「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

愛聴盤紹介コーナー~ルービンシュタインが弾くショパン~

2007年07月31日 | 愛聴盤紹介コーナー

先日の音楽談義”意味がなければスイングはない”の末尾で取り上げた逸話の持主、ピアニスト「ルービンシュタイン」に改めて興味が湧いた。

あのスペインの高級娼家で即席コンサートを開いたルービンシュタイン。その飾らない(?)人となりと芸術に対する資質との関連を何だか確認してみたくなったというのがその理由。

ルービンシュタインの紹介記事についてはWikipediaにこうある。

アルトゥール・ルービンシュタイン(1887~1982) ポーランド出身(ショパンと同郷)

前半生はヨーロッパで、後半生はアメリカで活躍した。ショパンの専門家として有名だがブラームスやスペインのピアノ音楽も得意とした。20世紀の代表的なピアニストの一人。(中略)

引退後、自伝「華麗なる旋律」を執筆。結婚中に数多くの女性と浮名を流し最晩年になっても愛人と同棲していた。バイセクシャルであることを隠そうともしなかった。

以上のとおりだが、こうした「へその下には人格なし」のような大ピアニストが、果たしてあの上品で優雅の極みともいえるショパンをどのように弾きこなしているのだろうか、大いに興味があるところ。

たしか彼の弾いたショパンを持っていたはずと、手持ちのCD盤の中からルービンシュタイン演奏のものを探してみたところ意外にも次の6枚が見つかった。

ルービンシュタインの弾くショパンは定評があるので、いつかは聴こうと思ってずっと以前に購入しておいて、どうやらそのままお蔵入りになっていたようだ。

ショパン    夜想曲(ノクターン)Vol.1(第1番~10番) 1965年RCAスタジオ録音
 〃      夜想曲Vol.2(第11番~19番)、同上
 〃      マズルカ(第2番~47番)、1965年、ニューヨークで録音
 〃      バラード(第1番~4番)、スケルツォ(第1番~4番)、同上
 〃      ワルツ(第1番~14番)、1963年、RCAスタジオ録音
ベートーベン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、同4番「ト長調」、ボストン交響楽団

この中でワルツは例外的にときどき聴いており、録音状態は昔のレコードをCD盤に焼き直したものであまり良くないが、オーディオのテスト盤として、この盤のピアノがうまく鳴らないときはどこかで調整がうまくいってない判定の証として重宝している盤。

したがって、今回はこの盤を除いて残る5枚を全て試聴してみた。

久しぶりに耳をそば立てて集中して聴いたが全てが実に良かった。特に感銘を受けたのは
夜想曲(ノクターン)。甘美で感傷的な旋律を歌わせる夢想的な小品集だが
優雅の極みを通り越して幻想的でショパン独特の世界に誘われる気がした。

これらをずっと聴かないでそのまま放置しておいた時間を取り戻したいほどの名演で、比較するために今度はアルフレッド・コルトーのCD盤(全集盤)を引っ張り出して試聴してみた。

コルトー(1877~1962)はフランスの名ピアニストで1907年、パリ国立音楽院ピアノ科教授に就任しショパンの極め付きの模範的な奏者として知られている。

試聴結果だがやはりコルトーは、学者の趣を感じさせるタッチで「ショパンはこのように弾きなさい」とまるで生徒に言い聞かせるような立派な演奏。ただし、録音の悪いのが玉に瑕。

それに比べて、ルービンシュタインの方は抑制と情緒性のバランスがよくとれた演奏でそれも透き通ったピアノの音の響きが驚くほどきれい。総合的にみてルービンシュタインの方に軍配を上げたいほど。ライナーノートには意外にも録音時の真摯かつシビアな様子とともに他人に細やかな心遣いをするやさしい人柄が記載されている。

やはり、人間が持つ多面性と個有の芸術性とはひとくくりにはできないものであるとつくづく思った。実は、こういう例は音楽の世界ではルービンシュタインだけに限らない。

例えば作曲家では、あのモーツァルトは一種のふざけ屋さんで
”なーんちゃって音楽”(青柳いずみ子氏)の趣を強く持っているし、決して聖人君子でもなく、映画「アマデウス」で描かれた人間像はウソではないと思う。

また、ベートーベンの晩年は随分ケチでわからずやだったし(耳が遠くなったので無理もないが)、ドビュッシーはお金のために一緒に苦労した妻を捨てて金持ちの未亡人に走った。楽劇で知られるワグナーは友人でもある指揮者の奥さんを平気で寝取って自分の妻にした。ほかにも自分が知らないだけでおそらく一癖も二癖もある連中が実に多い。

指揮者にしても、一流として知られるべーム、クレンペラー、フルトヴェングラーなども人間的にはあまりいい評判を聞かない。

こうした実例に接すると結局のところ、芸術家といっても一人の人間に過ぎない。

作品のイメージと重ね合わせてあまねく高潔な人格を持った人物として偶像視するのはどうやらやめておいたほうがよさそうで、
むしろ、そうした血の通った人間味が作品と私たちを結び付けてくれる要素の一つかもしれないなどと思っている。   

                      

 


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魔笛の指揮者・歌手達~タミーノ編~

2007年07月28日 | 魔笛の指揮者・歌手達

タミーノ(王子)役はオペラ魔笛の完成度を大きく左右するともいえるほどの一番重要な役。この役はリリック・テノールの典型といわれ、その当時の一流と目されるテノール歌手達が続々と登場する。順を追ってみてみよう。

♯1 ビーチャム盤(1937)
ヘルゲ・ロスヴェンゲ(1897~1972) デンマーク
20~30年代、ベルリンとウィーンの寵児であり伝説的な高音の王者である。ドイツ語によるイタリア・オペラで沢山の録音を残している。ほとんど独学で声楽を習得しており、最大の教師はレコードで聴くカルーゾーだった。この盤以外にもCDライブのトスカニーニ盤(1937)にも出演している。

♯2 カラヤン盤(1950)
アントン・デルモータ(1910~1989) ユーゴスラヴィア
ユーゴ生まれながらウィーンで舞台デビューし、引退後もウィーン音楽大学で教えたというから文字通りウィーンに捧げた一生だった。中庸で控えめな「モーツァルト・アンサンブル」の趣味の良さには定評がある。

♯3 カイルベルト盤(1954)
ルドルフ・ショック(1915~1986) ドイツ
声に甘さと力強さが程よく混ざっておりヒロイックな役からオペレッタ、映画音楽まで幅広く活躍した。ベルリンでテレビ・ショーを受け持ちシュトライヒとのデュエットなどで人気を博した。

♯4 フリッチャイ盤(1955)
エルンスト・ヘフリガー(1919~ )スイス
デルモータと同系の中庸で控えめな歌唱は禁欲的とさえいえる楷書体そのもの。一点一画に至るまでごまかしのないもので、ある種の「色気」を歌いこもうとしたヴンダーリヒとは対照的。

♯5 ベーム盤(1955)
レオポルド・シモノー(1918~ ) カナダ
リリカルな美声で繊細な表現、響きの美しさで勝負できた歌手で、聖地ザルツブルクでも高い評価を得た。
                                                       

♯6 クレンペラー盤(1964)
ニコライ・ゲッダ(1925~ ) スウェーデン
父はロシア人歌手、母がスウェーデン。語学の天才で六ヶ国語を流暢に操ったが特にフランス語は見事だった。透明な美声と知的な解釈で際立っており、多芸多才としてドミンゴと並ぶほどの録音に恵まれた。

♯7 ベーム盤(1964)
フリッツ・ヴンダーリヒ(1930~1966)ドイツ 
絶頂のさなかに事故死したヴンダーリヒへの賛辞はいまだに尽きない。天性の美声、音楽性やテクニックの高さなど万人が認めるところ。抒情性と気品と輝かしさが三位一体となった屈指のタミーノ役だった。この盤は彼の代表的な録音で第一幕の弁者との対話が最大の聴きものになっている。                 


♯8 ショルティ盤(1969)
スチュワート・バロウズ(1933~ ) イギリス
イギリスからは伝統的に沢山のモーツァルト・テナーの逸材が出た。その中でもバロウズはやや陰りと湿り気を帯びた声で独特のタミーノ像をつくった。

♯9 スイトナー盤(1970)
♯10 サバリッシュ盤(1972)
♯13 デービス盤(1984)
ペーター・シュライアー(1935~ ) ドイツ
ヴンダーリヒの急死後、魔笛を始めとするドイツ・オペラのリリック・テノールの役はレコーディング上ではシュライアーの独占状態になった。それは、この3つの盤の録音が裏付けている。天性の才を持ちながらもその基礎は少年時代に十字架合唱団で培った実直で素朴な音楽性だった。キャリアの後半で作為的な技巧に専念した時期があり「よくしゃべるジャーナリスト」と揶揄された。現在は宗教音楽の指揮者となって余生を送っている。 

♯11 カラヤン盤(1980)
♯15 マリナー盤(1989)
フランシスコ・アライザ(1950~ ) メキシコ
メキシコ出身ながらミュンヘンで完璧なドイツ語を学んだ。70年代末から80年代にかけては実に素晴らしいロッシーニ歌手だった。その頃の録音、例えば「チェネレントラ」などは、美しい声と技巧にほれぼれとさせられる。

♯12 ハイティンク盤(1981)
ジーグフリート・イェルザレム(1940~ ) ドイツ
ジークフリート役で知られワーグナー・テノールといわれる。ただし、声の威力に頼れない歌手で美声ではないし、力強くもない。しかし、賢明なことに無理をしないで柔軟かつ多様に演じたことで一定の評価を得た。最初のオペラ録音は本盤のタミーノ役。

♯14 アーノンクール(1987)
♯19 クリスティ盤(1995)
ハンス・ペーター・ブロホヴィッツ(1952~ ) ドイツ
シュライアーの次の世代として台頭した。フランクフルトで鍛錬を積み彼の登場で「より軽く、俊敏で、透明な」モーツァルト歌唱の志向が先鋭化する。彼が当代一のタミーノ役として認めざるを得ないが、やや軽い印象がシュライアーの上位に置けない理由。


♯18 エストマン盤(1992)
クルト・ストレイト(1959~ )アメリカ
ドイツ系アメリカ人。ブロホヴィッツと同門の「古楽の旗手」だが、重厚な役づくりとは対照的な究極の軽さに辿りついたといわれる。

以上だが、段々と近年に近づくにつれてタミ-ノ役の歌手が小粒となり役柄も軽くなっている。これも古楽演奏の影響だろうか。

ずっと昔の、ロスヴェンゲ、デルモータ、ヴンダーリヒ、シュライアーたちの本格的な歌唱に没入した自分にとってはやはり物足りない。



 
 








 


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オーディオ談義~オーディオ愛好家のご来訪~

2007年07月26日 | オーディオ談義

6月9日開催の湯布院のコンンサートで、相前後した席で偶然知り合いになったS県のkさんとは、その後メールを通じていろいろとやりとりをしていたのだが、拙宅のシステムを一度聴いてみたいということで、7月22日(日)を設定してお誘いした。

当初、7月14日(土)を予定していたのだが、台風4号の猛威によりやむなく中止し、変更したもので、その間、我が家のシステムもMさんの協力のおかげで最終調整が済み、結果的にはちょうど良かった。当日は、別府市内の指定のドライブインで待ち合わせし、我が家にご案内したのが13時30分ごろ。

Kさんはヨーロッパで実際に魔笛の公演を観劇されたほどのモーツァルトファンだが、それでもクラシック歴はまだ日が浅いとのことであり、一方ジャズのほうは17歳の時から熱中されており、「ジャズのことなら何でも聞いてください」とのことで、当日持参されたCDの枚数が半端ではなかった。

クラシック
千住真理子 カンタービレ(あの「デュランティ」購入後の初録音)
デュメイとピリス ベートーベン・ピアノソナタ(この二人は夫婦とのことでびっくり)
松居直美 トッカータとフーガ(パイプオルガン)

ジャズ
クリフォード・ブラウン=マックス・ローチ(モア・スタディ・イン・ブラウン)
マイルス・デビス(カインド・オブ・ブルー)
オリヴァー・ネルソン(ブルースの真実)
オスカー・ピーターソン・トリオ(プリーズ・リクエスト)
デイブ・ブルーベック(エンゼル・アイズ)
マット・デニス(プレイズ・アンド・シングス)
M・J・Q(ヨーロピアン・コンサート)
キース・ジャレット(トリビュート)
ヨス・ヴァン・ビースト・トリオ(ビコーズ・オブ・ユー)
サリナ・ジョーンズ(メロディ・オブ・ラブ)
ソニー・クリス(アルトサックス)
ビル・エヴァンス(ユー・マスト・ビリーブ・イン・スプリング)
ズート・シムス(テナー・サックス)

ほか4枚ほど省略したが、これらの盤から代表的な名曲を1~2曲ずつしらみつぶしに聴いていった。二人で5時間ほどの連続試聴となったが、この中で一番気に入ったのは、ややクラシックの匂いがするビル・エヴァンス(ピアノ)とヨス・ヴァン・ビ-スト・トリオで、早速○○○させてもらった。

日ごろ聴きこんでいないジャズをこれだけ連続して長時間聴かされると、正直言って疲れなかったといえばうそになるが、Kさんはよほどお好きなのだろう、それぞれの盤ごとに詳しく自分の思い出を語りながら実に熱心に試聴される。

むしろその思い出話の方に引き込まれてしまったが、これだけ人生の軌跡とジャズの記憶がピタリと一致している人も珍しいと思った。ジャズ喫茶に入り浸りだった東京の学生時代、社会人になってからは外国も含めて各地での生演奏を聴き歩きされたことなど。

改めて、人生と生き写しになるまでに人を熱中させるジャズの魅力と凄さを考えさせられたわけだが、残念なことに自分の場合はいくらジャズを聴いても、とてもKさんほどには好きになれない、のめり込めないという限界も思い知らされた。

この世には、ジャズもクラシックも両方大好きという人種は珍しく、どちらかに比重が偏るのが普通だがkさんの場合、現在クラシックにも間口を広げられており、これからの傾倒度に大いに興味があるところ。

また、Kさんが我が家の音質についてどのような感想を洩らされるかに関心があったのだが、最後まで遠慮されて具体的なコメントは避けておられたが、クラシック向きか、ジャズ向きかについてのご意見では、はっきりとジャズのほうがよくマッチしているとのことだった。

特にクリフォード・ブラウンのトランペットの音の出方には随分感心されたご様子で、おかげでマイルス・デビスとの演奏の相違や両者の関係も詳しく伺えた。

やはりJBLのユニットなのでジャズ向きの音とは十分承知のところで、このユニットでいかにクラシック音楽を鳴らすかが、今後の課題であり、楽しみの一つ。

オーディオでクラシック、ジャズの両方を楽しもうとした場合、

①クラシック向きの音を基本にしてジャズにアプローチする
②ジャズ向きの音を基本にしてクラシックにアプローチする

の二通りがあるが、手前味噌になるがのほうが大化け(おおばけ)する可能性があり楽しみが多いような気がするのだが・・・。

Kさんは18時30分ごろに辞去されたが、22時38分にメールが来て、S県までの帰りの道すがら○○○して差し上げたクリスティ指揮の魔笛(ナタリー・デッセイの夜の女王)を楽しみながら一般道を退屈しないでゆっくりと、そして無事に帰られたとのことだった。


 

 


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釣り紀行♯6~潮変わりの日~

2007年07月24日 | 釣り紀行

ようやく北部九州が梅雨明け。当初20日(金)に予定していた釣行は、雨の確率70%とのことでやむなく中止し、23日(月)に変更。当日は朝から快晴でやや暑そうだが雨の心配をしなくてよいのがありがたい。

梅雨の時期と違って、天候の不安がなくなると釣り場所の潮の状況を第一に考える。23日は長潮で22日の小潮からの潮変わりの日。こういう日はまず釣れる。

釣りは、一に場所、二にエサとよくいわれるが、これに劣らず大切なのが潮の変化で魚の活性度がかなり違ってくる。

いつもどおり、朝の6時出発、現地到着8時10分、釣り開始8時20分となったがマキエを開始して20分ぐらい経過してから早くも入れ喰いの状態となった。

マキエに狂ったクロがモノスゴイ勢いで海面上に上がってきて争うようにエサを食べる。まさに狂気乱舞とはこのこと。

とにかく、お昼の握り飯を食べる暇がない程で、とうとう13時過ぎからはクロ釣りに飽きたので、深場のアジ釣りに変えたが、これまた、入れ喰い状態。結局、本日は前回の不振を挽回し、今年一番の釣果となった。もう少しクロの型がよければいいのだが、これだけ釣れるとあまり贅沢はいえない。

結局、前回の釣行との違いは次の2点。
①潮の変わり目を釣行日とした。
②本命のクロとエサ取り(小さい雑魚)を分離させるためパン粉を利用した。

次回の釣行も、この2点に留意するつもりだが再度うまくいけば、今年の夏はもういただき。この調子ならY半島のクロは生簀に飼っているようなもの!

しかし、これだけ釣ると帰ってからの処理が大変だった。所定の配付が済んだ後、魚の内臓とウロコとりが一仕事。今回は、燻製、南蛮漬、天日干しなど長時間保存に挑戦するつもり。

                   

と  き  2007年7月23日(月)   天候 晴れ  海上微風で涼し

ところ   Y半島

釣り時間  8時20分~14時10分

潮      長潮

ツケエ    オキアミ(小)

マキエ    パン粉+オキアミ(1角)    エサ取り用はアミ(3角)

タックル   がま磯プレシード(0.8号、1号)

浮き下    40cm

釣果      クロ(足の裏サイズ15匹前後、手の平サイズ~60匹前後)
         アジ20cmサイズ 20匹前後

メモ      潮の変わり目の日に注目
        夏場はエサ取り対策としてパン粉をうまく利用する 








 

 

 


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魔笛の指揮者・歌手達~ザラストロ編♯2~

2007年07月21日 | 魔笛の指揮者・歌手達

♯10 サバリッシュ盤(1972)
♯13 デービス盤(1984)
クルト・モル(1938~ ) ドイツ
あのハンス・ゾーティン(シュタイン盤DVD1970)と同時期に活躍した。荒々しいところがまったくなく、なめらかな深い声、その低音が余裕を持って出せる点に関しては歴代の名バス歌手達とは冠絶するものがある。これほどのバスの美声はゲオルク・ハン以来といってよい。その声自体に魅力があるためにあらゆるスタイルに適応して優れた出来栄えを示す。中でも当たり役はザラストロとオックス男爵。

♯11 カラヤン盤(1980)
ジョゼ・ヴァン・ダム(1940~ ) ベルギー
1961年パリ・オペラ座にデヴュー以来パリを本拠地に活躍している。非常に広い声域を持ちプロフィールでは「バスまたはバリトン」と紹介されることが多い。とにかくパリでは彼の存在は大きい。

♯14 アーノンクルール(1987)
マッティ・サルミネン(1945~) フィンランド
圧倒的な声量と巨体を生かしたスケールの大きな演技で常に大きな喝采を博した。透徹した澄み切った美声で役柄の存在感と戦慄的なオーラを立ち上がらせる。ニーベルングの指環」のハーゲン役は圧巻。

♯15 マリナー盤(1989)
サミュエル・レイミー(1942~ ) アメリカ
カンザス州出身でニューヨーク・シティ・オペラで舞台経験を積んだ後ヨーロッパに渡りマリリン・ホーンと出会って抜擢され、以後スター街道を破竹の勢いでまい進した。並外れて豊かな響きと超絶技巧にこれまでのバス歌手にないものをアピールした。


♯16 ノリントン盤(1990)
コーネリア・ハウプトマン(生年不明) ドイツ
欧州各地の歌劇場で活躍。オペラのほかドイツ・リートも得意としており、ヨーロッパ各地でリサイタルを開いている。

♯17 マッケラス盤(1991)
ロバート・ロイド(1940~) イギリス

イギリス人ながら見事なドイツ語の発音と重厚な表現力をもったベテラン。

♯20 ガーディナー(1995)
ハーリー・ピータース(生年・本籍不明) オーストリア
マーストリヒト音楽アカデミーに学び、1983年ベルヴェデーレ国際コンクールに優勝しフォルクスオーヴァーと契約を結んだ。現在世界の主要なオペラ・ハウスで活躍し、コンンサート歌手としても活躍している。

♯21 アバド盤(2005)
ルネ・パーぺ(1964~) ドイツ
若干27歳のときに、91年のザルツブルク音楽祭でザラストロ役を歌い一躍脚光を浴びた。巧みな演技力と長身で舞台映えのする容姿に加え、伸びのある低音、張りのある声などドイツの若手歌手の中でも傑出した存在。年齢とともに陰影ある歌唱力が加われば、ホッターの後継者に十分なりうる。

なお、≪CDの部≫以外では、≪DVDの部≫のゾーティン、≪CDライブの部≫のキプニスとハインズを無視すると片手落ちになるので挙げておこう。

≪DVDの部≫

♯1 シュタイン盤(1970)
ハンス・ゾーティン(1939~) ドイツ
当たり役はなんといっても”パルジファル”のグルネマンツ役で20年以上に亘ってバイロイトでこの役を独占して歌っていた。日本公演でも”ばらの騎士”のオックス男爵を歌ったが、どちらかというとシリアスな役柄の方が本領が発揮される。この盤のザラストロ役の映像記録は唯一のものであり実に貴重。

≪CDライブの部≫

♯1 トスカニーニ盤(1937)
アレクサンドル・キプニス(1891~1978) ウクライナ
あの空前絶後といわれるロシアのバス歌手シャリアピンの次の世代の歌手でバイロイトでワーグナーの楽劇に出演し味わい深い歌唱で定評があった。ナチス時代になってアメリカに渡った。シャリアピン亡き後”ボリス・ゴドゥノフ”をロシア語で歌える唯一のバス歌手だった。

♯6 ワルター盤(1956)
ジェローム・ハインズ(1921~) アメリカ
ワーグナー歌手として成功。長身で見栄えのする容姿と豊かな声量、温かみのある声でドイツものに限らずメトロポリタンの常連となった。

以上のとおりだが、個人的には声楽の中で
バス(最低音域)は最も難度が高いと思っている。オーデイオでも一番難しいし苦労するのは低域の処理だがそれに通じるものがある。

その意味でバス歌手という最高の芸術家たちに順番を付けるのは実におこがましいが、あえて大胆に付けさせてもらえば、グラインドルが一頭地を抜いており、以下ゾーティン、キプニス、パーペ、ハインズといったところだろうか。



 


 





 


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魔笛の指揮者・歌手達~ザラストロ編♯1~

2007年07月17日 | 魔笛の指揮者・歌手達

夜の女王編、パミーナ編に続いて男性役に移る。まず、ザラストロ編だがその前に今度は男声の種類をチェックしておこう。

バス → 人間の出せる最低音。さまざまな分類があるが、いずれも音色の差によってあるいはドラマの中の性格付けの差によって呼ばれることが多い。例えば魔笛のザラストロ役はゼリエーザー(シリアスな)バスと呼ばれている。陰影の深い声で、王様、伯爵といった気品のある役が多い。

バリトン → この声域の区分は比較的新しいといわれる。ヴェルディが好んでこの新声種のために曲を随分作った。例えば「リゴレット」に代表されるように陰のある中年の男役が多い。
ドイツ圏では比較的低い声域に伸びるケースが多くこれをバス・バリトンという。たとえば「ニーベルンクの指環」のヴォータンなど。

テノール → 最も高い男性の声。ふつう二枚目として凛々しい男を演ずるが、優美な男を演ずる場合も多い。区分としては次のとおり。

テノ-レ・ディ・グラツィア → 最も軽く「愛の妙薬」のネモリーノなど
リリック・テノール → その次に軽く「魔笛」のタミーノ役など
スピント・テノール → その次に軽く「トゥーランドット」のカラフなど
ドラマティック・テノール → 最も重量級のテノールで「ジークフリート」など


なお、カストラートは若い頃去勢した男の成人になった声で現在は存在しない。女声のアルトないしメゾ・ソプラノに近いといわれている。
カウンター・テノールはカストラートに似た声域を確保できる男声で一般的に裏声。

それでは、魔笛の中で荘厳、叡智のイメージを表現するザラストロ役(バス)をみてみよう。

≪CDの部 21セット分≫

♯1 ビーチャム盤(1937)
ヴィルヘルム・シュトリーンツ(1899~1987) ドイツ
この魔笛をはじめポピュラーな曲に至るまで、こんな時代に多くの録音があることからも当時の人気の程がうかがわれる。

♯2 カラヤン盤(1950)
ルートヴィヒ・ヴェーバー(1899~1974) オーストリア
ワーグナー歌手として国際的に活躍。柔軟で温かみがあり十分な声量と舞台風格を持って大歌手というにふさわしいバス歌手。戦後はウィーンを本拠にして「ばらの騎士」のオックス男爵役で一世を風靡した。

♯3 カイルベルト盤(1954)
♯4 フリッチャイ盤(1955)
ヨーゼフ・グラインドル(1912~1993) ドイツ
フリック、ベーメと並んでドイツの3大バスの一人。名声が世界的になったのは新バイロイトのバスの重鎮として20年近くあらゆるワーグナーのバス役を歌い続けたこと。70年開催のザルツブルク音楽祭ではカラヤンに起用されたが、そのときにカラヤンはグラインドルがフルトヴェングラーのお気に入りの歌手だったので自分の公演には参加してくれないだろうと思い、長らく彼を起用しなかった非礼を詫びたという。自分の手持ちの魔笛の中でも、この歌手は古今東西NO.1のザラストロ役である。

♯5 ベーム盤(1955)
クルト・ベーメ(1908~1989) ドイツ

その堂々たる体格といい、声といい、舞台人として疑いようもない資質を持ちながら、意外にも最初はオーケストラでヴァイオリンを弾いていたという。実際にR・シュトラウスの薫陶を受けワーグナーよりもシュトラウス歌手として名声を得た。「ばらの騎士」のオックス男爵役は歴史に残る歌い手のひとり。

♯6 クレンペラー盤(1964)
ゴットロープ・フリック(1906~1994) ドイツ
合唱団員からキャリアを始め小さな劇場での下積みが長かった。戦後、ミュンヘンとウィーンの歌劇場と契約してから頭角を現し、ワーグナーのバス役をほとんど独占した。ユーモラスな人でコミカルな役も演じたが、本領は何といっても悪役。暗い声、不気味な声などフリックの独壇場である。微妙な表現力に優れていたため、数多くのレコーディングに起用された。

♯7 ベーム盤(19649
フランツ・クラス(1928~ ) ドイツ
深い声に正確な発音と音程が美点だが、キャラクターの表出という面ではいささか地味なきらいがあった。本人も自覚があったのか、歌劇場よりもコンサートでの活躍が多かった。バイロイトで比較的長く活躍し70年の「パルジファル」で歌ったグルネマンツが最高の歌唱とのこと。 

♯8 ショルティ盤(1969)
マルッティ・タルヴェラ(1935~1989) フィンランド
クラスと並んでバイロイトで活躍。2mを優に超える身長に、200キロもあろうかというプロレスラー顔負けの巨漢。しかし、体格のわりに声量はあってもさほど重厚さはない。ワーグナーよりもモーツァルトに特徴が発揮されている。ベームのお気に入りだった。

♯9 スイトナー盤(1970)
テオ・アダム(1926~ ) ドイツ
東独の歌手だったため実力がありながら西側ではなかなか大きな役が回ってこなかった。声質はドイツのバス歌手としては明るいが決して軽くはない。声量も体も特別大きくはないが、歌劇場たたき上げのベテランにふさわしく第一声で舞台を支配してしまうような風格を感じさせた。

以下、ザラストロ編♯2に続く。








 

 


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釣り紀行♯5~梅雨の晴れ間~

2007年07月14日 | 釣り紀行

梅雨の晴れ間は洗濯日和という言葉があるが、12日(木)は天気予報とにらめっこしながらやっと見つけた曇り空の釣り日和。

いそいそと前日から準備しての本年5回目の釣行となった。前回が6月27日なのでおよそ2週間振り。

釣りは準備や、後始末の時間を含めると結構時間がかかる。道具の修繕や調達、仕掛けの工夫や準備などに延べ2日ほどかかるのでやや面倒な反面、楽しい面もある。

自分の場合、前回どんなに大漁でも、次回の釣行では必ずどこか1箇所でも違った新しい仕掛けを工夫することにしているので釣行の都度、ゲーム感覚で自然と気持ちが弾む。今回はウキを変えてみることにしている。

釣り場所は前回のY半島だが、なにぶん人里離れたところなので途中15分間ほど離合に苦しい狭い道がありバスと遭遇しない時間帯が限られているため、結構通行時刻に気を使う。

予定どおり、7時55分に到着。曇天で薄い靄がかかり今にも泣き出しそうな空模様。大雨が来ないうちに釣れるだけ釣っておこうとあわただしく釣り開始。

しかし、残念なことに始めから小あじの大群でエサが取られるばかり。今日一日が思いやられる出だしとなった。そのうえ、予想通り、途中で一時雨が降り出すなどあまり快適な1日とはならなかった。結局、思うような釣果も得られず、中小のクロが30匹前後、アジが30匹前後となった。

数のほうはまあまあだがクロは型が小さいのがやや不満。しかし新鮮なのが取り柄ということで気を取り直すことにした。

カミさんが言うのには、自分が釣りに行きだしてから魚を買う気がしなくなったとのこと。魚も雑魚から高級魚までピンからキリまであるが、たしかにどんな魚でも
”生きのよさ”はなにものにも換えがたい。

現在、野菜などでは原産地表示が義務付けられているが、魚も表示を義務付ければよいと思う。少なくとも次の4点は必要だろう。

捕獲日時
捕獲場所

捕獲方法(一本釣りで、捕った後すぐ血抜きしたものがベスト。定置網で取った魚は、じわじわと死ぬのでおいしくない)
捕獲者、漁船名

                                               

と き   7月12日(木)  曇りのち雨、晴れ   やや風強し

ところ   Y半島田ノ浦防波堤

釣り時間  8時10分~13時35分

汐            中潮 (干潮12時)   

ツケエ    オキアミ(小粒)

集魚剤    チヌパワー

タックル    プレシード6.3m、5.1m  ダイワ・リール初おろし

浮き下     クロ50cm、アジ2ひろ

釣果      クロ(足の裏サイズ1匹、手の平クラス~30匹前後)、アジ30匹前後

メ モ      次回ではエサ取り対策を考えること(秘策あり)






 

 

 








 

 


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オーディオ談義~オーディオ・ルームの開放~

2007年07月12日 | オーディオ談義

2007年7月10日付けの地元紙朝刊に、あるオーディオ愛好家が写真つきの4段でかなり大きく紹介されていた。

記事の趣旨は
「オーディオ・ルームの開放」で内容は次のとおり。

O市在住のOさん(70歳)は東京で約50年サラリーマン生活を送り、この間数々のコンサートに足を運び耳を鍛えて18年前に郷里のO市に家を建て、音楽ホール専門の設計士にオーディオ・ルームを作ってもらったとのこと。

オーディオ歴は50年、30畳の居間には約4500枚のCD,DVD,LPレコードがあり、一番のご自慢は「2年かけて微調整した4ウェイ・マルチ・チャンネル・システムで「下は20ヘルツ、上は10万ヘルツという人には聞こえない音も再生するのでホールの雰囲気まで伝わってくるでしょう」。

「管楽器の息遣い、ヴァイオリンの弓が現に触れる瞬間まで再生され、オーケストラビットが立体画像で頭に浮かぶ。音楽が波となって”肌に当たる”感じ」だそうで、自宅のオーディオルームを音楽愛好家に開放して一緒に楽しみませんかという記事で、末尾にわざわざ連絡先として電話番号を記載してある。

この記事を見る限り随分ご熱心な方で、とても自分などの及ぶところではないが、この記事を手がかりに失礼とは存じながら勝手にいろいろと類推してみた。

音楽愛好家とオーディオ愛好家は必ずしも一致しないが、どの程度重なり合っているのだろうか。音楽的なニュアンスに富んだ音なのか、単なる電気回路から出ているだけの機械的な音にすぎないのか大いに興味がある。

マルチ・チャンネル・システムの調整は、拙宅の3セットによる真空管アンプ3ウェイ方式で経験済みでいまだにクロス・オーバーの調整に苦労している。それが、Oさんは3ウェイどころか4ウェイに挑戦されて調整に自信がおありのようである。自分の経験では、完璧に調整された4ウェイシステムはまだ聞いたことがない。果たしてそんなにうまくいくものだろうか。

CD等の所有枚数4500枚は半端ではない。オーディオ機器よりもむしろそちらの方に感心する。それもクラシックが主体のようでかなり音楽に造詣が深い方なのだろうが、どのような聴き方をされているのだろうか。バイブル本として著名な「西方の音」などの取り扱いは?

「下は20ヘルツ、上は10万ヘルツ」の表現からすると、真空管ではなくてトランジスターアンプをご使用されているようだ。トランジスターは物理特性はいいし、良い面は沢山あるのだが欠点としてやや音に潤いが欠けるところがある。スピーカーの活用を含めてその点をどのように克服されているのだろうか。

ご自身の装置と音質に十分満足され、かなりの自信家とお見受けした。自分の場合、オーディオ歴40年を通じての感想だが、オーディオ装置の能力にはやや懐疑的な立場で電気回路に”生の音”を期待するのは到底無理だと思っている。

最近ではやや距離を置いて見つめており、出てくる音が
”生らしい音質”で鳴ってくれれば十分で、言い方は悪いが”うまく騙してくれさえすればそれでいい”と考えているのだが、その点、オーディオに対する考え方の相違がありそうな気がする。

とにかく、いろいろ言っても一度聴かせてもらうに如くはない。今は、記事になったばかりで愛好家が殺到しているだろうから、ほとぼりがさめた時点でお伺いしようかと思っているところ。

                    











 



 


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音楽談義~魔笛の愛聴盤~

2007年07月10日 | 音楽談義

魔笛に関する著作は部分的であっても一通り目を通しておこうと思って、日ごろからモーツァルト関係の本にはアンテナを張っているが珍しく好みが一致している本に出会った。

「I LOVE モーツァルト」(2006年3月発行、幻冬舎刊、著者:石田衣良氏)である。著者の石田氏は2003年に「4TEENフォーティーン」で第129回直木賞を受賞された作家だが、ご自身の体験をもとにモーツァルトの音楽の楽しみ方を一般向けに分りやすく解説されている。

内容は大きく三部に分かれている。
第一部はモーツァルトの持ち味と音楽の楽しみ方

第二部は「これを聴こう!」で著者のセレクションによりピアノ協奏曲20番をはじめ魔笛まで10曲の紹介(さわりの部分を収録したCDも付属)

第三部はモーツァルトの人間像の紹介である。

とりわけ共感を覚えたのは、第二部でモーツァルトのオペラの中で一番好きな作品が魔笛であり、愛聴CD盤としてクリスティ指揮を紹介されていることだった。自分の好みと合致しているので何だか百年ぶりの知己に出会ったような気がした。

まず魔笛をお好きとのことだが、このオペラはモーツァルの生涯にわたる多種多様なスタイルが渾然一体となって同居したもので、いわば彼の音楽的素養の全てが結集している作品であり、個人的には「魔笛ファンこそまぎれもない本物のモーツァルトファン」とひそかに思っている。

次に指揮者はクリスティとのことで、これも近年の古楽器演奏の中では一番の好みである。名花ナタリー・デッセイの夜の女王も聴きどころ。

調べた範囲で魔笛の指揮者はCD盤が31名、DVD盤が13名、CD(ライブ)盤が17名いるので、延べで言えば、61名いる(レコード盤も含む)が、その中で好みの指揮者が合致するということは単なる偶然の一致ではないとも思うのである。

おまけに、ピアノ・ソナタについても愛聴盤として
グレン・グールドを推奨されており、一度聴いたら病みつきになると書かれている。自分もグールドの独特のテンポにすっかりはまってしまっている。

感性というものは個人によってさまざまで、良し悪しや優劣をつけるものではないと思っているが、全然知らない方でも大好きな魔笛やピアノ・ソナタについて自分と似たような鑑賞の仕方をされているということは何だか心の一部を共有できたような気がして実にうれしくなるものである。

有名なピアノ協奏曲の20番ではミケランジェリ(ピアニスト)を推奨されているので、ネットで早速手に入れて聴いてみたがこれも期待を裏切らない絶品だった。(付随して13番も手に入れたが、今はそちらの方に集中)

また、石田氏はオーディオにも熱心な愛好家で「Sound&Life」No.4:2006の表紙」を飾ってリスニングルームと装置(マーク・レヴィンソンのCDシステム!)を披瀝されている。

音楽とオーディオが両立したモーツァルト愛好家は音楽評論家でもなかなか見かけないが作家としては本当に珍しい存在でこれからどんな音楽関係の著作を発表されるのか楽しみである。

                          


 


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魔笛の指揮者・歌手達~パミーナ編~

2007年07月05日 | 魔笛の指揮者・歌手達

夜の女王役の次はリリック・ソプラノのパミーナ役の特集。オペラ魔笛の中では可憐で優しくて従順、まるでユリの花のようなパミーナ役にも数々の名花達が登場する。

♯1 ビーチャム盤(1937年)
ティアナ・レムニッツ(1897~1994) ドイツ
リリック・ソプラノとしてベルリンを中心に世界の主要歌劇場に客演。1939年ザルツブルク祝祭のクナッパーツブッシュ指揮「魔弾の射手」のアガーテでキャリアの頂点を築いた。

♯2 カラヤン盤(1950年)
イルムガルト・ゼーフリート(1919~1988) ドイツ
歌唱と愛らしい容姿があいまってウィーンのアイドルだった。その特別な人気は終生衰えることがなかった。リート歌手としても優れていたが、オペラの当たり役は「フィガロの結婚」のスザンナ役と「ばらの騎士」のオクタヴィアン役だった。特にスザンナ役は生涯600回以上歌った。

♯3 カイルベルト盤(1954年)
テレサ・シュティヒ・ランダル(1927~ )アメリカ
アメリカ出身ながらウィーンを中心に活躍。あまり録音は多くないがレパートリーは広く、「ばらの騎士」のゾフィー役、「フィガロの結婚」のケルビーノ役、「ドン・ジョバンニ」ではエルヴィーラ役などを演じている。トスカニーニが「世紀の発見」と絶賛したのは有名。

♯4 フリッチャイ盤(1955年)
マリア・シュターダー(1911~1999) スイス
いぶし銀の名歌手として正確で清潔な印象。オペラの舞台にはほとんど立つことなく主としてコンサート歌手として活躍したが、この盤をはじめモーツァルト歌手として不滅の名を刻んだ。

♯5 ベーム盤(1955年)
ヒルデ・ギューデン(1917~1988) オーストリア

ウィーン生まれとして特別の人気を博した。節回しが極めて柔らかく、ドイツ語の発音にもいい意味で鋭さがない。しかし、あまりにもウィーン風の歌唱スタイルはすべてのレパートリーで説得力を持つものとはいえなかった。「ばらの騎士」のゾフィー役は絶対の定評があった。他にもスザンナ役などで彼女の本領が発揮されている。

♯6 クレンペラー盤(1964年)
グンドゥラ・ヤノヴィッツ(1937~ ) オーストリア
ウィーンで脇役からスタートしたが、ベームやカラヤンから起用されるうちに第一人者の定評を得た。気品はあるもののくせのない優等生のような歌唱に時折物足りなさを感じるとの指摘がある。

♯9 スイトナー盤(1970年)
ヘレン・ドーナト(1940~ ) アメリカ
リリック・ソプラノでもアメリカ人歌手の進出が目覚しいがドーナトも典型的な例。ドイツ人と結婚してドイツを本拠として活躍した。もはやドイツの歌劇場はアメリカ人歌手の参加なくしては立ち行かなくなっており、この傾向は現代に向かって一層加速する。

♯10 サバリッシュ盤(1972年)
アンネリーゼ・ローテンべルガー(1924~ ) ドイツ
取り立てて並外れた技巧とか美声を持っていたわけではないが、魅力的な歌いまわしに愛らしい容姿と演技によりドイツオペラ界のアイドルとして大人気を博した。ただし、その前提としてモーツァルトなどのオペラで第一級の歌唱力の実力が根底にあったことは当然のこと。

♯11 カラヤン盤(1980年)
エディト・マティス(1938~ ) スイス
1963年に初来日した折のケルビーノ役の初々しさが語り草になっているが、のちにスザンナ、パミーナ、ゾフィーといった役で魅力を発揮し理想的な歌い手として賞賛された。自分もシュタイン盤(DVD)から受けた印象が強力で、容姿、歌唱が両立した鮮烈なイメージがいまだに目に焼きついて離れない。現在では何と69歳になっている勘定で随分とお婆ちゃんになったことだろう!

♯12 ハイティンク盤(1981年)
ルチア・ポップ(1939~1993) スロヴァキア
クレンペラー盤(1964年)で夜の女王役を演じたようにコロラトゥーラ・ソプラノから出発し、スザンナ、パミーナ、ゾフィーといった役でも独壇場となりレパートリーは非常に広く、長年人気を博した。最後に癌でなくなったのはお気の毒。

♯13 デービス盤(1984年)
マーガレット・プライス(1941~ ) イギリス
ドイツ・リートも見事にこなす歌手で、モーツァルト歌手としてヤノヴィッツの後継者と目された。                                                                                                          


♯14 アーノンクール盤(1987年)
♯18 エストマン盤(1992年)
バーバラ・ボニー(1956~ ) アメリカ

初めチェロを学んでいたがザルツブルク留学中に歌手に転向。「ばらの騎士」でデヴュー。以降、現代を代表するリリック・ソプラノとして世界中の歌劇場に出演。清純派ソプラノのイメージにもかかわらず研鑽型の歌手でもあり、様々な制約があるオペラには倦怠感がある様子で2003年以降はリート(歌曲)に専念する方向。ファンとしては寂しい限りだが転身は筋の通ったもので、仕事の緻密さと芸術的良心で現在この歌手に優る人はいないとのこと。 

♯15 マリナー盤(1989年)
キリ・テ・カナワ(1944~ ) ニュー・ジーランド
現代を代表するリリック・ソプラノ歌手で抜群の美声の持ち主だが、いつでも透明感にあふれた清流の印象を与えるかどうかは微妙なところ。歌からドラマ性を感じとるには歌い手の声に十分な持続力が求められるが、カナワの場合は時にその辺が物足りなく感じることがある。なお、そのクリーミー・ヴォイスはいささか言葉不明確にもかかわらず、全身から漂ってくるコケティッシュな雰囲気に負けて「ま、いいか」と思わせる不思議な魅力を持っている。

♯16 ノリントン盤(1990年)
ドーン・アップショウ(1960~ ) アメリカ
リリック・ソプラノ歌手で透明感を湛えた声、研ぎ澄まされた歌唱技術、優雅な立ち姿などが魅力。ザルツブルクでモーツァルト上演の常連である。パミーナのほかにも、スザンナ、ケルビーノ(フィガロの結婚)、ツェルリーナ(ドン・ジョバンニ)などが主なレパートリー。

♯17 マッケラス盤(1991年)
バーバラ・ヘンドリックス(1948~ ) アメリカ
リリック・ソプラノで72年パリ国際声楽コンクールで優勝。カラヤンに認められて急速に知られるようになった黒人歌手。モーツァルトを中心に国際的に活躍。日本にも度々来日しスザンナ、ゾフィー役などを好演。

♯20 ガーディナー盤(1995年)
クリスティアーネ・エルツェ(1963~ ) ドイツ
久々にドイツに誕生したリリック・ソプラノの逸材。オペラ・デヴューは1990年のオタワ。幅広いレパートリーで大活躍。

♯21 アバド盤(2005年)
ドロテア・レッシュマン(1967~ ) ドイツ
軽めのソプラノには異例の深い音色と、古楽で培われた知的な音楽性を特徴とする。緻密な言語表現と役への深い自己投入において際立った歌唱を聴かせる。CDは多数存在するが、指揮者ヤーコプスと共演したものはどれも見事な出来栄え。

以上だが、個人的にはパミーナ役のお気に入りはエディト・マチスバーバラ・ボニーの二人に尽きる。

最後に、ソプラノ歌手の立志伝を読んでいると、絶対といっていいほどレパートリーとしてR・シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」が登場する。元帥夫人役、オクタヴィアン役、ゾフィー役である。

お恥ずかしいことに「ばらの騎士」はまだレパートリーに入っておらず、どうもこれを聴いておかないとソプラノ歌手を論じる資格がないような気さえしている。

早速、名盤調査をしてみるとクライバー父子、ベーム、カラヤン指揮のものがリストアップされているようで、さてどれにしようか思案中。




 

 


 

 

 

 


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読書コーナー~脳力のレッスン~

2007年07月03日 | 読書コーナー

「脳力」とは「物事の本質を考え抜く力」。~略~古今東西のあらゆる時の話題に触れながら、テーマは重いがウィットに富んだ、軽いタッチのエッセイです。との表紙の裏カバーの文句につられて手にしたのが「脳力のレッスン」(2004年10月3日、岩波書店刊)。

著者:寺島実郎氏は1947年北海道出身。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程終了。(株)三井物産入社。2004年現在三井物産戦略研究所所長。国際的な政治経済の話になると欠かせない人物としてテレビにも度々出演されている。

実は在職中、職員研修の一端を担っていたときに、
天の声によって講師として白羽の矢が立ち、遠路、足を運んでいただいた方である。職員からも大変好評だったが、実際に2回ほど身近に講演をお聴きしてその動じない堂々とした態度といい、博識に裏付けられた講演内容といいまことに圧倒されるものがあった。

なにか重心の低いどっしりとした知性といったらいいのだろうか、こういう人が正真正銘の知識人というのだなとつくづく感心した記憶がある。
その寺島氏の著書なのでハズレはあるまいと思ったのが二つ目の理由。

本書の構成は次のとおり。

Ⅰ 「イラク戦争」を直視する

Ⅱ 現代世界への視界を開く

Ⅲ 日本社会の死角を見つめて

Ⅳ 文化と歴史の波間に

ⅠとⅡについては著者の主観のもとに論理が展開されているが、一方的すぎるとして反発を覚える向きがあるかもしれない。
Ⅲの中では
「日本人の脳力はなぜ劣化したのか」に興味が湧いた。
「脳力」(のうりき)とは聞き慣れない言葉だと思ったら、あの博覧強記の知的巨人として知られる博物学者・
南方熊楠が使っていた言葉とのこと。

さて、劣化した理由として二つの大きな原因が挙げてある。(要約)

①メディア環境の影響

現代人は思考を収斂させる機会のないまま、途方もない情報量の中に身を置いている。「受身で間接情報を受け止め、考えない傾向」が定着、しかもインターネットの登場で考える機会が一段と希薄になっている。

②存在感を放つ人間の出会いの欠落

現代の若者にとって両親や親族、先生、地域社会の隣人などにおいて、決定的な影響を受ける人物がいない、魂を揺さぶられるような生身の人間との出会いが少なくなっている。

そして、脳力を取り戻す方法として

①歴史の中で自分がいかなる時代を生きているかを思考する、いわば
「歴史軸」中での自分の位置づけ。
②広い世界の中で自分の生きている国や地域がいかなる特色を持つものなのかを確認する、いわば
「空間軸」の中での思索。

ここで思い出したが、そういえばたしか以前の講演の演題が「世界の中の日本、日本の中の九州、九州の中の○○県」だった記憶が蘇った。

もう一つ興味を持ったのは、Ⅳの中の「魯迅と藤野先生」。

隣国の中国とはこれからも長いお付き合いをしていかざるを得ないが、魯迅(ろじん:1881~1936)の「阿Q正伝」をはじめとする作品は中国人を理解するうえでの格好の教科書といわれている。
岩波文庫から「魯迅選集」が出版されたのは1935年だが、どの作品を収めるべきか当時の魯迅に問い合わせたところ
「藤野先生」だけは入れて欲しいと返事があったという。

魯迅は、1904年仙台医科専門学校に留学し当時の中国人蔑視の日本社会の中で随分苦労したらしいが、解剖学担当の藤野先生から日本語の指導をはじめ講義の内容について親身になって指導してもらった。

その後の魯迅は、「医学ではなく、文学運動を通じた中国の覚醒」へと向かい、中国で「抗日運動」をリードする存在となったが、最後まで「日本の全部を排斥してもあの真面目という薬だけは買わねばならぬ」と語っていたというが、そのとき、魯迅の脳裡をよぎっていたのは藤野先生の表情だったことは想像に難くない。

その後の藤野先生は故郷の福井に帰り一介の村医者として生涯を終えたが、一人の中国人留学生に示した配慮が日中間の温もりとしていまだに残っており、あの日本嫌いでしられる当時の江沢民主席が1998年来日したときにあえて仙台を訪問し、東北大学医学部に残る古い教室に立って、魯迅と藤野先生を偲んだ。

魯迅逝去の報を受け、藤野先生は「なぜ、魯迅のノートを添削してあげたのか」とインタビューで聞かれ「少年時代に教えを受けた漢学によって中国文化への尊敬と中国人への親しみを持つようになり、それを魯迅が親切と感じたのだろう」と答えている。

こういうエピソードに触れると、魯迅の「藤野先生」をどうしても読んで見たくなる。

それにしても、この本は冒頭の紹介文にあるウィットに富んだ軽いタッチのエッセイどころではなくて随分ヘビー級の印象を受けた。

                        





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