「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

魔笛談義~オペラ魔笛の想い出~

2009年07月29日 | オーディオ談義

オーディオ専門誌「無線と実験」の読者交換欄を通じて「アキシオム80」を譲ってくれたT県のSさんとはその後もメールの交換を1日おきにやっている。

お互いに「音楽&オーディオ」好きなので話題は尽きず毎回、Sさんがどんな内容を送ってくるのかが愉しみ。

7月27日付けのメールは次のような内容だった。題して「魔笛の想い出」。

Sさんの友人のNさんは美大を卒業後ご夫婦でドイツに留学、画家として将来を嘱望されていたが精神を病んで極度のウツ症状となり帰国後病院通いをしながらとうとう自殺されてしまった。

当時の14年前のクリスマスの頃、丁度SさんがNさんご夫婦とお会いする機会があり、内田光子さんのモーツァルトのピアノソナタのLPを買ってプレゼントしたところ奥さんが「ありがとう、今は魔笛なの、魔笛ばっかり聴いてるの」と力説されていたのが最後の想い出となってしまった。

以上、要約だがこのメールを見て”大いに触発”されたので返信したのが次の内容。

モーツァルトの創作活動の集大成とも言える魔笛のあの「透明な世界」「人間が消えて失くなる=自殺」とが実に”しっくり”きていて胸にジンときました。たしかに魔笛の世界には人間の生命を超越したものがあってとても言葉なんかでは表現できない世界なんですよね。

自分にも是非、
「魔笛の想い出」を語らせてください。

あれは丁度働き盛りの37歳のときでした。それまで、まあ人並みに出世の階段を昇っていたと思っていたのですが、その年の4月の異動で辺鄙な田舎町の出先機関に飛ばされてしまいました。Sさんには「そんなアホな」と思われるでしょうが役人にとっては人事が全てなんですよね。

ガックリときて傷心のまま、片道1時間半の道のりをクルマで2年間通勤しましたが、1時間半もの退屈な時間をどうやって過ごすかというのも切実な問題です。

丁度その当時コリン・デービス指揮の「魔笛」が発売されクラシック好きの知人がカセットテープに録音してくれましたので「まあ、聴いてみるか」と軽い気持ちで通勤の行き帰りにカーオーディオで聴くことにしました。ご承知のようにこの2時間半もの長大なオペラは簡単に一度聴いて好きになれるような代物ではありません。

最初のうちは何も感銘を受けないままに、それこそ何回も何回も通勤の都度クセのようになって何気なく聴いているうち、あるメロディが頭の中にこびりついて離れないようになりました。

それは「第二幕」の終盤、
タミーノ(王子)とパミーナ(王女)との和解のシーンで言葉では表現できないほどのそれは、それは実に美しいメロディです。この部分を聴いていると頭の中の後頭部の一部がジーンと痺れるような感覚がしてくるのです。

そう、初めて音楽の麻薬に酔い痴れた瞬間でした。こういう感覚を覚えたのは魔笛が初めてです。ベートーヴェンの音楽もたしかにいいのですが、強い人間の意思の力といいますか、ちょっと作為的なものを感じるのですが、モーツァルトの音楽は天衣無縫で俗世間を超越したところがあって人間の痕跡が感じられないところがあります。

魔笛という作品はその中でも最たるものだという気がしますが、晩年のゲーテがモーツァルトの音楽を称して「人間どもをからかうために悪魔が発明した音楽だ」と語ったのは実に興味深いことです。

それからは「魔笛」の道をひた走り、病が嵩じて「指揮者と演奏」が違えばもっと感動できる「魔笛」に出会えるかもしれないと、とうとう44セットもの魔笛を収集してしまいました。これも一種の病気なんでしょうね~。

                
     CD(22セット)         DVD(13セット)      CDライブ(9セット)  

しかし、あれからおよそ30年近くになりますが、あの「ジーン」と頭が痺れるような感覚はもう二度と蘇ってきません。おそらく感性が瑞々しい時代特有の出来事だったのでしょう。

今振り返ってみると、37年間の役人生活で一番つらかった失意の時期が自分の精神史上最もユタカな豊饒の実りをもたらしてくれたなんて、まったく人生何が幸いするか分かりませんよね。

「人間万事塞翁が馬」「禍福はあざなえる縄のごとし」という”ことわざ”を自分は完全に信用しています。人生って結局これの繰り返しで終わっていくんでしょうね~。

これから、久しぶりに魔笛を聴いてみようと思います。トスカニーニ盤、ベーム盤(1955年)、デービス盤、クリスティ盤どれにしましょうか。

                            


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独り言~あ~あ!とうとうクルマの取替えに~

2009年07月27日 | 独り言

7月19日(日)、釣りを終えて疲れきった帰りのこと、出発地の港から3分ほどのT字路の信号機つき交叉点に差し掛かった。

赤信号だったのできちんと一旦停止し、20秒ほど待って青信号に変わったので発進し右折しようと交叉点に入ったところ右側から何と軽乗用車が信号無視で突進してきた。

因みに右側はパチンコ屋の建物がせり出してきていてまったく見通しがきかない。


ギャッ!ブレーキを踏むまもなくガチャンと衝突。「一体どこに目が付いてんだ!」と怒鳴ってみたが相手が厚かましそうな中年のおばはん。自分も青信号で入ってきたと主張して非を認めない。丁度時刻が14時前後のことだった。

当然の成り行きで警察を呼ぶことに。

警察の事情聴取がおよそ1時間半あまり。相手方には50分ほど時間をかけたが自分は10分ほどで済んだ。人身に被害がないので物損事故として処理するが、お互いに青信号と主張しているので証人が欲しいとのこと。

自分の後ろにもたしかにクルマがいたが心理的にも時間的にも係わり合いになるのを迷惑がって進んで証人になるような人はまずいない。自分の経験からもその辺はよく分かる。警察によると、
そういうときはクルマのナンバーだけでも控えておいてくれると後から交通実費を払ってでも警察署に来てもらうのにという談話。

しまった、メモ帳にでも相手のナンバーを書いておくべきだったと思うがもう後の祭り。結局お互いのクルマの保険会社同士で過失割合の話をつけることになった。

その場はとりあえず区切りがついて携帯で連絡した保険会社から呼び寄せてもらったレッカー車にクルマを牽引してもらい、助手席に同乗させてもらってS市を出発したのが16時40分頃。そして今のクルマを購入した別府のディーラー(修理工場)に到着したのが2時間後の19時35分頃だった。

行程76Kmのうち30Kmは無料だそうで以後1Kmごとに500円ほどかかり、これは自己負担。トホホ。

家内のクルマに来てもらって釣り道具一式を引っ張り出して積み込みようやく帰宅の途に。何と言っても獲物を積み込んだクーラーを忘れてはならない。こういうときでも食い意地が張っているしつこい自分に少々驚く。

さて、問題はクルマの修理費用がどのくらいかかるかである。乗車年数が9年6ヶ月、走行距離が19万2千Kmと十分”元”は取ったクルマだがターボつきで280馬力の魅力はいまだに捨てがたい。もし安ければ継続して乗車、高ければ廃車して別の車に乗り換えということに。

翌朝、早速馴染みの営業マンのAさんがやって来てくれた。「お怪我はありませんでしたか?」とまずこちらの身を案じてくれるのは営業上の儀礼かもしれないが思わず心が和む。

しかし、ざっと修理を見積もった段階では肝心の車体のフレームが歪んでいるので最低でも100万円ほどは覚悟して欲しいという無情な宣告。

エッ、100万円もかかるの!それなら買い換えざるを得ないか、「あ~あ」と天を仰いで嘆息。9年半も乗ってこのうえなく愛着があったが、いさぎよく今のクルマへの未練を断ち切ることにした。

もう馬力競争の時代は過去のもの、何もスピードが出て時間が節約できるクルマがいいのではない、今はエコ競争の時代で、ライフスタイルを見直して「時間との折り合い」をうまくつけなければと自分に言い聞かせることにした。

それに、どんなに用心しても事故は起きるし、もしスピードを出しているときに起こりでもしたらタイヘンと今回のことで少々怖気づいたこともある。
 
そうなると、すぐに思いつくのが最近評判の
「プリウス」。しかし、Aさんによると今注文しても納車は来年3月ぐらいの予定だそうで、エコカー減税にも間に合わない恐れがあるとのこと。

乗れるクルマがあるのならともかく、これから来年の3月までどうやって待てというんだろう、いくらなんでもクルマ無しの生活はとても考えられないし~。しかも他の新車にしても1ヶ月ほど待つのは必然ということで、現実的な解決策としてすぐに乗れる中古車を物色することにした。

Aさんのクルマに同乗させてもらって35分ほどでズラリと100台ほどの中古車が並んだ本社の展示場に到着。

まず、しょっちゅう釣りに行くので長距離運転しても疲れないクルマがいい。これまで乗ってきたのは先々代のクラウンなのでとりあえず先代の
”ゼロクラウン”(スーパーホワイト)に目星をつけた。

2台のうち1台は16年式で走行距離3万3千Kmでカーナビなし、もう1台は17年式で5万9千Kmでカーナビ付き。ともに2500ccだが結局カーナビつきに軍配。

Aさんによると他の予約が入る恐れがあるので即座に決定して欲しいとのこと。そこで携帯で我が家の財務大臣のカミサンに連絡をとってみると、新車のプリウスにえらく固執して「3月まで代車みたいに利用できるクルマはないのか」となかなかしつこい、もしそれがダメなときはクラウンでも仕方ないというご返事。

もっともクラウンといっても新車のときの値段には程遠く、軽の新車を購入した場合のカーナビ代や、登録税なんかすべて合わせると費用的に大した違いはないのでいまさらそれほど選択の余地はない。

具体的に話を詰めてみるとこれから車検整備をして登録手続きなどを進めても納車は月末ごろとの話で、結局2週間ほどクルマとは無縁の生活になる。やれやれ。

                          


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読書コーナー~なぜイギリスは本格ミステリーの宝庫なのか?

2009年07月24日 | 読書コーナー

こと「ミステリー好き」という点に関しては人後に落ちず、これまでいろんな国の本を読んできたが、本格ミステリーの宝庫といえばまず「イギリス」に落ち着く。

作家コナン・ドイルの名作「シャーロック・ホームズ」シリーズを嚆矢(こうし)としてアガサ・クリスティ以降、今日に至るまで延々と途切れることなくすぐれたミステリー作家を輩出してきている。

ミステリー作家が多いということは、需要供給の面から商売として成り立つということでその背景にはそれだけ好んで読む国民が多いということになる。

しかし、当然のことながら
「なぜミステリ-がイギリスで発祥し、このように隆盛を極めているのか?」という素朴な疑問が常に付きまとう。

この理由について、興味深い記事が下記の本の152頁に書かれてあった。

   「イギリス病のすすめ」(2001年、講談社文庫)      

本書の著者は田中芳樹氏と土屋守氏でお二人の対談によって構成されている。

題して
「ミステリーとデモクラシー」。そっくり引用させてもらおう。

「ちょっと大げさに言うと、ミステリーとデモクラシーには相関性があるって言いますね。つまり『事件が起きたら証拠なしで怪しげなやつをひっつかまえてきて拷問して白状させる』というような社会では、ミステリーは発達しない。科学的に証拠を固めて、推理して・・・という過程を踏むような社会でこそ発達する~」

ナルホド、なるほど。

中国やアフリカ、南米諸国にはミステリー作家がほとんどいない、したがって読者も少ないという理由もこれでおおかたカタがつく。政治思想犯をとっつかまえて監禁するなんてまったく論外。

ミステリー発展の根源を求めていくと
「一人ひとりの人権を大切にする社会風土と警察の科学的な捜査手法」に突き当たるなんて、なかなかユニークな見方。

イギリスの警察は世界で一番歴史が古い。18世紀に始まった市民警察を前身として1829年には正規の警察組織として発足している。(ウィキペディア)

余談だがスコットランド・ヤード(所在地の地名)といえばロンドン警視庁のことだが、これは日本の首都・東京の治安を一手に引き受ける「警視庁」を「桜田門」と呼ぶのに等しい。

とにかくミステリー発展のためにはそれなりの環境が必要。

ミステリー作家が活躍し幅広く国民各層で読まれるのは社会がある程度健全に機能している証拠の一つというわけで、ミステリーファンのひとりとして何も貢献しているわけではないが何となくうれしい気分になる。

そういう意味でイギリス、アメリカ、フランス(メグレ警部シリーズ)、スウェーデン(マルティン・ベックシリーズ)、そして我が日本などは大いに胸を張っていい。

もっともその日本でさえ第二次大戦前は江戸川乱歩が「怪人二十面相」を書くことさえ禁止されていたくらいで、あの悪名高い「治安維持法」による共産主義者などへの弾圧、「蟹工船」の作者小林多喜二の拷問死なんかを思い起こせば現代と比べるとまさに隔世の感がある。

何ともいい時代になったものだが、さて今日の日本におけるミステリー隆盛の礎を築いたのはもちろんその江戸川乱歩(享年71歳)で、彼の命日(7月28日)がもうすぐやってくる。

日本の推理作家の登竜門として有名な「江戸川乱歩賞」(賞金1千万円)は彼が私財を投げ打って1954年に創設したもので以後、西村京太郎、森村誠一、東野圭吾など幾多の人気作家を輩出しながら今日まで55回を数える。そのほかいろんな新進作家の面倒をみたりして育成に力を注ぐなど彼の果たした役割と功績は計り知れない。

その辺のミステリー発展の軌跡について推理作家「佐野 洋」氏によって詳らかにされているのが次の本。

 「ミステリーとの半世紀」(2009.2.25、小学館)     

佐野 洋氏の自伝ともいうべき本だが、日本ミステリー界の歴史についてこれほど内輪話が載っている本も珍しい。興味津津で読ませてもらったが、江戸川乱歩の思い出と功績については「乱歩さんとのこと1~4」までわざわざ4項目を割いて詳述してある。若手作家による原稿料の値上げなどの要求にも真摯に応じる気配りの細やかな乱歩の人間像が見事に浮かび上がってくる。

そのほか
「冷や汗二題」では次のような面白いエピソードが語られる。

あるホテルのロビーで川端康成氏が座っている前のテレビを三好徹氏と一緒になって中央競馬桜花賞の中継をどうしても見たいがために無断でチャンネルを変えてしまい、後になって関係者からもし相手が江戸川乱歩氏だったら同じようなことが出来たかどうかと詰問される。

そのときは「ううん、乱歩さんだったら、ちょっと躊躇したかもしれません」なんて正直な告白が出てきたりする。純文学とミステリーの間の落差というか、壁みたいなものを物語っているようで面白い。

とにかく本書は全編「リアリティ」に富んだ話ばかりなのでミステリーファンにはなかなか読み応えのある一冊である。

☆ 内田康夫さんの「浅見光彦」シリーズ

表題に便乗する形で、「浅見光彦シリーズ」の読破状況の補強をしておこう。

今年に入って同シリーズを読み漁ったことは再三再四ブログに投稿したが改めて再掲させてもらう。

1月中旬~3月上旬  27冊読破(題名は既に紹介済み)

3月上旬~3月下旬  13冊読破(     〃       )

3月下旬~4月下旬  38冊読破(     〃       )

そして5月上旬~7月下旬まで読破したのが次の14冊。

津軽殺人事件   讃岐路殺人事件   琵琶湖周航殺人歌  上野谷中殺人事件

博多殺人事件  歌わない笛  幸福の手紙  イタリア幻想曲貴賓室の怪人Ⅱ

悪魔の種子   還らざる道   死者の木霊   遠野殺人事件  倉敷殺人事件

靖国への帰還

内田康夫さんの著作は全体で軽く100冊以上になるが、どうやら図書館の在庫が尽きたようで結局、このくらい(92冊)あたりで打ち止めになりそう。今年の前半は本当に「浅見光彦」名探偵に楽しませてもらった。

因みに内田康夫さんは第54回~55回の「江戸川乱歩賞」の選考委員になっている。

                             


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釣り紀行♯51~スズキとボラが釣れた!

2009年07月20日 | 釣り紀行

と   き   2009年7月19日(日)  快晴 海上無風~微風

と こ ろ   S市O島

釣り時間   8時10分~13時20分

       中潮(干潮12時前後)

マキエ     アミ1角+オキアミ1角+パン粉1Kg+集魚材

釣果      ボラ1匹(49cm、1.05kg) スズキ(39cm、550g)
         アジ25cmクラス7匹、クロ(メジナ)手の平~足の裏サイズ5匹

                
                          ボラ                スズキ

「お父さん(自分のこと)は決して釣り名人なんかではないね、たまには鯛みたいな高級魚を釣ってくるといいのに、いつもクロばっかり」小癪(こしゃく)なことを家内が抜かす。

しかし、冷静に考えると当たっていないこともない。いつも同じような防波堤に行って同じ魚(クロ)ばかり釣るのは傍から見ると、「この人毎回よくもまあ飽きもしないものだ」とあきれ返る人が結構いるかも。

しかし、「分かっちゃいるけど止められない」のが魚釣りでクロの強烈な締め込みは手ごたえ十分、手と腕が竿のしなり具合の感覚をよく覚えていて、すこぶる快感付きでどうしても忘れられない。要するに”淫する”というやつでオーディオと相通じるものがある。

それに全然釣れないときのあの退屈さをイヤというほど味わっているので、とにかく何でもいいから魚と名のつくものが釣れれば御の字で贅沢はいえないというのが自分の言い分。

しかし、この日は様子が少々違った。クロの喰いが非常に悪い代わりにボラとスズキという滅多に釣れない魚種が釣れたのである。残念なことに、ともに高級魚ではないがボラはともかくスズキを釣ったのはこれまでの自分の記憶では初めて。

最初に釣れたのは、やや小ぶりのスズキの方。時刻は10時半ごろで干潮が間近の時間帯でウキ下は約2mの竿にきた。始めは大型のアジかと思ったがどうも走り回る勢いがいい。手前にもぐんぐん突っ込んでくるので竿の操作が大変。ようやく海面スレスレのところで姿が見えてスズキというのが分かった。前回と違って今回は面倒くさがらずにきちんとタモ網で掬い取った。

よし、これで今日は来た甲斐があった、後はもう”釣れなくてもいいや”と思ったところホントにそれからパタリと当たりが止った。どうやらあちこち海中を走り回ったので魚が散ってしまったようだ。

それから約2時間ほどは潮どまりと重なってサッパリ。親指大の稚鯛が釣れるぐらいでもちろんリリース。こういうときは、もうどうしようもない。タダひたすら潮が変わるのを待つだけ。

12時半頃になって潮がザブーンと防波堤に当たって波しぶきを立てだした。潮が動き出したらしい。同時に待望のクロがマキエに寄り始めた。ようやくという感じ。

ウキ下50cmの竿に早速切り換えてクロ狙いにしぼった。5匹ほど釣ったかと思うと今度はボラの群れが4~5匹ほどやってきてマキエを食い漁りだした。ボラはご面相のわりに結構賢くて目が鋭く「オモリの付いたハリスは不自然な動き」と思うのか目もくれない。見事に避けるので、オモリを外してマキエの中心にエサの付いた釣り針をそ~っと置いてみた。

スルスルと、目印の玉ウキが動いていく。さっと、竿を立てると見事に掛かった。さあ、それからが大変。ボラがあの流線型の姿体で本気に走ると細い糸はひとたまりもない。リールを操作して糸を緩めたり巻き上げたりと”やりとり”して疲れさせる以外に捕れる方法はない。

竿を弓なりに張ったまま5分ほどファイトをしただろうか。ようやく手元に寄ってきたので海面から上に口をわずかに出させて息を吸わせてやった。抵抗が途端に弱まったのですかさずタモ網を入れて掬った。

これまでのボラの場合、捕れる確率はおよそ1/2。手元に寄せてきて真上で”やりとり”するときに釣り針が外れるか糸を切られるのがほとんど。今回は唇の横にガッチリと釣り針が食い込んでいた。運がよかった。

ボラは通常、見かけは悪いし釣り人にはあまり喜ばれないがきれいな海水のところで捕れたものはまったく匂いがしなくて美味しい。

以下、ネット情報による美味しいボラとスズキの食べ方

三枚卸にしたボラ(スズキ)を薄くそぎ切りにする。氷水の入ったボールに漬け込む。身が白っぽくなり縮かんだら水気を切る。氷を敷いた器に盛り付ける。

しかし、家内は調理が大変といつもボラを嫌がるので少々頭が痛いところ。

結局、ボラ騒動の後はスズキと同様にパタリとアタリが止ったのでこの辺がしおどきと早めの竿仕舞い。

なお、7月中旬ともなると物凄く暑くてペットボトル3本がみるみる空になってしまう。それでも足りないくらい。熱中症になるとタイヘンなので、これまでは真水を準備していたのだが、どうも疲れがとれないのでちょっと工夫して「スポーツ栄養飲料+ビタミンウォーターをミックス」して飲んだところたしかに疲れが少ないと感じた。

効果歴然でこれは新発見。

                          
 


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オーディオ談義~4人のオーディオ愛好家のご来訪~

2009年07月18日 | オーディオ談義

17日金曜日の昼下がり、昼食を終えてくつろいでいたところオーディオ仲間のN松さんからいきなり電話が入った。

「今からアキシオムの音を聴かせてもらいたいのですがいいでしょうか?」「エッ、今からですか!」とさすがに慌てたが、特に予定も入ってないので「どうぞ、どうぞ」。

N松さんには、アキシオム80の修理が無事終わったこともあってつい先日、こちらからお誘いの連絡をしていたので近いうちにお見えになるだろうとは予測していたが、まさか今日になるとは夢にも思わず。

訪問団のメンバーはN松さん、M山さん、A田さん、そしてY口さんの4名、いずれも大分市内にお住まいで以前にも我が家にお見えになった方々ばかりでオーディオ歴の長い猛者ばかりである。

N松さんは普段お見受けするかぎりきちんと予定を立てて行動される方なので、これは推測だがどこかのオーディオショップで偶然出会い、懇談中に急に我が家への訪問の話がまとまり代表して電話されたものと踏んだ。

いずれにしろ、こちらの猶予時間は30分ばかり。まずアンプなどの各スイッチを急いで入れるのが先決。真空管アンプが本調子になるためは電源を入れてからおよそ30分は必要なのだ。

次に部屋の片付け。日頃から整理整頓が苦手なのでこういうときにツケがきてしまい、お客さんが見えるたびにドタバタするのは恒例行事である。まず竿ケースをはじめ釣り道具一式を隣の部屋に運ぶ。そのあとは雑誌、本などを整理し、スペースを確保してから2階からイスを2脚運び入れ。

あらかた準備が整うと、改めていろんな曲目をテスト試聴。おかしなもので、一人で聴いているときは「いい音だあ~」と感涙(?)に咽ぶのだが、耳の肥えた連中に聴かせるとなると急に音のアラが気になりはじめ自信が段々と失われていく。

まるで
入試を目前に控えた受験生の気持ちといえば分かってもらえようか。

不安にさいなまれながらも、時間だけは無情に過ぎてそのうち玄関のチャイムがピンポーン。

「やあ、やあ、お久しぶり~、どうぞ、どうぞ」「突然お邪魔してすみませ~ん」。42㎡の部屋にオーディオ装置やCDケースなどを除いて大人が5人となると結構窮屈になる。部屋は当然デッドになるがアキシオムの高域が多少にぎやかなので丁度いいかもしれないなんて計算が思わず働く。

予想どおり各自持参のCDが見当たらないので、自分が目論んでいたお気に入りのCDを順番にかけていった。

以下、
はジャズ、はクラシック、は歌謡曲

 カインド・オブ・ブルー(マイルス・デヴィス)

 ちあきなおみ全曲集~黄昏のビギン~(男の友情)

 ショパンのバラード1番(ピアノ:エフゲニー・キーシン)

 バッハのパルティータ3番(ヴァイオリン:ヒラリー・ハーン)

 ワルツ・フォー・デビー(ビル・エヴァンス)

 サキソフォン・コロッサス(ソニー・ロリンズ)

 ブラームスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン:ワディム・レーピン)

☆ ちあきなおみ全曲集~黄昏のビギン~(紅とんぼ、君知らず、逢いたかったぜ)

ジャズからクラシック、歌謡曲までまったく多彩でアトランダムの選択のようだが一応は考えてある。

ヴァイオリン、ピアノ、ボーカル、オーケストラ、金管楽器、打楽器など音楽として考えられる主な楽器はほとんど網羅したつもりだし、4名の方とも基本的にジャズ・ファンなのでその辺を考慮してジャズが多くなった。

よその家のオーディオ装置を聴かせてもらって面と向かってけなす人はよほど親しい間柄でなければまずいない。「貴方の息子はバカですね」と言うのと同じことだと聞いたことがある。そういう割り引き面を十分考慮することを念頭においてそれぞれの言葉を羅列しておこう。

「非常にクォリティが高い音」
 
「この前よりもはるかに良くなった」

「”ちあきなおみ”はこんなに歌がうまかったの」

「ワルツ・フォー・デビーのバックに聴こえるカップ(食器)の触れ合う音が生々しい。音のヌケが良くてまとわりつかない」

「こんなに高域が繊細で伸びていたら075(JBL)は必要ない」(因みに当日は075ツィーターを外していた)

「PX25真空管とアキシオム80は相性がいい」

何よりも、皆さんが耳を澄ましている雰囲気でおおよそ音の印象の良し悪しは判断できる。N松さんなんかは”ちあきなおみ”に感激されてCD番号を記載されていた。

自分も改めてよくぞここまで歩んできたと実感した。お仕舞いのほうには、アキシオムが皆が注視する舞台の上で細身の身体をふりしぼって一生懸命歌っているような気がしてきて何だか、けなげな愛娘のように感じ秘かに涙ぐんでしまった。単なる物体に人間並みの愛情を感じたのはこれが初めて。

アンプと違ってスピーカーはやっぱりオーディオ装置の中でダントツのスターなのである。

最後に「サキソフォン・コロッサス」の1曲目”セント・トーマス”で次の実験をしてみた。

 CDをCDトランスポート(WADIA270)で聴いた場合

 配信音楽を取り込んでiPODを利用して「170iトランスポート」で聴いた場合

 CDをパソコンから取り込みiPODを利用して「170iトランスポート」で聴いた場合

ただし、
1、2、3ともDAコンバーターは「WADIA27ixVer3.0」。

皆さんのご意見では「がベストでは甲乙つけがたし」で一致をみたが、は圧縮度やパソコンの能力も絡んでくるので一概によりも劣るとは言えないかもというのが結論だった。

いずれにしても、今日の試聴会はなかなか好評だった。欲を言えばもっと音に厚みと”ふっくら”とした趣がほしい気もするが片チャンネル1本で中高域専用のアキシオムではこれが限界だろう。将来的には2本にする手もあるが・・・。

                              


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オーディオ談義~帰ってきた「アキシオム80」~

2009年07月16日 | オーディオ談義

岡山県のスピーカー修理専門店に出していた「アキシオム80」だが、約束の14日(火)になってもウンともスンともいってこないので、9時前に電話をかけてみた。

店主が出て、「無事、修理が済んで昨日の月曜日に発送したので今日着くでしょう」との返事。それならそうと一言いってくれればいいのに・・・。しかし、予定通りというのはありがたい。

「どういう状態でしたか?」

「悪かったですね。使い方というよりも製造したときからのハズレというものでしょう。アキシオムは製造時期によって一代目~三代目とありますが貴方のは二代目です。マニアが喜ぶのはもちろん一代目で
ツクリの精度がひときわ高いのが理由です。」

「念のため確認しますが大きな音が入ってもビリツキ音はしないでしょうね」

「非常に歪みの少ない状態に調整できています。カンチレバーを本来の位置に取り直してあります。
まあ、聴いてみてください」と、自信満々の返事。さらに「絶対にカンチレバーを締め付けるネジには触らないでください、もちろん誰にも扱わせないでください」とは、これもアキシオム愛好家のために付言しておくべきだろう。そのほかいろいろと細かい調整のノウハウを教えてくれた。

ようやく、ひと安心というところだがやはり実際に聴いてみなければ何とも言えないのはこれまでの経験で百も承知。首を長くして待っていたらやっと11時過ぎに代金引き換え払いで到着。

包装を解くのももどかしく早速アンプに応急的に結線して試聴開始。テスト盤はエンヤの
「カリビアン・ブルー」。

「ペイント・ザ・スカイ~ザ・ベスト・オブ・エンヤ~」      

この曲目はこのCD盤の2番目に収録されているもので冒頭に「ドスーン」という腹にしみわたるような豊かな低音が入っている。このときにビリツキ音がなければまずOK。実に重宝している盤である。もちろん、曲自体も癒し系としてなかなかいいし、エンヤの中では一番好きな曲目である。

修理直後のSPユニットを始めから大きな音で聴くほど自分の神経は太くない。恐る恐る小さな音で聴いてみたが実に澄んだ音がする。「ウム、これならよさそう」。すぐにボリュームをぐんと上げて本格的な試聴に。

「良し!」見事に合格。

これは松戸市のSさんからつい最近購入したうちの1台だが、あんなにジャリついていた音がこんなに良くなるなんてと大いに感激。「さすがに(店主は)アキシオムを300台ほど直してきたと豪語するほどの腕の持ち主だ」と納得。

「これなら、大丈夫と」早速、これまで聴いてきた右チャンネルの「アキシオム80」も修理に出すことにした。普段聴いているレベルでは目立たないが、前述した「カリビアン・ブルー」の衝撃音に対してビリツキが際立つので早く直しておくに越したことはない。

午後からは、平面バッフルに取り付けたアキシオムの交換作業。北海道産の楢材で出来た厚さ5cmの重たいバッフルを降ろしたり上げたりするのにひと苦労。
”オーディオは腕力勝負”なのを改めて実感。汗びっしょりになりながらひとまず取り付けて結線のハンダ付けも終了。

平面バッフルに取り付けた元のネジ穴をそのまま利用したが甘くなっていたので、オーディオ仲間のM崎さんから教えてもらったとおり
爪楊枝を適当に折って4本のネジ穴に放り込んだらきつくなってピタリと締まった。

それからは手当たり次第にいろいろと試聴したが
最後に落ち着くのはやっぱりグレン・グールドが弾くモーツァルトの「ピアノ・ソナタ」。なんだか自然と気持ちが穏やかになりいつまでも音楽の世界に浸りたくなるので自分にとっては子守唄のようなもの。アラウも内田光子さんもピリスも好きだがやはりモーツァルトのピアノ・ソナタはグールドにトドメをさす。

それも、このくらいの名曲と演奏になると細かい音質の差なんか気にならなくなって、CDプレーヤー(ワディア270)よりもむしろiPodを利用した「170iトランスポート」の方がCD4枚分を切れ目なく演奏してくれるので助かる。

それからもう一つ特筆すべきは、よく調整されたアキシオムは実に澄み切った音色になり、しかもふくよかで余韻が奥のほうに広がってゆっくりと静かに空間に溶け込んでいく。それは、それは見事なもので”ため息”が出るほど美しい。「本領を発揮したときは・・・絶品!」と言われるはずである。

「雑音さえ出なければそれでいい」とこれまで雑音の有無だけを修理のポイントにしてきたがこれは大間違いで店主が言うとおり雑音以前の微細な調整の方がはるかに音質にとって重大なことが分かった。

とにかくこれで「アキシオム80」が4台になったのでいつ故障しても大丈夫。これまで突然ご機嫌が悪くなりはしないかとハラハラし通しで友人、知人に
「聴きにおいで」と自信を持って誘えなかったのが一転して勇気100倍である。

さっそく、大分市にお住まいのN松さんに電話してみた。N松さんは古典菅「PX25」アンプがお好きで、ずっと以前から「同じイギリス製のアキシオム80との組み合わせを是非聴きたい」とおっしゃっていたのだが修理の事情を話し、お誘いが遅れたことをお詫びしたところ大喜びされ「近々是非お伺いします」とのこと。こういう「気品のある音」ならどんな人に聴かせても恥ずかしくないと思う。

以上、どうも自己のSPに肩入れしすぎたようで結果的に自画自賛になってしまった。「我田引水」は傍から見てもあまり品のいい話ではないが実際にそう思えるのだから許してほしい。

しかし、世の中は広い。個人の思いつきや工夫などは所詮、高が知れている。
自分以上にうまくアキシオムを使いこなしておられる方がきっといるに違いないし、そういうノウハウをつとに知りたくなってくる。

初代と二代目のユニットの音質の差、相性のいいアンプ、ボックスの材質と大きさ、形態、低域に向けてのコンデンサーによるカット周波数など知りたいことは山ほどある。

全国的に視野を広げて現在「アキシオム80」を愛用している方はどのくらいいるのだろうか?こういうクセのある約50年前のSPユニットに固執するくらいだから音質に相当こだわりを持っている方々ばかりなのは間違いない。

ぜひ
「アキシオム80研究会」みたいな情報連絡網を作りたいものだが~。

                             


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釣り紀行♯50~「たまにはこういうこともあるさ・・・」~

2009年07月13日 | 釣り紀行

と     き     2009年7月12日(日)  晴れ  海上ときどき弱風

と  こ  ろ     S市O島

釣り時間       9時30分~14時20分

           中潮(満潮11時前後)

マキエ        オキアミ1角、アミ1角、パン粉2kg、集魚剤(チヌパワー)1袋

釣   果      クロ(メジナ)1匹500g、ほか足の裏~手の平サイズ19匹
            アジ大1匹、ヒラソ(ヒラマサの子)1匹

                  

何をやっても”うまくいかない”ときというものが人生にはたびたびある。それも連鎖反応みたいに次々に起こるのだからたまらない。

釣りにもそういうことがちょくちょくあるが、今回の釣行がまさにそれだった。もう、くたびれ果ててしまった。

まず、いきなりの話だが
「強壮剤」を飲んだのが事の発端。「さあ、釣りに行くぞ」と元気をつけるため前日の午後にドリンク剤を飲んだのだが、どうもカフェインが入っていたとみえ、いつもの就寝時刻が来ても目が冴えわたって眠られない。日頃こういうのはまったく飲んでいないので効き目がすごいのである。

やっとウトウトしたかと思ったら、もう明け方の午前6時。睡眠不足で頭がボワーとしたまま釣行の支度。どうにか格好をつけて日曜日、早朝の一般道をビュンビュン飛ばして9時発の渡し舟にようやく間に合った。

いつもの防波堤で慣れた手順どおりに竿出しをしてみたものの、いつもと違って万事がどうもうまくいかない。後で考えてみると感覚が鈍っていたのだろう。

 ほんのちょっとした竿のサバキ方の不注意ですぐに仕掛けが縺れてしまう。細い糸を解きほぐすのに時間ががかかる。解きほぐしたときには地合いが過ぎてしまってもう魚が寄って来ない。釣り糸の方もパーマネントがかかってしまい不自然そのもの、魚から丸見えで非常にまずい、といった具合。

 折角大物が来たと思ったらハリス(糸)が切られる。それも、ガン玉を打ったところからプツンと切れている。ゴム張りガン玉を切らしていた為普通の安物のガン玉を打った結果がこれ。0.8号の細ハリスなのでちょっとした傷でもアウト。3匹ほどは逃がしたろうか。しかも横着に構えてタモ網を使わなかった落ち度もある。ウーン、口惜しい。

釣りの世界では大物を取り逃がしたときは
「連れて逃げる」という言葉があって、糸を切った魚は仲間を道連れにするのでしばらくの間は寄ってこない。

3 午後の引き潮が本命と思って期待していたのだが、これがまったく釣れない。急に波が荒立ち、投げた仕掛けが手前に押し寄せてくる。いくらマキエを打ってみてもエサ盗り(小魚)からして1匹もいなくなった。まったく原因不明の潮流。

 前回のように「曇りときどき小雨」みたいな天気が釣りにはベストなのだが、今回は快晴がズット続き天候が全然味方をしてくれなかった。 

以上のマイナス要因が作用して、今回はトンと満足のいく釣りができなかった。疲労感がどっと肩にのしかかる。

「たまにはこういうこともあるさ・・・」と思わなければどうしようもないが、今にして思えば集中力と慎重さを欠いていたのは否めない。

「この場所で、この釣り方なら釣れる」という自信がどうやら「獅子身中の虫」になってしまったようだ。

唯一の収穫は「ヒラソ」(ヒラマサの子、写真)が釣れたこと。刺身にして食べたがアジを一段と上品にしたような味わいでこれは絶品だった。しかしちょっと油断したスキに母と家内に大半を横取りされたのは残念無念。

これが今回のハズレ続出の最後の「総仕上げ」みたいなもので「泣きっ面にハチ」とはこのことか!

                           

 


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オーディオ談義~名器「アキシオム80」のスペアをついに獲得!

2009年07月11日 | オーディオ談義

いつぞやのブログ「オーディオの衰退とその行く末」では、自らの非を半分タナに上げて一方的にオーディオ評論家と専門誌の頼りなさをつい無差別攻撃してしまったが、そのうち1冊だけは今でも少なからず恩義を感じている月刊誌がある。

それは
「MJ」誌、「オーディオ総合月刊誌~無線と実験~」

どちらかといえばメカニックに偏った編集でアンプ製作にかかわる記事が多く、残念なことにハードのことはあまりよく分からないので記事の内容についてはそれほど親しみを持っていないのだが、重宝しているのが巻末の「部品交換」という読者用の頁。

全国に散らばっているオーディオ愛好家の不要になったり、あるいは欲しいスピーカー、アンプなどの機器について「交換」「求む」「売りたし」の区分で掲載されているもので歴史は相当古い。.

もちろん売買に関してはご存知のとおり現在では充実したネット・オークションがあることはあるのだが「正体不明の出品者」にやや不安を覚えるところで、このMJ誌ではその点何よりも住所氏名が始めからきちんと明らかにされており、ある程度安心して取引できるところがいい。

13年ほど前にこの欄に不要になった真空管アンプを売りに出したところ、早速我が家に試聴にお見えになったのが湯布院のA永さんでそれを機縁に今でも親しくお付き合いをしてもらっている。というわけで
MJ誌サマサマなのである。

そして、そのMJ誌に今回またまた
「お世話」になってしまった。「売りたし」の欄を通じてあの待望の「アキシオム80」のスペアが遂に1セット手に入ったのである。

その経緯を記してみよう。

湿度が高い梅雨の時期になるとスピーカー(SP)のコーン紙が湿気を吸収して重たくなるとみえ、極めてデリケートなつくりの「アキシオム80」のご機嫌が悪くなる。それもいつものように右チャンネルだけがやや歪っぽい音を出してくる。

修理に出そうか出すまいか、ギリギリの状況で非常にデリケートな段階だがこういう音が気になりだすとことさら神経質になるのがオーディオ愛好家の悲しい習癖。

思案の挙句、SP修理の達人がいるという東北の有名な「オーディオ店」に修理打診のメールを入れたところ「修理品が殺到していて順番待ちの状態なので予約受付しかできない、それも時期が来年2月頃になる」との話。

「エッ、たかがSPの修理に来年の2月まで待てって言うの?」とビックリ。

この、額面どおりにはとても受け取れそうもない返答に対して、友人、知人に相談してみると、「アキシオムの修理がややこしい割りに儲けが少ないのでおそらく敬遠しているんだろう」「(修理に)自信がないのだろう」「人手が足りないのかも」とのいろんな憶測が飛び交う。

こうなると修理なんかアテにできず
「最後の決め手」として「何とかスペアをもう1セット持っておけば安心」と思うのが当然の成り行き。

とにかく、どんなに故障が多かろうと「アキシオム80」にしか出せない音があるので絶対に手放せないのが実状。極端に言えばこのSPが使用不能になると自分のシステムは崩壊の一途をたどってしまうほどの重要な位置づけ。

同じSPユニットでクラシックとジャズを両方満足して聴かせてくれるユニットは今でも”そうそう”はない。

                          

「本領を発揮したときの繊細でふっくらとした艶やかな響きは絶品!」

しかし、何しろ50年ほど前のSPなのでマニアが簡単に手放すはずもなくここ2~3年ほどはネットオークションで「アキシオム80」と検索しても「該当なし」と表示されるばかりで手に入れるのは夢のまた夢だった。

ところが先日、わらをもつかむ思いで図書館で「MJ」誌のバックナンバーを調べていたところ、何とこの「アキシオム80」を売りますという記事が掲載されていた。発信元は千葉県松戸市のSさん。

急いでご指定の往復はがきで問い合わせたところ、すぐに返事が来て「あいにく締め切った後で応募多数の中、抽選により別の方に譲ってしまったばかり」とのこと。やはりこのSP、マダマダ人気が衰えないものとみえる。

「ウーン、残念」とガッカリしたがその続きがあって、文面では実はもう1セット「アキシオム80」を所持しており、現在の相場は東京あたりで1セット30万円近くもするとのことで高価過ぎるという誠にまっとうなご意見


とにかく滅多に手に入らないSPだし「この方とは話せる」と思って以後メールのやりとりをしているうちに、Sさんが湯布院のまちづくりの”サクセス・ストーリー”に実に詳しい方で人脈も豊富、実際に湯布院音楽祭の創設者であるK藤氏の知人であることも判明。

松戸市と湯布院の距離の遠さを思えばまるで奇跡みたいな話。(別府在住の)自分もK藤氏とはA永さんを通じての知人であり、先日もA永さんと連れ立ってK藤氏宅に試聴に行ったばかり。

それやこれやで、いつの間にか「アキシオム80」を譲ってもいいという話になったが、肝心の価格の方も「ホントにこの値段でいいんですか」というほどの破格の金額で落着。小躍りせんばかりに喜んだのは言うまでもない。これで我がオーディオシステムも死ぬまで安泰となる、実にありがたいことである。Sさんには本当に感謝あるのみ。


現物が届いたのが6日の月曜日。早速アンプに応急的に結線して試聴したところ1台は完璧だったが、もう1台はジャリジャリといった雑音がする。もちろんこれは想定の範囲内で何しろ古いSPなので確率1/2であれば上の出来。値段のことを考えればなおさらである。

しかし、このままにしておくのも勿体ないので修理先を探して今度は岡山県の「リティル・マネジメント」に相談したところすぐに送ってくださいとのこと。修理期間は1週間程度、これまで「アキシオム80」の修繕を300台近くやってきたそうで、それなら経験豊富でひと安心。

お医者さんと同じで手術数が多ければ多いほど腕が上がってくるのと同じようなもんだろう。なにぶんスペアの修理ということなので失敗しても”もともと”と随分気が楽である。修理代の方も一律価格で想像以上に安かった。

因みに、「リティル・・」さんの話によるとアキシオムは、最初のツクリそのものから当たり外れがある微妙なユニットで”いい”のに当たるとずっと修繕が不要、その代わり悪いのに当たると悲劇の始まりだし、ユニットのネジ1本でも不用意に触るとガラリと機嫌が悪くなって素人では修復不可能になるとのこと。

たしかにこれまでの経験でもアタリ・ハズレの確率は前述したように1/2といえるが、
「虎穴に入らずんば、虎子を得ず」まるで”剣の刃渡り”をするようなギリギリのツクリでなければいい音が出ないのも真理である。「工業製品」との違いもそこにある。

ン、「工業製品」? 

自分の勝手な定義によれば「故障しないことを第一義」にして大量生産されている製品のこと。しかし、残念なことにオーディオ機器にもときどき見られるんですよね~、この工業製品みたいなのが・・・。

音質は二の次というか、犠牲にされてしまい何ら美学の感じられない悲しい機器たち。

結局のところ、故障は少ないかわりに”そこそこの音”で安心して聴くのがいいのか、アキシオムみたいに故障が多い代わりに魅力的な音をヒヤヒヤしながら聴くのがいいのか、良し悪しは別として、この選択もオーディオという”遊び”の「際どい楽しみ方」になるのだろう。

さて14日(火)前後には修理を終えていよいよご帰還の運びとなるアキシオムだがどういう仕上がり具合で戻ってきてくれるのか、今のところ期待と少しばかりの不安が交錯している毎日が続く。




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独り言~反貧困ネットワーク事務局長「湯浅 誠」さん~

2009年07月08日 | 独り言

同居中の母(92歳)の介護のため、福岡から来ている姉が新聞を見ながら「やっぱり”いい大学”を出ていないとダメねえ~」と”ため息”をつくように言う。

日頃から弱者には同情的で、人の差別化につながるようなことは滅多に口にしない姉なので不審に思い「どうして?」と訊ねると、「朝日新聞」の土曜特集版
「フロントランナー」(2009・6・27付け)に登場した「湯浅 誠」ゆあさ まこと)さんのことだった。

 「反貧困ネットワーク事務局長」 湯浅 誠さん(40歳)  

姉の言わんとするところは「東大法学部を卒業して自身の立身出世とか、お金持ちになる道がいくらでもあったろうに、あえてこういう社会奉仕に従事しているところがエライ。学歴がいいのにこういう選択肢を選んだことでひときわ「志の高さ」が際立つし第一、社会に対するアピール力が違う」といった趣旨。

ウン!そういう意味なら分かる。

そりゃあ、たとえば東大を出て中央官庁のトップに上り詰めるような優秀なリーダーも国家にとって有為な人材であり十分尊敬に値すると思うが、「自然に頭が下がる」というわけにはいかない。なぜなら民間に比べて給料は安い代わりに「権力と名誉」というものを手中にするから。

夏目漱石が芥川龍之介宛ての手紙で「人は才能の前には頭を下げないが、努力に対しては頭を下げる」と諭したが、湯浅さんの場合は新聞で読む限りでは努力に加えて(公平な社会の実現に向けた)正義感といったことになろうか。

しかし、わが身に置き換えてみてもこういうことはとても実行できそうになく、あくまでも傍観者の立場なので「口では何とでも言える」と思わざるを得ないのがつらいところ。

せめてこの際、自分の「ライブラリー」にしっかり保存しておこうと大きな紙面二枚にまたがる記事の中から湯浅さんの”人となり”と共感を覚えた記事をピックアップしてみた。

 26歳で渋谷の野宿者支援を始め6年後に「自立生活サポートセンター・もやい」を設立。アパートに入る野宿者の保証人を個人で300人分引き受けた。生活保護申請の同行は1千件を超す。なぜ、そこまで人に尽くすのか。「そんなの、オレにもわかんないよ」。屈託なく笑うがその原点の一つが生い立ちにあるのは確かだ。

 3歳上の兄は筋萎縮性の障害がある。新聞社勤務の父、小学校教諭の母のもと一家の生活は兄中心。小学生のとき、養護学校へ兄をたびたび迎えにいった。引け目を感じる車椅子の兄は裏道を通りたがったが、ある日彼は「相手を見返してやればいい」と大通りを通った。帰宅後、兄は母に訴えた。「誠はもう来なくていい」。弱者と強者のはざまで感じた憤りは闘志の種火となった。

 大学に入ったとき、父は「官僚になれ」と言ったが、人に使われるのは嫌だった。ボランティアや平和運動にのめりこみ大学にはあまり行ってない。結局東大の院に入って博士課程まで進んだが友人がやっていた野宿者支援の活動をのぞいたのがこの道に入るきっかけ。

 野宿者、ネットカフェ難民などの背景には雇用の劣化、社会保障費の削減があるのに社会は「自己責任」で片づけてきた。「あんたに原因がある」と言われ、反論できる人はそうはいない。自己責任論は相手を黙らせ問題を閉じ込める。その結果、批判が社会や企業に向かない。

 従来の活動家はどこかマッチョで「どこで爆弾作ってるの」という印象を受けるが、自分の活動家のイメージとは市民がモノを言える場を作る人、いわば「市民の中の市民」。

 「社会をどう変えたいですか」の問に対して。

「ストライクゾーンをもっと広げたい。そうすればボールと判定される人が減り、多くの人が生きやすい社会になる。でもそれは一人じゃ出来ない。だから仲間を集め、「場」をつくり、社会に問いかける。それが私の役割だと思っています。」

著書に「反貧困ー『すべり台社会』からの脱出」(岩波新書:大佛次郎論壇賞受賞)がある。

以上のとおりだが、反貧困運動は平和運動などにくらべてまだまだ層が薄いといわれている。運動に共鳴する人が少ないのである。

その原因は自分が思うに、やはり
「この競争社会にあって、あんたはどれだけ汗をかいたのか?」という疑惑が常につきまとっていて、たとえば言い方は悪いが「働く意欲のない怠け者をわざわざ助けてやることはない」と突き放すところにある。

たしかにそういう人たちが一部にはいるんだろうけれども、湯浅さんたちの活動によってその辺の
「一人ひとりのやむをえない事情」が明かにされていけば、『すべり台社会』の実態が広く顕彰され、社会が貧困問題を正面から受け止める風潮が出て来るのかもしれない。

たとえば近年の東大入学者は富裕層出身が圧倒的に多いという現実は、「どんなに努力しても追いつけない努力」という不公平が既に生まれてきた時点から存在していることを物語っている。

一方には勉強がしたくても家庭の事情で諦めざるを得ない若人たちがいる。つまり「競争は必要」だけれども、せめてある程度の公平な土俵の上で勝負するのが前提でなくちゃね~。

とにかく、これからは「自己責任という言葉は迂闊に使えないなあ~とつくづく思った次第。

しかし、もし自分の子供が
”いい大学”を出ていながら社会奉仕をしたいと言い出したとしたら父親として「エライ!」と感心はするが「よし、分かった!」と気持ちよく後押して社会に送り出せるかどうかとなるとやはり考え込んでしまいそう。

皆さんの場合はいかが?
      
                           


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釣り紀行♯49~「梅雨空がもたらした大漁」と「釣り迷人」~

2009年07月04日 | 釣り紀行

と    き     2009年7月3日(金)、くもり時々雨、海上無風

と  こ ろ     S市O島

釣り時間      8時10分~15時20分

          若潮(干潮12時前後)

釣  果       クロ(メジナ)30cm(560g)クラス6匹ほか多数
            アジ20~25cm27匹
            小鯛数匹、タナゴ数匹

       

先日、クルマを運転していたら前の車の後部ガラスに「釣り迷人」というステッカーが貼ってあった。思わずニッコリしてしまったが、同時に「この人は”釣り”というものが分かっているな~」と思った。

釣りは難しい。どんなに釣り慣れた場所で、どんなにいい仕掛けで釣ろうとも潮流に予測不可能の冷水塊が入ってきただけでまったくといっていいほど釣れないことがある。人間は自然に対して無力でありとても太刀打ちできない。

したがって「自然」を相手にする釣りにおいてはどんな釣り人だって所詮は”迷人”に過ぎず、「いつでも釣ってみせる」と豪語するような怖さ知らずの”名人”は「まっとうな釣りの世界」にはおよそふさわしくない存在。

しかし、分かっちゃいるけどそこは人間の悲しさ、自分はもしかすると
名人”ではなかろうかと錯覚することがままある。

今回の釣行がまさにそれだった。とにかく
「釣れまくった」のである。

九州地方もようやく梅雨の本番となり大雨警報が断続する中、「梅雨の晴れ間」ともいうべきお天気が3日の金曜日に訪れた。降水確率10%の数字にはまったくもってうれしくなる。

今回のマキエは「アミ+オキアミ+パン粉+集魚剤」という必勝態勢のもと、一路S 市のO島に向けて一目散。9時~11時がゴールデンタイムと踏んで自宅を早朝6時10分に出発、高速道を利用して港に着いたのが7時25分。7時40分発の一番の渡し舟にきれいに間に合った。

ところが、ネット情報による降水確率10%はどこにいったのやら、空を見上げると今にも雨が落ちてきそうな曇り空。それに海の色も度重なる大雨でちょっと濁り気味。

しかし大雨にさえならなければむしろ「絶好の釣り日和、こういうときは釣れる」とは経験則でおおかた分かる。それにしても「曇天のメリット」は計り知れないほどの釣果をもたらしてくれた。

防波堤の同じ場所で釣り続けるとエサ盗り(小魚)が居つくのでときどき場所替えをするのがセオリーなのだが、まあ、今回くらいまではいいだろうといつもの場所に釣り座を構えた。

マキエを開始すると10分ぐらいでアジの入れ食いが始まった。それも20~25cmの良型。前回の反省でウキ下を1.5mほどとって始めからアジ狙いに切り換えたのが功を奏した。暗くよどんだ海が糸などの仕掛けを目立たなくしてくれるので大助かり。アジは基本的に回遊魚なのでパタリと居なくなることが多く、釣れるときに釣っておくことが肝心。

そのうち「釣れるかい」と地区のご老人がやってきた。「ええ、型のいいアジがぼちぼちです、クロはもう後回しですわ」。「そうかい、クロよりもアジのほうがおいしいもんな~、クロは寒グロのときは食べるけど夏の時期はちょっとね~」「エッ、地元の漁師さんたちはクロよりもアジのほうを喜ぶんですか?」「そりゃ、そうさ」。それを聞いてますますアジ釣りに専念。

今回の釣りでは7m弱の竿を2本準備した。1本はアジ、クロ兼用のウキ下1.5m用、もう1本はクロ専用でウキ下50cm用。ツケエの方も「オキアミ」と「サシアミ」を2種類準備。魚の学習能力はバカにならないのでいろいろと目先を変えることにも留意した。もちろんオモリの位置も。

小雨が降ったり止んだりのお天気が続く中、そのうち面白いことに気付いた。曇天になって小雨がポチポチ落ちてくると魚の動きが活発になり喰いがよくなる、一方、雨が止んで空が少し明るくなるとすぐに喰いが落ちてくる。

それはそれは、実にハッキリした現象だった。やっぱり釣りは「朝まずめ」「夕まずめ」が一番なんだよね~。こういうことを目の当たりにすると常日頃、太陽がギンギラギンと照りつける真昼間の釣りがいかに不自然で非効率であるかを心底思い知らされるのだ。

さて、アジのゴールデンタイムが過ぎて午後の満ち込みに入ると今度はクロの喰いが活発になった。この防波堤では引き潮が良く、満ち込みの潮はマズイとのこれまでの認識を完全に吹き飛ばす勢い。

それも型ぞろいで次々にグングンと手前の海中深く突っ込んでくるクロを7mの長竿でグッとためて海面まで浮き上がらせるのは釣りの醍醐味ともいうべきもの。うち取り逃がしたのが2匹。大物過ぎて先手を取られ、竿では起こせなかった。

1匹はハリス切れで、もう1匹は道糸の途中から切られてウキごともっていかれた。1300円もするウキだったのに~、残念!道糸が1.5号の細仕掛けなのでときどき竿1本ほど切って仕掛けを作り直し、ガイドにこすれる部分を更新してやらなければいけないのに
サボった報い

しかし、あまりに釣れすぎて時合いを重視し変える余裕がなかったのも事実。2時ごろまでオニギリを食べる余裕もなかったほどで、こういう釣りは近年ではホントに珍しい。お終いには竿を持つ利き腕となる右腕に力が入らなくなってきた。

納竿はマキエがスッカラカンになった15時20分頃。帰りの15時35分発の船に丁度間に合った。

結局、今回は「梅雨空がもたらした大漁」だったが、それも「名人級の独自の仕掛け、読みの深さがあったこその釣果では」な~んちゃって。

                            


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