「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

カラスの一群は人生の縮図

2016年06月30日 | 独り言

記事にするタイミングがちょっとズレたが、東京都知事だった舛添さんがとうとう辞職した。

政治資金を日用品に私的流用したとされ、そのあまりのセコさに「粗にして野だが卑ではない」(城山三郎著~元国鉄総裁 石田礼助の生涯~)をもじって「粗にして野にして卑だ」と叩かれる始末。

一時期テレビチャンネルをひねると、舛添さんのニュースばかりでウンザリしたものだが、テレビ側のあの異様な集中攻撃振りはどうかしていると思うし、まるでテレビカメラが銃口のように思えてきたのも事実。

さて、舛添さんといえば超秀才として知られ、北九州の片田舎の高校から全国の秀才たちが集結する「東大法学部」へ進学、そこでも在学中には先ごろ亡くなった「鳩山邦夫」さんと1,2番を争い、卒業後は助教授となって新進気鋭の国際政治学者として勇名を轟かせてから政界へ転身。

一時期、自民党総裁候補にまで登りつめたが、自民党が野党に転落したときに「自民党の役割は終わった」と、新党の結成へ動いたがそれからサッパリ。結果的には長期的な視野に欠ける人物であることをアッサリ露呈した。

2年前に候補者不在の中でようやく金的を射止めて都知事の座を獲得したものだが、それもとうとう今回の体たらくだ。

高額の海外旅行をマスコミに叩かれたときに、「スミマセン、これから気をつけます」と都民の感情を考慮して素直に謝っておればこういう結末にならなかったかもしれない。やたら頭がいいばかりに理屈が先行するものだから火に油を注いだ結果に終わった。

「人間、頭がいいばかりでは世の中をうまく渡っていけないなあ」とつくづく思ったが、まあこれは凡才の僻みかもしれない(笑)。

それにしても、まるでジェットコースター並みに登り降りする舛添さんのような栄光と挫折の人生も珍しいが、はたして再起の芽はあるんだろうか・・。

そこで、つい思い出したのが5年前のブログの記事。

農業経済学の泰斗にして政府の税制調査会長、そして農業基本法の生みの親とでもいうべき「東畑精一」(とうばた せいいち)氏の「私の履歴書」(日本経済新聞)の中の一節「結び~老馬とカラス」である。すでに忘却の彼方にある方も多いと思うので再掲させてもらおう。

「昔から老馬知夜道と言われた。老馬は御者の案内がなくとも、夜道を知っており、行くべきところに無事に着くのである。その老練さを述べた言葉であろう。
駿馬と老馬とどこが異なるかと聞かれても困るが、ただ重要の一点の相違がある。駿馬は夜道をかけることができないのだ。

現代、ことに政治や国際関係には昼間もあるが夜もある。それにもかかわらずチャキチャキの駿馬ばかりいて、老馬が少ないように思う。~略~。東洋の心は駿馬のみでは征せられない。

次に思い出すのはカラスのこと。

子供仲間が夕刻、遊びに疲れて屋敷のそばの石垣に腰をかけていると、カラスの一群が飛ぶのに飽いてねぐらに帰ってゆく。
それをながめながら、「後のカラス、先になれ、先のカラス、後になれ」と呼んでいると、ときどきその通りになり、われわれは快哉を叫んだものである。またいつでもはぐれカラスが一、二羽は後から飛んでいった。

この履歴書を書きつつ(※昭和54年)、過去を顧みると、どうもこのカラスの一群はわれわれの人生の一つの縮図のようにも思われる。小学校から大学まで、幾多の同級生、同窓生があるし、また社会に出ても共に仕事をした多数の人々がある。長い間のそれらの人々を思うと、わたしはカラスの一群の動きを思わざるを得ない。

幼少時代に頑健なもの必ずしも長命せず、かえって弱々しい男が今も健在である。俊秀のもの、卒業後数十年の後には凡骨と化しているのもある。鈍重なカラスが長年コツコツと仕事に励んでいて、見事な成果を挙げて真っ先のカラスとなっているのもある。

そうかといって、はぐれカラスがいつまでもそうではなくて、はぐれ仲間で立派なグループを作り、結構楽しんでいるのを見るのは愉快である。

どうしてこうなのか。

歳月は人間の生涯に対して黙々たる進行のあいだに猛烈な浄化や風化の作用や選択作用をなしているからだ。こう思うと、ある瞬間、ある年代だけを捕えて、むやみに他人や事態を評価したり判定したりすることの皮相なのに気がつく。

他人の先頭に立っていると思っている間に落伍者となっておるとか、その逆とかは日常しばしば見られることである。いそいではいけない。静かにじっと見つめる要がある。ことに怱々忙々何十年を経てきた自分自らを凝視するのが大切である。

人生はただ一度限り、繰り返すことが出来ない。美人ならぬ老馬を天の一角に描きながら、また人生のカラスの大群をじっと見つめながら、腰痛をかかえて座しているのが昨今の私である。」

学者として世の中に貢献された方の言だからこそ重みがある。自分のような一介の市井の徒がこんなことを言っても、フンと鼻先であしらわれるだけだろう(笑)。

最後に、新たな都知事候補として、このほど総務省の事務次官を退任した「桜井 俊」氏の名前が上がっているという。「嵐」という人気アイドルグループとやらのメンバー「
桜井 翔」さんの実父としても有名な方である。ご本人は固辞されているようだが、総理が乗り出してきて実際に口説けば断りきれないだろうとの専らの噂である。

これは、昨日(2016・6・29)の読売新聞朝刊の記事。

           

有名人の選挙といえば元都知事の「石原慎太郎」氏が出馬したときの記者会見の様子を今でも覚えている。

開口一番「石原裕次郎の兄です。」と、臆面も無くニヤリと笑ったのだが、そのときに、この人は大衆心理を理解しているとともに半分は都民を愚弄した政治家だと思ったものだが、今回の桜井氏が万一出馬したとして、記者会見の席上「嵐の桜井 翔の父親です~ニヤリ~」といけば“ご立派”なもんだが、はたして「官僚上がり」にそういう芸当ができるかなあ~(笑)。

と、ここまで書き終えてから「小池百合子」さん(元防衛相)の電撃的な都知事選立候補表明をネットで目にした。ナ~ンダ、これまで音無しの構えだったがほんとうは出たかったのかと「小池さんの正体見たり」~。しかし、チョット新鮮味がないなあ。

自民党の東京都連はさぞや困惑しているだろうが、これからどう転ぶんだろう?


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山椒は小粒でもピリリと辛い

2016年06月28日 | オーディオ談義

20世紀日本を代表する作曲家の一人「中田喜直」(なかだ よしただ)の作品に「夏の思い出」という唱歌がある。

「♪ 夏が来~れば 思い出す~ はるかな尾瀬(おぜ) 遠い空 ♪」 

こういう書き出しのもとに、新装した小型スピーカーに関して(ブログを)登載したのは6月初めのことだった。

あれからおよそ1か月、この小型スピーカーについては(ブログ上では)ウンともスンとも音無しの構えだったが、ハッキリと口には出さねども我がオーディオルーム内ではまるで内弁慶のように大活躍だった。

小型スピーカーといっても、わずか口径10センチ程度のミニだからバカにされる方もいるだろうが「山椒は小粒でもピリリと辛い」というが、まったくそのとおり。

       

何といってもユニットの出自がオランダ・フィリップス社製だから、音質には定評のあるCDレーベル(フィリップス)と同様に音質は間違いなし。まったく惚れ惚れするような鳴りっぷり。

はじめのうちはテレビ音声だけに接続していたのだが、そのうちこんな「いい音」をもったいないというわけでとうとうCDまで聴けるようにした(笑)。

システムの流れはこうである。

CDトランスポート「ヴェルディ・ラ・スカラ」(dCS) → DAコンバーター「ワディア27ixVer3.0」 → プリアンプ「真空管式3号機」 → パワーアンプ「71Aシングル・2号機」

これで我が家には現用中のスピーカーが4台となった。

1 ウェストミンスター(フィリップス+ワーフェデールのユニット)

2 グッドマンの300+FANE社のユニット(グッドマン指定の箱)

3 グッドマンのAXIOM80(グッドマン指定の箱:最初期版)

4 フィリップスの口径10センチのユニット(小型エンクロージャー入り)

今のところこの中で一番聴く時間が多いのは残念なことに(?)4である。

4を聴いた後にほかのスピーカーに切り替えると中低音域の反応の鈍さ(スピード感の欠如)に驚いてしまう。

以下、我が家に限っての現象かもしれないので真に受けてもらっても困るが、誤解を恐れずに言わせてもらうとCDプレイヤーやアンプは性能が悪いとまるっきり使い物にならない。ただ捨て去るのみだが、スピーカーに限っては口径の小さなものから大きなものまでそれぞれに使い道がある。

つまり、ユニットの口径の大きさに応じてそれぞれに長所と欠点があって、小型ユニットにはネットワークが介在しないシングルコーンの素直な音質、音声信号に対する応答性の速さなど欠点を補って余りあるものがある。

周波数レンジは低音域がたかだか60ヘルツ前後ぐらいだろうし、高音域は7000ヘルツ前後からダラ下がりだと思うが、小編成の音楽を聴くのにはこれで十分。むしろ余計な付帯音が出ないだけいいのかもしれない。

ちなみに、音響学の権威「オルソン博士」の「40万ヘルツの法則」というのをご存知だろうか。ずっと昔のブログにも書いたことあるが、人間が自然な音として聴ける可聴帯域のことである。たとえば、オーディオシステムにおいて低音域の周波数が30ヘルツまで伸びていれば、高音域は13000ヘルツまで出ていれば良しとされる。つまり30×13000=390000≒40万ヘルツ。

これが低音域がせいぜい50ヘルツまでしか出せないとすると高音域は8000ヘルツあたりが適当な数値となる。つまり50×8000=40万ヘルツといった具合。

したがって、もし、低音50ヘルツの状態で高音域だけ1万ヘルツ以上出たりすると、警察に逮捕されるというわけでもないが(笑)、高域に偏った音になって聴く方の耳が疲れてしまう、という説である。

「高音域を伸ばすのは比較的簡単だが低音域は一筋縄ではいかない。」のは、マニアなら誰でも経験することだが、このことは
「周波数レンジを欲張ると碌なことにならない」という戒めでもある。

ただし、この説を信じるも信じないもあなたの自由なので念のため(笑)。

まあ、そういうわけで大型システムと小型システムの良さを交互に確認しながら「音づくり」を進めていくと何だか大きく道を踏み外すことが無いように思えてくるから不思議。なにしろビンボー人にとって無駄遣いは一番の大敵なんだから(笑)。

ちなみに、4で聴くボーカルは絶品である。

そこで、このほどボーカルばかりを集めたCDをまとめてオークションで落札した。

          

両方合わせて26枚でお値段は7300円なり。1枚当たり300円程度だから超安い!

パソコン系の機器でいったん取り込めばあとは不要というわけだろうが、このところCDの値段がバカ安だ。ジャケットがないとどうも落ち着かない旧石器時代のオジサンにとっては夢のような時代が到来した(笑)。

クリスタ・ルートヴィッヒ、ナタリー・デセイ、チェチリア・バルトリ、リタ・シュトライヒ、ルチア・ポップ、フェリシティ・ロットなど名歌手たちが多士済々。

この小型スピーカーのおかげで大当たり~(笑)。
 


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演奏をとるか、それとも録音をとるか

2016年06月25日 | 音楽談義

つい先日「私のフルトヴェングラー」(宇野功芳著)についてのブログを投稿したところ、千葉県にお住いのMさんから昨年の秋以来2回目のメールをいただいた。

「今回メールをしたのはフルトヴェングラーのことです。私はフルトヴェングラーを殆ど聴くことはありません。なぜ聴かないのか考えてみたのですが考えるまでもなく答えが出ました。

一つはフルトヴェングラーにはモーツァルトの録音が殆どないということです。レパートリーの大半がモーツァルトという私にはフルトヴェングラーの出る幕はないのです(ドン・ジョバンニはたまに聴きます)。

二つ目はベートーヴェン

ベートーヴェンは好きな作曲家ですが聴く分野はピアノ・ソナタと弦楽四重奏曲なのでこれまたフルトヴェングラーの出る幕なし(ブライトクランク録音の「英雄」は愛聴盤です)

三つ目、これがもしかすると一番の理由かもしれませんが、フルトヴェングラーにはステレオ録音がないということです
私も一応有名なものは聴いてきましたが音質が悪いものが殆どなので再聴する気にはなりません。

以上三つの理由からフルトヴェングラーは私にとっては疎遠な指揮者となります。

しかし亡くなったのが1954年。あと数年生きていてくれたらステレオ録音のフルトヴェングラーが聴けたかと思うと残念ではあります。

宇野功芳氏に関しては拙ブログでも記事にしました。良くも悪くも音楽評論界に風穴をあけた方かと思います。」

Mさんとは無類のモーツァルト愛好家同士として共通項があるので「フルトヴェングラー」の位置づけについては概ねそういうことだろうと納得。ただし、一点だけ気になったことがある。

前回のブログで「フルトヴェングラーにはモーツァルトの名演がない」と決めつけていたのだが、オペラ「ドン・ジョバンニ」の名演があったことをウッカリ忘れていた。

以下、モーツァルトのことになるとつい熱が入って「上から目線」の物言いになることをはじめにお断りしておこう。

モーツァルトは35年の短い生涯において10作以上のオペラを作曲したが、後世になって「三大オペラ」と称されているのは製作順に「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」そして「魔笛」だ。

自分にとって大好きな「魔笛」と「ドン・ジョバンニ」はつばぜり合いをするほどの存在だが、この「ドン・ジョバンニ」ばかりは幾多の指揮者による演奏があるものの、録音状態は別にしていまだにフルトヴェングラーに優る演奏には出会えないでいる。

日本有数のモーツァルト通としての自負心から言わせてもらうと「ドン・ジョバンニ」は(モーツァルトの)音楽の中では極めて異質の存在である。

どこが異質かというと、普通の音楽鑑賞は「旋律」「ハーモニー」そして「リズム」などを愛でるものだが、この「ドン・ジョバンニ」に限っては「ドラマティック」な展開と「人間同士の愛憎」とが見事に一体化した音楽の表現力にこそ聴くべきものがある。人間の感情の動きにピッタリ寄り添った音楽といえよう。

モーツァルトは一見軽薄そうに見えて人間の微妙な気持ちを推し量る人生の達人だったことを改めて思い知らされるが、こういうオペラになるとフルトヴェングラーの芸風と実によくマッチして独壇場となる。

そこで、課題提出。

             

A(左) ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮の「ドン・ジョバンニ」

演奏はいいけど録音があまり冴えない。自己採点では10点満点のうち演奏は9点、録音は4点というところか。

B(右) ヨーゼフ・クリップス指揮の「ドン・ジョバンニ」

演奏はAには及ばないが、録音ははるかに凌駕する。同様に演奏は7点、録音は8点としよう。

以上、はたしてAとBのどちらの盤を優先すべきか、いわば「演奏をとるか、録音をとるか」というわけで、これは格好の実験材料である。まあ、きわめて個人的な趣味の問題であることは論をまたないが(笑)、それでも世の中にはいまだに旧石器時代の産物にも等しい「SP盤」を愛好している方もおられることを私たちは忘れてはいけない。

昨日(24日)、梅雨のどんよりとしたお天気に恵まれて(?)絶好の音楽鑑賞日和のもとにこの二作を聴き耽った。

システムはCDトランスポートとDAコンバーターは「dCS」、プリは大西式真空管アンプ、パワーアンプは「71Aプッシュプル」、スピーカーは「フィリップス+ワーフェデールのユニット」の混成旅団(箱はウェストミンスター)

なお、「ドン・ジョバンニ」の聴きどころは人によってそれぞれだが自分の場合は「稀代の悪漢が放蕩の限りを尽くして最後は地獄に落ちていく」というストーリーだから、何よりも「デモーニッシュ」(人知を超えた悪魔的)な雰囲気を全編に湛えた演奏でなければいけないと思っている。

はじめに、クリップス指揮の盤から試聴。3枚組の盤だが1枚だけ聴くつもりがつい聴き惚れてしまい3枚とも連続して試聴。録音がとても良くてホールの奥行き感が何とも心地よい。もちろん音楽の方もそれ以上に素晴らしい。もしかして魔笛を上回るかもしれない出来栄えで、年令がいくにつれてその感を深くするが、やっぱりこれは空前絶後のオペラだよなあと納得。

次に、フルトヴェングラーの「ドン・ジョバンニ」へ。1950年代初頭の「ザルツブルグ音楽祭」のライブ盤でモノラル録音である。

聴いているうちに心が激しく揺さぶられ思わず目頭が熱くなってしまった。素晴らしい!

これこそが理想とすべき「ドン・ジョバンニ」だろう。しかも、むしろ録音の悪さがデモーニッシュな雰囲気を醸し出しているかのようでまったく気にならない。

両盤ともにドン・ジョバンニを演ずる歌手は「チェザーレ・シエピ」(バス・バリトン:バスに近いバリトン)なのに、フルトヴェングラー盤の悪びれない堂々とした歌いっぷり(悪漢振り)はどうしたことだろう。

スタジオ録音盤とライブ盤との迫力の差も如何ともしがたいようで、このオペラに限っては歌手たちの燃え上がる情熱のもと、一発勝負のなりふり構わないライブに限る。それにしてもフルトヴェングラーは滅茶苦茶ライブに強い。

結局、結論になるが、そりゃオーディオマニアなんだから音質がいいに越したことはないが、演奏が気に入りさえすれば録音なんていっさいお構いなし~(笑)。


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ジャズを聴いていない者は殺す

2016年06月23日 | 読書コーナー

海外ミステリー「アックスマン(斧男)のジャズ」は一風変わった小説だった。

凶器となる「斧」で惨殺を繰り広げる殺人鬼が「ジャズを聴いていない者は殺す」という奇妙なメッセージを新聞社に送りつけるのだから、それだけでもユニークだが、中身の方も舞台背景が凝っていてなかなか読み応えのある作品だった。

私感だが、ミステリーを10冊読んだとするとその中で1冊当たるか当たらないかぐらいの傑作。

                   

本書のカバーに書かれていたあらすじを紹介しよう。

1919年のニューオーリンズで斧を使って蛮行を繰り返すアックスマンと呼ばれる殺人鬼がいた。<ジャズを聴いていない者は殺す>と予告する文面はつぎのとおりだ。

<私はジャズが大いに気に入っているので、次の火曜日の零時15分にジャズバンドが演奏中の家にいる人間全員を見逃すことを地獄にいるすべての悪魔にかけて誓おう。みんながジャズバンドを演奏させれば、まあ、それは大歓迎だ。>

この奇妙な提案をする殺人鬼を懸命に追う関係者たち。


人種差別の強い街で、黒人の妻がいることを隠して困難な捜査をするタルボット警部補、ある事情から犯人を捕まえるようマフィアに依頼された元刑事ルカ、ジャズマンと共に事件の解明に挑む探偵志願の若い女性、アイダ。

彼らの執念で明かされる衝撃の真相とは?

実際に起きた未解決事件をもとに大胆な設定で描く、英国推理作家協会賞最優秀新人賞受賞作。」

以上のとおりだが、若い頃なら一気に読み上げるのだが、歳を取るとそういうわけにもいかず2~3日がかりで読了したが、無差別に繰り返されたように見える連続一家殺人事件にもチャンとした理由(動機)があり、自ずと犯人も特定されるという流れだった。

何よりも凶器が「斧」ということもあって、殺人現場の描写が身の毛もよだつ凄惨さで胆が潰れそうになるが、そこはフィクションとして割り切ったものの、真夜中に読む進むことはあまりお薦めしたくないほどだった(笑)。

本書の魅力は登場人物の多彩な人間模様にある。

舞台はおよそ100年前で、当時は人種差別がまだ色濃く残り、売春街などの利権が複雑に絡みあいマフィアが暗躍したニューオーリンズ。

黒人の妻がいることをひた隠しにする敏腕刑事、その刑事から密告を受けて刑務所に入りようやく刑期を終えて出所してきた元上司の刑事、女性の地位向上をめざしていち早く犯人を見つけようと功名心に逸るうら若き美人女性、その相棒となるのがまだ青年時代のジャズマンのルイ・アームストロングとくれば(もちろんフィクション!)、ジャズファンでなくとも興味を惹かれる。

著者はよほどのジャズ好きとみえて前述したように<ジャズを聴いていない者は殺す>とまで、新聞社に挑戦状を送りつけるのだが、事件の真相との関係は読んでのお楽しみ~(笑)。

ちなみに、ニューオーリンズは周知のとおりジャズ発祥の地として有名だが、もともとフランスの植民地として地名は貴族「オルレアン公」の名前に由来しており、フランス商人が原地人と一緒になって低湿地帯を開発したとのことで豆知識を蓄えられたのは収穫。

もし階級制度が厳然として存在するイギリスの植民地だったらどうだったんだろう。少なくとも「自由・平等・博愛」精神を掲げるフランスだったからこそジャズが勃興したのかもしれないと想像するのも面白い。

とにかく読む機会があればぜひ、とりわけジャズファンにお薦めしたくなるミステリーだった。
 


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ホーンは生かさず殺さず

2016年06月21日 | オーディオ談義

先日、メル友の「I」さん(東海地方)から次のような「ホーン」に関するメールを受け取った。

ホーンの使い方はいつも気になるのでとても興味深く拝見したが、得るところが大いにあったので後日のために記録に残しておくことにした。


「JBLのLE85ホーンをH91から2370Aに変えました。調整に苦戦しそうです。これまでのJBLのシステムですがジャズを聴くにはかなり満足のいく状態になってきたと思っていました。

ただ、H91の開口部の面積が小さいため、ウーファーとのつながりが少し弱いのではないかと気にはなっていました。しかし、テナーサックスも不足なく聴けるし、まあいいかなと思いつつ、開口部の大きなホーンを試したい気持ちはずっとありました。
 

JBLに限らず1インチ用のホーンは製品が少なく、かといって2インチ用を使おうとすると、値段も高く、スロートアダプターも必要になりさらにコストが嵩みます。現実的には、JBLの樹脂製の2370A(たぶんPA用途)かなと考えていました。
 
2370Aは樹脂製ですが、ちょっとお値段が張るのでオークションで中古を狙っていたところ、即決価格、送料を入れて手頃な出品を見つけ、購入したものです。商品が届き、早速H91と交換しました。

               
            
良い面  ウーファーとのつながりはさすがに良い。低音部の音圧まで上がる。

困った面 上記の裏返しで、なんと中低音のぼんつきが出た。音像が大きくなった。その結果、少々品
の無い音になっ  
       た。
要するに、あまりいい結果とは言えない状態です。
 
この日に、アンプ修理でお世話になっているYさんと電話する機会があり、このことを話したところ、「ホーン鳴きもあるでしょうが、ホーンにも音の回り込みがあり、大きめのバッフルを付けるのが効果的」との助言をいただき、使ってない箱があるからあげますよ、と有り難いお話までいただきました。
 
ホーンは大きくしたいが、躯体は大きくしたくない(2405も乗せたいし)ので、箱の提供はお断りしました。
 
対策

1 ホーンのデッドニングは音が死ぬ可能性があり、やり直しもききにくいためやりたくない。

2 デッドニングの代わりに、ホーンの振動の多そうなところに、ボルトナットを取り付けて振動モードの変化
を狙う。10個の取り付け穴を利用し、そのうち4箇所に着けて様子を見る。
    
3 2の結果が良ければ10個前部に対策する。
    
4 3でも駄目な場合は、小さめのバッフルを作る。
 
ソースによって印象が異なるので、しばらくこの状態でいろいろ聴いてみます。クロスオーバー周波数やパワーアンプレベル等一切いじらずに、ホーンの変更だけにしています。が、クロスオーバーを下げてみたい欲求には負けそうです。」

以上のメールに対して次のように返信した。

「以前、JBLの<LE85>を使っていましたので興味深く拝読しました。これまでの拙い経験から言わせてもらいますと、中音域のホーンの大小は両刃の剣みたいなところがあるみたいです。


大きなホーンは迫力は増すのですが、仰せのとおり音像が大きくなって品の無い音になりがちです。これまで随分<血と汗と涙>を流しましたが、今のところホーンは小さい方が無難という気になってます。

そういえば、イギリス系のSPは総じて中高音域に大型ホーンを使っていないことに気が付きました。
おそらく音像が大きくなって品がなくなることを警戒しているのでしょう。

ただし、ジャズの場合は話は別でしょうからいろんなアプローチがあってもいい気がします。ところで、ご相談ですが我が家のウェストミンスターの上に載せるドライバーの件です。クロス4000ヘルツで、現在、ワーフェデールのコーン型ツィーターやJBL075を使ってますが、これで十分とは思っていますが、同じJBLの175ドライバーあたりも試してみたい気がします。175にはツィーターが不要なところが良さそうです。

JBL以外でもいいのですが、4000ヘルツ以上を持たせてツィーター不用の適当なドライバーがあったり、出品されたら教えていただけませんか。」

これに対して「I」さんから次のようなメールが返ってきた。

「イギリス系のSPとホーンの大きさについて、納得の情報でした。JBLのH90やアルテックA5のマルチセルラホーン(でいいんでしたか)は、まさにジャズ愛好家御用達ですね。
 
4000Hz以上でツイーター不要のドライバーは・・・とのことですが、私などが申し上げられることではありませんが、個人的に気になっているドライバーがひとつあります。ツーウエイでいけそうかなと思っているものです。
 
MIXELで販売しているPRVのコンプレッションドライバーのチタン振動板のタイプです。MIXELは西宮の個人商店のようで、私はVifaのユニットや小物を購入したことがあります。その際、直接オーナーの〇〇さんに電話相談して購入しました。気楽に応対してくれます。もしよかったら、MIXELの通販ページをご覧ください。
 
ただ・・・〇〇邸の特製075に敵うものは無いように思います。拙宅のJBLのユニットは使いだして35年ぐらいたつと思いますが、当時、D130+075と現行ユニットとどちらにするか迷ったものです。いまでも、この2ウェイは気になる存在です。比較的近距離でジャズに身を委ねるにはもう・・・あっ、クラシック用でしたね。失礼しました。
 
クラシックは難しいですね。ジャズ再生は、極端な言い方をすれば、どんな音でも許されるようなところがありますが、クラシックはそうはいかない世界だと感じています。ジャズは泥沼=OK、クラシックは泥沼=地獄でしょうか。
 
また、ホーンをいろいろ試されている方のブログも拝見しているので、いい情報がありましたらお知らせします。
 
フィリップスの小型SPの件、本当に楽しそうですね。純米酒を五勺ほど飲んで、腕の立つ職人さんが打った、二八のせいろをかっこむ感じでしょうか、たまらないですね。」

以上、「I」さんとのやり取りを通じて「ホーン」に関する一考察だった。

部屋の大きさ、システムの状況、日頃聴いている音楽のジャンルなどによって「ホーン」への対応は千差万別だろうが、小説の読み過ぎか、ドラマの見過ぎのせいか、いつも主役と脇役を分類するクセが身についているが、オーディオシステムにも主役と脇役があるように思っている。
 
我が拙い経験ではホーンは家庭内でクラシックを主体に聴く限り、主役を張るべき存在ではないような気がしている。ホーンにチカラを入れ過ぎると全体の音のバランスが壊れてしまうのだ。

したがって、目立たせず控え目に、喩えて言えば江戸時代のお百姓さんのように「(ホーンは)生かさず殺さず」といった使い方が一番ではなかろうか、ひいてはホーンに大枚のお金を突っ込むのもいかがなものか・・。

この「独断と偏見」に、もし異論がある方はどうか「素人の戯言」として笑い飛ばしてくださいな(笑)。

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「私のフルトヴェングラー」を読んで

2016年06月19日 | 音楽談義

音楽評論家の「宇野功芳」氏といえばあの独特の断定的な物言いが有名だ。

たとえばこういう調子。(「クラシックCDの名盤」から、デュ・プレが弾くエドガーの「チェロ協奏曲」について)

「67年、バルビローリの棒で入れたライブが最高だ。人生の憂愁やしみじみとした感慨に彩られたイギリス音楽に共通する特徴を備えるこの曲を、22歳になったばかりのデュ・プレが熱演している。第一楽章から朗々たる美音がほとばしり、ポルタメントを大きく使ったカンタービレは極めて表情豊か、造詣はあくまで雄大、ロマンティックな情感が匂わんばかりだ。」

こういう表現って、どう思われます?(笑)


クラシック通の間では評価が二分されており、「この人、またいつもの調子か」と“嘲り”をもって受け止める派と憧憬の念を持って受け止める派と、はっきりしている。

自分はやや冷めたタイプなのでこういう大げさな表現は肌に合わない。したがって前者の派に属しているが、今となっては「死者に鞭打つ」ことは遠慮した方がよさそうだ。

「宇野功芳」さん「ご逝去」の報に接したのは4~5日前の朝刊だった。

          

享年86歳、しかも老衰が原因となると「天寿」をまっとうされたのではあるまいか。合掌。

折しも、ちょうど図書館から借りてきた本の中に「私のフルトヴェングラー」(宇野功芳著:2016年2月8日刊)があった。刊行日からして4か月前なのでおそらく「遺作」となろう。

                         

20代前半の頃はそれこそフルトヴェングラーの演奏に心から感動したものだった。ベートーヴェンの「第九」「英雄」、そしてシューベルトの「グレート」・・・。

本書の15頁に次のような記述があった。

今や芸術家たちは技術屋に成り下がってしまった。コンクール、コンクールでテクニックの水準は日増しに上がり、どれほど芸術的な表現力、創造力を持っていてもその高度な技巧を身に着けていないと世に出られない。フルトヴェングラーなど、さしずめ第一次予選で失格であろう。何と恐ろしいことではないか。

だが音楽ファンは目覚めつつある。機械的なまるで交通整理のようなシラケタ指揮者たちに飽き始めたのである。彼らは心からの感動を求めているのだ。

特にモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなどのドイツ音楽の主流に対してもっと豊饒な、もっと深い、もっとコクのある身も心も熱くなるような演奏を期待しているのだ。

だからこそ死後30年も経ったフルトヴェングラーの音楽を必死になって追い求めるのである。実際に舞台姿を見たこともない、モノーラルレコードでしか知らない彼の音楽を熱望するのである。」

クラシックのオールドファンにとって、黄金時代は「1950年代前後」ということに異論をさしはさむ方はまずおるまい。

綺羅星の如く並んだ名指揮者、名演奏家、名歌手、そして名オーケストラ。

ベルリンフィルの常任指揮者として長期間君臨した帝王カラヤンでさえもフルトヴェングラーには一目置かざるを得ない存在だった。

およそ6年前のブログになるが「フルトヴェングラーとカラヤン」(2010.12.16)でも紹介したが、ベルリン・フィルのコントラバス奏者だったハルトマン氏がこう語っている。

「カラヤンは素晴らしい業績を残したが亡くなってまだ20年も経たないのにもうすでに忘れられつつあるような気がする。ところが、フルトヴェングラーは没後50年以上経つのに、未だに偉大で傑出している。<フトヴェングラーかカラヤンか>という問いへの答えは何もアタマをひねらなくてもこれから自ずと決まっていくかもしれませんよ。」

だがしかし・・。

本書の中で、フルトヴェングラーがもっとも得意としていたのはベートーヴェンであり「モーツァルトとバッハの音楽には相性が悪かった。」(23頁)とあったのに興味を惹かれた。そういえばフルトヴェングラーにはモーツァルトの作品に関する名演がない!

あの“わざとらしさ”がなく天真爛漫、“天馬空を駆ける”ようなモーツァルトの音楽をなぜフルトヴェングラーは終生苦手としていたのか、芸風が合わないといえばそれまでだが・・・。

「モーツァルトを満足に振れない指揮者は指揮者として認めない」というのが永年の持論だが、はてさてフルトヴェングラーをどう考えたらいいのか。


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元の木阿弥

2016年06月16日 | オーディオ談義

ちょっと大げさだが「我が家の永遠のテーマ」として、ここ30年ほど往ったり来たりでいまだに結論が出せない問題がある。

それはシステムの途中に「プリアンプを入れるか否か」。これまでのブログでもちょくちょくこのテーマで提案している。

もちろんレコードを愛好されている方はプリアンプ(イコライザー付き)が必須なのでこれには該当しないが、音の入り口がデジタル(CDなど)オンリーのときには、DAコンバーターにボリュームが付いてさえいればこの問題に直面せざるを得ない。

昨年、新たに3台目の真空管式プリアンプを導入し大いに音質が気に入ったのでこの問題には結着をつけたつもりだったが、このたび一段と磨きがかかった「PX25」アンプの登場によってふたたび「ストレイ シープ」になってしまった。

経緯を記してみよう。

我が家のタンノイ・ウェストミンスターはとても悲惨な運命をたどってきた。導入してからもう30年くらいは経つだろうか、当初は「タンノイ様」とあがめてきたものの、そのうちあのモヤっとした中低音域に嫌気がさしてきて「どうやらオイラの好みの音ではないようだ」と首をひねり出したのにさほど時間はかからなかった。

そんなことなら「買わなきゃよかったのに」と言われそうだが、つい巷の評判に踊らされてしまった。もちろん責任は自分にある(笑)。

とはいえ、家内と壮絶な死闘(?)を繰り広げて購入したので意地でも売り払うわけにもいかず、それかといってこの神聖視される大型スピーカーを改造する勇気はとても持ち合わせていなかったが、とうとう堪忍袋の緒が切れて裏蓋を開けてユニットの交換をするに至ったのは10年程前だったろうか。

まず補助バッフルを使って「AXIOM80」を、そして「JBLーD130」ユニットと、それぞれ楽しませてもらったが、ようやくフィリップスの口径30センチのダブルコーン型(アルニコ タイプ)で落ち着いた。今はどうか知らないが、一時世界中の放送局でモニタースピーカーとして使用されていた逸品だけあってクセのない、しかも音楽性を兼ね備えた音質には完全に満足。

しかし、ちょっと高音域部分の歪っぽさが気になったので2ウェイ式のネットワークシステムを使って、クロスオーヴァーを4000ヘルツ(12db/oct)にとってみた。

つまり、低音域から4000ヘルツまではフィリップスのユニットを使い、それ以上はJBLの075ツィーターが活躍。

この組み合わせにまったく違和感を感じなかったのだが、このたび「PX25」アンプが戻ってきたので試しにプリアンプを外して直結にして聴いてみた。

つまり、システムの流れは「CDトランスポート」(dCS) → 「DAコンバーター」(dCS:ボリューム付き) → パワーアンプ「PX25」シングル → スピーカー「フィリップス+JBL075」(箱はウェストミンスター)となる。

すると、途端にフィリップスとJBLの音質の違和感に気付かされた。JBLが寒色系のとても冷たい音に感じられたのである。プリアンプを経由していた時はフィリップスのユニットが無色透明のせいもありどんなツィーターを持ってきても合うと安心しきっていたのだが、外した途端にこの有様~。

この事象をいったいどう解釈したらいいんだろう。

結局、これまでプリアンプが音の酸いも甘いも噛み砕いて“おおらかに”包み込んでいたに違いない。よく豪傑を喩えて「清濁併せ呑む」タイプと評することがあるが、この表現がピタリときそうだ。

逆に言えば、録音現場のプレゼンスたとえば細かい音のヒダとか音響空間における楽器の位置などのとてもクリティカルな部分については表現が苦手と分析せざるを得ず、とりわけ新装なったPX25アンプの解像力がその傾向にますます拍車をかけたに相違ない。

ただし、これは我が家だけの事象かもしれないので念のため。

というわけで、とうとうJBLのツィーターを外してワーフェデールのコーン型ツィーターの出番となった。これで同じヨーロッパ同士の組み合わせ。

        

この組み合わせだとまったく違和感が無くなり、安心して音楽に耳を傾けられるようになった。やはり「シンプル イズ ベスト」で、プリアンプ不在で気に入った音を出すのがあるべき姿のような気がする~。

と、ここまではメデタシ、メデタシ。

滞りなく(このブログを)書き終えて、念のためにこのシステムでオペラ「マクベス」(ヴェルディ作曲)を聴いてみた。この「マクベス」は豊かなスケール感と力強さが全編に漲っていないと聴けない音楽である。

すると、何とこの場合はプリアンプを入れたほうが断然良かったのである!

ウ~ン残念、これでプリアンプの問題は「元の木阿弥」になってしまったあ~(笑)。


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戻ってきたPX25真空管アンプ

2016年06月14日 | オーディオ談義

先日、同じ「AXIOM80」仲間のSさん(福岡)からメールが届いた。

「本日、PP5/400(出力管)が一本昇天されました(泣)。まあ当初、英国からアンプに付いてやって来た球なので、15年近くに渡って音楽を楽しませてくれました(感謝)。

そこでストックしていた球に入れ換えたところがビックリです。先ほどと同じレコードを聴いているのにスピーカーから出てくる音がまるっきり違うのです。ああ~これまで何ともなく鳴ってはいたんだけど随分エミ減した音を聴いていたんだ!と気が付きました(汗)。

真空管は徐々に弱っていくので、毎日聴いていると全く気が付きませんね。PP5/400アンプがやって来た当時、感動した音を思い出しました。やはりPP5/400は間違いなく直熱三極出力管の王様です。今我が家では、鳥肌が立つ音で音楽が鳴り響いています。」

これに対して次のようにメールを返した。

「鳥肌が立つ音とはうらやましい限りです。それにしても15年も続けて鳴らしたとは、よく保った方ですよ。しかし毎日聴いているとたしかに球が劣化していくのがよく分からないのは困ったことです。ときどき入れ替えて確認する必要があるんでしょう。しかし、こういったエミ減の球が オークションに出品されていたりすると、とても怖い話ですね。外見の写真映像だけではよくわかりませんからお互いに気を付けましょう。」

というわけで、オークションで真空管を購入するときは、きちんと測定結果が付いたものとか、信頼の置ける出品者を選択するように心がけているが、破格の安値だとつい見境なく転んでしまうのが自分の悪い癖。ほら「安物買いの銭失い」って警句があるにもかかわらず~(笑)。

さて、その「PP5/400=PX25」を使った真空管アンプだがソケットの不調があって「北国の真空管博士」に修繕に出していたところ、この11日(土)に3週間ぶりに戻ってきた。

やっと我が家のエースが復活!これでどんなお客さんがお見えになっても怖くないぞ~(笑)。

さっそく、結線して“音出し”してみたところ音質に一段と磨きがかかっていた。

          

前段の球は「3A/109B」(STC=ウェスタン・イギリス支社)、出力管は「PX25」(GEC)、整流管は「GZ33」(ムラード)とすべてイギリス勢。整流管はいくつか直熱管も持っているが、出力管の寿命を考えるとどうしても「傍熱管」に落ち着いてしまう。

それにしても以前は気にならない範囲で、ややハムノイズが乗っていたのだが、それもすっかり収まってこの透明感のある音質、そして彫の深い音像は何物にも代えがたいほどの素晴らしさ。よほど特別なノウハウを施されたに違いない。

「北国の真空管博士」にズバリその秘訣を訊いてみたところ次のような回答が返ってきた。

PX25アンプは修理のついでに各部の確認と微調整を行いノイズを低減することができました。効率の高いスピーカーでも問題ないレベルになったと思います。その甲斐あって音に磨きがかかったのでしょう。

なお、ノウハウの件ですが
PX25を使用する場合、通常はグリッドに5KΩ前後の抵抗を直列に挿入して発振を防止するのですが、一方音質面では、PX25の入力容量が大きいためグリッドに挿入した抵抗の影響を受けやすいのです。音のスピード感に影響があると考えています。
 
したがって今回はインターステージトランスの取り付け位置の工夫とグリッドへのフェライトビーズの挿入でこの問題を回避し、インターステージトランスを使用しながらも安定動作とスピード感のある再生音を実現しました。 
 
なお、〇〇様のPX25アンプには第二の裏ワザも施してあります。それはインターステージトランスとPX25の組み合わせによって起こる高域の低下を防ぎワイドレンジ化を実現するためのものです。この裏ワザは再生音のスピード感の向上にも寄与しており、これら二つの裏ワザの組み合わせによりトランス結合のPX25アンプとしてはトップクラスの音質に仕上がったと思います。」

いえいえ、トップクラスの音質とはご謙遜でしょう。「NO1」だと思いますよ~(笑)。

なお、念のため「上記の件は公開していいですか」と博士にお伺いを立てたところ、「ええ、構いませんよ」とご快諾。

アンプづくりの技量が向上すればするほど秘儀を会得し隠したがるのはあたり前だし、自分が同じ立場でもそうするが、博士に限っては当てはまらないようで(笑)。

最後に、ひとくちにPX25と言ってもピンからキリまでいろんな球があるが、このアンプはそれら個別の音質の差をあまり感じさせないところがすごい。

         

左から順にPX25系では最高峰とされる「PP5/400」(英国マツダ:初期版)、「PX25ナス管」(GEC)、「PX25ドーム管」(オスラム)だが、これまで音質がやや劣るとされてきたドーム管でも「PP5/400」との差はごくわずかだし、ナス管に至っては堂々と互角に渡り合えるところがうれしくなる。

こんな「いい音」で毎日クラシック音楽を楽しめるなんて、脳内を猛烈に刺激して認知症になるのをきっと遅らせてくれることだろう~(笑)。
 

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認知症予防になる「音楽&オーディオ」

2016年06月12日 | 読書コーナー

段々年齢がいくにつれて用心しなければならないのが「認知症」と「ガン」の二大疾病だ。以下の話はちょっと年寄りじみた話になるので興味のない人は読み進まないようにしてくださいね~。

さて、これらに関して2冊の本を読んだので、後日のために記録に遺しておこう。

         

☆ 生涯健康脳を保つために

東北大学の教授が書いた「生涯健康脳」(2015年7月刊)は、「生涯にわたって脳を健康に保つ」ためのノウハウを分かりやすく説いた本だった。この種の書籍は巷に氾濫しているので、ワン オブ ゼムのつもりで読んでみたが、さして目新しいことはなかったものの、それでも気になる事柄があったので列挙しておこう。

〇 脳の最高の栄養素は知的好奇心

脳の健康維持のために欠かせないのが毎日の30分の有酸素運動とともに、知的好奇心が挙げられている。たとえば探究心、冒険心、追求心などワクワク、ドキドキが脳の中の神経伝達物質であるドーパミンを活性化させて脳全体をとても元気にする。したがって知的好奇心を大いに刺激する趣味を持つことは脳にとって素晴らしい効果をもたらす。

〇 音楽は脳の報酬系を刺激する

以下抜き書き。「音楽を聴くととても良い気持ちになります。ここでもまた脳の中では凄いことが起きているのです。脳はご褒美をもらったような状態になっているのです。音楽を聴くと脳の<報酬系>と呼ばれる領域が活発になることがカナダの大学の研究で分かっています。

報酬系というのは詳しくお話しすると、欲求が満たされたときに心地よいという感覚を与える神経伝達物質を放出する神経系のことです。会社で給料が上がるなどの良いニュースを聞くととても良い気持ちになってヤル気が出たりしますが、欲求が満たされると予測することでも脳は活性化するのです。

報酬系の領域が活性化されると、灰白質の体積が増えるという報告もあります。よく褒めて伸ばすという事例がありますが、まさにそれに当たります。つまり、音楽を聴くと欲求が満たされたり、褒められたりしたときと同じような心地よい気持ちに自然となるのです。また音楽を聴くと一部の領域だけでなく多くの領域の働きが活発になることが分かっています。音楽を聴くだけでも脳にとっても良いのです。したがって、脳にとって音楽は<百利あって一害なし>なのです。」

とまあ、そういうわけで日頃から音楽を聴くこと、そして、しょっちゅうオーディオ機器を入れ替えてハラハラドキドキすることは認知症予防のためにとってもいいことが分かった。したがって、これからも続けていこうと固く心に誓った(笑)。

次に「文芸春秋6月号」について

文芸春秋という雑誌はいつも新聞の広告欄を見て面白そうな項目があったら、つい興味を惹かれて購入するのだが、読んでしまうと「ナ~ンダ、大したことが無い記事ばかりだった」とガッカリすることが非常に多い。まあ、それに懲りずに購読する読者にも責任があるのかもしれないが(笑)。

まず、「晋三は宿命の子です」(ロングインタビュー4時間半~安倍洋子~)。安倍洋子さんといえば、現総理のご母堂であり、元総理 岸信介氏のご息女である。どんなことが書かれているのか野次馬根性で読んでみたが、当たり障りのないことばかりでナ~ンダ。しかし、こればかりは期待する方がおかしい。母が息子の悪口を言うはずがない(笑)。

特集記事の「強欲資本主義と決別せよ」にしても、日本は他国と比べて貧富の差がそれほど激しくないと思うのであまりピンとはこなかった。

それでは最後に、

☆ 百寿を達成する12の条件

1 長生きする食事とは 2 酒、たばこは続けていいのか 3 運動は長寿に影響するのか 4 長生きする性格はあるのか 5 医者とはどう関わるか 6 大病経験はどう影響するのか 7 百歳を支える良い家族とは 
8 介護は在宅か施設か 9 老いの仕組みは分かったか 10 百歳の人は幸せか 11 百歳の趣味は?恋は? 12 長寿遺伝子はあるのか

以上だが、特に目新しいことも無くすべて常識の範囲内で答えが出ることばかりだった。

☆ 長寿県と短命県は何が違うのか

産まれた子供が親を選べないのと同じように、私たちは生まれ育ち、そして居住している県をそう簡単に選び分けるわけにはいかないが、その住んでいる県によって寿命が違うとなると放っておくわけにはいかない気がする。理不尽だ!

長寿日本一の県ともっとも短命な県との平均寿命の差は3.6歳と書いてあったが、この差をどう考えるか。

そして、その差が生じる原因としては「お酒を含めた食生活」「普段の生活における健康への関心度・教育」「運動習慣」といった事柄だった。

これらは現在実践しているのでなんてことはないが、百歳とはいかないまでも、耳が遠くなって音楽もオーディオも愉しめないようになったら、そのときはアッサリこの世におさらばしたいと考えている。

その年齢は、はたして“いつごろ”になるのか興味は尽きない(笑)。


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目の保養になるコンサート

2016年06月09日 | 独り言
去る5月15日のNHK教育テレビで随分と「目の保養になるコンサート」が放映されたようだ。当方は惜しいことにウッカリ見逃してしまったが、メル友の東海地方の「I」さんからの情報提供で知った。

「NHKのFM放送と衛星放送は私の重要な音楽ソースです。
クラシックは幅広く聴くために、ジャズは現代の動向を把握するために聴いています。
 
番組はタイマーでDVDレコーダーのHDDに録音(録画)しています。計算しましたら、クラシックは1週間で27時間強、ジャズは3時間(ジャズツウナイトとセッション2016の2番組しかない)録音していました。
 
クラシックは1日当たり約4時間になりますが、聴いてみて、好みではない曲は飛ばしていますので、聴くのに毎日4時間かけているわけではありません。
 
その中で、5月15日放送のN響アワーに、カティア・ブニアティシブリというピアニストが出ていました。ご覧になっていましたら、ここから先はお読みにならなくて結構です。
 
ナイスバディを露出の多い衣装に包み、体をくねらせ、たぶん声も発しての熱演です。カメラのとり方もいつもとは違いました。画面からこぼれんばかりです。楽員で最も近くに位置していたセコンドトップのバイオリニストが・・・眼のやり場に困惑し、血圧は上がる、汗はかく、最後は目が泳ぐ状態で、まともに伴奏はできなかったのではないか、と思いました。

しかし、前列で観た人にとっては、間違いなく記憶に残る名演奏だったのではないでしょうか。
 
「ヤルヴィーはん、こんなん連れて来たらアカン!」 なんちゃって関西弁ですが、当方、両親が兵庫県人です。お許し下さい。
 
肝心のピアノ演奏ですが、映像付きで聴くと音楽に身が入りません。でもまた聴いてみたい人です。
データ  演奏日  2016年2月17日  サントリーホール
      放送日  2016年5月15日 NHK教育

           

この人が噂のカティア嬢だが、たしかに~(笑)。

そういえばずっと昔の現役時代の頃・・。   
   

ある気さくな女性(中間管理職)から聞いた話だが、「仕事が出来るとか頭が切れるとか言われるよりも、綺麗とか可愛いとか言われる方が好き」とのことだったのでビックリ~。こりゃ男性とはまるっきり価値観が違うわいと驚いたことがあった。

その伝でいけばカティア嬢も「演奏がうまいと言われるよりも、魅力的だと言われる方が好き」なのかもしれない(笑)。

いずれにしても、前述したようにこの番組は見逃してしまったので、再放送があることを期することにしたが、「I」さんには貴重な情報を提供していただくばかりでは申し訳ないので、こちらからも申し出た。

「返礼というわけでもないのですが、五嶋みどりさんの「ヴィオリンとヴィオラのための協奏交響曲k・364」(モーツァルト)はお持ちですか?名演だと思いますのでもしお持ちでないようでしたら送付しますがいかがでしょう。一度耳にされるのもいいと思いますよ。ただし、押し売りは「害あって益なし」ですので興味が無ければアッサリ「ノー」でも結構ですが(笑)。」

すると「丁度聴きたいと思っていたところでした。是非送付して欲しいです」とのことなので、すぐにCD専用の封筒に入れて送付。

2日後に無事届いたとみえてさっそく試聴結果のご報告が届いた。


「おはようございます。昨夜、送っていただいたCDを聴きました。
 
いい演奏ですね。録音も凄くいいです。15年位前の録音ですね。今井さんが若い! 〇〇様がブログに書かれていたとおり、バイオリンとビオラの音色の違いをこんなに感じたことはありません。
 
演奏の方ですが、五嶋みどりさん今井信子さん、いいですね。世界のトップクラスなのでしょうね。ふと、4年前に当地の静岡音楽館AOIで聴いた庄司紗矢香さんを思い出して心配になりました。
 
ジャンルカ・カシオーリ(P)とのリサイタルでした。私には演奏の構成力が弱いという印象が残りました。もちろん、えらそうに評価できる立場ではありませんが。彼女の音楽は、切れぎれになっている感じです。たとえば、ヴェンゲーロフの生を、私はは聴いていませんが、TVやCDで聴く、その音楽の構成力(関連性・必然性など)は凄まじいものだと思います。
 
以前、NHKTVのインタヴューで彼女は、ドイツで暮らす理由を「平板な日本語の社会で暮らしていると、音楽も平板になるから・・・」と仰っていました(カチン!でも事実だろうな)。
 
素人の妄想ですが、彼女に必要なのは、ドイツ語やクラシック本流の勉強ばかりでなく、他の音楽、ジャズとは言わないまでも、いろいろな地域の伝統音楽などの勉強や音楽以外の分野の勉強ではないでしょうか。要するに音楽の幅が狭い。将来への広がりが感じられない。
 
ポリーニがアメリカのジャズフェスを聴きに来ていて、日本人のピアニスト(しらさかあやこ、だったかな?)にスタンダードをリクエストしたという逸話を聞いたことがあります。余裕を感じます。
 
あ~、すごい偉そうなことを言ってしまった・・・自己嫌悪です・・・でも、また、聞いてください。では失礼します。」

以上のとおりで、どうやら五嶋さんと今井さんのコンビが気に入っていただいたようで送り甲斐があった。またジャズ一辺倒とばかり思っていた「I」さんだがクラシックへの造詣も深いことが分かったのは収穫。

なお、「I」さんは随分とナイーブな方のようで、ごく当然の表現だと思うのに「偉そうなことを・・、自己嫌悪です」とは恐れ入る。

このブログなんか、いつも「上から目線」になりがちだと思っているが、それに比べれば可愛いもんですよ~(笑)。

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オーディオ訪問記(2016.6.4)

2016年06月07日 | オーディオ談義

本県の南部地方は日豊海岸国定公園に面しており岩礁が多いことから「磯釣り」の漁場としてつとに有名だが、少し内陸部に入るとすぐに鬱蒼とした森林地帯になる。

かねて同地域に棲む知人から「近所に“I”さんという凄いオーディオマニアがいます。近所に気兼ねなく聴けるように山を切り開いて中腹に大きなオーディオルームを作っています。カフェを兼ねてますのでお客さんはいつでも歓迎ですよ。」との話を聞いていた。

そう聞くとマニアたる者、黙って見過ごす手はないので「是非お伺いして聴かせていただきたいですね。ご連絡をお願いします。」と、知人を通じて日程調整をした結果、この4日(土)に決定した。

当日はあいにく朝から梅雨入りの雨だったが、モノともせずに午前9時ごろに出発。高速道路を一部利用して1時間半ぐらいで知人宅に到着。

現地は県内有数の過疎地帯なので付近にはかなり空き家があって、「オーディオ用の別荘として考えてみてはどうですか」との誘いに乗って、山野を散策しながら2~3か所の物件を当たってみた。別荘といっても地価はメチャ安いのでそれほど高嶺の花でもないが、こればかりはオーディオ機器と違って勝手に決めるわけにはいかない(笑)。

そうこうするうちにお昼時になって、ご自宅で奥様の手料理を味わった。名物の「イノシシ料理」もあって、カエルから蛇そして農作物まで何でもかんでも食する雑食性のイノシシだが、うまく匂いを消して調理してあるのでとても美味しかった。

午後からは山の中を分け入ってお目当ての「I」さん宅へ伺った。クルマが1台通れるほどの切り開いた小道を50mほど登って到着。

「いやあ、どうもはじめまして~」と、ご挨拶を済ませてオーディオルームに入った。

ワ~ッ、これは・・・。

        

        

我が家のオーディオルームと比べるとおよそ2倍半くらいはゆうにあるので広さは100㎡ほどだろう。しかも天井が高いので容積からいくと軽く3倍は越えるはず。

これまでいろんなお宅のオーディオルームを拝見させてもらったが、ここに優るところはなかった。

次にシステムの方だが、

          

JBLの4ウェイスピーカーと三菱のダイヤトーンが鎮座している。三菱はかってNHKのモニタースピーカーとして一世を風靡したDS-208。

       

アンプはプリがクリスキットで、パワーは真空管300Bのプッシュプルとのこと。

「I」さんはSPからも分かるようにジャズ系がお好きで、
はじめに三菱を聴かせてもらったが、朗々たる音が鳴り響いた。とても口径20センチのユニットとは信じられないような豊かな音でこればかりは部屋の音響がメチャ貢献している感じ(笑)。

こういう音を聴かせられると、「オーディオは何やかや言ってみても結局は部屋の大きさで決まりだよね~」という気にさせられる。

ひとしきり三菱を楽しませてもらってから、次にJBLシステムへ移行。

一段とスケールが大きくなって圧倒された。喩えて言えば排気量5000CCのクルマで少々のデコボコ道をものともせずにすっ飛ばす感じ。ジャズにはもってこいのサウンドだろう。

「はい、ジャズは分かりました。しかしクラシックはどんな鳴り方をするんでしょう。」と、興味津々のうちに持参したCDをかけてもらった。

日頃からオーディオチェック用としても使っているオペラ「マクベス」(ヴェルディ作曲)。

           

冒頭の管楽器の咆哮が凄まじい。どんなに大きな音を出しても音響効果のせいかうるさい感じがしないし、これだけ鳴ってくれれば十分だが、クラシックの場合に限ってはスペースがたっぷりあるんだからスピーカーの位置を2~3mほど前に出して聴いてみたい気がした。

もちろん初対面の方にそんな厚かましいことを言えるはずがない(笑)。

途中で「試聴盤にヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364を持ってくるんだったと」後悔したが後の祭り。

ヴァイオリンとヴィオラの音色の違いを、このシステムならどういう風に表現するんだろう?

音の傾向はだいたい分かったので、次回のときはもっとCDを選別して持って行って聴かせていただくことにしよう。

それに、つい最近新調した口径10センチのスピーカーをこういう部屋で鳴らしてみたい気もする。広大な音響空間のもとでボーカルなどはきっと素晴らしいステージを再現することだろう。

2時間ほどで辞去したがたいへん参考になって実り多き試聴だった。

なお、これには余談があって、その日の夜はとても寝つきが悪かった。しかもようやく眠りについてもたった3時間ほどで目が覚める始末。いったいどうしたことかと、よく考えてみると昼間にとても濃くて美味しいコーヒーを抹茶茶碗で出していただき、すっかり飲み干した事を思い出した。

原因はコーヒーのせいだった! ヤレヤレ(笑)。
 


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新しいエンクロージャーの到着

2016年06月05日 | オーディオ談義

オーディオの楽しみ方は人それぞれ。

誰もが口を挟む余地はないが、我が家の場合はどんなに気に入った音が出ていようと、新しい機器を導入して音出しをするときが一番ワクワク、ドキドキするので、そのうち刺激が欲しくなってついつい交換したくなる。

しかも少額の投資で期待以上の音質が出たときの喜びに優るものはなく、やっぱり「三つ子の魂百までも」、どうやら「ビンボー育ち」は終生争えないようでして(笑)~。

今回もまさにそうだった。

前回のブログに記載したように3日(金)のお昼ごろに到着した新たな小型エンクロージャー。

          

左側の汚い箱がこれまでユニットを容れていた自作の箱で、右側が今回新たに導入した箱。見かけにはあまりこだわらないタチだが、まるで月とスッポンでチョッピリ恥ずかしくなった(笑)。

新たなエンクロージャーは想像した通り実に丁寧に作られていて、とても素人の及ぶところではない。ネジ止めする箇所がまったく無くて完全密封型なのでユニットは外側から取り付ける仕組みになっている。

こういう方式の場合、一番心配していたのがフィリップスのユニットの口径がピタリと収まるかどうかにあった。万一のときは補助バッフルを使う算段をしていたのだがどうやら杞憂に終わったようで口径10センチの寸法がピッタリ合って、ホット一息。

ユニットの外側2か所に細かい刃のドリルで穴を開けネジで止めて、ほぼ30分ほどで結線完了。さっそく音出し~。

緊張の一瞬だったが出てきた音を聴いて、ウ~ン、何と表現したらいいんだろう?

明らかにプラスとマイナスがあるようだ。

まずマイナスの面から言えば、

 音がややこもり気味で鮮度がやや落ちる  

 プリアンプのボリュームが12時の位置で聴いていたのが2時の位置になった。つまり能率が悪くなったが、これは自作のホーンが無くなったことにより音圧が減少したことも一因だろう。

プラスの面から言えば、

 後面開放時と比べると、音が鳴り止んだときの静けさや余韻がまるっきり違う。余計な付帯音が無くなった感じ。

 「音の佇まい」とでもいうべきか、ステージ(舞台)の上に歌手がすっくと立っている感じが伝わってくる。

まあ、以上のように一長一短で各人の好みの差もあろうが、何といっても「音の佇まい」は「音の品格」に直結する。やっぱり家庭でクラシック音楽を楽しむ限り、オーディオの最後の決め手は「音の品格」に求めざるを得ない。

よし、このエンクロージャーでしばらく様子をみてみることにしよう。

それにしても、ちょっと音が上ずり気味のような印象を受けたので、試験的に羽毛の吸音材を活用してみることにした。

         

左側の白い袋状のものが自作の「羽毛が詰まった吸音材」である。

まず右側の箱だけに「羽毛の吸音材」を入れ、左側はそのままにして比較試聴してみると明らかに右側の音の方がクリヤかつシットリとして落ち着きがある。どうやら吸音材を容れたほうがよさそうだ。

これで好感度90点に跳ね上がった。

それから、このエンクロージャーの到着時に白いクリーム状のものが小さなビニールの容器に入って同梱されていた。いったいこれは何だろうと、問い合わせてみたところ

「手入れ用のオイルです。一ヶ月ほど後に柔らかい布につけて磨いてください。おおよそ2回分あります。間隔は3か月です。その後は乾拭きだけで大丈夫です。」

とのことだった。たとえ手放したとはいえ、このエンクロージャーに対する製作者の愛情がヒシヒシと伝わってくるではないか!

メーカーの大量生産品には望むべくもないことで、何だかほのぼのと心が温かくなり、出てくる音までもが暖かくなったのは、これはいったいどうしたことか(笑)。


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夏が来れば小型スピーカー

2016年06月03日 | オーディオ談義

20世紀日本を代表する作曲家の一人「中田喜直」(なかだ よしただ)の作品に「夏の思い出」という唱歌がある。

「♪ 夏が来~れば 思い出す~ はるかな尾瀬(おぜ) 遠い空 ♪」 

そう、歌詞を聞くと「小学校の音楽の時間に習った歌だ」と、思い出す方がきっと多いことだろう。

梅雨入りも目前に迫った今日この頃、いよいよ夏の到来も間近となった。アメリカのNASAの予報によると今年の夏は過去にない空前の猛暑になるというから覚悟しておかねばなるまい。

さて、タイトルにあるように、なぜ「夏が来れば小型スピーカー」なのか。

まず夏の時期は早朝から窓を開け放す家が多い。もしかして一日中エアコンを入れっぱなしという方もいるかもしれないが、それは健康上あまりよろしくない。

窓を開け放すと、隣近所に迷惑なので大きな音で音楽を聴くわけにはいかない。それに大型システムをボリュームを絞って聴いても効率が悪くてショボイ音になってしまうのがせいぜいだ。

その点、小型スピーカーは小音量に向いていてどこまでも音像をシャープに保ってくれる。

というわけで「夏が来れば小型スピーカー」の出番が多くなるというわけ(笑)。しかも小型といっても我が家の場合は極端でたかだか口径10センチのコーン型フルレンジユニットが好みだ。

             

いつぞやのブログにも記載したとおり、オークションでみかけたがとても薄い形状なのが気に入った。いかにも空気を楽に前後に押し出せそう、つまり音声信号への応答性が早そうなユニットなので即落札したが、それが去る5月2日のこと。

それから今日まで1か月あまり、今では我が家のメインシステムとして堂々と活躍中である。

最初のうちはそれほどでもなかったが、「叩けば叩くほど音がよくなる法華の太鼓」のように、聴けば聴くほどに魅了されすっかり惚れ込んでしまった。

小型フルレンジ特有のメリットが充分発揮されていて、何よりも音像のフォーカスがシャープだし音色もすこぶるいい。さすがはフィリップス。人の声が中心のテレビの音を聴くのならこれに優るユニットはないほどで、時間的にも一番長く活用しており、たいへんなお買い得だった。

プリアンプは真空管式(出力管はE80CC)、パワーアンプは「71Aシングル」で駆動しているが、聴いているうちにいつものように段々と欲が出てきてしまった。

現在、このユニットを後面開放の非常にショボイ自作の箱に容れて聴いているのだが、「この程度の箱でこんなにいい音が出るのなら、本格的な箱に容れてやるともっと良くなることだろう。」

それに、もうじき本格的な夏が来て、出番が益々増えてくることだし~。

            

オークションで目を付けたのがこの箱だ。肝心のお値段の方もユニット開口部の穴開けとSPターミナルの加工賃を入れても、先日購入したウォーキングシューズに届かないのだからうれしくなる~(笑)。

商品説明にはこうあった。

「12ミリラワン合板(一部シナ合板)+0.6ミリ桜突き板仕様、側板18ミリ集成材使用のスピーカーボックス。接着剤はタイトボンド使用。補強はそれぞれ異部材(ヒノキ、パイン)の角を落とし定材波が発生しないよう施しています。オイルフィニッシュ(天然ラベンダーオイル)で、半艶の落ち着いた仕上がりです。

寸法は298(高)×180(幅)×207(奥行:ターミナル含まず) ポートの共鳴周波数は60ヘルツ。 独立式バナナプラグ対応スピーカー端子は、OFC配線圧着と音響用ハンダ固定を施して+1000円、穴あけ加工は+750円になります。(いずれも一つの価格です。ステレオ:ペアだと二倍になります) 」

このエンクロージャーがいよいよ今日(3日)到着する。

はたして吉と出るか、凶と出るか、お楽しみ~(笑)。


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真空管アンプの永遠のテーマ

2016年06月01日 | オーディオ談義

現在、我が家のエース級アンプ「PX25シングル」と「WE300Bシングル」の2台を泣く泣く調整に出している。

真空管のピンを挿し込むソケットが〇〇製のため、緩くなって接触不良を起こしてしまい音が出くなったのが原因。やっぱり〇〇製はダメだねえ(笑)。

そこでアンフェノール製のオールドものを3ペア手に入れて総入れ替えをお願いしている次第。

必然的に残されたアンプを活用しているが、幸いなことに音質的にはいずれもヒケを取らないので音楽鑑賞には支障をきたしていない。

ウェストミンスターのスピーカーは「171シングル」(インターステージトランス入り)で駆動し、「AXIOM300」のスピーカーには「71APP」で駆動している。

今回はこの「171シングル」について述べてみよう。

          

ご覧のとおり非常にシンプルな構成で、「前段球」 → 「インターステージトランス(内蔵)」 → 「出力管171」(トリタン仕様)、そして整流管はカニンガムの380(ナス管)。

この前段球というのが切り換えスイッチで増幅率の違う3種類の球を差し替えられるようになっている。

まずはML4(増幅率=ミューが6前後)、次にMHL4(ミュー=16前後)、そしてMH4(ミュー=35前後)といずれもピンの形状は同一でイギリス系の球。

      

左から「ML4」(オスラム:メッシュプレート)、「MHL4」(GEC)、「AC/HL=MH4」(英国マツダ)の順番。

これら3種類の前段球を差し替えることによって音質がガラリと変わるのが何とも面白い。増幅率の違いだけでどうしてこうも変わるのか?

こういうときは古典管の泰山北斗「北国の真空管博士」に教えてもらうに限る。

「前段球の増幅率は低いのから高いのまでいろいろあって、我が家の場合はどうも低い方が音がいいような気がしますが、この点についてどのようにお考えですか?」

すると、次のような返答があった。

前段球のミューについてですが、個人的見解としては回路定数の設計が適切であればミューが高くても低くても良い音が楽しめると思います。

そうは言ってもミューの違いで音の傾向が異なるのは事実で、この辺は個人的な好みが大きく影響するのは言うまでもありません。
 
ミューの高い球は繊細な表現が得意ですが再生レンジは狭くなります。ミューの低い球はワイドレンジでスピード感がありますが繊細な表現はμの高い球に及ばないように思います。

私の理想はミューの高い球の繊細な表現そのままにワイドレンジかつスピード感のある音を実現することですが、回路設計と部品選定を適切に行えば可能であると考えています。

出力管との相性でいえばPX25やWE300Bのような入力容量の大きな球の前段としてはミューが高く内部抵抗の高い球は相性が悪く使用にあたっては特別な配慮が必要です。
 
前段球と出力管の組み合わせは奥が大変深く永遠のテーマといえると思います。」

前段球のミューの違いによる音質の変化はどうやら素人にとって簡単に結論が出るような問題ではなかったようだ(笑)。

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