「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

2022年を振り返って~音楽編~

2022年12月31日 | 独り言

前回のブログのとおり、今年を振り返ってオーディオはさしたる動きはなかったものの、音楽はなかなか見るべきものがあった。

作家の村上春樹さんのエッセイにもあるが「クラシックはバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、この3人に尽きる。ほかの作曲家にはたして存在価値があるのか」というご高説をちょくちょく見聞する。

そういうときは「オペラというジャンルを忘れてはいませんか」と反論したくなる。

そういう気を起こさせるのも、毎日ネットラジオで「オペラ専門チャンネル」を聴いているからで、一流の歌手たちが感情をこめて朗々と歌い上げる名曲群にぞっこんで早いうちにオペラに親しんでおけばよかったと今ごろになって臍を噛んでいる。(モーツァルトのオペラは別格ですよ)。

クラシックは一度聴いて好きになる曲と、何回も聴いてから好きになる曲と2分されるが、前者の代表例が「マリエッタの歌」(歌劇「死の都」)。



もう3週間近くになるのにいまだにリピートで1時間近く流しっぱなしにするほど飽きが来ない。よほど性に合っているのだろうか。

とうとう病が嵩じてオペラ「死の都」本編(2枚組)を購入してしまった。

こんなに美しいアリアがあるのならきっと素晴らしいオペラに違いないというわけ。



ラインスドルフ指揮の堂々たるオペラである。劇中で聴くと(男女の二重唱になっているが)、やはり格別のものがあって心に沁み入ってくる。これは末永い愛聴盤になりそう。

ついでに、歌手のルネ・フレミングにも興味を覚えて購入したのが「4つの最後の歌」(リヒャルト・シュトラウス)。

クラシック通の「百田尚樹」さんが「ベスト1」に掲げるほどの名曲だが自分も大好き。

手元には、ヤノヴィッツ(カラヤン指揮)、シュワルツコップ、バーバラ・ボニーとソプラノ歌手が目白押しだが、「フレミングはどうかな?」とじっくり聴いてみたところ、これは惜しいことにイマイチかな。

ちょっと声質が軽すぎる感じで、やはりベスト1は「ヤノヴィッツ」に尽きるようで、透徹したゆるぎない歌唱力は今後もこれ以上は望むべくもないと思わせるほどの出来栄え。

次に、オペラ以外では先日のブログで取り上げた「シューベルトの歌曲集~冬の旅~」。そこでは、こういう前置きをしていた。

読書でも音楽でも、そしてオーディオでもおよそ趣味と名がつく世界では微細な点まで他人と「好み」が一致することはまず”ない”というのが自分の見立て。

したがって、他人の意見は「参考にすれどもとらわれず」を堅持しているつもりだが、プロの音楽家が推奨する曲目ばかりは一度聴いてみたいという誘惑にかられてしまう。

「鶴我裕子」(つるが ひろこ)さんが書かれたエッセイ集
「バイオリニストは目が赤い」を読んだときもそうだった。

             

鶴我さんは福岡県生まれで、東京芸大卒。1975年(昭和35年)にNHK交響楽団に入団され、第一バイオリン奏者を32年間務められた。

この本(新潮文庫)の50頁に、(鶴我さんは
「腹心のレコード」を2枚持っていて、愛聴し始めて20年、雨の日も風の日もこの2枚で心の支えを得ているという行(くだり)があった。

その2枚の内訳とはフィッシャー=ディースカウの「シュトラウス歌曲集」と、もう一枚は「フリッツ・クライスラーの小品集」

というわけで、このほど執念で手に入れました(笑)。



この曲は「シュトラウス」よりも「ディースカウ」(バリトン)の世界といった方が良さそうで、何度でも聴けば聴くほど味が出てくる感じかな。

さすがにプロの音楽家が愛しそうな曲目だと大いに感心した。

片方の「フリッツ・クライスラー」(10CD)はすでに持っている。



今年のお正月はこれらのCDで「音楽三昧」といきますかね。

それでは、皆様良いお年を~。


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2022年を振り返って~オーディオ編~

2022年12月30日 | 独り言

今年(2022年)も残すところ、たったの1日。

時間の観念としては相変わらず「1日は長い」が「1年は早い」と思っている。

で、年末恒例の「今年1年を振り返って~年間ベスト10」の稿を起こしてみようと、この1年のオーディオ機器の動きを辿ったところ、とても数が足りず「ベスト10」までには程遠かった。

こういうことは近年では珍しく、どうやら物心ともに落ち着いてきたようだ。言い換えると「寄る年波には勝てない」ということかな(笑)。

そういう中で強いてメモしておくとすれば・・。

やはり「71系のアンプ」の改造になる。現在手元には「71系アンプ」が3台ある。



中段の左から「出力管」の種類のネーミングにより1号機「171シングル」、2号機「371Aプッシュプル」、3号機「71Aシングル」といった具合。

古典管を愛好する方ならお分かりのとおり「2桁番号はST管」「3ケタ番号はナス管」となる。

このうち「1号機と3号機」に「インターステージトランス」を使っていたので、音のスピード優先のためオーディオ仲間のNさん(大分市)に頼んで外してもらうことにした。

当然、全面的な改造になったが、結果としてすごく気に入った音が出てきて、以後これら2台で我が家の大半のスピーカーが賄えるようになったのは大きい。

それぞれのアンプにはカップリングコンデンサーとして「シルヴァード・マイカ・コンデンサー」を使ってもらったのも良かったみたい。



これら3台のうち、1号機は中高音域の華やかさが優れている、2号機は豊かな低音域に秀でている、3号機は前二者にはない「穏やかさ」があり長時間の試聴にはうってつけ。

とりわけ「3号機」は能率の高いJBLの「075ツィーター」と「175ドライバー」には必須の存在になっている。

いずれも比較的小型で軽いアンプなので持ち上げても腰に負担がかかることがなく、歳をとればとるほどアンプは軽くてシンプルなものに限りますな!(笑)

次に挙げるとすればグッドマンの「TRIAXIOM」(口径30cm:同軸3ウェイ)の活用になる。



北国の真空管博士から「もっと背圧の逃げ口を大きくした方がいいんじゃないですか」とのアドバイスをきっかけに、箱を移し替えてからこれまでよりも一段とクオリティの高い音が再生できるようになった。

長時間のクラシック鑑賞に耐えうるスピーカーとしては、これが最右翼だろう。

あっ、そうそう忘れるところだった。

イギリス勢がひしめく中で、唯一のジャズ系SPとして「JBLの変則3ウェイシステム」が出色の存在となっている。



背圧の逃げ口をグッドマンの「ARU」から独自の細かい目の詰まった網に代えたところ、元気溌剌となってオーディオ仲間からも大好評だった。

また「71A・3号機」で駆動する「075ツィーター」の「軽くて澄み切った高音」は筆舌に尽くしがたいほどで、ときどき無性に開放的な音を聴きたくなるので、そういう時にうってつけのスピーカーである。

まあ、今年のオーディオはこのくらいかな~。



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悪夢の伏線

2022年12月29日 | オーディオ談義

本日のことだが直前まで見ていた「夢」は最悪だった。

出勤の途中で財布も携帯もないことに気付き、自宅に引き返そうとするのだが、その自宅がどう探しても見つからない。とうとう諦めて勤務先に「午前中は休む」と電話しようにも、その電話も見当たらない。

自宅が分からないなんて、「もう俺は認知症だ!」と絶望的になったときにようやく「ああ、夢でよかった!」と胸を撫で下ろす始末。

きっと、スピーカー「PL-100」のせいに違いない。

というのも、昨日(28日)大いに手こずったから~。

妙なきっかけから再登場したスピーカー「PL-100」(英国:モニターオーディオ)。



定価が「50万円」と図体の割には高価だが、オークションで競り勝ったのは1年ほど前のことで、爾来ほかのスピーカーと同様に出たり入ったりで、それほど飛び抜けて愛用しているわけでもなかった。

しかし、小振りなだけに引き締まった音像のシャープさは捨て難いところがあって、この際もっと極めてやろうかなと遊び心が湧いてきた。

オーディオ仲間に言わせると、かって「AXIOM80が120点だとすると、このSPは80点です」と、酷評されたので見返してやりたいという気持ちが無いと言ったらウソになる(笑)。

まずは「専用スタンド」をどうしようか。



ペアで「77,000円」なり。ビンボー人にはちょっと手に余るなあ(笑)。

それに、木製のスタンドの方が見栄えがいいような気がするし、何とか工夫できないものかと本体の底面をしげしげと眺めてみると、「ネジ穴」が四方に4か所あり、「ここで支えろ」というメーカー側の思惑が透けて見える。

緻密な設計のもとに創作されたスピーカーだろうから、乗らない手はない。

そこで、手持ちのネジを数種類引っ張り出して試すうち、その中の1本が運よくネジ穴にスルスルと入るではないか! 

結局、こういう状態に。



丁度、程良いところまで入って支えにピッタリで、ネジ穴が合うなんてまさに奇跡的。見た目からも、とても収まりが良くなりました。

次は駆動するアンプに移ろう。

ネットで改めてこの「PL-100」のデータを読んだところ、能率88db、インピーダンス4Ωとある。

この数字を前にして、真空管アンプではそもそも無理だってことかなと一考~。

試しに、ジャズの名盤「サキソフォン・コロッサス」(ソニー・ロリンズ)を大音量で聴いてみた。周知のとおり、録音レベルが異常に低い音楽ソースである。

通常、プリアンプのボリュームが9時ぐらいのところを12時まで上げないとまともな音量にならない。

すると、音がところどころ歪んできて、明らかにアンプのパワー不足を露呈した。「サキコロ」なんてめったに聴かないソースだがそれでもやはり気になる。

そこで、非力な「シングルアンプ」から「プッシュプルアンプ」へと変更したが、これも毛が生えた程度でどうもすっきりしない。

パワーのある「TRアンプ」なら間違いなく鳴らせそうな気がするんだけどなあ~。

というわけで、やっぱり、このスピーカーは真空管アンプでは無理だねと匙を投げたというのが結論。

「未練半分、悔しさ半分」という心の葛藤が、きっと「悪夢の伏線」になったに違いない(笑)。

最後に、「口直し」のつもりで久しぶりに「スーパー12(イン・ウェストミンスター)+175ドライバー」を聴いたところ、これこれ~。屈託のない豊かなサウンドが広がって実に気持ちがいい



「小出力の真空管アンプで能率の高い古典系SPユニットを鳴らす」、これが我が家の基本形だね、やっぱり~。


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天敵の存在

2022年12月28日 | 独り言

このところ我が家にお見えになるお客さんがめっきり減った。

「お前の音なんかありふれていて聴かなくてもわかる」ということだろうか(笑)。


そのせいかオーディオ・ルームがいつのまにか散らかってくるのでせめて年末ぐらいは綺麗にしておこうと、このところ整理整頓に余念がない。

古いスクラップブックにも1頁づつ目を通して要・不要を振り分けているが、いちいち中身を読むものだから時間がかかってしようがない。そのうち、つい興味を引かれたものが出てきたので紹介させてもらおう。

およそ12年前の2010年の4月19日付で地元紙に掲載されていたものでタイトルは「”のほほん天国”日本」。寄稿者は「丹羽 宇一郎」氏(元中国大使、その前は伊藤忠商事の社長)。

このほど米国の首都ワシントンとニューヨークを訪問してきた。もっぱら学者と政治家にあったが、その時に話したのが、ナマコとカニをめぐる次のような日本の言い伝えだ。

ナマコは弱りやすく漁師が沖合で捕っても港へ着くまでにほとんど死んでしまうが、そのナマコの群れの中にカニを1匹入れておくと、生きたまま持ち帰れるという。

なぜか。

カニはナマコの天敵に当たり、緊張するため死なないといわれている。科学的にはナマコの天敵はカニではないようだが、“何事も新鮮であり続けるためには天敵が必要”とのたとえ話として彼らに紹介した。」


この話の流れは、ソ連の崩壊とともに資本主義へのチェック機能が働かなくなり、リーマンショックをはじめとする金融危機などの暴走が始まったことにあるのだが、これを現代の日本になぞらえるとすれば「天敵=カニ」に当たるとすればお隣さんの国ではあるまいか。

「厄介な隣人だ!」と、心理的にくたびれているのはおそらく自分ばかりではあるまい。

しかし、モノは考えようでこれら「天敵」のおかげで日本は絶え間ない緊張感のもとでモチベーションが維持できるとしたら、(天敵の存在は)かえっていいことなのかもしれないと上記の丹羽さんの寄稿を読んで思った次第。

次に、この話を身の回りのレベルに降ろしてみよう。

組織で仕事をしたことのある人ならお分かりのとおり、誰もが一度は経験する中間管理職というものは上役と部下の板挟みになる厄介なポストだが、不思議なことに両方に恵まれることはまずない。何かしら肌が合わない人間がどちらかにいる(笑)。

しかし、振り返ってみるとたいして偉くもなれなかったが、気の緩みから大きなポカをしなくて済んだのもそういう連中のおかげだったのかもしれないと思う今日この頃。

したがって、もし組織の中に現在進行形で「天敵」がいるとするなら、ここはひとつ前向きに考えることも一つの方法ですね。もちろん“度が過ぎる天敵”ともなると別問題でしょうが。

たしか司馬遼太郎さんの著作「翔ぶが如く」だったと思うが鹿児島の方言で「泣こかい、飛ぼかい、泣くよかひっ飛べ」という言葉が出てくる。要するに「捨て身で生きろ」ということだが、人生にはそういう覚悟が必要なときもあるでしょう。

アッ、そういえば我が家にも“天敵”がいた!

おかげさまで緊張と闘争の毎日が続いて、いつもフレッシュ状態ですぞ(笑)。



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みみっちい計算

2022年12月27日 | 独り言

現在、ハイブリッド車を使っているが、燃費(17.4km/1㍑)に不満はないものの冬場はどうしても悪くなってくるようだ。

たとえば11月にガソリンを満タンしたときに、フロント画面に「航続距離880km」と表示されていた。

そして昨日満タンしたときは、(前回の満タン時からの)走行燃費の自動計算により「848km」と表示され32kmも少なくなっている。

このクルマの1km当たりのコストは「10円/km」だから、単に気温のせいだけで10円×32km=320円も損した計算になる。

痛い!

外野席から「みみっちい計算をするな! オーディオには惜しげもなく金を突っ込むくせに~」、アハハ。

そういえば、つい最近使ったオーディオ経費といえばユニットの修繕代がある。

一昨日(25日)ようやく修繕を終えて戻ってきた。



ワーフェデールの「スーパー12」(口径30cm)である。

記憶力のいい方は「あれっ、ウェストミンスターに入っているユニットと同じじゃないか」。

経緯を説明しよう。

ウェストミンスターからオリジナルのユニットを外し、これまで補助バッフルを使いながらいろんなユニットを装着して試してきた。

その中で一番気に入ったのが「スーパー12」で、最難題の「分解能と量感」がうまくマッチしているのがその理由だが、それとは裏腹に「もし故障したらどうしようか」という奇妙な不安感に駆られて、伝手(つて)を頼って同じユニットを2本キープしたのは3年前だった。

とかくスぺアを準備したがるのは「小心者」の常で、真空管など枚挙に暇がない(笑)。

で、以後大切に包装して物置小屋の屋根付近に2本とも伏せた状態で一度も使わずに保管していた。

で、先日のこと気になったので引っ張り出してテストしたところ両方から盛大な雑音が出る。あれ~、3年前は大丈夫だったのに~。

さあ、修繕しようか、どうしようか・・。

現用中のユニットは故障の気配を微塵も見せないしねえ~。

しかし、オーディオ愛好家の心理としてSPユニットを故障のまま放置しておくのはもの凄く気になる・・。

やむなく、いつもの修理工房に送付した。

その結果、画像を添付したメールで「コイルとボビンが剥離していました」と無情な通告。



原因にまったく思い当たる節が無い・・、たとえば大きな音で鳴らしてもいないし、そもそもまったく使用していなかったんだから~。

つらつら考えるのに「物置の上部は夏の時期などは異常な高温にさらされているので、その高熱の繰り返しによってこういう症状が起きたのだろう」、としか考えられない。

つまり「保管場所のミス」だった。

結局、厳重な梱包のため荷物も大きくなり往復の送料もバカにならず、修繕代ともどもえらい高いものにつきました。

クルマの燃費どころではなかった!(笑)

読者の皆様、精密機器を保管するときは、周囲の環境に大いに気を付けましょうねえ~。


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音の「魔術師」 転じて 「道化師」へ

2022年12月26日 | オーディオ談義

このところサッパリ不人気のオーディオ記事だったが、前回のブログ「スピーカーは多ければ多いほど楽しい」(24日)はすっかり名誉挽回。



この画像がどうやら説得力があったようで、久しぶりに大量アクセスによる快ヒット!

やはり「百聞は一見に如かず」かな(笑)。

で、その記事の内幕を記すと、当日の朝、さて今日は「オーディオ記事」の搭載日だが「何を書こうかな?」。

そうだ、オークションで取り逃がしたマクソニックの「DSー405」を題材にしよう。

それなら、まず前提としてスピーカーに「いかに熱心か」紹介しておく必要があるので、我が家のスピーカーの全景写真でも撮ってみようかな。

何の気なしに画面中央に据えたリチャードアレンのユニットが入った箱の上に「PL-100」(英国:モニターオーディオ)を載せて、パチリ。

そして無事投稿を終えて風呂(温泉)に浸かっているときに、この残像が天啓とでもいうべき閃きをもたらした。

そうだ、リチャードアレンを低音域にして「PL-100」の「リボンツィーター」(2800ヘルツ~)を活かせないかな。

いつものように思い付いたら即実行。



「PL-100」のクロスオーバーは2800ヘルツだから、銅箔コイル「1.2mh(ミリヘンリー)」を使って、リチャードアレンを1500ヘルツあたりでハイカット(-6db/oct)してみた。

おっと、先日のブログで「人間の耳に敏感な200ヘルツ~7000ヘルツまでマグネットの違う異種のユニットを混ぜ合わせない方がいい」と、ほざいたやつはどこのどいつだ、まったく舌の根も乾かないうちに・・(笑)。

このブログは常に「原則として」という前提条件が付いており、ま、ケースバイケースということで・・、アハハ~。

実は、実験前のことだがほぼ上手くいくだろうと踏んでいた。ブログのタイトルも「音の魔術師!」ではどうかなと早くも皮算用・・。

ところが、いざ音出しをしてみるとこれがサッパリいけませぬ~。両方のユニットの音の馴染み方がてんでんばらばら。

2時間ほどアンプをとっかえひっかけ試してみたが、とうとうお手上げ状態に~。

やはり「リボン型ツィーターは難しい」という結論へ。

結局「音の魔術師」転じて「道化師」になってしまった(笑)。

で、初心に戻ってこの「PL-100」を、どううまく鳴らすかに方向転換した。

なにしろ能率が80db台と低いので「71A」をはじめとする小出力アンプ群は最初から出番なし。そもそもこのSPはパワーに恵まれた「TRアンプ」が前提なのだろう。

ようやく、低音域を「300Bシングル」アンプ、リボン帯域を「2A3シングル」(出力管:VISSEAUX刻印)で落ち着いた。



2800ヘルツまでしか受け持たない「300Bシングル」アンプは、WE300Bを使うのはもったいないので「中国製」を使ったが、これで十分。

そして、次いで「二の矢」を放った。

右チャンネルの片方だけSPスタンドを使ってみたのがこの画像。



そして、左チャンネルは元通りリチャードアレンに載せたままで、比較して聴いてみると明らかに右チャンネルの方が音がまとわりつかない印象でスッキリ爽やか。

「PL-100」はバッフル面が小さいだけに、それなりのメリットがあるようで、急いで左チャンネルもSPスタンドに変更した。

次に「三の矢」を~。

サブウーファーとして「ウェストミンスター」の出番。長大なバックロードホーンによる低音を利用して70ヘルツ以下を補強してみた。

変則的な「3ウェイ・マルチ・チャンネル」だが、低音域の量感が少し加わるだけでこれだけ音が変化するのかと仰天した。

言い方は悪いが「重箱の隅を突っつく」ような神経質さが消滅して「ゆったり感」がこの上なく心地よい。これで決まり。

不遜な物言いになるが、こういう低音を聴くと世の中のほとんどのシステムが「低音域の量感不足」ではなかろうかとさえ思ってしまう。

「マリエッタの歌」(歌劇「死の都」)は、我が家のシステムの中で最高の出来栄えかもしれないと思うほどで、いかにも英国のスピーカーらしく微妙な陰影の表現力に優れている。

考えてみると、メーカー製の完全なユニット形はこれだけで、ほかは自分が勝手に弄ったスピーカーばかりだが、自己流の限界をほのかに悟った次第。

やっぱり、自分は所詮 ”井の中の蛙” の「道化師」なのかなあ・・(笑)。



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スピーカーは多ければ多いほど楽しい

2022年12月24日 | オーディオ談義

不特定多数の読者を相手にしていると、どうしても「自分がどう見られているか」を意識してしまう。

「スピーカーやアンプをそんなに持っていても仕方がないだろう。少し頭を冷やした方がいいんじゃないか」という冷たい視線・・(笑)。

オーディオ愛好家のうち大半の方々が、「オンリーワン」あるいはせいぜいサブシステムを加えて2系統というのが関の山ではなかろうか。

事実、これまで接してきた身近なオーディオ仲間はすべてそうだった。

ところが、いろんな音楽ソースを「好きな音」で聴こうと思えばオーディオ機器はいくらあってもいいという考え方の持ち主である。

つまり、あらゆる音楽ソースに十全に対応出来るスピーカーやアンプは存在しないという考えが根底にある。

たとえば、オペラやオーケストラを聴こうと思えば箱が大きなシステムに限るし、清楚なボーカルを聴こうと思えばやや小さめの箱に容れた「25~30cm」のユニットが有利だし、ときたまジャズを聴こうと思えばやはり「JBL」がいい、といった調子。

かくして、我が家のスピーカー群はこういった感じ。



それほど広くもない部屋に、ひしめき合っている(笑)。

順次紹介すると、左側から奥の方は「ウェストミンスター」(内蔵ユニットはワーフェデールのスーパー12(口径30cm:赤帯マグネット)で、コイル次第でサブウーファーに変身したりして大いに重宝している。

その前が同じくワーフェデールの「スーパー10」(口径25cm)で目下のところ大活躍中。

昨日のこと、試しに左側だけ「AXIOM80」にしたところ、左右の区別がつかなかったほど音がよく似ていた。

ちなみに「スーパー―10」(大型の赤帯マグネット付き)を手に入れたときの価格は「AXIOM80」の1/4程度だからたいへんなお買い得品。

その右側が「リチャードアレン」(口径20cm)とモニターオーディオの「PLー100」で、出番を虎視眈々と狙っている。

その右が小ぶりの自作の箱(板厚1.2cm)に容れた「AXIOM80」、その右がこれまた自作(板厚1.5cm)の、やや大きめの箱に容れたグッドマンの「TRIAXIOM」(口径30cmの同軸3ウェイ)、そして最後に一番右側がJBLの「D123+075ツィーター」。

ほかにもグッドマンの「AXIOM150マークⅡ」(口径30cm:同軸2ウェイ)が待機中。

そして、それぞれのスピーカーに対して相性のいいアンプも様々で、これですべていけるという万能の真空管アンプもこれまたない。

で、これらをおよそ3~4日ごとに入れ替えて楽しんでいるが、まるで美女軍団に取り囲まれたハーレムの王様みたいな気分になる(笑)。

ただし、重たいスピーカーの移動が手に余るようになったので昨日はとうとう「滑車」を付ける作業に没頭した。

近くの量販店から小さな「滑車」を購入して3ペア(6台)のスピーカーの底に取り付けた。1台が4個必要だから全部で24個になる。

こういった調子。



これで動かすのがもの凄く楽になった。しかも、これらのSP群は聴くときはすべてSPスタンドに載せるので音質への影響は皆無である。

とまあ、涙ぐましい努力をしているわけだが、ほんとうは整理するのが一番いいのだがいずれも愛着があって捨てるに忍びないのが実情。

生前に整理しておくのが家族にとってもいいだろうから、死期を悟ったら一日も早く(笑)。

で、もうこれ以上増やすのは止めておこうと固く誓っているのだが、ついオークションを見ているとどうしても欲しくなるのが出てくる。

マクソニックの同軸型2ウェイフルレンジ「DS-405」(口径38cm)。大きくて強力そうなアルニコ・マグネットが実に魅力的。

我が家では口径38cmはお呼びではないが、ウェストミンスターの箱に容れると面白そうだなあ・・。

1000円スタートだったので5万円ぐらいなら、あわよくば・・。

ところが、一昨日(22日)のことだったが落札価格は何と「12万円」!

片方のユニットの高音が出ないという欠陥があるのにこの高値~。

ヤル気になれば手が出ない価格でもないが、やっぱりこれ以上増やすのもねえ~。

というわけで、ま、いっか(笑)。



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もっと音を小さくした方がいいんじゃない

2022年12月23日 | 独り言

「お父さん、もっと音を小さくした方がいいんじゃない」と、早朝散歩(朝の5時頃)に行くときの家人が宣う。

目覚めたときに思いついたオーディオ実験をしたくなり、つい夢中になって音量を上げてしまう(笑)。

オーディオルーム側に面したお隣さんは、奥様が入院されており、87歳になるご主人の一人暮らし。

「日経新聞」を購読されており、我が家の「読売新聞」と1日遅れで交換しているほどの気安い間柄。

この30年間ほど「うるさい」という苦情は一度もないが、我慢されているのかもしれないのでなるべく自制した方が良さそうだ。

上司や部下を選べないのと一緒で隣人も運任せだが、ありがたき幸せだった。

騒音トラブルといえば、つい最近、長野市の公園「青木島遊園地」で子供の声がうるさいとの苦情を受けてお役所が遊園地を廃止する動きが報じられていた。

子どもは「国の宝」なので少しぐらいは我慢しろという意見もあるようだが、被害の当事者としていざ権利を振りかざされると、行政側も弱くならざるをえないようだ。



「苦情社会の騒音トラブル学」という本は、読んで字のごとく「騒音トラブル」に対して様々な角度から分析した学術専門書だった。

図書館で、ふと見かけた「騒音トラブル」の文字が気になって、手に取ってざっと目を通したところタメになりそうだったので借りてきたが、実際に読み出すと想像以上に堅苦しい内容。とても半端な覚悟では読みづらいこと間違いなしなので、けっして万人向けではない。

著者の「橋本典久」氏は、大学教授でご専門は音環境工学。

「騒音トラブル」といえば一般的に、二重窓にしたり防音室を作ったり、とかくハード面から考えがちだが、本書では「概論」「音響工学」「心理学」「社会学」「歴史学」「解決学」といった、様々な角度から同じような比重で分析されており、視野の広さを感じさせる。

とりわけ、心理学の面から騒音問題を考察している部分がとても面白かった。以下、そっくりそのまま「受け売り」として抜粋させてもらおう。

なお「※部分」は筆者が付け足した部分。


 騒音の定義とは音響用語辞典によると、端的には「いかなる音でも聞き手にとって不快な音、邪魔な音と受け止められると、その音は騒音となる」。このことは騒音が極めて主観的な感覚によって左右されることを物語っている。これではまるでセクハラと同じである。

※ 好ましい異性からのアプローチはセクハラやストーカー行為にはなりえない。同様に、好ましい相手が出す音は当人にとって騒音にはなりにくいというのは興味深い!(笑)

 上記の定義を別の表現で示せば「”うるさい”と思った音が騒音」となるが、なぜ”うるさい”と感じるかは学問的に明らかにされていない。音量の大きさが指標となるわけでもない。たとえば若者はロックコンサートの大音量をうるさいとは思わないし、また風鈴の風情ある小さな音でもうるさいと感じることがある。複雑な聴覚心理のメカニズムが騒音トラブルを生む大きな要因となっているが、これは今後の重要な研究課題である。 

 明治の物理学者「寺田寅彦」は次のように述べている。「眼はいつでも思ったときにすぐ閉じられるようにできている。しかし、耳の方は、自分で閉じられないようにできている。いったいなぜだろう。」これは俗に「眼に蓋あれど、耳に蓋なし」と称されるが、「騒音トラブル」を考えるうえで、たいへん示唆に富んだ言葉である。 

 人間の体はミクロ領域の生体メカニズムからマクロ領域の身体形態までたいへん精緻に作られており、耳に開閉機構がない事にも当然の理がある。

これは人間だけではなく、犬や猫などほとんどの動物が基本的に同じだが、その理由の第一は「外敵への備え」である。敵が発する音はもっとも重要な情報源であり、たとえ眠っているときでも常に耳で察知して目を覚まさなければいけないからである。


 騒音トラブルの相手とはつまり外敵にあたる。その外敵が発する音は自分を脅かす音であり、動物的な本能の働きとして否応なしに注力して聞いてしまうものである。こういう聴覚特有の働きが、現代社会に生きる人間の場合でもトラブルに巻き込まれたとき現れてくるのではないだろうか。

 こういう話がある。「ある著名な音楽家が引っ越しをした先で、どこからか子供のピアノの練習音が微(かす)かに聞えてきた。そのピアノは、練習曲のいつも同じ場所で間違うのである。

最初のうちは、また間違ったというぐらいであったが、そのうち、その間違いの箇所に近づいてくると、「そら間違うぞ、そら間違うぞ、やっぱり間違った」と気になり始め、ついには、そのピアノの音が聞えてくると碌に仕事も手につかなくなった。

その微かにしか聞こえないピアノの音はいつしか音楽家にとっては堪えがたい苦痛になり、ついには我慢できず、結局、また引っ越しをする羽目になった」。


 なぜそんなに微かな音を一生懸命聞いてしまうのか。それは普通の人には何でもない音であるが、音楽家にとって間違った音というのは一種の敵だからである。敵に遭遇すると自然に動物的な本能が働き、敵の音を一生懸命に聞いてしまうのである。これは音に敏感とか鈍感とかの問題ではなく動物としての本能であり、敵意がある限り、このジレンマからは逃れることができない。

※ これを読んでふと思いついたのだが、もしかして気の合う仲間のオーディオは「いい音」に聞え、そうでない人のオーディオは「ことさらにアラを探したくなる」のも、この外敵意識が微妙に影響しているかもしれないと思うがどうだろうか(笑)。

 敵意がない場合はかなり大きな音でもうるさくは感じない。たとえば阪神大震災の折、大阪の淀川堤防の一部が液状化のため破壊された。大雨でも降れば洪水を引き起こしかねないと、昼夜を分かたず急ピッチで復旧工事が行われたが、数週間にわたるこの工事騒音は近隣の住宅にとって大変大きなものだったろう。

しかし、当然のことながら、夜寝られないなどの苦情は一切寄せられなかった。むしろ、夜に鳴り響く工事の騒音を復旧のために一生懸命働いてくれる心強い槌音(つちおと)と感じていたことであろう。

とまあ、いろんなエピソードを挙げればきりがないほどだが、281頁以降の肝心の「騒音トラブルの解決学」を見ると、初期対応の重要性が指摘されており、手に負えないときは公的機関の相談窓口も紹介してあるが、法曹界には「近隣関係は法に入らず」という格言があるように、あまり当てにはできないようだ。

結局、「騒音トラブル」対策の要諦は例の「ピアノ殺人事件」のように、「迷惑かけているんだからスミマセンの一言くらい言え、気分の問題だ・・」に象徴されるようである。

誰にとっても「人間は不可思議な生き物、この生き物を理解することは一番難しくて永遠の課題」だが、なるべく日頃からご近所とは仲良くとまではいかないまでも、せめて「外敵と見做されないように」工夫することが、騒音トラブル回避の要諦のようだ(笑)。


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二兎を追う者は一兎をも得ず

2022年12月22日 | オーディオ談義

前々回からの続きです。

およそ2か月ぶりに来ていただいたオーディオ仲間のYさんだが、例によってその間に我が家のスピーカーはかなりの変容を遂げている。

なにしろ7系統もあり、ああでもないこうでもないと弄り回していると、そもそも本人自体がはたして前よりも良くなったのかどうか計りかねるところがあって、一言でいえば「変化こそ良けれ」という「変化至上主義」に落ち込んでいるともいえるのかな~(笑)。

そういう中で、さして期待もせずにYさんに聴いていただいたのがJBLのシンプルな「2ウェイ・システム」。



いろいろと紆余曲折があってサブウーファーに使ってみたりしたが、最後にこのスタイルに落ち着いた。

ご覧のとおりボックスの板厚が4cmもあって(厚過ぎて)「箱鳴り」が期待できないのでイギリス系のユニットには向かないのがそもそもの発端。

背圧を逃がすバッフル下部の開口部に隙間の詰まったカバーを付けたところどうにか「音」が様になったのはありがたい。

改めて概要を記すと、JBL「D123」(口径30cm)をフルレンジで鳴らし、高音域を「075ツィーター」(およそ7000ヘルツ~)で補完するというもの。

なにしろ、我が家ではやや陰にこもったイギリス系の音ばかりなので、1台くらいスカッとした開放的な音があってもいいだろうという目論見。

ところが、この音がいたくYさんのお気に召した。

「久しぶりにJBLのこんなにいい音を聴きました! 高音域の抜けが素晴らしいです、ツィーターがよく利いてますねえ」と絶賛。

以下、筆者の好き嫌いを交えて「独断と偏見」に満ちた表現になるがどうかお気を悪くされる向きがありませんように・・。

現役時代と違って「忖度」はもう飽きましたのでね(笑)。

普通、JBLといえばネットワークを使っての3ウェイ構成が多いのだが、ネットワークを使うと各ユニット間の音の重なる帯域で干渉が起こりどうしても音が濁ってしまう。

人間の耳にとって敏感な帯域の「200~7000ヘルツ」あたりまではマグネットの違う異種のユニットを混ぜ合わせない方がいい。

ボーカルを聴くとその辺がよく分かる。

もちろん、ネットワークの代わりに急峻な「肩落ち」ができるチャンデバを使うという手もあるが、これがまた「TR素子っぽい音」になって、これに較べたらネットワークの方が ”まだまし” とさえ思う。

したがって我が家の基本形は、まずフルレンジで鳴らす、そして足りない周波数帯域があればその辺をコイル(低音用)やコンデンサー(高音用)の単体を使って付け足す、というシンプルな形になる。

今回のケースでは、音楽ソースによっては低音不足を感じたのでYさんが辞去された後になって、サブウーファーとしてウェストミンスター(70ヘルツ以下)を継ぎ足して、結局「D123」をサブウーファーとツイーターで挟み込むスタイルで決着。

ただし、なぜチャンデバを使わないのに3ウェイ・マルチ・チャンネルが出来るの?

種明かしをすると、プリアンプに3系統の出力が出来るように改造したおかげ。もちろん、総合的にプラス・マイナスがあるがこの場合はプラスが大きいと判断した。

問題は「D123」を駆動するアンプだが、あまりレンジが広すぎても両端のユニットに干渉しすぎると拙いので小出力の「71Aシングル1号機」でようやく落ち着いた。

とまあ、いいことずくめのようだが、このところお気に入りの「マリエッタの歌」(歌劇「死の都」)ばかりは、(このシステムだと)どうしても明るすぎて翳りが伝わってこないのが残念~。

音にも「光と影」があって音楽ソースに対して向き不向きがあるようで・・。

「二兎を追う者は一兎をも得ず」なので、ま、いっか(笑)。

最後に、Yさんが辞去されるときに冗談っぽく「このクロック・システムをしばらく置いていきませんか」と、言ってみた。



すると「ああ、いいですよ~」と、あっさりしたご返事。ほんとに ”おおらかなタイプ” だなあ(笑)。

残念だけど置き場所が無いので、ご厚意だけありがたく受け止めながら、乗ってこられた電気自動車「SAKURA」(2022年 カーオブザイヤー 3冠)を見送った。



ちなみに、このクルマを購入後3か月になるがまだ1度も給油していないとのこと!



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ヒューマンエラーを防ぐ知恵

2022年12月21日 | 読書コーナー

悲惨な事故のきっかけになることが多いヒューマンエラー。人間の「うっかりミス」による悲劇はいまだに後を絶たない。

たとえば自動車のアクセルとブレーキの踏み間違い、飛行機の整備ミスによる墜落や落下物など枚挙にいとまがない。

地震とか台風とかいった自然災害ならともかく、ヒューマンエラーが原因の事故ともなると、加害者も被害者側にとっても悔やんでも悔やみきれないだろう。

このヒューマンエラーをどうやって防げばよいのか。


 本書は次のエピソードから始まる。

「ある男が避暑のために静かな田舎に引っ越してきた。ところが、早朝に近所のニワトリの鳴き声がうるさくて熟睡できない。そこで男は睡眠薬を買ってきて、ニワトリの餌に混ぜてみた。」

一見冗談のような話だが、この話は原因を除去するという発想に立つことの重要性を説明しており、事故分析と事故予防を考えるうえで大切な教訓を与えている。

本書の構成は次のとおり。

第1章 ヒューマンエラーとは何か
第2章 なぜ事故は起こるのか
第3章 ヒューマンエラー解決法
第4章 事故が起こる前に・・・・ヒューマンエラー防止法
第5章 実践 ヒューマンエラー防止活動
第6章 あなただったらどう考えますか
第7章 学びとヒューマンエラー 

各章ごとの解説は長くなるので省略するが、第6章「あなただったらどう考えますか」に28の事例があり、興味深いと思ったものをいくつか抜粋してみた。

☆ 医師が書いたメモが悪筆で、部下の看護師が読めない場合どうしたらよいか。

まず、なぜ看護師は読めないメモを医師に突き返さないのかと、素朴な疑問を第一の問題の捉え方とする。

医師と看護師の間で権威の落差(権威勾配)が大きすぎることが問題の原因。これでは、たとえメモの問題が解決したとしても権威勾配を背景にした別の事故が起こりかねない。事故防止のためには、たとえ権威のある人でも行動に間違いがあればそれを正す仕組みを作り出す必要がある。

たとえば偉い人の間違いを正す体験や部下に正される体験をする模擬演習が効果的。
偉い先生が「これから私はわざといくつかミスをするので変だと思ったら質問してください。また、私から「やれ」といわれても、不審な点があったら従わないでください」と宣言し、この訓練を年に1回でも実施する。

(こういう模擬演習に協力してくれるような先生なら、そもそも最初から権威勾配なんて起きそうもないが、とは筆者の独り言~笑~)

☆ 高速道路をオートバイで二人乗りする場合は事故が少ないといわれているが何故か。

緊張感は人間を慎重にさせる。高速道でのバイクの二人乗りは一歩間違えれば危険な状況であり、バイクの運転者は背後の同乗者の命への責任を感じ安全運転を心がける。周りの自動車の運転者も警戒する。

この緊張感に関連して、古典「徒然草」百九段の箇所が有名なので紹介しよう。タイトルは「高名の木登り」。

木から下りようとする人を、木登りの名人が監督していた。高くて危ないところでは何も言わず、低いところになってから”注意せよ”と声を掛けた。

緊張のレベルが高い段階では何も言わなくても自分で気をつける、緊張のレベルが下がる局面で油断が生じ、怪我をしやすい。だからそこで声を掛ける。緊張レベルの適正化
は現代の人間工学でも重要事項となっている。

☆ 名前の呪い

専門用語には名前の付け方が不適切なため誤解や事故のもととなることがある。例えば”自閉症”という字面は”自分の殻に閉じこもっている精神症状”と誤解を招く。なぜ、このような呼称になったのか。

専門用語は学問の歴史と密接な関係があり、発見者が命名権をもち、それが名誉となる。このため、研究が未成熟の段階で憶測を含んだ名称をつけてしまうことが頻発する。

つまり命名は名誉や権力の証ということだが、正しい命名法としては客観的で控えめな名前をつけるべきで憶測や価値観を匂わせる名称は控えること。事柄を何かにたとえた名称も避けるべき。たとえば”うどん粉病”はうどん粉とは関係がない。

以上のほかにも、
・自動車の速度計がアナログ方式とデジタル方式のどちらを選択するか
・人気のラーメン店で店頭で順番を待つのとレストランの店内でオーダーをとられて待つのと客の心理はどう違うかなど面白い事例があった。

さて、読後感だが本書の内容は失敗を予防する面からの記述に尽きるが ”失敗は成功の母” という言葉にもあるように、世の中には実際に失敗してこそ成長の糧となるケースも多々あるのは周知のとおり。

卑近な例だが自分も50年以上に亘るオーディオ人生の中で数限りない失敗を繰り返し、そのたびに授業料を払ってきたおかげでどうにか現状の「そこそこの段階」に至った。まあ、けっして自慢できる話ではないが(笑)。

その点、「あとがき」で次のように申し添えてあった。

学 校 → 教えたことを間違えない生徒が有利

社会人 → 間違いをしても原因に気づきその後に生かせるタイプが有利

とあって、「学校での成績が必ずしも社会人としての成功と直結しない」とあった。この辺は実感される方が多いのではあるまいか。

そういえば、「輝かしい学歴と経歴」の持ち主たちが仕出かしたとてつもない失敗事例を思い出した。

政策的な失敗は多くの人命の損失、ひいては国家の損失につながるのだから、とてもヒューマンエラーで片付けられる次元ではない。


話はあのケネディ政権の時代にさかのぼる。

当時の政権の中枢にいた「ハーバードやエールなど一流大学を飛びっきり優秀な成績で卒業し、光り輝く経歴の持ち主」たちが引き起こした「ベトナム戦争」をはじめとした政策の失敗の数々はまだ記憶に新しい。

これらについて鋭く問題提起した本が「ベスト・アンド・ブライテスト」(ハルバースタム著)だが、結局彼らに欠けていたのは「歴史観と展望力」だと指摘されていた。

とても ”くくり” が大きい話になってくる。


「人間の知力とはいったい何か」について深く考えさせられる本である。



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 「滲みの無い音」 と 「56万円」を秤にかけると

2022年12月20日 | オーディオ談義

やっとバカ騒ぎが終わりましたね。テレビ、新聞、ネット・・。

手を使わないスポーツはどうも・・。

さて、オーディオは自分さえ楽しければそれでいい趣味だが、やはりときどき他人の意見を参考にした方が明らかに前進するように思う・・、少なくとも我が家では~。

で、17日(土)の午後、およそ2か月ぶりに「お元気ですか。たまには聴きに来ませんか~」と近くにお住いのYさんへ「ライン」で連絡。

「はい、わかりました。いつもの13時半ごろに行きます」

その昔、プロ野球の巨人軍に「宮田」というリリーフ・ピッチャーが居て試合終了近くの8時半ごろにいつも登板するので「8時半の男」と呼ばれていた。

家人はそれをもじってYさんを「1時半の人」と秘かに言っている(笑)。

「いやあ、お久しぶりです、お元気でしたか」と、迎え入れたところ、Yさんの手には重そうな包みが下がっている。

エッ、それは何ですか?

「デジタル機器の音をよくするクロック・システム」です。

へ~っ・・。

さっそく興味津々でセッティング完了。



「CDトランスポート」と「DAコンバーター」の間に挿入する機器とのことで、CECの「CDトラポ」(TL3 3.0)とDAC「A22」(GUSTARD)の間に入れて接続完了。

システムの概要は、プリアンプが「安井式」(ヴァルボのE80CC×4本)、パワーアンプは「2A3シングル」、そしてスピーカーはYさんがお気に入りの「AXIOM80」。これが音の差が一番よくわかるとのこと。

二人してじっと耳を澄ましていろんな曲目を聴いた。

その中でも、あの「宇野功芳」さんが激賞していた「有山麻衣子」さんの可憐な歌声が深く胸に沁み入った。



異口同音に「やはりボーカルはワンポイント録音に限りますね!」

それにしても、何という「見事な音」なんだろう。

この音を形容するのにどういう表現が相応しいのか・・、少なくとも「音像に寸分たりとも滲みが無い」とは言えそうだ。

「凄いですね! この機器はいったいいくらぐらいするんですか?」

ビンボー人はすぐ「お値段」が気になる(笑)。

「はい、ドイツのミューテックという会社の製品です。2台セットで56万円でした。」

え~っ、何とCDトラポとDACを合わせた以上のお値段ではないか・・。

「マスター・クロックの精度が上がれば上がるほど、デジタル信号の読み取り精度が上がり、より原音に近づきます。まあ、デジタル機器の心臓部といっていいでしょう」

さあ、たいへん~。

「56万円」という重くのしかかる数字と「滲みの無い音」とを秤にかけると、やっぱりためらいますなあ(笑)。

たとえて言えば、90点取れている得意科目を、それだけのお金を使って95点まで上げる価値があるかどうか・・。

このクロックシステムで、以後「AXIOM80」以外のスピーカーを次から次に代えて試聴していったところ、Yさんが手放しで絶賛するスピーカーが出現した。

突然「大化けしたスピーカー」とは・・。

以下、続く。



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何だか悲しくなる「お話」 三題

2022年12月19日 | 独り言

九州では今季最強の寒波がいつもの年よりも早く押し寄せてきて、全土が震え上がっている。

厳寒は人間に閉塞的な気分を促すような気がするが、そういう中で「何だか悲しくなる話」を3題提供してみよう。

☆ 指揮者「リッカルド・ムーティ」氏の「私の履歴書」


現在、日経新聞の「私の履歴書」には、珍しく外国人の指揮者「リッカルド・ムーティ」氏が登場している。

自分の記憶では、外国人が登場するのは
あの「カルロス・ゴーン」以来ではあるまいか。

ゴーンは周知のとおり、日本の法の裁きを忌避してトランクの中に隠れて違法にも国外逃亡をして名声がすっかり地に落ちた人物であり、由緒ある「私の履歴書」に相応しくない人物として日経新聞もきっと臍を噛んでいることだろう。




さて、ムーティ氏の記事はなにしろクラシックに関することばかりなので、毎回興味深く読ませてもらっているが、15日(木)付けの記事でこういう箇所があった。

90歳になる音楽家のヴィットリオ・グイ氏が当時30歳のムーティに対して次のように述べた。

「なんて残念なんだ。人生の終わりが近づいている今になって、やっとどうやって指揮をするのか分かり始めるなんて」

ふと「江戸時代」の稀代の浮世絵師「葛飾北斎」(享年89歳)が臨終のときに「天がせめてあと5年の命を与えてくれたら本物の絵師になれたのに・・」を思い出した。

「芸」の本質に肉迫するのがいかに難しいことなのか、それを物語るエピソードだと思うが、
それはさておき実は我が「音楽&オーディオ」もそうなんです~。

「人生の幕がそろそろ終わりに近づこうとしているときに、ようやく満足できる音が出るようになるなんて・・」、うれしさ半分、悲しさ半分といったところかな~(笑)。

☆ 女優「ミレーヌ・ドモンジョ」の死

つい先日のネットで見かけたフランスの女優「ミレーヌ・ドモンジョ」の死亡記事。享年86歳とのことで、まあ天寿を全うできたのかな~。

洋画に熱心だった青春時代にそれはそれは女神のように憧れた女優だった。顔もスタイルも抜群でまったく非の打ち所なし~。



それが、このネットの記事では・・。



憧れていた女優の歳を取った姿ばかりは見たくない~(笑)。

同じ流れで往年の歌手「天地真理」。

☆ 老人ホームにいる「天地真理」

「天地真理」といえば一世を風靡した歌手。彼女の往年のヒット曲「想い出のセレナーデ」が大好きで、今でもちょくちょく聴いているほどでメロデイーも歌詞もたいへん素敵。



当時、波に乗って次々にヒット曲を連発していたので、きっと今では悠々自適の老後を送っていることだろうと想像していたら、何と現在は自己破産状態で川崎の老人ホームで暮らしているんだって~。

ホームの居住費はファンクラブが面倒を見ているそうで、若い頃の蓄えはいったいどこに消えたの~。



昔の面影は少し残っているけど・・・。

そういえば、若い頃に「結婚するときは冷静になって相手が歳をとった時の姿を想像しなさい」と、聞かされたものだった。

たしかに、お婆ちゃんになっても品のいいタイプが居てたとえば「八千草薫」さん(故人)みたいな感じ。



そして、肝心の「我が家」の場合はどうなんだろう(笑)。



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オペラを聴く音の決め手は「?」

2022年12月18日 | オーディオ談義

前々回からの続きです。

唐突な話になるが「かなり内向的で、しつこい粘着質タイプ」であることを自認している。

そうでもないと「クラシック音楽&オーディオ」を楽しむ資格はないと思っているが、そういえばスカッとした健康的なスポーツマン・タイプにクラシック・ファンが居た験しがない(笑)。

とまあ、いささかの ”うしろめたさ” を感じ、そして弁解しながらアリア「マリエッタの歌」(歌劇「死の都市」)の絶唱に最適なシステムを求めて次から次に「スピーカー転がし」をやっているが、あまり ”はしゃぎ” 過ぎても顰蹙を買いそうだし、なるべく冷静にいこう(笑)。

3番目に聴いたシステムはこれ。

天下のタンノイといえども容赦することなく自分好みに仕立て上げた2ウェイシステムである。

もちろん、「オリジナルの方がずっといい」という方がいてもちっとも不思議ではない。「音楽と音」に関する感性は「人それぞれ」だし、自分の好みを人に押し付けるつもりは毛頭ない。

さあ、この大型システムで「マリエッタの歌」にじっと耳を澄ましてみた。

最初に気付いたのは、曲の合間にコントラバスの響きがドス~ンと奥深く、そして豊かに広がってきたこと。

何だ、こんな音が入っていたのか!

やはり大型スピーカーならではの「支え」がしっかりした再生音で「オーディオは最後は箱で決まり」の思いを一層深くした。

JBLの「175ドライバー」(900ヘルツ~)も、相性抜群の「71Aシングル」アンプで駆動しているせいか、クラシックにもまったく違和感がない。

歌手の足がしっかりと地(舞台)についていることを確認しながら、このスケール感豊かなアリアを聴いていると、知らず知らずのうちに至福の世界へと引きずり込まれていく。

ちょうど夕食まえのひと時だったのでウィスキーをちびりちびりやりながら、ウ~ン、参った、もういつ死んでもええなあ~(笑)。

「このシステムで決まりだね」と、思わず店仕舞いを考えたが、おっと、もうひとつの大切なシステムを忘れちゃいませんか。

グッドマンの「TRIAXIOM」である。



口径30cmの「同軸3ウェイ」ユニット・・。

ネットオークションでも10年に一度出るか出ないかというほどの希少なユニットである。

ちなみに、このユニットを数年前にオークションで手に入れたまでは良かったものの、片方のユニットから強い音が入った時に「ビビリ音」が出て困り果てた。

馴染の工房(長野)で修繕してもらったが、とても複雑な故障で結果的に高いものにつきました!(笑)

この「TRIAXIOM」は、先日(11月1日)の試聴会で仲間の「S」さんから「ずっと聴いていたい音です!」と絶賛されたのはまだ記憶に新しいが、そのときに「こんな小さい箱に容れておくのはもったいないですよ。いっそのことウェストミンスターに容れてはどうでしょうか」

随分迷ったが、とりあえず「AXIOM80」(オリジナル)が入っていた自作の箱(板厚1・5cm)から断腸の思いで(AXIOM80を)外して、その代わりに移した経緯がある。

そして、一聴するなり「これは・・」と、思わず息を呑んだ。

何という「気品のある音」なんだろう!

これは低音とか高音がどうとかの「周波数レンジ」を超越している・・、神々しいまでの音楽の佇まいに打ちのめされた。

これぞ「ブリティッシュ・サウンド」か・・、雰囲気に独特の翳りというか微妙な陰影があって思わず人生の「来し方」を考えさせてくれるような音。長いことクラシックを聴きこんできた人間だけに通じる世界かもしれない。

これは、人生の喜びや悲しみ、悔恨や虚しさを切々と歌い上げる「オペラ」に最適のサウンドではあるまいか・・、な~んちゃって(笑)。



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「書く力は、読む力」とは

2022年12月17日 | 独り言

これまでブログに搭載した記事だが、およそ16年に亘って3000件あまりになる。

「上手いか、下手か」は別にして「書くこと」はあまり苦にならないけれど、 ”もっと上手くなりたい” という願望は常に持っている。

「自分が考え、伝えたい意味をもっと的確に読者に届けたい」というのがその理由だが、そういう人間にとって格好の本があった。

                        

著者は現役の高校教師(「国語」)だそうだが、音楽鑑賞にも十分通用する話があった。

まず冒頭、或る友人女性から著者に対する問いかけが紹介される。

「中学校の卒業式の日、担任の先生が教室でギターの弾き語りをしてくれた。それが「神田川」(1972年、かぐや姫)だった。歌い終わると、最後の歌詞の意味が分かるかとクラスに問いかけ、誰も答えられないのを見て、その男の先生がこういった。

“あと10年もすれば分かる日が来るだろう。これは人生の宿題にしておく。”」

その最後の歌詞とはこうである。

「若かったあの頃 何も怖くなかった ただ貴方のやさしさが 怖かった」

つまり友人女性から「“貴方のやさしさがナゼ怖かったのか”という意味が今になってもよく分からないから教えてほしい。貴方は国語教師だから分かるでしょう」というわけである。

歌詞の全体を紹介しておかないとフェアではないので、ちょっと長くなるが次のとおり。

「貴方はもう忘れたかしら 赤い手ぬぐいマフラーにして 二人で行った横丁の風呂屋 一緒に出ようねって 言ったのに いつも私が待たされた 洗い髪がしんまで冷えて 小さな石鹸カタカタ鳴った 貴方は私の身体を抱いて 冷たいねって言ったのよ 若かったあの頃 何も怖くなかった ただ貴方のやさしさが 怖かった


いろんな答えが紹介されるが、どうもしっくりこずとうとう白旗を掲げた著者だが、意外にも同僚の数学教師から次のような解答が導かれる。

「この女性は彼との同棲生活に多少の不安を持っています。悪い人間ではありませんが、理想や夢ばかり追って地に足がついていないような、まあ、男はみなそうですが、そういう人間として彼を見ている。もしかしたら別れることを考えていたのかもしれません。

ところが、彼がときどき見せる優しさに触れると、その決意はたちまち揺らいで、またしても彼の胸の中に包み込まれてしまう。コントロールが利かなくなるのです。

神田川は学園紛争全盛の時代を回顧した歌です。当時は親も教師も警察も怖くはなかった。強く出てきたら強くやり返せばよかった。しかし彼は違います。ここというところで優しく接してくるのです。それは無意識のものでしょうがその優しさを前にすると、彼女は険を削がれ無防備になってしまう。自身が操縦不能になってしまうのです。だから、彼の優しさだけが怖かったのです。」

模範解答があるわけではないが、“大人の知恵が盛り込まれている”この解釈こそが正しいと著者は確信する。この新解釈を友人女性に告げると、大いに納得した様子だったが、こうも言った。

「ほんとうは作者に正解が聞けるといいんだけどね」

実はここがポイントになるのだが、著者に言わせると「それはちょっと違う!」

「作者に正解を聞いてもあまり期待できません。理由は簡単です。作者が自分の思いを正確に表現できているとは限らないからです。正解は作者の頭の中にあるのではなく表現の中にこそあります。

問うべきは書き手はどういうつもりで書いたかではなく、どう読めるかです。“読み”は文字どおり読み手が主導するものなのです。」


これはクラシック音楽の鑑賞にも通用する話ではあるまいか。

古来、作曲家が残した「楽譜」の解釈をめぐって沢山の指揮者たちが独自の読みを行ってきた。たとえば同じ「運命」(ベートーヴェン)をとってみても星の数ほど演奏の違いがあり、演奏時間だって千差万別である。

「いったいどの演奏が正しいことやら。ベートーヴェンが生きていたら訊いてみたいものだが」と思ったことのあるクラシックファンはきっと“ごまんと”いるに違いない。

今になってみると、楽譜は作曲家の手を離れて独り歩きをしていることが分かる。いろんな「読み方」があっても当然で、どれが正しいとか正しくないとか、それは鑑賞者自身の手に委ねられているのだ。

地下に眠っている大作曲家たちも現代の数ある演奏の中には自分の意図しない演奏があったりして、さぞやビックリしていることだろうが、おそらく全否定まではしないような気がするがどうだろうか。

最後に本書の中で、「いい文章」というのが紹介してあった。ちょっと長くなるが紹介しよう。

「1943年初め、中国戦線に展開していた支那派遣軍工兵第116連隊の私たちの小隊に、武岡吉平という少尉が隊長として赴任した。早稲田大理工科から工兵学校を出たインテリ少尉は、教範通りの生真面目な統率で、号令たるや、まるで迫力がない。

工兵の任務は各種土木作業が主であり、力があって気の荒い兵が多い。統率する少尉の心労は目に見えていた。

1944年夏、湘桂作戦の衛陽の戦いで、敵のトーチカ爆破の命令が我が小隊に下った。生きて帰れぬ決死隊である。指揮官は部下に命じればよいのだが、武岡少尉は自ら任を買い、兵4人を連れて出て行った。やがて大きな爆発音がした。突撃する歩兵の喚声が聞えた。爆発は成功したのだ。


決死隊5人は帰ったが、少尉だけが片耳を飛ばされ顔面血まみれだった。なんと少尉が先頭を走っていたという。戦後30年たった戦友会で武岡少尉に再会した。戦中と同じ誠実な顔をされていた。大手製鉄会社で活躍、常務となって間もなく亡くなった。」

さて、これがなぜ「いい文章」なのか、分かる方は相当の「読み手」といっていい。

解答から言うと「書かずともよいことを、ちゃんと書かずにいるからいい」のだそうだ。

たとえば、「なんと、少尉が先頭を走っていたという。」のあとに何もない。結びの部分にも「戦中と同じ誠実な顔をされていた。」とあるだけで、余計な賛辞がない。

つまり「書くことよりも書かないことの方が難しい。」


このパラドックスを前にして、しばし考え込んでしまった(笑)。

どうやら「読み手が想像の世界に遊ぶ余地を残している膨らみのある文章こそいい文章」
のようである。(201頁)

「書くこと」「読むこと」に少しでも興味のある方は、ぜひ本書をご一読されることをお薦めします。


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オペラに適したシステムを求めて

2022年12月16日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

実に久しぶりに ”痺れまくった” アリア「マリエッタの歌」(歌劇「死の都」)。



せっかく発掘した、こんな素敵な宝物を粗末に扱っては罰が当たるというものだろう(笑)。

というわけで、この曲目の再生に適したシステムの探求を試みた。

音楽あってこそのオーディオ、まさに「オーディオ冥利」に尽きようというもの。

はじめに聴いたのは「スーパー10+サブウーファー(D123)。



悪くはないんだけど、全体的にもっと透明感が欲しいなあ~。(後でわかるのだが責任はスーパー10にはなかった!)

そこで、思い切って「スーパー10」の代わりに「AXIOM80」(復刻版)を載せてみた。



余談になるが、先日、重たいアンプを持ち上げて右上腕部を痛めていたのだが、ようやく治りかけたと思ったら、この作業でまたもや再発~。ま、いっか(笑)。

それはさておき、こうやって聴いてみると「AXIOM80」のスピードに対して「サブウーファー」の遅れがやたらに目立つ。

おかしいな~、JBLのコーン型ユニットはコーン紙のカーブが浅いのでそれほどスピード感に引け目はないはずだが・・。

あっ、そうか・・。「D123」の背圧を逃がすバッフルの隙間が狭いのかもしれない!

そこで、思い切って箱の内部の「ARU」を取り払って、広くしてみた。これが取り払った「ARU」。


ご覧のとおり背圧の逃げ道が真ん中の隙間しかないが、これではちょっと狭すぎるんだよねえ。もちろん後知恵だが(笑)。

そして、その代わりとして背圧口に適当な板を取り付けてみた。



ほんとうは「背圧口」の大きさを決めるのは緻密な計算式があるのだが、高齢者には面倒くさくて、ひたすら試行錯誤の作業あるのみ(笑)。

これで随分良くなったが、まだ100%とまではいかず、この背圧口の塞ぎ方次第でいろいろ遊べそうだ。

次に試したのが、細かい穴が開いたカバー。その昔、この箱を手に入れたときに純正品として付属していたもの。



これで背圧口の全体をカバーすると、断然よくなった。音に目方があるとすれば、低音域に重量感が出てきたので当分はこれでいこう。

とはいうものの、システム全体に対してじっくり耳を澄ますと、どうもしっくりこない。

普通の音楽と違って相手が「オペラ」ともなると、JBLのユニットをサブウーファーに起用したのは「クロス70ヘルツ」(-6db/oct)とはいえ間違いだったかもしれない。

そして、次はいよいよ真打の「スーパー12(in ウェストミンスター)+175ドライバー」が満を持しての登場だ。



以下続く。


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