「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

読むもの、観るものすべてが面白い~その2~

2016年07月31日 | 読書コーナー

前回からの続きです。

ミステリーの3作目がこれ。

                        

☆ 鍵の掛かった男


もうベテランの域に達するミステリー作家「有栖川」(ありすがわ)さんの作品だが、読み始めると止まらず一気読みしてしまった。若い頃ならいざ知らず、歳を取ってからのこういう舞い上がり方は珍しい。

本書の概要は次のとおり。

有栖(作家)はある大御所作家から、大阪・中之島の小さなホテルの一室で亡くなった男の死の真相を名探偵「火村」と共に探るよう依頼される。

とうとう断りきれずに聞き込みを進めるもののなお多くのベールに包まれている男の過去にはいったい何があったのか、なぜ男は中之島の沢山あるホテルの中で同じホテルに5年間も泊まり続けたのか、そもそもこれは自殺なのか他殺なのか。

複雑怪奇ともいえるハードな過去を抱えた被害者の秘密を関係者から聞き取り、少しづつ解き明かしていくことで、一歩一歩事件の真相に迫っていく。

ラストがちょっと軽くなるのが惜しいが、これ以上書くと種明かしになるのでここまでにしておこう。

なお、本書ではミステリー論が対話形式で述べられているところが興味深い。(206頁)

「ミステリーというのは、何でもかんでも割り切れる小説だと考えていいんですか?」

「はい。そこが非文学的で深みがないから詰まらないと思う人もいるみたいですけど、判ってもらえなかったら仕方がない。文学は答えのない謎を扱いますけど、ミステリーは答えのある謎を扱っているんですから。」

「どう生きるべきか、愛や友情とは何か。そういうのが答えのない謎ですね?」

「テーマは何ぼでもあります。世界や社会とは何か。家族とは何か。赦しとは何か。そんなもん、唯一無二の答えがあるわけはないから、読者の考えが広がったり深まったりしたらええわけで、読んだせいでかえって疑問が膨らむこともあります。文学作品を最後まで読んで“これしかないという答えになってない”と怒る人はいませんよ。」

「けど、ミステリーやったら“こんな真相は納得いかん”と、怒られることがある?」

「そこを楽しむためのものですから、えらい叱られます。~以下略」

そういえば芥川賞作家の「平野啓一郎」氏が以前出演されたテレビ(BS-TBS:「世界の名著」~マルテの手記~2015.11.26)の中で「(文学は)判らないことが尊い。」という趣旨のコメントをされ、それがいまだに耳に残っているが、この世の中は何でもかんでも快刀乱麻のように疑問が晴れればいいということでもなさそうだ。オーディオにしてもしかり。

「考えること」そのものに意義があるのかもしれない。「ほんとうに大切なことは目に見えない」(「星の王子さま」:サン・テクジュベリ)のだ。

おっと、また分不相応に偉そうなことを言ってしまった。考えることが一番苦手なくせに(笑)。

以上で「読むもの」は終わり。

次に「観るもの」について

☆ NHKスペシャル 未解決事件File「ロッキード事件」~実録ドラマ~

去る7月23日(土)から24日にかけて3回に分けて放映されたこの重厚な番組をご覧になっただろうか。元総理大臣の逮捕という結果に終わった戦後最大の疑獄事件に更なる謎が隠されていたというあらすじだったが、「事実は小説よりも奇なり」を地でいくドラマだった。

結局、民間航空機の購入に伴う賄賂の断罪で事件は終結したが、事件の本丸は対潜哨戒機「P3C」(軍用機)の導入に伴う20億円にも上る賄賂にあり、それが行方不明のままという尻すぼみに終わった。

背景にはアメリカの「軍産複合体」の深い闇が横たわっており、当時の大統領「ニクソン」をはじめとする政府高官たちとロッキード社との癒着が匂わせてあった。

なにしろ当時の日米首脳会談で主要議題となっていた経済摩擦の問題はそっちのけで「P3Cを買ってくれ」と大統領が直に田中首相に頼むのだから驚く。そもそも日本側だけでこの事件を解決のしようがないことがよく分かった。

逮捕された田中角栄氏は「アメリカと三木(当時の首相)にしてやられた。」と親しい知人に語っていたという。

それにしても当時の膨大な記録映像の掘り出しから関係者への取材、さらには実録ドラマ風の仕立てなど、この番組はさぞや手間と時間がかかったことだろう。観ているうちに背筋がゾクゾクしてくるほどの迫真性があり番組製作関係者に対して深い畏敬の念を覚えた。

さすがは「NHKスペシャル」。こういう骨太の番組はとても民放では無理だ。

「こういう番組を作ってくれるのならもっと受信料を上げてもいいよ」という気持ちに久しぶりにさせてくれた(笑)。


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読むもの、観るものすべてが面白い~その1~

2016年07月30日 | 独り言

このところ、読むもの、観るものすべてが面白い。

まず「読むもの」の方からミステリー3冊といこう。

                              

☆ 祈りの幕が下りる時

東野圭吾の本ってどうしてこんなにいつも面白いんだろう。矢継ぎ早に次から次に本を出すベストセラー作家によく見られるような当たりハズレがないところが凄い。このブログもあやかりたいところだ(笑)。

本書でも冒頭から読者をグイグイ引っ張っていく。ミステリーなので未読者に対してネタバレが怖くて思う存分に書けないところがつらい。

最大公約数的にネットで拾わせてもらった書評の中から最適だと思ったものを引用させてもらおう。

「重厚な映画を一本観たような読後感。とても複雑な感じがしたけれど、元はと言えば一組の夫婦が破綻した事から全てつながっているのだ、と納得しました。こういう組み立てができる東野さんは流石です。 」

結局、松本清張の名作「砂の器」の「東野版」と考えればよろしいようで。

先日の3連休(16~18日)に帰省した娘も同じミステリーファンなので、本書を是非読むようにと薦めたところ、「絶対に筋を言ったらダメよ!文庫本になるのをじっと待ってるんだから。」と強い調子で反撃を喰らった(笑)。

2013年刊行の本だから、文庫化は通常3年後として今年中には出版の運びとなるだろう。

続いて、         

☆ 緑衣のメトセラ

                    

ミステリーの楽しみは犯人探しももちろんだが新しい才能との出逢いも楽しい。福田和代さんの本は初読みだったが、なかなかイケルという感想を持った。

本書の概要はこうだ。

認知症の母を抱えた貧しく駆け出しのライターあき。母親の世話と小金を稼ぐことに明け暮れる展望の見えないある日のこと、近所の高級老人ホームではガン罹患率が異常に高いことを知る。

持ち前の好奇心と記事のネタ探しも兼ねて、仲間を通じて探索を始めたところ、病院に潜入したその仲間が事故に遭って急死してしまう。それを糸口にさらに深入りしていくと次々に不審な出来事が起こり、ようやく点と線がつながって病院の秘密が暴かれていく。

葉緑素を取り込んだ哺乳類とか、誰とも争わずに光合成で生きていきたい、とか最近の日本人らしい発想のサイエンス・ノーヴェルの要素もあって楽しくなるが、ラストにもうちょっと一工夫あるといいような気がする。惜しい~。

しかし、本書は福田さんのほかの本をもっと読みたいという気にさせてくれた。

ちなみに、福田さんは「神戸大学工学部」卒業、冒頭の東野さんは「大阪府立大学電気工学科」卒業とお二人さんとも工学系出身だ。さらにスケールが大きくなると現在のヨーロッパで君臨する女帝「ドイツのメルケル首相」は物理学者出身だ。

文系に比べて理系はどちらかというと地味でコツコツと粘り強い
タイプが多いようなので大器晩成型が多いのだろうか。ちなみに筆者も理系の端くれだが小器晩成型なのがつらい(笑)。

以下、次回へ続く。 


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真夏の夜のピアノ協奏曲

2016年07月28日 | 音楽談義

去る日曜日(24日)の夕方のことだった。来たる1週間のブログの腹案を練っていたところ、何と女性からメールが飛び込んできた! 素直にうれしい(笑)。 仮にS子さんとしておこう。 内容は次のとおり。

「初めまして、先日、クラシック音楽カフェで検索をかけて、色々と読んでいくうちに、「音楽&オーディオ」の小部屋にたどり着き、いくつかの記事を読んでいくと、私が大好きな音楽家のひとりシューマンのピアノコンチェルトについて、ちょっと悲しい気持ちになってしまいました。

シューマンの音楽を好きという方は少ないと思いますが、私はシューマンが好きです。

ややこしいお話は置いといて、是非、以下の演奏を聴いて欲しくてメールを差し上げました。私は、この演奏は名演、名盤だと思っています。クララへの愛を込めたこのピアノ協奏曲を聴いて、心が動いてくれると嬉しいです。

<ピアノ> ペーター・レーゼル  <指揮>  クルト・マズア  <演奏>  ゲヴァントハウス管弦楽団

唐突で失礼しました。」

やっぱりというか音楽の話だったが(笑)、文中に「ちょっと悲しい気持ちになった」とあったのに「ン?」。

女性を悲しませるなんて「男の風上」にもおけないが(笑)、どういう意味なんだろう。文脈から推すと、大好きなシューマンの音楽があまりにもマイナー過ぎて誰も取り上げてくれないということだろうか。

シューマンがお好きとは、そんじょそこらのミーチャン、ハーチャンではないだろうし、「マズア と ゲヴァントハウス」のコンビはかねてから音楽性の高さで評判がいいと仄聞(そくぶん)している。折角のお薦めなのでHMVで購入しようかと迷っていた矢先にS子さんから「ニの矢」が飛んできた。

「本来は音質の良いオーディオでCDを聴いて頂きたいところですが、、こちらにありました。https://youtu.be/R-8JVRVjJBE 」

「ユー・チューブ」である。CDを買わなくて済んだようだ(笑)。さっそくパソコンで全曲を通して聴いてみたが、「凄くいいですねえ!」

およそ2時間後に次のように返信した。

「メール拝読しました。さっそくご紹介のあった曲目を聴かせていただきました。非常にロマンの香り漂う演目と演奏ですね。思わずうっとりと聞き惚れました。マズア~ゲヴァントハウスはやはり名コンビですね。

パソコンではなくてオーディオシステムだともっと興に乗れるのにと惜しいです。ついでにシューマンで思い出したので、往年のピアニスト「リパッティ」に同曲の演奏があったことを思い出しました。

録音は悪いのですがカラヤン指揮のCD盤がありましたので、つい引っ張り出して聴きました。グリークのピアノ協奏曲とカップリングです。もちろん近代の優秀録音とでは比較になりませんが・・。」

というわけで「リパッティ」全集の登場。4枚組の最後に「シューマンのピアノ協奏曲/グリークのピアノ協奏曲」のカップリング。

           

実を言うと、この全集を購入したお目当てはモーツァルトとバッハの作品だったのでシューマンは聴く気がしなくて、恥ずかしながら初めての試聴だった。

しかし、実際に聴いてみるとこの録音だけは絶対にイケませぬ!サーノイズをカットするために高音域をすっぱりカットしているのだ。まったくこの歴史的な演奏に何ということをしてくれたのだ!

ノイズだらけでいいから原音で是非鑑賞したかった。これが「もしレコードなら」と実に惜しまれる。むしろ、ついでに聴いたグリークのピアノ協奏曲の方が良かった。第二楽章の冒頭の幽玄極まりない美しい旋律に思わず目頭が熱くなった。さすがはリパッティ!

S子さんのおかげでリパッティの鑑賞が出来てラッキー。

最後に、S子さんからの「三の矢」のメールとそれに対する返信で締めくくるとしよう。

「唐突に送りつけたURLで、早速視聴くださりありがとうございました。マズア~ゲヴァントハウスは名コンビですね。

ピアノ、指揮、楽団がピタッとひとつになり、音の揺らぎにゆらゆら揺さぶられて、毎日聴いていました。日に何度も聴くこともありました。あのような熱い音を続けて何度も聴くとフラフラで脱け殻みたいになってしまいます(笑)

リパッティの同曲も拝聴しましたよ。古い音は趣があって嫌いではないです。グルミォーとハスキルのモーツァルトのピアノソナタのライヴ版がまさにそうですが、好きです。セピア色の音とでもいうか。

カラヤンは大好きで、ベルリンに就任した頃のカッコ良さ!晩年はずっと眼を瞑ってましたが、若きキーシンとのチャイコフスキーのピアノ協奏曲は大!大好きです。DVDまで買いました。

北九州の若松にカラヤン縁の象牙のピアノに触れたくて、数ヶ月前に行ったのですが、既にヤマハが引き取った後でお目に掛かることは出来なかったです。とても残念でした。

それからグリーグとのカップリングは、結構出てたような?私は持ってないですが。このCDは随分前は、名盤としても有名だったようですね。」

すぐに返信した。

「キーシン~カラヤン~チャイコの協奏曲は、たしかこのブログでも扱った記憶がありますよ。めくってみましたら <指揮者カラヤンが涙した唯一の演奏家(2014.10.30)> でした。



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「スマートなオーディオ」 と 「泥くさいオーディオ」

2016年07月26日 | オーディオ談義

比較的長めだった梅雨が終わってようやく本格的な夏が到来した。九州地方では連日の猛暑が続いているが、今年は例年になく夏バテもせずに元気溌剌状態。(ま、暑さも序の口なので早計は禁物だが。)

これも、およそ1か月前のブログに登載したように地道に続けている「ハリウッド ヨガ」のおかげかもしれない。DVDを観ながら毎日およそ50分間、見よう見まねでガチガチに固まった体をほぐしているが、柔軟度からいくと画面に写るインストラクターの6割程度が関の山だが、1か月も続けていると段々と片足立ちや屈伸の具合がちょっぴり様(サマ)になってきた。

したがって快食、快飲、快眠にも恵まれ、それに伴うように五感が研ぎ澄まされてきたのは非常にありがたい。とりわけ聴覚が目覚ましい(笑)。

なにしろ、このところ(オーディオへの)打つ手、打つ手がピタリとツボにはまるのだからこたえられない。健全な肉体の支えがあってこその自我であり感性(=オーディオ)であることが、実際に体験してみてよ~く分かった。

これまで沢山のお宅でいろんな音を聴かせてもらったし、我が家でも散々混迷の度を深めてきたが、誰から何と言われようと「この音で十分」という心境になったのは40数年に亘るオーディオの中で初めてだ!

ただし~。「いい音」なんて世の中にゴマンとある。あくまでも「じぶん好みの音」という意味なのでくれぐれも誤解なきように。

後日のために、記念すべきシステムの構成を記録に残しておこう。(2016.7.26)

          

この画像の右側のスピーカーがそれで、2ウェイ方式だがその詳細は次のとおり。

ウーファー(~4000ヘルツ)

グッドマンの指定エンクロージャー(ARU付き)に入った「AXIOM300」(口径30センチ:アルニコ マグネット型)

ツィーター(4000ヘルツ~)

ワーフェデールの自作ホーン付き「コーン型ツィーター」(口径10センチ:アルニコ マグネット型)

           

「赤色マグネットに駄作なし」の伝説はやはり生きていた。改めて凄い性能を持つユニットだと唸らざるを得ない。それだけに愛情の注ぎ甲斐もあろうというもの。

まず、小さなバッフルを自作し、100円ショップで調達したブリキの小型バケツを改造したミニ・ホーンを付けている。後面開放式の後ろ側には白い袋に容れた羽毛入りの吸音材を被せている。これを被せる、被せないで音が変わるのだからユメユメ油断できない。

エンクロージャーも各ユニットも、そしてネットワークもすべてばらばらに購入して自分で組み立てたが、「音さえ良ければ見てくれなんてどうでもヨロシ」という仙人のような心境になったのは、はたして喜ぶべきことか、それとも悲しむべきことか(笑)。

ここで、ひとこと言わせて欲しい。

スピーカーやアンプなど市販の製品をそのままポンと置いて自分好みの音が出るかといえば、それが理想なんだけど、それほどオーディオは甘くない。市販の製品に手を変え品を変え改良を加えてはじめてそれは得られるものだと40年以上の体験が耳元でそうささやく。

前者を「スマートなオーディオ」とすれば、後者は「泥くさいオーディオ」とでも称するべきか。「オリジナル派」と「改造派」と言い換えることもできよう。

ただし、この辺は「いい音は見てくれもいいはず」という美的感覚を優先する方も当然いるだろうから、いい悪いは別の話で、オーディオは各人各様、なるべくおおらかにいきましょう~(笑)。

いずれにしてもこのスピーカーはウーファー、ツィーターともに「コーン型」同士の組み合わせなので相性の良さを痛感しているが、とりわけ弦楽器とボーカルにかけては独壇場である。

おっと、健忘症なので念のためにシステムの上流部分も記録しておこう。

CDトランスポート「ヴェルディ・ラ・スカラ」(dCS) → 「1394接続(SACD可)」 → DAコンバーター「エルガー プラス」(dCS) → 真空管プリアンプ「大西式」(ECC82が2ペア、ムラードとテレフンケンを使用) → 真空管パワーアンプ「PX25シングル」(初段管:STCの3A/107B、出力管:PX25(GECナス管)、整流管:シルヴァニア5931=5U4G)

この中でパワーアンプの整流管は迷いに迷ったが、直熱管の5931が手持ちの中ではベストだった。出力管にとっては傍熱管の方がやさしいのだが、もうこの歳だし「細~く長く」よりも「太く短く」を選んだがやはりここでも狙いは的中した(笑)。


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蘇った名曲

2016年07月23日 | 音楽談義

「若い頃に散々繰り返し聴いた曲だけど、今となってはポピュラーになり過ぎてあまり聴く気がしないなあ。第一、この曲はもうすっかり卒業したよ。」

そういう曲目がクラシックファンならどなたにもあるに違いない、しかしその一方で
久しぶりに聴きなおしてみると「やっぱり聴いて良かった!」というのがきっとあるはず。

今回は我が体験からそういう曲目を3つほど挙げてみよう。

☆ シューベルト作曲「交響曲第8番~未完成~」

去る17日(日)に放映された「クラシック音楽館」~NHK・Eテレ~で冒頭にシューベルトの「未完成交響曲」(ネーメ・ヤルヴィ指揮)が登場した。こうして2楽章まで通しで聴くのはもう50年ぶりくらいになる。

なにしろ学生時代に初めて買ったレコードが「運命/未完成」(ブルーノ・ワルター指揮)だったのだからそれ以来といっていい。

「アレグロの楽章が始まり、序奏のあとヴァイオリンの静かな呟きの上にオーボエとクライネットが甘~く美しい、ほのかな哀愁に満ちた歌を重ね合わせていく」、これぞまさしく老人を癒してくれるシューベルト(笑)!

「未完成交響曲ってやっぱりいいなあ。」と、ホトホト感じ入った。読書でもそうだが、同じ本でも若いときの読後感と散々人生経験を積んだ後の読後感とでは違うのと同じ。

しかし、シューベルトがなぜ2楽章まで書いてそれ以降の楽章を放棄したのかこればかりはご本人に訊いてみないと分からないが、有力な説は「シューベルトは健忘症だったので忘れたのだろう」とは、ちょっと味気ない(笑)。

思うに、今となっては未完成のままの方がよかったかもしれない。この1~2楽章に劣らない3~4楽章を書くのは至難の業だろうし、そもそも、ものごとは完結するよりも想像の範囲に留めておく方がイメージ的に美化されることだってある。

テレビ放映の後で他の指揮者の演奏も聴いてみようかと手元のCDを漁ってみたが皆無だった。そう、もうすっかり忘れられた存在だったのだ!

ま、指揮者によってそれほど変わる曲目でもない気がする。ネーメ・ヤルヴィとN響のコンビがあれば十分だろう。この番組は消去せずに永久保存といこう。

☆ ブラームス作曲「ヴァイオリン協奏曲」

この曲もポピュラーだが「女流ヴァイオリニストのジネット・ヌヴー+イッセルシュッテト指揮」という「神盤」がある。

1949年のモノラル録音、しかもライブ盤ときているので録音状態がひどいが、それがまったく気にならないほどの空前絶後の名演として知られている。一頃はもうそれは熱心に聴いたものだが、今となってはすっかり疎遠になってしまった。

この曲目の手元のCDを眺めてみると、新旧入り乱れて錚々たるヴァイオリニストが並ぶ。

レーピン、シェリング、オイストラフ(5種類)、ハーン、マルツィ、ハイフェッツ、ムター、グリュミオー、ヴィトー(2種類)、オークレール、コーガン

これらの名ヴァイオリニストたちが束になってかかっても心が揺り動かされずヌヴーの神演には及ばないので、聴く気がしない。むしろ近年の優秀なデジタル録音になればなるほど
白々しさを覚えてしまうのだから「刷り込み現象」というものは恐ろしい。

あのサーノイズやコンサートホールの“ざわめき”、そして“しわぶき”の一つひとつさえもが、名演の印象と分ちがたく結びついているのでどうしようもない!

だが、それに匹敵すべき演奏にようやく出会った。先日のブログでも触れた「フリッツ・クライスラー全集」(10枚組)。この中に収録されていた「メンデルスゾーーン/ブラームス」のヴァイオリン協奏曲がそれ。

メル友の「I」さん(東海地方)によると、「フリッツ・クライスラーは大変魅力的な人だったようですね。無頼を内包していることを窺わせる風貌もかっこいいと思います。」とのことだった。そう言われれば、そうですね(笑)。

              

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲を聴いたついでに、このブラームスも聴いたのだが「この演奏はヌヴーに匹敵するかもしれない」と思わず酷暑の中を慄(おのの)いてしまった。

あえて両者の違いを挙げるとすればヌヴー盤は岩をも打ち砕くような力強さと泣く子も黙らせるような気迫に溢れ、クライスラー盤は包容力のある暖かい滋味深さといったところで、必然的に第一楽章(アレグロ)はヌヴーに、第二楽章(アダージョ)はクライスラーに軍配を上げたくなる。

なお、このクライスラー盤は録音の悪さもヌヴー盤と匹敵するのでかえって安心感があったと付け加えておこう(笑)。

☆ メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」

いわゆる「メンコン」(メンデルゾーンのコンツェルトだからメンコン)と称され、クラシックの入門者向けとされる曲である。

ありふれたともいうべきこの曲をひとたびクライスラーで聴くと、ガラッとイメージが変わるから驚いた。

取り分け第二楽章の独奏ヴァイオリンによるひっそりとした風情と匂うように感じられる美しいロマンの香りは筆舌に尽くしがたく、まさにこれこそクライスラーの独壇場だ。

「まだこの演奏を聴いたことがない人は是非お薦めしたい」と、言いたいところだがちょっと「特殊な鑑賞力の世界」なので万人向けではないところが惜しい(笑)。

それにしても、こんなに録音が悪いのにどうしてこれほど甘い香りの音が出るのか、演奏と録音の摩訶不思議な関係につくづく打ちのめされてしまう。 


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真空管の生涯

2016年07月21日 | オーディオ談義

今回は「英雄の生涯」(リヒャルト・シュトラウス作曲)ならぬ「真空管の生涯」について。

真空管愛好家の特有の心理だろうが、ときどき真空管と人間の生涯を比べてみたくなることがある。両者とも「寿命」という共通の運命に支配されているのでそう無理筋でもないと思うがどうなんだろう。

まず人間の生涯を大まかに分けると「幼年期~壮年期~老年期」に分けられるが、寿命は80年としてその内訳を順に「15年~35年~30年」としよう。もちろん肉体的にというわけだが、真空管はどうなんだろう。

球の種類もいろいろあるので諸説あろうが、十把一からげに大まかに時間単位でいくと寿命を6000時間として幼年期が100時間、壮年期が4000時間、老年期が2000時間といったところかな。人間に比べると幼年期がとても短いのが特徴。人間の幼児教育にはとても時間がかかるのだ(笑)。

さらに人間の場合、己がどの年期に属するのか把握するのは簡単そのものだが、真空管ともなるとはたしてどの時期に相当しているかこれを見分けるのが実に難しい。壮年期ならもちろんいいが、もし老年期に入ったとするといったいどのくらいで姥捨て山に行かせるか、その時期を常に意識せざるを得ないのが共通の課題だ。

それともう一つ、幼年期に冴えなかった球が壮年期に差し掛かると大化けする可能性もあるので、新品のときに「これはダメ」といちがいに決めつけるわけにもいかないので用心しなければならない。

つい最近も似たような経験をしたので述べてみよう。

今年(2016年)の3月頃に非常に信頼できる筋から手に入れた新品の電圧増幅管「MH4」。

          

持ち主が言うのもおかしいが、マニア垂涎の的と言ってもいいくらい極めて稀少な「メッシュプレート」管である。画像右側の球の「網の目状になったプレート」がお分かりだろうか。通常はここがのっぺりした板状のプレートになっている。

メーカー側にしてみると開発した初期の頃は音質の良さを広くPRしなければならないので手間はかかるが音がいい「メッシュプレート」タイプにするが、そのうちひと通り行き渡ると途端に手を抜きたがるのはどこの国でも同じ(笑)。

なにしろ「(コストを度外視して)いい製品を作るメーカーほど早く潰れる」という悲しい伝説が横行しているのが、この業界の特徴である(笑)。

したがって音質はそっちのけでコストダウンを図って開発費を回収しようとばかりツクリが簡単な「板状プレート」に移行してしまうのが常套手段である。まあ、耐久性への対策もあるんだろうが、音質的にけっして良くないのは同じこと。

したがって、メッシュプレートの球は板状プレートの球に比べて通常では2倍程度のお値段がするが、音さえ良ければそれで良し、期待に胸をふくらませてイザ御開帳。

すると、アレ~、何だか冴えない音!低音域はさすがに良く伸びるが中高音域がキリがかかったみたいにモヤっとしていて見通しが悪い。

おかしいなあ~、ガッカリだなあ~。当時、丁度試聴にお見えになったKさん(福岡)も「これはイケません」とばかり首を傾げられるばかり。

この時点から悶々とした苦悩が始まる。このまま、エージングを続けて大化けを期待しようか、それともいっそのこと新品同様ということでオークションに放出しようか(笑)。

「待て待て、メッシュプレートタイプに駄球はないはずだぞ。しっかりエージングを続けてみろ」と天の声がささやいた。こういうときにブランドとか定評とかが強力に背中を後押ししてくれるわけだが、言い換えると結局権威に頼る弱い自分がいるだけだ(笑)。

以降、忍の一字で我慢して連日5時間以上のエージング。そして、およそ1か月経ったとおぼしき頃から「信じれば通ず」で今ではこの球無くしてアンプの実力発揮は覚束ないほどの存在となった。中高音域が随分こなれて柔らかくなったのである。

やはり大器晩成型というのはあるんですよねえ(笑)。

           

これが「171シングルアンプ」(インターステージ・トランス入り)。一番左側が俎上に載せた「MH4」真空管だがこの小さな図体のアンプでウェストミンスターを堂々と駆動し、オペラを難なくこなすのである。ただし、高音域(4000ヘルツ~)のJBL075ツィーターのボリュームを通常は11時の位置から2時に変更しているのがご愛嬌だが。

最後に、我が家の顧問弁護士 兼 真空管博士に真空管の寿命のノウハウに関して伝授していただいたので紹介しておこう。

「真空管は頻繁にON-OFFを繰り返しますと著しく寿命を縮めます。真空管の寿命があとどれくらいあるのか推定するのは非常に難しいです。Hickok社のチューブテスタでライフテストを実施するのが最も簡便な方法でしょう。 

ライフテストはHickok社の特定のモデルのみで可能ですので機種の選定は重要です。ライフテストが可能な最も安価なモデルは533型と思います。現在私は533型を使用しています。 
 
539Cが最も有名な高級機種なのですが、完動品は〇〇万円以上します。WEタイプは更に高価で故障時のメンテナンス費用も相当にかかります。533型ですと本体〇万円に送料+メンテナンス費用くらいでしょうか。 
 
最も有名なチューブテスタTV-7はHickok社の設計ですが、ライフテストができませんので絶対買ってはなりません。私はチューブテスタのコレクターでもあり、修理待ちのテスタが15台以上あります。
 
チューブテスタの修理作業は非常に時間と費用がかかりますので1年に1台程度のペースで修理しています。部品が手に入らず10年以上手付かずのチューブテスタもあります。」

ご教示ありがとうございました。

以上により、これから我が家では真空管アンプの頻繁なスイッチの切り換えはご法度にした。

具体的には3系統のシステムがあるのでそれらを駆使することにし、平等に使ってアンプのスイッチの入り切りは原則として1日1回に留める。したがって場合によってはいったん入れたアンプの電源はたとえ不在中でも思い切ってそのままにしておく。

それから、チューブテスタを1台持っているととても便利そうだ。ノウハウやメンテナンスが難しそうなので博士のご尽力に負うこと大だが、自分の球のみならず広く仲間の分まで測定してあげることができるのがいい。もちろん測定代は無料にする方針(笑)。
 

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クライスラーが弾く「ヴァイオリン協奏曲」(モーツァルト)

2016年07月19日 | 音楽談義

およそ1か月前のブログに登載した「演奏をとるか、録音をとるか」について。

この中でフルトヴェングラー指揮のオペラ「ドン・ジョバンニ」(モーツァルト)を例に挙げて、「録音よりも演奏優位」とコメントしたが、すぐにジャズファンの方からメールが来て「ジャズの場合も演奏優先ですよ。」とあったのはちょっと意外だった。

ジャズファンといえば圧倒的にオーディオ愛好家が多くて、おそらく「音キチ」だろうから録音の方により一層こだわるはずと思っていたので・・・。どうやら勘違いしていたようでたいへん失礼しました(笑)。

それにしても、いくらCD盤といったって録音状態は周知のとおり千差万別だが、オーディオシステムの再生能力との関係はいったいどうなってるんだろう。

自分の経験では音が悪いCD盤ほどその中に刻み込まれた情報を余すところなく再生する必要があるので、システムの質の向上がより一層求められるように思っているが、有識者の見解を一度訊いてみたい気がする。

さて、表題のモーツァルトのヴァイオリン協奏曲だが、娘に貸していたCDがこの3連休(16日~18日)を利用して帰省したのでようやく手元に戻ってきた。音楽評論家によるランキングで最も評判のいい「グリュミオー」盤である。

久しぶりに「3番と5番」を聴いてみたが何だかやたらに甘美(技巧)に走り過ぎた演奏のような気がして、昔とはちょっと悪い方向に印象が変わってしまった。このところオーディオシステムが様変わりしたせいかもしれないし、前述のフルトヴェングラー盤で「音楽&オーディオ」観が少しばかり変わったせいかもしれない(笑)。

ちなみにモーツァルトのヴァイオリン協奏曲の最後となる5番は作品番号(KV:ケッヘル)219だから19歳のときの作品となる。一方、ピアノ協奏曲の最後となる27番はKV.595だから亡くなる年の35歳のときの作品だ。

「作曲家の本質は生涯に亘って間断なく取り組んだジャンルに顕われる」(石堂淑朗氏)とすれば、比較的若いときにモーツァルトはこのジャンルを放棄したことが分かる。あのベートーヴェンだってヴァイオリン協奏曲の表現力に限界を感じて1曲だけの作曲にとどまっているので、このジャンルの作品はそもそも大作曲家にとっては「画家の若描き」(未熟だけどシンプルな良さ)の類に属するのだろう。

改めてもっとマシな演奏はないものかと手持ちのCDを眺めてみた。

前述のグリュミオーのほかにフランチェスカッティ、レーピン、オイストラフ、ハイフェッツ、オークレール、シュタインバッハー(SACD)、そしてフリッツ・クライスラー。

フルトヴェングラーのこともあって、この中から一番期待した演奏はクライスラー(1875~1962)だった。往年の名ヴァイオリニストとしてつとに有名だが、何せ活躍した時代が時代だから現代に遺されたものはすべて78回転のSP時代の復刻版ばかり。

近代のデジタル録音からすると想像もできないような貧弱な音質に違いないとは聴く前から分かるが、あとは演奏がどうカバーするかだろう。

            

このクライスラーさんは自分が作曲した作品を大家の作品だと偽っていたことで有名だが、通常は逆で「大家の作品を自分の作曲だ」というのがありきたりのパターンなのでほんとにご愛嬌。

「フリッツ・クライスラー全集」(10枚セット)の中から、1939年に録音された「ヴァイオリン協奏曲第4番」(モーツァルト)を聴く。ちなみに昔の録音は少し大きめの音で聴くに限る。

音が出た途端に「こりゃアカン」と思った。高音も低音も伸びていなくて周波数レンジが狭く何だか押しこめられた様な印象を受けたが、段々聴いている内に耳が慣れてきたせいかとても滋味深い演奏のように思えてきた。

近年のハイレゾとはまったく無縁の世界だが、ときどきこういう録音に浸るのもいい。むしろ音質がどうのこうのと気にしないでいいから、つまり、はなっから諦めがついているので純粋に音楽を鑑賞するにはもってこいだろう。

はじめに「ウェストミンスター」で聴き、途中から「AXIOM80」に切り替えたが、このくらいの名演になると、もうどちらでもヨロシ(笑)。

 


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面白うて やがて悲しき 真空管

2016年07月16日 | 独り言

 参議院選挙が終わったと思ったら今度は東京都知事選挙。都民ではないのであれこれ言う資格はないが、とにかくテレビがいろいろと喧(かまびす)しい。 

昨日(15日)の民放のモーニングショーで、選挙の街頭宣伝カーに乗って27年という超ベテランのウグイス嬢が候補者の分析をしていた。

☆ 当選するタイプ

・ 日頃から地域と交流  ・ 欠点があっても改善しようとしている ・ とにかく明るい 

☆ 落選するタイプ

・ 仕事はできるが付き合いをしない ・ コミュニケーションが下手で改善する気がない ・ 常に上から目線で有権者を見ている

何だか一般社会で出世する人、しない人の区分にも適用できそうな分類だが、
これからすると、自分は当選するタイプにはほど遠いようだ(笑)。

他人から面と向かってネクラと言われたことはないが、自己分析ではどちらかというと悲観的に物事を考えるクセがあって少なくともネアカではないと断言できる。


たとえばアンプに使う真空管の話をすると分かりやすい。

まず使ってみて、出てきた音が悪い場合はガッカリして無駄遣いをしたと腹が立つ。その一方、メチャ音がいいとなると手放しで喜ぶものの、そのうち今度は真空管の寿命が尽きたらどうしようかと不安になり、スペアを確保しなければと焦ってしまう。


つまりどちらに転んでも精神の安定性を欠くのだからどうしようもないタイプだ(笑)。

こういう中、このほど「音が良くて丈夫な」真空管に巡り会って、しばし「魂の平穏」を得たので経緯を述べてみよう。

7日(木)のKさん宅の「245シングルアンプ」の音に痺れて、改めて我が家のアンプテストをした結果、前回のブログで述べたように「171シングル」がとても良かったが、実はこれと負けず劣らずだったのが「PX25シングルアンプ」。

この両方のアンプはその日の気分次第でどちらでもヨロシだが、強いて言えば前者はボーカルや小編成向き、後者はオーケストラなどの大編成向きという面がある。

日頃は球のお値段が手頃な「171」を使い、お客さんが見えたときは「鬼面人を驚かす」ではないが(笑)、冒頭の迫力勝負でもって結着をつけたいのでPX25を使うといったところだろう。

さて、このPX25アンプだがこれまでのブログでも繰り返し述べているように前段管次第で音質が千変万化する。

いろんな種類の球があって、「
いずれアヤメかカキツバタ」で甲乙つけ難しだが、一頭地を抜いているのが英国の名門「STC」ブランドの「3A/107B」。やや力強さに欠けるものの繊細な表現力はAXIOM80にもってこいだろう。

これで十分だと思ったが、いつものように欲が出て来たので顧問弁護士(?)の「北国の真空管博士」にお伺いを立ててみた。

「PX25アンプですがいろいろ差し替えてみましたが3A/107Bでようやく落ち着きました。しかし、もっと音のいい真空管はありませんかね?」

すると次のようなメールが返ってきた。

「3A/107Bはミューが7ですが、もう少しミューの高い直熱管がSTCにはあります。3A/110Bという球です。内部抵抗は3A/107Bや3A/109Bとほぼ同じでありながらミューは12あり繊細な表現を得意にしています。」

さっそく某ルートをつかって暗躍したところ、運良く測定値付きの新品「3A/110B」が手に入った。

それも次のような解説付きだった。

「STCの3Aシリーズはとても丈夫なことで知られています。これまで故障したという話を聞いたことがありません。中には <真空管を入れ替えて気分転換したいのにSTCの球は故障しないので困る> という苦情までありますよ。」

STCとは略語で正式には「Standard Telephones & Cables」という。そもそも通信用ということなので極めて丈夫に作ってあるのだそうだ。

音がいい上に丈夫とくれば、まず理想的な真空管である。これで3Aシリーズのうち3系統の球が揃った。

           

左から「3A/109B」(増幅率=4)、「3A/110B」(増幅率=12)、そして「3A/107B」(増幅率=7)。これから3種類の球のμ(ミュー:増幅率)の違いによる微妙な音の変化を楽しむことができるのはありがたい。

これだけあればPX25アンプの前段管は命尽きるまで大丈夫だろうが、その一方ではあまりに丈夫過ぎるというのも何だか「虚しい」気分にさせてしまうのは贅沢な悩みだろうか。

名句「面白うて やがて悲しき 鵜舟かな」(芭蕉)をもじって、「面白うて やがて悲しき 真空管」(笑)。
 


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先入観は罪、固定観念は悪だ!

2016年07月14日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

「245」アンプの整流管(ドイツ製)を1940年代から1930年代に代えてもらったところガラリと音が一変したのには驚いた。

「同じ型番の球なのに製造年代の違いでこうも変わるもんですか!」


たとえて言えば、下町の美人が上流社会の高貴な貴婦人へと変身したみたい(笑)。

録音された細かな音声信号をすべて出し尽くすかのような印象で、音のエッジといい、艶やかな音色といい、見通しの良さといい、これに音響空間を漂うような幽玄な雰囲気が加わるのだからたまらない。

「スピーカーAXIOM80の開発は245真空管でテストされたと聞いてましたがこれで納得です。この整流管によってようやく真価を発揮しましたね。」

「ハイ、245は世界戦略を目指して作られたと聞いてます。アメリカ系の球はサックスなどの管楽器には強いんですが、弦の響きは欧州製に及ばないのが定評でした。その点、この245は両方いけますのですぐに欧州を席巻したようです。この球を基本にして作られた類似管がとても多いようですよ。現在挿し込んでいる245はアメリカ製ですが、ちょっと特殊な型番です。」

「たしかに、この245で鳴らすヴァイオリンの音色は上の方が一段と伸びきった感じがしますね。これだけ鳴ってくれれば言うことなしですよ。私も245が欲しくなりました。それにしてもこの1930年代の整流管は只者ではありませんね。当時のドイツは凄い技術力を持ってたんでしょう。」

「当時の球は第二次世界大戦時の連合軍のじゅうたん爆撃で破壊されてしまい程度のいいものがあまり残ってないのが残念の極みです。北国の真空管博士に無理を言ってようやく手に入れました。いくら出力管が良くても整流管が悪ければもうアウトです。整流管はアンプの命運を左右しますよ。」

こういう音を実際に聴かされると、その言葉にもメチャ説得力が出てくる(笑)。

しかし、整流管を替えただけで、その変化を如実に顕わにするスピーカー「AXIOM80」のデリケートさにも改めて感服した。

「手を入れれば入れるほど音で返ってくる、それがAXIOM80です」と、しみじみと洩らされるKさん。

「ほんとにそうですよねえ、まったく同感です。」

改めてKさんのAXIOM80に対する「執念と熱意」に思いを馳せた。それを端的に物語っているのがこれまでの真空管アンプ遍歴だ。

前回のブログでも触れたが、出力管ごとに挙げてみると「71A」(2台)、「42」、「245」、「250」、「2A3」、「VT25」、「VT52」、「WE349A」、「KT77」、「EL32」、「VT62」ほかにもいくつかあるので合計すると軽く10台は越えている。すべて売らずに保有されており、また稀少な1920年代前後の球も数知れず。

これだけのアンプと稀少管で次々に鳴らしてもらうと、いくら気難しい「AXIOM80」だってスピーカー冥利に尽きるだろう。


これとは逆の方向で「AXIOM80はけっして万能のスピーカーではない」とばかりに、早々に見切りをつけてしまったのが何を隠そう自分なのである(笑)。

ウェストミンスターや30センチ口径の「AXIOM300」へと別ルートを次から次に開拓してしまったのだ。ま、浮気性は今に始まったことではないのだが(笑)。


これに比べると、Kさんの場合は完全に退路を断たれて「AXIOM80」だけに集中されたわけで、その熱意がこの音になって結実したのだろう。

こういう事例を目前にすると我が家もウカウカしておれなくなった。

3時間ほど聴かせていただいてから辞去し、17時ごろに自宅に到着。

「音の記憶遺産」が新しいうちに、新たな観点から「AXIOM80」と一番相性のいいアンプの選考に入った。

PX25アンプ、71Aプッシュプル、171シングル、171シングル(インターステージトランス入り)、2A3シングルと5台の真空管アンプのオンパレード。

「斎戒沐浴」(さいかいもくよく)の心境のもとにテストに当たった。

     

すると、何と一番シンプルな構成の「171シングル」(トリタン仕様)が「245」アンプの音に一番近かったのである!

インターステージトランスも入っていないし、何の変哲もないアンプで、お値段の方も一番安価だったのだからまったくの予想外。(ただし、整流管だけはKさん並みに気を使って稀少管のOK-X 213(メッシュプレート>にしてある。)

最近読んだ「ミッドナイト ジャーナル」という本(87頁)に「先入観は罪、固定観念は悪だ!」という訓戒の言葉があったが、今回ほど痛切に感じたことはなかった(笑)。
     


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オーディオ訪問記~2016.7.7~

2016年07月12日 | オーディオ談義

先週の7月7日(木)のことだった。午前11時ごろに手元の携帯が「誰も寝てはならぬ」(プッチーニ)のメロディを奏でたので画面を見るとオーディオ仲間のKさん(福岡)からだった。

「修繕に出していた245シングルアンプが先ほど戻ってきました。今聴いているところですが、とても満足のいく仕上がりです。〇〇さんに報告しておこうと連絡しました。」

Kさんはたしか10数台の真空管アンプを持ってあるが、その中でもやはりエース級という位置づけがある。出力管ごとに挙げてみると「71A」、「
245」、「250」、「2A3」、「WE349A」といったところだが、いずれも1930年代前後の古典管シングル型式で、とりわけ「245」はかねてから注目の逸品。

スピーカー「AXIOM80」(イギリス)の開発は245アンプでテストされたという曰くつきの球である。そういえば、あの懐かしいオーディオ評論家の「瀬川冬樹」さんが245とAXIOM80のコンビで音楽を愛でてあったことを思い出した。

「あっ、それは是非聴かせてもらいましょう。明日の天気予報は雨みたいですから、突然で恐縮ですが今からお伺いしてよろしいでしょうか?」

「はい、どうぞ。」

普段は“ものぐさな男”として自他ともに許しているが、オーディオとなるとどうしてこうもスッと腰が軽くなるんだろう(笑)。

この思い切りが結果的にも幸いしたようで、翌8日(木)は予報どおりの大雨。しかも高速道が霧に包まれて身動きできなかったのだから、文字どおりラッキー7のダブル(7月7日)の霊験は“あらたか”だった。


急いで早めの昼食を済ませてから「がら空きの高速道」をひた走り。順調に1時間20分ほどかけてKさん宅に到着したのは丁度13時頃。前回訪問したのは1月だったからおよそ半年ぶりになる。

「やあ、やあ、お久しぶりです」と、ご挨拶もそこそこにお目当ての新装なった245シングルアンプめがけてオーディオ室に突進。

          

開口一番「いったいどこをどう修繕されたんですか?」

「作ってから10年以上経つもんですから、ソケット、コンデンサー、配線材、主要な箇所のハンダのやり直し、そして整流管を違う種類の球に差し替えてもらうように仕様を変えてもらいました。」

さっそく試聴に移った。チャイコフスキーの「悲愴」(ムラヴィンスキー指揮)、ヒラリーハーンの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」(バッハ)、そしてジャズの「サキソフォン・コロッサス」(ソニー・ロリンズ)。

「いやあ、周波数レンジが恐ろしいほど広くなりましたねえ。サキコロのシンバルがとても生々しく響いて驚きました。しかもハーンのヴァイオリンも決してウルサイ鳴り方をしてません。とても改造がうまくいったようですね。」

この目の覚めるような変わり方は小物類の交換も寄与しているんだろうが、どうも整流管にカギがありそうな気がしてきたので「いったいどこの球に代えたんですか?」

「ハイ、これまで280(ナス型)を使っていたんですが、どうも245には役不足のように思えてきましたのでドイツ製に代えてもらいました。現在挿しているのは1940年代製のメッシュプレート型です。同じ型番で1930年代製の最初期版もありますので差し換えて聴いてみましょうか?」

周知のとおり整流管はアンプの中で交流を直流に変える役割を担っているが、どちらかといえば地味な存在。野球でいえば出力管がエースあるいは4番バッターとすれば、整流管は監督といったところだろうか。

しかし、この整流管が実は真空管アンプの命運を握っていることをイヤでも思い知らされるのはこの後すぐのことだった。

「ハイ、凄く興味ありますね。是非聴かせてください。」

以下、続く。 

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かけがえのない「音の記憶遺産」

2016年07月09日 | 音楽談義

毎週、日曜日の夜9時から放映されている「クラシック音楽館」~N響コンサート~(NHK・Eテレ)。

これまであまり興味のない番組だったが、東海地方にお住いのメル友「I」さんから教えていただいた「ピアニストのカティア嬢のナイスバディ」の放映を見逃してしまったことから、後悔の念ひとしおで、以来必ず録画して観るようにしている。

先週の6月3日(日)放映の番組では、武満 徹作曲「波の盆」、モーツァルトの「2台のピアノのための協奏曲K・365」などだった。

このモーツァルトの演奏は二人のピアニストのうちひとりがジャズ・ピアニストのチック・コリアと聞いてがぜん興味が湧いた。

チック・コリアといえばデヴュー盤の「リターン・ツ・フォーエバー」に尽きる。いい悪いは別にしてちょっとジャズらしからぬところがあり、独特のスィング感が気に入って若い頃は結構夢中になって聴いたものだった。

          

そのチック・コリアがモーツァルトを演奏するというからたまらない!久しぶりに胸をワクワクさせながら聴き入った。

しかし、聴いているうちに段々とガッカリ。これはイケませぬ。オーケストラとの息が合っていないし、一音一音のタッチの「ぞんざいさ」がちょっと鼻(耳)につく。

しかし・・・。そんな難しいことを言わないで、結局ジャズ風のアレンジで楽しまないといけないのだろうと途中から考えを改めた。

ちなみに、後ほど参考までに同じ曲を手元のアシュケナージ盤(画像右)で聴いてみたが、いかにもモーツァルトらしい、泉から水がコンコンと湧き上がってくるような演奏にウットリと聴き惚れてしまった。じぶんにはやっぱりこっちの方が断然いい(笑)。

そもそもジャズ・ピアニストがモーツァルトの作品を演奏するなんて無理じゃないかなあ。むしろバッハの音楽の方がジャズ演奏に合ってそうな気がする。

以上、あくまでも個人的な感想なので念のため。

さて、話は変わって、前述した東海地方の「I」さんから、このほど「ペンションすももの木の音は素晴らしかった!」というメールが届いた。

拝読させていただくと、明らかにじぶんのオーディオ記事よりもずっと上質だし、システム自体の新鮮さもあるのでご同意をいただいたうえで広くオープンにさせていただくことにした。

ちなみに「ペンションすももの木」といえば山梨県の山中湖畔にあって老舗の真空管アンプ工房としてもつとに有名。

    

「ペンションすももの木」に行ってきました。お客さんの少なそうな曜日を狙って行ったため、私達の他は家族4人連れの一組だけでしたので、チェックイン後に音を聴かせていただくことができました。  

装置の写真がうまく映っていませんが、部屋は24畳のダイニングルームです。アルテックのヴォイスオブシアターより少し大きな小池さん設計のフロントロードホーンに、ドイツ製でオイロダインの元になったという励磁型の40㎝ウーファー、ドライバーはヴァイタボックスのS-3、これにヴァイタボックスのホーン(クロス450HZ)ツイーターは、なんとヤマハのJA0506・・・当方の愛好品(クロス4000HZ・・記憶が曖昧です)以上LCネットワークです。 
 
アンプは300Bの交流点火(よくわからないのですが、全国で小池さんのアンプだけだそうです)。初めにジャズで、カインド・オブ・ブルーとアートペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクションを掛けていただきました。とにかく、シームレスのスムースさです。特上の大型フルレンジを聴いているようです。 
 
Fレンジも、拙宅のを比較に持ち出すのもおこがましいのですが、当家のシステムが、低域が100HZくらいからダラ下がりの限界が60HZくらいとすると、すももの木システムは、50HZまでフラットという感じです。
 
音色ももちろん素晴らしく、キャノンボール、ペッパーのアルトがなまめかしく響きます。リズムセクションも文句なし! 
 
クラシックに移り、モーツアルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲(五嶋みどり盤)、弦楽五重奏曲(スーク+スメタナ四重奏団)がほんとにいい音で再生されます。音場もナチュラルで心地いい。 
 
次の展開が驚きでした。ムターの弾くツゴイネルワイゼンの時に、小池さんが「アンプを換えますね」といった後のヴァイオリンの音が絶品でした。 
 
きめが細かく、柔らかく、澄んでいて、伸びやかで、音像の定位もきまっている!! こんなヴァイオリンは初めて聴きました。B&Wの802Dなら出るのかも・・・。
 
換えたアンプはKRのPX25、交流点火。アンプによる変化にはびっくりしました。ブログで拝見している、〇〇様が楽しんでいる中身が、少し覗けたような気がしました。300Bも素晴らしいと思って聴いていましたが、このPX25のヴァイオリンには思わず拍手でした。 
 
小池さんのお話では、LCネットワークのSPシステムを練り上げて、ジャズには300B、クラシックにはPX25、それと大編成用に大型真空管のアンプと、計三種類のアンプで音楽をカバーするのが楽しいとのことでした。 
 
夕食後、一杯やりながらオーディオの話をしましょうと誘っていただき、ゴロゴロしているドライバーやフルレンジユニットをいろいろ見せていただきました。これも楽しかったです。 
 
今回はいい音が聴けて、本当に良かったです。あの音に、ヤマハのJA0506が一枚かんでいるとは愉快でした。」

以上のとおりだが、他流試合はいわばかけがえのない「音の記憶遺産」のようなもの。

これからの「音づくり」にきっと貢献してくれると思いますよ~。


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「原 節子」と「小津 安二郎」

2016年07月07日 | 読書コーナー

               

「原 節子」とか「小津 安二郎」(以下、ご両人とも敬称略)とかいっても、「いったい誰?」という方が半分以上だろうし、戦前から戦後にかけて活躍した日本映画の大女優と名監督と思い出す方も、「な~んだ、懐古趣味か!」と一蹴されるのがオチだろう。

たまたま図書館の新刊コーナーに並んで置いてあったので、どうしても読みたいという積極的な気持ちはさらさら無かったが「まあ、試しにいっちょう読んでみっか」と借りてきた。

読み始めてから二つともたいへんな力作であることが分かった。これを読めばお二人さんの考え方から行動形式、果てには男女関係まで身辺のあらゆることについてお見通しになることは間違いなし(笑)。

まず、「原 節子の真実」から。

隠棲していた鎌倉で平成27年9月5日、ひっそりと95歳の生涯を閉じた伝説の女優「原 節子」。

生涯独身を通し、「永遠の処女」とまで呼ばれながら30歳代半ばで映画界から突然足を洗った謎多き女優の生涯を「えっ、ここまで書くの」とばかり洗いざらいさらけ出した本である。野次馬根性になるが「身辺に秘かに漂うオトコの気配」にもこだわりなく描き出してあって納得の一言(笑)。

とにかく巻末の「主要参考文献」の量が半端ではない。本格的な書籍から軽い雑誌まで含めると軽く500冊は越えるだろう。

ちなみに、綿密な史料考証でもって思い出すのが作家「子母澤 寛」氏の名著「新選組始末記」だ。

当時の生存者への事情聴取とあまりにも膨大な資料を探るあまり「新鮮」という言葉が出てくるだけで反応したという笑えないエピソードがあるが、本書の詳細な記述にはそれ以上の探究心に裏打ちされているのかもしれないと思わせるほどの凄みがある。

最後に、原 節子の人となりを表わしたエピソードがあったので紹介しておこう(280頁)

「本書をまとめるにあたり、彼女の写真を集める過程で改めて気付いたことがある。極端にポートレートが少ないのだ。戦争の影響もあるが、写真を撮られることを嫌った映画女優だった。

彼女は <ポーズをとって、ニッコリと微笑んで“私美しいでしょう”だなんて、こんなに醜悪なことはないわ> と、写真家の早田雄二に語っていたという。

同じく写真家の秋山庄太郎には、初対面の日に <あなた、映画の仕事は好き?> と尋ね、 <あまり好きではない> と答えた秋山に <私も嫌いよ。気が合うわね> と言って友人として付き合うようになる。その秋山にも <ことさら美しく撮ろうとしないでほしい。ありのままの私を撮ってほしい。> と、何度も念を押したという。」

現代の女優さんたちからはちょっと想像できないような御仁のようでして(笑)~。

次に「小津 安二郎の喜び」について。

前述の「原 節子」は小津映画の常連だったことは周知のとおりだが、非常に敬愛した監督だったようで、同監督の葬儀の日、当時隠棲中の「原 節子」が真夜中に葬儀の場に訪れて同席者たちと一緒になって号泣したという逸話がある。

本書では小津監督が残した37作品についてそれぞれ懇切丁寧な解説がしてあって、小津ファンにはたまらない贈り物だろう。

小津監督といえば代表作として誰もが納得するのが「東京物語」(昭和28年)。

日本のみならず世界的にもベスト10級の名作とされているのは周知のとおり。

田舎に住む老夫婦が大都会・東京に住む子供たちを訪問するが、忙しい日常にかまけて邪険に扱われ救いようのない失望感に包まれる、というストーリーで自分もテレビ放映で何度も見たが、この映画に限らず小津作品は鑑賞者に対してこの上ない「静謐(せいひつ)感」を求めてくることはクラシック音楽に耳を傾けるときと一緒である。

本書の中に「東京物語」の中で白眉となる事物の名ショットが紹介してある(206頁)。

「それは(子供たちからあてがわれた)熱海の旅館で老夫婦が泊まる部屋の前に脱ぎ揃えられたスリッパのショットだ。麻雀をする客たちでごった返す深夜の旅館で、二人のスリッパだけが静寂の底に沈んだようにきちんと脱ぎ揃えられて在る。

例のごとく、あくまで低く据えられた水平のキャメラがそれを知覚している。老夫婦が(周囲の騒音のせいで)その部屋に眠られぬままに横たわって在ることへの愛情と共感に満ちたショットと映る。」


今後、もし「東京物語」を観る機会があったらこのシーンに気を付けましょうねえ~。

というわけで小津映画といえば「キャメラのローアングル」が代名詞みたいなものだが、これについて記した興味ある箇所がある。(292頁)

「なぜキャメラの位置は人間の上ではなく下なのか。他人より高い位置、ものごとを俯瞰する位置に立つことは、行動の上で優位に立とうとする者にとっては魅力のあることだ。高い位置に立てば自ずから視野は横に拡がる。シネマスコープの横広がりの大画面は外界を俯瞰し見渡したいという欲求に基づいている。

このような視覚はどこまでも現実的なもの、競い合う行動の優位を目指したものだ。そのような行動が求める視野は言ってみれば狩猟民の生活に適するだろう。

反対に下で水平に構えられたキャメラは潜在的なもの、それ自体で在るもの、いっさいを生み出しながら持続する永遠の現在を見ようとする。~略~ それは稲作民の神の視線であり「畳の上で暮らしている日本人」の視線である。

小津は <ぼくは人間を上から見下ろすのがきらいだからね> とも語っている。」

ほかにも、小津監督と黒沢監督という日本映画界における二大巨匠の確執に触れた部分も面白い。

さいごに、「原 節子」の本だったと思うが、映画関係者が戦前、欧州に宣伝に出掛けた際に通行中、貴婦人と肩がすれ違いざまに「唾を吐きかけられた」という記述が印象的だった。

およそ80年経った今日でも白色人種が黄色人種に対して持つ優越感と侮蔑の感情はすっかり拭い去られたんだろうか?と、つい疑心暗鬼になってしまう。

「貧すれば鈍する」ではないが、経済的に行き詰っているせいで連中はプライドを捨てて仕方なく黄色人種と付き合っているのではあるまいか。

ま、「それがどうした」と言われればそれまでの話だが(笑)。


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横綱同士の組み合わせ

2016年07月05日 | オーディオ談義

のっけから理屈っぽい話になるが「自分という人間ははたして何者であるのか、それを突き止めていくのが人生だ」とは、お堅い研修講話などでよく聞かされる話だが、これはオーディオにも当てはまるように思う。

「自分の好きな音、満足できる音はいったいどういう音なのか」これを求めて一喜一憂しながら生涯に亘って彷徨するのがオーディオマニアという人種のような気がする。

とまあ、冒頭から大上段に振りかぶってはみたものの
、オーディオが面白くてたまらないと思うことが第一条件で、そうでなければ長いこと続かない(笑)。

なにしろ終着駅が見えない世界だから、まるで標高が定かではない山の頂に向けて登るルートがいくつもあるようなもので、その選んだルートがはたして最適なコースかどうかもはっきり分からないところに未知の楽しみがある。

振り返ってみるとこの道に迷い込んでもう40年以上になり、随分回り道をしたような気もするが、現在、我が家には真空管アンプが6台、スピーカーが4セットあって、それらを日替わりメニューみたいにいろいろ組み合わせて聴いていると、なんだかいずれも80点くらいの似たり寄ったりの音になっているような気がする。

6台の真空管アンプはいずれも粒ぞろいだとは思うがそれでも性能の差は若干あるし、なるべくスピーカーの個性に応じて組み合わせていると、どの系統の音ともそこそこの音で鳴って欲しいのでどうしても平均化してしまうのだ。

これでいいのかどうか。

「これがベストマッチです」ともいえる決定的な組み合わせも欲しい気がするところ。

こういう「ストレイ シープ」のさなかに、つい先日同じ「AXIOM80」仲間のKさんが久しぶりに試聴にお見えになった。

4月中旬の熊本・大分地震で高速道がズタズタになり(現在は片側通行)、それに加えて福岡と宮崎の事業活動がメチャお忙しくなったそうで、このところオーディオどころではないご様子だったが、今回は宮崎に出張する途中の2時間あまりを割いて聴かせてくださいとのことだった。

Kさんの耳は自分と類似性があるので客観的に我がシステムを見つめ直すのにいい機会である。

この時に聴いていただいたアンプとスピーカーの組み合わせは次のとおり。

1 PX25シングルアンプ → ウェストミンスター(フィリップス社のウーファーとワーフェデールのツィーター)

2 「71Aシングル・1号機」(インターステージ・トランス入り) → グッドマン「AXIOM300+FANE社のツィーター」

3 「71Aシングル・2号機」 → 「口径10センチの小型スピーカー」

真空管71Aを出力管に使うと、どんなスピーカーでもうまく調教してくれるので大助かりだが、この日も相変わらずでKさんからも「もう全体的にほとんど言うことのない仕上がり振りですねえ。」との好意的なご意見だった。

ひとしきり、3系統のシステムを聴かれた後で「あの~、AXIOM80は鳴らしてないんですか?」と遠慮がちにお尋ねになった。

「ええ、新しいスピーカーやツィーターの入れ替えに夢中になってこの2か月ほどAXIOM80の出番がまったくありません。久しぶりに聴いてみましょうかね~」と、促される形で2の組み合わせでスピーカーだけ入れ替えた。SPコードを差し替えるだけだから簡単。

音が出るとすぐにKさんの顔がほころんだ。「う~ん、やっぱりこのスピーカーは次元が違いますね。引っ込めておくのは勿体ないですよ!数ある中のアンプの王様は何といってもPX25で決まりですが、スピーカーの王様となるとAXIOM80でしょう。」

久しぶりに聴くAXIOM80の妙なる音色と響きにはほんとうに参った!2カ月もほったらかしのままにしてゴメン(笑)。

Kさんがお帰りになった後で、さっそく「PX25シングル・アンプ」と「AXIOM80」との横綱同士の組み合わせへ移行した。今のところ我が家のベストマッチである。

       

さあ、こうなると必然的に「球転がし」へ~(笑)。

スピーカーがウェストミンスターだと低音域がだぶつき気味になるので音を締める方向で球の組み合わせを調整していたのだが、相手がAXIOM80ともなると、いかにして音を緩めるかという正反対の方向へ移行せざるを得ない。

まず、キーポイントになるのは前段管である。これ次第で音がコロッと様変わりするからまことに恐ろしい。これまで使っていたのは「3A/109B」(STC=ウェスタン・ロンドン支店)だが、STCの球に総じて言えることは低音域はやや薄いものの中高音域の美しさは比類がないというのが個人的な感想である。

しかしAXIOM80と組み合わせるとなると話は別で、この際は低音域の厚みが絶対欲しいところなので「112A」(アメリカ:1920年代製の刻印)へと差し替えた。このアンプはソケットを2種類準備してあって、両方差し替えられるようになっているのでとても重宝している。

また、整流管も「GZ33」(英国:ムラード)から、より高価なウェスタン422A(傍熱管:1952年製)へと変更。お値段が高いと音も高級になりそうな気がするから不思議(笑)。

周知のとおり整流管の交換はアンプ側の許容範囲の数値内に留意する必要があり、その矩を越えると痛い目を見るが、「北国の真空管博士」から「このアンプの場合はどんな整流管を使ってもほとんどOKです」とのお墨付きをもらっているので安心。

さあ、これでいよいよ音出し~。

この「横綱同士の組み合わせ」の試聴結果についてはもう「言わずもがな」なので省略(笑)。
 


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新旧交代の波

2016年07月03日 | 独り言

我が家が住んでいる団地は造成されてから40年近くなる。仮に、当時50歳前後の方は現在では90歳前後になるので、「奢れるもの久しからず、盛者必衰の理を表わす」(平家物語)というわけでもないが、ご夫婦のどちらかが亡くなる例が多い。

こういう田舎なので、子どもは都会に働きに出かけている方が圧倒的、したがって残された方は家を取り壊して子供のところや介護施設に移り住むということになる。

そういう象徴的な区画がいつものウォーキングコースの途上にある。

           

画面中央の奥には現在建築中の2階建てとその右には同じく建築中の1階建て(黒い屋根)がある。

そして手前の荒れ果てた場所がほぼ家の解体が済んだ現場である。豪壮な邸宅だったが今はもう見る影もない。

ご近所の方々の話題になっていることが一つある。画面中央付近にある小さなブロックの施設は風呂場として使われていた部分だが、なぜか、ここだけは不思議に取り壊されずに残っているのだ。

いったい、どうして?

ヒント:ここは温泉管が引かれている地帯である。

もし分かった方は非常に洞察力にすぐれた方である。普通の人よりも認知症になるのが遅れることを保証しよう(笑)。

答えは、解体作業を終えた従業員が一日の終わりに温泉に入って疲れを癒すための暫定的な風呂場として使われているというのが真相。

いささか単純だったかな(笑)。

我が家もこの団地に住んでからおよそ35年ほどになる。いずれどちらかが先に逝くことは必然だし、順番としては自分の方が圧倒的に可能性が高いが、そのときに県外に住んでいる会社員の一人娘が帰ってくることは100%近く期待できない。

いずれ家が取り壊されるのは覚悟の上として、そのときにオーディオ・システムはいったいどうなるんだろう?

というわけで、これからオーディオ機器はなるべく増やさないように心がけているんですよねえ(笑)。
 


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ハリウッド ヨガ

2016年07月02日 | 独り言

4~5日前の朝のNHKテレビを観ていたら「パーク ヨガ」というのを紹介していた。

一言でいえば、だれでも簡単に手軽に出来るヨガということらしいが、とても体を伸ばすのが気持ちよさそうに思えてやってみようかという気になった。

たしか昔購入した「ヨガのDVD」があったはずだがと、探してみるとすぐにでてきた。「ハリウッド ヨガ」というタイトルが付いている。

                       

ずっと昔の自分の記憶では、テレビ画面の動きに合わせてやってはみたもののあまりにハード過ぎてたしか3日坊主に終わったはず。

このところ毎日欠かさず運動はやっているものの、ウォーキングやエアロバイクなど有酸素運動ばかりなので、こういうヨガみたいに少しでも身体を柔軟にする取り組みもいいかもしれない。よし、やってみっか!

というわけで、今日で4日目くらいになるがもう、たいへん~。

まず腕が思うように上がらない、片足立ちだとフラフラする、腰が硬くて前屈、後屈が思うように出来ないなど身体の欠陥がボロボロ出てくる。

しかし、コリが翌日まで残らないのは助かるし、たったの3日間ほどだが何となく身体が軽くなっているような気がする。

それに全体で40分ほどだが、ゆっくりした動きなのに汗びっしょりになるのはいったいどうしたことか。これまで心臓をパクパクいわせないと汗が出ないと思っていたのできっといいことには違いない。

「よし、このヨガは長~く<音楽&オーディオ>を楽しむためのカギになるんだから根気よく続けるんだぞ。」と無理矢理じぶんに言い聞かせている。

そして、続けたいもう一つの理由が目の保養で、ご覧のとおりのインストラクターの伸びやかな肢体!(笑)

         

ところでいい話ばかりではない。

最近(5月8日)、家内用のプリウスを購入したがそのときに担当したまだ若い営業マンから「クラウンの下取り価格を査定させてもらえませんか」という依頼があった。

何でも上司がうるさくて、査定したクルマを一定数保持していないと困るのだという。「ああ、買い替えるつもりは毛頭ないけど査定ぐらいならいいよ」と気軽に返事して、その日のうちに査定をさせた。

そして、その結果を2~3日後に訊くと何とたったの5万円!

ちょっとした真空管の値段にも及ばない額に思わず血が逆流したねえ(笑)。

運転していてもいっさい気になる個所はないし、滑るようにスピードは出るし、見かけだって常に定期的にワックスをかけているので十分見栄えがするはず。

            

よ~し、こうなりゃ死ぬまでこのクルマを乗り潰してやる~(笑)。


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