「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

オーケストラの経営学

2015年03月27日 | 復刻シリーズ

音楽鑑賞をするうえで欠かせないのがオーケストラ(以下「オケ」)による演奏。その「オケ」について演奏レベルなどの芸術的な見地からアプローチした本は多いが、そういう中、ビジネスの観点も含めて多角的に「オケ業界」についてつまびらかにしたのが次の本。 

「オーケストラの経営学」(2008.12、東洋経済新聞社刊) 
 

                    

著者の「大木裕子」さんは東京藝術大学でヴィオラを専攻し卒業後もプロフェッショナルとして演奏活動を続けたが現在〔出版時点)は経営学者として京都産業大学経営学部准教授。

オケの素晴らしさの秘密を知りたい、同時に日本のオケが今よりももっとよい「ビジネス」として成立出来ないものかというのが本書の執筆の動機。

「芸術」と「ビジネス」は水と油の関係かもしれないが、現代においてはないがしろに出来ないテーマである。野次馬根性丸出しで興味のある項目を2点ほど抜粋してみた。

 
日本のオケ楽団員の平均年収

「楽団員にとっては経済に関する話は無縁であまり関心もない。もともと金儲けに興味があれば音楽家にはなっていない」とのことだが、音大に行かせる投資対効果が低い(幼少から音大卒業まで3000万円以上の投資:桐朋学園大学の2008年度納付金だけでも4年間で約800万円)という現実を踏まえて公開されているのが次の資料。(本書の出版時点での数値)

平均年収 700万円以上    
NHK交響楽団、読売日本交響楽団

〃    500~700万円    
東京都、札幌、群馬、京都、九州 各交響楽団、
                    アンサンブル金沢、名古屋フィル、大阪フィル


〃    400~500万円    
大阪センチュリー、広島交響楽団、神奈川フィ
                      ル、山形交響楽団

〃    300~400万円    日本フィル、ニューフィル千葉


〃    300万円以下      関西フィル、京都フィル

「他人の懐具合を知ってどうする」と叱られそうだが、日本にある交響楽団(管弦楽団)員は果たしてアルバイト無しで喰っていけるのか
という意味で取り上げてみた。

因みに飛びぬけて高いのは
NHK交響楽団で958万円(平均44歳)。

また、指揮者のコンサート1回の報酬は、だいたいオーケストラの楽団員の年収が相場で、楽団員の年収が500万円なら1回の指揮者の報酬も500万円というわけ。もちろんこれは一般的な話でコンクール受賞歴がないというだけで1回30万クラスもいるし、小澤征爾クラスになると1000万円以上というランクの指揮者もいる。

さらにソリストもギャラが高くて、特に歌手は飛びぬけている。三大テノール・クラスのコンサートともなると、億を超える出演料がかかる。

 
なぜ日本には世界的オケがないのか

英才教育が盛んな日本のクラシック音楽のレッスンはテクニックに偏り、音を楽しむという本来的な音楽教育が不足していることが原因のひとつ。

関連して優秀な人材が海外のオケに流出するのは、日本のオケには無い「何か」があるから。その「何か」とは演奏者間のコラボレーション(合作)
にある。もともと日本には教会の響きの中で賛美歌を歌いながらハーモニー(和声)を創っていくという習慣が無い。

NHK交響楽団は弦楽器奏者が使用している楽器の値段の合計からいくとおそらく世界一だがそれだけで世界一のハーモニーとならないのは問題がコラボレーションにある。

したがって、日本のオケは「職人的だが、創造性は高くない」というのが定評となっている。

以上のとおりだが、それで思い出したのがベルリンフィルの新しい楽団員の採用方法。当人の「コラボレーション能力」の有無を判定するため、楽団員の全員投票(指揮者でさえも1票にすぎない)によって決定している。

ちなみにオーディオマニアの観点から言わせてもらうとオケに限らずオーディオ機器においても国産品と外国製品との違いは顕著のように思う。国産品は物理特性はいいのだが肝心の音質についての魅力が乏しい。総じて「冷たい音でハモりにくい」といってよい。真空管とかトランスなどの小物類でも同じことが言えるようだ。

しかし、自分が知らないだけでほんとうは国産品でもいいものがあるんだろうが、全体的にマイナス評価が定着しているのでマニアとしても安全な橋を渡りたいばかりに、つい海外製品に目が移ってしまうのは否めない。

しかも、国産品を使うと「何だ、その程度か」と思われるものもちょっとシャクだしねえ(笑)。
 


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負けず嫌い

2015年03月26日 | 復刻シリーズ

1996年2月に亡くなった司馬遼太郎さんは好きな作家の一人なので、折にふれ著作に目を通しているがつい最近「未公開講演録」という本に出会った。

あれほどの国民的大作家なので国内各地で行った講演は数知れないが、その講演録をまとめた本である。

                            

何回も推敲ができる小説と違って、講演は聴衆を前にしての一発勝負でいったん発した言葉は放たれた矢と同じで修正、取り消しがきかないので意外と本音が聞ける楽しみもある。

そういえば、つい最近の国会質疑で安倍首相が自衛隊のことを「我が軍」と言ったとかで物議を醸している。元首相の田中角栄さんが、以前「国会の予算委員会ほど怖いものはない、筋書きに無い質問が出てウッカリ言葉を滑らせると大変なことになる」と言ってた事があるが、その懸念通りとなった。

まさに「着込んだ鎧が衣の下からチラリと顔を出した」ということだろうが、そもそも現実に他国が攻め寄せてきたときには「自衛隊は国防軍」になるんだから民主党もそう目くじらを立てることもあるまいと思うがどうだろうか。

民主党はなにごとにつけ党の存在価値を出そうと躍起になっているようだが攻め手に事欠くあまり、肝心の政策論議は後回しにしてこういう「言葉狩り」に非常に熱心になっている。

それに先般来日したメルケル首相と岡田党首(民主党)の会談において「従軍慰安婦」の問題についても、岡田党首が国益に添わない話をあえて公開するものだからドイツ政府からわざわざ修正の申し入れがあったりする。まさに「党あって国なし」の状況で、これではたして野党第一党としての責任を全うできるんだろうか。

閑話休題。


「司馬遼太郎が語る日本~未公開講演録愛蔵版~」は23話の講演録をまとめた本で、構成はつぎのとおり。

私の小説の主人公達  1~10話

文学と宗教と街道    11~23話

となっている。

居ながらにして司馬さんの講演が23話も聞ける大変重宝な本でいずれも興味の尽きない話ばかりだが、ここで取り上げるのは第20話にあたる。期日:1984年11月29日、開催地:大垣市文化会館、テーマ「日本の文章を作った人々」による講演である。

内容は明治維新になっていったん崩壊した文章日本語が夏目漱石に至って成立したこと、天才漱石の偉大さを讃えるとともにモットーである「則天去私」(天にのっとり私を去る)は生活論ではなくて芸術論であったことを中心に述べている。

はたして漱石は自分の作品の中に「則天去私」をどう発揮したのだろうか。

司馬さんは分かりやすい例として(講演の)冒頭で「素人と玄人の文章の違い」
にふれている。

もちろん司馬さん流のものの見方であることが前提だが、「文章は相手に判ればいいのであって、勝手気ままでよい、そんなに堅苦しいことを言わなくてもいい」という向きにはまったく縁のない話である。

まず、ここでいう素人(アマ)と玄人(プロ)というのは文脈から推すと必ずしも文筆で生計を立てているかどうかという区分でもないようで、つまるところ文章の背景に起因する精神の問題のようである。

さて、一流の作家からみてアマとプロが書いた文章はどこがどう違うのだろうか?

司馬さんによるとこうだ。

「たとえば一流の学者、実業家が文章を書いた場合にもたしかに上手に書けているけれど、一見してこれはアマが書いた文章だと判るケースがある。また、逆にこれはプロが書いた文章だと感じさせる場合もある。

文章の技術ということではアマもプロも違いはないが、決定的に違うところがある。それは文章を書くときの精神の問題で「私心」があるかないかということ。

文章は物を表すためだけに、あるいは心を表すためだけにある。正直にありのまま書けばそれでいい、これが基礎だが、アマはつい格好をつけたがる。「俺が、俺が」と、自己をひけらかしたりするのが私心である。

自己というものは本来、生まれたては清らかだが世間を渡っているうちに競争心が出てくる、負けず嫌いにもなってくるが、文章を書くときにそれを出してはいけない。漱石にも負けず嫌いの気持ちがあっただろうが、それを押し殺しての“則天去私”である。

かいつまむと、以上のような内容だがたしかに自分にもアマの文章家のひとりとして大いに思い当たる節がある。

たとえばブログを書くときにどうしても自己顕示がらみで自慢めいた話になりがちなのをはっきり自認している(笑)。これは明らかに「競争心=負けず嫌い」の気持ちを押し殺していない好例である。

これから改める積もりもないので、
自分にはとても漱石のような「則天去私」の心境には及びもつかないのがよく分かる。そもそも負けず嫌いを押し殺すなんて精神衛生上良くないし、大好きなオーディオだってそれが推進力の一つになっているぐらいなんだからとても無理な相談だ。

結局、これが文章家としても人間としても大成できない理由なんだろうが、別に(文章で)日銭を稼いでいるわけでもなし、(ブログを)読んでくれと頼んでいるわけでもないし、(人生の)残り時間も限られているし、ま、このままアマでずっと行かせてもらうことにしましょう(笑)。
 


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高価なオーディオ機器を購入するときの口説き方

2015年03月20日 | オーディオ談義

オーディオをやり始めてから40年以上ともなると、機器への初期投資も一段落して高価な買い物をしなくて済むようになったのはうれしい限り。何しろカミさんの顔色を窺(うかが)わなくて済むのがいい。

独身の頃ならいざ知らず、既婚の身となると(機器の購入にあたっての)一番の敵は「カミさん」となるのはいずこも同じだろう。

20年ほど前に大型スピーカーのタンノイの「ウェストミンスター」を購入したときは、運び込まれる前日まで家内に言い出せず、とうとう当日になって仕方なく告白したところ、それから1週間ほど口をきいてもらえなかったのを思い出す(笑)。

当時同居していた今は亡き母から「オーディオが好きな娘と結婚すればよかったのに」と、そっと耳打ちされたが、オーディオ好きの女性なんて滅多に居ないし、それに伴侶の選択ともなるといろんな尺度があるのでこれはちょっと無理な話。

母にしてみると“息子可愛さのあまり”の発言だったのだろうが、今思い出してみると「嫁姑」問題が微妙に絡んだややドライな話である(笑)。

「高価なオーディオ機器を購入するときのカミさんへの口説き方」で思い出すのが湯布院町在住の「中谷健太郎」氏(旅館亀の井別荘経営者)が、ヴァイタボックスの「CN191クリプッシュ・コーナーホーン」を購入されたときの新聞記事。

中谷氏といえば周知のとおり今日の湯布院観光の立役者であり、オーディオマニアとしてもつとに知られた方である。

「ゆふいん音楽祭を前に」~想念に身をまかせ世界漂う~と題して朝日新聞にコラムを寄せられていた。

以下、概略。

『わが店の珈琲(コーヒー)ルームに音楽を持ち込んだ。まずはスピーカー「ヴァイタボックス・CN191」、イギリス製の大型コーナー・ホーンだ。~中略~。30年ほど前、「ゆふいん音楽祭が」始まって数年、私が40台後半であったか。
「1日200円で25年間、音楽を楽しもうぜ」とカミさんを口説いて買った玩具だ。アンプはアメリカの「ウェスタン・124型」。350Bという大きな真空管がウリのパワーアンプ。軍隊の通信用に国費で開発されたという伝説があり、「だから凄い」という人と、「だから音楽には向かない」という人がいる。私はどちらでもヨロシ、黙って夜の帳(とばり)に光る真空管を見つめるだけだ。~以下略~』

興味を引かれたのは「1日200円で25年間、音楽を楽しもうぜ」とカミさんを口説かれたという話。

中谷さんほどの方でもオーディオ機器を購入するときはカミさんを口説く必要があったのかという点とそれ以上に、その口説き文句のうまさである。

1日200円で25年間といえば、ざっと計算すると182万5千円である。一度の出費となると大金だが「1日200円」と聞かされると、「何だ、駐車場1時間当たり200円と同じことか」とツイ気が緩む。

CN191コーナーホーンは今でもSPの名器として立派に通用しており、上品で艶のある独特の音質は他のSPには求められない。近年、中国系の富豪が物色しているという噂だが値段は現在でも当時とそれほど変わっていないはずでむしろ上昇気味かもしれない。

                      

それにしてもおよそ30年前の180万円近い出費には誰もがためらいを覚えるはずだが、それを「1日200円・・・」とは、どんなに渋ちんのカミさんだってつい頷かざるを得ないだろう。

日本の代表的な高級機器メーカー「アキュフェーズ社」が看板機種のプリアンプのデザインを(改造のたびに)一貫して変えないのもカミさん対策という噂がある。なぜなら、システムの中でそっと入れ替えてもカミさんに見つかりにくいからという笑うに笑えない身につまされる話を読んだことがある。

冒頭に述べたウェストミンスターを購入した当時、どう言い訳したか定かに憶えていないが、おそらく「ゴルフもやらず、夜な夜な飲み歩くこともないのだから」と、必死にかき口説いたに違いない(笑)。

それかといえば、福岡県在住の高校時代の同窓生O君の場合、奥さんが理解があって名古屋まで一緒にアンプを見に行って購入したという実にうらやましい話もある。

さて、話は戻って「1日200円・・」の話だがこれは、一方では「いいものを買って長く使う」という思想にも相通じるように思う。

現代は概ね「使い捨て」が主流の時代だが、中途半端な機器を繰り返し購入してきた自分の苦い体験から言わせてもらうと、ことオーディオに関しては思い切っていいものを買い、長く使う方が有利だと今となってはハッキリ言える。

どんなに高価なものでも長く使えば使うほど1日あたりのコストは次第に下がっていくわけだし、10年、20年単位で考えると「音質にすぐれた音楽」を長いこと味わえるのでかえって安いものにつく。

問題はテクノロジーの発達で折角の名器が役立たずになる可能性も無きにしも非ずだが、オーディオの世界ではどんなに最新鋭のデジタル機器でもプラス面もあればマイナス面もあるのが常識で往年のトップクラスの機器は時間が経ってもそれなりの存在価値があり決して色褪せることはない。

それに、オーディオ愛好家(=音楽愛好家)が鑑賞している主な対象はクラシックでは名指揮者、名演奏家が活躍した1950年代~1980年代にかけての録音が主流だし、ジャズに至っては1950年代が絶頂期なので、少なくとも録音当時の機器の技術水準以上で聴ければ「良しとすべき」かもしれない。

とまあ、こんなことを書いては見たものの近年はデジタル主流の手軽な音で音楽を聴く層が増えてきているようなので、高価なオーディオ機器なんて場違いの話かもしれない。

音楽愛好家にとって「いい音楽」を「いい音」で聴くことこそ「豊かな人生」を保証するものは他にないのに・・・。


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ラスト・ブレス(最後の一息)

2015年03月19日 | 読書コーナー

このところ、ご近所の知り合いや親せきが相次いでこの世を旅立った。うち、ガンによるものが3人、お風呂場での孤独死が2人で、年齢はいずれも60~70歳代とけっして他人ごとではない。

ある程度の年齢に達すると「死」への覚悟は人それぞれだが、やってくるのが遅いに越したことがないのは誰しも同じ(笑)。

作曲家モーツァルトは「死」に対して次のように述べている。(「ドン・ジョバンニ」を作曲する前の父への書簡)

「二年来、死は人間たちの最上の真実な友だという考えにすっかり慣れております。僕はまだ若いがおそらく明日はもうこの世にはいまいと考えずに床に入ったことはありません。しかも僕を知っている者は、誰も僕が付き合いの上で陰気だとか、悲し気だとか言えるものはないはずです。ぼくはこの幸福に感謝しております。」

モーツァルトはジョークまみれの人間だったので、どこまで本気で書いたのか疑わしい面もあるが、彼の音楽を聴くたびに感じる“えも言われぬ透明感”の由来もその辺にあるのかもしれない。

河合隼雄氏(心理学者、元文化庁長官)の言葉「一流の文化や芸術はその底流に死を内在させている」
について、改めて考えさせられる。

「ラスト・ブレス」(2007.2.15、講談社文庫)という本がある。

                            

本書は日常の中に死がとても身近に存在していることを教えてくれる本だった。著者のピーター・スタークはもともとノンフィクション作家で、過去には「凍死寸前までいった人達が語る雪の記憶」でアメリカの年間ベスト・エッセイ賞を受賞している。

題名の「ラスト・ブレス」の由来は人は常に死と隣り合わせの危険を背負っており、すぐにでも最後の一息(ラスト・ブレス)を吐いて、一生を終える可能性を抱えていることから。

例えば不慮の事故などで死と直面した場合に、人は臨死体験の中でどんな苦しみを味わい、どんな肉体の変化を体験するのか、冒険やスポーツの中で出会う死の真実について述べている。

この本の内容は、フィクション(創作)だが著者の豊富な知識と体験により、症状別に死あるいは瀕死に至る状況がまるで医師がそばで観察しているかのようにリアリティをもってきめ細かく記述されている。

死のパターンとして次の11のタイプに分けられている。

1 低体温症

夜間、外気-33度の山道で車の運転ミスによる自損事故のため、外をさまよい歩いた若者が九死に一生を得た体験。「人はどこまで身体を冷やせば命を落とすのだろうか」医学的に詳細に言及。

2 溺死

アメリカの若者が中国の長江の峡谷で無謀なカヤックの急流下りに挑戦し溺死する。溺死は脳の酸素不足が直接の死因だが、「呼吸が止まってから脳に損傷を与える時間」について検証。

3 高山病

ヒマラヤ山脈のグループ登山に伴い、1名が高山病を発し仲間の介護の甲斐もなく死に至る。
「高度の酸素不足に対する血液の組成の変化により、体液のバランス、心拍や呼吸数の調整」などに及ぶ高山病の解説が実に詳細。

4 生き埋め

森林警備官の警告にも関らず、スノーボードによる雪山滑降に挑戦し雪崩にあって生き埋めになった若者がトランシーバの発信音のおかげで助かる。「雪の下における二酸化炭素による窒息の危険性」について分析。

5 壊血病

単身で長期の航海に出た若者がビタミンC不足のため苦しむが、出航時に恋人からもらったサプリメントを思い出して助かる話。昔、壊血病で死亡した船乗り達の豊富な事例が紹介。例えば、1800年当時イギリス海軍は船員に対する1日21グラムのレモンジュースにより壊血病を免れた。

6 熱射病

賞金目当てに外国の自転車レースに参加した若い女性が途中トップに立ったが、熱射病のためコースから外れてしまい、誰にも発見されることなく死亡する。「熱射病が身体をどう壊すか」について興味深い記述。キリストの死因が熱射病という興味深い説も紹介。

7 墜落死

一人でロック・クライミング中に墜落した会社社長が死亡し、6年後に発見される。墜落するときの描写、墜落後の死に至るまでの状況が臨場感に溢れている。

8 人類の天敵

地球上で最も凶暴な獣、それはホモ・サピエンス(人類)。年間に戦争で死ぬのが94万人。暴力犯罪で20万人。次に毒蛇の被害が10万人、その次がワニで960人、以下、虎が740人、サメは僅かの9人に過ぎない。ここでは新婚カップルが遊泳中、ワニや毒蛇以上に危険なアンドン・クラゲの猛毒に刺されるが人工呼吸により、ようやく蘇生する経過がリアルに描写。

9 潜水病

宝石や銀を積んだ沈船の探索に出かけたダイバーが、銀塊を発見するものの夢中になりすぎて潜水病で意識を失い死に至る。

10 脳性マラリア

スマトラ沖の小島に滞在していた若者がマラリア原虫を持ったハマダラカに刺され脳性マラリアに感染する。病院に運ばれるも手遅れとなる。

11 脱水
症状

人間の場合、体重の6割が水分といわれている。身体が耐えられる水分の減少は体重の3~4%だが、0.8%が失われると脱水症が始まる。サハラ砂漠でベドウィン(遊牧民)ゲリラの取材に加わった都会人が長期の旅程のさ中に砂漠の真ん中に置き去りにされ脱水症状に見舞われる。

以上のとおり、ひとくちに死と言っても病気以外にも実に様々なパターンがあるが、熱射病や脱水症状、溺死などは日常の生活圏の範囲であり、ちょっとした旅先の事故、無理なスポーツのせいで誰もが「ラスト・ブレス」の可能性を秘めている。

改めて死という危険な罠に対する用心深さについて考えさせるものがあるが
、本書を通じて言えることは「自分の体力に過信は禁物、人の忠告に素直に耳を傾けること」に尽きるようだ。

なお、この本は死を取り扱っている割りには読後感は決して暗いものではない。「人は誰もが死ぬ」という単純にして深刻な問題を客観的にサラリと記述し、時には宗教的な彩りも加えている。

死を身近なものとして受け止め、敬虔な気持ちにさせる不思議な本だ。

 


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二兎を追うもの一兎を得ず

2015年03月17日 | オーディオ談義

オーディオ仲間のGさん(福岡)が製作されたアンプ(以下「Gアンプ」)が我が家にやってきてから早くも1週間あまり。

         

いろんなCDをとっかえひっかえしながら聴くものの、専ら音楽の方に関心が行ってしまい、音質の方はつい二の次になってしまう。もちろん、試聴する方の耳もあまり当てにならないのはいつものとおり(笑)。

その点、オーディオ仲間と一緒に聴いていると不思議と冷静になって正常な判断がくだせるのが不思議。

そこで、強力な応援隊のご登場である。

同じ「AXIOM80」仲間のKさん(福岡)が試聴にお見えになったのは去る12日(木)のことだった。以前のブログに記したように、このアンプはすでに8日(日)にKさん宅で鳴らして好評を博していたが、機器の周辺環境が変わると音質が一変するので、我が家ではどういう鳴り方をするのかKさんも興味津々。

当日、
11時ごろにお見えになったKさん、ひとしきり聴いていただいた後に洩らされた言葉は次のとおり。

「とにかく静かで音がスッと立ち上がる印象」「音を散らさないで克明に鳴らす」「細かい音をよく拾う」「音の消え入りどきが実に美しくてトランスドライブの良さが出ている」など、耳当たりのいいことばかり仰ったが、世の中に100%完全なオーディオ機器なんか存在するはずがないので、きっと意識して言葉を選ばれているに違いない(笑)。

もっとホンネを引き出す必要があるが、こういうときは具体的なテーマを設定してヒアリングテストするに限る。

そのテーマとは次の二つ。 「プリアンプとの相性を探る」 ☆☆ 「ベストマッチの整流管を探る

まず☆「プリアンプとの相性」から行こう。これには今のところ4つの選択肢がある。

(1) プリアンプ1号機、(2) プリアンプ2号機、(3) トランス式アッテネーター、そして(4) DAコンバーター(ワディア:ボリューム可変)との直結

機器によってそれぞれ得るもの、失うものがあったりしていつものとおりプラス、マイナスの差引き勘定となったが、結論から言えば一番相性が良かったのは(3)だった。

Gアンプの入力トランスのインピーダンスは600Ωと低いが、「トランス式アッテネーター」の送り出しが600Ωなので、やはりインピーダンスがマッチングしているのは非常に強い。

試聴盤の一つとして使ったのは村田英雄(歌謡曲)のCD。エッと驚く向きがあるかもしれない(笑)。

         
 

何しろKさんの愛聴盤なのでこちらも自然に感化されてしまったが、彼の声の再生はなかなかの難物である。

あのチカラのみなぎったダミ声をきちんと再生するにはシステムの方にかなりのエネルギー感が要るが、その点で(3)が図抜けていた。「声に張りが出てきましたね」とKさん。

「中音域」にエネルギー感が充満している気配があって、これだと低音不足や高音不足をあまり感じないのがとてもいい。しかし、当然失うものもあって、プリアンプを通したときの雰囲気の柔らかさ、奥床しさなどは望むべくもないが、こればかりは仕方がない。

「力感」と「エレガンス」の両方を得ようとするのは、ちょっと虫が良すぎる。「二兎を追うもの一兎を得ず」なんだから(笑)。

こうしてGアンプの接続が決まったところで、次に☆☆の「整流管の相性探し」へ移った。真空管マニアにはこたえられない「球転がし」である。今回Kさんが持参された真空管は次のとおり。

          

ちなみに画像右側の2本の大型の真空管はカニンガムの「50」(ナス管)である。このGアンプは出力管のWE300Bと「50」についても能力的に6割程度なら鳴らせるとのことで、Kさんからわざわざ持ってきてもらったもの。

この「50」はヒーター電圧が7.5Vなので能力全開とはいかなかったが、もしGアンプを「50」専用に改造すればさぞやと思わせるような豊かな音質の片鱗を感じさせた。

次に、整流管だが左からSTCの「5R4GY第3世代」、レイセオンの「5Y3G」、シルヴァニアの稀少管「大型GT」。ヒアリングテストの結果いずれも甲乙つけ難しで、それぞれに良さがあったが、総合的には「大型GT」が一番気に入った。

繊細さが身上の「AXIOM80」から豊かさを引き出せれば、それだけで合格だがこの球はその点で一日の長があった。今回この球に接したのは初めてだが、自分を含めてほとんどの方がご存知ないに違いない。

総じて言えば、自分も含めて市井の真空管マニアはどうしても多くの真空管に接する機会が無いので購入するにしても選択肢が限られているのが非常に淋しい。したがって評論家の記事を鵜呑みにしたり、名の通ったブランド球を選択してしまい「まあ、いいか」になりがちだが、まだまだ世の中には埋もれた名管が数知れずあることをKさんを通じてこの2年間しっかり学んだ。

それにいくら真空管を知っていても実際に試聴出来る環境にないと意味がないのだが、Kさんのおかげで数々の名管を実際に鳴らすことが出来たのは大きな収穫だった。それに有名ではない球なのでオークションでも比較的安価に手に入るのだからたまらない(笑)。つまるところ、オーディオはマンパワー(人的資源)だとつくづく思う次第。

「アンプの性能がいいのでどの整流管を挿しても見事にその差を明らかにしますねえ」とKさん。

「今度オークションでこの球を見かけたら絶対に私が落としますのでどうか邪魔しないでくださいね」と、Kさんに強く念を押したのは言うまでもない(笑)。

ところが、昨日(16日)ふと思いついて、市内在住の真空管収集家Mさんに大型GT管の在庫を照会したところ、次のようなメールが返ってきた。

「△△さん、シルバニア製大型GT管は元箱品在庫有ります。これは〇〇の高信頼管となります。つまり最高級品という事です!金額は@¥0000です。在庫は複数あります!今ではUSAでも殆ど出て来ませんし・・・出たら高くて買えません。」

ラッキー!すかさず2本ゲット(笑)。


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ユダヤ教徒が豚肉を食べない理由

2015年03月15日 | 復刻シリーズ

9.11のテロ以降、世界中で何かと物議を醸しているイスラム教信者。

「21世紀は文明の衝突になる」と予言したのはS.P.ハンチントン元ハーバード大学教授だが、見事にその予言は的中した。

現代人にとって世界中にあるいろんな宗教に対して無関心であることはもはや許されない状況になっているが、その一助として
ずっと以前のブログで「寒い地域でイスラム教が広まらなかったのは戒律によりアルコールが禁じられていたのが原因」という趣旨のことを書いたことがある。

そして、同様に疑問に思ったのが
「豚肉を食べることが禁止されている理由」。

これはイスラム教だけでなく、ユダヤ教でも同様だが、豚肉の赤身は(2007.6.7:「脳によく効く栄養学」)のところで記載したとおり、精神の安定に必要なセロトニン生成の原料となるトリプトファンの割合の含有量においてトップクラスの食物とされているので、栄養学上これを食べないというのは実にもったいない話。

合理的な理由を是非知りたいと思っていたところ、たまたま朝日新聞社発行の月刊誌(「一冊の本」2008.1.1)
を見ていたらその理由が詳細に記載されていた。
            

                            

「宗教聖典を乱読する 5 」~ユダヤ教(下)~(61~65頁)著者:釈 徹宗氏

豚は食材として大変効率がいいのは周知の事実。中国料理では「鳴き声以外は全部使える」といわれているほどである。栄養価、料理のバリエーションなどとても優れている食材をわざわざ避けるのは生物学的にも不自然だし、人類学的にも一つの謎となっている。

この豚肉がなぜ禁止されているのかは昔からラビ(ユダヤ教の聖職者)たちの間ですら論争が続いている。様々な理由づけを列挙してみよう。

 
美味しいものを避けることによって、大食の罪を諫めた。美味しいからこそ食べない!

 豚は雑菌が多く、当時の保存法では問題が多かったため食することが禁じられた。これは今でもよく使われる説明で、雑菌が発生・繁殖しやすい風土というのも関係している。

 異教徒の中で豚を神聖視する人たちがいたので差異化を図った。

 豚という動物が悪徳を表すイメージからタブーとした。たとえばひづめが割れているのは「善悪の識別が出来ない」などで、宗教はシンボルが重要な概念になっている。

 合理的説明は不可能。食規範はまったくの恣意的であり何の秩序もないという説。

 克己心や人格を形成するためという説。つまり不合理な禁止により結果的に人格が鍛錬される。1と関連している。

 食事のたびごとに神への忠誠を再確認させる。

以上のとおり、さまざまな理由づけがなされているが、人間の生理(食、性、睡眠など)にまで価値判断が持ち込まれているのは宗教だけが持つ特徴であり、その背景としては人間の本能がもろくて簡単に壊れやすいことが念頭に置かれている。

たとえば、「好物を見たら、満腹でも食べてしまう」「繁殖以外の目的で性行為をする」といった行動はほとんど人間だけの特性といえ、人間以外の動物は本能の働きにより、過剰な行動には自動的にブレーキがかかる。

ライオンが満腹のときは目の前をシマウマが通っても襲わないというのはよく聞く話で、「自分の生存を維持するための行動」「自らの遺伝子を残すための行動」が基本となっている。

結局、それだけ人間というのはエネルギーが過剰であり旺盛なので一歩間違うと人間という種自体を滅ぼす危険性を有している

その意味で、人間は本能が壊れやすい動物であればこそ、その過剰な部分をコントロールしストッパーの役目を果たしているのが「宗教」である。

したがって、「なぜ、豚肉を食べないか」に対する最も適切な答えは「神が禁じたから」となる。つきつめればそこへと行き着いてしまう。

ユダヤ教にはさまざまな宗派があるが共通基盤があって、それは「唯一なる神を信じ、安息日や食規範などの行為様式を守ること」にある。この基本線に関してはどの宗派も共有している。そして敬虔なユダヤ人にとっては、「律法を守ることそれ自体が喜び」
なのである。

以上のとおりだが、「自分を律するために、あえて美味しいものを食べない」というのは、まったくの「眼からウロコ」で、それからすると総じて仏教徒たるもの、ちょっと自分に甘すぎて己の欲望に走り過ぎるきらいがあるのかもしれない。

「オーディオマニアは自分を律するために、日頃から“いい音”で聴いてはいけない」な~んちゃって(笑)。
 


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音楽もオーディオも最後は「ハーモニー」

2015年03月13日 | 音楽談義

往年の名ピアニストであるエドウィン・フィッシャーの著作「音楽観相」(1999.5.31、みすず書房)という本の巻末に指揮者ブルーノ・ワルターが1935年にウィーンの文化協会で「音楽の道徳的なちからについて」と題して行った講演の原稿が収録されている。

                 

絶えて久しい「道徳」なんて言葉を聞くといかにも”かた苦しそう”だが中身の方は意外にも音楽に対するワルターの気取らない率直な思いが綴られたもので、約75年前の講演にもかかわらず現代においても少しも色褪せていない内容ではないかと思える。

以下、中身を自分なりに噛み砕いてみたが、興味のある方はどうか原典を読んでいただきたい。

はじめに「はたして人間は音楽の影響によってより善い存在になれるものだろうか?もしそうであれば毎日絶え間ない音楽の影響のもとに生きている音楽家はすべてが人類の道徳的模範になっているはずだが」とズバリ問題提起されているところがたいへん面白い。

ワルターの分析はこうだ。

 恥ずかしいことながら音楽家は概して他の職業に従事している人々に比べ、べつに少しも善くも悪くもない。

 音楽に内在する倫理的呼びかけ(心の高揚、感動、恍惚)はほんのつかの間の瞬間的な効果を狙っているにすぎない、それは電流の通じている間は大きな力を持っているが、スイッチを切ってしまえば死んだ一片の鉄にすぎない「電磁石」のようなものだ。

 人間の性質にとって音楽が特別に役立つとも思えず、過大な期待を寄せるべきではない。なぜなら、人間の道徳的性質は非常にこみいっており、我々すべてのものの内部には善と悪とが分離しがたく混合して存在しているからだ。

以上、随分と率直な語りっぷりで「音楽を愛する人間はすべて善人である」などと「我田引水」していないところがとてもいい(笑)。
「音楽の何たるか」を熟知しているワルターだからこその説得力ある言葉だろう。

あの音楽の美に溢れた素晴らしい作品を生み出し、演奏したりする音楽家が「どうしてこんな恥ずべきことを」なんていう例は過去において枚挙にいとまがないくらい。たとえば清らかな美と透明感に包まれた最晩年の傑作「魔笛」の作曲中に酒池肉林に耽ったモーツァルト、お金の勘定にとてもうるさかったベートーヴェン、親友の妻を寝取ったワーグナーなどぞろぞろ出てくる。

音楽家でさえそうなのだから、指揮者や演奏家、そして音楽を聴くだけの愛好家に至っては推して知るべし。自分の例を引き合いに出すまでもなく、音楽に人格の涵養を期待するのはとても無理な相談である(笑)。

したがって、ワルターが言うところの「音楽=電磁石」説にはまったく共感を覚える。

と、ここで終わってしまうとまったく味も素っ気も無い話になってしまうが、これからの展開がワルターさんの偉いところであり感じ入るところである。

「それでも音楽はたぶん我々をいくらかでもより善くしてくれるものだと考えるべきだ」とのご高説。音楽が人間の倫理に訴える”ちから”、つまり「音楽を聴くことで少しでも正しく生きようという気持ちにさせる」効果を信じるべきだというわけ。

ワルターは自分の希望的見解とわざわざ断ったうえで音楽の倫理的力を次のように語っている。

「<音楽とは何であるか>という問いに答えることは不可能だが、音楽は常に<不協和音>から<協和音>へと流れている、つまり目指すところは融和、満足、安らかなハーモニーへと志向しており、聴く者が音楽によって味わう幸福感情の主たる原因はここにある。」

音楽の本質がハーモニーならその召使いにあたる
オーディオだって当然、右へ倣えだろう。

以前、とあるオーディオマニアから聞かされた言葉「オーディオは周波数レンジを追いかけるとキリがありませんよ。」は、今となっては思い当たることが多い


やれ低音がどうとか、高音がどうとか、一日も早く周波数レンジの呪縛から解放されたいものだが、ヤレヤレ(笑)。

               


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「スピーカーはアンプに助けられ、アンプはスピーカーに助けられ」

2015年03月10日 | オーディオ談義

先日のこと、同じ「AXIOM80」仲間のKさん(福岡)から、「新しいアンプを導入しましたので聴きに来ませんか」というお誘いがあった。冬は天候不順で雪が降ったりするとクルマでの長距離運転がアウトなので、ずっと家に閉じこもっていたのだが、ようやく春の息吹がそこはかとなく感じられるようになって「よし、行ってみよう」という気になった。

それに真空管アンプづくりの手練れ「Gさん」(福岡)もお見えになるというから、情報交換には願ってもない話。

8日(日)は朝から透き通った青空のもと、見事な快晴でまさにドライブ日和。

「もう歳なんだから、あまり飛ばさないようにね!」という家内の声を背に受けて「そのくらい言われんでも分っとるわい」と内心呟きながら出発したのが8時50分ごろだった。

いつものペースで高速をすべるように縫ってKさん宅へ到着したのは丁度10時20分頃で所要時間は1時間30分。

「いやあ、お久しぶりです」。既にKさんはお目当ての真空管アンプ「50」シングルを鳴らされていた。

「12A → 71A → 45 → 50 → 2A3」と、RCAとウェスタンの暗闘を背景に脈々とつながる古典系出力管の系譜をこよなく愛されているKさんだが、この50アンプの導入でようやくすべて完成の暁となった。 

「音がいい」とされる直熱三極管の両雄として並び称される「WE300B」(アメリカ)と「PX25」(イギリス)には絶対に手を出そうとされないのがKさんのポリシーである。「AXIOM80を鳴らすには、71A~2A3で十分です。」

当日はうっかりしてカメラを忘れたので画像で紹介出来ないのが残念だが、すこぶる大きなアンプである。そもそも「50」自体がPX25(ナス管)並みの大きさだから、この重厚長大さは仕方がないところだろう。

そして、音も見かけどおりだった。惚れ惚れするような屈託のない音が朗々と部屋中に鳴り響く。低音域がやや薄い傾向があるAXIOM80からこれだけ分厚い響きを引き出せればもう満足の一言で、いやあ、恐れ入りました。

「スピーカーはアンプに助けられ、アンプはスピーカーに助けられ」とはN沢さん(福岡)の名言だが、これ以上“しっくり”くる言葉がないほどの名コンビぶり。

いやあ、自分もこういうアンプが欲しいなあ・・。

厚かましくも昼食をご馳走になって午後からは予定どおり、Gさんが合流された。何やら重たそうなアンプを両腕に抱えてのご到来である。

「オヤッ、それは何ですか?」

「つい最近完成した古典管のシングルアンプです。厚さ2ミリの銅板シャーシで作りましたので磁界の不安とは無縁です。ドライバー管、出力管ともに1920年代の同じ古典管を使ってます。

入力トランス、ドライバートランスを組み合わせたトランス結合型です。整流管は“5R4GY”系統と80系統のどちらかを選択できるようにしています。WE300Bも50もピン配列が同じなので6割程度の力なら鳴らせます。

ハム音ノイズには自信があります。どんなに高能率のスピーカーを持ってきても大丈夫です。AXIOM80でどういう音が出るか興味があったので持ってきました。上手く鳴ってくれればオークションにでも出そうかと思ってます。」


こういうチャンスに恵まれるからオーディオ訪問は止められない(笑)。興味津々で聴かせてもらったが、「50」アンプに優るとも劣らないような鳴りっぷりである。

低音域の分厚さでは一歩譲るものの、全体的な音抜けの良さ、スピード感はこちらの方が上かもしれない。音の立ち上がりと立下りがいいので余分な音がまとわりつかない。したがって美しいハーモニーが自然に出来上がる。

一同感嘆の声をあげながらいろんなジャンルをひとしきり試聴して、次に整流管の「球転がし」に移った。切り替えスイッチなしでいろんなタイプの球を差し替えられるのだから遊び心”満点である。

Kさん所有の「WE274B」「シルヴァニア274B」「レイセオンVT244=5U4G」「カミンガム380」「レイセオン80」「アクチュラスのブルーの80」「WE422A」などと有名どころがズラリ(笑)。

緻密なアンプほど真空管の性質を克明に再現するので「球転がし」ほど面白いものはない。真空管愛好家にとっては願ってもない試聴会である。

「やっぱりWE274Bがベストですね。実に自然な佇まいになります。次がカミンガムの380というところでしょうか」と衆議一決。

それにしてもこのアンプ、たまらないほどの魅力的な音を出す。まるで麻薬のような吸引力を持っている。思わず
「このアンプ、ちょっとお借りして試聴させてもらえませんか?」と、口をついて出た。

「いいですよ。」と、Gさんからご快諾を得た。

予定の帰宅時間を早めに切り上げて(Kさん、ゴメン!)、お礼の言葉もそぞろにこのアンプをクルマに積んで飛ぶようにして高速をぶっ飛ばした。帰心矢の如し~(笑)。

おまけに、ものはついでとKさんからシルヴァニアの274Bまで強奪する始末。

まだ日が明るいうちに無事到着してさっそくAXIOM80との結線を終えて試聴に入った。早朝に鉄砲玉のように出かけた亭主がまなじり”を決して帰宅するなり夕食もそっちのけで持ち帰ってきたアンプに没頭するのだから家内もさぞやあきれ返ったことだろう。

「念のために言っておくけどこれは借りてきたアンプだからな。購入したんじゃないからな。」と、念押ししたのは言うまでもない。いつもこの手を使うのだが(笑)。

          


「やっぱり見事な音だ。これなら低音の補強は要らない。」というのが第一印象である。それにきれいに回路を左右対称に作ってあるせいか、セパレーション(音の左右分離)が抜群でまるでモノアンプが2台あるような印象を受けた。少なくとも我が家においてはこれまで「AXIOM80」を鳴らした中ではベストの音と言ってよかろう。

ただしプリアンプ類の選択に迷った。「トランス式アッテネーター」「E80CC・プリアンプ1号機」「E80CC・プリアンプ2号機」といろいろ差し換えてみたが、それぞれに良さがあって甲乙つけ難し。このアンプはややゲインが低いせいか、プリアンプの目盛が通常9時の位置で使っているのに目盛をグンとあげて3時頃になってしまう。

そこで、ふと思い付いたのがDAコンバーターとの直結である。ワディアの「27ixVer3.0」は0~100までのボリュームが付いているが、80前後で使ってやるのが一番安定している。「シンプル・イズ・ベスト」なので試しに繋いでみたところ大概のCDが「70~100」の間で聴けるようでこれは理想的な範囲である。

音自体も悪くはないようだが、早計は禁物。もっと時間をかけて判断してみることにしよう。

また、我が家の整流管の聴き比べでは、やはり借りてきた「シルヴァニアの274B」がベストだった。

「274B」の型番は1本も持ってないのでどうにかして手に入れたいところだが、Kさんからは「整流管だけはオークションで手を出さない方が無難ですよ。中古品のそれこそ寿命が間近の球でもそこそこ音は出ますからウッカリ変なものをつかまされますよ。」と忠告を受けている。したがって、信頼のおける専門店か知人から購入するのがベストのようで、最後はKさんに泣き付いてみよう。

今年の1月早々にJBL375用のホルンを「北国のおじさん」からいただいて、ここ2カ月ばかり専らJBLシステム中心のオーディオ三昧だったが、ようやく「AXIOM80」が名コンビを得て愁眉を開いたようである。

後はKさんと条件面についてじっくり話し合うことにしよう(笑)。


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オーディオマニアに女性が少ない理由

2015年03月07日 | オーディオ談義

このところ、日本列島を震撼させている川崎市の中学一年生殺人事件。いろんな見方があるんだろうが、自分は次のように考えている。

 死者に鞭打つつもりは毛頭ないが、被害者が学校に行かなくなったことがそもそも事件の出発点になっている。義務教育の対象である中学生がさしたる理由もないのに学校に行かないなんてちょっと首を傾げざるを得ない

 加害者も被害者もそれぞれ親の監督不行き届き

☆ 学校の先生が血の通った生徒指導を行っていない

この事件を聞いたときに真っ先に連想したのは、おそらく担任の教諭は女性だろうと思ったのだが蓋を開けてみると案の定だった。不登校の間にこの女先生は何回も被害者の家庭に携帯で連絡をとったようだが、なぜ直接会おうとしなかったのだろうか。

中学生の不登校といえば一生を左右するような重大な岐路のはず。夜間、ゲームセンターなどに行けば簡単に会えただろうに。おそらくタフな熱血型の先生ならそうやったはず。そうすると事件は別の展開を見せた可能性がある。

学校の先生はサラリーマン的な感覚で勤まる職業ではない。相当の覚悟が要る。「人づくり」は最も大切な職業で、文字どおり「聖職」なんだから、時間外においても必要があれば全身全霊で子どもの指導にあたらねばならないが、その点、一般的に女の先生というものは生徒からみてはたして頼りになる存在になっているのだろうか。

体格のいい男の先生のような「威圧的な指導力」も無視できないところで、それにこれは同情すべき点だが、放課後の帰宅時間ともなると自分の子供のこととか、今晩のおかずの買い物とかいろいろ雑念が入ることだろう。

一般的に女性は真面目でコツコツと勉強するからペーパーテストには強いので比較的難関とされる「教職員採用試験」にも合格しやすいが、実はこういうところに落とし穴が潜んでいるように思う。

近年「男女共同参画社会」の御旗のもとに、女性の社会進出がめざましいがそもそも「向かない仕事」というのもやはりきちんと整理しておく必要がありそうである。

たとえば、すぐに思いつくだけでもプロ野球やサッカーなどスポーツ関係の監督などがそうだが、ほかにも音楽に関して言えば指揮者も例外ではない。

ずっと以前のブログで「指揮者に女性が育たない理由」と題して投稿したことがあるが、以下、かいつまんで要約してみると、

音楽評論家の青澤忠夫氏は、指揮者にとっての「技術」を「オーケストラに巧く音を出してもらう能力」と定義する。

「楽員たちを掌握する力も含まれるし、作品解釈や説得力、人間性、政治力、複雑な人間関係なども絡んでくる。そして、他人の出した音に対して管理者として責任を取らされる」(「名指揮者との対話」春秋社)。

つい「悪いオーケストラはない、悪い指揮者がいるだけだ」という諺を思い出す(笑)。

さて、世界的に著名だったピアニストのアシュケナージは指揮者への転向を見事に果たしたが、その言によると責任が分担されるから指揮のほうが気が楽だと感じるらしい。「仮にぼくがミスをしても、いいオーケストラなら、なんとかカバーして僕を助けてくれますからね。ピアノを弾くときは、誰も助けてくれませんよ」。

指揮をするにあたって、ピアニスト出身者は断然有利だというのが彼の見解。ピアノはヴァイオリンなどと違って広い音域を再現できる楽器だから、容易にオーケストラという媒体に移行できるとのこと。

あの名ピアニストのリヒテルもコンドラシンの手ほどきで10日間で指揮法を学びプロコフィエフの「協奏交響曲」を指揮し、作曲家本人は満足したが肝心のご本人は金輪際ごめんだと思ったらしい。

「嫌いなことがふたつあるからです。分析と権力です。オーケストラの指揮者はどちらも免れることはできません。私向きではありません」。

リヒテルの質朴な人間性の面目躍如といったところだが、因みに、バッハの作品演奏にあたって三大名演奏があるという。

カール・リヒター指揮のマタイ受難曲、タチアナ・ニコラーエワ女史(ピアニスト)の「フーガの技法」、そしてリヒテルの「平均律クラヴィーア曲集」だそうで、ことほど左様にリヒテルさんは偉大なピアニストなのだ。

話は戻って、こうしてみると、指揮者とは音楽の才能ももちろん必要だがそれ以外にも管理、監督、権力行使、複雑な人間関係の処理や政治力などいろんな能力が必要とされるようで、どうやらこの辺にドロ臭さが漂っていて、女性指揮者が育たない、活躍できない真因が隠されているような気がする。」

と、記載しておいた。

ちょっと回り道したが、そこで原題の「オーディオマニアに女性が少ない理由」に入ろう。

指揮者に必要とされる「泥臭さ」なんてオーディオにはいっさい必要ないのに見渡す限り、どうしてこうも女性の愛好者が少ないのだろうか。結構、音楽好きは多いのだから何とも不思議で仕方がない。

自分が知る限り、唯一の女性のオーディオマニアである「M女史」がメールのやり取りの中でこう洩らされていた。
 

私の思う所では、「回りを気にして自己満足を求めず妥協する人が多い」が一番大きな理由ではないかと思います。あとは、「別の物にお金を使う」とか「男性と比べて、根本的に価値観が違う」辺りではないでしょうか? 

噛み砕くと、オーディオは基本的には自己の充足感で満たされれば「それで良し」とする世界だが、女性の場合は体質的に他人の意見に左右されやすく、自己満足だけでは安心できないからオーディオには向かないと解していいのだろうか。

さらに、思いつくままに自分なりに補足すると、

 家事に割く時間が多いので、オーディオまで手が回らない

 ナルシストが多いので自分を飾ることに熱心でお洒落などの多様な価値観を持っている

 オーディオを楽しもうと思ったら日頃から安定した「体調=感性」が必要だが、誰だってそうだが病気や睡眠不足の時にはオーディオを楽しむ気にはならない。その点、女性の場合はとかく更年期障害など体調が不安定になりがちなので、男性と比べて不利である

 女性は感受性が強いので視覚からの情報量だけでも充足感を覚える傾向にある

☆ 生まれつき節約志向が強いのでオーディオなんて贅沢の極みで、「どれもこれも同じ音じゃないですか!」という人が多い(笑)

もし我が家の奥さんがオーディオマニアだったらと、ときどき想像することがある。するとオーディオ機器を買うのに今のようにコソコソしなくていいし、きっと日常の会話も大いに弾むことだろう。

しかし、ただでさえ音の好みが一致することは稀なので、おそらく機器の選択にあたってあれこれ注文をつけられて夫婦喧嘩になる可能性が大いにありそうだ(笑)。

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ネットバンキングの被害対策

2015年03月05日 | 独り言

昨日(4日)のNHK「朝のトップニュース」に「ネットバンキングの被害」が挙げられていた。

ネットバンキングは自分もオークションで真空管などの落札時に常時利用しており、出品者への代金の振込にあたっていちいちクルマで金融機関に出かけなくて済むのですごく楽だし、積極的に利用しているので、被害の在り様がとても“他人ごと”とは思えない。

以下、ネットから引用させてもらおう。

インターネットバンキングを狙った不正送金の被害が増え続けている。その被害額は29億円余りに上り、過去最悪を更新した。被害を防ぐ対策の一つとして、各金融機関が取り入れているのがワンタイムパスワードだ。しかし、そのワンタイムパスワードでも防ぎきれない被害も確認されるなど、いたちごっこの状態が続いている。

たとえば、インターネットバンキングの利用者のパソコンをウイルスに感染させるなどして、IDやパスワードを盗み取り、預金を別の口座に不正に移し替える事件。警察庁のまとめによると去年1年間で1876件、被害額は29億1000万円に上った。被害額は3年前の4800万円から、おととし14億円と急増し、去年はさらにその倍以上と過去最悪となっている。

こうした被害をいかに防ぐのか。対策の大きな柱の一つとして、各金融機関で導入が相次いでいるのが、ワンタイムパスワードだ。ネットバンキングでは、利用者のパソコンをウイルスに感染させてパスワードを盗み取る手口が目立つ。そこで、パスワードを盗まれても悪用されないシステムの導入が進んだ。

ニュース画像

ワンタイムパスワードは、文字通り1度入力したら使えなくなる、使い捨てのパスワードです。トークンと呼ばれる、小型端末の画面やスマートフォンのアプリなどに6ケタ程度の数字が表示される。利用者はネットバンキングのページで自分のID、パスワードに加え、表示された数字を打ち込んで送金の手続きを完了させる。トークンは時刻を基準に、銀行側のコンピューターと連動する仕組みになっているものが多く、数字はランダムに生成される。

瞬間に自動で送金させるというものだがワンタイムパスワードでは、防げない新たな攻撃も出てきました。 利用者がネットバンキングにアクセスするとニセの画面が勝手に立ち上がり、ワンタイムパスワードの入力を促し、パスワードを盗むもので確認されたのが次の一例。

① 利用者がネットバンキングにアクセスすると「ダウンロード中」などと書かれた画面が立ち上がり、同時に本来なら入力する必要のないワンタイムパスワードを要求。
② 利用者がニセの画面と知らずに、ワンタイムパスワードを入力。
③ 一定の時間、操作ができず、この間にウイルスが預金を別の口座に自動的に送金してしまう。

利用者は残高などを確認するまで被害にあったことに気付くことができず、被害の発覚まで時間がかかるという面もあるという。
警察庁によりますと、こうした被害は去年初めて確認され、1年間で少なくとも146件に上った。

とまあ、以上のとおりだった。

まさに“いたちごっこ”の様相を呈しており、ネット空間すべてにわたって“鉄壁の守り”というのはどうやら存在しないようである。過信は禁物というわけだが、我が家が取っている“ささやかな対策”は次のとおり。

ちなみに、現在口座を開設しているのは〇〇銀行、〇〇金庫、郵貯銀行
の3つで、そのうちネットバンキングを併設しているのは〇〇金庫と郵貯銀行の二つだけである。

1 オークションの出品者の振込口座は大別すると「ヤフー簡単決済」「普通銀行」「郵貯銀行」に分かれる。

 出品者に郵貯の口座があれば振り込み手数料が一番安いので、郵貯同士で振替する。万一、出品者に普通銀行の口座しかない場合は〇〇金庫から振り込む。

3 〇〇金庫と郵貯銀行には、常時「万一被害を受けても仕方がないと諦められる」程度の預金程度しか預けないことにする。そして(預金額が)少なくなったら、メインバンクの〇〇銀行から逐次補てんする。

とまあ、「基本的にネットバンキングを信用しない」という非常にシンプルな対策だが、はたしてご参考になりましたでしょうか(笑)?


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「それを言っちゃあ、お終いよ」

2015年03月03日 | オーディオ談義

真空管アンプを使いだしてからもう40年以上になる。その間、半導体を素子として使ったトランジスターアンプにも手を出した事があるが、中高音域の硬質さにどうしても馴染めずにすべて放出した。

ただし、普及価格帯の代物だったので高級機種ともなると違うかもしれず「一概にトランジスターがイヤだ」と決めつけるわけにはいかないが、真空管アンプだとそれほど高いお金を出さなくても独特の艶と潤いがある音が手に入るのでそれが愛用している理由のひとつ。

現在手元にある真空管アンプは、プリアンプが2台、パワーアンプが7台だが、とりわけ後者は「WE300B」、「PX25」、「刻印付き2A3」(2台)、「1920年代古典管」(3台)とまさに百花繚乱(笑)。

真空管アンプの良さは何といっても、いろんな球を差し替えることによって音の変化を楽しめることにある。たとえば、ドライバー管、出力管、整流管といった用途毎にブランドの違う球がいろいろ発売されているが、相互の相性もあるのだろうか、差し換えるとコロッと音が変わって、もし自分の好みの音になったりすると、それはもう大喜びである。

トランジスター・アンプだとこういう楽しみ方は絶対に無理。

一昨日(1日)も朝から「AXIOM80」用に使っている「PX25」アンプの球をいろいろ差し換えながら楽しんだ。

            

画像左側の2本の黄色い管が「ドライバー管」だが、「増幅率=μ(ミュー)」の違いによっていろいろ種類の違う球がある。現在手元にあるのは次のとおり8種類。いずれもヒーターは4V、1Aで共通。

☆ ドライバー管の差し換え

                

見た目には似たような真空管が並んでいるがそれぞれ違う(笑)。

画像の上段、左から、「ムラードのTT4=ML4」(μ=6)、「オスラムのMHL4」と「GECのMHL4」(μ=16)、「ザイレックスのMH4」(μ=35)。

画像の下段、左から、「英国マツダのAC/HL」(μ=35)、「コッサーの41MRC」(μ=50)、「英国マツダのAC/2HL」(μ=70)、「オランダ・フィリップスの4657」(μ=90)

よくもまあこれだけ集めたものだと我ながら呆れてしまうがそれぞれに個性があって愛着もひとしおである。それにWE300Bアンプのドライバー管も同じピン配列の「ヒーター4V、1A」と共通
なので互換性があり集め甲斐はある。

それに増幅率の違う真空管を多種類持っていると、出力管がヘタってきて左右の出力のバランスが違ってきたりすると、それぞれ左右に増幅率の違うドライバー管を挿すことによって音量の適切な調整が出来るので非常に重宝する(ただし、アンプにボリューム機能が付いていない場合)。

なお、差し替えにあたっては、このブログにたびたび登場していただく真空管の泰山北斗「M女史」から警鐘をいただいた。
欧州管は、類似管がたくさん有り“差し替え可能”といいますが、実際の所は回路によって、いとも簡単に暴走します。熟考した上で挿し替えるようにしてください。出力管まで壊してしまいますので。」とのことで、アンプの製作者には一応確認を取ってOKをもらったが自己責任なのは言うまでもない。

☆ 出力管の差し換え

        

左から「QECのPX25」(ナス管、計5本))、「オスラムのPX25」(ドーム管2本)、「PP5/400」(最初期版2本)の3種類だが、「PP5/400」ばかりは、もったいなくて使う気にならない。これこそ持って生まれた貧乏性というものだろうか(笑)。

ただし、オーディオ仲間のKさん(福岡)も自分と似たような傾向があって、「いい球」は後回しにして汎用球から先に使うそうなので「お互い様ですね~」と笑いあったことだった。稀少管となると二度と手に入らない可能性があるので、もしかすると「勿体ない精神」は真空管愛好家全般の共通心理なのかもしれない(笑)。

☆ 整流管の差し換え

            

規格さえ合えば整流管ほど差し換えの利く球はないと言っていいほど、沢山の種類がある。しかもステレオアンプだと1本で済むのでコスト的にも負担が少ないので非常にストックしやすい。音だって整流管次第でガラッと変わるからユメユメおろそかに出来ないが、値段もピンからキリまであって、最高峰は「WE274B」でオークション相場では程度にもよるが1本15万円ぐらいで、下手な出力管は敵わない。

現在の手持ちは、型番が「5R4GY」、「5U4G」、「WE422A」、「VT244」(=5U4G、軍用管)、「CV378」、「GZ32」、「5V4G」といったところ。

以上のとおり、こうした球を“ああでもない、こうでもない”と、いろいろ差し換えながら試聴してみたが、何しろ組み合わせが無数にあって最後の方は「まあ、いいか」と妥協の産物となってしまった。

ドライバー管「オランダ・フィリップスの4657」、出力管「GECのPX25」、整流管「レイセオンのVT244」。

このアンプは正直言ってどうも“しっくり”こないところがある。出力トランスあるいは出力管に起因するものではないかと秘かに睨んでいる。

ただし、つれづれ考えてみるのに「名曲の持つ崇高さ」の前にはこの程度の音質の差なんて所詮50歩100歩で取るに足らない存在には違いない。

おっと、オーディオマニアたる者が“それを言っちゃあ、お終いよ”なんだが・・(笑)。


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