「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

SPユニット(フィリップス)の取り付け

2015年07月30日 | オーディオ談義

前々回からの続きです。

30センチ口径のフィリップスのSPユニット(フルレンジ)を購入し、その容れ物としてグッドマンの箱(以下、「箱」)を落札した所まで記載していたが、実はそれから“ひと波乱”あった。

              

24日(金)に到着するはずの「箱」がいくら首を長くして待っていても届かない。とうとう“しびれ”を切らして「配送番号」とともに問い合わせたところ何と「行方不明になってます」という返事。

「怒髪天を衝く」とはこのことだねえ(笑)。「いったい何をやってるんだ!」と、電話口で怒鳴ってやった。「もういい、土曜日曜は所要があるので月曜日に配達してくれ」と、きつく申し渡した。

全国で一番著名なこの宅配便の会社は、このところとみに悪い評判を聞く。オークション仲間からだが、荷物を持ち込んでも「精密機器はお断りします」という事例が再々あるそうで、「みんなでこれからもう利用しないようにしようよ」。

全国的にネットでの購入が増えるにつれ、高飛車になっているし、首が回らなくなっているのもあるだろうし、輸送中の事故などのクレームも多くなったと思われるので慎重になっている面もあるのだろうが、競合他社がもっと増えた方がサービス面での向上が大いに期待できそうな気がする。

それはさておき、日曜日の夜になって、またもや「明日、木の箱を配送しますのでよろしくお願いします。」と配送業者から電話があった。またまた電話を取ったのが家内。重ね重ね、もういい加減にしてくれえ(笑)。

「あなた、そんなに木の箱を購入してどうするんですか!」と家内。

「いや、届けると言って待っていたところ行方不明になったので再配達なんだ」と、冷や汗を流しながら弁解した。

そして翌日の午前中、ようやく箱が届いた。「どうもご迷惑をおかけしてすみませ~ん」家財宅配便なので二人がかりで持ってきた。「ま、いっか」(笑)。「荷を解いて梱包は持って帰っておくれ。室内まで運び入れてもらっていいかなあ~」

若い兄ちゃんたちだったが、一つ返事で「ハイ」。

どうやら片方の兄ちゃんがオーディオマニアとみえて部屋に運び入れるなり「ワァ~、凄いですねえ!真空管アンプですかあ。〇〇と言います。この次、是非聴かせてください。」「お客さんはいつでも歓迎だよ~」と返しておいた。

さあ~とばかり、「箱」をじっくり拝見。相当傷んでいるが音には関係ないのでいっさい気にならない。箱の背後にネジがないので前開き型である。おんぼろなサランネットを外して10個のネジを外してみたところいずれも錆だらけ。

おそらく20年以上“ほったらかし”にされていた模様。可哀想に~。肝心のARUだが、簡単に背圧(ユニットの後ろ側に出る音)を逃がさないように独特の生地が貼ってある。ウ~ム、こういう手もあったか!

驚いたのは故障したユニットが1個だけかと思っていたら、もう1個は箱の下の方に内蔵されていたこと。

              

「AXIOM301」が2本と、思わぬ収穫にホクホク。現用中なのでこれでスペアを購入しなくて済んだのはありがたい。ちなみに昨日(29日)SPコードを繋いで鳴らしてみたところ、両方とも無事綺麗な音が出てくれた。万歳!

綺麗に全体をぞうきん掛けし、近くのホームセルフで新しいネジを20本(片方10本)購入し、ついでに100均に立ち寄って緑色のペンキを調達。

フィリップスのユニットは比較的軽めなので作業が楽だった。一番神経を使ったのは(ユニットを)バッフルに取りつける時の円形になった8個のネジを均等に締めることで、これが不ぞろいだとユニットに歪が生じて、音が消え入るときの余韻が味わえなくなる。ビビリ音が出るのだ。

3時間ほどの作業を終えて、いよいよ前もって準備しておいたSPコードをアンプに接続。しばらく鳴らし込みが必要なので我が家のエース「AXIOM80」さんは当分の間、お休み状態に~。

                    

緑色のアクセントだが、同じ背景の薄茶色という選択もあったが、常識どおりはあまり面白くないので一味変えてみた。

さあ、ワクワクしながらいよいよ音出し。この緊張の一瞬は何度やってもたまらない。

そして出てきた音を聴いてビックリ仰天!「こりゃあ、AXIOM80以上だ~。」

以下、続く。


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「AXIOM80」愛好家三人組の例会~第3回~

2015年07月28日 | オーディオ談義

三日前の25日(土)は「AXIOM80」愛好家によるオーディオの試聴会だった。ずっと東京に単身赴任中だったSさん(福岡)がこの4月の異動で地元に帰られたので「3人寄れば文殊の知恵」とばかりに各自の自慢の機器を持ち寄って試聴するのだが、どちらかといえば研究の色彩が濃い試聴会である。

SPユニット「AXIOM80」(グッドマン)には汲めども汲めども尽きない泉のような魅力があって、もっともっと能力をフルに引き出したい一心の連中ばかりである。

前回は我が家で7月4日(土)の開催だったが会場持ち回りなので今回はSさん宅(福岡)に集合。3週間ぶりの顔合わせとなった。

沖縄方面から真夏の強い台風が接近しているのが気掛かりで、あまり無理はしない方針だったがどうやら1日違いで滑り込みセーフ。

当日は朝から快晴で長距離ドライブにはもってこいの日。「もう歳なんだからあまり飛ばさないようにね」と、家内の声を背に受けながら「そのくらい言われんでも分っとるわい」と、内心呟きながら8時30分ごろに出発。

5回目の車検が済んだばかりの「ゼロ・クラウン」は快調そのもので高速をスイスイとひた走り、いつもより早く久留米市内のKさん宅に到着。

ひとまずKさん宅で「AXIOM80」とラウザーの「PM6」を聴かせていただいたが、「いったいどちらが鳴っているんですか?」と戸惑うほど似通っている音だった。

同じイギリス系のユニットなので共通した音色があるのは分かるが、たった16センチ口径のラウザーから信じられないような低音が出ているのには驚いた。駆動しているアンプは1925年頃に製造された古典管「210」(トリウムタングステン)のシングルアンプで「これはいい球ですなあ!」。

「ええ、もっとエージングを重ねるとさらに良くなると思います。210は稀少管ですが十分ストックがありますので安心して鳴らせます。」

Kさんの古典管のコレクションはマニアにとっては喉から手が出るほどの逸品がズラリで、「どうせ死ぬまでには使い切れないでしょうから少しばかり譲ってくださいよ」と、いつも冗談交じりに“からかう”のだが頑として首を縦に振ろうとはされない(笑)。

何年もかかって苦労して集められたのでそれぞれ愛着があり、どうやら命尽きるまでの縁として大切にされる方針のようだ。ま、オーディオに限らずほんとうに良い物とは持ち主が亡くなってからじゃないと市場に出回らないのが普通というものだろう。

二度と製造が利かない貴重な文化遺産だから、心ある人が手に入れて次代に引き継いでもらいたいものだが、近年は、ほんとうの価値が分からない海外の投資家によって買い漁られているようで残念。1時間半ほど聴かせていただいて、いよいよ本命のSさん宅へ向けて出発。

今回の「例会」でのハイライトは我が家から持参した「71A」シングルアンプとSさん宅の「PP5/400」アンプの聴き比べである。「一騎打ち」と言いたいところだが、あまりにも格が違い過ぎるので「チャレンジ」という言葉が正しいだろう。

天下の銘管とされる「PP5/400」に対して「71A」がどのくらい善戦できるのか、まあ、価格からすると幕下が横綱に挑むようなものだが興味は尽きない(笑)。

           

左側の銅版シャーシのアンプが「71A」シングルで、入力トランス、ドライバートランス、出力トランスはすべて「UTC」(アメリカ)で固めている。真空管はすべて1920年代製造のナス管。

右側の「PP5/400」アンプは、イギリスのエンジニアの手になるもので、ヨーロッパのアンプコンテストで「グランプリ」」を取った逸品、世界で2セットしかない極上品の輸入物。トランス類はすべてパートリッジ。

スピーカーは「AXIOM80」とタンノイの「コーナーヨーク」の使い分け。後者にはロットナンバー4の「シルヴァー」が入っている。タンノイのユニットはその長い歴史を通じて「ブラック」~「シルヴァー」~「レッド」~「ゴールド」~「HPD」と変遷を遂げているが、段々と音が悪くなっているのはマニアなら周知の事実(笑)。

ちなみにSさんが随分と購入を迷われていた最初期の「ブラック」(東京のショップで480万円!)がとうとう売れたそうで、心残りというか何やら複雑なご心境のご様子だった。

         

左側のスピーカーが「AXIOM80」、右側がタンノイの「コーナーヨーク」。

はじめに「コーナーヨーク」の方を聴かせていただいたが「いつ聴いてもいい音ですねえ!」と一同、感嘆の声を上げた。タンノイといいながら、あの鈍重さはいっさい影を潜めて音抜けの良さや音色は「AXIOM80」と極めて似通ったところがあり、ブラインド(目隠し)で聴かされるとどちらが鳴っているのかおそらく誰も分からないだろう。

Kさん宅の音もそうだったが、どんなに違うSPユニットを使っても持ち主の調教によって音が似通ってくるのは否めない事実のようだ。我が家の「AXIOM301」(ウェストミンスターの箱入り)と「AXIOM80」の音もこのところ随分似通ってきた気がする。

余談はさておき1時間ほど聴かせていただいてから、いよいよ本番の「71A」アンプに繋ぎ替え。さあ、と一同固唾を呑んで耳を澄ませた。テスト盤は「ワーグナー」でスピーカーの方は「タンノイ・シルヴァー」。

結論から言うと大善戦だった。「71A」がありのままの誇張のない個人的に楽しむワーグナーだとすると「PP5/400」の方は演出付きで聴衆向けの楽劇に仕上がっている。

好みが分かれるところだが、たかだか出力1ワットにも満たないアンプが、ワーグナーを結構スケール感豊かに鳴らすのだから一同驚いた。どうやら、いいスピーカーともなるとアンプから実力以上のものを引き出すようだ(笑)。

帰宅後にいただいたSさんのメール(抜粋)にこうあった。

「正直、ワーグナーをあそこまで鳴らし切る真空管アンプには久しぶりに出会いました。もちろんPP5/400は素晴らしいのですが、〇〇さんの71Aアンプは凄いと思います。ブルックナー辺りも聴いてみたいと思わせる素晴らしいアンプです。大切にしてください。」

ありがとうございます!

アンプはパワーが全てではありませんねえ。ハイエンドのマニアが高出力・高価格のTRアンプを使っている例を雑誌などでよく見かけるが「真空管(古典管)じゃないと絶対に出ない音があるのに勿体ないことするなあ。」といつも思うが、まあ、趣味というものは人それぞれなので謗るのはこの辺で止めておこう(笑)。

とにかく我が家の「71A」アンプが晴れの檜舞台で大活躍をしてくれたのでルンルン気分で帰途は鼻歌混じり。

ビュンビュン飛ばして、自宅に帰り着いたのは18時45分だった。いつもより晩酌の量が3倍ぐらい増えてしまった。メデタシ、メデタシ(笑)。
 


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好事魔多し

2015年07月24日 | オーディオ談義

昨日(23日)は早朝からオーディオルームの整理整頓に大忙しだった。なぜなら新しいSPボックスがやって来るので、少しでもスペースを広げなければならないからである。

既に2系統のシステムがあるのに、「これ以上要るのか、お前はバカか」と言われそうだが、まあ聞いて欲しい(笑)。

タンノイ・ウェストミンスターの箱に「AXIOM301」(グッドマン)のユニットを容れてからおよそ3週間あまり、いろいろアラも分かってきたが、何と言っても口径30センチのフルレンジは「音のバランス」がとても良くて非常に気に入っている。

自分が求めているサウンドはどうもこの延長線上にあるような気がしてきてしようがない。口径30センチのフルレンジとくれば、発売メーカーも多種多様で「AXIOM301」以外にもいろいろある。

何もグッドマンに“しばられる”必要もないので、予備のユニットをオークションで物色していたところ目についたのが欧州の名門「オランダ・フィリップス」のユニットだった。

フィリップス・レーベルのCDの音はとても定評があるし、往時のCDプレイヤーにしても性能の良さは折り紙つき。

お値段の方も手ごろだったので迷わず落札。我が家に到着したのが16日のことだった。そのときは、ときどき「AXIOM301」と入れ替えてみるか、という軽い気持ちだった。

            

実際に見てみると、とても程度が良さそうだしマグネットもアルニコだそうで見るからにいい音がしそう(笑)。

同じ「AXIOM80」仲間のKさん(福岡)に、この件を話してみると「往時のフィリップスのユニットはとてもいいですよ~。私もAXIOM301を持ってますが、実は昔のフィリップスの口径20センチのフルレンジも愛用してます。正直言って301と同等以上の音がします。とてもいい買い物をされましたね~。」

こういう話を聞くと矢も盾もたまらず早く鳴らしてみたくなるが、ウェストミンスターの箱には「AXIOM301」を容れたばかりだし、その音にも十分満足しているので当分の間静観せざるを得ない。

そうこうするうち、偶然にもこのユニットの恰好の容れ物が見つかった。

                

グッドマン指定の箱で口径30センチのユニットにはピッタリの代物。お値段の方も信じられないほど安い!故障したユニットが1個だけ付いているが目的は箱なのでそんなことはどうでもよろし。すぐに落札~(笑)。

出品者との交渉も無事済んで、今日(24日)の午前中の配達となった。メデタシ、メデタシ。

なお、昨日(23日)は午前中の大掃除に続いて、午後からはスピーカーを載せて移動させるキャスターづくりにも励んだ。それほど広くもないオーディオルームだから、使わないスピーカーはすぐに脇に直せるようにキャスターは必需品。次の画像のとおりだが真ん中に穴を開けているのは共振防止のため。

                 

結局、整理整頓に大わらわの結果、次の全景図のとおりスピーカー周りが随分スッキリとなった。やればできる!

            

また、ご覧のようにウェストミンスターの箱に久しぶりにサランネットを被せているが、この方が裸の時よりも明らかに音の暴れが少なくなったのには驚いた。サランネットの効用に改めて気付かされた。

万事うまくいったが、実は隘路が一つだけあった。

それは家内の「怖~い目」。「これ以上道具を増やしたらマズイ」というのを自分でも承知しているのでなおさら始末が悪い。

通常、アンプや真空管などの小物類の入れ替えはまったく気付かれないが、SPボックスとなると図体が大きいだけに目立つことこの上ない。「あまり刺激しない方がいい」と土曜、日曜の搬入を避けるために出品者と必死の交渉をした結果が今日の配達となったというわけ。

ところが、昨日(23日)の夜、突然の悲劇が襲った。

以前、小泉元首相がテレビで言ってたが「人生には3つの坂がある。上り坂、下り坂、そして“まさか”という坂がある。」

その“まさか”が起こったのである。

こともあろうに配送業者が「明日、木の箱を配達しますのでよろしくお願いします。」と我が家に連絡してきたのである。電話を取ったのが家内だったのでさあ、大変。業者さん、まったく余計なことをするんだから~(笑)。

「あなた、木の箱って何?」

「いや、木の箱は木の箱だ。な~にスピーカーのことさ。」とうとう白状せざるを得なかった。

みるみる柳眉を逆立てて「これ以上、道具を増やさないでください!あなたの寝室だって道具がいっぱいですよ。そちらの方を先に片付けてください。」と、まるで虎のような咆哮。そういえば家内は寅年だった!

もはや形勢不利と見て、小さくなってオーディオルームに退散するのみ。

ヤレヤレ、これこそ「好事魔多し」かな~(笑)。


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さすがはグッドマン!

2015年07月19日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

現在のところ、このブログの主役になっている感があるグッドマン社(イギリス)のSPユニット「AXIOM301」だが、同じイギリス産でも「タンノイ」は有名だが、「グッドマン」となると「何それ?」という方も多いと思う。

タンノイと違ってSPユニットを容れる箱を作らなかったので、日本における浸透度はイマイチだが、その実力と格は有識者の間では明らかに上とされている名門である。

したがって、よそ様から「グッドマンのSPユニットを使っている」と聞いただけで、「オッ、お主できるな!」という具合(笑)。

前置きはそのくらいにして、昨日(18日)、千葉県のKさんという方から初めてのメールが届いた。

その要旨は、

「キットから始めて真空管アンプの音に嵌りこれまで自作を続けています。メールをした理由はグッドマンのAXIOM301を記事にされたからで自分のスピーカーも英国製に収斂しており同じグッドマンの“AXIOM22MK2”という口径30センチのユニットを使っています。

反応が早く、アコースティックな音を出すので気に入っていますが、たぶん、貴殿の音と類似した音ではないかと思うのですが、そちら(別府)まで伺う余裕がないので想像するだけです。

そこで、厚かましいお願いですが、拙ブログにある“you tube”録音を試聴していただけるなら幸甚です。」

ごていねいにも次の2枚の写真が添付されていた。

            

                

自分と同様に非常に熱心なグッドマンの愛好家のご様子で、すぐに共感を覚えてKさんのブログを拝読し、「you tube」の音を聴かせていただいたのは言うまでもない。もちろん返信メールもすぐに発信。

you tubeの曲目はジャズでは名盤とされる「サムシン エルス」(枯葉)で、グッドマン独特の輝かしい中高音域の片鱗を窺い知ることができた。

この曲目に大いに触発されて、そういえばこのところ我が家のシステムではクラシックばかり聴いて、ジャズはすっかりご無沙汰だったと思い至った。

ほんとうに良いシステムともなると「クラシックもジャズも両方ともうまく鳴る」とは、仲間たちから耳にタコができるほど聞かされてきたが、これまで我が家のシステムは「クラシックはいい線をいっていると思うがジャズはサッパリ」だったので、正直なところ半信半疑だった。「それぞれ専用のシステムが要るんじゃないの」といった調子。

そういうわけで、よ~し、「AXIOM301」で「サムシン エルス」を聴いてみようと思い立った。

           

久しぶりに聴くマイルスのトランペットに痺れまくった(笑)。ウ~ン、参った!

調子に乗ってこれまた久しぶりに「サキソフォン・コロッサス」(ソニー・ロリンズ)を引っ張り出して聴いてみたところ、もう完全にノックアウト。

低音域の不足をまったく感じないし、中高音域の輝かしさとハイスピード感といったら、これ以上の音はこれまで聞いたことがない。フルレンジなのにツィーターなんかまったく必要性を感じないのだから驚く。

クラシックもジャズも両方聴けるようになったのは我が家では初めてで、改めて「AXIOM301」の実力に惚れ惚れした。

さすがはグッドマン!

ウェストミンスターの箱はどうやら「AXIOM301」のために作られたと見える(笑)。

駆動するアンプの方もいろいろ試行錯誤してみたが「トランス式アッテネーター」と「WE300Bシングル」の組み合わせがベストだった。

           

              

初段管には「E80CC」、二次増幅管には「AC/HL」(英国マツダ、ナス管)を使っているアンプだが「E80CC」には4種類のブランドの球を挿し替えて比較試聴してみたところ、それぞれに天と地ほどの音の開きがあった。

以下、続く。


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世界で唯一の音

2015年07月17日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

タンノイの「ウェストミンスター」にグッドマンの「AXIOM301」(口径30センチ)のユニットを取りつけたのが去る6日(月)のことだった。

こんなことをするマニアはおそらく世界で唯一人だろうから、システムから出てくる音も「世界で唯一の音」と言っていいが、物珍しさも手伝ってこの10日間ほどは日頃のメインシステムの「AXIOM80」を完全に脇に追いやって「AXIOM301」を聴き耽るばかりだった。

こんなに充実した日にちはこれまでの人生でも稀だ(笑)。

ところで、昨日(16日)メル友の山形県のHさんから「ずっと以前のブログにもウェストミンスターにAXIOM301を容れた記事がありましたね。」という趣旨のメールが届いたので驚いた。

実を言うと、どうせ読者諸兄にはこの件は既に忘却の彼方にあり、おそらく記憶に留めている方はいないだろうと踏んだので“なめて”かかってしまい、詳しい説明を省いていたのである。

世の中にはこんな“拙いブログ”でもていねいに読み、きちんとひとつひとつの記事を記憶に留めている方もいらっしゃるのでユメユメいい加減な記事を書いてはいけないと肝に銘じたことだった(笑)。

ここで改めて省いていた内容というのをかいつまんで述べておくと、当時はまだグッドマンのユニットに未熟なこともあって箱の中に“「ARU」もどき”(前回のブログ参照)を付けていなかったため物足りない音がしたのですぐに元に戻してしまった。たかだかこれだけの違いで劇的に音質が変わるのだからオーディオはほんとうに怖い~。

同様に「AXIOM80」(復刻版)を容れたときもそうだったので、次回こそはと牙を研いでいる真っ最中!


さて、話は戻ってこの10日間あまりで「AXIOM301」について気が付いたことを箇条書きしておこう。

 口径38センチのユニットに比べて中低音域の収束(音の立ち上がりと立ち下り)が早いので音楽の全体的な佇まいが実に良くなった。まさに自分が狙っている音にピッタリ。結局、SPユニットは(自分の場合は)口径25~30センチに尽きると確認した。

 ダブルコーン形式のため、音像定位がクリアーで安定していてまったく乱れがない。右と左の両方のスピーカーの間に「ステージ」が再現され、まるで歌手がすっくと屹立して歌うさまが見えるよう。改めて「点音源」のメリットを実感した。

 さすがにグッドマン社(イギリス)のユニットだけあって音の質感が高くてとても品がいい。箱のバックロードホーンとの相性もとても良くて、これなら長年の宿願だった「ワーグナーの楽劇」も十分鑑賞の対象になる。この10日あまりユニットのエージングを兼ねて毎日「ワルキューレ」(ショルティ指揮:4枚セット)に聴き耽った。

 非常に神経質な「AXIOM80」と比べて、「AXIOM301」はおおらかである。どんなタイプのアンプにも相性がいいようであまり(アンプを)えり好みしないところが大いに助かる。

とは言いながらも、そこはそれ微妙な違いがあるのでベストの真空管アンプとの組み合わせを次の3通りで模索してみた。

      

CDトランスポート「ヴェルディ・ラ・スカラ」(dCS)は共通。

 DAコンバーター「NAー11S1」(マランツ) → 真空管式プリアンプ → 真空管式パワーアンプ「PP5/400シングル」(英国マツダ:最初期版)

 真空管式プリアンプまでは1と同一。パワーアンプだけ交換して「71Aシングル」(銅板シャーシ)

 DAコンバーター「ワディア27ixVer3.0」 → 「トランス式アッテネーター」(カンノ) → パワーアンプ「WE300Bシングル」(オールド:モノ×2台)

この中で果たしてベストの組み合わせは?

以下、続く。
 


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パワーは楽団でプリは棒さばき・・・♪

2015年07月11日 | オーディオ談義

5年ほど前のブログで「プリアンプはもう要らない?」というタイトルで投稿したことがある。いまだに過去記事のランキングで常にベスト10に入るほどの人気記事だが、改めて読み返してみると全体的に「青臭さ」が漂っているのがちょっと不本意(笑)。

それはともかく、その中でプりアンプの機能として5点ほど例示し、要旨としては「今やデジタルの時代となりプリアンプの機能はパワーアンプのボリュームやアッテネーターなどによって代替できるのでもはや(プリアンプは)不要である」という論調である。

ちなみにその5点の機能をご参考までに再度挙げてみると、

1 種々の入力信号の切り換え

2 フォノ入力(レコードの場合)をラインレベルに増幅

3 ボリュ-ムの調整

4 高音や低音の調整

5 入力と出力のインピーダンスの調整

実を言うと、一番肝心な「微小信号の増幅機能」を掲載するのを忘れていた~(笑)。

去る7月4日(土)の同じ「AXIOM80」仲間たちとの集いで実際に試聴しながら「プリアンプの必要性」を確認したので、渋々ながら“むげ”に(プリアンプを)捨て去るわけにはいかないと思った次第。

すると、秋田県のSさんからメールが届いた。ちなみにSさんは現役として楽団の指揮者兼クラリネット奏者として活躍されている方である。

「皆様の試聴は実りある会で何よりでしたね。私もオ-トグラフにプリ無しで何度かトライしたりチェロのエチュ-ドなども試しましたが情報量より音楽性と立体感をとりました。      

どうしても指揮者がおらないオケのように抑揚がなく一本調子になりがちです。音像のコントロールも平面的でないでしょうか?

パワ-(アンプ)は楽団でプリ(アンプ)は棒さばきのような気がします…♪    

タンノイHPD385の低音にはアンプ含めひと財産とびましたが納得には至りませんでした。標準ボックス用でバックロ-ド向きではないのが私なりの結論です。バロック等々、弦中心の小さなアンサンブルにはベストでした。」

思わず「(比喩が)うまい!」と唸った。

指揮者がいなくても楽団さえあれば演奏は出来るものの、つい単調になりがちなのは目に見えている。以前、指揮者のいない楽団がいくつかあったがそのうち皆、自然消滅してしまった。

指図役のリーダーはどんな組織にも必要だが、オーディオ・システムにおいてその役割を果たすのは「プリアンプ」というわけである。

ただし、ここで簡単に引き下がるとあまり面白くない(笑)。パワーアンプのボリューム機能を当てにするのは不利だと悟ったものの、「アッテネーター」を使うとどうなんだろう?

実は我が家には有名なカンノの「トランス式アッテネーター」がある。

           

この原稿をupするに当たって念のため、昨日(10日)直し込んでいたこのアッテネーターを引っ張り出して、DAコンバーター(ワディア)からダイレクト端子で接続し、パワーアンプにはこれまた直し込んでいた「WE300B・シングル」(モノ×2台)を繋いで鳴らしてみたところ、元気で雄大な音が出てきたので驚いた!

アンプとの相性が良かったのだろうが、これは絶対手放せないと思った。これで選択肢がもう一つ増えてご満悦~(笑)。

そしてプリアンプがらみの話題でもう一つ。

プリアンプの回路の終段に「マッチングトランス」を入れることで音質の大幅改善を果した我が家の真空管式プリアンプ。

これに味を占め「柳の下の二匹目のどじょう」を狙って、去る8日(水)にオークションで再び「トランス」(UTC)を落札し、昨日(10日)の午後になって無事我が家に到着。

          

これまで押し入れ深く直し込んできて、処分寸前だった小型の「真空管式プリアンプ」にも、このトランスを付けてもらおうという算段である。生来の「勿体ない」派なので持っているモノはすべて息を吹き返させて活用したい~(笑)。

         

最上段に位置するのが該当する小型プリアンプだが、はたして結果やいかに~。
 


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「昭和史を歩きながら考える」

2015年07月09日 | 読書コーナー

「半藤一利」氏といえば、かって「文芸春秋」の名編集者として活躍され、現在では昭和史研究の第一人者とされている方。

                   

このところオーディオに偏向したアタマを冷やすために(笑)、著作「昭和史を歩きながら考える」(2015年3月刊、PHP文庫)を読んでいたら、まさに「博覧強記」の言葉がピッタリで面白い話がどっさりあったのでその中から四題ほど紹介しよう。

☆ 上品なワイ談(182頁)

英国のジョージ五世とメリー皇后が家畜の品評会に出かけた。会場中央にいっぱい飾りをつけた巨大な牛がつながれている。皇后が係のものからの説明を聞くと、この牛に特別優秀賞をを授けたとのことなり。皇后はさっそくその理由を尋ねた。

係の者は恐縮して、この雄牛は一日に42回も種付けが出来る旨を説明した。と、ジョージ五世が声を低くして聞いた。「一頭の雌牛に42回も種付けをいたすというのか」「いいえ、42頭の雌牛にでございます。」

ジョージ五世はニッコリ笑った。「その旨をハッキリといま一度、皇后によく説明するようにせよ。」

最後の一行、まこと、よく利いている。上品でたまらなくおかし。

☆ 集団催眠(161頁)

わたくしは、好きだから歴史のことを書いているだけ。完璧に知ることは難しいとしても、事実をきちんと知ることが好きなんです。歴史の面白さっていうのは、万事が人間がつくったものだってところなんです。私たちが生きている今もやがて歴史になります。つまり、人間が何を考え、どう判断し、どのように動くか、どんな間違いを起こすか、っていうことそのものなんです。

だから、歴史はわたくしに言わせれば、人間学なんですよ。

ドイツの哲学者ヘーゲルの言葉に、「歴史から学ぶことができるただ一つのことは、人間は歴史から何も学ばないということだ」という言葉がある。その通りなんです。

人間はあまり歴史に学ばない。日本人は戦時中からあまり進化していないですよね。政治でも何でも先人のやっていることと今私たちがやっていることは、似たり寄ったりなんですよ。~中略~

「昭和史」の中で書いているんですが、戦時中、日本人はとにかくマスコミに踊らされていたんです。「勝った、勝った」ってちょうちん行列をやったりしてね。優勢だったのは初めの頃だけで、すぐに明らかに不利な状況に置かれていったのにもかかわらず、軍部だけじゃなくて、日本国民全体に責任があると思います。

わたくしがいちばん言いたいのは「集団催眠にかかることなかれ」ということ。誰かが、ある一つの方向に行くようにうまいこと言うと、「そうだ、そうだ」ってそっちにバーッと行きがちになる。

集団催眠にかかると、選挙でも何でも、とかく熱狂が始まるので気を付けなければいけないんです。難しいことかもしれませんが、報じられることの理屈を自分なりに検証し、一人ひとりが冷静にならなければいけないんだと思います。

※ ヘーゲルの言葉「人間は歴史から何も学ばない」を、どこかの国(東南アジア)にぜひ聞かせてあげたい(笑)。

☆ お里言葉(200頁)

昔、某文学者から聞いた話で、腹を抱えたことがある。

東北のある温泉に夫婦ともども泊まったときのこと。湯の程もよし、山家のひなびた料理もよし、たいそう気に入った。それで機嫌よく散歩に出掛けようとしたら、宿の番頭が「じいさん、ばあさん、お出かけェッ」。戻ってきたら、またその番頭が大声で「じいさん、ばあさん、お帰りィッ」

さすがに頭にきて、「たとえ事実がそうであろうと、じいさんばあさんはひどいじゃないか」と文句を言った。

ところが「そんな失礼なことを言った覚えはない」と番頭は目を白黒するばかり。

「それがね、真相が分かり思わずこっちが謝ったね。僕らの泊まった部屋の番号が十三番。番頭さんは“十三番さんお出かけ”と言ったんだ。この地方では“じ”も“ず”も“じゅ”も一緒になるので、“ずうさんばんさん”お出かけ、と言ったのが、“じいさん、ばあさん”と聞えたんだなあ」

☆ 女流作家(202頁)

「女流作家」に使われている「流」は稀少ゆえの褒め言葉かと思っていたが全部が全部そうともいえないようだ。一流とか二流とか、社会的評価を示しているとは思えない。お花やお茶のナントカ流とかの独自性を誇る流派的な意味が女流にあるとも思えない。

これはまた、不思議な使い方の「流」もあるもんであるな、と長いこと思っていた。と、先日、夏目漱石の初期の漢文紀行「木屑録」(ぼくせつろく)を読んでいて、フッと納得するところがあった。

この中で若き日の漱石は「漢学者流」という使い方をしていて、前後の脈絡から明らかに「漢文センセイ」として“冷やかし”ととられる意味のようである。どうやら「流」には冷笑的、軽蔑的な意味が込められているらしいのだ。~中略~

つまり、女流作家とは、その昔は男の世界に土足で踏み入れてきた余計なことをする女の意があったとみるべきなのか。

世は一変して、女ならでは・・・の今の小説の世界。「男流作家」という言い方が登場するやもしれぬ。

※ そういえば音楽の世界でも「女流ヴァイオリニスト」「女流ピアニスト」という言い方をする。女性の指揮者もいることはいるが「女流指揮者」とは言わない。なぜ?

 


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「AXIOM80」愛好家3人組の例会~第2回~

2015年07月07日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

長所もあれば欠点もあるSPユニット「AXIOM80」だが、その酸いも甘いも噛み尽くした愛好家が3人集まって“いいの悪いの”と、音を吟味する様はなかなかの壮観である。

オーディオは交流相手が多くなればなるほど情報量が増えるし、何と言っても「井の中の蛙」になるのを防止してくれるのがいい(笑)。

Kさん、Sさん(いずれも福岡)ともに、幾多のスピーカー遍歴を重ねて「AXIOM80」に落ち着かれた方々だからまさに筋金入りの猛者(もさ)だと言っていいが、会場元にとってはまさに「まな板の鯉」のような心境になる。

汗水たらして構築したシステムが“けなされる”と人格まで否定されたような気分になるので、まるで入試を控えた受験生のような気分だった
(笑)。

今回の例会のテーマは、前回に記した事項も含めて次の4点となる。

1 はたしてプリアンプは必要なのか

2 準備したプリアンプ2台の優劣

3 我が家を代表するパワーアンプ2台の優劣

4 セカンドシステムの「タンノイ・ウェストミンスター」の試聴結果

試聴したシステムの基本的な流れはCDトランスポート「ヴェルディ・ラ・スカラ」(dCS)~DAコンバーター(2台)~プリアンプ(2台)~パワーアンプ(真空管式2台)~スピーカー「AXIOM80」(最初期版)。

まずから行こう。

CDが登場してから30年以上になるが、レコードと違ってイコライザーが不要なのでその間ずっとプリアンプの要不要論が折に触れ話題になるが、回路的な問題に加えて機器の質的な問題も絡んでくるのでうかつに結論は出せない。

つまり、質の悪いプリアンプならむしろ組み込まない方がマシというわけで、結局個々のシステムごとにケースバイケースで判断というのが落ちだろう。

さて、我が家の場合だが結論から言うとお客さんお二人ともご自宅でもプリアンプを使ってあり、「プリアンプがあった方が断然いいです」ということに落ち着いた。どうやら音の鮮度がさほど落ちなかったご印象のようで、ああ、良かった~(笑)。

次にについて。

               

この2台のプリアンプの聴き比べである。左側が「真空管式」で右側が「トランジスター式」(クレルの「PAM-5」)と対照的な2台だったが、KさんとSさんのご意見が綺麗に分かれたのが印象的だった。

Kさんは真空管式に軍配を上げ、Sさんは「クレル」派、そしてキャスティング・ボートを握る自分は・・・。前者の情報量の多い濃厚な雰囲気を醸し出す力、そして後者の甘くて切なくて澄み切った青空のような音には参ったがパワーアンプとの相性もあって簡単にどちらかに軍配を挙げるわけにはいかないと思った。

まあ、それだけ実力伯仲ということで最後は「好みの差」ということに落ち着いたが、Sさんがしみじみと「この時代のクレルのボリュームはP&Gが使ってありますが重く滑らかな操作感がたまらないですねえ」。

なお、つい最近、真空管式プリの回路の終段に組み込んでもらったマッチングトランス(「UTC」)の効果だが、その威力は絶大だった。「まったく音が変わりました。音の情報量とか厚みとかがこれまでとは断然違いますよ。」と、Kさん。

少なくとも我が家の実例からいくと「プリアンプには良質のトランスを組み込んだ方がいい」。

それにしても今後、どちらをメインにして使うか贅沢な悩みが一つ増えた(笑)。

次にについて。

        

結局、この2台の真空管アンプの優劣も結局「好みの差」ということに落ち着いた。左側は出力管が「PP5/400」、右側が「71A」といずれも「ナス管」のシングル・アンプだが、それぞれにいいところがあって持ち主が言うのも何だか“はばかられる”が絶賛に次ぐ絶賛だった。

「スピーカーの存在をまったく意識させませんねえ。これで音楽に没頭できます。もうアンプはプリもパワーも完成しましたよ」とのことで、自分でも「そう思います~」(笑)。

後は真空管同士の組み合わせの問題で、たとえば「PP5/400」に組み合わせるドライバー管(71A)を、KさんのアドバイスでST管からナス管に替えたところ音場の微細な雰囲気をより一層醸し出すようになった。

真空管アンプの場合、少しでもグレードアップしようと思ったときは初段管、ドライバー管、出力管、整流管すべてにわたって「ナス管を使う」に限る。これまで故障や劣化したものを除いて「ナス管」に挿し替えて音が悪くなった例(ためし)がないのだからこれは経験則として自信を持って言える。ただし、ナス管は使い古したものが多いのでへタった物を使わないのが肝心。

最後にについて。

               

以前のJBLユニットを外してタンノイのユニットに入れ替えてから初めての試聴だったが、結果はイマイチだった。何せ「AXIOM80」を聴いた直後だから仕方がない(笑)。

とにかく「HPD385ユニットの低音域の音離れ」の悪さには皆さん閉口したご様子。もちろん、それがいいという方も沢山いらっしゃるので、好みの差ということになろうがあの反応の鈍い低音域には「AXIOM80」愛好家にとっては我慢できないところだろう。

とはいえ「お前の鳴らし方が悪いからだ」という声が外野席から聞えてきそうだが(笑)。

途中から少しでも良くしようと出力管を「WE300B」から「71A」に挿し替えてやると、どうやらこちらの方が相性がいいようで、低音域がスッキリと見通しが良くなった。たかだか出力1ワット前後のナス管が大健闘。

およそ5時間に亘る試聴だったが、梅雨の真っ最中なので午後からあいにくの雨となり、高速道路に霧がかかるとまずいので17時前にお開きとなった。

今日の例会は上首尾に終わってこれまでのオーディオ人生の中ではベストともいえる試聴会となった。お客さんたちにもどうやらご満足してもらえたようだが、おそらく今後とも厳しい“つばぜり合い”のレースになるのは目に見えている(笑)。

次回は梅雨が終わった頃合いに「Sさん宅」(福岡)での開催の運びとなったが、我が家のプリアンプの「PAM-5」(クレル)を持参して比較試聴することをお約束した。


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「AXIOM80」愛好家3人組の例会(準備編)

2015年07月04日 | オーディオ談義

さあ、今日(4日)は待ちに待った「AXIOM80」愛好家3人組の例会。今回の開催場所は我が家で、福岡からお客さんが2人お見えになる。

梅雨空の中、どうやらお天気の方も持ちこたえてくれそうでひと安心。別府近辺の高速道路は雨が降るとすぐに霧がかかるので困る。

さて、お客さんが来ると何がいいかといえば、まず部屋の整理整頓が行き届く(笑)。そしてシステムを万全の態勢で迎え撃てるように調整に念には念を入れる。

とはいえ簡単に結論が出ない難問が二つある。

1 プリアンプを使うか使わないか

この問題はハムレット並みにここ数年悩みのタネとなっている。音楽ソース(CD)の録音状況によっても左右されるのでうかつに判断できない。

総じて言えることは「プリアンプを組み込むと全体的に音が図太くなり、AXIOM80の弱点をうまく補ってくれるが、音の鮮度が明らかに削がれて極めて微細な録音現場の空気感などの再現力が落ちる」こと。

結局、プラス、マイナスの差引勘定の世界となるが、この辺が常に選択を迫られるオーディオの面白いところではある。

今回の試聴会に準備したプリアンプは2台。

☆ クレルの「PAM-5」

              

6月下旬にオークションで落札したばかりの新顔のホヤホヤである。なぜ真空管愛好家の自分がトランジスターのプリアンプを導入したかといえば、その昔或るオーディオ雑誌で「PAM-5」が絶賛されていたからでそのことが頭の片隅にずっとあったが、たまたまこれをオークションで見かけてしまい右手の人差し指がまるで夢遊病者のように動いて「即決」をポチ。こりゃ、もう病気ですな~(笑)。

ちなみに、雑誌に載っていたその殺し文句を紹介しておこう。

「これはたいへん感心する出来栄えでした。データは悪く少なくとも国産高級機とは太刀打ちできません。それなのになぜこのように魅力あふれる音がするのでしょうか。彫が深く、そして甘く、生気にあふれた音色がします。なぜ国産機からこのような音が出ないのでしょうか。」

これまで何回もオーディオ評論家の言に騙されてきて懲りている筈なのに、いまだに左右されるんだからほんとうに情けない(笑)

そしてもう1台のプリアンプといえば、

☆ 真空管式プリアンプ

            

このほど、「UTC」のトランスを回路の中に組み込んでもらったばかりの真空管式プリアンプ。出力管は「E80CC」(ヴァルボ)。

明らかに音の情報量が増えて雄大な鳴り方をするようになったので、これは「PAM-5」といい勝負になりそうだ。

そして、次の難問はこれ。

2 「AXIOM80」とパワーアンプの組み合わせ

「低音が満足に出ない」など、いろいろ欠点がある「AXIOM80」だが、このユニットならではの魅力は語り尽くせないほどで、あくまでも我が家のメインシステムとして君臨している。毎週のようにお見えになるご近所のYさんも、「AXIOM80」の大ファンで「これ1セットだけあれば十分ですよ」と宣うほど。

問題はこの「AXIOM80」にどのパワーアンプを組み合わせるかである。我が家には実力伯仲のアンプが2台あって、それは「PP5/400」(最初期版)アンプと「古典管/WE300B」アンプの2台。

        

片や「中高音域の艶のある音色が絶品」、片や「微細な音場の表現力が抜群」で、先日(6月20日)の高校時代の同級生たちの試聴会でも“議論百出”でとうとう結論が出なかった。

本日お見えになるお二人さんのご意見やいかに~(笑)。


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気の遠くなるような頭のいい連中

2015年07月03日 | 復刻シリーズ

いつもオーディオ関連の話なのでたまにはほかの話題を提供しよう。

現在、日本には国と地方合わせて1000兆円近くにも上る借金〔赤字国債など)があり、その利息が何と1秒間で130万円以上にもなっているという。

もうまさに
財政破綻状態。

ただし、その大半を日銀や銀行が所有しており、借金の相手が国内の身内同士なので何とかやり繰りできているのが実状。

先般、NHKがなぜこういう「憂うべき状況」になったのか、その原因追求を特集番組で組んでいたが、当然、その矛先といえば名実ともに国の財政を担ってきた当時の旧大蔵官僚たち。

この番組ではずっと過去に遡って官僚トップの事務次官たち数人に密着インタビューをしていた。

大蔵省(現在は財務省)の事務次官といえば
「気の遠くなるような頭のいい連中」である。

小さい頃から神童と謳われ、日本の学歴社会のトップを極める東大法学部を首席で卒業(履修科目が全優クラス)、国家公務員試験を1番で突破、在学中に司法試験を1番で合格、これを「三冠王」と称するそうだが、これに該当したり、準ずる連中がウヨウヨ。

人間の価値は「頭だけで決まるものではない」と分かってはいるものの、こういう超人たちの所業は無条件で許す気になるから不思議。

「こんなに頭のいい連中が考え抜いた結果なら、こういうことになっても仕方ないよなあ」という気にいつの間にかさせられてしまう。もちろん自分だけかもしれないが(笑)。

さて、ここまでが導入部でいよいよ本題に入ろう。

こういうハイレベルの連中ばかりが集結した旧大蔵省の出世競争とは一体どういうものだったんだろうか?

20人前後が一斉に入省し、段々とふるいにかけられ最後に事務次官という究極のポストに至る過程でどういう風に優劣の差がついてくるものだろうか?

すべてハイレベルの連中だから「頭の良し悪し」はもちろん「決め手」にならない。

あとは「運」と「人間的な魅力」などが微妙に交錯して出世にどの程度反映されるのか、はたまた入省時の成績の順番がどのくらい影響するのか。喩えて言えば日本の社会組織の縮図を見るようなものかもしれない。

このテーマに実際の事例をもとに正面からアプローチした本〔2010年8月20日、文藝春秋刊)がある。

                 
 

著者「岸 宣仁」氏は以前、読売新聞の記者で経済担当をしていて、記者たちをとかく敬遠して口が堅い大蔵官僚から何とか情報を引き出すために必死で努力された方。

「省内人事」の話を持ち出すと
「あれほどぶっきらぼうだった官僚たちがにわかに身を乗り出すようにして会話に乗ってくる」ということから、
必然的に(官僚たちと仲良くなるために)どうしても人事情報に精通しなければならなかったそうだ。

「役人は出世と人事ばかりに興味を持っていて”けしからん”、もっと世のため人のためになることばかりを考えろ」と思う方はまあ世間知らずの狭量な方だろう。

「金儲けがイヤで国のグランドデザインを描くために大蔵省に入った」といった高尚な気概がほとばしり出る高級官僚たちだが、「出世と人事」はエネルギーの根源であり人間の本性に根ざす不変のテーマだと理解してやる寛容さが必要。

そういえば1年ほど前の国会質問で「辻元清美」(民主党)が安倍総理に対して「ゴルフなんかに行かないでください」と、やってたが「活力の源になるのならそのくらい許してやれよ」と率直に思った。何と狭量な人間なんだろうか(笑)。

さて、本書の中で具体的に挙げられたいくつかの次官競争の実例から「勝者の決め手」となった事柄を導き出すのは実に多種多様で至難の業だが、概ね共通項というか、印象に残った内容を箇条書きで記してみた。

 どこかにハンドルの遊びがある人間のほうがトップの器として相応しい。たとえば、どんなに忙しいときでも趣味を見つけて”ゆとり”を大切にしたり、相手を最後の最後まで追い込まないような人物。

 若い頃はキラキラ輝いていたのに、上に行くほど守りに入って光を失うタイプと、逆にポストや年齢を積み重ねるごとに光を増し、いぶし銀のような輝きを放つタイプの二つがある。

 「センスと、バランス感覚と、度胸」が揃った人物。

”センス”の良さはあらゆる人物評価の根本にある基準となる。

”バランス感覚”とは足して二で割る手法ではなく全体の均衡点、釣り合う部分を見極める能力。加えて人を見る目の公平無私さも必要。

最後に”度胸
”とは「胆力」のこと。線の細い秀才が大半を占める大蔵省にあって、この部分が他に差をつける最後の切り札となる。度量の大きさや懐の深さに通じる。

 「入省成績と出世」について、実例として挙げられているのが前述した三冠王に加えて外交官試験がトップと空前絶後の四冠王だった「角谷」氏と入省時の成績が二番だった「尾崎」氏の次官争い。

結局、尾崎氏が「人望」が決め手となって勝者となった。最終的に「情」が「理」に優った例として、以後「公務員試験1番は次官になれない」と語り継がれ、次官レースのひとつのジンクスとされている。

そのほか「ノンキャリアを使いこなせる人材」など枚挙にいとまがないが長くなるので省略。

以上、すべて自分には該当しないことばかりだが「ハンドルの遊びがある人間」には心から憧れる(笑)。

最後に、冒頭で紹介した「財政破綻の責任」について次官(元日銀副総裁)だった武藤氏の(本書の中の)言葉が印象的だった。

「我々が本当に強かったら、日本の財政なんてこんなふうになっていませんよ。国、地方合わせて1000兆円の借金なんてね。要するに大蔵省主計局は常に敗戦、敗北の歴史です。僕に言わせれば、政治と闘って勝ったためしはないんじゃないの、正直な話・・・」


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心強いメール

2015年07月02日 | 独り言

ブログを始めてからおよそ9年、投稿した記事の数も1300を越えるが、ルールらしきものがない“何でもあり”のブログとはいえ自ずから節度というものが必要な気もするところ。

ただし自分の勝手な物差しだけではいささか自信がないのでいったい(自分のブログは)読者からどういうイメージで受け止められているんだろうと思うことがときどきある。

たとえば「自慢話が多い」、「いろんな記事の内容が相互に矛盾している」、「クルクル気が変わって忙しい奴」・・・。

こう見えても結構気にしているのである(笑)。

前回のブログの「我がタンノイ遍歴」の記事も投稿した後で、「偉そうに・・。タンノイのことはさも何でも知っている」とばかりに自慢話と受け取られはしないかと少しばかり懸念していたところ、昨日(7月1日)メル友の秋田県のSさんから次のようなメールが届いた。ちなみにSさんは現役のオーケストラのクラリネット奏者として活躍されている方である。

「おはようございます。こちらもついに梅雨入りですがそちらはかなりの大雨で大変ですね。昨年差し植えした10本の紫陽花が小さな花をつけはじめました。5種類なので将来が楽しみです。 今年は不思議に秋桜が咲き始め朝顔を追い越してしまいました。

                      

私もジムラン、タンノイはとことん弄りましたが、やはり聴き手がわきまえて行かないとポテンシャル以上を望んでしまうのですね、、どちらもユニットの潜在された魅力と聴き手の向かう音楽性がマッチすると幸福ですがそうでないと堂々廻りになり抜けれなくなりがちで大変ですね。

頑張ってください。」

励ましのメールに感謝しつつ、すぐに次のように返信した。

「そうなんですよねえ。ユニットについポテンシャル以上のものを望んでしまいます。沢山の失敗を経験してきましたが、頂上に至る道を間違えたケースもあったかもしれませんね。反省とチャレンジを繰り返しながら、そのうち寿命も尽きることでしょう(笑)。」

すると、また次のような返信メールが届いた。

「貴兄のブログに長年惹かれて来たのは一度も聴いたことがないグッドマンの染み渡る響きに想いを巡らせて来た事です。あの手、この手で鳴かせる手腕に感服しております。」

たとえ、お世辞が混じっているとしても「鳴かせる手腕に感服」なんて言われると、つい“いい気持”になってしまった(笑)。

おかげで勇気百倍、Sさん、どうもありがとう。機会がありましたら我が家の「AXIOM80」(グッドマン)をぜひ聴いてもらいたいですねえ~。

さて、次はいつものオーディオの話。

昨年から身辺整理の一環として不要になったオーディオ機器を知人に依頼してオークションに出品してもらっているが、とうとう買い手がつかなくて戻ってきたものが数点ある。

その中に真空管「CV378」(整流管)があって、ご覧のように細い管(中央1本)と太い管(両側2本)の2種類がある。

           

整流管はほかにもいろんな銘管をかなり持っているので、もはや出番がないと見限ってオークションに出したわけだが戻ってきた以上有効に活用してやらねばとばかり、昨日「太い管」を「PP5/400」シングルアンプの「5U4G」(マルコーニ)から挿しかえてあげたところ、予想だにしない「いい音」がするではないか!

急いで古典管にはメチャ詳しい同じ「AXIOM80」仲間のKさん(福岡)にご注進に及ぶと「CV378はとてもいい球ですよ。私が欲しいくらいです。傍熱管なので直熱型の出力管にはとても優しいし、音もヨーロッパの香りがして音楽性がとても豊かです。

WE300Bアンプの整流管としてCV378(細管)しか使わない著名なアンプ製作者もいるくらいです。整流管は回路や電源トランスとの相性があって、活きもすれば死にもしますのでなるべく手放さない方がいいですよ。」


「そうですか!さっそくWE300Bアンプの現用中の274B(整流管)を外して挿しかえてみましょう。いやあ、オークションに出しましたけどほんとうに売れなくて良かったです。」

Kさんのアドバイスに沿ってすぐに聴いてみたところ、274Bと負けず劣らずの音がするのには驚いた。こうなればぜひスペアを確保しておかねば!

これだからオーディオ製品の売り買いはホントに難しい(笑)。
 


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