「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

オーディオ談義~「羽毛の吸音材」~

2010年10月29日 | オーディオ談義

折角「アキシオム80」がうまく鳴るように改造したSPボックスだが、期待どおりに鳴ってくれず、むしろ悪くなったのは前回記載したとおり。

自分が聴いても「この音は冴えない」と思ったが、オーディオ仲間で幾多の場数を踏まれたAさんも同様の意見どころか、それ以上の酷評。

しかし、実はその率直なコメントの中に「問題解決のカギとなる言葉」が隠されていた。

「音が窮屈そうで伸び伸びと鳴っていない」。

以下、いろいろと考えた挙句の自分勝手な推論なので間違っていたらゴメン~。

スピーカーから出てくる音はユニットのコーン紙の前後の振幅による空気の疎密波によって成り立っている。

したがって前に出てくる音と同様に後ろ側にも逆相となった音が出されているが、裏蓋をして密閉した場合、背後に出された疎密波は密室の中で逃げ場を失い跳ね返ってきてコーン紙の正常な振幅を妨げることになる。

ちなみに、裏蓋の無い「後面解放のSP」だとこういう心配をしなくていいが、後ろに出された逆相の疎密波がSPの周囲から前に回りこんできて前面から出た正相の疎密波と入り組んでしまい、音が濁ってくる。

そこで、密閉ボックスの場合「いかに背後の音を吸収してやって、コーン紙を気持ちよく振幅させてやるか」が大きな課題となる。

そこで「吸音材」の出番となる。

通常、一般的によく知られているのは「グラスウール」だがどうも手がチカチカして扱いづらそうだし、新鮮味もない。そこでMさんご推奨の「羽毛」を使うことにした。

ちなみに「羽毛」を使った吸音材はMさんの発案によるものでメーカーでも皆無だしネット情報でもまず見かけない。

その特徴としては、

 軽くて圧縮しやすいので量が稼ぎやすく扱いやすい

 気が遠くなるほどの年月をかけて進化してきた鳥の翼の羽根だけに、軽いわりに強度も十分。肉眼では見えず顕微鏡の世界だが無数の穴が空いていて空気をうまく溜め込んで浮力として利用している

まさに自然素材として吸音材にうってつけ。ぎっしり詰め込めばSPボックスの小さな密室で「無数の空気の層」が出来るという仕組み。

「羽毛」といえばすぐに高級布団を連想して10万円単位の高価なものを思い浮かべるが、さすがにそこまでの高級品を購入してオーディオ用に使うのは感覚的にとても抵抗がある。

Mさんに言わせると
「真空管に○○万円も投入するぐらいなら高級羽毛なんてもっと音が良くなる素材なんだから安いものさ」とのことだが、いくらなんでもそれはちょっとねえ~。

たしか2年半ほど前に安物の「羽毛布団」を購入したがそのときのことを以前のブログにこう記している。

羽毛布団は高級感があるので音も高級になるかもしれないという単純な感覚が我ながらおかしくなる。

早速、翌日に偵察に出かけてみた。デパートで売っている羽毛布団は高価そうなので、まず大きなホームセンターに出かけてみた。

「羽毛布団ありますか」

「冬用ですか、春用ですか?」と女店員さん。

「いえ、オーディオ用です」

「?」と、目が点のようになった店員さんに・・・

そのときにたしか2枚購入して1万円からお釣りがきたような記憶があるが、そのときの羽毛の本格的な出番がいよいよやってきた。

木綿の袋をいくつも作ってその中に羽毛を詰め込む作業を黙々と展開。

  

部屋中に羽毛のかけらがフワフワと漂う中で作業に没頭。入れる袋の方も手縫いで慣れぬ手つきで針と糸を操ったがどうせSPボックスの中にぶち込むヤツなので不恰好は一向に構わない。

作業におよそ5時間ぐらいはかかっただろうか。

結局、黒い袋を6個ほど作って「アキシオム80」の左右両チャンネルの小さな個室に3個づつ詰め込んだ。ちなみにこの羽毛の吸音材はボックスの中にこれでもかと”ぎゅうぎゅう”に押し込むことが秘訣。

そして低域用の容積の大きなボックスには羽毛布団のカバーを剥いで切断し、羽毛が飛び出さないようにホッチギスで端っこをパチンパチンと留めていってそのままぶち込み。                

          

さあ、これで作業完了。いよいよ裏蓋を締めて音出し開始。

「羽毛の吸音材」による効果の程は次回に~。


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オーディオ談義~「七転び八起き」~

2010年10月26日 | オーディオ談義

24日(日)の9時ごろに「アキシオム80」を容れるために改造したSPボックスがようやく1週間ぶりに出来上がってきた。                  

        

さあ、それからがたいへん。ボックスの中に厚いフェルトの生地で出来た吸音材を「小さな釘と糊」で貼り付けていく。2種類作った裏蓋にもバッチリ貼り付けて3時間ほどで完了。

ちなみに2種類の裏蓋とは全面カバー用とアキシオム80だけのカバー用の2つ。

午後は慎重さが要求されるSPユニットの取り付けとSPコードのハンダ付け。ユニットのプラス・マイナス端子を間違えないようにゆっくり慎重に進める。全部で8本のSPユニットの作業にかかった時間ががおよそ2時間。

そこで出来上がったのが次のとおり。

      

フ~、滅多にない重労働だった。裏蓋のネジを全部締め上げてやっと音出しできるようになったのが午後の4時ごろ。およそ半日がかり。

丁度オーディオ仲間のAさんがお見えになったので一緒に試聴してみた。まず全面裏蓋のカバーから開始。     
  

    

SPベースはビールケースが一番相性がいいのだが、アキシオム80の位置が高くなりすぎるので仕方なくほかので代用。

緊張の一瞬だが「あれっ、ちょっとおかしいですね」

「低音はよく出てますが平面的な音になっていて奥行き感がありませんね。いかにも窮屈な印象でもっと伸び伸びと鳴って欲しいところです」

もちろん最初からうまく鳴るとは思っていなかったがそれにしても期待してた音との落差がかなり大きい。ガックリ。

「こうしてみるとウェストミンスターのボックスに容れてたときのアキシオム80の音は素晴らしかったんですね、中域から低域にかけての量感が抜群でした」と厳しい評価のAさん。

とほほ。今さら元のシステムに戻すわけにはいかないし~。

今回の改造の趣旨は

 低域ユニットと中高域ユニットを縦の同軸上に設置することで音象定位の向上を図る

 SPボックスの裏蓋を取り付けることで低域の背後からの回り込みを抑えて量感と分解能を向上させる

ことだったが、改めて「オーディオは理屈どおりにいかない」ことを痛感。やっぱり、オーディオは難し~い。

とはいえ、これまで似たようなことを散々経験してきたのでこのまま泣き寝入りするわけにはいかない。

人生、七転び八起き!

ウェストミンスターの音と比較すると音の立ち上がりや繊細さとかの資質は明らかに上回っていて、たしかな手ごたえを感じる。

さあ、これからが本当の正念場。

そして、ある対策でこの「箸(はし)にも棒にもかからない」音が激変する!

以下、続く。


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オーディオ談義~「二者択一」~

2010年10月24日 | オーディオ談義

前回からの続きだが、冷静になってみると「大手術」なんて題名はいかにも大げさで「いい歳をして」とチョッピリ赤面。そこで表題を変えることに。

さて、19日(火)の午後、タンノイウェストミンスターの低域用アンプが未調整のままの状態でオーディオ・マニアが2名、急にやってくることになったのは既に記したとおり。

「うかつな音」を聴かせるとオーディオ・センスが疑われて「何だ、その程度か」と思われるのが癪の種。長年のオーディオ歴のプライドが許さない。

ン、「プライド」!?

そう、誰もが人生を振り返ってみるとすべてが何らかのプライドにこだわった歴史と言えよう。

早速、M崎さんに泣きついた。「困りました。オーディオマニアが1時半に来ると言ってます。それまでに”01-A”の改造は出来ないものですかね」

「ウン、部品があったから何とか間に合わせてみよう。改造は10分程度で済むから昼食を済ませて12時半頃には着くように行ってみるよ」

「どうもありがとうございます~」

予定通り順調に改造が済むとすぐにM崎さんは帰宅されて、アンプの電源コード、SPコード、信号ケーブルを接続していると玄関のチャイムがピンポ~ン。

まさに滑り込みセ~フ。

N松さんのご友人の方とは初めてなので自己紹介。N島さんという大分市にお住まいの方で真空管アンプを自作されるそうで相当年期が入ったマニアとお見受けした。

ひととおり、システムの説明をして早速改造したばかりのアンプで音出し。

「これがウェストミンスターの音ですか、音象定位がいいですね。」

いろんな曲を聴く中、ソニー・ロリンズの「サキソフォン・コロッサス」〔ジャズ)を聴いてみたが、シンバルの輝きがいまいち。ちょっと鈍すぎる。

タンノイのユニットにシンバルの輝きを求めるのは酷というものだがそれにしてもという感じ。

〔高域専用の)ツィーターが必要かと思ったがM崎さんの言葉をふと思い出した。

「ツィーターが必要だと思うときはむしろ中域に問題があることが多い。まず中域を澄み切った音で出す方向で調整すべきで安易にツィーターを追加しようなんてのは無駄遣いの元だよ」

たしかに高域は中域の延長なので、最終的にツィーターを加えるにしてもまず中域対策に目を向けるのはちゃんと理にかなっている。

そこで、中高域用の2A3の真空管アンプをPX25真空管アンプに交換することにした。お客さんに了解を求めると、逆に大喜びで
「是非、比較して聴いてみたいです」。

10分ほどでそっくり交換後に早速試聴。お客さんから異口同音に「比較して、初めて分かりました。低域とのつながりがずっと良くなった印象です。高域の鮮度が一段と上がりました。断然こちらのほうがいいです」

これは決して2A3の出力菅が悪いということではなくてあくまでも相性の問題としてとらえるべきだろうがそれにしてもアンプの選択は難しい。

最後は不世出の大歌手「美空ひばり」の伝説のライブ録音を試聴。
                                
             

彼女が30代半ばの頃の、声に最も「張りと艶」のある全盛時代に東京厚生年金会館大ホールの公演〔昭和48年1月19日)の模様を録音したもので現在は廃盤の憂き目にあっている代物。

まるで彼女が目前で歌っているような佇まいでその魅力的な歌声に一同、心から聴き惚れた。結局、是非にとせがまれるままお二人に○○○。

「今晩は日本酒を飲みながらしみじみと美空ひばりを聴きます」と喜ばれて帰宅の途につかれたが、「これをご縁によろしく~」と見送った。

こういう具合にウェストミンスターがなかなか健闘中となると、現在改造中の「アキシム80」のシステムとどちらをメインにするか、これはなかなか難しい「二者択一」になりそう。

どちらも一長一短がありそうだ。

その待望の改造済みボックスがもうすぐやってくる。

以下、続く。



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オーディオ談義~「大手術」その2~

2010年10月22日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

18日〔月)のこと。

タンノイ・ウェストミンスターにおよそ4年ぶりにオリジナルユニットを復元したものの、果たして期待した音質で鳴ってくれるかどうかが一番の問題。          

駆動するアンプをどれにするか、ネットワークに使った部品が適正かどうかなど課題が山積している。

はじめに出力菅2A3〔出力3ワット程度)を使ったアンプで鳴らしてみると「そこそこの音」が出てきたが高域はまあいいとして、低域の力感がまるで無い。タメが無くてまるで豆腐に釘を打ち込んだみたい。

そこでアンプを2台使うことにして低域用のアンプに出力菅PX25〔出力6ワット程度)を、高域用に2A3のアンプを振り向けてみたが、それでも低域がまだ不十分。

そこで今度はネットワークの部品に疑惑の眼を向けて、低域の上辺の周波数を遮断するコイルを交換。これもウェスタン製の鉄芯入り。

これで随分よくなった。やっと全体的に音楽鑑賞に堪えうるレベルになった。

これまでタンノイの高域は硬過ぎる、特にヴァイオリンにはちょっと不向きという印象を持っていたのでかなり繊細な響きは意外だった。

しかし、依然として問題は低域である。欲を言うともっと量感が欲しい。折角のバックロードホーンのつくりの効果がまるで発揮されていない。

ドゥッと奔流のように溢れ出てくる音の洪水を小出力の真空管アンプに期待するのはやっぱり無理かなあ~。

そうこうするうちに午後4時ごろに約束どおり家具職人のYさんが加勢人を2名連れてやってきた。

いよいよウェストミンスターの移動開始。重量120kgだから大人4人で持っても一人当たり30kgの計算。

単にずり動かしていくのなら一人でも十分だが、これを持ち上げて所定の位置の高さ8cmほどのSPベース〔楓材)4箇所に乗せるのが難点。因みに床面は振動防止のためコンクリート打ち。

SPコードを巻き込まないように、そして本体を傷つけないようにと毛布をうまく使って10分ほどで無事終了。

           

「いやあ、ありがとうございました。折角なのでコーヒーでも飲みながらちょっと聴いていきませんか?」とお誘いしてみると、
「こういう装置は初めてなので是非聴かせてください」。

選曲は歌謡曲にして「美空ひばり」が歌う「別れの一本杉」。

「普通のテレビなんかで聴く音とは明らかに違いますね。音が太くて大きなホールで聴いてる感じです。」

15分ほどで「次の仕事が待ってますから」と、早々に辞去された後で、ひとしきりいろんな曲を聴いてみたものの、この音質で低域の量感がもっと増えれば文句なしだがなあ・・。

夕食後も釈然としないままにまんじりと聴いてみたが、そのうち眠たくなって早めに就寝。

19日(火)のこと

朝5時頃に起床したときにふと思いついて、「低域用のアンプを真空管から高出力のトランジスターアンプに替えてみたらどうだろうか」。

幸いなことにケンウッドの「01ーA」アンプ〔出力100ワット)の予備を3台持っているのでそのうちの1台を転用することに。

しかし、残念なことに3台とも低域専用に改造してあるため低域の上辺をおよそ200ヘルツ程度に抑えてある。

まあ、とにかく実験のつもりですぐにアンプの交換。これが本当の”朝飯前の仕事”。

聴いてみると随分と低域の力感が増してようやくツボにはまった感じ。このアンプの上限の周波数を200ヘルツから500ヘルツ以上にすると、もっと良くなるとバッチリの手ごたえを感じた。

このアンプの改造主のM崎さんにすぐにでも電話を入れたいところだがまだご就寝中のことなので、9時ごろに電話してみようと辛抱強く待機。

「実はお願いなんですがウェストミンスターの低域用に”01ーA”がピッタリなんで、上限の周波数200ヘルツを700ヘルツ前後に変えてくれませんかね」

「部品があったかな、ちょっと探してみるわ。行けそうだったらまた電話するから」

ところがその後すぐに、つい先日〔13日)我が家にお見えになったN松さんから電話が入った。

「先日聴かせていただいた音をもう一度聴かせて頂けませんか、友人を1名連れて行きたいんですけど」

「あれ~、あいにく先日のシステムはボックスを改造するために業者が引き取っていったばかりです。タンノイのウェストミンスターなら聴けますけど低音の調整がまだ済んでないのでちょっと~」

「ウェストミンスターなら未調整でも結構です。まだ聴いたことがありませんから是非一度聴かせてください。午後の1時半頃にお伺いします」

いささか気が弱いところがあって「強引な押し」に弱いのが自分の欠点(?)。

つい、「それならどうぞ」と返事をしてしまった。初対面の方を連れてこられるとのことだが、何といっても最初の印象が肝心で満足のいかない音を聴かせるわけにもいかないし。

さあ、困ったことになったぞ~。

以下、次回に続く。


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オーディオ談義~「大手術」その1~

2010年10月20日 | オーディオ談義

10月15日(土)から数日がかりで我が家のオーディオの大手術を敢行中。

 タンノイ・ウェストミンスターのボックスにオリジナル・ユニットを復元する。

 ウェストミンスターから取り外した「アキシオム80」を低音ユニット〔口径20cm)4発入りのボックスに取り付ける。

自分の記憶に遺しておく意味で時系列的に振り返ってみた。

15日(土)

午前9時にかねて電話で打ち合わせしておいた家具職人のYさんがご来訪。このYさんは低音ユニット4発入りのボックスを作ってもらった方。

「4本のユニットのうち最上部の1本を外して、その代わりにアキシオム80のユニットを容れることにしたけど、そのままだと他の3本のユニットの背圧をうけて音が悪くなるので、仕切り板と裏蓋を作って欲しいんだけどね」

「へぇ~、オーディオってキリがありませんねぇ~。分かりました。SPボックスを2本とも持ち帰って作業させてください。破損が心配ですからSPユニットも8本すべて取り外しておいてくれませんか。月曜日の午後4時ごろに引き取りに来ます。」

「仕切り板は平行だと定在波が起きるので斜めにするようにね。取り付け位置に鉛筆で線を入れておくから。それとウェストミンスターに元のオリジナルのユニットを容れ直してもっと壁際の奥の方に動かすので人手をよろしく」

「ウェストミンスターはどの位の重さがあるんですか?」

「1本で120Kgだからおよそ大人二人分の重さだね」

「分かりました。従業員を3人集めましょう。それでは月曜のきっかり4時に再度お伺いします」

さあ、それからがSP周りも含めて部屋の片付けに大わらわ。CDケースとか書籍などは隣の部屋に仮住まい。「もぅ~、散らかしまくって」と”カミさん”が怒るが「水曜日頃までにはきちんとするからな」

部屋のスペースをある程度確保したうえで2本のSPボックスをごろりと裏向けに倒して計8本のユニットの取り外し。SPコードもすべてハンダ付けしてあるので熱した鏝を当てて外す。フ~、どうにか一段落して今日はお仕舞い。

さすがに運動ジムに行く気力なし。

16日(日)

さあ、いよいよウェストミンスターから「アキシオム80」を外して本来のオリジナルユニットを取り付ける日。朝から大張り切り。

まず倉庫で4年間ほど眠っていたユニット〔口径38cm)を取り出す。

  

「ゴメンな、ずっと一人ぼっちにさせておいて」。

決して音に不満があったわけではないが、もっといい音になるかもと、ついJBL(130Aユニット)やアキシオム80へと浮気心を起こしてしまった。

ウェストミンスターという重量級のボックスをメーカーの思惑そっちのけで勝手気ままに「骨の髄までしゃぶり尽くしている」のはおそらく世界でも数少ないと思う。

さてウェストミンスターの裏蓋を外すのは結構コツが要る。

およそ20本ほどのネジを外してもピッタリ密着しているので、取っ掛かりがないがネジ孔をうまく利用すれば取れる。この辺は言葉で表現するのはちょっと難しい。

アキシオム80のユニットを取っ払って、いよいよオリジナルユニットの取り付け。こういう日もあろうかと専用のナットとネジだけは几帳面に保管していた。

                

これは裏蓋を閉じる直前の写真だが、ユニット周りの補強材はメーカー指定どおりきちんとネジで締め上げて取り付けないとバックロードホーンの効果が発揮されず低域がやせ細ってしまうので要注意。

それにしても高域、低域ユニットのそれぞれのプラス・マイナス端子にSPコードを直接ハンダ付けするのだから音の鮮度が向上するのは間違いなし。

次がいよいよ肝心のネットワークの接続になるが以下、話がやや専門的になるが悪しからず。

ウェストミンスターは同軸2ウェイ方式で低域ユニットと高域ユニットのクロスオーバーは1000ヘルツ付近となっている。

これが基本中の基本でSPユニットもボックスもこれに応じて設計されている。

タンノイ指定のオリジナルのネットワーク〔SP内臓)は「好みに合わない」ので断線処理して、独自に専用の部品を使うもののこればかりはきちんと踏襲しなければいけない。

    

左の写真がコンデンサーで数値が22μFなので高域部分の下辺の周波数をおよそ900ヘルツ(8Ωのとき)でカットの目論見。

右側の写真はウェスタン製の鉄心入りコイルで低域部分の上辺の周波数をおよそ1000ヘルツ付近でカットする。

このクロスオーバーの値をコイルとコンデンサーを使っていろいろ変えることで音が千変万化するのが面白い。

自分の好みの音に向けて自由自在に調整出来るのがネットワークいじりの最大のメリット。
もちろんチャンネル・デバイダーを使う手もあるが、どうも音が味気なくなるので「好み」に合わない。それに高価すぎる。

とにかく機器のとっかえヒッカエも面白いことはたしかだがお金がかかるのが難点、その点これはかかるお金が少ないうえに効果抜群なのがたまらない。

結局、オーディオの究極の面白さとはこの辺に有るような気がする。

このネットワーク配線後の試聴結果は次回に持越しだが、実は想像以上の困難が待ち受けていた!

結局、この日も運動ジムはさらさら行く気にならずお休み~。


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読書コーナー~「いのちの相場」~

2010年10月18日 | 読書コーナー

今の社会ではあらゆるものがお金に換算できそうな気がするが、さて究極の価値ともいえる人間の「いのち」となるとどのくらいの相場になるものだろうか。

人間の生命を金銭で計ることに対していいしれぬ不快感を覚える人もいるだろうが、いろんな事情たとえば病身の家族やまだ一人前の社会人になっていない子供なんかを遺して「旅立ち」となるとそうも言ってられない気もする。


「いのちの経済学」(2008.4.20、田村祐一郎著、千倉書房刊)
はそういう直視することが、なんとなくためらわれる分野に鋭くメスを入れた本だった。

                                    

結局、現代社会の仕組みの中で否応なく「いのち」の金銭価値を強いられているケースが多いのも仕方のない事実でたとえば「生命保険」なんかはその最たるものだろう。

本書ではその「生命保険」をテーマにさまざま角度から「命とカネをめぐる諸相」を経済学的視点から追求しているが、その中に第3章
「いのちの相場」というのがあった。

人はすべて平等な存在であり、生命の金銭価値に差があって欲しくないというのが人情だが、実際には死亡の場所と時、死に方などによって「いのち」に対してさまざまな評価が下されるのだという。

具体的には、損害賠償や補償という観点から「いのちの相場」の要因として次の5点が挙げられている。(113頁)

 
どこで死ぬか。どこの国民であるか。

 
いつ死ぬか(死亡時刻)、何歳で死ぬか(幼児期、青少年、壮年、老人)。死んだときの経済発展の度合いはどうか。

 
どのように死ぬか。被害者は大勢か、それとも一人または少数か。死因は何か。交通事故・公害・犯罪・自然災害・労災・自殺・病気など

 
被害者はどのような人か。年齢、性別、職業など。

 
相手は誰か。企業かまたは個人か。相手の資力は。相手の保険加入の有無は。相手方の誠意の有無。

結局、「いのちの相場」はほとんど
偶然としかいいようがない要因
で決まってしまうのが実状のようで、実感が湧かないという方が大半だと思うので端的な例を挙げてみよう。

「日本で死んだ外国人」と「外国で死んだ日本人」の違い。

 
日本で死んだ外国人

「神戸新聞夕刊」(1991.3.6)に「高すぎた!?命の代償」という記事がある。それによると、日本で事故死した中国人留学生について「日本公民並み」ということで賠償金2,400万円が払われた。ところが、2,400万円は当時の中国の平均年収400年分に相当し、そのために留学生の妻が帰国するとこの金の分配をめぐって紛争が起きたというのである。

中国の法律では、こうしたケース
の財産継承人は配偶者と子供に加えて被害者の父母らの親族となっている。妻と死んだ留学生の間には6歳になる一人娘がいる。

結局、この妻と被害者の親族の間で分配金の配分率を1/2とするか1/3とするかで大モメしてしまった。結局子供の養育費を除いて1/3とすることで解決を見たが、中国国内の同種死亡事故の場合では〔当時)日本円にして約40万円弱ぐらいだという。

「このくらいの額ならこれほど深刻な問題にならなかったろうに」というのが上海っ子の見方。巨額の補償金の分配の成り行きを見守っていた上海の庶民は「命の値段」の差に驚くやらあきれるやら。

「事故で死ぬなら日本で」なんていう悪い冗談が弁護士の耳に入ったという。

※ 当時から20年ほど経った今の中国では、もはやこういうことはあるまいが。

 外国で死んだ日本人

1988年3月24日、上海の鉄道事故で修学旅行中の高校生27人と引率教諭1人が死亡した。この事故の補償交渉で日本側は一人当たり5,000万円を要求したが、中国側の当初提示額は100万円だった。

中国側は「友好」や「補償額はお互いののめる線で」と強調し日本側の提示額は受け入れられないとした。最終的には死亡した生徒450万円、教諭には数十万円を上積みした額で妥結したという。

日本人には釈然としない金額だろうが中国政府としては精一杯の「誠意」を示した結果この金額で落ち着いた。

文部省では事故の犠牲となった生徒に対し、一人1,400万円の見舞金を支給することを決めたが、遺族の中にはこれを不満として提訴したが高知地裁は棄却した。

以上のケースは、日本と他国の経済発展の度合いが大きく金額の差異に反映されたことによるもので、経済水準の高い日本では賠償額は高く、そうでない国は低くなる。結局どこで死ぬかによっていのちの金額に大きな差の生じることは冷厳な事実。

本書では、ほかにも「大阪人のいのちと東京人のいのち」の項目で、各地裁によって賠償金の算出方法が違うなどの話を興味深く読ませてもらった。

「いのち」の尺度について改めて考えさせられる本だった。

         
  


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オーディオ談義~「音楽の秋=オーディオの秋」~

2010年10月16日 | オーディオ談義

さあ、いよいよ10月も半ばになった。

例年になく猛暑だった夏の火照りがまだ少し残っているとはいえ本格的な秋の到来。

芸術の秋=音楽の秋=オーディオの秋。

人の往来も段々活発になって何だか心楽しくなる。
13日〔水)の午後はいきなり2件の「オーディオ愛好家のご来訪」があった。水曜日は丁度運動ジムの休館日とあって大歓迎。

☆ 13時~15時

不動産会社経営のYさんはずっと羽振りがよくて、大分市の本宅とは別に別府市にも別邸を構えておられ、お金に糸目をつけずに豪華なオーディオ装置をデンと据えて楽しんでおられる。

丁度、我が家からクルマで10分程度のところなのでときどき電話がかかってきて別邸への行き帰りに立ち寄られる。

ただし、自分とは音の好みが違っているのかこれまでいい評価をしてもらったことがない。あれやこれやとズケズケ注文を付けられるのがオチ。

「コーン紙を使ったスピーカーはダメだ」なんて陰口を人づてに聞いたことがあるが、どうも碁敵みたいなものでお互いにライバル心を燃やす間柄。

とはいえブランド機器ではとても敵わずまるで竹槍で近代兵器と立ち向かうようなもの。

今回は友人のNさんと一緒だったが、最初から注文がついて「スーパーウーファーは使わないほうがいいんじゃない」と最初のパンチ。

「そうですか、スイッチを切っておきましょう」と素直に応じて、お客さん優先。

ヴァイオリン、ピアノ、交響曲、ジャズと次から次にかけていくうちに「失敗った。アンプの出力管を交換するのを忘れてた!」と思わず叫び声を上げてしまった。

「アキシオム80」を駆動している真空管アンプの出力菅だが、自分ひとりで聴くときは「テスラのRD25A」を、お客さんが見えたときは、もっと音のいいオリジナルの「GECのPX25」に挿し替えることにしているのについウッカリしていつものテスラを挿したままだった。

早速、出力菅を交換して再度「音出し」。

いきなり、お二方とも異口同音に「おお、音が変わりましたね。いいですねえ!」

とりわけYさんが急にウンとスンとも言わずに熱心に耳を傾けておられる。ようやく「アキシオム80」の魅力の片鱗が分かっていただけたかな?

極め付きはアルフレッド・ハウゼのタンゴの名曲集。リズムの歯切れのよさと適度な量感がこのSPの音質にぴったりマッチしているとのことで大いに盛り上がった。

ご要望を受けてこのタンゴの名曲集を○○○して差し上げると、大喜びされて帰宅の途につかれた。

まずはメデタシ、メデタシ。

☆ 16時20分~17時半

15時半から母〔93歳)が入院している病院で「医療相談員」さんと今後のことについて面談。介護老人を抱えているとたいへんです!

30分間ほどで済んで、自宅に急いで帰った。湯布院のAさんとの約束の時間に滑り込みセーフ。丁度自宅の前で鉢合わせ。

前のお客さんが帰ったばかりなので機器のウォーミングアップが不要なのは助かる。今回試聴用としてAさんがお持ちになったCDは2枚。

     

オーマンディ指揮の「ハーリ・ヤーノシュ」(コダーイ作曲)とルービンシュタイン演奏の「バラード」(ショパン作曲)。

前者は多彩な楽器の登場に聴くべきものがある。

後者は1959年の録音当時のマスターテープから新たにデジタル化した新盤だそうで、旧盤をたまたま持っていたので早速聞き比べ。

新盤のほうが断然レンジが広いのには二人とも驚いた。昔のアナログ時代の演奏でもマスターテープがしっかりしておればデジタル化できちんと現代に蘇ってくれるのはうれしい。

さて、ショパンの「バラード」とくれば現代の大家「キーシン」と骨董的な(?)価値を有する「コルトー」の演奏も欠かせない。

「相変わらずキーシンの演奏には内容がありますね」としみじみ述懐されるが、コルトーのは残念なことに録音が悪い。

コルトーが現在に蘇ってデジタル録音したらどんな印象を受けるだろうかと想像しただけでも楽しくなる。

お帰り際に我が家の今後のオーディオについて相談に乗ってもらった。

現在ウェストミンスターのボックスに容れている「アキシオム80」を低域用のスピーカーボックスの最上部に移し変える大手術の件。

「音象定位の面で抜群によくなるでしょうね。是非試されたらいかがですか。その代わりアキシオムの背後は低音ユニットの背圧を避けるため仕切りと裏蓋をガッチリ固定する必要がありますよ。」

別にお金がかかるわけでもなし、涼しくなって作業もやりやすくなったことだし、一丁やってみっか!


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独り言~「高級酒に変身!」~

2010年10月14日 | 独り言

ブログをやってると実にいいことがある。それはこれまで全然見も知らぬ各地の方とあっさり「メール友だち」になれること。

たとえば京都のKさんをはじめ5名ほどの方たち。

取り分け、奈良県のMさんとはブログの画像を拡大する操作を教えていただいたことから”ご交誼”をいただき、もうかれこれ2年以上もやりとりを続けている。

バッハを愛好されつつ、真空管アンプも自作されるほどの理想的な「音楽とオーディオの両立派」。

現在のアンプは「KT66のプッシュプル」を使用されているそうで、このアンプについてはたいへんいいイメージを持っている。

それはクォード社から販売されているこのアンプが同じイギリス製ということもあってタンノイのSPとたいへん相性がいいこと。

たとえば懇意にしているオーディオ仲間のAさんが
「これまでいろんなところで沢山のタンノイ・オートグラフを試聴させてもらいましたが、一番相性が良かったアンプは何といってもKT66のプッシュプルです。とにかく低域の圧倒的な伸びには舌を巻きました。」と述懐されるほどの逸品。

6と名がつく6族の真空管は「音がいい」と聞いていたので、ずっと以前にオークションでKT66(GEC)を4本購入して10年ほど寝かせておいたが、とうとうアンプ作りを諦めて1年ほど前に当のMさんに引き取っていただいた経緯もある。

爾来、本県特産のカボスを送ったり、義弟の方が営む酒屋さん自家製の「奈良漬」を送ってもらったりと、通り一遍以上のお付合いをさせてもらっている。

今年も我が家の庭に自生するカボスを送付したところ、お返しにといただいたのが「奈良漬」と「吉野杉」で作られた「お銚子セット」。

この「奈良漬」は”カミさん”がいつも大喜びしているもので”本場の味とはこういうものか”と唸るほどの絶品だが、それにもましてありがたかったのがこの木製の
「お銚子セット」。
                              
        

あまりアルコールに強いタイプではないが、晩酌にはウィスキー(マッカラン)か焼酎党で日本酒は滅多に飲まないが肴によってはときどき必要なので紙パック入りの2リットルで1200円程度の手軽なヤツを手元に置いている。

ところがこの安物のお酒を「燗」をして、この銚子に注いで、これまた吉野杉の盃で一杯やると何とこれが
高級酒に変身!

杉の香りがプ~ンときて微妙に酒の匂いと混じりあって絶妙な味わい。口(くち)当たりが良くて、もう底知れぬ大酒飲みに変身してしまいそう。

あまりに気に入ったので図に乗って追加要望したところ、さらに2セット頂いたがこれは十数年前の製品らしく「もはやこれ以上の入手は困難です」とのこと。

詳細に伺ってみると、 「その昔・・、日本酒はすべて樽酒でした。江戸期から明治末期頃まで清酒は杉の大樽に詰められて江戸へと出荷されていました。酒樽材として最高と言われるのは”樹齢80年の吉野杉”の甲付材です。」

フ~ム、「吉野杉」恐るべし!

なお、現在でも吉野杉の樽酒(ビン詰めで販売)なら入手可能だそうで、これは一度注文してみなくてはなるまい。

もちろん非売品の「奈良漬」も併せてGETの予定で代金は当然”カミさん”払いの魂胆~。

一石二鳥とはこのことか!
 


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オーディオ談義~「オルトフォン社のイヤフォン」第2弾~

2010年10月12日 | オーディオ談義

「ブログの更新」がちょっと途絶えたりすると大阪で一人暮らしをしている娘から心配して電話がかかってくる。

どうやら父親の健康状態を推し量るバロメーターにしているようだが、もちろん自分のほうからも「悪い虫」(?)がくっ付いていないかどうか探りを入れるつもりでちょくちょく電話をしている。

10日〔日〕の夜のこと、1週間ぶりに電話を入れてみると相変わらず屈託が無くて悩みも無さそうでひと安心。

「お父さん、つい先日のブログに載ってたオルトフォン社のイヤフォンだけど音質のほうはどんな具合?」

         

「うん、聴けば聴くほど良くなってくるみたいだな。初めのころは高い方の音がキンキンしてうるさかったが、随分と自然な響きになってきてるね。音の粒立ちが良くて音楽が上質になった感じ。もうとても以前のイヤフォンには戻れないな。」

「イヤフォンで2万円を越えるとなると、ちょっとためらうけど今度の給料日に自分への褒美のつもりで買おうかな~。今のイヤフォンは耳の穴に大きすぎてピタリとフィットしないのよね、音もいまいちだし」

「その点はオルトフォンのは大丈夫。耳の穴に応じて”L,M,S”と3つのイヤチップが用意されている。是非薦めるね。もし買うのならネットで購入するのが一番安いだろうが、別府とは違って大阪ならいくらでも安い店があるだろう」

「9月の下旬に帰省したときに聴かせてもらったキーシンのショパンがすごく良くてね~、やっとクラシックが好きになりそう。とうとうこちらでキーシンのCDを買ったよ。ショパンのポロネーズをオルトフォンのイヤフォンで聴いてみたくって」

「キーシンは本物だね。お父さんのオーディオ仲間たちもみんな絶賛してるよ。ショパンを聴き込んだらそのうちモーツァルトのピアノ・ソナタも聴いて欲しいね。名演を沢山持ってるから○○○してあげるよ」

さて、オルトフォン社のイヤフォンを購入して1週間あまり、毎日のように運動ジムで聴いているが想像以上に音が随分とこなれてきた。

当初は高域がうるさ過ぎて「iPod」のイコライザー設定をオンにして「ディープ」〔低域部分を増幅)で聴いていたが、2日ほど前からイコライザーをオフにしても十分聴けるようになった。

やはり「iPod」といえども通常のオーディオと同じでイコライザーみたいな補正回路は使わないに越したことはないようで、明らかに音がたいへんナチュラルになる。

もちろんいい材料を使った上での条件付だが回路はやっぱり「シンプル・イズ・ベスト」に限る。

ところで話はまったく変わるが、現在応募している音楽ブログランキングの
「ボーダーレスミュージック」で上位を占めている「クラシック音楽MP3・楽譜ダウンロード」さんにはこれからたいへんお世話になりそう。

50年以上前の演奏は著作権が切れて自由にダウンロードが出来るそうで、曲目一覧の中から試しに「パガニーニの主題による狂詩曲」(ラフマニノフ)をダウンロードしたところ自動的に「iTunes」に取り込まれていた。

こうなるとCDへのコピーも自由自在となって、たいへん便利なことこの上ない。非常にありがたいことです~。

いつぞやのブログにも登載したことがあるが
「音楽がタダになる日」が着々と近づいていることを実感する!


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独り言~「ちょっぴり気になる話」~

2010年10月10日 | 独り言

つい先日の運動ジムでのこと。

ただ挨拶を交す程度でお互いに名前も知らぬ間柄、そう、年の頃は75歳前後のなかなか人品卑しからぬ方から
「ちょっとこれを読んでいただけませんか」と渡されたのが二枚のA4大のペーパー。

いきなりの話なので「いい内容が書いてあるので読んで欲しいということですか?」と確認すると
「はい、そうです」とおっしゃる。どうも沢山コピーしていろんな方に手当たり次第に配っている様子。

自宅に持ち帰って見てみると、10月4日〔月)付けの産経新聞の朝刊のコラム。見出しは
「日本よ~尖閣、国家としての試練~」とある。

あの中国漁船の体当たり事件で船長を釈放してから、対中関係について”かまびすしい”が、保守的な論調で知られる「産経新聞」と書き手が「石原慎太郎」氏とくればおよそ書いてあることの中身は推測できる。

一読してみると案の定で、
「尖閣諸島は日本固有の領土。しかし、中国と対峙するにしても肝心のアメリカは頼りにならない。改めて日本の国防の意義が問い直される試練の時代といった調子。

さすがに「核武装」までの言及はないが、こういう考えに共鳴してわざわざコピーを配布する人がいるくらいだから同感する方が意外と多いかもしれない。

実を言うと自分もそうで今回の「船長の釈放」にあたり中国の恫喝に屈したという思いがずっと拭えず、愛国心に冷や水を差された気分だが、最大の貿易相手国なのでこの不景気の中、やむを得ない措置だったのかもと慰めている


ところが、つい最近の明るいニュースとしてノーベル化学賞に日本人2名が選ばれたことにより「ざまあみろ、中国人の受賞者なんてほとんどおるまいが!」とひそかに快哉を叫んだ一人。

※ 8日にノーベル平和賞が中国人に決定したが、これが何と獄中にいる民主活動家。中国政府の困惑と怒り心頭ぶりが目に見えるようでこれまた”ざまあみろ”。

とは言いつつも「これからの日中関係」について、中国とどういうお付き合いをしていけばいいのか、これはたしかに大問題である。

「一介の市井の徒」がこんな大それたことを心配しても詮無いことだが、現役時代に仕事がらみで外務省の元事務次官T氏の講演を聴いたことがある。

その中で
「日中外交は日米外交です」なんて禅問答みたいなことを言ってた。

これは「中国と交渉するときは常にアメリカの出方を意識しておく、一方、アメリカと交渉するときは常に中国の出方を意識しておく」という意味。

「日本はいずれアメリカと中国のどちらかを選択すべき時代がやってくる」とズバリ述べた著書がある。

それは
「文明の衝突と21世紀の日本」

                   

著者は名著「文明の衝突」の中で”イスラムの脅威”を指摘し、後の「同時多発テロ」を見事に予言したことで知られるサミュエル・フィリップス・ハンチントン氏。(1927~2008:元ハーバード大教授)

「日本は中国の台頭とアメリカの超大国としての地位を見比べながらはじめの方は選択そのものを避ける。そしてアメリカが最終的に唯一の超大国としての支配的な地位を失いそうだと思えば、日本は中国と手を結ぶ可能性が高い」。

ハンチントン氏はずっとホワイトハウスのブレーンだったのでこれはアメリカの外交当局者の大方の見解と考えてよかろう。

近隣の中国は日本にとって今のところは「悪しき隣人」だが、いずれ「良き隣人」に変わってくれるのだろうか、あるいは日本が次第に呑み込まれていくのだろうか。

どうせずっと先のことなのでそのときはもうこの世には既にオサラバだが
”ちょっぴり”気になる話ではある。



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読書コーナー~「宰相と怪妻・猛妻・女傑の戦後史」~

2010年10月08日 | 健康コーナー

小学生との問答でもないが「日本で一番偉い人は?」という問いに対して返ってくる答えはおそらく「内閣総理大臣」だろう。

「実力」とか「運」とかがどの程度交錯するかは定かではないが間違いなく限られた人間しか就くことの出来ない最高のポスト。

本人の努力(?)ももちろんさることながら、その伴侶たるやどういう方が多いのだろうか。

たとえば現首相の管さんの妻「伸子さん」は学歴も良くて〔津田塾卒~早稲田卒)頭もよさそうだし、弁もたつようで著書の売れ行きも絶好調、どうやら近年になく出色の方のようである。

                       

さてそこで、歴代の総理大臣の伴侶とはどういう方が多いのだろうか。

「宰相と怪妻・猛妻・女傑の戦後史」~政治の裏に女の力あり~(2007年7月15日、著者:小林吉弥、大和書房刊)


                        

本書は、戦後の宰相「吉田茂」氏からつい3年前に辞職した「安倍晋三」氏まで21名の宰相の妻の”出自、人間性”などに焦点を当てながら、夫を政界の頂点にに押し上げたファーストレディたちの
「内助の功」
を記載したユニークな本でたいへん面白く読ませてもらった。

彼女たちは賢妻、怪妻、快妻、猛女、女傑、女帝などいろんなタイプに分けられるが、読者の独自の視点で判断できるように著者の約40年にわたって永田町を取材した経験をもとに微に入り細に亘って書かれているのが本書の特色。

ざっと紹介すると次のとおり。

吉田茂 「ワンマン宰相と二人妻」

鳩山一郎 「名門宰相と才色兼備夫人」 

岸信介 「昭和の妖怪首相と亭主操縦型女房」

池田勇人 「高度成長宰相とド根性姉御妻」

佐藤栄作 「最長不倒宰相と自由闊達妻」 

田中角栄 「今太閤宰相と八歳年上妻」

三木武夫 「バルカン宰相と女丈夫妻」

福田赳夫 「王道宰相とハラのすわりピカ一女房」

大平正芳 「哲人宰相と貞淑妻」

鈴木善幸 「大穴宰相と台所女房」

中曽根康弘 「風見鶏宰相と忍耐妻」

竹下登 「したたか宰相と度胸一番女房」

海部俊樹 「レンタル宰相とコウセイ夫人」

宮沢喜一 「秀才宰相と才媛妻」

細川護ひろ 「殿様宰相と活発妻」

村山富一 「歴史的宰相と糟糠の妻」

橋本竜太郎 「美男宰相と聞き流し名人妻」

小渕恵三 「凡人宰相とおおらか妻」

森喜朗 「密室選出宰相と気丈妻」

小泉純一郎 「独裁宰相とお嬢さん妻」

安倍晋三 「二人三脚宰相とセレブ妻」

共通しているのは

 激しい恋愛婚というのは少ない

 意外にも名門、財閥系出身が少ない

 気丈で度胸がすわった姉御肌が多い

ということで特に最後の「姉御肌
はほとんど当てはまる」そうだ。

「旦那が女房に似てきたのか」、あるいは「女房が旦那に似たのか」、それとも「そもそも似た者同士が一緒になった」のだろうか。
 


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オーディオ談義~「オルトフォン社のイヤフォン」~

2010年10月05日 | オーディオ談義

「オルトフォン」(デンマーク)。

往年のレコードファンならこの言葉を聞いただけで思わず胸が震えるに違いあるまい。

少なくともこの自分がそうで、フォノ・カートリッジの遍歴ではグレースのFー8L,デンオンのDLー103,エラックのSTSー455Eそして最後に行き着いたのがオルトフォンのSPUーGEだった。

とにかく低域から高域まで過不足なく再生できる「グッドバランス」の上に音楽性が抜群だった。五味康祐さんの著書の中にも作家の「安岡章太郎」さんが
「五味よ、オルトフォンはええなあ~」という行(くだり)があったほどで巷でも評判が良かったことを覚えている。

現在ではレコード・プレーヤーは既に処分して手元に無いが、このSPUーGEだけはあまりにも印象が強烈で、愛着があっただけにいまだに手放す気になれず、まったく使う機会がないものの常に目に触れるところにおいている。

                

この堅牢かつ優美なカートリッジを見ていると、ついフルトヴェングラーが指揮する「第九」、オイストラフ・トリオの「大公トリオ」、ワルター指揮の「田園」といった名曲たちが次から次に髣髴〔ほうふつ〕として蘇ってくる。

あの20~30代当時の音楽に深く傾倒した「感性」がつくづく懐かしい。
今にして言えると思うが、どんなに高級なオーディオ装置だってこの「瑞々しい感性」にはとても太刀打ちできない!

さて、そんな印象を持つ「オルトフォン社」から高級イヤフォンが発売されているという情報が入った。

教えてくれたのは高校時代の同窓のメール友だち。

イヤフォンといえばオーディオ愛好家にとっては無縁な存在だと思うが自分の場合、毎日運動ジムに通ってエアロバイクを使用する際にポピュラー、歌謡曲を30分ほど「iPodクラシック」(160GB)で聴いている。

もちろん使用しているイヤフォンはiPodを購入したときに付属していたヤツで価格にすると1,200円前後だろうか 。

まあ、所詮は「iPod」なので手軽さにメリットがあるだけで音質にそれほど期待しているわけでもなし、別段不満を抱いていたわけでもないが、こうやってオルトフォン社のイヤフォンがあると聞かされると、やっぱりオーディオ・マインドが刺激される。

毎日のように行く運動ジムが今以上に楽しみになればそれに越したことはない。

イヤフォンの型番は
「eーQ7」で標準価格29,400円なり。ネットの最安値価格は22,800円で現在使っているイヤフォンのおよそ20倍の価格だが、さてそれだけの値打ちがあるかどうか、こればかりは聴いてみなくては分からない。

オーディオには常に博打が欠かせないのはよ~く分かっている。思い切って注文することにした。              

到着したのは10月3日〔日)の午後4時ごろ。

なかなか洒落たパッケージに感心していると目に飛び込んでくるのがイヤフォン本体。
非常にスタイリッシュなデザインはさすがにオルトフォン。アルミ削り出しによる筐体は先端ほど太くなっており渋いレッドの光沢が高級感を醸し出す。

                       

早速、日本語と英語の両方で書かれた取り説に目を通した。まあイヤフォンだから取立てて難しい操作も無いわけだが、各人の耳の大きさに応じてL、M、Sとシリコンラバーのイヤーチップが準備されているのは助かる。

ここで、「eーQ7」の基本スペックを確認しておこう。

新設計の一磁極型の大型ドライバー(バランスド・アーマーチュア)が採用されている。

ケーブルには、同社が高品位オーディオケーブル製造で培った技術が投入され、線材に高級銀メッキ4N無酸素銅、編糸シースを取り入れたダブルシールドによりノイズを抑えているという。

広い周波数特性の実現と優れたノイズ対策の両方に、力を入れており、高級機でもなかなか珍しい交換式の耳垢防止フィルターが搭載されているとのこと。

さて、肝心の試聴結果に移ろう。

いつものボリュームで何の気なしに聴き出したところ大音量が耳の中で炸裂してびっくり仰天。このまま聴くと間違いなく鼓膜がどうかなりそうで、あわててボリュームを抑えた。このイヤフォンは物凄く能率がいいので要注意。

音質のほうは、高域が伸びすぎてややうるさく感じるほどですぐにエージングが必要だと感じたが、1時間ほど連続して聴いていると随分聴きやすくなった。それにイヤチップによっても音質が変わり、自分にはMサイズよりもSサイズのほうが良かった。

これまでのイヤフォンと比較すると、平面的な音だったのが明らかに高い透明感と奥行き感のある音になり、空間の表現力にも秀で、たしかに楽器の音色も違っていて向上したのは間違いなし。

とはいえ、この”ハイ上がりの音質”は何とかならないものか。

もっとも、すべてのイヤフォンに共通する中域から低域にかけての量感不足については期待するほうがおかしいのかもしれない。

やっぱり、ジャズもクラシックも本格的に鑑賞するにはイマイチで歌謡曲、ポピュラー向きと心得ていたほうが良さそう。

イヤフォンの限界を感じたが、これからのエージングにちょっぴり期待したいところ。

ところで話は変わるが、ネットで注文するオーデイオ製品は常に月曜日に注文して”カミさん”が不在の平日に届くようにしている。長年の経験でなるべく刺激しないに越したことはない。

今回もわざわざ月曜日に注文したのに在庫不足のせいか自宅に着いたのは何と最悪の日曜日の午後。

「代引き」購入なので事前にお金をきっちり準備して玄関先で時間をおかずに素早く処理したのに目ざとい”カミさん”が早速気付いた。


「何か買ったん?」「ウン、小荷物さ」「フ~ン、小荷物か大荷物か知らないけど」「いや、安物のイヤフォンだから小荷物さ」

結構、これでも気苦労してるんですよねえ~!



 


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独り言~「深追いしない」~

2010年10月02日 | 独り言

玄侑宗久(げんゆう そうきゅう:僧侶、芥川賞受賞作家)氏の「サンショウウオの明るい禅」(海竜社刊)を読んでいたら、「深追いしない」という項目立てがあった。

                 

その趣旨は、「"深追いしない"
ということは、諦めるということではなくて、事をなすには最も適した時があるので、大人はその時をあわてず待つ」というものだった。

仏教的にいえば
「判断停止」ということだそうだ。

しかし、これは言うは易いが実行はなかなか難しい。

たとえば自分の場合だと20~30代にかけてそれはもう、欲しくて欲しくてたまらないオーディオ機器があったが、残念なことに安月給の身でおいそれと簡単に手に入る代物ではない。


こういうときにあっさり「判断停止」ができると良かったのだが、それもかなわず結局、手の届く範囲の中途半端な機器で間に合わせてしまい、以後、クセになって入れ替わり立ち代り2~3年おきの購入と下取りの連続となってしまった。

それはそれで結構楽しかったが、今になって振り返ってみると随分と無駄に近い投資の繰り返しだったと悔やまれる。

どうせ50歩100歩、似たり寄ったりの結果なのであのときのお金を貯めて後年、ドカ~ンと一気に投資すればたいへん効率的だったのにとつくづく思う。まあ、結果論だが。

それはともかく、「深追い」という言葉はいろんなイメージを膨らませてくれる。一般的な意味としては「未練を断ち切れずにどこまでも追いかける」と解していいだろう。

広辞苑では「深く追求すること」とあり、わざわざ括弧書きで、多く、度を過ごしてするときにいうとある。「深追いは危険だ」
ということわざも添えてある。

深追いする対象もいろいろありそうだ。良い方のイメージとしてはいろんな技術開発はまずもって研究者が深追いしたことによる成果だろう。文明の発展は「深追い」を抜きにしては語れない。

ところが、人間を深追いした場合はどうだろうか。「深追いは危険」の適用はこのことかもしれない。

たとえば、情と名がつく義理人情、愛情、友情、親愛の情、広義の意味で信用もこれに入るかもしれない。いずれも人の心が絡んでいる。

ある脳科学者によると世の中で「人の心を読む」ほど難しいものはないそうだ。

これらの「情」を深追いする場合の一番の特徴は、まず採算が度外視されてお金が尺度にならないことだろう。「人の心はお金で買えない」とあるように理屈や理性抜きの世界。

よくニュースなどで男女間の別れ話のもつれから、ストーカー行為とか刃傷沙汰など数え切れないほど報道されているのがその証明。まさに「愛と憎しみは紙一重」。

大半が女性の方が被害者である。ということは男性の方が深追いしがちな傾向にあるのだろうか。良い、悪いは別にして情熱の持続性や冒険心がより強いのかもしれない。

ほら、
「女心(おんなごころ)と秋〔飽き〕の空」という言葉もあるでしょう。

とにかく情に対する深追いは要注意だが、リアルな裸の人間味も垣間見えて情緒っぽい面もあるのでこの世から一掃されるのも何だか味気なし。

「熱願冷諦」という言葉がある。その意は、求めるときはひたむきに求めてやまないが、どうしても許されぬとさとると「そうかい、それならそれでよろしい」ときっぱり思い切ることだそうだ。

なかなかの境地でこれだと世の中、万事波乱なくうまく回りそうだが、いさぎよく諦めるのはいいとしても、そもそも加齢とともに「ひたむきに求める」ものが随分と少なくなってくるのも何だか淋しい。


昔はあれもこれもと随分欲しかったオーディオ機器が最近はトンと脳裡に浮かんでこない。

何とか「冷願冷諦」にはなりたくないものだが。

 


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