「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

音楽談義~愛聴盤への信頼性~

2008年02月18日 | 音楽談義

これまで「愛聴盤紹介コーナー」などでいろんなCD盤を聴き比べて勝手気ままにいいの悪いのと遠慮なく評価してきたが、いくらブログの世界とはいえあまり見当ハズレのことを言ってはまずいという良心はもちろん持ち合わせているつもり。

まず、演奏の良し悪しと好き嫌いを混同しないように心がけているが、たとえば、自分が貶した盤が他の高名な音楽評論家や音楽好きの作家から名盤だとされていた場合、自分の鑑賞力が正しいかどうか少しばかり立ち止まって考えざるを得ないのは当然のこと。信念があれば八方破れの発言もときには許されるのだろうが、常に自分の
ものさしが普遍的なものかどうか客観的に見る目はやはり必要だと思う。

そういう中で最近自分の鑑賞力がまともかどうかを推し測るちょうどいい本に出会った。中国古典を題材とする作家・宮城谷昌光氏の「クラシック私だけの名曲1001曲」(2003・7・30、新潮社刊)である。

何しろ1001曲もの作品を試聴して感想を書いた本なので1020頁にも及ぶ分厚い本だが、「序」を読んでみると、
CD6000枚を所有しその中から選り分けて1年半を費やして出来上がった本だという。かなり作曲家の好き嫌いが極端な方のようで皆が好むモーツァルトの曲が一つも入っていないのがユニークなところ。

「クラシック入門書のつもりでは書かず、ひととおり名曲を聴いたあとに、クラシック音楽から離れてしまった人に読んでもらいたい。クラシック音楽は奥が深く、いわゆる名曲を聴いただけでは門をたたいたにすぎず、門内に入ったわけではない。」との著者の言がある。

さて、本書の内容だが、試聴結果の記載のスタイルが自分のブログ「愛聴盤紹介コーナー」と同様に同曲異種の盤をいくつか聴いて、最終的に「私だけの名曲」として気に入ったCD盤を紹介していくやり方。

なお、宮城谷さんの「私だけの名曲」、そして自分の「愛聴盤」という表現は
「あくまでも自分の好み」ということであって他人に強制しない意味が込められているのは既にお察しのとおり。

1001曲もあれば当然、中には自分が「愛聴盤紹介コーナー」で取り上げた曲とダブりの曲がある。調べてみると「田園」「ピアノソナタ32番」「ブラームスヴァイオリン協奏曲」そして「アルルの女」の4曲だった。これはチャンス、宮城谷さんと比べるいい機会。

とにかくCD6000枚を聴き分けた宮城谷さんの鑑賞力がトップ・レベルなのは間違いあるまい。その宮城谷さんと自分を並べるのは大変おこがましいが、身分に違いはあれ音楽鑑賞に垣根はないと思う。失礼を承知で以下のとおり4つの曲目をピックアップして比較させてもらった。

☆ベートーヴェン「交響曲第六番田園」

宮城谷さんの名曲:ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団

この曲にある明るさは田園の光だけでなく、精神の不屈の光である。そういう具象性と抽象性を見事に描ききったのはワルター盤しかない。この盤と他の盤とは隔絶している。
比較した盤 → トスカニーニ盤、ベーム盤。

自分の愛聴盤:マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

マリナー盤とワルター盤が双璧。マリナー盤は「正統派で感動に満ちた田園」。一方ワルター盤は「自然への感謝を素直に表現した名演」。オーケストラの比較、音質の良さをとってマリナー盤に軍配。
比較した盤 → ワルター、フルトヴェングラー、クレンペラー、ブロムシュテット、イッセルシュテット、ハイティンク、ケーゲル、ジュリーニ(2種類)、ジンマン盤計10セット

☆ベートヴェン「ピアノソナタ32番」

宮城谷さんの名曲:ピアニスト「ウィルヘルム・バックハウス」

不思議な重みがある曲で澄んだ美しさと力強さ、それに回想的なやさしさも包含されている。バックハウスのピアノを聴いているとこの曲は良否を超越したところにあると思われてきた。作為をほとんど感じられないのも不思議で、要するにベートヴェンの存在だけを感じている。恐るべき演奏である。
比較した盤 → ベレンデル、ブッフビンダー、キンダーマン、ポミエ、ハイドシェック、ウゴルスキ

自分の愛聴盤:ピアニスト「ウィルヘルム・バックハウス」

演奏の流れが実に自然で、しかも豪気かつ端正で力感が漂っており、それでいて不思議なくらい安らぎが感じとれる。まるで演奏という行為が無となって音楽を通じてベートヴェンと会話しているような気になる。
比較した盤 → アラウ、グールド、リヒテル、ミケランジェリ、内田光子、ブレンデル、ケンプ

☆ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」

宮城谷さんの名曲:ヴァイオリニスト「ジネット・ヌヴー(イッセルシュテット指揮)」

この曲に関しては、ヌヴー盤とオイストラフ盤を聴かずして語るなかれといわれている。そこから入り、そこに還る、というのが名盤であるが、この両盤がそれにふさわしいというのである。まず手もとにオイストラフ盤が二つある。クレンペラー指揮とセル指揮のものだが、比較すると前者の方がよい。艶の点で優り,みずみずしさを感じる。ヌヴー盤はイッセルシュテット指揮のものでこの演奏は永遠に人気を保つような気がする。情熱のほとばしりを感じる。オイストラフとの比較ではヌヴー盤を上とする。
比較した盤 → オイストラフ(2セット)、フランチェスカッティ、ハイフェッツ(2セット)

自分の愛聴盤:ヴァオリニスト「ジネット・ヌヴー(イッセルシュテット指揮)」

まずオイストラフは手もとにある6セットを試聴して、その結果1955年のコンヴィチュニー指揮のものを選定。次に、その盤とヌヴー盤とを比較。その結果を一言でいえば、ヌヴーは剛、オイストラフは柔。ヌヴーは力強く盛り上がり感も十分、それでいて抒情性が漂う。オイストラフは”やわすぎる”し、「美しさが先走ってしまい音楽が表層に留まっている」。明らかにヌヴーが上。
比較した盤 → オイストラフ(6セット)

☆ビゼー「アルルの女」

宮城谷さんの名曲:マルケヴィッチ指揮 コンセール・ラムルー管弦楽団
クリュイタンス、レーグナー、ビーチャム、マルケヴィッチの4つの盤が名演。すべてを買い揃えるべきだ。今の私はマルケヴィッチ盤ばかり聴いているので正直にそれを挙げた。

自分の愛聴盤:マルケヴィッチ指揮 コンセール・ラムルー管弦楽団
キビキビして歯切れがよく爽快な印象を受ける。指揮者のリズム感が良く反映されている中で(南フランスの牧歌的な)抒情性も十分感じとれる。
比較した盤 → クリュイタンス、オーマンディ

以上ダブリの4つの曲目すべてについて比較したが、そのうち3曲についての愛聴盤が何と完全に一致、違ったのは「田園」だけだが、それでも自分はワルター指揮を2番手にしていたので当たらずといえども遠からず。

もちろんすべて有名な曲目であり定評ある名盤なので一致しない方がおかしい気もするが、結構、自分の愛聴盤があまり偏っていないのが分かってひと安心。


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愛聴盤紹介コーナー~交響曲第6番「田園」~

2008年02月12日 | 愛聴盤紹介コーナー

自分の音楽史(大げさ!)を振り返ってみると、20代の頃はベートーヴェン、30代~50代にかけてはモーツァルトだったが、最近になって再びベートーヴェンが身近に感じだした。

彼の作品を読み解くカギはもちろん「苦悩を通じての歓喜」にあるが、ややもすると時折わざとらしさ、説教臭さが鼻につくことがあったのだが、最近ではそういうものが気にならなくなり、何かしら「敬虔な祈り」のようなものがより一層感じられるようになった。

急にオーディオの話になるがサブウーファーを追加して低域の伸びが良くなり音楽の印象が変わったせいかもしれない。

とりわけ今回取り上げる第6番「田園」はフィナーレが神々しいほどの啓示に満たされる。自然をこよなく愛したベートーヴェン自らが表題を田園(「パストラル・シンフォニー」)と名づけ
「音で描かれた風景画」をイメージとして作曲、とはいいながらもやはり底流には人間の苦悩と精神の回帰がテーマになっているのはいうまでもない。

ベートーヴェンの代表作の一つであることから愛好家も多く、愛聴盤として紹介するのは今更という感じだがやはりこの曲を避けていては自分の音楽史は語れない。
在職中によくスランプに陥ったときにこの曲を聴いて随分開放的な気分に導かれ、癒し効果もあっていわば精神安定剤的な役割を果たしてくれた想い出深い曲。

ベートーヴェンの交響曲の中でやや毛色が変わったこの曲はこれまでの伝統を破って五つの楽章で作られ、各楽章にはそれぞれ内容を暗示する表題がついている。

第一楽章   「田舎に着いたときの晴れやかな気分のめざめ」

第二楽章   「小川のほとりの情景」

第三楽章   「田舎の人たちの楽しいつどい」

第四楽章   「雷雨、嵐」

第五楽章   「牧人の歌~嵐のあとの喜びと感謝の気持ち」

このうち、特に印象的なのは第五楽章。

嵐が去ったあとの美しい田園風景の描写と嵐を切り抜けた感謝と喜びの讃歌が高らかに歌われていく。

いろんな聴き方があるのだろうがこの自然への讃歌の部分がこの曲のクライマックス。
「音楽は哲学よりもさらに高い啓示と言ったベートーヴェンの面目躍如たるものがある。人間とか人生についての大きなテーマが常に作曲者に内在していないと、まずこういう音楽は創造できない。

現在の自分の手持ちの盤は次の4セット。

ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー
  録音1953年
オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団
  録音1957年
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
  録音1958年
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 ドレスデン・シュタツカペレ
  録音1977年

       
    ①             ②             ③            ④ 

次にMさんからお借りした盤が次のとおり7セット!

ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮 ウィーン・フィルハーモニー
  録音1968年頃
ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルト・ヘボー
  録音1985年
ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団
  録音1985年
ヘルベルト・ケーゲル指揮 ドレスデン・フィルハーモニー
  録音1989年
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ベルリン・フィルハーモニー
  録音1990年頃
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ミラノ・スカラ座・フィルハーモニー
  録音1991年
デビッド・ジンマン指揮 チューリヒ・トンハーレ・オーケストラ
  録音1997年頃 

       
       ⑤           ⑥            ⑦            ⑧

            
          ⑨              ⑩             ⑪ 

以上、計11セットの大掛かりな試聴となってしまったが、名曲「田園」にはこれくらいの選択肢がふさわしい。

名だたる指揮者が録音しているわけだがこれほどの名曲で、それもシンフォニーにともなると弦の厚みとスケール感によって少々の演奏のまずさはカバーしてしまうのでそれほどの差は出にくい。聴きどころの第二楽章と第五楽章にしぼって聴いてみた。

【試聴結果】

①芒洋として盛り上がりに乏しい印象
テンポが遅くて重々しい印象で田園のテーマにそぐわない気がする。フルトヴェングラーのベートーヴェンは定評があるが、こと6番に限ってはそうでもない。やはり風景画的雰囲気とは相性が悪そうで、もっと人間臭いドラマが合っている気がした。


②明るい色彩、濃淡のはっきりした油彩画の趣
なかなかの好演で聴かせるものがある。弦楽器をはじめあらゆる楽器が咆哮し、エンジン全開のイメージで進行する。切なさと力強さが程よく交錯しており演奏が終わったあと「なかなかいいねえ!」と言葉が出た。ただし、5楽章ではもっと神々しさが欲しい。

③自然への感謝を素直に表現した名演
ずっと昔からレコードで聴いてきた盤で、気に入っていたのでCD盤が出ると早速買い直した。滋味あふれ心温まる演奏で音楽の喜びに満ち溢れ、こうやって沢山の指揮者に囲まれても少しも遜色のない光を放っている。

④淡い色彩による水彩画の趣
すべてにわたって中庸という言葉がピッタリ。とりたてて魅力も感じないかわりにアクも強くなく無難な演奏。当たり外れなしというところ。

⑤盛り上がりに欠け長く聴いていると飽きがくる印象
全盛期のウィーン・フィルの弦はやはりいい。オーソドックスだが華麗、きらびやかで音楽に色彩感がある。ただし5楽章が通り一遍で物足りない。もっと神々しさが欲しい。長く聴いているとややマンネリ現象に陥る。

⑥中間色を多用した印象の薄い絵画の趣
ドレスデン・シュターツカペレの第一ヴァイオリン奏者島原早恵女史のウェブサイト「ダイアリー」を見ていたらハイティンクの指揮ぶりを褒めていた。練習で言葉をほとんど発することなく指揮棒だけで団員を納得させるのだという。たしかにこの指揮者の「魔笛」は一級品だった。しかし、この田園になると穏やかすぎて盛り上がりに欠けている印象で、5楽章には少なからず不満が出てくる。

⑦正統派で感動に満ちた田園
襟を正して聴く思いがした。5楽章では自然への讃歌が高らかに歌い上げられ、天上から後光がさしてくるようなイメージ。楽団も絶好調で管楽器のうまさが光る。整然とした演奏ながら情緒もあり神々しさも十分。これは一押しの名盤。マリナー会心の出来で演奏が終わった途端に思わず拍手をしてしまった
⑧人生を真剣に、そして深刻に考えたい人向き
日本公演(サントリーホール)の記念すべきライブ盤。指揮者ケーゲルは東ドイツの熱心な社会主義者だったが、この最後になる公演のときはベルリンの壁が崩壊する1ヶ月前のことで既にこのことを予知していたとみえてものすごく暗いイメージの田園に仕上がっている。しかし、この演奏には人間の真摯な苦悩が内在していて簡単に捨てがたい味がある。5楽章は秀逸。録音もホールトーンが豊かで気持ちいい。公演当日の聴衆は一生の思い出になったことだろう。うらやましい。ケーゲルはこれから1年後にピストル自殺を遂げたが、イデオロギーの違いで自殺できる人は人間として純粋でホンモノだと思う。

⑨可もなし不可もなし
オーケストラの地を這うような弦の響きにはうっとりとするが取り立てて求心力のある演奏ではない。良くも悪くもないという表現になってしまう。

⑩田園の情景が浮かんでこない演奏
テンポを遅めにしてコクのある演奏だが、田園の情景が浮かんでくるようなイメージに乏しい。何だか曇り空の田園のようで気分が晴れてこない。そういえばイタリアと田園とのイメージがどうも結びつかない。

⑪演奏レベルに問題あり
ときどき管楽器の不発があるのがご愛嬌。聞き流すにはいいが、正面から向き合って聴く田園とは思えない。たどたどしいという印象を受けた。

以上11セットの試聴を終えて、結局のところ、
マリナー盤ワルター盤が双璧として印象に残った。ケーゲル盤も捨てがたい味がある。しかし、オーケストラ、音質などを加味するとワルター盤はやや古すぎるのでマリナー盤が自分にとってはベストとなる。

仲間のMさんにこの結果を伝えると、自分もマリナー盤だとのことで意見が見事に一致した。「感性が一緒ですね」と言ったら「血液型は何?」と聞かれたから「O型です」と答えたら「自分もO型だ」といわれた。感性と血液型との関連?ウーン!

 


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読書コーナー~「マイ・ドリーム~バラク・オバマ自伝」~

2008年02月10日 | 読書コーナー

アメリカ大統領予備選挙が佳境に入っている。地球全体に影響を及ぼす指導者の選出に世界中が固唾を呑んで見守っているが(ややオーバーか?)、共和党(ブッシュ大統領)のイラク政策が不評なので今度は民主党からの選出はほぼ間違いないだろう。

ヒラリー・クリントン女史圧倒的優位の中で始まった予備選挙だが、バラク・オバマさんが猛追、2月のスーパー・チューズデーでもとうとう結着がつかなかった。8月頃までの長期戦になる見通しでオバマさんの勢いが留まるところをしらない。もしかすると黒人初の大統領の誕生も夢ではなくなった。


それに47歳という若さは何物にも換えがたい。予備選に敗北しても副大統領にという声もちらほら出てきている。とにかく将来に亘ってアメリカの政治史に大きな足跡を残すことは間違いない人物である。

ということで、この際、彼の人となり、ものの考え方、これまでの人生の履歴、出自などを知っておくのもワルくはない。

「マイ・ドリーム~バラク・オバマ自伝~」(2007年12月13日、ダイヤモンド社刊、著者バラク・オバマ)はその意味でまったく格好の本。

内容に入る前に著者の次のような冒頭の言葉を紹介しておこう。

「どの自伝も危険をはらんでいるものだ。筆者にとって都合がいいように色付けし、個人の貢献を誇張し、都合が悪いことは伏せておきたいと思うのが人情である。自伝の主人公が虚栄心を持つ未熟者であればなおさらだ。本書にそのようなことは一切ない、とは言い切れない」

ほんの些細なことだが、以上のことから、オバマさんの「繊細さとたくまざる知性」が垣間見えるようだ。それかといって、本書では自分の弱点を容赦することなく暴(あば)き出して率直に述べていることを申し添えておく。

この本の構成は
第一部 起 源 → 生い立ち
第二部 シカゴ → 社会福祉活動の時代
第三部 ケニア → ルーツを巡る旅と父が抱えた苦悩
となっている。

このうち第一部「起源」が分かりやすくて内容にもぐいぐい引き込まれた。第二部、第三部は、やや専門的すぎてついていくのが大変。ここでは第一部を詳述。

まず、オバマさんの略歴を紹介。

1961年8月4日生まれ、イリノイ州選出の上院議員。コロンビア大学を卒業後ハーバード大学法科大学院入学、アフリカ系アメリカ人で黒人初の「ハーバード・ロー・レビュー」誌の編集長となる。現在シカゴで妻、2人の娘と暮らしている。

この本が執筆されたのは、10年ほど前のことできっかけは上記「・・・レビュー」誌の編集長となり「保守的なハーバードのロースク-ルで人種問題に進展が見られた」と世間の注目を浴び、出版社から自伝を依頼されたことによるもの。

ここでまず、オバマさんの生きかたに決定的な影響を与えている出自を述べておく必要がある。オバマさんの父親はアフリカ・ケニアのルオ族出身の黒人。母親はアメリカ人であり白人である。(両親はすでに死亡)

オバマさんの父親は極め付きの優秀な頭脳の持主で、ケニアからエリートとして選抜されアメリカのハワイ大学に留学、そこで母親と知り合い結婚しつつ優秀な成績を修めハーバード大学の博士課程に進学したものの卒業することなく、単身母国にもどり以後両親が離婚

その後、母親がインドネシア人と再婚した(妹が生まれる)ので幼少期をインドネシアで過ごしたが教育熱心の母親の計らいで再び祖父母の居るアメリカに帰国する。

オバマさんは言う。「黒い肌のアフリカ人と白い肌のアメリカ人である両親の短い結婚生活に何か裏があるのではないかと人は疑う、私とどう接したらいいのか悩む人もいる、私の中に二つの血が混ざっている証拠を探そうとする、そして私は彼らにとって未知の存在となってしまうのだ。」

彼が常に持っている”人種的なアイデンティティーへの問い”の中にどうやらオバマさんを解剖する鍵の一つがありそう。

とにかく「人間の尊厳」について被害者の立場からこれほど赤裸々に書かれた本を読んだのは初めて。「アメリカの人種問題がこれほど深刻とは」と大きな衝撃を受けた。

黒人の立場からの白人に対する気兼ねがこれでもかというほどに描かれている。黒人の大半は社会への反乱に興味がなく、いつも人種のことを考えるのにうんざりしているというのは本音だろう。

読んでいる途中から人種問題の根深さに興味が移ってしまってオバマさんについての知識なんて何だか付録のような存在になってしまったが、「ものすごく知性あふれる人物」、「ものの見方が実に多様で偏っておらず、他人の心を斟酌できる人物」であることは間違いない。

ハーバードのロースクールに合格するほどの頭脳の持ち主でありながら、自分がいかに努力して勉強したかとか学業成績の順番や自慢が本書の中で一つも出てこないという事実にも驚く。意識して触れなかったのか、それともそういうことは問題外だとアタマから除外していたのかそれは分からないが。

とにかく黒人とか白人とかの人種、範疇を超越した人物であり、黒人初の・・・という意義はどうでもいいことだと思わせるものがある。そういえば、つい先日の新聞で白人層でも4割程度が支持していると記事にあった。

一番印象的なのは、黒人それも両親が黒人と白人というどっちつかずの中途半端な人種である自分のコンプレックスを克服していく強靭な意志の強さが本書に貫徹していること。

こういう人物(お金持ちの育ちではない、世襲も一切ない、しかも混血の黒人)の実力を正当に評価して大統領候補にしてしまうアメリカという国の懐の深さ、活力=アメリカンドリームに心の底から感心してしまった。いろんな意味で自己を見つめ勇気を与えてくれるほんとうに有意義な本だった。

それにしても、二世議員の多い日本の政治家たちの旧態依然とした選出方法について改めて考えさせられたが、一方では多人種国家ではない日本には強力なリーダーを必要としないのかもしれないなどとも思ったりした。

   

 


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オーディオ談義~レゾナンス・チップ~

2008年02月06日 | オーディオ談義

O市に住むEさんは昔からのオーディオ仲間というよりは大先輩。年齢は自分よりも一回りほど上で、オーディオ歴もその分長い。どちらかといえば、音楽よりも音キチに近い方といえる。

板金を生業とされているので、専門の機械や広い作業場を持っておられ金属加工(スピーカーの支え用金具など→写真参照)をはじめいろんな工夫が半端ではない。

耳の感度がものすごく良くて特にルーム・アコースティックにかけては他の追随を許さないほどで、いろんな道具を実際に試して取捨選択し一歩一歩着実に前進されている。ワタシもこれまで随分その恩恵に浴しており、貰い受けた道具は数知れない。

訪問するたびに新しい発見や情報があるので半年に一度ぐらいはお宅にお邪魔している。

先日も、朝早くEさんに連絡を取るとご在宅とのことでノコノコと出かけてみた。閑静な郊外にお住まいで別府からクルマで約40分の距離。

Eさんのオーディオ装置はCDプレーヤーはフィリップス、アンプは低域がEL34真空管のプッシュプル、中高域がWE300B真空管のシングル、スピーカーはアルテックのA7にJBLの075ツィーターを追加してある。

相変わらずアルテックらしい抜けの良い雰囲気のいい音で女性のジャズボーカルを中心に楽しませてもらった。とにかく訪問するたびに音の純度が向上するのに感心するが、20年以上も毎日欠かさず夜の7時から9時までをオーディオの時間と定めて、なにかしら実験を試みているとのことでその積み重ねの成果は恐るべしである。

さて、今回教えてもらった収穫は、
レゾナンス・チップ。本社が東京にある(株)レクストという会社が販売しているもので、小型・軽量・超シンプル構造の直径1cmほどの小さな陶器製のチップで用途は振動の抑制で室内音響の調整に用いるもの。

ピンポイントで制振するので一つの壁面に1個からでも、その面全体に効力を発揮するとのことで目に見えない不要な振動を吸音するのではなくて制御・拡散し響かないようにするという発想。

Eさんのオーディオ・ルームでも窓ガラスや真空管などさまざまな必要箇所に貼り付けてあり、随分効果があるので是非使ってごらんと強くお薦めになる。たしかにオーディオは機器だけではなくて部屋の音響特性によってもかなり左右される。SPユニットの振動によって発生した音が空気の振動としてリスナーの耳に届くのだから部屋の影響を大きく受けるのは当然のこと。

湯布院のAさんも感心されて購入されたとのことで、気になる価格の方は8個入りでルーム・チューニング用チップが1800円、オーディオ機器用チップが2500円。このぐらいならダメもとでも手が出せる範囲だし、とにかく今よりは悪い方向に行かないのはマチガイない。

早速帰宅してメールで(株)レクストに問い合わせし購入サイトを教えてもらって注文した。それぞれ2ケース注文し、代引き手数料を含めて9100円なり。

我が家のオーディオ・ルームに当てはめるとすると、まずルーム・チューニング用チップは窓ガラスが南側と西側に2面あり、それぞれ二重ガラスになっているので一面あたり1個としてそれだけでも8個要る。それに、液晶テレビの45インチの画面の隅にも1個、エアコンの表面にも2個などかなり要る。

次にオーディオ機器用のチップは真空管のガラス部分の過度の振動を抑えるのが何といっても中心になる。これまでも随分気になっていたところである。しかし、ガラス面はものすごく熱を持つので貼るのは無理。そこで根元の部分に貼り付ける(写真参照)ことになるが、アンプが3台、それも初段菅、整流菅、出力菅合わせて12個、それにJBL375ユニットの真後ろ部分にそれぞれ1個とこれもかなりの数が要る。

レゾナンス・チップが届いたのはメールで注文後の2日後でなかなか対応が早い。早速貼り付け開始。粘着テープを剥がして所定の位置に貼り付けるだけなので簡単な作業。20分ほどで終了した。

そこで試聴に移ったが小さい音で聴く分はそれほど差がないが音量を大きくすると以前よりも余分な付帯音が少なくなって「うるさくなくなった=静かになった」ようだし、それに以前から気になっていた低域用アンプVV52Bのマイクロフォニック・ノイズも幾分少なくなった気がする。

とりわけ効果があると思ったのは、窓ガラスで見るからにキンキンと音を跳ね返すイメージがあるが、これが幾分マイルドになったようだ。

まあ、何よりも必要な措置を講じたという心理的な効果が大きいようで、オーディオにおいて信じることによる安心感は無視できないようだ(笑)。

                  
    金属加工品           レゾナンス・チップ

              


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音楽談義~女流ヴァイオリニスト「ジネット・ヌヴー」の魅力~

2008年02月04日 | 音楽談義

これまでずっと自分の心の中で大きな位置を占めてきたヴァイオリニストダヴィド・オイストラフ(1908~1974:ソ連邦、男性)の存在が最近になってかなり揺らいでいる。

先日のブログで投稿したように「シベリウスのヴァイオリン協奏曲」の試聴(6セットのCD)でみせてくれたジネット・ヌヴー(1919~1949:フランス、女性)のあの神業のような熱のこもった演奏がアタマに焼き付いてしまって離れないのがその原因。

こうなると、ヌヴーとオイストラフ、この二人のうちどちらが自分にとってより身近な存在になるのかどうしても結着をつけたくなった。すぐに順番をつけたがるのはアメリカ人の悪い(?)クセと何かの本で読んだ記憶があるが、自分もかなりアメリカナイズされてきているのかなあ~。

さて、二人を比較するうえで絶好の名曲がある。それは「ブラームスのヴァイオリン協奏曲。」

これはブラームスが親友ヨアヒムのために生涯にたった一曲しか残さなかったヴァイオリン協奏曲で、交響曲といってもよいほどに堅固に組み立てられ堂々とした威容をもち、同時に内省的な心のこもった情緒豊かな名品。

ヴァイオリニストのスピリットとテクニックが隠しようがないというほどの曲目で二人の個性を比較する上で、まずこれほどの適切な作品はない。

それに幸い、二人ともこの協奏曲については名演を遺してくれている。

ヌヴー盤
(ライブ録音)ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮、北ドイツ放送交響楽団
録音:1948年

オイストラフ盤
コンヴィチュニー指揮、ドレスデン・シュターツカペレ
録音:1955年

ヌヴー盤については、仲間のMさんが持っていたものをとりあえずお借りしたもの。
オイストラフ盤については、以前のブログで紹介した愛聴盤紹介コーナー「ブラームスのヴァイオリン協奏曲」6セットの中から自分が一番名演だと思ったものをピックアップしたもの。

サブウーファーを付け加えてやや重厚さ(?)を増した我が家のシステムでじっくりと二人の演奏を聴き比べてみた。極めて興味深い比較で非常にレベルの高い名手同士の競演、しかもこれほどの名演になると録音の悪さも気にならなくなる。特にヌヴー盤はライブ録音で結構高域特性もいいようでシベリウスの協奏曲を弾いた盤よりもずっと聴きやすい。

2月2日、小雨まじりで寒くて寒くてたまらない土曜の午後のひととき、1時間半を二人の対決(?)の時間に当てた。

さて、演奏の結果だがあくまでも個人的な感想であることを前提にして一言でいえばヌヴーは、オイストラフはとはっきり色分けできる。まったく、どちらが男性か女性か分からなくなる程の違いだが、特にヌヴーの剛直振りが際立っている。

ライブ録音の一発勝負ということで出だしこそ、ところどころ音程が不安定だった(と思う)が、徐々に流れに乗ってきて気迫がこもった力強い演奏が終始展開される。盛り上がり感も十分、それでいて何ともいえない抒情性が漂う。

一体何という演奏だろう!音楽理論には素人の自分では適切な形容が思いつかないが、ヌヴーの演奏を聴くとなぜかいつも目頭が熱くなる。

この演奏を前にすると、あれほど永年にわたって愛好し、信奉してきたオイストラフの演奏が何だか急に色褪せてみえてきた。いろんな意味をこめて、少しやわすぎるという表現が当たっていると思う。オイストラフほどの名手でさえもヌヴーに比べると「美しさだけが先走ってしまい音楽が表層に留まっている」印象を受けるのだから不思議だ。

Mさんから聴いた話だが、「レコード音楽の生き字引」「盤鬼」(五味康祐氏著「西方の音」19頁)として紹介されている
西条卓夫氏が当時(昭和40年前後)の「芸術新潮」で、いろんな奏者がブラームスのバイオリン協奏曲の新譜を出すたびにレコード評の最後に一言「ヌヴーにトドメをさす」という表現だったという。どんな奏者でも結局ヌヴーを超えることは出来なかった。

この話を聞いて「そうでしょう、そうでしょう」と、ついうれしくなって何度もうなづいた。ヌヴーの演奏を聴いたのはごく最近でブラームスとシベリウスという二人の協奏曲を聴いただけにすぎないが、その芸術性の高さはすべての音楽作品に通用する普遍性がありそうだ。

結局のところ、オイストラフが若年のときの第一回ヴィエニヤフスキ国際コンクールでの1位(ヌヴー)と2位(オイストラフ)の順番はものすごく深い意味があったのだな~と今更ながら思ってしまう。

それにしても抗しがたい魅力を放つヌヴーは30歳の若さで航空事故で亡くなったが、もし彼女がずっと長生きしてくれたら沢山の名演を遺してくれただろうと思うと残念、残念。ほんとうに惜しいことをした。

ネットでHMVを覗いてみるとヌヴーの演奏したCD盤が4セットあった。(2008.2.3時点)。以前、たしかヌヴー全集が発売されていた記憶があるので購入しようと思ったのだがおそらく既に廃盤になったのだろう。

また、ブラームスではドヴロウェン指揮のものもある。イッセルシュテットと比べてみるのも一興かもしれないと思い早速カートに入れた。3枚セットだと送料が無料になるのでついでにヌヴーと同門の女流オークレールが弾いたブラームスとモーツァルトの協奏曲2セットを抱き合わせたが果たして得失やいかに。


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