「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

不思議なオークション心理

2022年01月31日 | オークション情報

我が家のオーディオにとって「ネット・オークション」は必須のアイテムになっており現有機器の8割くらいは調達している勘定になる。

で、そのオークションに現在使用中の身近な機器が出品されていたりすると、何だか妙な気分になる。

たとえて言えば、売る気はないけど現在の居住地の相場はいくらぐらいするんだろう?という感じ、かな(笑)。

つい最近のこと、UTCのトランス「HA100X」(パーマロイコア)が出品されていた。



我が家の「WE300Bシングル」アンプに登載しているトランス(手前側の左右2個)である。



使っていくうちに次第に劣化していく真空管と違って、トランスの場合は長寿命を誇っているが、いきなり「断線」という致命的で修復不可能の事故がたまに起きる。しかもいっさい予測らしきものがないので始末に悪い

これまで2回ほど苦い経験をしているので、この「HA100X」もスペアとして購入しておくといいんだけど~。だが、現在の入札価格は6万円・・。

北国の真空管博士に相談してみると「途中経過で6万円ですか・・。最終的にはもっと上がるでしょう。スペアで保管しておくにはちょっと高過ぎますね、入力トランスは代替品がいろいろありますので止めといた方がいいです。問題はインターステージトランスです。品薄で困ってます。LS40(UTC)を見かけたら1個でも結構ですからすぐに教えてください」

で、結局このトランスは見送ったわけだが、その落札価格はといえば「77,000円」(ペア)なり。有名クラスの出力管並みのお値段だった。

もしスペアとして狙うなら「1個売り」のケースがお買い得かもしれないと思ったことだった。

次の第2弾は、2週間ほど前に「AXIOM150マークⅡ」(グッドマン:口径30cm)が出品されていた。



我が家では「AXIOM80」を容れている箱の底板に「ドロンコーン」の役割をさせるために据え付けているが、グッドマン・ファンからすれば「もったいない!」の一言だろう。

しかし、「重し」代わりにふさわしい重量級のマグネット、さらには薄くて軽くて振幅しやすいコーン紙となると、該当するのはこのユニットしかない!

で、注目の落札価格(1月19日)は「58,499円」だった。

ちょっと考えさせられたが、我が家の至宝「AXIOM80」のため「人身御供」になってもらうことに変わりはなし、ちょっと可哀そうだけどね(笑)。

次の3番目は、つい先日のブログ
「血沸き、肉躍るオーディオ!・・」で、「AXIOM80」の引き合いとして登場したリチャードアレンの「アルニコマグネットタイプ」のユニット(口径20Cm)。



欲しくてたまらなかったユニットなのでこの出品の動きを最初からつぶさに観察していた。

当初は「即決価格=5万円」で出品されていたがず~っと反応なし。

すると、まるでしびれを切らしたかのように、出品者がいきなり「1000円スタート」に切り替えた。

「捨て身の勝負」ときましたか(笑)。

さすがに、これには入札者も反応せざるを得ない。あわよくば低価格で名ユニットを手に入れる可能性が出てきたのだから黙って見過ごす手はないだろう。

さあ、いくらで落札されるのか「高みの見物」だったが、29日(土)の夜の結果はきっかり「5万円」なり!

あれっ、当初の「即決価格」と同じじゃないか!

それなら最初から5万円で即決して落札しておけばいいものを・・。

そして、出品者側にしてみたら「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」で、冒険と度胸の代償ですか。

「オークション心理」って実に不思議なんですよねえ(笑)。



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オーディオ愛好家は日頃から「いい音」で聴いてはいけない

2022年01月30日 | 独り言

「21世紀は文明の衝突になる」と予告したのはS.P.ハンチントン元ハーバード大学教授だが、いまだに「イスラム教」と「他宗教」との対立は世界各地の紛争の火種になっている。

で、現代人にとって世界中にあるいろんな宗教に対して無関心であることはもはや許されない状況になっているが、その一環としてずっと以前のブログで
「寒い地域でイスラム教が広まらなかったのは戒律によりアルコールが禁じられていたのが原因」という趣旨のことを書いたことがある。

そして、同様に疑問に思ったのが
「豚肉を食べることが禁止されている理由」。

これはイスラム教だけでなく、ユダヤ教でも同様だが、豚肉の赤身は(2007.6.7:「脳によく効く栄養学」)のところで記載したとおり、精神の安定に必要なセロトニン生成の原料となるトリプトファンの割合の含有量においてトップクラスの食物とされているので、栄養学上これを食べないというのは実にもったいない話。

合理的な理由を是非知りたいと思っていたところ、たまたま朝日新聞社発行の月刊誌(「一冊の本」)
を見ていたらその理由が詳細に記載されていた。         
                            
「宗教聖典を乱読する 5 」~ユダヤ教(下)~(61~65頁)著者:釈 徹宗氏

豚は食材として大変効率がいいのは周知の事実。中国料理では「鳴き声以外は全部使える」といわれているほどである。栄養価、料理のバリエーションなどとても優れている食材をわざわざ避けるのは生物学的にも不自然だし、人類学的にも一つの謎となっている。

この豚肉がなぜ禁止されているのかは昔からラビ(ユダヤ教の聖職者)たちの間ですら論争が続いている。様々な理由づけを列挙してみよう。

 美味しいものを避けることによって、大食の罪を諫めた。美味しいからこそ食べない!

 豚は雑菌が多く、当時の保存法では問題が多かったため食することが禁じられた。これは今でもよく使われる説明で、雑菌が発生・繁殖しやすい風土というのも関係している。

 異教徒の中で豚を神聖視する人たちがいたので差異化を図った。

 豚という動物が悪徳を表すイメージからタブーとした。たとえばひづめが割れているのは「善悪の識別が出来ない」などで、宗教はシンボルが重要な概念になっている。

 合理的説明は不可能。食規範はまったくの恣意的であり何の秩序もないという説。

 克己心や人格を形成するためという説。つまり不合理な禁止により結果的に人格が鍛錬される。これは1と関連している。

 食事のたびごとに神への忠誠を再確認させる。

以上のとおり、さまざまな理由づけがなされているが、人間の生理(食、性、睡眠など)にまで価値判断が持ち込まれているのは宗教だけが持つ特徴であり、その背景としては人間の本能がもろくて簡単に壊れやすいことが念頭に置かれている。

たとえば、「好物を見たら、満腹でも食べてしまう」「繁殖以外の目的で性行為をする」といった行動はほとんど人間だけの特性といえ、人間以外の動物は本能の働きにより、過剰な行動には自動的にブレーキがかかる。

ライオンが満腹のときは目の前をシマウマが通っても襲わないというのはよく聞く話で、「自分の生存を維持するための行動」「自らの遺伝子を残すための行動」が基本となっている。

結局、それだけ人間というのはエネルギーが過剰であり旺盛なので一歩間違うと人間という種自体を滅ぼす危険性を有している

その意味で、人間は本能が壊れやすい動物であればこそ、その過剰な部分をコントロールしストッパーの役目を果たしているのが「宗教」である。

したがって、「なぜ、豚肉を食べないか」に対する最も適切な答えは「神が禁じたから」となる。つきつめればそこへと行き着いてしまう。

ユダヤ教にはさまざまな宗派があるが共通基盤があって、それは「唯一なる神を信じ、安息日や食規範などの行為様式を守ること」にある。

この基本線に関してはどの宗派も共有している。そして敬虔なユダヤ人にとっては、「律法を守ることそれ自体が喜び」
なのである。

以上のとおりだが、「自分を律するために、あえて美味しいものを食べない」というのは、まったくの「眼からウロコ」で、それからすると総じて「仏教徒」たるもの、ちょっと自分に甘すぎて己の欲望に走り過ぎるきらいがあると思いませんかね・・。

で、「オーディオ愛好家は自分を律するために、日頃から“いい音”で聴いてはいけない」な~んちゃって(笑)。



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血湧き、肉躍るオーディオ! しかし・・

2022年01月29日 | オーディオ談義

血湧き、肉躍るオーディオ!

今やバラ色の世界である。何しろ「AXIOM80」(以下「80」)から念願の「ふっくらした音」が出てきたんだから~。

これまでどうしても、やや神経質的な響きが気になって100%のめり込めなかったユニットだがようやく愁眉が開けた気分といっていい。

とはいえ、いくら興奮して力説しても
実際に聴いてもらわないと通じないのは分かっているつもり(笑)。

くどいようだが、「エッジレス仕様」と「強力なマグネット」そして軽いコーン紙」による独特の「ツクリ」が見事にツボにハマったときの爽快な音は、たとえどんなに高価なシステムでも到底無理で、これ以外のSPを聴く気になれない。

というわけで、節約に繋がったのはありがたい。

「?」

どういうことかといえば、オークションでいくつか目を付けていた「SPユニット」があったのだが、所詮はどんなに頑張ってみても「80に敵うはずも無いし」と、潔く諦めることが出来たから(笑)。

たとえば、このほど出品されていたこのSPユニット。



リチャードアレン(英国)の口径20㎝のユニットだが「フェライト・マグネット」は持っているけど「アルニコ・マグネットタイプ」のユニットがもう欲しくて欲しくて・・。

しかし、「80以上の音は願うべくもない」のもと、あっさり気持ちの整理がついたのは大きな収穫。

で、改めて復習すると今回の「ふっくらした音」の立役者というか功労者は二つに集約される。

一つは真空管の「Y球」、もう一つは箱の方の「背圧を逃がす隙間の調整」だ。

8台の真空管アンプのうち4台のテストが済み、残り4台のテストの最初の1台で進展があったのでしばらくアンプテストは中止して方向転換を図った。

つまり、事があまりにもうまく運ぶと、人間は図に乗るものらしい(笑)。

まず、「柳の下の二匹目のどじょう」を狙って「Y球」の活用を予定外のアンプに広げてみた。

で、大いに気になる「6AR6」(3極管接続)アンプの前段管に「Y球」の起用を。



一番左端の球が「Y球」だが、これまで使っていた「E180CC」(独:ヴァルボ)との聴き比べ。

ウ~ン、どっこいどっこいだね、これは~。

音色の艶や繊細さは「Y 球」が一枚上だが、響きの豊かさとなると「E180CC」の方に軍配が上がる。

結局「80」には何よりも豊かな響きを優先させようと思っているので「E180CC」を選択。

けっして「Y球」が万能ではないことが分かった。試しに「6FQ7」(RCA:クリアトップ)も試してみたが、両者に比べて切れ味が甘くなってこれは明らかに不適。

どんなに優れた球でも周辺環境との相性があることを今さらながら思い知らされる。

次に「箱」の背圧調整に移ろう。SPユニット(コーン型)の後ろ側へ出る音〈逆相)の処理方法はあらゆるスピーカーにとって大きな命題だが、とりわけ「80」は背圧の調整次第で「音の豊かさ」が左右されるので死活問題である。

オリジナルの「80」の場合はうまくいった(と思っている)が、これに味を占めて復刻版にも応用してみることにした。

凄く「気に入った音」が出ているときにスピーカーを代えるのはまことに「後ろ髪を引かれる」思いだが、このままだとブログが進まなくなるので仕方がない(笑)。


 この「80」(復刻版)の箱の下側に「1cm×40cm」の隙間を作っているのだが、例によって「布テープ」で3/5ほど塞いでみた。



これで、ワクワクしながら聴いてみると・・・。

悪くはないんだけど、期待したほどの効果は見られなかった。この音だと、やっぱりサブウーファーが必要なんだよなあ。

その原因として考えられるのは、

 箱の容積が2倍近く違う

 同じ80でも「復刻版」と「オリジナル」とではマグネットの違いやコーン紙の重さからして似て非なるものだ

 オリジナルの箱の底板に固定している「AXIOM150マークⅡ」(軽いコーン紙)のドロンコーンとしての役割が想像以上に利いている

ぐらいかな~。

いずれにしても、二つの立役者の応用結果は残念ながら「柳の下に二匹目のドジョウはいなかった」ということで・・。

やっぱりオーディオは手強い、というか思ったようにはいかない!

結局、1時間ほどでまた元の「80」に戻しました(笑)。



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ピカソかアインシュタインか

2022年01月28日 | 独り言

先日の「日経新聞」のコラム「うたごころは科学する」に「ピカソかアインシュタインか」という記事があった。

お読みになった方もいらっしゃると思うが、「芸術と科学」の関係について興味深いアプローチだと思うので、ちょっと長くなるが紹介しよう。

「君は海難救助隊員だ。今、沈みつつある船の中にピカソとアインシュタインの二人だけが取り残されているとする。どちらか1人だけしか助けられないとすると、どちらを選ぶか。

この問いかけは「ピカソーアインシュタイン問題」と呼ばれる。いつだれが思いついたのかわからないが、この思考実験、回答者の人間性の一端が垣間見えて、ちょっと面白い。

人間には、年齢、性、職業、民族、国籍、宗教、家族構成など多くの属性がある。それらの属性をすべて考慮して相手を評価するのが普通だ。でもピカソやアインシュタインの場合はそれぞれ芸術家・科学者としての属性が他を圧して強烈。

つまり「ピカソ―アインシュタイン問題」は「あなたは芸術家と科学者と、どちらがより大きな価値を持つものと考えますか?」という問いかけなのだ。

読者の皆さんは回答者が科学の徒であればアインシュタインを選ぶだろうと考える人がいらっしゃるかもしれない。サイエンスを志すような人は当然、科学者を優先するだろうと。

これがそうでもないから面白い。

アインシュタインの業績を理解し、この上ない敬意を彼に感じながらも「この場合はピカソだ」と答える科学者が少なからずいる。

相対性理論は偉大なものだが、これは宇宙(自然)のありさまを合理的に説明しようという行為の結果だ。科学者は宇宙を発明したわけではなく。理解しようとしているだけなのである。

芸術家は人間社会を、自然を、自分自身を、独自のやり方で解釈し、絵画や音楽や詩で表現する。表現という行為は自分勝手で我儘なものだが、不思議なことにこれが同時代や未来の人々の心を揺り動かすのである。科学には出来ないことだ。

私の場合も2人を天秤にかけるとすれば、ピカソの方が少し重いように思う。でもだからといってアインシュタインを見捨てることは出来そうにない。ー迷っているうちに、3人とも溺死するかも。どうも最悪の結果になりそうだ。」

と、以上のような文章だった。

皆様は「芸術と科学」のどちらを優先されますか?

ちなみに、私見ではアインシュタインの理論が人類に及ぼした功績と、その恩恵は計り知れないものだろうが、もしアインシュタインが居なかったとしても後世の偉大な科学者の誰かが解明したような気がする。

その点、ピカソは「唯一無二の存在」で「いっさい代わりが利かない」という存在感がある。

大いに迷うところだが、結論として筆者の場合は「アインシュタイン」を選びます。なぜなら、ピカソの絵を見ても感動しないから。

ただし、もしピカソがモーツァルトに置き換わったとしたら、断然モーツァルトを選びます。

つまり「芸術か科学か」という問いかけに対して、「一般論」では存在価値からして「芸術に分がある」と思うが、「個別論」としては芸術と個人ごとの固有の「距離感」に(優先順位が)左右されると思うので。

そう言っちゃ、身も蓋も無いかな(笑)。

ちなみに、アインシュタインはヴァイオリンを嗜み、モーツァルトを愛していた。

「死ぬということはモーツァルトを聴けなくなることだ」との有名な言葉を遺している。

天才と凡人が同じ土俵に上って共通の趣味を楽しめるなんて、最高だと思いませんかね!(笑)



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クラシック音楽の究極の選択は「モーツァルト」と「バッハ」かな

2022年01月27日 | 音楽談義

これはあくまでも私見だが、クラシック音楽に長年親しんでいると、究極の選択肢は「モーツァルト」と「バッハ」の音楽じゃないかという気がしてきた。

「ベートーヴェンを忘れているんじゃないの」との、ご指摘を受けそうだがたしかに凄い音楽だけど、若い頃の印象とは違って少し「独特の押しつけがましさ」を感じるようになった。

で、ずっと以前のブログで「音楽鑑賞においてモーツァルトとバッハは両立しない」なんて、あえて挑発的(?)なことを記載したことがある。


さっそくこれに反発するかのように読者から次のようなメールが届いた。

簡単に捨て去るには惜しい内容だと思うので再掲しよう。


ブログ 拝読しました。

私も モーツァルトの音楽が大好きで、バッハ、ベートーヴェン、ブラームス 等と共に 私のCDライブラリーの中核をなしています。「魔笛」のCDも ショルティ旧盤、スウィトナー盤、サヴァリッシュ盤、ベーム新盤、クイケン盤、カイルベルト盤などを聴いています。(敢えて 私の好みを挙げるとすれば、スウィトナー盤でしょうか…)

バッハの作品も 大好きですよ(笑)。
もちろん 「マタイ」 「ロ短調ミサ」 ヴァイオリンやチェロの「無伴奏」といった"大作"も良いのですが、「二つのヴァイオリンの為の協奏曲」、ブランデンブルク協奏曲の「第5番」、チェンバロ協奏曲の「第5番」等の協奏曲作品は 美しいメロディーが出てくる、"気軽"に聴ける曲として よく聴いています。

  
もちろん、好き嫌いや 考え方は 人それぞれですし、他人がとやかく言う事は出来ないのですが、エベレストやヒマラヤ山脈に"挑戦"するよりも、久住(くじゅう:大分県)の山々に登って 大自然を満喫するのも、"アリ"ではないかと思います。
 
勝手な事を書いて、申し訳ありませんでした。バッハとモーツァルトの音楽を愛する、"変人"の 戯れ言 だと思って、目を通していただければ幸いです。」

以上のとおりで、我が「浅慮」を軽くたしなめられた感じだがむしろ爽快感の方が先に立った。

魔笛のスウィトナー盤をお好きとは相当「通」の方であり、これほどの魔笛ファンは珍しく同類に接した喜びに心底うれしくなった。


しかも、モーツァルトとバッハを「高いレベル!」でちゃんと両立させている方がいるんだからやっぱり世間は広い!(笑)

こういう実例に接するとバッハに再びチャレンジする元気が出てくるから不思議。

たしかに、音楽鑑賞は山登りと一緒で初心者が最初からエベレスト級の山に登ろうなんてどだい無謀な話かもしれない。


さっそく、近場の山に登るつもりでYさん御推奨の「ブランデンブルグ協奏曲」を聴いてみることにした。

           

そういえば、ずっと昔の「ショパン・コンクール」(1985年)で優勝した「ブーニン」が、この曲と演奏(イ・ムジチ)を激賞していたのを思い出した


どこかに新聞の切り抜きがあったはずだがと、ガサゴソと探してみるとあった、あった。


            

じっくり聴かせてもらったがマタイ受難曲などに比べると親しみやすくて、これならバッハの森に1~2歩ほど分け入った感じが持てた。

とはいえ、あの「天馬空を駆ける」ような自由奔放で伸び伸びとしたモーツァルトの音楽に比べるとバッハは何と言っていいのか「型にはまっている」、あるいは「線香臭い」と言うと叱られるかなあ~。

やっぱり、信心深くない人間にとってバッハは時間がかかりそうでして(笑)。



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「AXIOM80」から念願の”ふっくらした音”が・・!

2022年01月26日 | オーディオ談義

つい先日に投稿した「4台の真空管アンプの大混戦」の読者の反応は、正直言って期待していたほどではなかった。

いかにも「マニアっぽい記事」が敬遠される傾向は一貫して否めないようでして~(笑)。

それでも懲りることなく、いろんな話題のブログを挟み込みながら「ほとぼり」が覚めた頃を見計らって再度「マニアっぽい記事」の出番といこう。

さて、「八面六臂」(はちめんろっぴ)という言葉がある。

ご存知の方も多いと思うが、広辞苑によると「八つの顔と六つのひじ。転じて、独りで数人分の手腕を発揮するたとえ。八面六臂の大活躍などという」

まさにその言葉に相応しいのが、このところ重宝している「Y球」である。



何の変哲もない
、ありきたりの「ミニチュア管」だが、さすがにオーディオ専用として作られただけあってその性能には目を瞠っている。

以下、詳述してみよう。

我が家にはプリアンプを除いて現在10台の真空管アンプがある。多いか少ないかは読者のご判断にお任せします(笑)。

うち1台(6A3シングル)は改造に出しており、もう1台(EL34プッシュプル)は低音域専用なので、残りの8台が常に出番を待っている状態。

そして、前回に登載した4台のアンプに続いて、残りの4台も忘れてもらっては困る存在だ。

ちなみに、前回のアンプ群がけっして「一軍(レギュラー)」というわけではなく、たまたま出番が後になったということなので念のため。

その残りの4台のアンプとは「6FQ7」プッシュプル、「371A」プッシュプル、「371シングル」(前段管がAC/HL)そして「PX25シングル)という顔ぶれ。

この度のSPケーブルの変更、プリアンプの球の交換に応じて、「4台の真空管アンプの大混戦」~パート2~といこう。

使ったスピーカーは前回と違って自作の箱に容れた「AXIOM80」(オリジナル初期版、以下「80」)。



「80」の箱は薄い板厚で共振させるのがベストだと思っているが、市販の箱で「板厚1.5cm」のものが無いので自作するしかない。

まず一番バッターは「6FQ7」プッシュプル。



我が家の中で一番「お金」がかかっていないアンプといえるが、なかなか楽しませてくれて重宝している。

で、製作の経緯を述べると、当初はチャンデバ用として出発したが、途中で気が変わってパワーアンプに設計変更となった。

その動機は「オークション」で名門「TRIAD」(トライアッド)の小振りの出力トランス(プッシュプル用)を格安で落札したことによる。

すぐに、知り合いの「K」さん(大分市)にお願いして、「前段管=6SL7」「出力管=6SN7」で組み立ててもらった。

「シンプル・イズ・ベスト」という言葉はこのアンプのためにあるほどで、小ぶりのパワーのもと、まるで蒸留水を思わせるようなピュアな音質にそれなりの満足感を持っていたが、そのうち変化を求めていろいろ弄りたくなった。

まずは、出力管を「6SN7」から専用の変換ソケットを使って「6FQ7」に代えてみた。

なぜ「6FQ7」かというと、「6SN7」と同じくらいの「μ=ミュー」だし、手元に4本(2ペア)あったので使ってやらないともったいないから。



通常のミニチュア管と比べてやや図体が大きい。RCAブランドの「クリアトップ」で、購入当時は人気管だったが今ではさほどでもない。

試しに出力管としてほかにも「E180CC」(英国:ムラード)を使ってみたが、やや強めの衝撃音のときに音が歪む、しかしこの「6FQ7」だとびくともしないので、この球じゃないとダメ的な存在。

本来の「6SN7」よりも明らかに音に色彩感が出てきて、そう、淡白な水彩画という雰囲気がなかなか好ましい。

次に、目を付けたのが前段管の「6SL7」だ。有名なSTCブランド(英国)「6SL7=CV569」を使っていたのだが、ふと思いついてこのところ大活躍中の「Y球」を変換用ソケットを使って挿し換えてみた(画像のとおり)。

すると、途端に音が柔らかくなって「AXIOM80」から微妙な翳りのニュアンスを見事に引き出してくれるではないか!

淡白な水彩画から色使いが豊富で奥行き感のある水彩画へと見事に変身。これは素晴らしい!

この「Y球」はプリアンプに使っても良し、パワーアンプの初段に使っても良し。

というわけで、前述の「八面六臂の大活躍」にようやく行き着きました(笑)。

と、ここからが本題です。

音が良くなればなるほど俄然、意欲が湧いてきて改めて「自作の箱」に着目。

箱の底面の20㎝四方の穴には「ARU」と「重し」の両方を兼ねて「AXIOM150マークⅡ」ユニット(軽いコーン紙)を据え付けているのだが、別に80の背圧の逃げ道として前面の下部に「1.
5cm×50cm」の隙間をつくっている。

聴いているうちに、この隙間が少し大きすぎるかもしれないなあ・・。

そこで試しに「ARU」(背圧調整器)の積りで半分以上を黒い布テープで塞いでみた。



すると、これまでよりも”ふっくら”として豊かな音が出てきたのには仰天した。たったこれだけのことで・・・!

固い「板」ではなくて柔軟にしなる「布テープ」を使うというのがミソである。

お金なんぞを掛けずに工夫を凝らす、これぞ「オーディオ」と思いませんかね?!

いかん、つい地が出てきて「自画自賛」になってしまった~(笑)。

しばらくこの「絶妙の音」を楽しみたいので他のアンプの出番は当分の間無しとしよう。


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今年の冬は寒さ知らず

2022年01月25日 | 独り言

先週の木曜日「20日」は「大寒」とされていて、いわば1年で一番寒い日。昔の人の言によると、これから「米の一粒長さ」づつ、暖かくなっていくそうだ。

言い換えると、気候学的にはこれ以上寒くなることはないというわけ。

で、気忙しく今年の冬を振り返ってみるとまったくの「寒さ知らず」だった。何しろ「防寒着」に恵まれたことによる。

ひとつは、懇意にしている近所の方から頂いたハイネックの「インナー」。ゴルフの景品だったそうで、寸法が合わないのでと、お鉢が回ってきた。いつぞやのブログでも紹介したとおり。



これを着込んで上から軽い薄めのダウンジャケットを羽織ると、どんな寒さでも耐え切れる気分になるから不思議。

そして、上半身はこれでいいとして下半身の方は「姉」(福岡在住)が送ってくれた「ふくらはぎ」専用のレッグウォーマー。



日中の活動時から就寝時まで「薄目のズボン下」の上で、24時間履きっぱなしだが足元がまったく冷え込まない優れものだった。

まあ、お年寄り向きだが(笑)、効果が歴然だったので「お薦め」です~。

さて、健康の話のついでに、昨年投稿した「長生きは したくないねと ジム通い」をご記憶だろうか。



これらの健康本をもとにして、健康食品などを紹介したのだが、このほど、下記の画像のとおり、いきなりアクセスランキングに登場してきた。



で、ちょうどいい機会なので、
その「後日談」を展開してみよう。

まずは、「老化を防止する酵素が一番多く含まれている」という、「枝豆」食のお薦めだが、これは今でも根気よく継続しています!



時季外れなので、冷凍食品で代用しているが、「塩味」の塩にどういうものが使ってあるか不安なので、電子レンジで「チン」とやった後に水で塩を洗い流して、三度の食事のたびに10個ほど食べている。

歴然とした効果は感じないが悪くはない感じ~。

ついでに「きゅうり健康法」だが、これも相変わらず継続している。

酢醤油に浸しながら「カボス」を加えるとまろやかな味になる。



「ラー油」を使うのがコツでピリリとした味になって食べやすい。当初併用していた「ごま油」はやたらに油っ濃くなるので現在は使っていない。

血糖値の降下を期待しての対策だが、まだ血液検査の結果が分かっていないので見守り中の段階としても、何しろカロリーがない食品なので悪かろうはずがないと、思っているがどうなんだろう。

ちなみにこのキュウリにもわずかながら「老化を防止する酵素」が入っている。

次に、「水」が大切のとのことだったので「ミネラル水」をせっせと飲んでいたのだが、何しろ2本も購入すると「買い物かご」が重くなって仕方がない。

そこで、自宅の「過酸化水素水」に切り替えたところ、体感上はまったく変化なしで今のところこれに落ち着いている。お金もかからないし~。



「貴方はいつも熱しやすく冷めやすくて、長続きした験しがないわね」と、いつも嘲笑されているが「最後に笑うのはどちらか、今に見ておれ~」(笑)。



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「ハーモニー」と「周波数レンジ」の両にらみ

2022年01月24日 | 音楽談義

往年の名ピアニストであるエドウィン・フィッシャーの著作「音楽観想」(1999.5.31、みすず書房)という本の巻末に指揮者ブルーノ・ワルターが「1935年」にウィーンの文化協会で「音楽の道徳的なちからについて」と題して行った講演の原稿が収録されている。

                 

絶えて久しい「道徳」なんて言葉を聞くといかにも”かた苦しそう”だが中身の方は意外にも音楽に対するワルターの気取らない率直な思いが綴られたもので、約85年前の講演にもかかわらず現代においても少しも色褪せていない内容ではないかと思える。

以下、中身を自分なりに噛み砕いてみたが、興味のある方はどうか原典を読んでいただきたい。

はじめに「はたして人間は音楽の影響によってより善い存在になれるものだろうか?もしそうであれば毎日絶え間ない音楽の影響のもとに生きている音楽家はすべてが人類の道徳的模範になっているはずだが」とズバリ問題提起されているところがたいへん面白い。

ワルターの分析はこうだ。

 恥ずかしいことながら音楽家は概して他の職業に従事している人々に比べ、べつに少しも善くも悪くもない。

 音楽に内在する倫理的呼びかけ(心の高揚、感動、恍惚)はほんのつかの間の瞬間的な効果を狙っているにすぎない、それは電流の通じている間は大きな力を持っているが、スイッチを切ってしまえば死んだ一片の鉄にすぎない「電磁石」のようなものだ。

 人間の性質にとって音楽が特別に役立つとも思えず、過大な期待を寄せるべきではない。なぜなら、人間の道徳的性質は非常にこみいっており、我々すべてのものの内部には善と悪とが分離しがたく混合して存在しているからだ。

以上、随分と率直な語りっぷりで「音楽を愛する人間はすべて善人である」などと「我田引水」していないところがとてもよろしい(笑)。

「音楽の何たるか」を熟知しているワルターだからこその説得力ある言葉だろう。

あの音楽の美に溢れた素晴らしい作品を生み出し、演奏したりする音楽家が「どうしてこんな恥ずべきことを」なんていう例は過去において枚挙にいとまがないくらい。

たとえば、清らかな美と透明感に包まれた最晩年の傑作「魔笛」の作曲中に東屋(あずまや)で酒池肉林に耽ったモーツァルト、お金の勘定にとてもうるさかったベートーヴェン、親友の妻を寝取ったワーグナーなどぞろぞろ出てくる。

音楽家でさえそうなのだから、指揮者や演奏家、そして音楽を聴くだけの愛好家に至っては推して知るべし。自分の例を引き合いに出すまでもなく、音楽に人格の涵養を期待するのはとても無理な相談ですね(笑)。

したがって、ワルターが言うところの「音楽=電磁石」説にはまったく共感を覚える。

と、ここで終わってしまうと、まったく身も蓋も無い話になってしまうが、これからの展開がワルターさんの偉いところであり感じ入るところである。

「それでも音楽はたぶん我々をいくらかでもより善くしてくれるものだと考えるべきだ」とのご高説。

音楽が人間の倫理に訴える”ちから”、つまり「音楽を聴くことで少しでも正しく生きようという気持ちにさせる」効果を信じるべきだというわけ。

ワルターは自分の希望的見解とわざわざ断ったうえで音楽の倫理的力を次のように語っている。

「<音楽とは何であるか>という問いに答えることは不可能だが、音楽は常に<不協和音>から<協和音>へと流れている、つまり目指すところは融和、満足、安らかなハーモニーへと志向しており、聴く者が音楽によって味わう幸福感情の主たる原因はここにある。」

音楽の本質が「ハーモニー」なら、その召使いにあたる
オーディオだって当然、右へ倣えだろう。

うまくハモってくれるスピーカー、それを十分に手助けしてくれるアンプ、この二つがきちんと揃えば鬼に金棒だが・・。

以前、とあるオーディオマニアから聞かされた言葉「オーディオは周波数レンジを追いかけるとキリがありませんよ。」は、今となっては思い当たる節が多い


やれ低音がどうとか、高音がどうとか、一日も早く周波数レンジの呪縛から解放されたいものだが、分かっちゃいるけど長年の習性を改めるのはもう無理そう~。

ま、無難に「ハーモニー」と「周波数レンジ」の「両にらみ」といきますか(笑)。



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ミステリ作家「米澤穂信」さんが「直木賞」授賞

2022年01月23日 | 独り言

昨日(22日)の大分、宮崎を襲った「震度5強」の地震について、読者の方々からメールやお電話で「お見舞い」の言葉をいただきました。

誌面を借りて改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。

さて、年頭に「このミステリは凄い!」で紹介した第1位の「黒牢城」。



著者はこのところのミステリ界で常連となっている「米澤穂信」(よねざわ ほのぶ)さんだった。

ところが、この程「黒牢城」で見事に「直木賞」授賞の快挙!

良かったですねえ。ミステリ作家が脚光を浴びるのはミステリファンとしてうれしくなる。

とはいえ、好きな作家の「柚月裕子」さんが落選したのでうれしさも中くらいなり。ま、筆力がもの凄い作家なのでそのうち授賞も時間の問題でしょうが~。

で、図書館でたまたま見かけた「米澤屋書店」には多数のミステリが紹介されていたので、この本を「バイブル」にしようとネットで注文したところ、すぐに届いた。



本書ではご本人が読まれたミステリの紹介が目白押しだが、後半の275頁以降にも「13冊のミステリについて」とあり、細かい紹介がしてある。

で、挙げてみると(著者名は省略)、

「九マイルは遠すぎる」「迷宮課事件簿」
「樽」「さむけ」「死体が多すぎる」「タイム・リーブ」「毒入りチョコレート事件」「敗北への凱旋」「六の宮の姫君」「明治断頭台」「火刑法廷」「ウサギ料理は殺しの味」「春にして君を離れ」

このうち「さむけ」については次のような記述がある(278頁)。

「これでもかというほどのミステリ、これでもかというほどのサプライズミステリです。名作中の名作ですね・・・」

こうまで絶賛されていると読まざるを得ないですね(笑)。

実はこれまでも幾多のミステリ作家から称賛を浴び「勇名を馳せている」本だと承知していたが、いつかはと思っていたものの延び延びになっていた。

急いで図書館に駆け込んで地下の奥の方の倉庫から見つけ出した。



「メチャ面白かった」となると、メデタシ、メデタシの大団円だがそれがちょっと・・。

登場人物が多すぎて名前を覚えるのがたいへん、展開がスローテンポ過ぎてちょっと退屈、少し偶然性が強過ぎるんじゃないか、犯人の意外性は申し分ないがちょっと無理がある、(文庫本なので字が小さくて読みづらい・・)。

以上のような要因で、よくできたミステリとは思うが、諸手(もろて=両手)を挙げて賛成とまではいかなかった。

ネットのレヴューで次のようなコメントがあった。

「ロスマクドナルドの小説全般に言えることですが、登場人物が多く心理も深く描写されており、伏線となる表現も多いので、これから読まれる方には十分な時間をとって最初から最後まで一気に読むことをオススメします。」

実は、本書を読むのにかかった日数が5日間ほどだった。そりゃ、登場人物を忘れがちになりますよねえ。昔のような集中力が失くなってきているのが残念・・。

それにしても、音楽の好み、音質の好みと同じで、書物の好みも様々ですね~(笑)。



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4台の真空管アンプの大混戦

2022年01月22日 | オーディオ談義

揺れました!

「草木も眠る丑三つ時」という言葉があるが、本日(22日)の午前1時ごろに「震度5強」の地震が起きました。もちろん睡眠中だったがあまりの揺れに目が覚めるやいなや、ガバッと跳ね起き階段を降りてオーディオルームに直行。

機器類が散乱していないかヒヤヒヤだったがどうやらセ~フ。

ひと安心だったが、ネットによると震源地は「日向灘」(宮崎県沖)とのことで大規模な「東南海地震」の前触れかもですね。

どうせ来るなら死んだ後にしてくれ~(笑)。

話は変わって、1週間前に行った「真空管アンプの相性テスト」の状況を忘れないうちに記録しておくとしよう。何しろ大混戦だったので。

それではまず、前置きから~。
 

オーディオの楽しみは人によっていろいろだが、我が家においては音の入り口から出口までのどこかをちょっとでも弄ることによってサウンドの変化の度合いを愉しむところにあると思っている。


もちろん、結果は良かったり悪かったりで様々~。

問題なのは、オーディオ機器同士には相性というのがあって、どこかを弄った途端に「輝き」を失ったり、逆にこれまで冴えなかった機器が息を吹き返したりして、後者のときにはそれこそ天にも昇ったような気分になる。

いわば、博打で大当りしたようなもので、その快感が忘れられずに飽くことなく、そして懲りることなく同じことを繰り返している(笑)。

その博打心理のもと、今回はSPケーブルの交換とプリアンプの「真空管(Y球)の入れ替え」の二つを代えたことによるパワーアンプの相性テストという次第。

オーディオ仲間に来てもらったが、テストに用いたスピーカーはお気に入りの「AXIOM80」である。このSPだと、たちどころにアンプとの相性の良し悪しがわかるらしい(笑)。

それでは、以下のとおり仲間との対話形式で「アンプ評定」といこう。発言者が誰かはご想像にお任せしよう。

まずは「371シングル」アンプから。



「とても素性のいい音でボーカルなどにはもってこいですが、楽器が多くなったりすると、もっと厚みが欲しい感じですかね。音を押し出すパワーがちょっと弱いとでもいいますか・・」

「何しろ出力が1ワット前後ですからね。それからすると大善戦でしょう。小振りの箱に入ったAXIOM80ではちょっと荷が重いかもですね。高能率のJBLのホーン型ユニットなどにはもってこいなんですけどね~」

次は「2A3シングル」アンプ。



「相変わらずどこといって欠点がありませんね。解像力のいい音です。いつも気になるのが前段管ですけど、インターステージトランスを使わなくてもこんなミニチュア管でいい音が出るのが不思議です」

「この前段管の型番は〇〇です。テレビ球ですよ。狭い筐体のなかでも使えるように前段管とドライバー管の機能が一体となっています。しかも丈夫です。

この球が使われた理由は、近年優れたインターステージトランスが出回らないことにあります。あったとしてもメチャ高価になってますから、コスパのバランス上、この球を使ったと聞いてます。2A3ならこれで十分だと思ってます」

次は「6AR6シングル」アンプ。



「あれっ、これまで聴かせてもらったこのアンプの音とはちょっと違いますね。周波数レンジが屈託なく青天井で伸びている感じです。透明感もあります。これは驚きました!」

「(ハハハ、高笑いといきたかったですねえ!)。実はつい最近のこと出力管をWE350と製造時期が一番近い球(1945年製)に代えたんです。おそらくその効果でしょう。

それにしてもこのアンプは購入してから3年近くになりますが苦労しましたよ。ボリュームをクラロスタット式に交換したり、前段管を「6SL7=CV569」(STC)から、変換用ソケットを使って「μ」の低い「E180CC」(独:ヴァルボ)に交換したりで、ようやく気に入った音になりました」

最後は「WE300Bシングル」



「これは、ただならぬ雰囲気になりましたよ。スケール感といい透明感といい抜きんでていますね。これまでは2A3シングルの方が上だと思ってましたが不思議ですねえ。どこか代えました?」

「ハイ、前段管を71Aから071(ブルーのナス管:ARCTURUS)に代えました。ふつうの71Aと比べて電流が多く流れるタイプです。希少管なので、めったに使わないのですがこの日は名誉挽回のために特別の出番です。

このアンプの場合UTCのインターステージトランス(HA-106)で6倍増幅していますので前段管に何を使うかは死活問題になります」

というわけで、この日のアンプの「相性テスト」の結果は次のとおりとなった。

第1位「WE300B」、第2位「6AR6」、第3位「2A3」、第4位「371」

2位と3位は大接戦だったが、勝敗を分けたのは「周波数レンジ」だった。

結局、日常的に使うとすれば「6AR6」か「2A3」で十分だが、オーディオ的な快感を味わうには前者であり、音楽的な雰囲気に浸るには「後者」といったところかな。

ま、その日の気分次第ということで~(笑)。



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「オーディオの役割」とは

2022年01月21日 | 音楽談義

ブログを始めてから16年目に入っているが、せっかく作っても読んでもらえないと徒労に終わるので、いつも読者の目が頭の片隅にある。良し悪しは別ですよ~(笑)。

というのも、自信作がサッパリだったり、逆に肩の力を抜いた作品が好評だったりで、その辺の反応が実に刺激的で、これがなかなかブログを止められない理由の一つ。

いわば、読者の反応を通じて「自分の感覚」と「世間の感覚」とのズレを確認しているともいえるが、その「物差し」となるとまずは「アクセス数」になるが、その次には記事の「息の長さ」(ロングラン)になる。

たとえば、投稿した期日を過ぎてもずっとアクセス・ランキングに留まっているような、後に尾を
引く記事がそれで、おそらく何がしかの読者の共感を強く得るものがあるのだろう・・。

具体的な例として、近いところではこの1月15日に投稿した記事「オーディオは音楽鑑賞の手掛かりに過ぎないのだろうか」。

アクセス数は「並み」だったが、通常であれば長くても2~3日で消え去っていく運命なのにいまだに根強く残留している!

次の画像は「昨日(20日午前8時40分現在)」の「アクセス解析」頁。



煎じ詰めると「音楽鑑賞をするうえでオーディオシステムの役割っていったい何だろうか」という根源的なテーマだったのだが、日夜熱心に(オーディオに)勤しんでいる自分にとっても無視できない課題である。

というわけで、読者の応援を得た(積り)なのでもう少し踏み入ってみよう。

以下、私見ですからどうか「ワン・オブ・ゼム」の積りで読んでくださいね~。

オーディオの要諦は周知のとおり「原音再生にあり」ですよね。

言い換えると「録音現場の生の音」をそっくりそのまま、雰囲気でさえも再生することがベストですが、それは物理学的にみてとうてい無理な話。

そもそも「電気回路を通した音」が「生の音」に太刀打ちできるはずがない。

となると、二つのアプローチに分類できる。

一つは無理ながらも出来るだけ「原音再生に近づくことを目指す」方向へ、もう一つは割り切って「原音再生に拘ることなく聴感上、音楽のイメージを膨らましやすいようなサウンドを目指す」方向へ。

前者が「オーディオ向きのサウンド」であり、後者が「音楽鑑賞向きのサウンド」としよう。

なかなか抽象的で理解しづらいだろうから実例を挙げてみよう。

たとえばモーツァルトの晩年のオペラに「ドン・ジョバンニ」がある。

大好きな「魔笛」に匹敵するほどの傑作だと思うしドラマティックという点では古今東西でもベストのオペラだが、これまでいろんな指揮者のものを聴いてきた。

評判のいいヨーゼフ・クリップスを始め、リッカルド・ムーティ、ダニエル・バレンボイムなどだが、残念なことにいまだに「フルトヴェングラー」以上の演奏にお目にかかったことがない。

  

主人公「ドン・ジョバンニ」のふてぶてしい悪漢振りと登場人物たちの心理のあやが音楽的に実にうまく表現されている気がして、深い感銘を受けるわけだが、その一方では何しろ当時(1953年)のことなのでモノラル録音だし、それにライブなので非常に音質が悪い。

したがってこの演奏は音楽鑑賞向きとしては満点だがオーディオ向きとしては非常にお粗末といったことになるが、こんな名演奏を聴かされると音質の悪さなんかどうでもいいような気持にさせられるのが不思議。オーディオ愛好家にとっては大いなる矛盾である。

これがそっくりそのまま前述の「音楽鑑賞向きのサウンド」に当てはまる。

フルトヴェングラーの演奏をオーディオ向きの分解能が優れて高音域のレンジが伸びた音で聴くとどうなるか、結果は見えてますよね(笑)。

しかもレンジが広くなると音楽の密度が薄くなってくる印象がしてくるのが不思議。

つまり、何が言いたいかというと「オーディオ向きの音が必ずしも音楽鑑賞にとっていいとは限らない!」

  

この「フルトヴェングラー全集(107枚)」を毎日少なくとも1枚は聴くように心がけている。

耳が安易な方向(?)に行かないように戒めている積りだが、つい怠りがちになる(笑)。

とはいえ、録音と再生技術が進歩した現代ではオーディオ向きの音を第一に優先する人がいてもちっとも不思議ではないし、むしろそれが圧倒的な多数派になるのだろう。

何しろ1950年代前後の往年のマエストロたちによるクラシックの黄金時代を知らない人たちが増えるばかりだから。

「音楽愛好家」と「オーディオ愛好家」の線引きが難しいのもこの辺に由来している気がする。

関連して、これまで周辺で「オーディオに飽きてしまって長続きしない」いわゆる挫折組のケースをちらほら見てきたが、残念なことにきまって「音楽を心底から愛していない人たち」だった。

結局、「音楽あってのオーディオ」なんですよね~。

以上、50年以上のキャリアから言わせてもらったが、ちょっと「上から目線」になったかもですね、どうもスミマセン(笑)。

「音楽とオーディオ」の関係について、ご意見や反論がある方はメールをください、ね。(メルアドは自己紹介欄にあります)



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魅惑の真空管「Y球」の到着

2022年01月20日 | オーディオ談義

この18日(火)に投稿した「お願いだから、それだけは止めて・・」は、このブログを開始して以来、16年目にして「最高の順位」(グー・ブログ)となった。

いつも300番台をウロウロしているのだが、ようやく(300)の厚い壁を打ち破って「228位」(308万件中)という快挙に、つい頬が緩んでしまった。とはいえ、読者にとってはどうでもいいことだろうが・・。

躍進の理由はおそらく「身近な生活感によるリアリティ」と、いささかドキッとする「タイトル」の相乗効果ではないかと踏んでいるが(笑)、大いに今後のブログの参考にさせてもらいましょう。

さて、今回は久しぶりにオーディオの話といこう。

先日投稿した「快調だった試聴会の立役者」をご記憶だろうか。

いつものとおり仲間を交えた「試聴会」で「AXIOM80」の活躍ぶりをお伝えしたわけだが、従前よりもひときわ魅力的な音を響かせたその「立役者」がプリアンプに使ったミニチュア管の「Y球」だった。

ブログの中で「特定の球を挙げて煽っている、
と誤解されると本意ではないので匿名にして仮に「Y球」としておこう。」の、あの「Y球」である。

12AU7や12AX7などの汎用球と違って、オーディオ専門に開発されたとのことで、球にも「品格」を求めるとすれば上流階級に属する球である。

たまたま手元にあった3本の球のうち「安井式プリアンプ」に2本使ったので残り1本となりちょっと心細い。

それに友人のMさんに作ってもらった「マランツ7風」のプリアンプにも「12AX7」(3本)に代えて「Y球」をぜひ使ってみたい~。

こういうときの相談相手は、古典管の泰斗「北国の真空管博士」に限る。

「ああ、Y球なら4本持ってますよ。12AX7と代えても鳴ると思いますがμ(ミュー=増幅率)が、100と40でかなり違うので良くなるかどうかはわかりません。周辺機器にもよるでしょうし~。ただしアンプが故障することはないです」

「はい、ぜひトライしてみたいですね。お値段の方はいくらぐらいをお考えですか?」

「1本が〇千円でいいですよ」「エッ、オークション価格の半値くらいですが、そんなに安くていいんですか」「ハイ、仕入れ値がそのくらいでしたから・・・」

そこで、図に乗って再度提案。

「今後使う見込みのない真空管が沢山ありますので、そのうちの今でも需要のありそうな真空管をメールで何本か提示しますのでそれらと交換というわけにはいきませんかね」「ハイ、いいですよ。」

で、商談成立(笑)。

いつものことだが、ありがたいことです。

ほどなくして無事「Y球」が到着。



「ついでに6AR6を2本同梱しておきます。出自となる軍事レーダー用の名管WE350の製造年に一番近い球です。使ってみて、気に入らないときは別便で返送してください」

というわけで、画像の下側の2本がそれ。

「6AR6」(5極管)といっても、いろいろだが古い製造年ほど音が良いとされている。その見分け方はプレートの部分の一部が凸状に膨らんでいること。

我が家のアンプでは「5極管」を「3極管」接続にしてあり、そうすると周波数曲線がイギリスの名管「PX4」にそっくりになるそうで実際に大いに気に入っている。

博士のご配慮が後になって見事に功を奏するとは、その時は知る由もなかった(笑)。

さっそくプリアンプ「マランツ7風」の球を3本とも入れ替えてワクワクしながら試聴してみたところ明らかにサウンドが多彩になった感じで、タダものではない雰囲気が漂ってきた。

「Y球の魅力恐るべし!」といきたいところだが、何せ自分の耳だけではちょっと心もとないし、読者の方々にも説得力がなさそう(笑)。

そこで、このほど新しい真空管と新SPケーブルのもとで4台の真空管アンプのテストをオーディオ仲間と実施した。

順に「371シングル」「2A3シングル」「6AR6シングル」「WE300Bシングル」だったが、アッと驚く展開に~。

去る16日(日)の午後のことだった。

このところ、ブログのネタが目白押しだったので投稿するタイミングがズレてしまったが、遅ればせながら、そのときの模様を述べてみよう。

次回以降へと続く。



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メールの問い合わせは大歓迎

2022年01月19日 | オーディオ談義

ブログで情報発信をしていると、ときどきメル友さんから問い合わせがあったりするが、そういうときは「いったい何ごとだろうか」と、読む前にいつもワクワクした気分になる。

今年に入っての第1号として紹介したのは「モーツァルトの専門チャンネル・ラジオのURL」についてだったが、第2号のお問い合わせは先日投稿した「新しいSPケーブル」に関することだった。



メールの主のKさん(横浜)は、とても進取の気性に富んでおられる方で、新しい機器の紹介には目ざとく反応を示されることが多い。ご自宅では大型スピーカーの「ゼネシスV」を愛でておられる。



おおらかにオーディオを愉しんでおられるご様子なのがまことに微笑ましく映っていて、自分も見習わなくちゃ~(笑)。

メールの内容は次のとおり。

「早速ですが、ご信頼のY様ご紹介のSPケーブルをネットで検索しましたがよく分からず、購入方法を教えてください。”サブウーファーが要らない”の表現にグッときました」

ハイハイ、分かりました(笑)。

このSPケーブルは実際に使ってみたうえでも、コスパに優れ自信を持ってお薦め出来る逸品なので躊躇なく作業に取り掛かった。

慎重にネットの項目のclickの手順を最後まで確認し、かつ念のため該当する商品を表示したところ無残にも「売り切れ」の文字が踊っていた。

どうやら、自分が最後の購入者だったみたいで、昨年(2021年)の夏に購入したDAC「A22」(GUSTARD)とまったく同様のケースである。

何だか自分の人生と相通じるようなものがあって・・、「いつも低空飛行の滑り込みセ~フ」なので(笑)。

これはイケマセヌとばかり、「売りきれ」の一報と会社名・電話番号、そしてSPケーブルの型番を連絡したところ、折り返し次のような返信があった。

「売り切れですか、寂しいな・・・。〇〇さんが狙う商品は価値が高いのか前回(A22)と同様ですね。教えていただいた番号に電話してみます。どうもありがとうございました」

SPケーブルといっても「銅の単線」だから、それほど珍しいものでもなく、すぐに再発売になると思うが・・。

ご獲得を祈ってます~。

次いで、これは問い合わせではないが、たいへんな「モーツァルト通」のMさんからこのほど次のメールをいただいた。

「モーツァルトのヴァイオリン・ソナタというとM,J、ピレッシュが初来日の折、NHKスタジオで塩川悠子さんと共演されたホ短調K304がNHKーFMで放送されたのを聴いたのが最初。10代の終わり頃のことでした。


以来ヴァイオリン・ソナタに興味を持ちLPのシェリング/ヘブラーの全集から始まり今では11種くらいの全集が手元にあります。


もちろんシゲッティの全集もありますが、私には少し険しすぎの感があり、通常は最初に買ったシェリングの演奏(LPをファイル化してPCオーディオで再生)か、シゲッティとは対極にあるヒンク/遠山慶子さんのCDを取り出すことが多くなります


なおモーツァルトのヴァイオリン・ソナタも素晴らしい曲が揃っていますが、一曲選べと云われたら迷うことなくイ長調K526を選びます。


演奏はグリュミオー/ハスキル。

モノラル録音ですがグリュミオーのヴァイオリンはもちろん、ハスキルの自由闊達なピアノが最高なのです。」

Mさんからはつい先日のブログでも紹介したとおり、モーツァルトの「ピアノ・ソナタ」で深く意気投合した方。

おそらく自他ともに許す最高の「モーツァルト通」のお一人だろうと拝察しているが、さすがにこのヴァイオリン・ソナタも名曲だけあって演奏者も多士済々の様子。

念のため、我が家で隈なく探してみると次の2枚が見つかった。



さっそく、ブルーレイに収録していつでも聴けるようにしたが、問いかけのメールがくるたびに何らかの波(成果)が押し寄せてくるので、いつも大助かり。

ブログのネタにもなるし、メールは大歓迎です~(笑)。


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お願いだから、それだけは止めて・・

2022年01月18日 | オーディオ談義

筑後40年以上ともなると、家のあちこちが傷んでくる。

通りに面した玄関の裏側にあたる小さな庭のベランダが風雨にさらされてボロボロに傷んできたので知り合いの大工さんに修理してもらった。



ついでに、カボスの木が大きくなり過ぎてうっとおしくなったのでバッサリ枝葉を落としてもらった。これで夏の時季の「やぶ蚊」が減るに違いない。

「カボスは切った方がよく果実が成りますよ」とのことだが、再度結実するのには2~3年はかかるそうで、ま、いっか~。

見積もりに1日、そして実際の工事が2日ほどで済んだが、大工さんなので当然大きな「脚立」を持って来られている。

で、ここぞとばかりオーディオルームの天井に「卵トレー」(厚紙)をぶら下げてもらうことにした。定在波の防止を含めて「ルームアコースティック」の改善である。

「まあ、やってみなくちゃ(効果が)分からん」というところだが、すると思いがけず家内から強力な横槍が入った!

「お願いだからそれだけは止めて・・、お客様が見えたときに恥ずかしいし、それを止めきれなかった私も同じ目で見られるから」

この歳になると夫婦円満のために大概のことは譲歩するのだが、ことオーディオとなると大切な「聖域」なので、「・・・・」とダンマリ戦術を決め込んだ(笑)。

ついでに、ふと、オーディオ愛好家って一般的にどういう目で見られているんだろうという思いに耽った。

ご当人はトライした結果に一喜一憂しながら、ごく真面目の積りだが傍から見ると、呆れかえりを通り越して「滑稽」に映っているかもしれないですね(笑)。

アンプやスピーカーをズラ~ッと並べるのはまだ可愛げがあるほうで、これが「ルームアコースティック」となると、ますます奇妙の度が増しそうな気もする。

この行き着くところ、結局「オーディオは見た目も大事だ」、「いや、音さえ良ければ見た目なんかどうでもいい」という論争に落ち着く。

自分なんぞはもちろん限度はあるにしても明らかに「見た目なんかどうでもいい」派に属するが、読者の皆様はどちらに与(くみ)されますか。

何はともあれ、大工さんに手伝ってもらい「卵トレー」をぶら下げた後でサウンドを聴いてみると、心なしか豊かで柔らかくなったみたいで、「これでいいのさ~♪」(笑)。



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メル友さんからのお問い合わせ

2022年01月17日 | 独り言

このところ、メル友さんから相次いで問い合わせがあった。

まずはホットなところから昨日(16日)投稿したばかりの「早朝のモーツァルトタイム」について、関西の「M」さんからのメールがこれ。

「モーツァルトの専門チャンネル」(ドイツ発)ですが、検索しているのですが、これだ!と確信できません。URLを教えてください。お返しに・・・、ここに「ヴァイオリンソナタ」(K454)があります。フリーでダウンロードできます。」

というもの。
Mさんは10年以上も昔の話になるが、観光がてら2泊3日のご日程で別府の我が家にお見えになったことがある。その時は「ひどい音」だったので、きっとガッカリして帰られたことだろう(笑)。

大のレコード愛好家で、真空管アンプを製作されるほどの技量をお持ちの方である。

愛用されているスピーカーは当時と変わっていないとすればタンノイの「ⅢLZ」(ネットワークを改造)のはずである。タンノイは口径38cmよりも25cmを愛用している人の耳の方を私は信用します(笑)。

いずれにしろ、Mさんは「早いレスポンス」のメールを好まれる方なのですぐに返信した。

「お訊ねのURLは次のとおりです。http:stream.・・・です。

 

ところで、配信聴きました。さすがにシゲティです!たまたまでしょうがネットラジオで聴いた”しんみりとした感じ”と寸分たがわない演奏のようです。CDが欲しくなりました。どうもありがとうございました。」

というわけで、さっそくネットで探してシゲティ(ヴァイオリン)の往年の名演奏(4枚組)を注文した。1955年の録音ともなると、当然モノラル録音だし、盤質も古いので価格も安かった。大いに助かる(笑)。



ネットでの「レヴュー」があったので、無断ですが引用させてもらいます。

「なんと沁々としたモーツァルトだろう。これは老齢の音楽家ならではの演奏だ。 モーツァルトの本質とはなんだろう。僕はつねづねそれを「儚さ」と「無邪気さ」だと考えてきた。

でもそれを表現しうる演奏家というのはごく稀で、モーツァルトは意外なほどに表現のむずかしい音楽家だと思ってきた。 ここに聴かれるのは理想のモーツァルトだ。

シゲティとホルショフスキの演奏は完全に世俗をこえている。表面的なものへの拘りをすて、まるで魂だけがぎしぎしと、しかも優しくひびいてくるようで、聴いているあいだの手ごたえ、充実度がちがう。 シゲティはバッハの無伴奏ばかりが人気だが、これは完全なかたよりだと言える。

むしろ出来の点でいえば、こちらのほうが上だ。しかしバッハという音楽のイメージとシゲティにはなんの違和感もないのにたいして、モーツァルトというのは一見ミスマッチに思えるのかも知れない。

しかしそれはほんの杞憂だ。ここには本当のモーツァルトの「声」というものがあって、それしかない。泣きむせぶようなヴァイオリン、温かいピアノの音色。こんな人間くさいモーツァルトがこの先現れるだろうか。僕はそれを難しいと思う。」

以上のとおり、なかなか熱いレヴューですね。

この一連のヴァイオリンソナタで「涙が追い付かない哀しさ」が、どう表現されているのか、聴くのが楽しみ~。

とまあ、これでお終いだが当初の予想よりもブログが長くなってしまって・・、メル友さんからの問い合わせの「第2号」は次回以降へ持ち越しとしましょう。



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