「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

二兎を追う者は一兎をも得ず

2022年05月31日 | 独り言

早朝に、いつも拝読しているのが「T」さんと「I」さんのブログで、いずれも東海地方在住の熱烈なオーディオ愛好家さん。

参考になることが多いので、とても重宝しているがつい先日の「I」さんの「ジャズとテニスの雑記帳」の記事が「JAZZ遺言状」についてだった。



著者の寺島靖国さんといえば、かってはジャズ喫茶「メグ」の経営者であり、熱烈なジャズ愛好家として知られ著書も多数だ。今年で84歳になられるがまだ立派な現役だそう。

ぜひ見習いたい(笑)。

で、本書の中の一節が紹介してあった。無断引用お許しくださいね。

「最近開業したジャズ喫茶のオーナーはどうだろう。穏やかなものである。(中略)今頃の人はたいてい定年退職後に店を開く。何十年も会社に仕えてきたのである。人間が練りに練られているのである。人当たりが良くなって当然だ。

 それに比べ、昔のオーナーは殆どの人が会社勤めをしたことがない。社会に出ず、いきなり店を始めた人もいる。いじめられたことがない。いじめられてはじめて人は人になるのに、その経験がないから出来損ないができる。」

(2014年8月)

アハハ、「出来損ない」とは会社勤めをしたことがないご本人の自嘲を込めてのコメントだろうか(笑)。

たしかに、長年組織に属して飼い慣らされてしまうと自然に「協調」人間になってしまうが、その一方で大切な「覇気」が失われてくるようで。

一長一短ですかね・・。

で、この「JZZZ遺言状」を読みたくなったのでさっそく図書館に急行したところ、惜しいことに在庫が無かったのでしかたなくほかの著作を借りてきた。

「JAZZオーディオ快楽地獄ガイド」



一言でいえば「JAZZ」と「オーディオ」が見事に一体化した本でその根気と熱意に圧倒された。

やはり最後に人の心を打つのは「根気と熱意」ですね!

そういえば、文豪「夏目漱石」は若かりし日の「芥川龍之介」に対してこう諭した。

「世間は才能の前には頭を下げないが、根気に対しては頭を下げる。才能をひけらすことなく、牛になったつもりで根気よく進みなさい。」


このブログも内容はともかく「根気」だけは負けないつもり、そしてオーディオに対する熱意も(笑)。

それはさておき、本書ではベースとシンバルの音へのこだわりから「レイオーディオ」(表紙の画像:400万円のスピーカー)を購入するいきさつなんてすごく面白かった。

ただし、JAZZとクラシックではオーディオに対するアプローチがまったく違うことにも驚かされた。

一言でいえばクラシックで追及するのは「ハーモニー」だが、JAZZでは「個別の楽器の音」になっている。

道理で、JAZZ愛好家の方がときどき我が家に試聴にお見えになるが、大半の方々が試聴後に首を傾げて帰られるはずだ。

まったく基本的に思想が違うんですよねえ。

「二兎を追う者は一兎をも得ず」なので、これからも精進してクラシックだけに邁進することにしよう(笑)。



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サウンドを支配する「プリアンプの真空管」

2022年05月30日 | オーディオ談義

ずっと昔からプリアンプの真空管(電圧増幅管)には細心の注意を払っている。

理由はこのブログの読者ならお分かりだろうから省略(笑)。

で、今回は不要になった真空管とプリアンプ用の真空管を交換してもらったお話。

さて、我が家には真空管アンプが(プリとパワーを合わせて)10台以上ある。

それぞれのアンプに常時生気をみなぎらしておきたいので、真空管の「トライ&エラー」を繰り返していると、優勝劣敗の理で一敗地にまみれた真空管がどうしても出てくる。

そういう真空管はもはや用済みとなって溜まる一方でその処理に頭を悩ますことが多くなった。

とはいえ、周辺環境次第で復活の恐れもあるので慎重な判断が必要だが、100%近く「箸にも棒にもかからない」球が何本もある。

そういう球はオークションに出してもいいのだが、寿命を測定する機器を持ってないので後からクレームが来たりすると面倒そうでつい怯んでしまう。

で、そういう状況の中で実に都合のいい話が舞い込んできた。

あるとき、「北国真空管博士」と情報交換をしていたらプリアンプに使用される「12AY7」の話になった。

「12AX7や12AU7と違って純粋にオーディオ用として開発された球です。μ(ミュー=増幅率)も40前後と手ごろですよ。」と、博士。

「μが100前後もある12AX7は華やかな高音域とひきかえに、低音域が薄くなる気がします。その一方、μが20前後の12AU7は安定感はあるもののちょっと地味すぎます。その点、12AY7は現在3本持ってますがとてもバランスが良くてプリアンプ用に重宝してます。もっと欲しいのですがよろしかったら手持ちの真空管と交換していただくとありがたいのですが・・」

すると意外にも「はい、いいですよ」と、乗り気になられた博士。

で、交換用の球として、整流管 「5U4G」(ペア:ナス管、マルコーニ)ほか4本をリストアップした。

今後まったく使う見込みのない球だったが、博士から「OKです」とのご返事があり無事「物々交換」が成立。

めでたく「12AY7」を4本ゲットして、さっそくプリアンプ用として活用したが、その溌剌とした鮮度に惚れ惚れしている。

そして、これに続く第二弾が「13D3」(CV4068)という電圧増幅管。これもプリアンプ用だが3台持っているので何本あっても助かる。

で、今回の球のブランドといえば英国の「BRIMAR=STC」で「13Dシリーズ」はことのほか定評があるとのこと。

「μが30前後でとても使いやすい球です。この13Dシリーズには業務用として極めて丈夫な球です。それに出力管として使っても耐えられるように設計されています。何といってもツクリがあのウェスタン以上とも言われているSTC(ロンドンウェスタン)ですからね。現在新品が4本あります」

「ぜひ欲しいですね。交換用の球をリストアップしますのでご検討をお願いします。

で、「6SN7GT」を3ペア(レイセオン含む)、ほか「VT90」、「VR38=MHL4」、「A430N」といった具合。

これも見事に商談成立。

ほどなく我が家に到着したうちの2本がこれ。



まったくの新品で「しばらくエージングが必要ですよ」とのこと。

さっそく、ワクワクドキドキしながらプリアンプの球を「12AY7」

から「13D3」に差し替えた。

もう「STC」とくれば「音」が悪かろうはずがないので、どれだけの違いがあるかだけが焦点だが、結果は(12AY7と)いい勝負だった。

華やかさとスピード感と解像力のバランスが絶妙だし、エージングが進むとこれ以上になるのが末恐ろしいほどの仕上がりぶり。

どちらかといえば「13D3」に軍配を上げたくなるほどだった。このところ好調な我が家のサウンドがさらに絶好調になりそう(笑)。

また長寿命を誇るSTCなので「我が命」尽きるまでスペアはもう不要だろう。

これで「12AY7」が7本、「13D3」が4本、そして既に手持ちの「13D9」(12AT7と同等)が4本となって豊かな在庫量となった。

おかげさまで、常用管だった「12AU7」「12AX7」「12AT7」「E80CC」の出番が無くなり大量に余ってしまったのには一抹の寂しさを感じる・・。

どなたか要りませんかね(笑)。



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作家による音楽評論

2022年05月28日 | 音楽談義

オーデイオ訪問をしたり、されたりして仲間や知人と一緒に音楽を聴く機会が多いといつも思うのが「曲目の好み」というのは各人によって様々だということ。

人それぞれに遺伝子や育った環境が違うので当たり前だが、中には自分のようにクラシック、ジャズ、ポピュラー、歌謡曲などのジャンルに二股どころか四股をかける人間もいるのでなお一層複雑になる。

したがって、音楽専門誌などで推薦盤とか優秀盤とかいって推奨されているものもハズレがしょっちゅうなのであまり”あて”にできない。むしろ、業界とのしがらみとか商売気のない個人のネット情報の方がホンネが語られていて符号する割合が比較的高い。

さらに、自分の場合プロの音楽評論家の評論についても同様で、たいへん不遜な言い方になるが定評がある「吉田秀和」(故人)さんのも、自分の方に非があると思うがこれまでストンと胸に落ちたことがなく内容にも引き込まれたことがない。自分が求める評論とは明らかに違う。

とはいえ、そもそも音符で綴られた音楽を言葉で表現するのは、はなから無理に決まっているのだが・・。

ところがである。職業として二足のわらじ
を履いている方々の音楽評論は不思議にも実にピタリとくることが多いのが不思議。

たとえば「音楽好きの作家」などはその最たる例。

文壇での音楽愛好家をざっと挙げてみるとすぐに思いつくだけでも次のとおり。

五味康祐 → 「西方の音」「天の声」「いい音いい音楽」「五味オーディオ教室」など                              

小林秀雄
 → 「モーツァルト」

石田依良
 → 「アイ・ラブ・モーツァルト」

大岡昇平
 → 「音楽論集」

宮城谷昌光
 → 「クラシック私だけの名曲1001曲」

村上春樹
 → 「意味がなければスウィングはない」 

五味さんの「西方の音」については当時の新聞記事に「なぜプロの評論家にこんな優れた音楽評論が書けないのか」と書いてあるのを見かけた記憶があるし、「音楽を愛する」情熱が十分に伝わってくるほどの筆力があるので多くの支持を受けたのも当然のこと。

小林秀雄さんの「モーツァルト」についても、これを読んでない人は潜り(もぐり)のモーツァルト・ファンと言ってもいいくらいの名著の誉れが高い。

石田依良さんなんかは、モーツァルトのオペラ「魔笛」が大好きだそうで好みの演奏はクリスティ指揮のもの。それにグールド演奏のピアノ・ソナタとくれば自分とまったくピッタリなんでホントにうれしくなる。

さて、自分にとって作家による音楽評論になぜこうも惹きこまれるのかと改めて考えてみた。

もちろん、これはあくまでも個人的な意見だと前置きしつつ、

 語彙が豊富で表現力が的確

 さすがに作家だけあって
展開力にストーリー並みの面白さがある

 
音楽体験の出発点と感じ方、語り口に独自の思考法や人生観が投影されている。人生全般に対する視野の広さが伺えるところがいい

4 
音楽を生業(なりわい)とする人たちからは感じられない「好きでたまらない」という熱気と純粋な気持ちがストレートに伝わってくる。それに熱烈なファンの延長線みたいなところが親しみやすくて連帯感を感じさせる。

と、いったところかな。

このうち、特に表現力の問題は大きいと思う。

文筆による表現のプロともいうべき作家の筆致はやはり音楽評論家のそれを大きく凌駕しているように思う。両者ともに鑑賞する力は大差ないのだろうが、やはり著者独自の哲学や人生観を問わず語りに浮かび上がらせる表現力において読者への説得力がまるで違う。

で、これまでおよそ50年以上に亘って「音楽とオーディオ」の業界をつぶさに見てきたが、やはり五味康祐さんの存在は大きかった。

すでに死後40年ほどにもなるが、もっと長生きされていたら先導役としての役割を十分に果たされて巷に音楽ファンが増えたろうにという思いが尽きない。

こういう経済効率優先の殺伐とした世の中にこそ、対極として音楽を通じて心の豊かさと潤いが必要だという気がするがどうなんだろう。



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真空管アンプの競演~その2~

2022年05月26日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

「心の健康」のために、毎日、少なくとも1度は気持ちが浮き立つように「ワクワクドキドキ」を心がけているが、それには身近な「オーディオ」が一番手っ取り早い。

何しろシステムを取り巻く環境の変数が多いし、少し変えただけで波及効果が甚大、かつサウンドも千変万化するので興味が尽きない。

もちろん、この分野は物理学の範疇にあるので基本的な定理は押さえておく必要があるが、個人ごとの感覚の違いも手伝って誰もが簡単に「お山の大将」になれるところが魅力的。

で、目下の関心事は6台のアンプの好感度テストである。

2台のアンプのテストが済んで次の3台目はこれ。

3 
「PP5/400」シングルアンプ



実は今回の対象となった6台のアンプはすべて自分の子供みたいなもので付き合いも長いしそれぞれ個性を把握しているつもりだが、感覚的にみて今回の周辺機器との相性が一番いいだろうと予想していたのがこのアンプだ。

何しろ英国製のスピーカーに英国製の球だから「お国柄」も合致している。

いわば本命登場といったところ。

で、さっそく「ワクワクドキドキ」しながら耳を傾けてみた。

すると両方のスピーカーの間にもの凄く奥の深いステージが出来上がっていることに驚嘆した!

いや、決して大袈裟ではなく・・。

しかも透明感があってずっと奥の方まで透視できる感じが凄い。

もう鳥肌が立つほどの感激で「これで決まりだね・・」と独り言。

このアンプはこれまで「WE300B」アンプの後塵を拝するばかりだったがようやく今回は周辺環境に恵まれて大逆転という感じ、しかも最終回まじかに~。

こういう音を聴かされると残りの3台のアンプなんてどうでもよくなって、いさぎよく実験中止!(笑)

この「PP5/400」シングルをさらに練り上げる方向へと転換した。



このアンプは前段管に2種類のソケットが準備されており、3段階の切り替えスイッチで様々な球が差し替えられるようになっている。

たとえば次のとおり。

画像の上段左から「MHL-4」「AC/HL」「GSX-112」(トリタン・フィラメント)

下段左から「LS-7」「3A/109B」(STC)以下「3A/107B」「3A/110B」

といったところで、これら7種類の球を順次差し替えていきながらベストサウンドを模索したところ最終的に「GSX-112」に決定。

「μ=ミュー=増幅度」が小さくて、これまで「地味な球」との印象からあまり出番が少なかったのだが、今回は5000ヘルツ以上の高音域の負担が無くなった分、中低音域の厚みと解像力の優位性がもろに発揮された。

ずっと昔に「北国の真空管博士」からお世話していただいた希少球だが返却しなくて良かった(笑)。

真空管は周辺環境の違いでどこでどう実力を発揮してくるかわからないので迂闊に手放せないことを今回の実験で痛感した。

で、現在「悩みの種」なのが出力管「PP5/400」(英国マツダ:初期版)と「PX25」(GEC)の差し替え問題だ。

両方ともに「4本足」ピンで互換性があるが、お値段も性能もかなり開きがあって前者の方が上位にある。

せめてテレビ番組を観る時ぐらいは「PX25」(ナス管)でいきたいところだがいちいち差し替えるのも面倒くさいしね~。

日頃は「PX25」で聴いて、お盆と正月そしてお客様が見えたときぐらいに「PP5/400」に差し替えようかなあ(笑)。



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真空管アンプの競演~その1~

2022年05月24日 | オーディオ談義

もう50年以上にわたって彷徨してきた我が家のオーディオだが、ようやく大団円を迎えつつあるような気がしている。

これまでの経験上、どんなシステムもじっくり聴いてみるとそのうちアラが見えてきたものだが、今回ばかりは聴けば聴くほどに魅力が増していく。

ただし、肝心の本人の「耳の機能」が衰えたせいかもしれないが(笑)。



とはいえ、一部の隙もなくどこか弄りようがないというのも、何だか淋しい話になる。

で、無理やりにでも唯一の残された可能性にチャレンジしてみることにした。

ウェストミンスターに内蔵している「スーパー12」(口径30cm)を駆動するアンプを勢揃いさせて1台づつ実験しようというものだ。

いわば相性テストで「本来の性能」に加えてそのアンプが持つ「独自の個性」を大いに発揮してもらおうという算段になる。

対象となるアンプを挙げてみると一定のパワーが必要なので次の6台が資格を持っている。

「WE300Bシングル」「PP5/400シングル」「71Aプッシュプル」「2A3シングル」「6AR6シングル」「EL34プッシュプル」

自分でいうのも何だが、すべてのアンプともかなりの「粒ぞろい」なので簡単に優劣をつけがたい気もするが、やっぱり実際に試してみなくちゃ分からん(笑)。

もちろん、前段機器となる「DAC」(3台)や「プリアンプ」(3台)との相性があるので1台当たり少なくとも慎重に見積もっても1日以上はかけてみなくてはなるまい。

試聴のポイントをざっと挙げてみると、

★ スピーカーの存在感を感じさせず音楽に浸れる音

★ 長時間(少なくとも5時間以上)連続して聴いても疲れない音

★ 両方のSPの間にきれいに仮想空間、いわばステージ(舞台)が広がってどこまでも奥行感を感じさせる音。

と、いったところかな。

なお、考慮すべき点といえば5000ヘルツ以上の高音域は「71Aシングル+スーパー3」というコンビが控えているので、その帯域がカブらない意味から高音域がさほど伸びていないアンプが好ましいことになる。

では、試聴した順番でいこう。


1 71Aプッシュプルアンプ



日頃めったに出番がないアンプだが、インターステージトランスは「パーマロイコア」が使ってあり、出力トランスは名門「ピアレス」ということで、素性がいいアンプである。

出力は「プッシュプル方式」なので2~3ワットぐらいかな。

結論からいくと、好感度が10点満点で9点といったところでとても聴きやすく大いに気に入った。

高音域(5000ヘルツ以上)とのつながりがとても良好で、やはりアンプが「71A系」の同系統というのが功を奏している感じ。

もう少し深々とした奥行感を感じさせてくれれば満点といったところだが惜しい!

 WE300Bシングルアンプ



前段管が「071」(ARCTURUS)、出力管が「WE300B」(1988年製)で出力は5ワット前後といったところ。

インプット・トランスが「HAー100X」(UTC)、インターステージトランスが「HA-106」(UTC)だから、かなり凝っていると自負している。

言い換えると、我が家のアンプの中で一番お金がかかったアンプなので当然のごとく注文もきつくなる。

たとえて言えば年棒の高いプロ野球選手がそれなりの働きをしないとバッシングを受けるようなものかな(笑)。

なのに、結論から言えば好感度が8点といったところでガッカリ。

周辺機器との相性がイマイチで、他のアンプとのマッチングが難しい感じを受けた。やはり孤高のタイプかな。

さらにいえば、すごく端正な音だけどやや緊張感を強いてくる印象も受けた。

いわば、「ちょっと聞き」は抜群だけど長時間だと疲れてくるので試聴にお見えになった「お客様」用のアンプともいえる。

むしろ、他のSPのたとえばやや緩めのサウンドを持った「トライアクショム」(グッドマン)あたりには大いに威力を発揮しそうだ。

とにかく「元」を取らないとね(笑)。

こういった調子で「雨夜の品定め」ならぬ「薫風下の品定め」が続く。

残り4台については次回へ~。

最後にベストアンプを選出します。



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上昇志向の強いタイプと弱いタイプ

2022年05月23日 | 独り言

毎日のようにオーディオ関係のブログを続けていると読者から飽きられてしまうので時折異質な内容のブログを織り交ぜているが、前々回の「スターリン回想録」なんて、比較的お堅い内容なので誰も興味を示すまいと思っていたところ、何と今年の上半期の最大のヒット作(アクセス多数)となってしまった。

したがって(ブログを)1日で店仕舞いするつもりだったが、あまりの好評ぶりに1日延長したほどで、「このブログの読者は真面目な人が多い」と改めて感心した。

翻って、すべての記事にわたってまったく手を抜けないことも痛感した(笑)。

閑話休題

その昔「蟹江敬三」さんという役者がいた。60代で亡くなられたのでちょっと“お迎え”が早過ぎたようだが、
どちらかといえば貴重な“バイプレイヤー”として活躍され、ご年配の方には“ああそういえば”とご存知の方もいらっしゃることだろう。

                            

現在はたしか「ご子息」が同じ俳優として活躍されているはず。

で、先日のテレビで生前の面影を放映していたので何の気なしに観ていたところ、ご本人が次のようなことを仰っていた。


「小さい頃からそれはもう内気で人前に出ることはおろか、友達との会話もままならないくらいでした。ところが小学校の学芸会のときに無理矢理、主役をやらされて仕方なく演じたところ、大勢の人から一身に注目を浴びる感覚がこんなに快感をもたらすものかと急に目覚めてしまいました。これが役者になった動機です。」

なかなか興味深い話で、どうやら人間には二つのタイプがあるように思った。

人の注目を浴びるのにとても快感を覚える人と、それが苦手な人。

もちろん自分は後者である。シャイな性格なので少なくとも「スポットライト」を浴びて張り切るタイプではない。


はたしてどちらが長い人生で得をするか、それはもう言わずもがなでしょう(笑)。

前者には、特徴として上昇志向が強いという側面があるが、これは生きていくうえで欠かせないエネルギーでもある。

職業でいえば政治家、芸能人、マスメディアに携わる人たちなどがストレートに該当しそうだが、大なり小なりいろんな組織や職業でも似たようなタイプがいるようでして(笑)。


ずっと以前のこと、県立図書館で同じ職場で働いた大学時代の1年先輩に偶然お会いしたのでひとしきり旧職場の知人たちの噂話をしたが、退職後に厳しい選挙戦を経て地方自治体の首長になった人たちが数人いる。

「そういえば(そういう人たちは)在職中からとても上昇志向が強かったなあ、それにひきかえ俺たちは・・・」なんて二人で笑い合ったことだった。

ただし、先輩の前では口にしなかったが内心では「せっかくリタイアしたのに何をすき好んで、忙しいことに手を染めるんだろう。ようやく手にした自由な時間で好きな趣味に没頭すればいいのに、何とももったいない。いい歳をして今さら地位も名誉も“お金”も要るまいに~。」というのが本音。

もっとも、「元気なうちにもっと世の中のお役に立ちたい」という純粋な動機があったとすれば“その意気や壮とすべし”で、いちがいには否定できないが。

で、自分のようにこのまま何ら脚光を浴びることもなく、そして、さしたる足跡を刻むことなく、人の記憶に残らないまま自然消滅していくのが分かりきった人生も、よく考えてみると何だか虚しくないこともない。

アッ、そういえば16年間に及ぶブログがある!

投稿した記事の数も今や2800件近くに上る。アクセス数だってかなりいい線をいっているし、これらはもしかして貴重なデジタル遺産としてネット上に永遠の足跡を刻むのではあるまいか。

このことを我が家の「猛虎=寅年生まれの雌」にうっかり口を滑らしたところ、ひどい目にあってしまった。

ちなみにこの人は我がブログにはいっさい関心が無いし、また、比較的「上昇志向が強いタイプ」と秘かに睨んでいるので亭主には大なり小なり不満が溜まっているはず!

「な~にがですか!顔の見えない、しかも一円の得にもならないブログなんてそんなものは当てになりません。試しに1か月ぐらい無投稿を続けてごらんなさい。誰も見る人がいなくなってすぐに忘れられてしまいますから!」

まったく味も素っ気もない言い方だが、多分そうだろうなあ・・!(笑)


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ワクワクドキドキ→到達感

2022年05月21日 | オーディオ談義

今年(2022年)の2月に投稿したブログ「音楽が脳にもたらす効果」をご記憶だろうか。

高齢者にとって恐怖の的である「認知症」予防のためのノウハウを記載したものだが、その一部について再掲すると次のとおり。


「脳の健康維持のために欠かせないのが毎日の30分の有酸素運動とともに、知的好奇心が挙げられている。

たとえば探究心、冒険心、追求心などワクワク、ドキドキが脳の中の神経伝達物質であるドーパミンを活性化させて脳全体をとても元気にする。

したがって知的好奇心を大いに刺激する趣味を持つことは脳にとって素晴らしい効果をもたらす。」

というわけで、毎日のようにああでもない、こうでもないとワクワク、ドキドキしながら「オーディオ道」に勤しんでいることの言い訳にしておこう(笑)。

で、前々回のブログ「浜の真砂は尽きるとも・・」からの続きです。

当初は「JBLの175ドライバー」の音を聴きたいという単純な発想から出発したが、そのうちにエスカレートしてしまい、とうとう最後は本人からして予想だにしない方向へ進んでしまったのでその経緯を記録しておくとしよう。



この画像のようにありふれたスタイルで完成を見たシステムだが、
オーディオ仲間から「(ネットワークで)コイルを使用しているせいか音が不自然に聴こえます」という指摘を受けた。

とても信頼のおける「耳の持ち主」なので、一理ありそうだとさっそくコイルを外して「スーパー12」(ウェストミンスター内蔵)をフルレンジで鳴らしてみた。



この「スーパー12」は口径30cmだがたしか周波数特性は2000ヘルツあたりから「だら下がり」になっていたはずだがと記憶を呼び起こした。

で、それに応じて「175」のローカット周波数を1500ヘルツから5000ヘルツあたり(-6db/oct)に設定した。コンデンサーはウェスタン製のオイル・コンデンサー「5μF」(ブラックタイプ)を使用。



ちなみに、人間の可聴帯域は「20~2万ヘルツ」とされているが、人間の耳にとって一番敏感な周波数帯域は下記の画像のとおり「4000ヘルツ前後」とされている。つまり一番小さな音圧でもよく聞こえる周波数のことである。



で、このあたりに(両方のユニットの接点となり音が薄くなる)クロスオーバーを設定するのが理に適っているということになるのだが、はたしてどうなんだろう。

ちなみに、あのタンノイの同軸2ウェイはクロスを1000ヘルツに設定してますね。それがどうしたと言われても困るんだけど~(笑)。

理屈の方はさておき、実際に聴いてみなくちゃ分からんとばかりに試してみるとコイルを挿入した時よりもはるかに自然なサウンドになったことに驚いた!

必要悪のコイルを外して聴けるのなら、それに越したことはないと小躍りしましたねえ。

そして、じっくりいろんな音楽ソフトを聴いているうちに「175」にはまったく不満を感じなかったものの、ふと思いついてコーン型ツィーターの「スーパー3」(口径10cm:自作の後面開放型箱内蔵)に代えてみることにした。悪ければ元に戻すだけのことで手間の方も実に簡単で5分もあれば充分。

代えた理由を強いてあげれば「スーパー12」も同じワーフェデール製だし、しかも両方とも強力な「赤帯マグネット」の持ち主なのでハーモニーがうまくいきそうだという予感がしたから。



で、実際に「音出し」したところ、いやあ・・、こんなに鮮烈で艶やかな高音域は聴いたことが無いと思うほどのサウンドが展開した!

管楽器の開放的な響きはさすがに「175」に一歩譲るものの、弦楽器となると断然こちらの方が上質で濡れたような響きが実に好ましい。ボーカルも実にリアルで実在感がある。

全体的なハーモニーも両ユニットとも同じワーフェデール製だけあって完成度がすこぶる高い。

というわけで、この「コーン型ツィーター」をすっかり見直したが、この長く保有している「スーパー3」では初めての成功体験なので、やはり組み合わせるアンプ(71Aシングル)が良かったのだろう。

ちなみに「WE300B」アンプや「PX25」アンプなどを使ってもこうはいくまいと思っている。なぜなら、これらの名球の真骨頂は「中音域」にあり、高音域だけの真っ向勝負では「71A」のスピードに負けるから。



というわけで、「71Aアンプとスーパー3」のコンビは、我が家の「黄金の組み合わせ」として永遠に愛用しようと固く心に誓った次第。

結局、最後はいつものように自画自賛になってしまったが「ワクワクドキドキ → 到達感」に繋がれば「これが一番の認知症対策」と思っているのでどうか悪しからず(笑)。


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読書コーナー~スターリン回想録~

2022年05月19日 | 読書コーナー

「スターリン回想録~第二次世界大戦秘録~」(山田宏明 著)。
                       

こういう地味なタイトルの本が本屋さんに置いてあったとしても、いったいどれだけの人が実際に手に取って興味を示すことだろう。

そういう意味ではこれはまさに図書館に置かれるのにふさわしい本で、つい手に取って読んでいるうちに惹き込まれてしまった。まさに「掘り出し物」とでもいうべき力作だった。

スターリンといえば、第二次世界大戦当時のソ連の最高指導者として、また誰からも恐れられた独裁者として保身のためにライバルたちを次から次に粛清したことくらいしか知らないが、本書はそのスターリンの目を通して第二次世界大戦時の首脳たちの駆け引きの全容を明らかにしたもの。

日本そして欧米諸国の視点からの「大戦論」は多いが、ソ連という当時の独特の位置付けにあった国から見た「大戦論」は極めてユニークで「眼からウロコ」の連続だった。

「歴史は現代を写す鏡」という言葉があるが、折しも現在はウクライナ紛争の真っ最中だ。

ロシアの侵略はどんなに弁明しようと言い訳できないが、旧ソ連邦の解体時の「歪」が一気に噴出したと言っても決して間違いではないだろうし、さらにまた2014年の「クリミア半島」への侵攻があまりにもうまくいき過ぎたことが遠因となっているのも否定できない。

その点、戦国時代の猛将「武田信玄」はうまいことを言っている。

「戦いは五分の勝利をもって上となし、七分を中となし、十分をもって下となる。五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分は驕りを生ず」

で、本書では当時のアメリカが参戦した主な理由として、自国の将来の権益を守るため、太平洋を隔てて対峙する日本が中国や東南アジアに進出してこれ以上の大国にならないように防止するためだったこと(「オレンジ計画」)などが明らかにされている。

結局、戦争に勝利して「超大国日本」の実現阻止には成功したものの、代わりに台頭した中国との関係に苦慮する現在のアメリカを見ていると、はたしてその戦略が長期的に見て正しかったのかどうか、まだ歴史の審判は下されていないように思える。

また日本の天皇制についても敗戦の責任論も含めて、日本独自の奇妙な統治システムに関して随所にその在り様が率直に展開されている。中にはこういう記述もある。(141頁)

「400年も続いた徳川封建支配体制の時代には、天皇の存在すらほとんどの国民は忘れていたのに、明治維新によって歴史の屑籠から引っ張り出され、教育と洗脳で“世界に冠たる王室”に祭り上げられてとうとう戦争遂行の理論的支柱にまでなってしまった。~中略~。

こんなものを担いで戦争遂行を正当化したこと自体が日本という国が“帝国主義国にもなれない二流国家”の証明なのだ。」
と、いった具合。


ただし、本書はスターリンが実際に回想したものではない。毎日新聞の記者として34年間もの経験を生かした著者が「もし実際にスターリンが生きていたらこう言っていただろう」という推論に基づくものだが、豊富な資料に裏付けされているために内容に説得力があり、もしスターリンが生きていたら「ウン、その通りだ」というに違いないと思わせるものがある。

末尾の「歴史の勝者は誰か」(216頁)で、俺(スターリン)はこうつぶやく。

「第二次世界大戦とは、そして20世紀とは何であったのか。~中略~。俺の存命中の出来事ではなかったのだがソ連という国は結局消滅してしまったのだから、俺は敗者だったのだろうか。我が国が無類の勇気を発揮し命を削って戦った独ソ戦とは何だったのか。歴史の勝者は誰なのか。時の移ろいのままに、すべては無に帰すだけなのか。俺には分からない。」

ちなみに、第二次大戦中最も悲惨で残酷な戦いといわれている独ソ戦の犠牲者はソ連側2700万人、ドイツ側830万人とされており「これだけの犠牲を払ってナチズムを退治したのだから世界はもっとロシアに敬意と感謝の念を払ってもいいはずだ」という声が聞こえてきそうだ。


で、「20世紀の歴史に対する一つの見方」として多角的な歴史観を養う意味で、こういう地味な本にぜひ脚光を浴びてもらいたい気がする。


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浜の真砂は尽きるとも 世にオーディオの種は尽きまじ

2022年05月17日 | オーディオ談義

去る土曜日の午後(14日)、久しぶりに(40日ぶりくらいかな~)、近くにお住いのオーディオ愛好家「Y」さんに来ていただいた。

3月~4月にかけての心臓のカテーテル手術後の自粛やゴールデンウィークには娘が帰省したりしてなかなか日程の折り合いがつかなかった。

そして、今回来ていただいた目的はこのほど改造してもらった「71Aアンプ」の「1号機」と「2号機」の凄さを実際に体験していただこうという虫のいい魂胆だった。

これまでの経験上、こういう謙虚さに欠ける不純な動機の時はおおむね期待外れに終わるのが関の山だが(笑)、今回はどうやら目的を果たせたようだ。

「71Aという真空管は音声信号に対するスピードが速いですね、それにとても素直で繊細な音質です!思い切ってインターステージ・トランスを外した改造がうまくいきましたね。」と、Yさん。

「よくできた回路だとインターステージ・トランスは必ずしも必要ではないようですよ。音が伸び伸びとしてきました」

それでは当日の状況を振り返ってみよう。

最初に聴いていただいたのはこのほど新装なった「ウェストミンスター+175ドライバー」。



ウェストミンスター(1000ヘルツ以下)には「2A3シングル」アンプを、175(1000ヘルツ以上)には「71Aシングル2号機」をあてがった。



たまたまYさんが持参されたCDがジャズ・サウンドだった。



「いいですねえ!さすがにJBLの175だけあってジャズにはもってこいで、シンバルの響きが見事です」

と、ここまでは良かったのだがクラシック音楽に代えてから様相がおかしくなった。「どうもハーモニーが不自然のような気がします。ネットワーク用として使ってあるコイルのせいじゃないでしょうか」とのご指摘。

「まあ、1つのスピーカーシステムで万能というわけにはいかないでしょう。どうしても音楽ソースに対して得手不得手がありますからね~」

で、早々に切り上げて次のスピーカーに移った。

「デッカのリボン型ツィーターを聴かせていただけませんか」「ハイ、いいですよ」



フルレンジで鳴らしている「スーパー10」(ワーフェデール:口径25cm)にはアンプ「071シングル1号機」をあてがい、デッカには「71Aシングル2号機」をあてがった。



「これは素晴らしいサウンドですね。デッカがスーパーツィーターとして見事に利いてます。071アンプとスーパー10の組み合わせも言うことなしです。スーパー10はコーン型なのに赤帯マグネットのせいかホーン型のように音が飛んできますね。こういう音を聴くと、つくづくオーディオはスピードだと実感します」と、満足この上ないご様子。

2台の71A系統のアンプを十分に堪能していただいてから最後に、Yさんお好みの真打「AXIOM80」(オリジナル版)の登場となった。



駆動するアンプは「071シングル1号機」を選択。前段管が「AC/HL」(英国マツダ:初期版)なので、こちらのアンプの方が太めの音が出て「AXIOM80」と相性がいいような気がする。

で、試聴結果だが、これ以上(絶賛の嵐に)「屋上屋を重ねることもあるまい」(笑)。

今回は3時間あまりの試聴だったが「ウェストミンスター+175」に若干の問題点を遺しながら、メデタシ、メデタシのうちに大団円を迎えた。

で、Yさんが辞去された後に近所をせっせとウォーキングしている最中に「ウェストミンスター・・」について、ふとアイデアが浮かんだのでさっそく試してみることにした。

「浜の真砂(まさご)は尽きるとも 世にオーディオの種は尽きまじ」(笑)

以下、続く。


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「指揮者」と「演奏者」の間の「以心伝心」

2022年05月15日 | 音楽談義

モーツァルトの演奏に定評がある指揮者カール・ベーム(1894~1981)。



まるで大学教授みたいな風貌だが、彼の指揮したオペラ「魔笛」〔1955年〕は今でも愛聴盤だし、ほかにも「レクイエム」、「フィガロの結婚」などの名演がある。

その彼に次のような逸話が遺されている。

あるときブルックナーの交響曲を暗譜で指揮していた彼は思い違いをして、ここでチェロが入ってこなければならないのにと思った〔錯覚した)のだが、その瞬間(チェロのほうを向いていた分けではなかったのに)ひとりのチェロ奏者が間違って入ってきた。

あとから、ベームが「さっき君だけ間違えて入ったね」と尋ねると、当のチェリストはこう答えたという。

「マエストロが
入れ”
と思っていらっしゃるような感じがしたものですから」と。

まさに「以心伝心」、指揮者と楽員がいかに目に見えない糸で結ばれているか、やはり余人には計りかねるところがあるものだ。


以上の話は次の本に掲載されてい
たもの。

「音楽家の言葉」(三宅幸夫著、五柳書院刊) 

             
    

文脈から推察すると人間の感覚が研ぎ澄まされ、指揮者と演奏者が深い信頼関係で結ばれると、
「以心伝心」
でこういうテレパシーまがいの神業のようなことも可能になるという実例として挙げられていた。

ベームの「思い違い」から出発した話なので当然ベーム側から洩らされた話だろう。

しかし、この「以心伝心」というのはちょっと”出来すぎ”のように思えてどうにも仕方がない。

部外者にはどうでもいいことだろうが(笑)、少しこだわって「ホント」説、「偶然」説の両面から勝手に考察してみた。

 「以心伝心」ホント説 

ベームの棒の振り方はほとんど目につかぬほど小さかったので慣れない楽員たちを大いにまごつかせたという。

ウィーンフィルのチェロ奏者ドレツァールは言う。

「彼はオーケストラの玄人向きの指揮者だ。あまり経験のない若い楽員向きではない。彼の指揮に慣れているものは、ほんのわずかな棒の振り方と身振りだけで、さっとついて行くことができた。いつもごく小さい身振りに終始し、もし大きくなったとしたら、絶望の表現だった。」

テレパシーまがいの以心伝心の背景にはベームの極めて微妙な指揮棒の動きがあった。楽員たちは常に彼の指揮棒を注視しているのでどんな細かなクセも分かっていた。

したがってベームの思いが指揮棒に微妙に表出された途端、チェロ奏者が同時にその動きに無意識のうちに反応してしまったという説。


 「以心伝心」偶然説

ベームは随分厳しい指揮者だったらしい。演奏中、鵜の目鷹の目で楽員たちのミスを見張っているので、若い楽員たちはそれにびびってしまう。

一度でもミスした犯人は決して忘れずいつも「ミスしたら承知せんからな」と言わんばかりに相手をにらみつけるので、よけい相手は不安になる。するとそれによってまた新たなミスを犯す危険が生ずる。

むずかしい箇所にさしかかると、ベームの顔が不安感で引き歪む。ほんらいならこういう箇所でこそ楽員たちに安心感を与えるべきなのだが、新入りの楽員たちは彼の顔つきにおびえて、ミスを犯す危険が絶えなかった。

それでますます指揮者は腹を立て、激しくわめき、罵りちらす結果になる。ベームは権威を保つことにこだわり、相手にやさしくすればすぐ付け上がると考えるタイプなのでそんな用心が演奏の最中に隠せなくなる。

ウィーンフィルの首席チェロ奏者ヘルツァーが新入りのときの始めての練習で例によってべームからいびられ(ベームは新入りをいびる癖があった)、何と同じ箇所を11回も演奏させられたという。

12回目になるとこの箇所を一緒に弾かねばならないヴィオラ奏者がまず抗議した。ヘルツァーの隣のチェロ奏者もこの嫌がらせに文句をつけた。するとベームはかんかんになってピットから出て行ったという。(「指揮台の神々」より)

こういう風だから指揮者と演奏者の間に「以心伝心」が成り立つはずもなく、演奏者側の単なる言い訳に過ぎない説。


結局、最終的な真実のありようは不明だが、
こういう「以心伝心」まがいの深い信頼関係が楽員との間に結べる指揮者として思い浮かぶのは、古今東西を通じてあの「フルトヴェングラー」ぐらいではあるまいか



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「巨視的なサウンド」 VS 「微視的なサウンド」

2022年05月14日 | オーディオ談義

前々回の記事「たまには掟破りもいいだろう」の続きです。



久しぶりに登場した「大型スピーカー」と「175ドライバー」(JBL)の組み合わせである。ウェストミンスターをサブウーファー用以外に使うのは数年ぶりかな。

結果から言えば、いつものように自画自賛になるがその豊かなサウンドに痺れてしまった(笑)。

大編成のオーケストラ、たとえばブルックナーの「8番」(チェリビダッケ指揮:リスボンライブ)やワーグナーの音楽などにはもってこいだろう。

ただし、そこに辿り着くまでに紆余曲折があったので忘れないように記録しておこう。

何しろスピーカーはアンプ次第で生きもすれば死にもするので非常に気を使わざるを得ない。

で、まず「175」を駆動するアンプだが初めから「71Aシングル・2号機」に固定した。



わずか1ワット足らずの小出力だが「108db」とメチャ能率の高い「175」を駆動するのにはもってこいのアンプで、何しろボリュームの位置が10で全開のところを5前後で済むのだからありがたい。

それにアンプの出来がいいせいか、柔らかい音が出るのでヴァイオリンなどの弦楽器にも十分対応できるし、もちろん管楽器系は言わずもがなで飛び抜けていい。

また、これまで「175」を使うときは超高音域の不足を感じることがあったのだが、このアンプだと微塵もそういう気を起こさせないのでおそらく優秀な周波数レンジの持ち主なのだろう。

で、問題は1000ヘルツ以下を担当する「ウェストミンスター」用のアンプである。

ウェストミンスターの長大なバックロードホーンの空気量を(ユニットの背圧で)軽々と動かすとなるとかなりのパワーが要りそうである。

まず候補として4台のアンプでトライしてみた。なお、「WE300Bシングル」と「PP5/400シングル」はフルレンジ用として温存しておくことにしよう。

言い換えると「1000ヘルツ」以下だけを担当させるのにはもったいない(笑)。

で、最初にトライしたアンプは「071シングル」1号機だったが音の質感はこれが一番だったが、いかんせん小出力のため音の押し出し感というか重量感がやや不足気味で、実に惜しい!

ボーカルなんかはもってこいなんだけどなあ・・。ときどき気分転換用に使うことにしよう。点数としては85点。



次は、「2A3シングル」の登場だ。



出力管は定評のある「VISSEAUX」(フランス製:刻印)である。出力は2~3ワット程度だが、どちらかといえばやや重心が下がったアンプなので今回のケースではもってこいだろうと予想していたが、案の定の出来栄えで、パワー不足をまったく感じなかった。表現力も直熱三極管だけあって瑞々しい、点数は90点。

3番目に登場したアンプは「6AR6シングル」。



軍事用のレーダーに使用されていた「WE350」の系譜を持つ「6AR6」(5極管:楕円プレート)だが、これを「三極管接続」にするとあの英国の名管「PX4」とそっくりの特性になるという触れ込みだったが期待に違わぬ音だった。品が良くて奥行感のある音となるとこれが一番で点数は92点。

ただし、このアンプはフルレンジ用として別途使いたいところ。

そして最後に登場したのが「EL34プッシュプル」。



出力が30ワットクラスと我が家で一番の力持ちだが、やや中高音域の品位に欠けるところがあるので日頃は「低音域専用」に使っているが、今回は1000ヘルツ以下の受け持ちなので十分いけそうだという予感がしていた。

で、さすがに重量感と情報量はこれが一番だったが、ボリューム調整には細心の注意が必要でちょっとでも上げ過ぎると全体的に音の品位が落ちてくる。危険指数を含めて点数は87点。

結局、「1000ヘルツ」以下を駆動するアンプはメインが「2A3シングル」で、副として「EL34プッシュプル」に落ち着いた。

全体的なサウンドの印象としては、やはり大きなSPボックスの持つ豊かさとゆったり感はとうてい得難いもので、有無を言わさず強引にねじ伏せられた感じ。

とはいえ、微視的なサウンドの「AXIOM80」や「スーパー10」も魅力十分で使わずにおくにはとうてい忍びない。

で、結局、我が家のオーディオは「巨視的なサウンド」(森を見て木を見ず)と「微視的なサウンド」(木を見て森を見ず)の両方を「その日の気分次第で」行ったり来たりしながら終局を迎えるんだろうなあ(笑)。


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魅惑の「ブリティッシュ・サウンド」について

2022年05月12日 | オーディオ談義

前回のブログ「たまには掟破りもいいだろう」で「ブリティッシュ・サウンド」に触れておいたところ、さっそく過去記事(4年前)の「魅惑のブリティッシュ・サウンド」が過去記事ランキングに登場していた。

このブログの読者は嗅覚が鋭くて油断も隙もならないようで(笑)。

なぜなら、過去記事と矛盾した内容を書かないように用心しなくてはと、思わず身構えてしまったから~。

で、その過去記事だが未読あるいは忘却の方々もいらっしゃるだろうから改めて以下の通り要点だけかいつまんでおこう。

ここで「ブリティッシュサウンドって何?」という原点に立ち返ってみよう。

まあ「一介のオーディオ愛好家」の勝手な思い込みだから「ワン・オブ・ゼム」として受け取っていただければそれに越したことはない。

まず「ブリティッシュ・サウンド」の特徴を一言でいえば「微妙な陰影を表現でき、人の心に寄り添ってくれる音を出す」ことに尽きる。一聴するだけではとても地味だし、けっして大向こうを唸らせる音ではないが、聴けば聴くほどに琴線に触れてくるものがあって音楽&オーディオを心から愛する人にだけ通じる何かがある。

そして同じ島国としての国民性なのかイギリス人の気質は何となく日本人と合っているような気がしてならない。

作家の五味康介さんが著書の中でいみじくも指摘されたように「音楽=音には民族の神が宿っている」
ので好きな音の傾向もきっと同じはず

そこで改めて「イギリス人の特徴と性格」を検証してみよう。(ネットからの引用です)

1 他の人との距離を保ちたがる  

親交的で情熱的、誰彼構わずスキンシップを求めてくることが多いヨーロッパ諸国の中でイギリスは他人とに距離をしっかりと保ちたがる傾向があります。過度なスキンシップを極端に嫌うため、スキンシップが大好きな国から来た人達は「嫌われている?」と勘違いしてしまうほどです。

2 アメリカを軽視している
  

同じ英語を話す2つの大国イギリスとアメリカ。特に敵対しているわけではないのですが、イギリス人は愛国心が非常に強いです。「英語を話す=アメリカ人」と思い、イギリス人に「アメリカ人ですか?」と尋ねると不機嫌になってしまうこともあるので注意が必要です。

3 人間性を非常に大切にする
  

オックスフォードやケンブリッジ大学など世界でも名高い有名大学のあるイギリスですが、真面目で頭が良いだけでは成功しないと言われています。スポーツで優秀な成績を収めている、ボランティア活動に力を入れているなど、勉強や真面目さに加えて人間性がよくなければ難関大学は合格できません。人間性を非常に大切にする国と言えます。

4 島国気質
  

日本と同じ島国で、しかも国土がアメリカやオーストラリアなどと比べて極端に狭いため、自国で全てをまかなうことができず、輸入に頼ることが多い国です。他のヨーロッパ諸国のように車で簡単に行き来できないので、他国の文化をすぐに吸収することができず、独自の文化が栄えている国です。他国の情報が入りにくい分、おしゃれなどもヨーロッパの中では比較的質素ないでたちと言えます。

5 表現が婉曲的
  

ストレートに自分の主張を表現することが多い外国人の中で、イギリス人はオブラートに包み、柔らかく、遠回しに表現することが多いです。こういった点では表現方法が日本に似ているところがあります。同じ島国であることが関係しているのかもしれません。 

さらにイギリス人の特徴をよく反映しているものとして、タイトル「イギリス人のおちょぼ口」(日経新聞:2000・2・2)を紹介してみよう。

当時、イギリスに興味があって切り抜いていたものだ。

「イギリス人には同じヨーロッパでもいろいろ変わったところがあるとよくいわれる。なにしろナポレオン軍に占領されなかったほとんど唯一の国である。しかし、オックスフォードの社会心理学者のピーター・コレットが「ヨーロッパ人の奇妙なしぐさ」(草思社)で、そのイギリス人の顔つきに注目しているのはユニークだ。

ヨーロッパでイギリス人の話になると必ずといっていいほど誰かが独特の「こわばった上唇」のことを持ち出すという。それは彼らの決意のかたさや感情の抑制の資質をさす比喩にもなっているらしい。その原因は英語の発音にあるとか、歯の手入れが悪いせいだとまことしやかに説かれてきたそうだ。

コレットによると「革張りになったような」とも言われたイギリス人の顔はこの半世紀にだいぶ大陸の人間の顔に近づいてきたが、それでもはっきりした特徴がある。たとえば、口の両端を斜め上に引くかわりに真横に引いて微笑む。また、表情を休止しているとき口をすぼめている。いずれも感情を抑えているような印象を与えているのだが、特に後者の「おちょぼ口」というのは面白い。

口は手と並んで典型的な外界関係器官である。握手をあまり好まないイギリス人は人と会うとき手を握らなくて済むように後ろ手にしていることがあるが、口もすぼめて外界との関係から防御しようとするのだろう。

何か考え込むときや、不平、不満があるときなどに口をすぼめることは日本人にもよくある。声を上げる口を収縮することで自己抑制し、自分に閉じこもろうという意思のあらわれだろう。そんな「おちょぼ口」を何でもないときにしている人が多いというのはイギリス人の思慮深さと特別な対人感覚をよく示しているといえる。~以下略~。」

とまあ、以上のとおり。

日本人が「ブリティッシュ・サウンド」を愛する理由が何となくわかりませんかね?(笑)


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たまには「掟破り」もいいだろう

2022年05月11日 | オーディオ談義

オーディオ機器の中で「華」といえば「スピーカー」(以下「SP」)であることにあまり異論はないだろうが、これほどお国柄(気質と気候)が出る機器はないと思っている。

たとえば、我が家の7系統の「SP」となると全てイギリス製のユニットを使っているが、

まず、グッドマンでは「AXIOM80」(オリジナルと復刻版の2種類)と「トライアクショム」、次にワーフェデールでは「スーパー12」と「スーパー10」、そしてリチャードアレンの「ニューゴールデン8」、さらにはモニター・オーディオの「PL100」、最後にデッカの「リボン型ツィーター」といった具合。

いわば「ブリティッシュ・サウンド」というわけだが、その特徴をあえて形容するとすれば品のいい紳士みたいな音の中に独特の「翳り」を出してくる傾向が強い。

まあ、よく言えば「翳り」だが、悪く言えば「ひとひねりもふたひねりもした素直ではない」音ともいえるが、こういう音じゃないと伝わってこない音楽があることもたしか


その点、アメリカ製(西海岸)のSPは陽気で後腐れのないスカッとした音を出すところがなかなか捨てがたい。

たとえば「カリフォルニアの晴れ渡
った青空のような音」と形容されている「JBLサウンド」に未練を持つ理由の一つである。

で、幸か不幸かやたらにJBLの音を聴きたくなる時期が周期的に巡ってくるわけだが、今回がまさにそうで、気候が温暖になってきたせいで気分も開放的になってきたせいかな~(笑)。

現在、JBL系で手元に残っているSPは「D123」(コーン型)、「175コンプレッション・ドライバー」「075ツィーター」(ステンレス・ホーン付き)の3つだが、この中で一番好みなのは「175」である。1000ヘルツあたりから使えるのでとても便利がいい。

それにJBLで苦手とされる弦楽器もしっとり気味で鳴らせるところもいい。まあ、鳴らし方次第だが。



この175を使って「JBLサウンド」を目論んでみたいところだが、問題は代えるタイミングにある。

現在非常に気に入ったサウンドが出ているのにいざ代えるとなるとかなりの勇気がいる(笑)。

そこで、我が家の場合いつもSPを交換するタイミングは「運動ジム」に行って「ひと汗」流してからと決めている。

まずは身体からが先決で、次いで気分の転換につなげようという作戦だ。

そして、構想すること2日あまりで一昨日(9日)の午後にようやく腰を上げた。

ポイントは次の二つ。

1 日頃サブ・ウーファー(100ヘルツ以下)として使っている「ウェストミンスター」を活用して1000ヘルツあたりまでを担当させる。

内蔵しているユニットはワーフェデール「スーパー12」(口径30cm:補助バッフル付)で、非常に柔らかいエッジと赤帯マグネットの持ち主である。



音声信号に対する反応の速さと量感のバランスが絶妙なので、おかげさまで口径38cmのユニット群を未練なくすべて追放出来ました(笑)。

2 1000ヘルツ以上は前述の「175ドライバー」(JBL)を使うことにしよう

ただし、「175」を使うだけで「JBLサウンドと言うな!」とお叱りを受けそうだが、1000ヘルツ以上で音の性質がほぼ決まるのであながち厚かましいわけでもあるまいと思うがどうなんだろう。

たとえば、家の土台部分が低音域だとすると、住宅部分の快適な居住性を担うのは中高音域だろうから。

で、1000ヘルツあたりを境にした2ウェイ方式のクロスオーバーの設定となると「コイル」と「コンデンサー」が要る。



「シンプル イズ ベスト」で手持ちの道具を動員した。

左側が「175」用の「12μF(マイクロファラッド)」のコンデンサーで、「周波数ネットワーク早見表」によると「1700ヘルツ」(-6db/oct)あたりでローカットできる。

右側が「スーパー12」用の銅箔コイル「1.5mH(ミリヘンリー)」で、これも「早見表」によると「850ヘルツ」(-6db/oct)あたりでハイカット出来る。

これまでの我が家のポリシーはフルレンジを中心にしてサウンドを構築することにあり、コイルは「200ヘルツ以下」、コンデンサーは「2万ヘルツ以上」しか使わないことにしていたが、たまには「掟破り」もいいだろう。

何しろオーディオに絶対という言葉は無いんだから~(笑)。

で、構想と道具立てが決まれば後は早い。作業はほんの20分程度で済んだ。



最後に、肝心の駆動するアンプだが、このほど改造してもらった「71系シングル」アンプの2号機が「175」用として満を持して待機している。前段管は「ECC83」(BRIMAR)、出力管の71Aは「レイセオン」の赤ラベル(刻印)。



問題は1000ヘルツ以下を担当するアンプだが、ウェストミンスターの長大なバックロードホーンの膨大な空気量を揺り動かすとなると、こればかりは試行錯誤するしか手はあるまい。

はたして、どういう音が出てくれるか「ハラハラドキドキ」と手に汗を握りながら胸が高まるばかり(笑)。

以下、続く。


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村上ソングズ~新しいCD~

2022年05月09日 | 音楽談義

長~い連休もようやく終わったが、その間に図書館の「新刊」がまったく入ってこないのには参ってしまった。

もしかして館員さんも休みを取っているので本を整理する人手が足りないのであればそれで納得~。

で、仕方なく「新刊コーナー」の近くにある「随筆コーナー」で目に付いたのがこれ。



作家の「村上春樹」さんは大の音楽好きで知られているが、そのジャンルもクラシックからジャズ、ポピュラーまでとても広い。

本書はポピュラー音楽を中心に村上さんが強烈に記憶に残った曲目を英語の歌詞とともに搭載されている。

ざっと一読しながら「これは聴いてみたいな!」という曲目に附箋を貼っていったがそのうちの1曲が「この家は空っぽだ」。

あのバート・バカラックが作曲し、エルヴィス・コステロが作詞した「胸を打つラブソング」とある。(70頁)

以下、引用すると、

「現代のスタンダード・ソング」と呼んで差支えないほどの美しい奥行きを持った曲だ。バカラックのたどってきた人生の年輪のようなものが、しみじみとメロディ-の中に漂っている。真実の哀しみを経験していない人には心のどん底の暗闇を彷徨ったことのない人にはおそらくこんな歌詞は書けないし、こんなメロディーは作れないのではないだろうか。」~中略~

「ここではあえて現役のオペラ歌手として押しも押されぬもせぬ第一人者であるアンネ・ソフィ・フォン・オッターの心に残る名唱をあげておきたい。

ここではオッターはほかにもブライアン・ウィルソンやレノン/マッカートニーの隠された名曲などを取り上げており、その選曲の趣味の良さとナチュラルな歌心に深く感心させられる。

クラシック歌手が余技としてポピュラーソングを歌う場合に見かけられる「いかにも」という臭さがここにはまったくない。彼女は持ち前の声量を抑え、テクニックを解除し、あくまでも自然体でただ淡々と歌の魂を表現する。聴けば聴くほどに心に残る。まるで上質なスルメのようなアルバムである。」

で、そのアルバム名は「Von Otter Meets Costello For The Stars」で、村上さん愛聴のレコードのジャケットの写真が添付されている。

オペラ・ファンなのでオッターの名は聞いたことがあるが腰を据えて聴いたことはまだない。

実を言うと、これまで村上さんの推薦曲をたびたびトライしてみたがどうも好みが一致した試しがない。一般的にも他人と「音楽と音質」の好みが合致することが極めて珍しいのはわかっているつもりだが。

で、今回はオペラ歌手ということなので、ど~れ聴いてみようかとCDの販売元をググってみたところ、見つけはしたものの販売中止とあって、おそらく廃盤だろう。

で、仕方なく方向転換してオークションでググってみたところなんとありました!

叩けよ、されば開かれん!(笑)



中古だが即決価格で「640円」也! もちろんすぐに飛びついた(笑)。

ほどなくして現物が到着したのでさっそく試聴。

聴いたシステムは対象がボーカルなので相性のいいSPを選択するとなるとやはり「AXIOM80」(オリジナル)でしょう。

板厚「1.5cm」の薄い自作の箱に収めており、いつも「ARU」(背圧調整器)を弄っているが、今回は最下部の中央にわずかな隙間をつくっている。

お分かりかな?(笑)



そして、駆動するアンプはこのほど改造してもらった「071」シングル1号機。



目下のところ、「スーパー10」(ワーフェデール)と並んで我が家における「黄金の組み合わせ」である。

で、一聴したところ、やっぱり一度聴いたくらいで好きになれるようなヤワなアルバムではなかった。

さすがに本格的なオペラ歌手だけあって「品がいい」のはたしかだが、どうもメロディラインがわかりにくて点数としては75点くらいかな。

モーツァルトの作品ならすぐに溶け込めるのだが、先日の「利口な女狐の物語」(ヤナーチェク)に次いで、音楽的な宿題が残った感じ。

何度もチャレンジするか、あるいは放り投げるかどちらにしようかな~(笑)。


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大谷選手の快投!

2022年05月08日 | 独り言

さあ、長かったゴールデンウィークもいよいよ今日(8日)でお仕舞。

「毎日が日曜日」の人間なので、個人的にはピンと来ないものの明日の「ブルーマンデー」を実感されている方がいらっしゃるかもしれないが、な~に誰もが通る道です。いつかは趣味に没頭できる日がやってきますから、我慢、我慢(笑)。

さて、この連休中も相変わらず「音楽&オーディオ」三昧だった。

いい歳をした大の男がひたすら家に閉じこもってああでもない、こうでもないと繰り返すさまはオーディオに興味のない人からすると「滑稽極まりない」だろうが、当人にとっては至福の時間である。

で、目下のところ一番楽しいのが真空管アンプとスピーカーの相性さがしで、9台のアンプと7系統のSPの組み合わせを試すとなるといくら時間があっても足りないくらい。

50年以上の経験からして完全無欠なアンプやSPはこの世には存在しないし、何かしら欠点があるのが当たり前なので、どうやってマイナス面を補い合い、プラス面を伸ばすかがポイントになる。


言い換えると、アンプはいかにスピーカーを牛耳るか、いわば攻め
側になるが、スピーカーはシステムの中で変換系として孤高の存在であり、アンプの言うとおりになってたまるものかと個性を守る側となり、攻める側と守る側との「しのぎ合い」の中で自ずと妥協点が決まる、ようなものかな。

大胆な比喩になるが野球で言えば、4番バッターとエースがつばぜり合いの対決をするようなもので、どちらが試合の結果により影響を及ぼすかとなると、これは難しい。

たとえて言えば、現在MLBで活躍している大谷選手の場合「投手・大谷」と「打者・大谷」が対決するようなものだろうか。

で、大谷選手の話に移ろう。

西洋で根強いアングロサクソン系人種の優越感を打ち砕いてくれる日本人の誇りとなる選手である。

おっと、芸術やスポーツに人種問題を持ち込むのはタブーとはとわかっちゃいるんですけどね(笑)。

で、今年は去年の実績(ホームラン46本、MVP受賞)があるので、それ以上の活躍を期待していたところ、まだ開幕してから1か月程度だがどうもいけませぬ~。

対戦投手のマークがもの凄く厳しくて、まともなストライクを投げてこない感じ。

初めのころは大谷選手が出場する試合はすべて録画(ひかりTVのBS放送)していたのだが、そのうちあまりにホームランが出ないものだから録画を止めたら、とたんにホームランが出るといった具合でチグハグが続いている。

それでも復調かと思えば散発気味になったりで、今年はホームランに期待するのはもう無理かもねえと、半分あきらめつつあるが、そのかわりピッチングの方が凄いことになっている。

先日の「アストロズ戦」も凄かったが、「レッドソックス戦」(日本時間5月6日)はさらにその上をいく快投だった。

7回投げて99球、無失点、奪三振11個だからケチのつけようがない。

走者を出してピンチになると一段とギアが入って160Km近い剛速球が打者の胸元へ~。マウンド上で「雄叫び」を上げる様が実に自然で堂に入っている。

録画を繰り返し再生しながら、今年は「サイヤング賞」に期待しようかな~。

これから打撃の調子が良くなってホームランをそこそこ打ったりすると、「MVP」との同時受賞は可能なんだろうかと早くも取り越し苦労をしている今日この頃(笑)。

で、ついでに日本のプロ野球の話。

4月は成績が良かった巨人だが5月に入ると負けが込んできて早々に馬脚を現し、代わりに昨年の日本一「ヤクルト」が伸びてきて「首位」が入れ替わった(5月7日現在)。さすが!

しかし、巨人ファンの家内のご機嫌が極めて悪い(笑)。

巨人なんてどうだっていいのがホンネだが、家庭平和のために勝ってくれることを祈っておこう。


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