「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

オーディオ談義~「正しい音」と「好きな音」

2010年05月31日 | オーディオ談義

先日のテレビで映画女優の「小雪」がインタヴューに答えていた。

別に好みのタイプでもないが、何とはなしに観ていたところ、「どんな男性に心を魅かれますか?」という問いに対して「人生を楽しんで生きてる人」と言ってた。

フ~ン、今さら「小雪」姐さんに気に入ってもらおうなんて夢にも思わないが、これは簡単そうで実はなかなか難しい。人生なんて自分の意に添わないことの連続劇みたいなもので常に不機嫌状態にあるのが当たり前。

そういう心境を超越して「人生を楽しんでいる、あるいは楽しそうに謳歌している」人を見るのは気持ちがいいし、傍から見ていてこちらまで何だか楽しくなる。

つい先日のブログでお節介にも「才能も知恵も努力も業績も身持ちも忠誠も、すべてを引っくるめたところで、ただ可愛気があるという奴には叶わない。~谷沢永一「人間通」(新潮選書)~」と紹介した。

「可愛気」とは、ひとつには「人生を楽しむ様子」から生まれて来るのかもしれないなんて思ったりした。

そういうわけで「つい近視眼的で神経質になりがちなオーディオの世界だが、おおらかな気持ちで楽しまねば」。

もちろん、これ、自戒の言葉。

さて、オーディオはいろいろ言ってみてもつまるところ「好きな音楽を好きな音で聴いて楽しむ趣味」。騒音などでご近所に迷惑をかけない限り、他人がとやかく言う筋合いのものではないが、それでも物事には万事、「正道」というものがある。

オーディオの場合では「正しい音」となる。

もちろん、「音に正しいも、へちまもあるもんかい」という方がいてもちっとも不思議ではないが「正しい音」と自分の「好きな音」との差を日頃から客観的に意識しておくことは結構有意義なことではないかと思うのである。

さて、「正しい音」とは感覚的には分かるが言葉として表現するとなるとなかなか難しい。浅学菲才の自分のボキャブラリーではとても手に負えないので専門家のご意見を借用させてもらおう。

「オーディオ テクネ」という会社がずっと以前、何かの雑誌に記載していたのを見て感心し、メモっていたのが手元にある。

題して
「原音に近づく正しい音とは」。

 ボリュームを上げてもうるさくない音で会話が楽にできる。

 音は前には出ない。後方に広がり自然に消える。

 音像は左右後方に定位し、左右フラットに定位しない。(奥行き感のこと)

 小さな音でも明瞭度が下がらない。

 スピーカーの近くでも離れても後方でも音質、音圧の変化をあまり感じない(音は波紋である)

6 音は思っている程、迫力、パワー感のあるものではない。

 視聴上、歪(物理特性ではない)が小さくなると音像が下がり、音階、楽器の音色が正しくなる。

 長時間聴いても疲れない。連室でも音が邪魔にならない。

そのまま鵜呑みにするのもどうかと思うが、これまでのオーディオ経験を通じて、いま読んでもひとつひとつ考えさせられることばかり。特に5の
「音は波紋である」は思い当たる節がある。

いつぞやのブログに載せたように、2000人ほどを収容する大ホールで弾かれたストラディヴァリ(ヴァイオリンの名器)の小さな音が客席の奥まで伝わるのは音が
きれいな形の波紋を描いているからで、直接音とホールの壁に当たって跳ね返った間接音とがうまく重なり合って遠くまで響いていくのに対し、ダメなヴァイオリンの音がなぜ伝わらないのかといえば波紋がいびつな形なので直接音と間接音とがうまく重なり合わず途中で打ち消しあっているからなのだと勝手に思うのだが、果たして真相はどうだろうか。

ただし、オーディオ愛好家が「正しい音」にアプローチするとき、これらの項目を順番に個別撃破とはいかないところがちょっとつらいところ。つまり8項目すべてが連動しあっているので完勝となるととても難しい。

もちろん、これは完璧を期した場合での話で、日本全国を見回しても、こういう完全無欠の音を出しておられる方は、部屋にも機器にも恵まれたおそらくほんの一握りの方だけだろう。

程度の差こそあれ、それぞれ個人ごとに一長一短の音で聴いているのは間違いなし。なにせ耳の形から聴覚、さらには脳の回路まで個人ごとに千差万別なので「好きな音」なんか違っていて当たり前。

かくいう自分も、その例にもれず完全無欠の音に程遠いながらもせめて日頃聴いている音に何がしかのプライオリティ(優先権)を設けて自己満足を図っているのがせいぜい。

しかし「正しい音」「好きな音」の差が年々縮まっているといいのだが、逆に離れているかもしれず、あまり自信がないが、まあいっか~。

 


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オーディオ談義~「音の奥行き感」~

2010年05月28日 | オーディオ談義

最近、新しい出力分配器の購入によって、見違えるほど音の鮮度が上がった我が家のシステム。

                                                       

ついつい、うれしいときは誰かに聴いてもらいたくなるのが自分の悪い(?)クセ。もちろん誰かといっても、来ていただく人は決まっている。

湯布院のA永さん。

もう10年以上もこういった交流が続いている。もちろん、A永さん宅の装置が変わったときは自分もすぐに駆け付けるが割合から言うと「1:5」くらいで我が家に来ていただくことのほうが圧倒的に多い。

オーディオ愛好家とは、ただ機器とにらめっこしている「音キチ」というイメージが強いが、実は人との交流がたいへん
大きな意味を持っていて、自分の装置に対する率直な批評を聞かせてもらったり、あるいは他人の装置を聴くことによって初めて進歩が生まれると考えている。

さて、その良きアドバイザーが24日(月)の午後お見えになったが、聴いていただいたときの第一声が
「透明度が上がりましたねえ~」。

そう、そう、鮮度よりも「透明度」という言葉のほうがずっと的確な表現。自分の場合、音質へのこだわりにあたって重視しているのはまず、楽器の音色がそれらしく鳴るということと、「奥行き感」の二つ。

前者の場合、ヴァイオリンはヴァイオリンらしい音色、ピアノはピアノらしい音色、というわけでこれは
「原音再生」にも大きくかかわってくる。

これはすべてのオーディオ愛好家にとって共通かつ永遠のテーマともいえるが、自分は「生の音楽会なんてどうせ拙い演奏に決まっているので聴きに行かない」という偏屈人間なので、原音そのものに疎い可能性もあり、あまり大きなことは言えない。

そして、
「奥行き感」こそは絶対譲れない線。

これは自分なりに表現させてもらうと各楽器相互の演奏されている位置が立体的に再現されるという意味。

たとえばヴァイオリンの後ろに管楽器が控え、さらにその後ろにティンパニーといった
前後の位置関係がきっちり出てくることがポイント。

この「奥行き感」は音の「透明度」が上がれば上がるほどより的確に表現されてくるが、もちろん位相の合致とかいろんな要素を含んでいるのでこれも一筋縄ではいかない。

とにかく増幅装置でもないこの程度の分配器、しかも小額の投資でこんなに透明度が上がるのだから貧乏性の自分にはこういうのが一番うれしい。A永さんも早速注文するとのことだった。

さて、今回の試聴に使った曲目はマリア・カラスの超絶技巧を駆使した「歌に生き、恋に生き~歌劇”トスカ”より~」。

                      

いやあ、たまにマリア・カラス(ソプラノ)を聴くと感情移入が素晴らしくて圧倒されるばかり。この歌唱を聴いて感動しない人はクラシックを語る資格なし!

カラスの前にも後にもカラスなし、これはもう永遠の歌手といっていい。A永さんに言わせるとソプラノではカラスがダントツで次がテバルディ、後は十把ひとからげだそうだ。

テノールではあの「デル・モナコ」で決まりとのことで、元首相でオペラ好きの小泉さんも百年に一度出るか出ないかの歌手だと本に書いてた。

自分も同じような意見だが、ミレルラ・フレーニ(ソプラノ)の柔らかい声も好き。「私の名はミミ~歌劇”ボエーム”より~」なんか聴いてるとウットリ陶然としてくる。

ともあれ、ヴァイオリンやピアノもいいが、プロの鍛えられた美声を聴くと、これはもう最高の楽器かもしれないなんて思う。オーディオ装置でいえばスピーカー。

丁度、声帯がSPユニットにあたり、ボックスが肺を含めた身体全体に当たると思えばピタリと符号する。


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音楽談義~「指揮者や演奏家によって音楽はどう変わる?」~

2010年05月26日 | 音楽談義

鳩山首相の迷走が続いている。東大を出てスタンフォード大へ留学したほどの秀才なんだから、もっとしっかりしてもらわなくちゃあ~。

しかし、秀才が政治の世界であまり当てにならないのは何も日本ばかりではない。

ハーバード出身の優秀な人材で要所を固めたケネディ政権が人心の掌握を怠り、先行きを読めなかったばかりにベトナム戦争の泥沼に引き摺りこまれた史実はまだ記憶に新しい。

この経過は
ハルバースタム(アメリカ)の名著「ベスト&ブライテスト」に詳しいが、この表題の意味は「最良のもっとも聡明な人々」。

本書では淡淡とした筆致で克明に事実を追いかけるだけだが「最良の最も聡明な人々」の愚行に対して怒りと哀しみがまるで通奏低音
のように全編を流れているのを感じる。

余計な話はこのくらいにして、本題に。

「知ってるようで知らない指揮者おもしろ雑学事典」(2006.6.20、著者近藤憲一、ヤマハミュージックメディア)

を参考に指揮者や演奏家の違いによって音楽はどう変わるか?」について一考察。

                       

同じ曲目でも指揮者や演奏家によって音楽の印象が随分変わるのは周知のとおり。

自分などは大好きなオペラ「魔笛」(モーツァルト)を人から笑われてしまうほど持っている(43セット)が、それぞれに天と地ほどと言ってもいいほど演奏に差があり、遺された楽譜はたった一つなのにどこにそんなに勝手に変えられる余地があるのかといつも思う。

さて、そこで指揮者の思惑でどこがどう変わるのか、具体的に”運命”の副題で有名なベートーヴェン作曲”交響曲第5番ハ短調”を実例に挙げてみよう。

サンプルは独裁者の異名をとるマエストロ(巨匠)”トスカニーニ”と超感度の耳を持つ鬼才”ブ-レーズ”の演奏。

”運命”は第一楽章の冒頭、あの有名な動機「ダ、ダ、ダ、ダーン」が重要箇所になっており、どのくらいのテンポにするかで全体の演奏時間や印象が決まってしまう。

この最初に二度繰り返される動機をトスカニーニ(NBC交響楽団、1952年録音)はわずか4秒。一方ブーレーズ(ニュー・フィルハーモニア管弦楽団、68年録音)は9秒で演奏している。トスカニーニが歯切れよく軽快に提示するのに対して、ブーレーズは重々しく厳かに長く伸ばす。

その結果、4楽章全体の演奏時間はトスカニーニが30分11秒、ブーレーズは38分30秒となり何と8分19秒も違っている。

面白いのは、ゆるやかなテンポの第2楽章(アンダンテ・コン・モート)の演奏時間は二人とも約14分と同じなこと。つまり全体の演奏時間の長さは三つの早いテンポのアレグロ楽章の違いから生まれている。

もし本家本元のベートーヴェンが現在も生きていたら、どちらの演奏の方が自分の意図に沿ったものか明解に答えを出してくれるのだが亡くなっている以上、永遠に正解が分からないまま。

トスカニーニは軽快だが力強くたぎるような情熱をこめて果敢に運命に挑戦する人の姿を、一方前衛的なブーレーズは情熱を抑えて知的に、音楽をピラミッドのように冷静に組み上げていく建築家の仕事のような趣。

もちろん、テンポだけで演奏の性格が決められるのではなく、リズム、ダイナミックス、フレージングなどが総合されて全体が創られていくわけだが、基本となるのは結局
指揮者がその作品の何を伝えたいかという解釈次第ということになる


文学、絵画、彫刻などと違って音楽は間接芸術なので、指揮者(演奏家)が間に入るだけ、つまり演奏の数だけ作品がある。これがいいことなのか、悪いことなのか判断はつかないが、これはコピーとはまったく違う種類のもので音楽だけが持つ特徴。

さらに、これらの演奏の違いに加えて往時の録音技術による音質などが密接に絡んでくるので、家庭で音楽鑑賞に没頭する人間にとっては「どういう演奏を択ぶか」選択肢が多すぎてたいへん。

自分の場合はネットなどで日頃から評判を調べたり知人からのクチコミを拠りどころにしてCDを選んでいるが
、大方のところでは昔から「名盤」と称されて定評があるものは聴いてみてあまり期待を裏切られたことがない。

音楽の世界でも最大公約数的なものが通用するとは不思議な気もするが、オーディオの世界でも定評のある機器、部品はあまりハズレがないのと同様。

なお、加齢によって自分自身で好みの演奏が変わってくるケースがある。

たとえばベート-ヴェンの後期のピアノ・ソナタ(作品109~111)は名曲中の名曲とされるが以前はバックハウス以外の演奏はまったく受け付けなかったが、近年では内田光子さんの演奏ばかり手が伸びる。

                      

取り分け作品109は白眉だが、録音が抜群にいいのも大きな魅力。さすがにフィリップス・レーベルだけのことはある。

と、ここまで書いて明日の投稿の準備を終えた(25日・16:45)途端に、高校時代の同窓のU都君からメールが入ってきて8千万円クラスのオーディオ装置が見たければ次のサイトを覗いてごらんとあった。

44枚のスゴイ画像が入っているが、興味のある方はどうぞ~。

とにかく、上には上があるもんです!

http://picasaweb.google.co.jp/mgoto.da2/Aristocrat20100510#5470768175259417762

 


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健康コーナー~「寿命の予測」~

2010年05月20日 | 健康コーナー

プロ野球の交流戦(2010.5.18~19)で巨人が日本ハムにあえなく2連敗。初戦などは5失策と散々。

大の巨人ファンのカミサンなどは「最下位のチームに負けるなんて」とカンカンに怒っているが、ちょっと”したり顔”してその理由を教えてやった。

「札幌には選手たちの贔屓スジが沢山いてススキノ界隈を夜遅くまで遊んで回るから体調不良が原因さ」。「ナールホド」と珍しく頷いてくれた。

調子に乗って「ほら、北国の女性は色白でもち肌というからな」と口が滑ったところ、すごい目つきで睨まれてしまった。

閑話休題。(ソレはさておき)

ひところは「ガン」と聞いただけで「もうお終いか~」というイメージがあったものだが、今では沢山の方が適切な治療で無事生還を果たしているのはまことに喜ばしい限り。身近にそういう事例を数多く体験する。

先日の午後、運動ジムで久しぶりに出会ったご夫婦。

「やあ、お珍しい。どうされてましたか?」

「それが、まあ、二人ともガンに罹ってしまって~。私は胃ガン、主人は肺ガンです。ようやく直って3年ぶりに運動しに来ました。」

昔なら、ガンともなるとヒソヒソ声で話したものだが、このご夫婦はこだわりなく大きな声で話されるものだから周囲も興味深そうに見ている。

いまやガンに対する感覚もそういう時代になった。

さて、健康の話になると何といっても気になるのが自分の
「寿命の予測」。

「一体、いくつまで生きられるんだろう?」

イギリスの権威ある科学専門誌「ネイチャー」に出ていた寿命の算出法の日本語訳を掲載してみた。引用先は次の本。

 「ボケるボケないは生き方できまる」(2007年3月5日、大和書房刊)  

著者は東京大学教授の石浦章一氏。

あなたの寿命は現在の状態で何歳ぐらいになるだろうか。興味のある方は次により試算を。

基本は76歳、次の質問に回答して合計した数字に76を加えた数字があなたの寿命。+は寿命増加要因、-は減少要因。該当しない場合は0。

 
あなたは今何歳ですか。30~50歳なら+2、51~70歳なら+4。

 
男性なら-3、女性なら+4。

 
200万人以上の都会に住んでいるなら-2、1万人以下の町なら+4。

 
自分の祖父母の一人が85歳を超えていたなら+2、二人とも80歳を超えていたなら+6。

 
両親のどちらかが50歳以前に心臓疾患で亡くなっているなら-4。

 
兄弟姉妹や両親が50歳以下で、がん、心疾患、糖尿病になっているなら-3。

 
年収1000万円以上を稼いでいる人は-2。

 
大学卒は+1、大学院卒は+2。

 
65歳以上で今働いているなら+3。

10 
連れ合いがいるなら+5。

11 
現在独身は-3、25歳から数えて独身時代が10年以上続いているなら、10年ごとに-3。

12 
現在の仕事が机上の仕事は-3、身体的運動が必要な仕事は+3。

13 
週5回、30分以上の運動を続けているなら+4、週2~4回なら+2。

14 1日に10時間以上寝る人は-4。

15 性格として、リラックスタイプは+3、緊張タイプは-3、幸せと思うなら+1、不幸せと思うなら-2。

16 
この1年間に制限速度オーバーでつかまったことがあるなら-1。

17
 1日に1合以上の酒を飲む人は-1。

18 
1日にタバコ2箱以上吸う人は-8、1~2箱なら-6、半分から1箱なら-3。

19 
標準体重より20Kg以上肥満なら-8、
     〃     10Kg~20Kg肥満なら-4、
     〃      5Kg~10kg肥満なら-2、
※自分の標準体重=23.5×自分の身長m×自分の身長m

20 
あなたが40歳を超えた女性で毎年婦人科医に診察を受けているなら+2。

と、以上のとおりだが日本人の平均寿命は2009年7月16日時点で男性79.29歳、女性86.05歳。

因みに自分の場合を計算してみたら予想外の長生きで83歳。ただし、15の設問で「緊張タイプ」に分類したが、もし「リラックスタイプ」にすると何と89歳になる!

さて、この寿命テストからいろんな健康対策が浮かび上がってくる。とにかくプラス項目を大きく伸ばし、マイナス項目を減少することに尽きる。

マイナス要因が極めて大きい(最大-8)のは18のタバコと19の超肥満。タバコの害はもう周知の事実で言わずもがな。

肥満の害は最高水準の医療技術と経済力を誇るアメリカ人の平均寿命が世界ランキング10位外という結果が物語っている。(あのハリケーン・カトリーナの被害地ニューオーリンズでの被害者たちの超肥満のテレビ映像がいまだに目に焼きついている!)

7の項目の年収が高いのにマイナス要因とは意外だが、それだけストレスの影響を考慮したもの。14の寝すぎは逆にストレスが少なすぎる点が考慮。3の都会暮らしは空気や水の汚染とストレス。10と11の結婚と独身問題もストレス、外食と栄養のバランス、規則的な生活などが考慮。

7、8、12については職業によって寿命の違いがあることをうかがわせる。
16のスピード違反はどう考えたらいいのだろうか?「遵法精神」「せっかち、気ぜわしさ」といった気持ちの”ゆとり”との関連なのか、もしかするとその人の持つ「運」の良し悪しだったりして~。

それともう一つ。連れ合いとの相性について設問が無いのは重大ミスではなかろうか?

なお、レイ・カーツワイル著の「ポスト・ヒューマン誕生」(2007.1.25刊)の417頁に古代からの平均寿命が記載されていたので参考までに記載。
     

クロマニヨン人の時代   18歳
古代エジプト         25歳
1400年ヨーロッパ     30歳
1800年ヨーロッパ     37歳
1900年アメリカ       48歳
2002年アメリカ       78歳

1900年までの遅々とした寿命の延びに比べて、1900年からたった100年の間に30歳も伸びたことに注目。

私たちは実に恵まれた時代に生きている!

 


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オーディオ談義~「オーディオ訪問記」2010.5.14~

2010年05月18日 | オーディオ談義

14日(金)の午前9時半頃のこと。

「ようやくハートレーのシステムが聴けるようになりましたのでお見えになりませんか」と、湯布院のA永さんから携帯に連絡があった。

丁度、ショート・ステイ先に逗留している母〔93歳)の常備薬をもらうため市内の病院で順番待ちをしているときだった。

待合室の中とあって小声でそっと「今からでもいいですか?多分10時半ぐらいになりそうですが是非聴かせてください。」と一つ返事。


近くの薬局で薬を受け取ると一目散に自宅に直行してデジカメと好みのCDを数枚、紙袋に入れて、いざ湯布院へ。

ゴールデンウィークの大混雑がウソのように一般道をスイスイ。ご自宅に到着したのは丁度10時33分だった。

オーディオルームにご案内されていきなり目に飛び込んできたのが次の光景。

                   

いやあ、圧巻ですね~。左の写真(右チャンネル用)が口径60cmの巨大ウーファー(224MS)をメインとする4ウェイシステム。(写真をクリックすると拡大できます)。

ただしハートレーといっても「それって何?」とご存じない方が大半だろう。古き良き時代のアメリカのSPでそのフラッグシップ・モデルが「コンサートマスターV」。

後に、このウーファー224MSは、中音にQUAD ESLコンデンサーSP、高音にDECCAケリーのリボン・ツィーターを組み合わせたH.Q.Dシステムとしてあのマーク・レヴィンソンが賛美していたという。

もっとも、A永さんの場合この「コンサートマスターV」のボックスというのが”ちゃち”なつくりで60cmのウーファーをとても御しきれず、やむなく新たに別のボックス(楢材の板厚5cm)を作って取り付けられたもの。

大口径ウーファーとしてはエレクトロヴォイスの70cmクラスが有名だが、反応が鈍いのであえてハートレーにされたとのこと。

近年のスピーカーは低域をいくつかの小口径ユニットでまるごとカバーする傾向にあり、大口径一発はホントに珍しい。往時のシステムならではのこと。お互いに一長一短だろうが大口径ユニットでないと出ない低音というのがあるのはたしか。

早速、日頃聴きなれた内田光子さんのピアノ・ソナタ30番(ベートーヴェン)を鳴らしてもらった。

口径60cmのウーファーだからコーン紙の重量に引き摺られて音声信号に対する反応(追従性)が鈍くなるのではという懸念が見事に裏切られた。

実にシャープな、それでいて重量感のある低音だが、むしろ、この低音を目立たせないかのように、3つのユニットによって中低域から高域までの周波数帯域に音が隙間無く充満している印象。

この辺が使いこなしの経験によるものだろう。

しかし、これまでのウェスタンの555+15Aホーンをメインとしたピラミッド型の音とは随分と対照的な傾向にある音なのが意外といえば意外。

以前のイメージが強烈だっただけに「ウ~ン、こういう音も”あり”なんですか」というのが正直な感想。A永さんの違った側面を見る思いがした。

丁度このシステムの後ろにウェスタンの555+15Aホーンが設置されている〔真ん中の写真)。

ともあれ、こんなスケールのでかい音を日替わりで聴けるなんてよほど恵まれた方だろう。

内田さんの演奏に続いて、サキソフォン・コロッサス(ソニー・ロリンズ)、イギリス組曲(グールド)、ディヴェルトメント136の二楽章(モーツァルト、コープマン指揮)など次から次にかけてもらった。

自分の耳では全体的に下から上まで音域が長方形の印象を受けたが、A永さんによるとウーファーを鳴らしこんでもっとこなれてくると低域が適度に膨らんで柔らかくなるでしょうとのことだった。

なお、このシステムを駆動しているアンプが一番右側の写真。左右チャンネルごとに特別に電源対策を施した大宰府のM田さんによる入魂の作品。

真空管はWE300Bで、ご覧のとおりトランスはすべて木製カバーがされておりシャーシも、もちろん木製。

トランスのカバーは周知のとおり通常は鉄材が用いられている。磁力線をカットするのに鉄が適しているので、こればかりはどんなに鉄嫌いの人でも仕方ないが、木製カバーともなるとホントに珍しい。

夢中になって聴いているとあっという間に昼食時になってしまい、ご迷惑をおかけしてはと11時45分頃に帰宅の途に。

「耳の記憶の新しいうちに、早く我が家に着いて音の違いを確認しなくては」と思わずアクセルに力が入ってしまう。

A永さん宅から帰るときはいつもそうだ。どうかスピード違反で捕まりませんように~。


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音楽談義~女性指揮者が育たないのは何故?~

2010年05月14日 | 音楽談義

「男女共同参画社会」の御旗(みはた)のもと、女性の社会進出は目覚しい。いろんな企業の女性社長も珍しいことではなくなった。

それに女性は真面目でコツコツと勉強するせいだろうか、高学歴化とともに国家資格試験をはじめ各種の採用試験にも力を発揮して着実に割合が増加している。

ところが、指揮者については不思議なことに女性の活躍ぶりをあまり聞かない。指揮者にも知名度の面でいろいろレベルがあるのだろうが、1~2名、音楽誌で見た記憶があるが、それにしても少ない。

その理由については、一流の指揮者になるまでの修行は並大抵ではないので、練習時間などの肉体的なタフさの問題、あるいは楽団員に男性が多いことからコミュニケーションの問題もあるのかと推察していたところ、こちらの盲点をつくような興味深いエピソードに出会った。

日本の女流ピアニスト青柳いずみこさんの著作は軽妙洒脱な文章で新刊が出るたびに興味深く読ませてもらっている。

    「ピアニストは指先で考える」(2007年6月5日、中央公論新社刊)    

本書の257頁に掲載されていたもので以下、引用すると次のとおり。

芸大時代の(著者の)同級生(ピアノ科:
女性
に指揮者志望の人がいて、管楽器奏者(男性)に〔指揮者への近道を)相談したところこう言われたという。

「ダメダメ、あんたには胸に余計なものがついている。そんなものをゆさゆさ
やられた日にゃ、男どもは気が散ってしょうがない」

思わず笑ってしまったが男女平等とはいいながら、どうしようもない性差についてこれほど如実に言い表している例も珍しいと思う。

豊かなバストを持つ女性が指揮をしている姿を想像すると、ちょっと・・・。


しかし、一方ではこの「胸に余計なものがついている云々」について、うがち過ぎかもしれないが、性差にかこつけて管楽器奏者が本人の自尊心を傷つけることなく、それとなく辛くて厳しい「指揮者への道」をあきらめるよう冗談めかして諭したとも考えられるような気がするが。

さて、同書ではこの文章に続いて、「西本智美さんなどは、宝塚の男っぽいカッコイイスーツに身を包み、全然ゆさゆさ
させていないように見えるが・・・」とあった。

指揮を志す女性はペチャパイに限るというわけでもあるまいが、有利なことはたしかかもしれない。ただし、これは指揮能力とは別次元の問題。

以下、「指揮者希望」の小題のもとに、青柳さん流の指揮者論が展開されるが、ピアニスト出身の指揮者が多いのは、音楽的欲求が強く、ピアノという楽器や自分自身の手の可能性との間にギャップを感じてしまうようなタイプだとのこと。

音楽評論家の青澤忠夫氏は、指揮者にとっての「技術」を「オーケストラに巧く音を出してもらう能力」と定義する。

「楽員たちを掌握する力も含まれるし、作品解釈や説得力、人間性、政治力、複雑な人間関係なども絡んでくる。そして、他人の出した音に対して管理者として責任を取らされる」(「名指揮者との対話」春秋社)。

「悪いオーケストラはない、悪い指揮者がいるだけだ」という諺を思い出す。

さて、世界的に著名だったピアニストのアシュケナージは指揮者への転向を見事に果たしたが、その言では責任が分担されるから指揮のほうが気が楽だと感じるらしい。

「仮にぼくがミスをしても、いいオーケストラなら、なんとかカバーして僕を助けてくれますからね。ピアノを弾くときは、誰も助けてくれませんよ」。

指揮をするにあたって、ピアニスト出身者は断然有利だというのが彼の見解。ピアノはヴァイオリンなどと違って広い音域を再現できる楽器だから、容易にオーケストラという媒体に移行できるとのこと。

あのリヒテルもコンドラシンの手ほどきで10日間で指揮法を学びプロコフィエフの「協奏交響曲」を指揮し、作曲家本人は満足したが肝心のご本人は金輪際ごめんだと思ったらしい。

「嫌いなことがふたつあるからです。分析と権力です。オーケストラ指揮者はどちらも免れることはできません。私向きではありません」。

権力志向の人間がウヨウヨしてる中、リヒテルの質朴な人間性を垣間見る思いがする。

因みに、バッハの作品演奏にあたって三大名演奏があるという。

カール・リヒター指揮のマタイ受難曲、タチアナ・ニコラーエワ女史(ピアニスト)の「フーガの技法」、そしてリヒテルの「平均律クラヴィーア曲集」。

話が戻って、こうしてみると、指揮者とは音楽の才能ももちろん必要だがそれ以外にも管理、監督、権力行使、複雑な人間関係の処理や政治力などいろんな能力が必要とされるようで、どうやらこの辺にドロ臭さが漂っていて、女性指揮者が育たない、活躍できない真因が隠されているような気がする。

ところで、5月13日(木)の地元紙の朝刊に日本のクラシック音楽界にとって朗報が掲載されていた。

世界最高峰のオーケストラの一つ、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団は12日、20011年5月に本拠地ベルリンで開く同楽団の定期公演で指揮者の佐渡 裕さん〔48歳)を起用すると発表した。

日本人指揮者の同楽団の演奏会出演は最近では小澤征爾さん以来で、これで佐渡さんは世界のスター指揮者の仲間入りをする。

以上、まずはご同慶の至りということで。


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オーディオ談義~アンプ派とスピーカー派~

2010年05月12日 | オーディオ談義

アンプとスピーカーといえばオーディオ装置の中でも根幹をなす機器。

しかし、オーディオに熱が入って10年、20年と経っていくと自ずと分かれていくのが
「アンプ派かスピーカー派か」という色分け。

どちらに重心を据えるかという話だが、もちろんスピーカーを変えるほうが音質の変化が大きいので、アンプ派はちょっとした変化を好む保守派、スピーカー派は大胆な変化を好む革新派と言い換えていいかもしれない。

通常オーディオ装置を選択する順番は、まず好きな音楽のジャンルを基本に、その再生に適したスピーカー(SP)を選び、次に相性のいいアンプをというのがオーソドックスなやり方。

たとえばジャズの場合ならJBL、あるいはクラシックならタンノイを選択し、それぞれ相性のいいアンプを組み合わせるのが一般的。

さて、自分の場合はどうだろうか。

五味康祐さんの著書「西方の音」に感銘を受けてSPはタンノイⅢLZにはじまり、インパルス15、ウェストミンスターと一応スジを通したが、途中からクラシックもジャズも両方聴きたいと欲張ったため、一時JBLの3ウェイシステム(130A+375+075)に浮気したものの、今では「アキシオム80」をウェストミンスターのボックスに内蔵してピタリと落ち着いている。

問題はアンプである。

現在、所持しているのが5種類の真空管アンプとトランジスターアンプ。

トランジスターアンプはケンウッドのL-01A(メインアンプに改造)で決まり。100Wの出力とダンピングファクターの良さをかって低域専用に使用中〔2台)でスペア用として、もう1台保持。

真空管アンプの方は次のとおり。

               
       1                2                3

                      
                  4                   5

ただし、数はあるのだが、総じて「帯に短し、たすきに長し」の感があっていずれも決め手に欠けるのが悩みの種。

は出力菅が2A3のシングル・ステレオアンプでテレビの視聴用に使用中だが、出力トランスがイマイチ。2A3の真価はこんなものではないはずだがといつも思う。

は出力菅が近代のチェコのVV52Bで、先日「アキシオム80」用にどうかと試してみたが相性が悪く、テレビ視聴用のスペアとして待機中。

はこの2月に手に入れたアンプ。出力菅がPX25で出力トランスの方はあのオルトフォン(カートリッジ)の昇圧用トランスで有名なJS社製でスカッと抜け切った音が気に入って今のところ「アキシオム80」用にメインに使っている。

一時、「ジー」という外来ノイズの混入に悩まされたが、銅の塊をアースに仕立ててみると、自然と症状が治まった。

写真をクリックして拡大するとアンプの下に少し見えるグチャグチャとあるのが銅の塊でシャーシ(台)と線材で直結している。また、電源コードのアース先にも別の銅の塊を結び付けているが今のところ功を奏してか静穏。ただし、いつご機嫌が悪くなるか常に不安感が拭えない。

アースの材料は銅よりも銀のほうが電気抵抗が小さいのでより適しているが、何せ高価でおいそれと使えないので銅で我慢しているものの、自分のケースでは効果ありと思っている。

と同じくPX25を出力菅とするアンプで、従来から使用していたが増幅用に段間トランスを使っていたせいか高域の伸びがいまひとつ。よりも音質がずっと落ちる。

しかし、それが段間トランスのせいかどうか、この辺は諸説あって論争に介入する知識も勇気も持ち合わせ無いが、とにかく200ヘルツ以上を受け持つ「アキシオム80」には不適だと思ったので思い切って段間トランス(タンゴ)を外し、双三極管12AU7を前段にしてコンデンサー(「スプラグ」のビタミンQを使用)結合により、生まれ変わらせたばかり。

アンプのシャーシに穴が2つあるのが段間トランスを取り除いた後。音の方も中高域用としてうってつけで音のヌケが素晴らしく良くなりヤッパリ改造してよかった~。これなら十分にのスペアとして活用できるレベル。

知人に売り飛ばそうかと商談中だったが、思いとどまって正解だった。

そして
はここ1年ほど眠っているアンプ(モノ×2台)。銘管と定評のあるウェスタンの300B(オールド)を出力管とするもので、使わないとホントに勿体ない。これも段間トランスが入っているので、の改造に味をしめて同様の改造を計画中。

改造後は「アキシオム80」をフルレンジで鳴らすときに使ってみようと愉しみにしている。

WE300B(アメリカ)とPX25(イギリス)の両三極管の対決は実に興味深い。優劣は簡単に決められないのであとは好みの差ということに。

M崎さんによると往時はWE300Bが高価すぎて手が出ない人がPX25に流れていたという。これまでPX25は3本ほどツブしたが、WE300Bは一度も交換したことがないほどでさすがに国策として軍事用に作られただけあって耐久性の方は驚異的。

それはさておき、こうして振り返ってみると自分はどちらかといえばアンプ派に属し、根が保守的だと自覚しているが、故障したときに不安なのですぐに代替が利くように収集してきた側面もある。

どちらかといえば不安症でオーディオ装置に限らず気に入ったものなら同じものを二つも三つも準備する癖があり家人から笑われている。

しかし、とうとう肝心のカミサンのスペアは今後も確保できそうにないのが残念無念!

さて、知り合いのオーディオ愛好家のうちでスピーカー派といえば湯布院のA永さんに尽きる。自ら「ラッパ屋」と自認されているが持ち物がすごい。

CN191クリプシュコーナーホーン、JBLパラゴン、同じくJBLの3ウェイシステム(130A+375+075)、ハートレー(64cmウーファーによる3ウェイ)のシステム、アキシオム80、アポジー(リボン型)、そして現用中のウェスタンの555+15Aホーンといった具合。

往年の名器が勢ぞろいといったところだが、A永さんの夢は大きな部屋を準備していろんな種類のスピーカーを4面に置いて常時鳴らせるようにしたいとのこと。

スピーカーを楽器と考えると、いろんな音色を楽しめるのでこれは十分理にかなった話だがそれにしてもスケールがでかい。

 


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オーディオ談義~「アンプの修繕依頼」~

2010年05月07日 | オーディオ談義

およそ1ヶ月ほど前に東京在住のS下さんという方からメールをいただいた。

このブログをよくご覧になっているそうで、内容は、オークションで手に入れた真空管アンプ「PX25A」の片方のチャンネルから、かすかに異音がするが原因が分からない。音質にはたいへん満足しているものの、音が鳴りやんだときなどにちょっと気になる。

そこで、原因を究明したいが、このブログで「アンプ修理」に再三再四登場する「M崎」さんなる方を紹介していただけないかという依頼。

ぜんぜん見ず知らずの方だが、そこはそれお互いにオーディオ愛好家同士、アンプの雑音はことのほか気になるもので、そのお気持ちは痛いほど分かる。「お役に立てれば」とM崎さんに電話をかけてみた。

M崎さんは以前、首都圏でアンプをはじめとするオーディオ装置の修理を1,000件以上も手がけた方で、個人のお宅を訪問されて、その場で具体的な修理を請け負われるという”ぶっつけ本番”の修羅場を何度もくぐりぬけてこられた歴戦の勇士。

修理が済んで大いに感謝されたものの、また後から同じような故障が発生し怒鳴り込まれた経験もお持ちの”酸いも甘い”も、たんと噛み分けた方である。

現在は引退されて杵築市に居を構え、悠々自適のご隠居暮らし。

「今、何か忙しいことやってますか? 東京在住の方からこういうメールが入ったのですが紹介させてもらっていいですか」と、連絡してみると、「ああ、いいよ」とご快諾。

すぐに折り返し、S下さんあてM崎さんの住所、氏名、電話番号、メールのあて先と、これからはM崎さんと直接交渉して欲しい旨メールした。

そして、4月末のこと。M崎さんから電話があった。

「5月2日〔日)の午後、空いてるかい?S下さんから送ってきたアンプの異音を”アキシオム80”につないで確認したいのだが・・・」。

もちろん「はい、どうぞ~」と一つ返事。

自分が現在愛用している真空管はPX25という50年ほど前のイギリス製の古典菅。中域から高域への艶にかけては定評あるWE300Bを凌ぐほどだが、PX25A〔別名:DA30)は、PX25のあとに開発された真空管で出力を含めて一段とスケールアップされた真空管。

滅多に市場に出回らない球で、相場のほうもペアで20万円ほどとPX25のおよそ1.5倍から2倍近い。M崎さんによると昔使っていた真空管の中ではピカ一だったそう。

自分もスゴイという評判は聞いているものの、これまで試聴の機会はなかったが果たして「アキシオム80」との相性やいかに。

もうこの歳になって「禁断の木の実」を口(クチ)にしないほうが無難、とはいっても聴いてみたいという誘惑との綱引きだが、もちろんM崎さんの依頼となればお断りする術はない。

いよいよ当日。2時ごろにお見えになった。早速アンプを拝見。

「ほら見てごらん、シャーシ〔台)もアルミと木だし、ほとんど鉄を使ってないよ。コンデンサーなど部品も実にいいものを使ってるね」

鉄は磁界をもっているので音質に悪さをするが「ヘぇ~、それだけで随分と音質に神経を使ったアンプというのが分かりますね」と感心。すぐにアンプを入れ替えて「アキシオム80」と結線。

                      

本来の目的は、滅茶苦茶に感度のいいSPユニット「アキシオム80」に繋いで異音を具体的にキャッチすることだが、自分のほうはどういう相性の音になるかとそっちの方に全神経を集中。

試聴盤はM崎さん持参のケンプ(ピアニスト)の「イギリス組曲3番」(バッハ)。

「フ~ム、音が安っぽくなくて気品がある」。一点の曇りも無い、まるで秋の空のようにスッキリ高くて晴れ渡った音。思わず”北京秋天”という言葉を思い出した。真空管にも上には上があるものだと深~い”ため息”が出る。

しかし、聴いているうちに段々とケンプの演奏の方に引き込まれてしまい、音質そっちのけで音楽鑑賞に浸ってしまった。

日頃愛聴しているグールドは音の立ち上がりに見るべきものがあって剛直というイメージがするが、ケンプは実にやさしい演奏。ピアニシモに深い趣があって好対照の両者だがこれはたいへんな名演。

M崎さんに訊いてみるとケンプは「イギリス組曲」全体をカバーしているCDは無いそうでこの「3番」だけとのこと。残念!

オット、異音の出具合を忘れていた。SPから3mほど離れて試聴していたのだが音が鳴りやんでもまったく分からない。S下さんによると右チャンネルから異音がするとのことなので、「アキシオム80」に耳をベッタリくっつけてみると「ヒュー」という微かな音がする程度。

どうやらこの音が気になっておられるようだ。

一般的に加齢とともに高域を聴き取る能力は確実に失われていくが、M崎さんともども自分たちはもはやこの音を聞き分ける能力は無いようで、たいへん都合のよい(?)耳になっている。

S下さんは、おそらくまだお若い方なんだろう。それはさておき、この気になる「ヒュー」という音の発生原因を突き止めなければいけないのだが、M崎さんによるとこれは厄介な故障でいろんな原因が考えられるとのこと。

回路、部品、前段と出力の真空管など。もし、出力菅に問題があるとなるとさあ、たいへん。20万円!

ともあれ、主治医のM崎さん、雑音の程度が分かったのでもう一度家に持ち帰って測定器で調べてみるとのこと。

そして、6日(木)の午後に調整後の最終チェックにお見えになられたが、左チャンネルから聞こえていたかすかなハム音、右チャンネルからの「ヒュー」音が見事に消えていた。

「フ~ン、どこを、どう直したんですか?」「フッ、フッ、フ、それは企業秘密」。

「モォ~、意地悪!」。
 


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オーディオ談義~「オーディオ愛好家のご来訪」2010・4・29~

2010年05月03日 | オーディオ談義

かねて予定のS木さん〔福岡市)が4月29日(木)にお見えになった。

このときを目途にじっくりと調整を続けてきた我が家のオーディオ・システムだが、とりあえず日頃、勝手気ままに取り散らかしているオーディオ・ルームの整理整頓のほうが先決。

何とかお客さんに不快感を感じさせないようにと1週間ほど前からボチボチ片付けを開始したものの、結果的には抜本的な整頓に至らず”ほどほど”の状態に。

さて、S木さんは自分と同様にSPユニット「アキシオム80」(英国:グッドマン社)の愛好家でこのブログが縁でこの2月に知り合った方。

                      

この「アキシオム80」は50年ほど前のSPなので現在はもちろん市販されておらず使っている人は極めて少数。

特別なツクリによる音色の繊細さは別格だが、その反面、気難しくてアンプの弱点をことさらにさらけ出すクセがあり、加えて故障しやすいときているので使いこなすのがたいへん。毎日ヒヤヒヤドキドキというのが偽らざる心境。

したがってお互いに苦労が分かっているだけに「同好の士」となると、ひときわ連帯感がもてるわけだが、S木さんの場合はたまたま「Axiom80」のネット検索により自分のブログがヒットし、共感を覚えてメールを出す気になられたとのこと。

いつもカミサンや娘から
「一文の得にもならないブログ」と冷笑(?)を背に受けながらも、めげずにコツコツと地道に続けて3年半余り、こうしてまったく見ず知らずの方と知り合えるのはとても金銭には換えられない!

「どうだ、思い知ったか」と溜飲を下げながら、ネットという文明の利器に改めて感謝。

ところで、去る3月31日にS木さんのご自宅に訪問して老練な英国人が作った世界で2セットしかないアンプと、出力管PX25の中で最高峰とされる英国製マツダの「PP5/400」で駆動された「アキシオム80」の妙なる音色に大いに感心したのは以前のブログで詳述したとおり。

                        

「アキシオム80」は口径20cmのフルレンジSPだが、いろんな鳴らし方があって、S木さんは「高域の抜け」を優先して単独で鳴らされている。

自分の場合は、人間の耳に聞こえる周波数帯域が20ヘルツ~2万ヘルツとされている中、200ヘルツ以上を「アキシオム80」の守備範囲としてそれ以下は4発の低域専用ユニットでカバーしているので同じSPユニットを使っているとはいえ音の傾向はかなり違ってくる。

                       


さ~て、試聴後にどういう感想を洩らされるだろうか。

当初の訪問時刻のご予定は午前中とのことだったが、ご家族の観光も兼ねて午後2時へと変更。

昼食後に早速ウォーミング・アップのためアンプのスイッチを入れてグールドの「イギリス組曲」(バッハ)を聴くものの気分的に何だか落ち着かない。

初めての方に我が家のシステムを聴いていただくというのはなかなか緊張するものである。

「現時点の音」というのは何しろ40年近く取り組んできたオーディオの集大成とでもいうべきもの、いわば「血と汗と涙」の結晶なのでそれがたった一度の試聴で「何だ、この程度か」と評価されるのは結構つらい!

何せ多大の(?)お金と時間が注ぎ込んであるし、「人生観=感性」の象徴的な存在でもある。

これまでせっせと積み重ねてきたそういう価値観があっさり否定されることを恐れるというわけだが、この歳になっても何だかいつものクセで
「マイナス思考」に落ち込んでいくのが我ながらおかしくなるが、関連してふと、次の逸話を憶いだした。

出所は「”日本一”音のいいジャズ喫茶」とされる「ベイシー」(岩手県一関市)のマスター「菅原昭二」さんの随筆だが大要は次のとおりと記憶する。

菅原さんが「オーディオとジャズ」がこの上なく好きな和尚さん宅〔お寺)を訪れたときのこと。

オーディオ装置を目前にして和尚さんとのオーディオ談義が始まったが、そのうち当然のごとく話にキリがついて音を聞かせてもらえると思っていたら、和尚さんは話ばかりに終始して、とうとう音を聴かせてもらえないまま帰宅する破目になった。

その和尚さんはしばらくすると亡くなってしまい永遠に音を聴く機会が失われてしまったが、「なぜその和尚さんは菅原さんに音を聞かせようとしなかったのか?」

今にして察すると、どんなに「いい音」であろうと所詮は俗世の現実の出来事、とても想像と空想の中で美化されて鳴り響く音には敵わない。

「最上の音とは固定的な実体ではなくて空(くう)である」ということを伝えたかったのが死を悟った和尚さんの本意ではなかったろうかという話。

フ~ム、ここまでくると「オーディオ道」も何だか浮世離れして「宗教」に近くなる。たしか、これは仏教で言えば「色即是空」。

(五味康祐〔作家:故人〕さんの名著「西方の音」にも似たような話があって、オーディオ装置を買えない貧乏な青春時代に「シュワン」の音楽カタログを擦り切れるほど見ながら、この盤のレーベルと演奏家ならこういう演奏だろうと空想して聴いていた時代があり、振り返ってみるとその時代が最も豊饒なときだったとの記述がある。)

自分はこういうロマンチックともいえる思考が大好きだが、遠来のお客さんを前にして「現実的には無理だな~」なんて考えていると携帯が鳴った。

ちょうど、2時ちょっと前で玄関を出てみると20m程離れたところにS木さんの姿が。今の「カーナビ」はヤッパリすごい。

早速「散らかしてますけど~」とオーディオ・ルームにご案内。

ひととおり、システムの説明をしてから試聴に移った。持参されたお好みのCD2枚とともに、「田園」(ワルター指揮)などいろいろと聴いていただいたが「アキシオム80」の同好クラブの設立をはじめ四方山話に花が咲きゆっくりと鑑賞するヒマが無かっただろうと推察する。

丁度4時ごろに市内観光を終えられた奥様と娘さんが迎えに来られたので、お互いにまたの再会を約してお見送りをした。

結局、最後までS木さんのご感想をはっきりと聞けずじまいだったが、前述のようにオーディオも「色即是空」に通じると思えば「あまりこだわる必要がないのかも」という気がしてくるのが不思議~。



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