聴後の意見を聴くのが実に楽しみな連中。

なにぶん、久しぶりに会う友人たちに「いいところを見せよう」と10日ほど前からそわそわして装置の調整に余念がなかったところ。

全員、自分のブログをちょくちょく見ており(と思うが)装置の概略は既にアタマに入っているものの、どういう音質かは聴いてみないと分からないわけで、何だか被告席に立たされる思い。どうせ実力以上の音は出せないんだからと最後の方は腹をくくった。

いよいよ当日、天気の方もご機嫌がいいようで快晴のなか、別府IC付近のドライブインで予定通りドッキングに成功。懐かしい限りだが、挨拶もそこそこに10分ほどかけて道中の満開の桜並木を抜けて自宅まで誘導。

さっそく玄関から入ってすぐのオーディオルームに案内。30㎡の部屋に大の男が6人入るとさすがに部屋が一杯になる感じ。

簡単に装置の概略を説明して、さっそく試聴に入る。まず肩の凝らない雰囲気づくりにと中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」、次に、S君がチェロが好きとのことだったので、ヨーヨー・マの「プレイズ・モリコーネ」。

どうも何だかいつもの音と違う気がするが、おかしいなあ・・・。なぜだろう?とうとう試聴の最後までこの違和感がつきまとった。この原因は、翌日になってようやく気がつくことになる。

さて、以下、O君が持ってきたCDでさわりの部分を順次試聴。

面白い結果だったのがエルプ社から取り寄せた「レーザーターンテーブル」用のデモCDの比較試聴。

S君が持ってきたのは一切手を加えていないそのままのCD盤。
一方自分のものは取り寄せたCD盤にカッターナイフで薄く線を刻み込み、同時にエッジを削って細工したもの。

その両方の試聴結果だが、細工したCD盤の圧倒的勝利だった。
OH君の意見では「楽器(チェロ)の音がまるで違う」、
U君の意見では「音の抜けが違うし、録音されたスクラッチノイズの聞こえ方が違う」とのこと。

やはりCD盤に細工した方が音質に明確な差が出るのが確認できた。

また、OH君が持ってきたチェリビダッケ指揮の「シェラザード」に一同感心。ドイツグラモフォン・レーベルの素晴らしい演奏と録音で全員から○○○盤を所望されたので、さっそくパソコンを始動し、自分も含めて5枚の○○○盤づくりに大わらわ。

チェリビダッケは録音嫌いで有名で、遺されたソースが少ないが、これは刮目(かつもく)すべき指揮者。今更気付くのは遅きに失するがこれを機会に今後じっくり研究してみようと思った。

丁度、5枚の○○○が終了した頃に、終わりの時間も来たようで最後にジャズの「サキソフォン・コロッサス」を聴いてもらって滞りなく打ち上げ。

それから、全員、場所をクルマで15分ほどの旅館に替えて、温泉に入って一休みしたあと夜の懇親会に移った。 通常、他人の家で聴いた音については本人の前ではなかなか正直に批評できないものだが、今日は別。

フグの新鮮なキモに舌鼓をうちながら、アルコールの勢いも手伝って談論風発。全員がマナーが良くて温厚な紳士たちばかりだが、自分がたって要望したものだから腹蔵ない意見を3時間あまり聞けて実に参考になった。すっかり酔っていたので断片的なうろ覚えだが記憶に残っているのは不思議なことに否定的な意見だけ。

U君 → ときどき生の音を聴いてオーディオに活かすべきだ

O君 → いつも聴いているマーラーの音楽だが、いまひとつのめり込めなかった

S君 → 低域がややブーミー(膨らみすぎ)な感じがした

M君 → 他家の音を聴くときはどうしてもアラ探しになってしまうなあ~

OH君 → なんだか枠の中でカンヅメの音楽を聴いているような気がした

どうやら我が家の音が合格点に達したかどうか疑わしいところ。自分でも当日の音質にいまひとつ納得できなかったくらいだから、これはこれで仕方がない。

しかし、生の音を聴きなれたOH君からの「カンヅメ」云々の評価は少々痛い。我が家だけに当てはまるのか、一般的なオーディオについて言ったのか確認したいところ。

さて、翌日になって我がオーディオ・ルームに別室から持ち込んだ5脚のイスを片付けようと眺めていたらハタと
音質が変わった原因に思い至った。

通常一人で聴いている部屋、それも5m×6m=30㎡程度の部屋に大の男が5人も入れば当然、音質が変わるはずなのだ 。

つまり、これは部屋のど真ん中に大きな吸音材が5個増えたようなもの、おまけにまだ肌寒い季節ときていて、分厚い上着を全員着用している。

道理で、低域がブーミーになったはずで、そのせいでワディアのDAコンバーターのボリュームをいつものように上げることが出来ず、音質に元気さとか艶が出なかったのだ。

結局、低域のボリュームを抑えて、中高域をもっと上げればよかったのに、時(とき)既に遅し。うーん、残念!これは完全な盲点だった。

もちろん、魅力的な音が出せなかった原因はまだほかに心当たりがあって、これだけではないが、とりあえず部屋が音響に及ぼす影響について、思わずため息が出てしまった。

こうなると是非、全員にもう一度来てもらって雪辱戦をしなければならない・・・・。

                  
     チェリビダッケ           ヨーヨー・マ       エルプ社のデモCD


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独り言~身の回りのことであれこれ~

2008年04月02日 | 独り言

☆ 母の退院
昨年の11月末、就寝中のベッドから転落して骨折し入院していた母(91歳)がこの4月5日(土)に退院する。約4ヶ月に亘る闘病生活だったが、これで自分も毎日の病院通いからやっと解放される。

それにしても、よくぞ快復できたもの。病院の作業療法士さんが言うには「90歳近くのご婦人で骨折して入院した場合、寝たきりかクルマ椅子になるのが100%なのにこうして杖を突きながらでも歩けるようになった事例は自分の経験でも初めてです、よほど骨が丈夫だったのでしょう。」

もちろん、本人の丈夫さもあったのだろうがこのリハビリ専門病院の適切な治療も大いに効果があったと思っている。患者と家族を結ぶコンタクトが実にしっかりしていて、入念なリハビリ計画をはじめ、医師を交えた途中経過、退院後のケアの説明など凄く充実していた。ほんとうにありがたい。

それに、母によると入院中、毎日午前・、午後の各一回「お水を飲みましたか」と必ずお触れが回るそうで「お年寄りと水」は切っても切れない関係にあるようで、これから自宅でも常に水を身の回りに置いておくことにした。

皆さんのうち、高齢者を抱えている方は、まず口癖のように「お水を飲んだ?」と尋ねるのを習慣にするとよいと思う。

これからは年齢が年齢だけに万全の注意が必要で、病院と違って家での生活はいたるところに段差があって転ぶ可能性があるので転倒防止が大きな課題である。

☆ 腰痛
この2年間、毎日午後になると日課のようにスポーツ・ジムに通いエアロ・バイクを40分、ストレッチを20分、筋トレを20分やってきたので体力には自信があったのだが、先日ストレッチのときに、ついやりすぎて腰を痛めてしまい、始めのうちは大したことがなかったが時間が経つにつれて痛みが増すばかりで、とうとう日常の動作も不自由になるほどに。

昔の古傷が再発したようで、あれほど毎日鍛えてきたのにと自分自身ガッカリしてしまったが、やはり年齢も年齢だけに過信は禁物とつくづく骨身にこたえた。幸い家人が50肩を患ったときに見事に直してくれたY市の「療術院」に半信半疑で初めて通ったところ見事な治療で今は無痛状態に。

医師による治療を全面的に否定するわけではないが筋肉関係の症状については、いまだに「レントゲン→骨折なし→注射、投薬」に限界があるように思う。

術歴25年以上のその療術院の主が言うには、「レントゲン技師から看護師まで病院関係者がゾクゾクと治療に来ますよ」とのことだった。今のところ週一回のペースだがそのうち月一回のペースぐらいに落としてでも定期的にずっと通おうと考えている。長年の酷使で身体に歪がたまるのは当たり前なので、腕のいい整体師をキープしておくのも大切なことだと思う。

それにしても、今回の件で自分の身体のモロサが如実に分かったのでこれまでのトレーニングを見直すことにした。とはいっても、これまでのメニューに加えて、ジム近くの公園でのウォーキングを40分間加えることにしただけだが、1週間ほど続けた結果以前と比べて身体にキレがでてきたようだ。

☆ ヘッドフォンの活躍
前述したように毎日運動ジムで大切な有酸素運動の一環としてエアロ・バイクをやっているが40分間、ただ漕ぐだけでは退屈なのでヘッドフォンで音楽を聴きながらやっている。

最近クーベリック指揮のマーラー全集を購入したので1番から順に聴こうと持ち込んだが何だか聴くのが苦痛になってきたので最近は自ずと気軽なポピュラー音楽に重心が移っている。やはりヘッドフォンではマーラーの大編成の音楽は無理。

現在はボーカル(歌唱)のCDが実に気持ちがよく、ヘッドフォンのクリアーな再生音の世界にピッタリと合っている。
クロスオーバー部分の濁りがなく直接音だけのヘッドフォンの音は恐るべし!現在の好みは、サラ・ブライトマン、ドミンゴ(テノール)などだが毎日ジムに行くのが楽しみになっている。

※角川書店の「本の旅人」4月号で推理作家「貴志祐介」さんが好きなシンガーとしてサラ・ブライトマンを挙げていた。「あの美しさ、あの声は誰も真似できない」に同感。

       
    ヘッドフォン     サラ(エデン)       サラ(タイム・・)     ドミンゴ

☆ 2008MLB
レッドソックスとアスレティックスとの日本開幕戦を除いて4月1日からいっせいにMLBが開幕した。嬉しい悲鳴だがこれからテレビ観戦に忙しくなる。

さて、今年も日本人選手がゾクゾクと入団したが、どのくらい活躍してくれるだろうか。
ご存知だと思うが、新人選手は次のとおり。

福留孝介(外野手:カブス)、福森和男(投手:レンジャース)、薮田安彦(投手:ロイヤルズ)、小林雅英(投手:インディアンス)、黒田博樹(投手:ドジャース)以上5名

こうしてみると、5人中4人が投手でメジャー・リーグの投手不足を反映しているが、もちろん、斉藤(ドジャース)、松阪、岡島(レッドソックス)たちの活躍の実績が後押ししているのは間違いない。

福留はホームランはあまり期待できずアベレ-ジ・ヒッターだと思うが契約金に見合って、打率3割はキープして欲しい。(第一戦はホームランを含む3安打と上々の滑り出し)。黒田も先発として契約金相応に昨年の松阪並に最低15勝は確保したいところ。

問題は、MLBの経験を積んだ古参選手達。
まず、ヤンキースの松井。昨年は膝の故障で大切な後半戦に十分な活躍ができなかった。

そもそもスポーツ選手の膝の故障の原因は何だろうか。もちろん医学には素人の自分だが、「膝の故障=体重による過重な負担⇔肥り過ぎ」。肥り過ぎの原因は食べ過ぎ、トレーニング不足しかないわけで、膝の故障なんて野球選手にとって言い訳の出来ない故障ではなかろうか。

素質がある選手なのに、イチローと違って自分に厳しく出来ない選手のようでイチロー並かもしくはそれ以上の年俸をもらいながら情けない話。いまや活躍度の面でイチローの後塵を拝するばかりだが、ツイ最近嫁さんをもらったことだし、何とか今年は活躍して欲しい。

結局、今年も自分は松井の成績を一番気に懸けるんだろうな~、つまりファンなのである。とにかく今年は正念場で、期待通りの活躍が出来ないとトレードは必至の状勢。

投手の松阪は昨年15勝12敗防御率4.40と物足りない成績で終わった。本人は「勝ち星は同じでいいが、負け数を三つ四つ減らしたい」と言い、ツーシームの習得など新たな対策を講じているが、もともと実力のある選手なので今年はかなり期待できるのではと思う。

今年のイチローは記録づくめの年になる。あと130安打で通産3000本の大台に乗る。そこから86本の上積みで張本勲が持つ3085本の日本プロ野球記録を抜く。
例年通りならば、
9月半ばには通産安打で頂点を極め、近代野球では前人未到の8年連続200本安打を果たすことになる。

メジャーリーグでの野球殿堂入りは確実な選手で、これからは過去の成績にプラスするだけなので今年あたりからはプレーを「修→蔵→息→遊」の段階の最高レベル
「遊の境地」で出来るのではなかろうか。

あとの選手では、城島(捕手:マリナーズ)、岩村(二塁手:デビルレイズ改めレイズ)、それに斉藤(救援:ドジャース)からも相変わらず目が離せない。

最後に、今年のワールド・シリーズの覇者だが、昨年の開幕前のブログによる自分の予想は
レッドソックスだったが見事に的中させたので少々鼻が高い。

そこで、今年の予想だがズバリ、
ニューヨーク・メッツ。図抜けた球威の持ち主ヨハン・サンタナ(左腕)の獲得は大きい。ただし、ペドロ・マルチネス(右腕)の復活が条件だが。


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