「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

独り言~今年を振り返って~

2009年12月30日 | 独り言

いよいよ一年の最後を締めくくる大晦日が目前に。

皆様にはこの一年間小まめにブログをご覧になって頂きたいへんありがとうございました。来年も引き続きよろしく~。

さて「私的なことで恐縮」といっても、この「ブログ」は私的以外の何物でもないが、この一年を振り返って特に印象に残った事柄を以下に列挙してみた。

1 交通事故

忘れもしない7月19日(日)の14時ごろ、釣りの帰りにS市内の見通しの悪い交叉点で信号無視のクルマとガチャン。運転歴40年前後になるが始めての交通事故だった。

どんなに自分が用心していても、相手から信号無視をされたんではたまらない。大ショックだったが、人身事故にならなかったのが不幸中の幸い。

結局、相手が強引な中年のオバハンだったため赤信号で入ったくせに自分の非を認めようとせず、証人もいないことから過失割合が五分五分ということになった。

「あんまりだ!」と粘ってみたが、段々と面倒臭くなってきてとうとう保険会社任せになったが、これは、非常にいい経験になった。

これからは交通事故が起きたときは、すぐに証人となる周囲のクルマの番号をメモに書き留めることを肝に命じた。もちろん、その場でドライバーの同意なんか必要なく、事後、警察が独自に確認してくれるというからありがたい話。

もっとも、最近はクルマに自動カメラを取り付ける人も多いという。価格次第だがそういう方法もある。

なお、事故ったクルマは10年近く乗って、走行距離も約20万kmだったが事故査定額が通常の下取りに出すときよりも想像以上の高値となったため、結果的には得をした勘定になった。

結局、お気に入りのクルマ〔中古)に買い換えることも出来たし、今となっては結果オーライで
「人生万事、塞翁が馬」を実感した。

                   


2 スピーカー「アキシオム80」の活用

「音楽とオーディオ」を抜きにすると自分の人生は実に味気ないものになる。いい音楽を聴くと「感動のあまり涙が込み上げてくる」ことがあるが、今どき感涙できる趣味なんてそうそうない。

今年は稀少品の「アキシオム80」のスペア(2本)を購入できたのが大きかった。しかも安価で~。これもひとえに譲ってくれた千葉のS谷さん、購入のきっかけになった「無線と実験」(月刊誌)の「読者交換欄」には感謝!

おかげで、”いつ故障しても大丈夫”とタンノイ・ウェストミンスターのボックスにガッチリと取り付けて余裕と安心をもって音楽鑑賞に浸ることが出来た。

とにかく、このユニットは故障がちという欠点を抱えていても、これしか出せない音があるのが大きな魅力だが、難を言えば繊細なだけにやや線が細いのが玉に瑕、もっと量感が欲しいので片チャンネル2個で聴くのも一案。

S谷さんによると
「バッハのコラールを片チャンネル4本で聴く」と至上の音楽になるそうで、たしかにその素晴らしさはおよそ想像がつく。

「音楽の芯」を見事に捉え、低音がどうとか高音がどうとかの瑣末(さまつ)なことが、はるか問題外の音になることだろう。よし、いつかは~。

                       

3 「浅見光彦シリーズ」の読破

ミステリー小説には目がないが、今年の1月から内田康夫さんの「浅見光彦シリーズ」にすっかりハマってしまい出版された作品のほとんどすべてを読破してしまった。

きっかけは1月中旬に「本格ミステリフラッシュバック」の紹介本で「萩原朔太郎の亡霊」を読んだことから。なかなか面白かったので他の作品も読んでみようと思ったわけ。

1月中旬~4月下旬にかけて78冊を読んだのを皮切りに、とうとう12月の今日まで着々と積み上げて、読みも読んだり全部で
125冊あまり。

最近作の「砂冥宮」も読んだので全作品のうち残るは「盲目のピアニスト」「軽井沢の霧の中で」「存在証明」の3冊だけ。 

ネット情報で累計発行部数が1億部以上という超人気作なのも十分頷ける内容で、とにかくあらゆる作品に亘って当たり外れがなく5点満点でいくとすべて3点以上というのがいい。次々と読んでいくうちに逆に3点以下の作品を見つけるのが楽しみになるほどだった。

これまで古今東西のミステリを読み漁って「面白い、面白くない」という判定を数知れず身をもって体験してきた自分が言うのだからこれは間違いなし!

しかし、上記の本はすべて3箇所の図書館から借りたものばかり。大いに楽しんだくせに作者の売り上げに少しも貢献していないのがちと心苦しい。内田さんゴメン!

なお、浅見光彦シリーズを読み尽くしたので他の作家もと「西村京太郎」さんの列車ミステリーに手を広げてみたがやはり物足りなかった。

また海外ミステリーでは、評判が高い「検屍官シリーズ」(パトリシア・コーンウェル)のうち10作目「警告」をつい最近読んでみたが、これがまったく荒唐無稽のひどいお粗末さ。この作家のものは今後、もう絶対読まないと決めた。

                       

ことほど左様に、いい推理小説に出会うのはホトホト難しい。

以上のほかにも今年の思い出はいろいろとあるが、「ブログを通じて得た知人」という宝物は別として、あとはいずれも自分の胸の中に折りたたんでおくほうがいい程のスケールが小さいことばかり。

印象に残った事柄といっても所詮はこの程度なのが残念!

※ 29日午後、娘と散歩途中に出会った「猫ちゃん」たちです。 

「それでは皆様、良いお年をお迎えください~。」      


 


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音楽談義~「新版 クラシックCDの名盤」~

2009年12月27日 | 音楽談義

好評「クラシックCDの名盤」から九年。個性あふれる三者の、魂の丁々発止再び。近年の人気曲も大幅追加したCDガイドの決定版と、解説にあったのが次の本。

「新版 クラシックCDの名盤」(2009.11.20、文藝春秋社)   

著者は、宇野功芳(音楽評論家)、中野 雄(音楽プロデューサー)、福島章恭(音楽評論家)の三氏。

それぞれコメントつきで指揮者、アーチストごとに代表的なCD盤を2~3点づつ紹介してある。

宇野氏については、常套の「歯が浮くような美辞麗句」に”へきへき”する向きもあるようだがまあ、音楽鑑賞にかけては当代一流の方たちと言っても過言ではなかろう。

しかし、何せ「好みの曲目」なんて各人ごとに千差万別なのが実状。一致するのはなかなか珍しいので、評価を真に受けて購入しても自分の気に入るかどうかはあまり当てに出来ないのが音楽という感性の世界。

そこで、この三者のうち二者以上の推薦が一致した比較的確率の高そうな名盤(?)をまずピック・アップし、そのうち、筆者の好みを優先したものを”ご参考”までに挙げてみた。

 指揮者

 ブルーノ・ワルター ベートーヴェン「田園」ハイドン「交響曲100番」

 オットー・クレンペラー  ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」

 ウィルヘルム・フルトヴェングラー  ベートーヴェン「交響曲第九番」

○ ハンス・クナッパーツブッシュ 
ワーグナー「舞台神聖祝典劇パルジファル」

○ シャルル・ミンシュ  ブラームス交響曲第一番、ベルリオーズ「幻想交響曲」

○ カール・ベーム  ベートーヴェン「田園」

○ エフゲニー・ムラヴィンスキー チャイコフスキー「交響曲5番」 ショスタ・コーヴィッチ「交響曲5番」

 セルジュ・チェリビダッケ  ブラームス「交響曲第4番」

○ レナードバーンスタイン マーラー「交響曲第九番」

 
カール・リヒター バッハ「マタイ受難曲」

○ ニコラス・アーノンクール ヴィヴァルディ「ヴァイオリン協奏曲集四季」

○ カルロス・クライバー  ワーグナー楽劇「トリスタンとイゾルデ」

 ピアニスト

○ エミール・ギレリス ベートーヴェン「ピアノソナタ集」

○ 内田光子  シューベルト「ピアノソナタ集」

○ アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ  ラフマニノフ「ピアノ協奏曲4番」

 チェリスト

 
パブロ・カザルス  バッハ「無伴奏チェロ組曲」

○ ピエール・フルニエ  バッハ「無伴奏チェロ組曲」

 ヴァイオリニスト

 ヤッシャ・ハイフェッツ  ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」

 ジョコンダ・デ・ヴィート  ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」

 ヴィオラ

○ 今井信子    (ヴィオラ版)バッハ「無伴奏チェロ組曲」

以上、各アーチストの代表的なCD盤ともなるとやはり比較的ポピュラーな曲目に落ち着いてしまう。因みには自分が所持している盤でごくわずか。

ところで、上記3名の方のうち「中野 雄」氏の解説が自分と波長が合うというか一番ピッタリきた。以前、ケンウッドの代表取締役をされていた方。

その中野さんが「ベタ褒め」をされていたのがポーランドの若手ピアニスト「ラファウ・ブレハッチ」(2005ショパンコンクール優勝:1985~ )。

なにせ、モーツァルトなどのピアノ・ソナタ集、ショパンのピアノ協奏曲などが軒並み「演奏、録音ともに5点満点」。「24の前奏曲集」はコルトー以来の名演とまで。これは是非購入せねばなるまいという気になる。

次に、本書の中からちょっと気になった興味事項を挙げてみよう。

 419頁

~21世紀初頭という時点で”超一流の音楽家”として無条件で世界に通用している日本生まれの国際的音楽家は四人。
「小澤征爾」「内田光子」「今井信子」「五嶋みどり」
だと私は思う。~中略~。だが「五嶋みどり」にはヒットしたCDがない。巧いのに何故だろう。~(中野 雄氏)

今井信子さんは初耳でこれまで自分の認識不足、五嶋みどりさんは国際的な格付け(?)に困っていたところ。

 180頁

~デュトワ(指揮者)は美人演奏家殺しである。アルゲリッチ、チョン・キョンファをものにし、噂では諏訪内晶子にも子を産ませ、それが彼女のDVの原因になったとか。~(宇野功芳氏)

フ~ン、「火の無いところに煙は立たない」というが・・・・。

          


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オーディオ談義~「左右の音のクロストーク解消実験」ほか~

2009年12月23日 | オーディオ談義

☆ 左右の音のクロストーク解消実験

22日(火)早朝のこと、「昨日のブログをご覧になりましたか?例の左右の音のクロストークを解消すると音が良くなるという件ですが・・・」とオーディオ理論の泰斗(たいと)M崎さんに電話してみた。

「あ~、あれね。いくらデジタル技術だろうと肝心の録音時と再生時の状態に足並がそろっていないと効果がないと思うよ」とアッサリ否定。

「そうですかねえ。一応実験としてリスニング・ルームに衝立を立てて左右の音のクロストークを遮断してみる実験をしようと思っていますが。」

「ダメダメ、ムダだと思うよ。以前にあるオーディオ評論家が同じことをやったことがある。その人は、視覚上目立たないようにガラスをおいて実験をしたけれど自己評価では大いに効果ありと悦に入っていたが、1年もしないうちに立ち消えになったよ。もし臨場感を増したいのなら微小音の再生
の方に努力すべきだと思う。結局CDトランスポートとスピーカーの再生能力が決め手だろう」とのご返事。

ウーム、既にオーディオ評論家が実験済みとはガッカリだが、同じようなことを考える人もいたのかと、ちょっと勇気付けられた。別にとんでもない話でも無さそうで、自分で確かめないと気がすまない性格も手伝って、出勤の支度で忙しいカミサンのご機嫌を取って衝立を別室から一緒に運んで中央に一直線に立ててみた。

                         
 

試聴盤はステレオに限るのでワディム・レーピンが弾く「ブラームスのヴァイオリン協奏曲」に。オーディオは何をやっても音が変わるが、悪くなりはしまいと思っていたところ案の定で、何だか音の濁りが減ってヘッドフォンの音に近くなった印象がする。悪くないと思った。

しかし、衝立がこの位置ではテレビが見にくいのが難点で、室内の動きにも制約があり、やはり日常的に置いておくわけにもいかないといったところ。飛びっきり振るい付きたくなるほどのメリットがあれば別なのだが。
            ☆

 「これだけは言わせて」

このブログではなるべくイデオロギーとか政治的な問題を扱わないように心がけているが、最近の状況を見ているとどうしても、
「モノ言わぬは腹ふくるる業なり」、ちょっと一言お許し願いたい。

自民党の旧態依然とした政権運営に飽き飽きした国民が大いに期待した鳩山政権が発足してようやく4ヶ月経過した。総選挙のときに自分も
「一度民主党にやらせてみたら」というクチだったので好意的に見守っていたのだが、どうも雲行きがおかしくなってきたように思う。

当初のハツラツとした緊張感が薄れ、何だか昔の自民党みたいなムードになりつつあるのがその理由。

もちろん、ようやくハネムーンの期間が終わりつつある段階で、政策の是非を云々するのは早計だが、問題は政権運営にある。
やはり気になるのが幹事長「小沢一郎」さんの専横ぶり。

たしか平成5~6年当時の自民党幹事長時代にも”ときの首相”を上回る権力振りを発揮して「豪腕」、「二重権力支配」とかいわれていたが、まったく同じことを繰り返している。やはり、「人間のクセ」というものは争えないものだなあとつくづく思う。

もともと、党の幹事長のほうが首相よりも決定権を持っていること自体が随分とおかしな話。「小沢支配」の傾向が益々強まる中で、反比例的に鳩山さんの影が薄くなるばかり。いわゆる「党高政低」。

                         

マニフェストの果断な実行とか、沖縄普天間基地の移転問題など重要課題について肝心のリーダーシップの発揮がどうも見受けられない。幹事長に遠慮してる部分があるのかも。

たとえば先般、党から政府へ予算の重点要望を行ったが鳩山さんは小沢さんのしゃべることをメモに取っていたという。答弁が必要なわけではなし、通常、こういう公式の場で相手の発言にメモを取るのは格落ちの人間がする行為。ほんの些細なことかもしれないが「小事は大事」につながる。

一方で、一国の首相、国権の最高権力者をないがしろにするミエミエの姿勢は「異常」の一言で、傍からみてもこれは見苦しい。
「下克上は戦国時代だけで、もう沢山」。

こういう事態になったことについてはかねて懸念されていたところで、結果論といわれるかもしれないが、当初から人選上のミスが二点あったのではないかと思う。

まず第一点は幹事長の人選

小沢さんという人物は複雑怪奇というか一言ではとても括れない性格をしている。これまで周囲の人間と付き合いが長続きしたことがなく、次々に人心が離れていく人物でいわゆる対人関係に常に緊張感を強いるタイプ。それに、ものごとをじっくりと継続して発展させることが出来ずに、絶えず「スクラップ&ビルド」を繰り返している「壊し屋」。

もちろん、これは善悪を超えた話でこういう人物だからこそいろんな局面で実力を発揮できるんだろうが、陰に回ってそっと鳩山さんを支えるような惻隠の情があるわけでもなく、権力を持たせると振り回すので使いこなすのは厄介。

鳩山さんは政権発足に当たって、小沢さんを党の最高顧問ぐらいに棚上げ
すべきだった。今頃になって「本性見たり」の思いだろうがこれはもう手遅れ。

しかし、両者のどちらに本当に問題があるのかは、ちょっと判断に苦しむところがあるのも事実。

二点目は、内閣の要となる官房長官の人選。

いくら鳩山さんと気が合う仲間といっても現在の平野さんでは明らかに力量不足。「大官房長官制」を敷くべきだった。

首相の力量が「いまいち」のときでも官房長官がしっかりしていれば内閣がきちんと機能するのは過去の歴史が示している。

そう、たとえば「第一次小渕内閣」のときの「野中広務」さんのような存在。

そうなると官房長官には現在、副総理で国家戦略担当の「菅」さんアタリが最適だったと思う。

「菅」さんは、政治資金の偽装問題などもあって「鳩山お坊ちゃん政権」が早晩ゆきづまると踏み、小沢さんと鳩山さんとの間にも立ち入らずダンマリと「漁夫の利」を決め込んで次の総理を狙っているとの噂。

今の民主党で小沢さんに気合と迫力で対抗できるのは「菅」さんぐらいだが多数の小沢系新人議員がいる「数
の論理」のもとでは劣勢は否めない。

いっそのこと、小沢さんが首相になればいいのだろうが本人は雑事(?)に振り回されるのを嫌がって表舞台に出たがらないので一層始末が悪い。

結局、誰ともうまくやっていけないし、いこうともしない「小沢」さんの存在は民主党にとって果たしてプラスかマイナスか、ひいては国のためになるのかならないのかということに帰結する。

あの小泉さんが首相時代に「民主党は小沢を取り込んだのが失敗のもとだった」と意味深な発言をしたことがあるが、総選挙の民主党大勝利で一旦朽ち果てたかに見えるその発言がいずれ息を吹き返す可能性も出てくる。

以上、すべてネット、新聞、テレビ、雑誌などの情報を鵜呑みにして好き勝手放題なことを書いたが事実誤認があればお許しを。
           


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オーディオ談義~「最新の立体音響技術」ほか二題~

2009年12月21日 | オーディオ談義

 ☆ 最新の立体音響技術

      「音楽の科学」(2009.10.7、ナツメ社)     

著者は九州大学教授の岩宮真一郎氏。本書の206頁に実に興味深い記事が掲載されていた。

通常私たちが室内で聴いているスピーカー再生では左チャンネルから洩れた音が右耳、右チャンネルから洩れた音が左耳に仕方なく入力される経路(クロストーク)が存在する。このクロストーク成分は録音時の音場にはなかったもので音場再現の妨げとなる。

これを、最新の立体音響技術で、スピーカーから左右の耳に至る経路の伝達特性を測定または予測し、その逆の特性を掛け合わせてクロストーク成分を打ち消してしまうという「トランスオーラル」方式が研究されているという。

この方式を利用すると右チャンネルの信号は右耳のみに、左チャンネルの信号は左耳のみに入力されるので、ヘッドフォン再生と同一の状況を作り出すことが出来る。

これはまだ、実用的利用が始まったばかりの段階だが圧倒的な臨場感が認識されれば広く利用される可能性がある。

以上のような記事で、技術の内容が不明なので直接波と室内の壁に当たって跳ね返ってくる間接波の関係など課題はありそうだが、最新のデジタル技術を駆使するといかにも可能という感じ。

とにかく室内のスピーカーで聴く音がヘッドフォンで聴くような音になるとすれば一体どう聴こえるんだろうか?

混じり気のない澄んだ音になるのは間違いないし、「オーディオ愛好家」にとっては、一番大切な臨場感に直結する技術なので大いに期待したい。

あとはオマケで次の二題を。      

☆ 「寒い地域でイスラム教が広まらなかったのはなぜ?」

    「世界で一番すごい地図帳」(2007年10月、おもしろ地理学会編、青春出版社)  

この本は地図の「謎」と「不思議」に深く迫った新ネタ満載のおもしろ地理雑学事典。その中に上記の興味ある項目があった。

わが国で「世界の三大宗教」と呼ばれているのは、キリスト教、イスラム教、仏教である。ところが、全世界の人口に占める信者の割合はキリスト教徒が32.9%、イスラム教徒が19.9%、それに対して仏教徒は5.9%しかいない。13.3%のヒンドゥー教徒よりも少なく世界では4番目。混淆が進んでいる儒教と道教を合わせると6.4%になるので、その次の世界で5番目という見方もある。

一方、ヨーロッパで三大宗教といえばキリスト教、イスラム教、ユダヤ教。実質的にはキリスト教とイスラム教が世界の二大宗教といえそうだ。

さて、その二大宗教の信者の分布を見てみると、キリスト教はヨーロッパやアメリカ大陸に多く、イスラム教は中近東や東南アジア、アフリカに多い。

中でも特徴的なのはイスラム教が寒冷地にはほとんど広まらなかったことである。これには、戒律による
飲酒の禁止が影響しているのではないかとみられている。

イスラム教で飲酒がタブーとされているのは、酒に酔うと理性を失い、自分を見失いやすいから。神の存在を忘れたり礼拝を怠ってしまうことが警戒されているのだ。しかし、寒冷地ではアルコールは生活必需品。昔からアルコール度数の強い酒を飲んで体を中から暖めて寒さをしのぐ習慣が広まっていた。

かって、キエフ公国のウラジミール一世がイスラム教の導入を考えたことがあるが、極寒のキエフでは冬の間、アルコール抜きではやっていけない。そこでアルコールに寛容な東方正教を導入したと伝えられている。

豚肉のタブーには耐えられても、禁酒には耐えられない。それが、イスラム教が寒冷地に広まなかった大きな理由ではないかと考えられている。

以上のとおりだが、宗教に関る問題の背景には複雑な要素がからんでいるので、この見解だけで判断するのは早計だろうが、かなり有力な理由だと思う。

人間が生きていくうえで、人によっては衣食住よりも重要視される信仰の問題も、結局のところ人間の生存に直結する条件に合致しなければ排他されていくという興味深い一つの事例。

☆ 「日本は他の国でどう呼ばれている?」

いうまでもなく、イギリスやアメリカといった英語圏では、日本は「JAPAN」と呼ばれている。では、他のヨーロッパ各国では日本は何と呼ばれているのだろうか。これはフランス語では「ジャポン」、イタリア語では「ジャポネ」、スペイン語では「ハポン」、ロシア語では「ヤポーニャ」、ドイツ語では「ヤーパン」となる。

これらの語源をたどると、「日本国」を意味する中世中国語の発音にいきつく。それをヨーロッパに紹介したのは「東方見聞録」を著したマルコ・ポーロである。

彼が日本のことを黄金の国
「Cipangu(ジパング)」
と表記し、それが現在ヨーロッパ各国で話される「日本」を意味する単語の語源となった説が最有力である。

ちなみに、「東方見聞録」では、ジパングについて「カタイ(中国大陸)の東の海上1500マイルに浮かぶ独立した島国である。莫大な金を産出して、宮殿や民家は黄金で出来ており、国中に財宝があふれている。人びとは偶像崇拝者で外見がよく、礼儀正しいが、人肉を食べる習慣がある」と紹介された。

マルコ・ポーロは、実際には日本を訪れたことはなく、中国で耳にした噂話をまとめたとみられている。

この日本の項を含め、アジアに関する記述は眉唾的な話が多いが、それでも「黄金の国」というインパクトが大きかったのだろう。マルコ・ポーロが伝えたジパングという名から「日本」を意味する言葉が生まれてくることになったようだ。                   

           


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独り言~「気になる情報」あれこれ~

2009年12月19日 | 独り言

 松井選手の入団先決定 

今年でヤンキースとの契約が切れた松井選手の入団先がついに西部地区所属のエンゼルスに決まった。以前のブログで、
「ヤンキース退団、移籍先はレッドソックスかエンゼルス」と予告していただけに半分当たった感じ~。

それにしても、いろんなニュースを総合してみると、本人はヤンキースに残りたかったようだが球団側が誠意を見せなかったため、やむをえない選択をしたとの感は否めない。内心悔しい思いもあるだろうが、これをバネにして来年は好成績を挙げてヤンキースを見返してやればいい。

その条件も整っている。何といっても本拠地アナハイム(カリフォルニア州)は気候が温暖でニューヨークの比ではないため手術後の不安のある両膝には良い。

それにNHKテレビによると、湿度が低いためボールがよく飛び、右中間がヤンキーススタジアムよりも5mほど短いという左打者向きの球場というので松井選手にはうってつけ。

とにかく、これで「ニューヨーク」から「アナハイム」へ、
ジャパンマネーが人とともにドッと
動いていく。エンゼルスはいい買い物をした。松井ほどの選手を1年契約で約6億円の買い物とは。経済効果を考えるとはるかにそれ以上のものをもたらすことだろう。

来年のシーズンは円熟期に入った松井の選手生命と意地をかけた「闘いの年」
になるがMLB中継が今から愉しみ~。

☆ 「絶対ボケない生活」

現在200万人を超えるといわれる認知症患者〔国内)。老後の生き方について「子供に財産をいくら残すか」なんて考えるよりも、ボケないようにして子供に迷惑をかけないことのほうが”はるかに大事だ”というのが次の本。

93歳になる母を抱えている自分も他人事ではないのでざっと目を通してみた。


  「絶対ボケない生活」(2009.10.9、廣済堂出版)   

著者は「フレディ松川」さん。お医者さんながら関係著書多数で、これまで30年以上にわたって認知症患者を診察している病院の院長先生で現場に精通しているから説得力がある。

ここでは、認知症サインの見分け方とか原因などの専門的な話は端折って、豊富な経験とデータから導かれた「ボケやすい職業」とか「ボケない生活習慣」を抜粋してみた。

 ボケやすい職業

圧倒的に多いのが元公務員。自分にもピタリと当てはまるのでドキリといったところ。これは意欲の問題だそうで、老後も現役時代の仕事と同じように意欲を持続させて「脳を上手に使う」ことと密接な関係があるそうだ。

ともあれ、国民挙げての「お役所バッシング」が果てしなく続いているが「可哀想に、どうせあいつら、お役所仕事のせいでいずれボケてしまうんだ」と思えば、ちと腹の虫も収まろうというものだが、はてさていかに。

次に学校の先生も危険度80%。「偏った脳の使い方」が悪いそうで、中学、高校の人文科学系の教師は危ない。英語教師も同様。また著者の病院に
音楽の教師を含めて理科系の教師が入院したことはないとのこと。「音楽好きがボケない」とはこりゃうれしい!どうやら、これまでの投資はムダではなさそうだ。

次に会社員。圧倒的に内部事務系にボケの確率が高い。営業系は相手との交渉、説得など人との接触機会が多く「脳をうまく使う」のでボケない。広報マン、宣伝マンも同様。

女性の場合は、著者の病院では専業主婦が圧倒的な入院割合を占めている。面白いことに、家庭環境も大切な要素で「嫁姑戦争」のようなところでは逆に精神が張り詰めてボケにくいそうだ。何というパラドックス!

 絶対ボケない生活とは

統計によると、何も運動しなかった人は週3回以上散歩、或いはそれ以上の運動をしていた人より1・5倍もボケやすいということで、まずは運動習慣を身につける。

次に、ボケ予防に最適なのが「文章を考えて書く」という行為。自分を引き合いに出して恐縮だが、ブログをやり始めて3年を超えたが新しい題材の発掘をしようと常にアンテナを張り、いかに文章にしようかと考えるクセがついたが、それほど「出来のよくないアタマ」を能力以上に使っている感じがしてボケ予防を実感している。

以下、「料理する夫はボケない」「社会と交わらないとボケ一直線」「地域の人と付き合う」「外出の機会を増やす」「カラオケは最高のボケ防止」「いつまでも持ちたい恋ごころ」「几帳面よりも”何とかなるさ”タイプへ」「田舎に住むな、都会の雑踏に生きろ」「ボケない最後の切り札は”生きがい”」といったところ。

以上が本書の内容だが、これは自分に限っての話だが、子供に迷惑をかけない一番いい対策はそれほど長生きをせず、ボケる以前に適当に患ってアッサリ死ぬのが手っ取り早いように思えてくる。そういう都合のいい病気はないものだろうか?

 世界の名指揮者ベスト・ランキング

最後に音楽の話題を。

「レコード芸術」の12月号に「世界の名指揮者ベストランキング2009」とあったので興味を引かれて珍しく購入してみた。

                    

50人の評論家と読者が選んだそうで、以下「順位」を。

 評論家によるランキング

1 フルトヴェングラー 2 カラヤン 3 バーンスタイン 4 クライバー
5 トスカニーニ  6 ワルター 7 クレンペラー 8 ムラヴィンスキー 9 セル 10 アーノンクール ~以下

 読者によるランキング

1 フルトヴェングラー 2 カラヤン 3 ワルター 4 バーンスタイン 5 トスカニーニ 6 クライバー 7 クレンペラー 8 ムラヴィンスキー 9 ベーム 10 チェリビダッケ ~以下

両者を合わせた総合ランキングも記載してあるがもはや推して知るべし。自分が心酔している「フルトヴェングラー」なんか、過去の遺物かと思っていたが、どうしてどうして今でもたいへんな人気ぶり。

いずれも音質の悪い録音ばかりだけど、若い人の支持があるのに驚く。

27歳の方:その雄渾でドラマテックな音楽は聴き手を捕えて離さない。その録音すべてが宝。

34歳の方:私は彼の演奏を聴いて、音楽は魔術であることを知った。

いやはや!

それと、カルロス・クライバーが上位にいるのがうれしい。やっぱり、みんなちゃんと聴いてるんだなあ~。

            


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オーディオ談義~「音キチ」さんのご来訪~

2009年12月17日 | オーディオ談義

つい3日程、前のこと、「音キチ」さんなる方からメールが入った。

「こんにちは。ブログ拝見しました。タンノイ・ウェストミンスターにJBL130Aとは意外な組み合わせですね。アルテックなどは合わなかったのですか?ステンレスホーンつきの「JBL075」はデカイですね。シンバルは最高でしょうがヴァイオリンはどうですか?」
よろしくお願いします。
「音好きな音キチです」。

フーム、「音キチ」ねぇ~。この言葉にはあまりいい印象を抱けない。オーディオは所詮「音を出す道具」であって主役は「音楽」。言い換えると「手段と目的」の関係なので、この辺が倒錯している方とは話がかみ合いそうになく困るのである。

どういう人かもサッパリ見当がつかないので返事をためらったが、たかが趣味の世界、こういうときにはなるべく前向きに対応することに。

「はじめまして。ウェストミンスターに130Aは既に過去のもので現在は「アキシオム80」を入れてます。075のステンレスホーンはさすがにいいですよ。ヴァイオリンがちょっとキツいので0.1μファラッドのコンデンサー(東一)で下限をカットして気持ちだけ音を出してます。それではまた。」

ところが、その日のうちに再度メールが。

「やっぱり○○さんでしたか。そうではないかと内心思ってました。”075ステンレスホーン”で検索したところ該当のブログが引っ掛かりました。その節はお世話になりました。K本です。」

な~んだ、北九州市のK本さんかあ~。1年ほど前にY口さんと一緒に我が家に試聴にお見えになった方だったのでひと安心。たしか年令が40歳前後と働き盛りで「音キチ」といっても研究熱心で至極、正常な方。

当時の装置と今とではまったくの”さま変わり”。我が家の音がどのくらい変わったかという貴重な「生き証人」としてK本さんの存在をこの際、見逃すわけにはいかない。

「当時とはまったく音が変わってます。ご意見を拝聴したいので是非訪問されたし」(要旨)というメールをお返ししたところ、15日(火)の午後、仕事の休みが”たまたま”取れましたと早速お見えになった。

毎度お馴染みの方々からはその都度貴重なご意見を拝聴しているが、K本さんからは、また違った新鮮な感覚が期待できるので大歓迎。

音出しの前にいろいろとお話した。

「ジャズを聴くのに通常の075(ツィーター)を繋いだのですが、ザリザリしてとても・・・。それでステンレス・ホーンだとかなり変わるのではないかと興味があります。ジャズをビシバシ鳴らすには、ゴトーやYLはメガホンになります。万能なスピーカーはないですね。」

どうやら075のステンレス・ホーンに興味がおありのようである。たしかに名器とされる075は能率が良くて使いやすいがちょっと音がザラツクところがある。

それを解決したのが湯布院のA永さん。

研究のすえ、とある専門業者に特注して金属加工してもらったのがこのステンレス・ホーンで是非にと薦められて自分も購入。もちろん市販品ではない。

値段のことを持ち出すと、ちょっと品(ひん)がなくなるが肝心のツィーター本体に比べてステンレス・ホーンは6倍前後。通常、そのアンバランスにまず購入をためらうところだが効果は絶大である。 

                  
                画像をクリックすると拡大できます

「オーディオは目方で勝負」という名言があるが超重量級の代物でラウンド式のホーン効果で音響空間に散りばめられて漂うシンバルの澄んだ余韻を聴くと、もう病みつきになる。

試聴盤を3枚ほど持ってこられていて、ジャズボーカルが主体だったが、さすがに優秀録音盤で装置のアラがすぐに分かる類のものだった。こういう曲目を一緒に聴いていると、どうも自分の装置が「いまいち」のような気がしてきて弱気になるのがいつものクセ。

k本さんは随分と幅の広い方で「他人からどんなことを言われようと自分がいいと思った音が最高ですよ。」となかなかのご発言。お互いに意地を張らずに率直に話し合えるタイプとみた。

少なくとも「高域の聴き取り」に関しては年令差によって自分に相当のハンディがあることはたしか。(自分には)せいぜい聴こえて1万ヘルツ前後だろうし、K本さんは1万5千ヘルツぐらいまでは可能範囲のはず。素直に日頃の懸案事項をぶつけてみた。

「中高域にアキシオム80を使い、これに超高域用として075をプラスしているけど効果があるかどうか率直に意見を聞かせてくれない?」

075に布切れを着せたり外したりして、じっと耳を済ませていたK本さん、075があったほうが音楽に奥行きが感じとれますのであった方がいいと思います。しかし、ちょっと高域が荒れた感じがしますのでツィーターの位置を動かしてみましょうと建設的なご意見。

「アキシオム80」との位相を合わせるためにウェストミンスターの上に載せている075をmm単位で前後に動かして最適位置を左右セットで設定した。テスト盤はもちろんモノラルでジャズの名盤「サキソフォン・コロッサス」。

                      

調整後に試聴してみるとたしかに高域が随分と聴きやすくなってヴァイオリンのあのキツさも失くなった印象。いやあ~、「老いては子に従え」という諺があるが「高域の調整は若い人に従え」というのは年寄りのオーディオ愛好家にとって妙案ではなかろうか。

「父母と17時に別府温泉で待ち合わせてます」ということで2時間半ほどのご滞在だったが、ホントに今日は実り多き良き日だった。

翌日にK本さんから次のようなメールが来た。

「昨日はお邪魔しました。アキシオム80のエネルギーには驚きました、不思議な魅力が有ります。

おそらく、コーン・スピーカーであの様な魅力的な中高音を出すのはアキシオム80しかないですね、下手なドライバーとホーンより優れています。

私の好みは繊細感・情報量の多い音が好きなのでアキシオム80には改めて感心しました。075は味付け程度の使用でしたがやっぱり有ると色気が出て奥行きも出ますね。

音の好みは多種多様で人の耳の性能は違うと思いますが、高価な物や大きな物をいっぱい買って、ただ並べて繋いだだけの方が居ますがそれでは意味がありませんよね。」

          


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音楽談義~いよいよ「第九」の時期になりました~

2009年12月15日 | 音楽談義

≪日本国憲法第九条≫

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

「エッ、このブログはいつから政治問題を扱いだしたんだ?」と、ご心配の向きがあるかもしれないが、ご安心を!

この
「第九条」の、高らかに戦争放棄をうたった「平和主義」とベートーヴェンの不朽の名曲「第九交響曲」(以下「第九」)の「人類みな兄弟」という理想主義が「九」で合致していることに注目。

そこで、当時の憲法作成の関係者で英国滞在経験のある幣原(しではら)喜重郎氏あたりが実はベート-ヴェンに心酔していて、ひそかに同じ
「第九」条にしてしまったのではないかというユニークな説が披露されるのが次の本(61頁)。著者は音楽ジャーナリスト・評論家の林田直樹さん。


「クラシック新定番100人100曲」(2008.12、アスキー新書刊)   

「第九」が作曲・初演されたのが1824年、「憲法第九条」が公布されたのが1946年だからおよそ120年の隔たりがあり、実説でもおかしくない話だが、これはもちろんジョークである。

余談だが、お隣の中国では「九」が縁起のいい最高の数値とされている。「十」になると頂点を極めてしまうので後は下がるばかりという解釈。

さ~て、いよいよ年末恒例の「第九」の時期がやってきた。

その時代、時代に熱中して聴いていた音楽というものは、実に当時の自分の姿というものを投影しているものである。

20代の頃に夢中になって聴いていたのがこの「第九」。演奏はもちろんフルトヴェングラー指揮(以下「フルヴェン」)のバイロイト祝祭盤。当時はCDではなくてレコードだった。

あの頃は、社会に出たばかりで世の中の仕組みがよく分からず何事にもロマンチックで情熱的、将来への豊かな夢があったことはたしか。「第九」の理想主義に実にピッタリと”はまって”いた。

ところが、社会の荒波の中で馬齢を重ねていくうちに大宇宙でのほんのちっぽけな存在を何回となく自覚しながら、随分と夢のない現実的な人間になっているのが昨今の自分。

「第九」はもはや遠い過去のものとなって、今ではCD盤に手が伸びることも滅多にないが、年末近くになるとやはりちょっと聴いてみようかという気になる。

この名曲の聴きどころは、ベートーヴェンがシラーの詩「歓喜に寄す」に感動して曲をつけただけあって、なんといっても第四楽章。

当時は第一楽章から第三楽章までは人間の手によって書かれたものだが、「第四楽章」は「音楽の神様」が作ったものだと真剣に思っていた
”うぶな自分”が懐かしい。

しかし、上記の本によると「人類みな兄弟」という常套的スローガンにとらわれていると、この第四楽章は深みのある音楽にならないとのこと。

シラーの詩句でキーワードになるのは「星空の彼方」という言葉。
「星空の彼方に思いを馳せよ」
と何度も繰り返して聴き手に誘いかけてくる。

そこにいるのはキリスト教の神なんかではなく、もっとずっと大きくて普遍的な、特定宗教を超えた創造主の存在ではないかと著者は問う。

これには思わず共感を覚えた。ベートーヴェンの宗教的な作品はもともと少ないが「ミサソレムニス」にしてもそうだが、どうも特定の神を信仰している印象を受けない。

その点は「バッハ」の神に捧げる作品とは違っていて、ベートーヴェン独自が信ずる何か人類共通の大きくて漠然とした創造主をいつも感じさせる。

そうでないと
「国境も宗教も超えた東洋の片隅で年末にこれほど繰り返して昇華される作品にはならない」と、言ってはみてもこれはあくまでも個人的な見解。

現在の「第九」の手持ちをざっと調べてみると、上記のフルトヴェングラー盤(焼き直しのCD盤)に続いて、チェリビダッケ盤、フリッチャイ盤、ブロムシュテット盤(スタジオ録音とライブ録音)があった。指揮者、オーケストラともに、いずれもドイツ系だがこれは”たまたま”。

上記の本によると、著者の推薦盤は幾多の名盤の中でただ一つ。
チェリビダッケ・ミュンヘンフィルのコンビによる「第九」。

理由は、「荒っぽく熱狂する全体的なお祭りには距離を置きたい方で、むしろ親密で個人的な親愛の情がこもった”一対一”の抱擁が好きだ。その点、チェリビダッケの「第九」に強く心惹かれる。」とのこと。

これほどの名曲になると演奏の選り好みなんて必要なさそうだが、いまさらフルヴェンでもなし、久しぶりに触発されてチェリビダッケ盤と対面してみた。

何しろ大きな音で聴けるので93歳の母がデイケアに出かけた隙をついての月曜日の午前中のこと。

                 

聴衆の拍手から再生が始まるライブ録音。フルヴェンの直弟子としてその亡き後ベルリン・フィルの常任指揮者をカラヤンと争ったチェリビダッケ。

結局、団員投票で敗北したが、自分が選出されれば「ドイツ的な響きとフルヴェンの伝統を引き継いだのに」と述懐したとおりの演奏だった。

とにかく「重厚な響き」に圧倒された。それにティンパニーの凄さ。正統派の「第九」を引き継ぐ資格ありといっていいだろう。

それに深遠な「第三楽章」の優しさは、むしろフルヴェンよりも感動的で著者が「一対一」の抱擁というのもこの辺に起因するのかも。ただし肝心の第四楽章はさすがにフルヴェンに一歩を譲る。もっとたたみかけるようなリズム感が欲しい気がする。

それにしてもたまに聴くと、やはり「凄い音楽」である。

こういう心の隅々までもがきれいに洗われるような「人間讃歌」を毎年、区切りのように聴いて(歌って!)年を越し、新年を迎えるなんて改めて日本人の叡智に乾杯!

         


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オーディオ談義~「いい音」とは?~

2009年12月13日 | オーディオ談義

「ヌヴーの新盤(焼き直し)は音があまり良くなかったみたいだね~」と、前々回のブログをご覧になったオーディオ仲間のM崎さんからの電話。

「そうなんですよ。モノラル録音〔1948年)をわざわざ擬似ステレオ化してるんですけど、(発売元の)親切が仇(あだ)になったみたいですね。オーケストラがステレオ化するのは歓迎ですが肝心のヴァイオリンの音までが左右に広がってしまってはもうイケマセン。やはりヴァイオリンの音がきちんと中央から聴こえてくる元の盤のほうがいいみたいですね」

「それなら、ステレオをモノラルにするソフトを持っているので、焼き直し盤とSPMPT(1枚800円のCD-R)を送ってくれたら、コピーしてモノラルの音に戻してあげるよ。ただしマックの8倍速だけどね」

「それは面白そうですね。別に原盤が磨り減るわけでもなし、早速郵送します。とりあえず240円の切手を貼って近くのポストに入れます、もし、足りないときは”立て替え”お願いしま~す。」ということで、後は試聴盤を首を長くして待っていたところ、郵メールで自宅に到着したのが12日(土)の午後。

すぐに聴きくらべてみると、今回の焼き直し盤よりもはるかにいい。しかもこれまで所持していたコピー盤よりもさらに音が柔らかくなって解像度も向上し低域のボンツキもない。

まったく「素晴らしい」の一言で第ニ楽章(ブラームスのヴァイオリン協奏曲)なんかウットリ陶然の境地。全国のヌヴー・ファンに是非聴いてもらいたいほどでこれは絶対に世界で1枚しかない秘蔵盤。M崎さんも同意見だった。

以上、「昔のモノラル録音をわざわざ擬似ステレオ化にしなくてもいいのに」という他愛ない話なのだが、似たような話があってヘンリク・シェリング(ヴァイオリニスト)の弾くバッハも近年、焼き直し盤がリリースされたものの同様に擬似ステレオ化したため評判が悪くて過去のモノラル盤の方が高値で取引されているという。

こういう類の話、よ~く考えてみるとちょっと不思議。

私たちが実際に演奏会などで音楽を聴くときにはモノラルの音なんてのはまずありえない。すべて左右一杯に広がった音、しかも直接音と間接音とが微妙に入り混じったホール全体の音を聴いているのが普通。

それなのにオーディオ装置で聴くときは「モノラルの方がいい」なんてことになると、もしかすると自分たちの耳の方がおかしいのでは、なんてことも考えられるわけ。

今回のヌヴー盤にしても擬似ステレオのほうが「生演奏らしく聴こえて好き」という人がいても、不思議ではないし、発売元だってそう思ったからこそ擬似ステレオにしたに違いない。

結局、これを敷衍〔ふえん)して言えば昔から絶えず繰り返されている議論に行き着いてしまう。

オーディオ装置で聴く音で「正しい音」とは一体何か。

こういう場合、一応「生演奏の音」が基準になるんだろうが自分なんかは完全な割り切り派。電気回路を通した音に「生の音」の再現は出来っこないので、ユメユメ深追いは禁物と思っている。

それらしい音で
「うまく騙してくれれば上等」というわけで、上記のヌヴー盤にしてもモノラル盤のほうが擬似ステレオ盤よりも「騙し方が自然でうまい」と思うだけ。つまり虚構の世界で自分好みの「いい音」が出てくれればそれでいい。

いつぞやのブログにも投稿したが「オーディオ テクネ」という会社がオーディオ装置に対して「原音に近づく正しい音とは」と題して次のように専門誌に掲載していたことがある。

 ボリュームを上げてもうるさくない音で会話が楽にできる。
 音は前には出ない。後方に広がり自然に消える。
 音像は左右後方に定位し、左右フラットに定位しない。
 小さな音でも明瞭度が下がらない。
 スピーカーの近くでも離れても後方でも音質、音圧の変化をあまり感じない(音は波紋である)
6 音は思っている程、迫力、パワー感のあるものではない。
 試聴上、歪(物理特性ではない)が小さくなると音像が下がり、音階、楽器の音色が正しくなる。
 長時間聴いても疲れない。連室でも音が邪魔にならない。

およそ「正しい音」とはこういうものだろうし異論を挟むつもりはないが、実現するとなると、そもそも部屋の広さの問題から解決せねばならず相当の財力と力量と時間が要る。結局「いい音」との整合性をどう計るかがポイントだろう。

因みに現在考えている「いい音」を自分なりに表現すると次のとおり。

装置全体の音が澄んでいて柔らかい雰囲気で満たされ楽器の音色がそのまま素直に表現されているような音。それに音に奥行き感がある。彫りの深さとでも言うべきか。たとえば手前にヴァイオリンが位置し、その奥に管楽器が、さらにまたその奥にティンパニーがというようにそれぞれの楽器の前後左右の距離感覚が明瞭に分かる音。

これに、大宰府のM田さん宅のような「音のエネルギー感」が、ここぞというときに爆発してくれれば申し分無しといったところだが、まず永久に無理だろうなあ~。

 


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音楽談義~改めて「ジネット・ヌヴー」の魅力を~

2009年12月08日 | 音楽談義

12月4日〔金)に「運転免許の更新」のため久しぶりに大阪から帰ってきた娘。

仕事に忙殺されて大好きな「宝塚歌劇」のブログ更新も出来ない毎日だそうで、「お父さんのブログを読んでるかい?」と訊ねてみると、「最近のブログは何だか難しすぎてよく分からないので読んでいない!」と、素っ気ない返事。

これまで、なるべく話題をバラエティに富むように振り分けているつもりだが、最近「オーディオ」の話を連続4回続けているせいのようで、やはり(「オーディオ」関係の話は)特殊すぎてどうも一般受けしないようだ。

この間、ブログへのアクセス数も”はかばかしく”ないのが実状で娘の意見が大方の傾向を集約していると見ていい。

興味を持って読んでくれる方に幅広く話題を提供し参考にしていただければと乏しい知識を振り回してコツコツと投稿を続けているものの、それかといって、「オーディオ」を抜きにすると、このブログは”ありきたり”の”魂のないヌケ殻”みたいな存在になってしまうので難しいところ。

さてと、今回は久しぶりに気分一新で「音楽」についての話。

「ジネット・ヌヴーの3枚セットがHMVのネットにあるのを知ってる?」とオーディオ仲間のM崎さんから連絡が入ったのが先週の中ごろのこと。

以前、油断してヌヴーの全集を買い損ねてしまい、以後発売されないままなのでいまだに後悔し続けている毎日。早速飛びつくようにネットを見たのはいうまでもない。ヌヴーで検索して「あった、あった!」、それも3枚セットで1,725円という信じられない安さ。

曲目は次のとおり。

CD1  ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」
     シベリウス「ヴァイオリン協奏曲」

CD2  ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」(イッセルシュテット指揮)
     ショーソン「ヴァイオリンと管弦楽のための詩曲」

CD3  リヒャルト・シュトラウス「ヴァイオリン・ソナタ」ほかラベルの小品

因みに現在所持しているヌヴーの演奏はシベリウスを除いてすべてコピー盤。それもパソコン内臓で性能がいまいちのCDドライブでコピーしたもので、いずれきちんとした正規のCD盤を購入しなくてはと思っていたので”渡りに船”のようなもの。すぐに注文した。

同じクラシック音楽でも終生、音質の落ちるコピー盤で済ませても構わない演奏(SPMPTのCD-Rは別!)と、そうでない演奏とが歴然として存在する。もちろんヌヴーの演奏は後者である。

これまでのブログでも再三再四取り上げているこの「ヌヴー」(1919~1949:フランスの女流ヴァイオリニスト)だが、「演奏はいいものの、録音が悪い」盤の典型で、なにぶんにも1940年代と随分昔の録音なので仕方がない

しかし、いまだに彼女の演奏に感銘する人はいつも”感涙に咽ぶ”自分も含めてかなり存在するようだし、何といってもその心酔度が並ではない。

因みに関連ネット情報でもやはり絶賛の嵐。

☆ ヌヴーが30歳で事故死(飛行機墜落)していなかったら1950年代から1970年代にかけてのヴァイオリニストの序列はおろか、ヴァイオリン音楽のあり方も大きく変わっていたかもしれない。

☆ 
ヴァイオリンには女性奏者が多いがハイフェッツやオイストラフに伍する巨星は輩出されていない。ヴァニャフスキ国際コンクールで大差でヌヴー(優勝)に完敗を喫したオイストラフ(第二位)は「悪魔のような才能」と妻宛の手紙に書いた。ヌヴーこそ男勝りの気性で彼らを凌ぐことが出来た筈の唯一のヴァイオリニストだった。

因みに、「音楽とオーディオ」を極めた粋人「五味康祐」氏〔故人)の名著「西方の音」(1969年刊)の中の記述(248頁)に「ヌヴーの急逝以来、僕らは第一級のヴァイオリニストを持たない」
とある。

これは、既にオイストラフ、ハイフェッツが「功なり名を遂げた」頃の話だから驚く。今でこそ、この両者は巨匠の名をほしいままにしているが、当時はそれほどの位置づけではなかったことが推察されるのも興味深い。

彼女の代表作といえば”自分如き”に決め付ける資格はないがブラームスの「ヴァイオリン協奏曲」を外すわけにはいかないだろう。

ブラームスが親友ヨアヒムのために生涯にたった一曲しか残さなかったヴァイオリン協奏曲で、交響曲といってもよいほどに堅固に組み立てられ堂々とした威容をもち、同時に内省的な心情に溢れた作品。

ヴァイオリニストのスピリットとテクニックが赤裸々に照らし出されて隠しようがないというほどの難曲である。

自宅に届いたのが6日〔日)の午後。娘をJR別府駅に送ったりしてバタバタしたので翌7日〔月)の午前中にじっくりと向き合った。なおブックレットがすべてフランス語(?)で書かれているので輸入盤である。

                       

まず、CD1とCD3は後日の楽しみにしてCD2から試聴。

針音のショックノイズが
目立つのでおそらくLP(SP?)のレコード盤からの復刻だろうが、あまり気にならない。音もこもった感じがせず以前よりも随分と明瞭になった。高域の伸びと左右の広がりを感じさせる響きが、いかにもオーディオナイズされた音を感じさせる。

しかし、全体を聴き終えてハタと困ってしまった。

旧盤の、音が中央に寄った古典的な響きのほうが、いかにも音の厚みを感じさせヴァイオリンの力感を感じさせるのだ。既に充分馴染んだ音なので耳が拒絶反応を起こしているのかもしれない。

しばらく時間が欲しいところだが、今のところはプラス、マイナス総合的に勘案して旧盤に肩を持ちたい感じ~。

とはいえ、精神の高揚を覚える力強い演奏の素晴らしさはそういう細かい”こだわり”を軽く吹き飛ばす勢い。


改めて、「音楽と一体になった比類なき魂の燃焼」(旧盤のライナーノート)という歯が浮くような言葉も納得できる。やはり「ヌヴー」は桁外れのヴァイオリニストであることは間違いなし。
              
          
 


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オーディオ談義~「アナログに衝撃!上には上が・・・」

2009年12月06日 | オーディオ談義

12月5日の土曜日、「アンプづくりのオーソリティ」大宰府のM田さんのところへ行ってみた。随分と久しぶりでもう6ヶ月ぶりぐらいになるだろうか。

平日に行けばいいものを、わざわざ高速道路が片道1,000円(通常は3,300円)のときを見計らって行く、
「こすっからくて、みみっちい」自分がいる!オーディオ製品にはこだわりなくジャンジャン(?)お金を使うくせに~。

今回の訪問はプリアンプの「マランツ7」の調子がおかしくなって左チャンネルからハム音が出るので数日前に送付しておいたものを、故障の原因が見つかったとの連絡で引き取りにお伺いしたものだ。

小雨交じりの中を自宅を7時半に出発し、到着したのが8時50分。まあ、順当な所要時間。

結局、「マランツ7」の故障の原因は、内部の部品の不良なんかではなく、古い製品のため接続するピンコードの口径がマッチしないためにハム音が出ていたものと分かった。

分かってみると随分と単純な話。送料1,500円もかけて送ったのがバカみたいでホントに勿体ない話。

しかし、行ったついでにM田さん宅のオーディオ装置の音を聴いてビックり仰天。大収穫だった。

CDとレコードと両方聞かせてもらったがレコードの方が生涯で聴いたこともないようなモノスゴイ音が出ていた。

とにかく、低域とか高域とかがどうのこうのという次元ではなくて、音のストレートさ、瞬発力とかエネルギー感が我が家の音とは桁違い。どういう理屈を聞かされようとこうして目の前で音を聴くのが一番説得力がある。

まさに衝撃!オーディオを訳知り顔してどうのこうのという自分がまったく恥ずかしくなるほどで、やはり上には上があるものである。本当に世間は広い!他家の音をいろいろと聴くものだとつくづく思った。

ノウハウをいろいろお聞きしたが、語ると長くなるし、電気技術には疎いので省略。しかし、アナログに加えてスピーカーから出てくる音の位相の調整と磁気回路に電磁石を使用した「励磁型スピーカー」を使うというのがポイント。

それにしても、乏しい「小遣い」の中から「ワディア」のCDシステムを購入し、これでアナログとは「おさらば」との自負心が見事に打ち砕かれたのも一興か。

「CD派かレコード派か」つまり「デジタルかアナログか」いまだに論争が尽きないが、デジタルの音も決して悪くはないのだが、ちゃんとしたアナログの音を聴くと物足りなくなる。

今後益々のデジタル化は必至の情勢だし、「iPod」などの周辺機器の可能性に夢を託したい気持ちが大いにあるが、今回の音を聴くと現在のデジタルの音はどうも軽すぎるように思った。

「音に目方」なんて持ち出すのはおかしいが、人工的で実在感に乏しい音と形容すればいいのか。

そういえば、近年「オーディオ人口」の減少が叫ばれて久しいがデジタル化の進展とともに一方的に衰退していったような気がする。

東京のS田さん曰く「パソコンで手軽に”広く浅く”情報が手に入り、利便性が第一で、音質は二の次の世代」の増加とも関係があるのかも。

しかし、「音楽の楽しみ」と密接に結びつき、人生に豊かな潤いを与えてくれる「オーディオ文化」の衰退を傍で見るのは忍びないが、こういう世代に「オーディオの楽しみ」を分かってもらうにはどうしたらいいんだろう?「要らぬ世話」と一蹴されればそれまでだが。

ともあれ、今後、我が家の装置にどういう美点を見出してどういう風に折り合いをつけていくか、考え込みながら帰途についたことだった。

          


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オーディオ談義~スピーカー「アキシオム80」の魅力について~

2009年12月05日 | オーディオ談義

家庭で使用するオーディオ・システムのうち、音質を基本的に左右するのは何といってもスピーカー(SP)。

振り返ってみると「いい音」を求めて約40年近くスピーカー遍歴を続けてきた。

型番は忘れたが、「フォスター」から始まって「サンスイ」
「ビクター」「タンノイⅢLZ」「タンノイ・インパルス15」「タンノイ・ウェストミンスター」そして3ウェイシステムに移って「JBL130A-375-075システム」そして現在の「ジェンセンP8Pーアキシオム80-075システム」。

今のところ核になっているのは「アキシオム80」だが、まず大半の方が「そんなSPがあるの?」と思うのが関の山だろう。

約50年ほど前に作られたSPユニットで、一言でいえば真空管アンプ全盛時代に君臨した往年の名器(?)ともいえるものだが最近自分のブログの検索ワードにこの「アキシオム80」がしきりに登場している。つまりこのワードでアクセスしてくる方が多いというわけ。数日前は検索ワードの中でトップの位置を占めていた。

いまだに興味を持っている方が存在するのはうれしい限りだが、使いこなしに独特のコツがいるSPなので「他人がどういう使い方をしているか調べてみよう」ということなんだろう。

そこで、本格的に使い出してまだ2年足らずだが自分なりに気付いた使いこなしの要点を洗い出してみた。

その前に、とりあえずちょっと変わった”つくり”を持つこのSPの特徴を改めて記載しておこう。
                    

オーディオ専門誌「別冊ステレオサウンド~いまだからフルレンジ~」115頁に解説があるので、そっくり引用させてもらう。

                

魅力のポイント

「本領を発揮したときの繊細で、ふっくらとした艶やかな響きは絶品!」

本機はフルレンジユニットの一つの理想形ともいえる画期的な構造を採用しているのが特徴。細部を見るにつけ、機能に徹した形の美しさがわかってくる。

特に振動系が素晴らしい。通常のエッジやダンパーの代りに、ベークライト製カンチレバーによる3点支持という非常にクリチカルな構造を採用しながら、工作精度はきわめて高く、ローレベルでも鋭敏に反応する点が魅力的。ただし、このユニットの本領を発揮させるには相当の力量が必要である~以下略~。

以上のとおりで、要するにかなり神経質なスピーカーだが、ツボにはまったときは威力絶大というヤツ。いわゆる乗りこなすのが大変な
「ジャジャ馬スピーカー」である。

そこで、使いこなしの要点に移る。

 もともとは1個ですべての帯域をカバーするフルレンジ・ユニットだが、自分の場合は中高域専用(およそ200ヘルツ~1万ヘルツ)として使っている。

なにしろ、とてもデリケートなつくりなので100ヘルツ程度以下の振幅の大きい信号をもろに入れると次第に調子が悪くなってガサゴソと擦れるような雑音がしだす。

こうなるともうお手上げ。カンチレバーの調整用のネジを素人がいじるのは厳禁で岡山県の「専門店」行きが無難。とにかくフルレンジでの使用はお薦めしない。

そういうわけで非常に壊れやすいことからスペアのセットを常時手元に置いておくことが肝要。そうでないと精神的に安心して聴けない。  

 最高域にクセがあって結構きつい音を出すときがある。繊細さと裏腹の紙一重の部分があるというわけ。CDの録音も千差万別なのでツボに嵌ったときはいいが、相性が悪いときはやや刺激的に響く。そこで、最高域をカットして別途ツィーターを準備するのも一考。

これは現在実験中だが、次の写真のように「羽毛」を貼り付けて最高域を吸音し、JBL075ツィーターを追加してみたところ随分とレンジが広く聴こえる。見かけは悪くなるのだが背に腹は替えられず、これでも結構苦労しているのである。

                   

 使用するアンプだが、許容入力が低いのでトランジスターアンプはちょっとためらう。暴走したときの過大入力一発で簡単に”おしゃか”になる。やはり真空管アンプが無難と思う。

以上のとおりで、結局「デリケートな音の再生に秀でているものの、非常に壊れやすくてもろい」という両刃の剣のようなSP。

こういう「壊れるか、壊れないか」という極限のレベルの”つくり”でしか出せない音というものがあり、残念なことにこれに替わるユニットが今のところ見当たらないのでやむなく使っている。

まあ「虎穴に入らずんば虎児を得ず」のようなものですか。

こういうSPなので商売になるはずがなく、コストの問題や技術者の枯渇とともに早々に市場から姿を消したのも当然のことだが「マランツ7」プリアンプ)なんかにしても同様で昔のオーディオ製品はこういうものが実に多かった。

1950年代は、指揮者、演奏者の質、量がともにそろった「クラシック音楽の黄金時代」とされるが、もしかすると「オーディオ製品」もそうなのかもしれないという気がする。少なくとも真空管の性能は当時がベストである。

現在市販されているユニットなんか、どんなに太い信号を入れてやってもまずビクともしないほど丈夫に作ってあるが、一方で生々しくて繊細で反応の早い再生は「アキシオム80」に到底及ばない。

現代は音質云々よりも「壊れない」という安全性や耐久性を優先した「工業製品」がはびこっているのが実状。オーディオ製品に選択肢の幅が少ないのは実に残念なこと。

こういう事情を打開するために手ごろな価格で魅力的な製品の開発を大メーカーに期待するのも、このご時勢では無理な話。

あとは現実路線としてネットによるクチコミ方式で良心的なガレージメーカーの発掘・発展に期待するしかあるまいという気がするが。

           


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オーディオ談義~「マック」は「ウィンドウズ」よりも音がいい?~

2009年12月03日 | オーディオ談義

前回のブログで投稿した「1枚800円のCD-R」の衝撃が冷めやらぬ間にオーディオ仲間のM崎さんがご来宅。(12月1日の火曜日)

ちょっと”しつこい”ようだが、さらに込み入った音質実験をすることになった。

なお、蛇足になるがこの種の実験は少しでも「いい音」で「音楽」を聴くことで、より一層深い感動に浸りたい趣旨のものであり、決して「音キチ」になる積もりは毛頭ないので念のため~。

さて、自分は現在、ウィンドウズのパソコンを使用しているが、M崎さんはマックを使用されている。ご存知のとおり「iTunes」と「iPod」、そして「マック」の本家本元は「アップル社」である。

したがって、「iTunes」がらみの音楽づくりは音質の良さも含めて「ウィンドウズ」よりも「マックに一日の長がある」とは巷間、流布されている話だがそれも併せて確認してみようというわけ。

実験に使う材料は次のとおり。 

 曲目は内田光子さんが弾くベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ31番の第一楽章」

                   

 CDトランスポートは「ワディア270」、DAコンバーター「ワディア27ixVer3.0」

                     

 「iPod」と「ワディア170iトランスポート」(「吉田苑」の電源を使用)

                      

CD-R盤は次のとおり。

 マックの「iTunes」で8倍速でコピーした通常の音楽用CD-R

 ウィンドウズの「iTunes」で4倍速でコピーした通常の音楽用CD-R

 ウィンドウズの「iTunes」で4倍速でコピーした高性能の「SPMPT」のCD-R

 原盤

最後に、と比較するため

 「iPod」と「ワディア170iトランスポート」による再生

特にの比較は興味深い。110万円のCDトランスポートと6万円の「170iトランスポート」との対決。

まず、最初に基準となる
の原盤を10分ほど試聴して音質を耳に叩き込む。

次にへ。「ほとんどと変わらないな~」とM崎さん。「そうでしょう~」と自分。

次に
を試聴。「かなり落ちる」というのが共通した感想。

そしてを試聴。「りは落ちるもののよりはいい」というのが結論。大方の予想どおり「ウィンドウズ」よりも「マック」の方がいいことを確認した。もっとも、断定は禁物で「この条件下のもとでは」という但し書きつき。

最後に、の比較に移ったが両者互いに拮抗しているのに驚く。値段の差を考えれば驚異的である。強いて言えばがやや音の重心が上がるようで、高域に華やかさがある代わりに落ち着きのない音になる。

最近「オンキョー」から出ている15,000円程度の同種のトランスポートのほうが「ワディア」よりも低域が充実しているとの話だが別付けの電源部が発売されるともっといいのだが。

いずれにしても、万一「ワディア270」が故障しても「170iトランスポート」で充分代用ができそうなのがうれしくなる。CD盤さえあれば「iTunes」に取り込んで「iPod」に同期させれば簡単に聴けるんだから。

以上の実験を通じて、今後の方向としては明らかにCDよりも「iPod」などを利用としたデジタル・オーディオへと歩みが速まることが予想される。将来「配信音楽がタダになる時代」
がやって来るが、そうなればなおさらである。この辺は次の資料を使っていつぞやのブログで紹介したことがある。

       「2008年7月29日号:エコノミスト誌」    

したがって、いずれウィンドウズとは別に音楽専用のパソコンとして手ごろなマックを購入するのも一案という気がする。少なくともCDプレーヤー(トランスポート)を買い直すよりはずっと合理的。

「圧縮の少ない良質の配信音楽 → マック → USB端子と接続できるDAコンバーター」が主流となる時代がやってくるとなると、いつまでも
「パソコン嫌い」を通すわけにもいかないか


やれやれ・・・。

     


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オーディオ談義~「1枚800円のCD-R」~

2009年12月01日 | オーディオ談義

通常、コピー用のCD-Rといえばせいぜい150円程度、それもまとめ買いすれば100円ぐらいというのが”おおかた”の相場というものだろう。

それが、10枚セットの消費税込みで7,980円のCDーR(CDR-80SPMPT)をネットで見かけた。つまり1枚約800円なり。最近では録音済みのCD原盤が500円程度で売られている場合もあるので随分と割高な勘定。

しかし、これだけの値段をつけている以上よほど性能に自信があるのに違いない、一度購入して試してみようかとすぐに食指を動かすのが「オーディオ愛好家」という人種。早速注文したのはいうまでもない。

とりあえず、オーディオ仲間のM崎さんに「1枚800円の高性能のCDーRを知ってますか?」と、やや自慢げにお訊ねしたところ案の定、ご存じなかった。

しかし、M崎さん、返す刀で「おそらく値段ほどの差はないんじゃないかな。多分そういうCD盤はエッジを丸くしてあると思うが自分の場合は独自に工具でエッジを丸くしているのであえて購入する必要性を感じない」とのこと。

ウーム、そうきたか!

いつぞやのブログでCD盤の円周部分の90度に角ばったエッジが高速回転時にレーザー光線を乱反射して音質にマイナスになるとの話を投稿したことがある。

爾来、回転ドリルを使ってヤスリなどで工夫して小まめに手持ちのCD盤のエッジを丸くしてきたところだが、このCD-R盤は最初から丸くしてあるとなると相当に音質を研究したメーカーに違いない。

さて、注文したCDーRが届いたのが29日〔日)の午前中。丁度、図書館に出かけていて留守中だったのでカミサンが
「代引き」で受け取っていた。

「マズイ」と思ったが、まあ1万円以内の買い物だからと大目に見てくれたようで小言なし、別にご機嫌の方も悪くなさそうでホット一息。

しかし、自分の「小遣い」で買うのに何でこんなに気兼ねしなければいけないんだろう?

それはさておき、早速、封を開けて真っ先にエッジ部分を確かめたところ記録する面の円周部分を見事に丸くなめらかに加工してあった。さすがによく「分かっている」メーカーである。また盤面にもきちんとシールが貼ってある。微細なゴミの吸着を予防したものらしいが極めて念の入ったつくりといえる。さすがに高価だけのことはありそう。

     「記録面に貼り付けてあるシール」     


さ~て、あとは肝心の通常の価格の約5倍の値段と性能とがつり合うかどうかの確認。

こればかりは実際に音声信号を記録して確かめる以外に方法はない。夕食後に早速作業にかかった。

こういうときに助かるのが
「iTunes」。

先般、パソコン用の外付けCD-Rドライブを購入したのをきっかけに「iTunes」をジャンルごとにきれいに再整理していたのでCDーR盤作成用の「プレイリスト」の編成もお手のものとなった。これも次の解説本のおかげ~。


   「iPodパーフェクトガイド2010」(2009.10.26)   


そして、試聴の対象はM崎さんのご希望に沿って内田光子さんが弾く次のCD盤に決めた。  

   ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ30番~32番」    

ベートーヴェンの後期の作品はひときわ高い山を仰ぎ見る感があるが、そのうちでもこれは白眉とされる作品。

長年にわたってこの曲目は「バックハウス」の演奏にトドメをさすと思ってきたが内田光子さんの演奏はどうだろうか。以前聴いたときとは装置も様変わりしているので新たな興味が湧いてくる。

ともあれ、まず、外付けCD-RドライブでこのCD盤を「iTunes」に取り込んで1と2の作業へ移る。

 「iTunes」から4倍速で通常の音楽用CD-Rに収録

2 「iTunes」から4倍速で今回のCD-R(80SPMPT)に収録

 
原盤

以上の3種類のCDを比較試聴してみた。

試聴のポイントは、とにかく
が出生地なのでこれにがどれだけ肉薄できるかということに尽きる。

使用するCDトランスポートは「ワディアの270」、DAコンバーターは「ワディア27ixVer3.0」だから、まあ不足はあるまい。

まずを聴いてみたがやや響きが少ない印象を受けたものの充分鑑賞できる範囲。

次に
を聴いてみたが、これがあまりの違いに愕然。ピアノの響きがまったく違うのである。粒立ちの良さというか、磨きぬかれた一音一音が立体空間の中をゆったりと漂っている気配がして思わず鳥肌が立った。まるで振るいつきたくなるような音。

途中でCD-R盤をトレイから引き出すのが惜しくてとうとう30番と32番をまるごと聴いてしまった。これほどの名曲と名演奏と名録音に正面から対峙すると何ものにも替えがたい至福の時間となる。

改めて内田さんの演奏に大感激した。女流なのに(?)この深遠なソナタをこれだけ弾きこなすのだから何も言うことなし。本当の美は人を沈黙させる!

もう「音質の比較」なんてどうでもいい気分になったが、このブログを仕上げる以上そうもいくまい。

この音質なら800円でもすっかり納得。いやあ、参りました。

次にを聴いたがとの差はごくわずかで、よほど注意しないと違いが分からない。の方がやや音階が明瞭になる程度。

翌日の30日(月)は先日お借りした「大地の歌」のCD盤3枚をお返しに湯布院のA永さん宅に直行。ついでに上記の3枚のCD盤を携行したのは言うまでもない。

ウェスタンの「555+15Aホーン」が朗々と、憎らしいほどに”ふてぶてしく”鳴っている中、これら3枚を一緒に試聴したところA永さんもあまりの情報量の違いにビックリされていた。

A永さん曰く、
が10点だとすればが8~9点、が4~5点とのこと。自分もまったく同感。

これからは、歌謡曲やポップスのコピーは普通の音楽用のCD-Rで十分だと思うが、クラシックはダイナミックレンジが広いので「SPMPT」のCD-Rに限ると思った。

それにしてもこのCD-Rはどうもエッジを丸くしている以上にいろんな工夫をしているように思える。そうでないとあんな豊富な情報量は湧き出てこない。

改めてネットで検索してみると次の情報があった。興味のある方は「CD-R SPMPT」をクリック。

とにかくどんなに値段が高くても性能が見合うと思えばまったく損した気分にならない。このCD-Rが今後ますます普及して、いい音質がもっと楽しめるようになれば音楽愛好家にとって実に喜ばしいことと思う。


追伸:12月2日〔水)

オーディオ仲間の奈良県のM中氏からメールをいただいた。要旨は「「iTunes」を経由して”取り込み”と”書き込み”を行うと2回の変換となる。それよりも、別のソフトを使って両者を同じレートでもってコピーする方がずっといいのでは」とのこと。あくまでも”音質にこだわる”のなら”そうすべし”と納得。貴重なご意見ありがとうございました。

          


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