「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

独り言~WBC「内川選手、よくやった」~

2009年03月27日 | 独り言

WBCで日本チームが優勝してから二夜明けてようやく日本列島は一段落した様子。この感激も時の流れとともに風化していくのだろうが原監督をはじめ選手たちには本当にお疲れさんと言ってやりたい。

勝ったときはこの上なくチヤホヤするが負けたときは手の平を返したみたいになるマスコミに加え、国民の大きな期待を背負っての”日の丸”への精神的な重圧はさぞかしと思う。

とにかく日本チームの「投手力」はハイレベルでほかのどんなチームに対してもヒケをとることはないが「打力」はいまいちでほとんどがコツコツ当てる小粒のバッターばかり、「パワー」の点で見劣りしていたのでせいぜい準決勝進出までいければ上出来と思っていたが予想外の世界一に大拍手。

何よりもうれしかったのが、これまでのブログ「2008年セの首位打者”内川聖一”」「WBC内川選手の活躍」などでたびたび取り上げてきた郷土出身(大分県)の横浜ベイスターズの内川選手の活躍。

決勝戦でもファインプレーに加え3安打、しかも勝ち越し点に結びつくヒットに加えホームへの貴重な生還で大いに名を挙げた。これで内川選手の名前は全国区となったことだろう。

原監督はこれまでの試合で右投手のときは必ず内川選手に代打を出していたが、この試合に限って最後まで内川選手を代えなかったのは神がかりみたいな慧眼でやはり勝負勘がスゴイ。

内川選手は昨年のセの首位打者であり、しかも歴代の右打者として最高打率3割7分8厘を叩きだしたが、プロ野球の世界では1年だけの成績ではまだマグレ扱い、少なくとも3年ほど連続して好成績を挙げないと一流だと認めてもらえないような雰囲気なのでこれを契機にさらに自信を深めて活躍してもらいたいところ。

26日のテレビ「朝ズバ!」(TBS)ではTBSが横浜ベイスターズのスポンサーなのでケガで途中から休場した村田選手と内川選手を密着取材していたが、内川選手の言によると尊敬するイチローから「お前のことはいい選手だと思っているからこれから頑張れよ」と声を掛けてもらったことに非常に感激していた。

イチローはプレーを含めてやや気取り屋タイプなのでいまいち好きになれない選手の一人だとの印象を持っていたが今回のここ一番の決勝打といい、これから後に続く後輩の選手たちへの激励の言葉といい結構見直した。

それに引き換え忘れられた存在になりつつある「ヤンキースの松井」は今ごろ一体何を考えているのだろうかと、つい連想してしまった。彼のファンの一人として淋しい限りである。これからどんなに活躍したとしても所詮は自分の契約金だけのためというイメージを与えるのは拭えないと思うがこれは言いすぎだろうか。

今回は昨年のケガの後遺症のために出場不能で仕方なかったが3年前の初回のときのWBCでは本人の心がけ次第で出場できたはず、球団の意向に唯々諾々と従ったがどうやらその時点で彼は野球選手としてユニホームのボタンをかけ間違ったように思う。大げさかもしれないがWBCの不出場は彼のプロ野球選手としての履歴とイメージに影を落とすことは否めない。

野球選手はファンあってこその存在なのに、こうなるとイチローに益々大きく水を空けられるばかりだなあ~。(慨嘆)

とにかく、次回のWBCに是非とも出場して名誉挽回してもらいたいがこのWBC、3年後の開催かと思っていたら何と4年後だという。そのときは松井は38歳になってしまう。

イチローはそのときに39歳になるがその頃もまだ一流選手として活躍しているだろうか。

優勝記念インタビューで「次回のWBCの出場の意思」を問われて「4年後に生きてるかどうかも分からないのにそういう質問はどうかと思う」と憮然とした表情で答えていたが”さもありなん”、加齢からくる打力への影響、衰えは想像以上のモノがあるように思う。

投手から打者まで0.3秒前後で到達するボールへの瞬間的な対応能力は瞬発的な的な体力と感覚に左右され、そこに年令というものが大きく介在してくる。

3000本もの安打を放った実績を持つイチローでさえもWBC序盤での不振は眼を覆うばかりだったが、「あのイチローが」と改めてバッテイングの難しさを思い知らされると同時に週刊誌の見出しなどでは「イチローの年令から来る衰え」を指摘していた。

とにかくプロ野球選手の命(活動期間)は意外と短い。今回のWBCの日本選手の中では稲葉選手が37歳で最年長だったが小笠原選手などとも比べて、26歳前後の中島、青木、内川あたりがいかにもハツラツとしていて見ていて動きの違いが結構目についた。

これらの選手が4年後のWBCでは打線の中心になるのだろうが、やはり大砲があと2人ほど居ると打線に厚みが増すのにと思う。日本チームの場合「投高打低」の傾向は今後も依然として変わらないと見るのが妥当だろう。

是非3連覇を望みたいがアメリカの大リーガーはポスト・シーズン、ワールドシリーズへの出場が至上命題なので、WBCには気乗り薄で調整期間中として今回も主力選手が次々に辞退したが本気になってベストチームを組むとなるととても太刀打ちできそうもないので結局はアメリカチームの意気込み次第となろう。

ヤンキースの花形選手ジーターが今回の日本チームを評して「選手の足が速く、バットを振る前に走り出すことを取り入れなければ」と揶揄していたが、なかなか微妙な表現で「言いえて妙である」と思った。

追伸
このブログを書いた後に何気なく昨日(26日)のアクセス「閲覧数:訪問者数」を覗いたところ、このブログ開設以来の「2521:1047」という最高数を記録していた。もちろん表題「WBC内川選手の活躍」(3月9日登載)に集中していたが、テレビの取材の中で内川選手が「自身のブログを始めた」と語っていたのでその影響もあった模様。
とにかく(本人のブログへの)アクセスが集中しすぎて接続不能だったそうでスゴイ人気沸騰ぶり。


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オーディオ談義~富士通テン「エクリプス」スピーカーほか~

2009年03月24日 | オーディオ談義

☆ 富士通テンのスピーカー「エクリプスTD712zMK2」

現在のオーディオ装置にさしたる不満はないが、そういう気持ちとは裏腹に脳の方が常に「新しい刺激」
を欲しがるというのは一体どういうわけだろうか。

そのうちでも音質に多大の影響を与えるスピーカー(SP)の選択は「オーディオの命」と言ってもいいほどの大切なポイント。

したがって新しいSPの出現に常にアンテナを張りめぐらしているが、魅力的な音を出すSPほどお値段の方も比例して上がってくるので、いい情報を取得してもそんなにたびたび買い換えるというわけにはいかない。

いい例が以前のブログでも触れたように昨年発表された「エヴァヌイ・シグネイチャー」は近年では稀に見る画期的なユニットとスタイルで随分音が良さそうだが1本で210万円、当然ステレオで聴くとなると2本で420万円という価格は貧乏性の自分にはまったく現実性がない。

しかし、この不景気の世の中にいくらオーディオ愛好家が、いい音質のためには「お金」に糸目を付けない傾向にあるとはいえ、歴史も実績もないスピーカーに最初から420万円もの大金を投入しようという人が果たしているのだろうかとメーカーの強気な価格設定には少々疑問を覚える。開発費に相当かかったのだろうが・・・。

そういう意味では未だ聴いたこともないのにお値段が手ごろで、以前から興味を持っているのが富士通テン(株)の
「エクリプス」シリーズ。

従来のSPとは異なり、音が伝わる空気の動きを正確に再現する「タイムドメイン理論」に基づき創られたこのSPは
「卵形ラウンドフォルム」のまったくユニークなスタイルで聴き疲れのしない自然な音で知られ2001年の発売以来コツコツと改良を積み重ねてきている。

理論的に内部定在波や前面バッフルの角で発生する回折効果を抑制するための工夫は大いにうなづけるところで
”さぞや”
と思わせるものがある。

しかも繰り返すようだが価格が手ごろなのが何よりもいい。今年の2月下旬に発表された同シリーズの最高機種「TD712zMK2」は2本で約70万円。

「エクリプスTD712zMK2」(2009年2月発売)    

主な仕様は次のとおり。

外形寸法        W347×H989×D431(mm)
質量(1本)       25.0kg
ユニット         12cmフルレンジ
再生周波数帯域    35Hz~26kz
能率           84dB
許容入力        最大70W
インピーダンス     6Ω
角度調整        0度~12度

この数値で推察する限り能率がやや低いので気持ちよく聴くためには高出力のトランジスター・アンプが必要で低出力の真空管アンプでは限界がありそう。また、再生周波数の低域限界値が35Hzというのはまあまあだが欲を言えばもっと低い帯域の方へ伸びが欲しい。

こういう小型のSPについて一般的に言えるのは中高域はきれいな音がするというのは紛れもない事実でその辺は聴かなくてもおよそ想像がつく。

大切なのは「低域の量感と質感の両立」
だと思う。この点がやや不安を覚えるところで購入して「失敗った」と思うのはほとんどがこのケース。大半のオーディオ愛好家が「血(お金)と汗と涙」を流しているのもこの辺にあるのは周知のこと。

したがって、これまで大型SPを使ってきた人は物足りなさを感じるやもしれず、そういう場合はそもそも発想を替えてはじめから低域部の再生をあきらめて中高域用専門ユニットとして使う方法もある。

自分の場合も試しに中高域専用ユニットとして使っている「アキシオム80」の代りにこの「エクリプス」を導入して試聴してみたい気もするが、音質が低域部分とうまくつながってくれるかが問題。当然コンデンサーで低域信号を300Hzあたりでカットしてやらねばならないが、自分の駄耳で果たして判断出来るかどうかも課題のひとつ。
 

☆ 内田康彦のミステリ「浅見光彦シリーズ」

先日のブログで今年の1月中旬から3月初旬までおよそ2日に1冊のペースで「浅見光彦」シリーズを27冊読破したことを紹介したが、それ以降も相変わらず暇さえあればコツコツと図書館から借りてきては読み耽っている。

ほとんど、どの本でも事件の発生から解決まで同じパターンなのに著者もいろいろと導入部などに趣向を凝らしてマンネリに陥らないように工夫しているのに感心する。

そうはいっても、結局作風そのものは同じなので「過去に読んだ本のあらすじを言ってみろ」といわれても、とても無理でほとんど記憶に残っておらず題名から連想する個別の内容については全く思い出せない。

したがって、本を借りるときにこの題名の本は果たして読んだかどうか非常に迷うのが常で、このため既に読んだ本をきちんと把握しておく必要に迫られている。

というわけで、前回の27冊に続いて追加して読破した本を整理しておくと次の13冊になる。

高千穂伝説殺人事件  城崎殺人事件  鐘  朝日殺人事件  華の下にて

姫島殺人事件  崇徳伝説殺人事件  貴賓室の怪人「飛鳥」編  鯨の啼く海

上海迷宮  風の盆幻想  「横山大観」殺人事件  金沢殺人事件

以上、これまで読了したのは全部で40冊になるが、著者の作品は130冊ほどあるようなのでこれでもまだ1/3程度しかならない。しかし、あと10冊ほどで図書館の棚に並んでいるストックはどうやら読み尽くすペースなので4月中には「浅見光彦シリーズ」読破もどうやら終焉に向かいそうだ。

そして5月頃からはいよいよ釣りの再開となる。今年の1月3日の釣行で竿を持つ利き手の右手首を痛めてしまい長期間のブランクが出来ているが、もっと暖かくなると良くなると期待しているのだが・・・。


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音楽談義~ストラヴィンスキーの「春の祭典」

2009年03月19日 | 音楽談義

これまでのクラシックの鑑賞はモーツァルトをはじめベートーヴェン、ブラームス、シベリウス、ショパンといった比較的ポピュラーな作曲家が中心。

まだこれらの作曲家たちの全作品を掘り下げて聴いたわけでもないので、残された時間からしてこの辺で限界かもと思っているが、もっと「レパートリー」を広げたいという意欲もなきにしもあらず。

その中でも現在一番興味があるのは「ストラヴィンスキー」。従来のバロック、古典派、ロマン派、印象派といったジャンルの音楽とは大きくかけ離れているのがその理由。

高名な作曲家なのでご存知の方も多いと思うが「ウィキペディア」にはこうある。

イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー(1882~1971)

ロシア生まれで20世紀を代表する作曲家の一人。様々な名曲を残しているがその中でも初期に作曲された三つのバレー音楽「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」が名高く、その中でも「春の祭典」は音楽史上の最高傑作の一つに数えられている。生涯に亘っていろいろと作風を変えたことで知られるが、最晩年にはベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲のレコードばかりを聴き、自分の曲を決して聴こうとはしなかった。

以上、要約だが、これは余談になるがベートーヴェンの後期の作品は哲学的な心境をうかがわせる内省的な作品が多いが、とりわけ弦楽四重奏曲は13番あたりから16番まで精神的な高い感動を秘めた作品ばかりで「正座して聴かねばならない」なんて書いてあるのを見たことがあるがストラヴィンスキーが最晩年になってこよなく愛したというのもなかなか興味深い。

さて、現在の手持ちのストラヴィンスキーの作品のCDは淋しいことに次の2枚だけ。

                           
                ☆                       ☆☆

 アンセルメ指揮 バレエ音楽「火の鳥」全曲 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

ストラヴィンスキーと親交の深かったスイス生まれの指揮者アンセルメが死のわずか3ヶ月前に録音をしたもので極めつけの名演奏とされるもの。

☆☆ ゲルギエフ指揮 バレエ音楽「春の祭典」 キーロフ歌劇場管弦楽団

このゲルギエフ指揮の「春の祭典」はライナー・ノートに史上最高の「春の祭典」とあるが、ちとオーバーかも。しかし、同曲のベストCD候補の一つとして長く語り継がれる存在なのは間違いない。とにかくエネルギー感に圧倒されるし音質(録音)も特上。第2トラックで「ドドッ」というスゴイ低音が入っているのでオーディオ・テスト用としても役に立っている。

しかし、これら2枚は残念なことにCDなので当然バレエを観劇しながらの鑑賞とはいかないところが難点なのだが、うれしいことにNHKのBSハイビジョンで次のとおり放映があった。早速「見逃す手はない」と録画した。

日    時    2009年3月7日(土) 22時~0時

チャンネル     NHKBSハイビジョン

番 組 名     「ウィークエンドシアター」 サンクトペテルブルク”白夜祭”2008                     
            ストラヴィンスキー バレエ「火の鳥」「結婚」「春の祭典」
           管弦楽 : マリインスキー劇場管弦楽団
           指 揮 : ワレリー・ゲルギエフ

       
  表題         火の鳥           春の祭典            結婚       

ゲルギエフ指揮の演奏で「春の祭典」が無料で観劇できるなんてまさに僥倖そのものだが音質も画質も期待以上に良かった。

こういう不協和音の強烈なぶった切ったようなリズムと音楽のめまぐるしい乱舞、エキゾティックな野蛮さが特色の音楽はやはり映像付きのほうが趣が深いのはたしか。

しかし、これまで聴いてきた音楽とはまったく性格の異なる楽風なので好きになるにはかなり時間が掛かりそう。とにかく、「チャレンジ」の一言に尽きるがBGM風でもいいから何回も繰り返し聴いてみてどんな風に耳に馴染んでくるかが興味深い。

 


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独り言~「ひかりTV」ほかあれこれ~

2009年03月17日 | 独り言

☆ 「ひかりTV]

現在、自宅の電話回線にNTTの「フレッツ光プレミアム」を利用しているが、2ヶ月ほど前に電話がかかってきた。

「この回線を利用してテレビが見られるので専用のチューナーを送付したいのですがいかがですか」という内容。始めの1ヶ月ほどは無料でその後は月3千円ほどの有料になるとのこと。

以前、民間有料放送「wowow」を1ヶ月2500円程度で10年以上契約していたが、音楽、オーディオ、釣り、読書、ブログで手一杯であまり観る機会もなく昨年の9月に契約を打ち切ったばかり、それにテレビにしても「地上デジタル」「BSハイビジョン」と今でもチャンネル数は十分なので断ろうかと思ったが、「洋画」をはじめ「スポーツ専門」「ドキュメンタリー」など沢山あり、「気に入らなければチューナーを返却してもらえればそれでいい」というのでひとまず試してみることにした。

チューナーがすぐに送ってくるのかと思っていたら、到着したのはナント忘れた頃の3月12日(木)。NTTは今でこそ民営化されているものの、やはり長い間の半官半民(電電公社)時代の体質がいまだに残っているとみえ、「殿様商売だなあ~」とビックリ。通信業界の「ガリバー」は動きが鈍すぎる!

この歳になると「取り説」を読んで複雑な回線接続をするのはイヤだし気が進まないが「頭の体操」だと思って14日(土)トライしてみた。

実際にやってみると意外と簡単で、「取り説」ではチューナーとテレビとの接続方法を記載していたが、自分はほとんどの番組を一旦録画して観ているので「ハイビジョン・レコーダー」の外部入力に接続してみた。

どうやら間違わずに接続できたみたいで、デジタル機器にお決まりの「ユーザ登録」など”しち面倒くさい”数字を打ち込み完了、画面が出ることは出たが、番組の受像は初期設定後24時間前後待って欲しいとの表示。

「wowow」なんか接続したらすぐに観れるのでこの辺の時間も掛かりすぎでもっと短縮できないものだろうか。

ようやく16日(月)の午後から受像できるようになった。「月間番組ガイド」によると、「洋画」が3チャンネル、以下「アニメ・キッズ」が5、「ドラマ」が3、趣味・エンターテイメントが4、音楽(邦楽・洋楽)が3、スポーツが6、ドキュメンタリーが2と合計26チャンネルと盛り沢山。

フーム、これなら有料といえども元が取れるかもと秘かに皮算用。それにしても大都会に住んでいる方は気がつかないと思うが、地方に住んでいると「電波の過疎」を常に意識せざるを得ないが、今日の状況はまさに隔世の感がある。

ところで、この「ひかりTV]の画面の方は現在の「ワイド」ではなく昔のTVの「4:3」の画面というのがやや気になる。

肝心の音質は鮮明なのは間違いないがコマーシャルなんかはきれいに左右に分離するステレオだが通常はモノラルがかったような音質であまり感心できない。古い映画などはモノラルなので仕方がなく、この点はもっといろんな番組を観てみないと断言できない。

とにかく、洋画3チャンネルとドキュメンタリー番組ではリアルな内容で定評がある「ナショナル・ジオグラフィック」と「ディスカバリー」の2本立てなのは非常に魅力的。それにスポーツも6チャンネルあるので日本人選手の出場以外の大リーグ(MLB)放送も期待できる。

当分の間、チューナーを返却せずに観てみるつもり。

☆ 「WBCの二次ラウンド、日本はキューバに快勝」

3月16日(月)の日本対キューバ戦は朝の4時45分からの実況中継。起き忘れてはとちゃんと録画予約していたが、これは正解だった。画面を観たときは内川選手がタイムリーを放って塁上にいたところだった。

とにかく、打率4割近いキューバを相手にして苦戦を余儀なくされると思っていたのだが、見事に予想が外れて6対0の快勝。朝からルンルン気分で楽しい限り。何回も録画を観てしまった。

第一の勝因は松坂の快投だろう。とにかくストレートが走っていた。キューバ打線にさっぱり快音が聞かれなかった。「打線は水もの」「好投手は好打線に勝る」を実証した感じ。

これはネット情報だが仮定の話として今の全日本のチームがアメリカ大リーグに所属した場合どのくらいの順位になるかという話になり、事情通の間ではリーグの地区の2位ぐらいだろうと書いてあった。日本野球もなめられたものである。

しかし、このキューバ戦を観るとどうしてどうして結構やれるのではあるまいか。何よりも投手陣がいい。

松坂、、岩隈、ダルビッシュ、杉内、涌井と並べた5本柱は壮観。中継ぎ、抑えも質、量ともに十分。やっぱり野球はピッチャー次第で7割方勝敗が決まる。昨年のセの「横浜」なんか首位打者(内川)と本塁打王(村田)がいたのに最下位だった。

それに打線だって、ホームランを狙わずにコツコツと単打中心に機動力を絡めて攻めていく、これに守備もいいとくればワールド・チャンピオンも夢ではないような気がする。

大金持ちのビル・ゲイツあたりがそっくり日本球団を買収して大リーグに参加させると面白くてたまらないが、日本チームの活躍を見ると夢は果てしなく広がる。

「日本チームを大リーグに参加させる会」を発足させ、国民一人当たり千円拠出するとなると約1200億円になる計算。自分は諸手(双手)を挙げて大賛成。政府も定額給付金なんかよりもスポーツ振興なんかにドカンとお金を突っ込む方が国全体に元気が出そうだが。まあ、世界に冠たるトヨタあたりがスポンサーになってくれれば言うことなし。

さて、18日(水)は準決勝進出をかけて宿命のライバル韓国戦という大きな山場を迎えた。日本チームはこの調子で頑張ってもらいたいが・・・。

 


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オーディオ談義~「部品交換で音質の改善」~

2009年03月15日 | オーディオ談義

現在のオーディオ装置の音に取り立てて大きな不満はないが、「部品の交換だけで格段に音質が良くなる」なんて情報を入手するとまたぞろオーディオの虫が疼いてくる。

3月13日(金)の朝8時20分に別府を出発、高速道経由で一路大宰府へ。片道3300円の高速利用代金は少々痛い。28日から土・日・祝日は上限1000円になるがそのときまではとても待てないのがオーディオ愛好家としてつらいところ。

小雨交じりの中、M田さん宅へ到着したのが9時40分。今回はかねて予約していたとおり昨年の8月にM田さんに作ってもらった
「タイム・リアライザー」の部品交換をしてもらう日である。

この「タイム・リアライザー」というのは「DAコンバーター(ワディア27ixVer3.0)」と「アッテネーター(FR-AS1)」の間に挿入するもので平たく言うとプリアンプのような働きをするもの。

この辺の音の入り口とされる機器は微小電流を扱うのでちょっとした内部の部品を交換するだけで音質が随分と変わる。それかといってパワーアンプなどの増幅部も無視できないのでオーディオはいろいろと難しい。

今回の場合、この機器に限っての話になるのかもしれないが、相性というか、今のところ最も音がいいとされているのは
「ビシェーの抵抗と東一のコンデンサー(銅箔)」。ただしこの選定に当たっては「ン十万」を費やして度重なる実験を繰り返された湯布院のA永さんのご尽力に頭が下がるのみ。

このうち「ビシェーの抵抗(12本)」はM田さんに取り寄せてもらったが、「東一のコンデンサー(銅箔)」は東京の専門店にネットで注文してあらかじめ購入したもので、0.05μFと0.5μFを各4本を持参。

これらの入れ替え作業を笑顔で快く引き受けてくれたM田さんには感謝あるのみだが、それでも9時45分から作業に取り掛かって終了したのがなんと午後4時という約6時間にわたる改造だった。

ずっと横に居て作業を見守ったが、さっぱり電気信号の流れが分からないものの既存部品とのサイズが異なるため、限られたスペ-スに押し込むのがなかなか難しく緻密さとともに根気を要する作業。

ようやく完成後、とりあえずM田さんの装置に挿入して音だしした結果はバッチリ。

M田さんへのお礼の言葉もそこそこに、小躍りしながらクルマに「リアライザー」を積み込んで大宰府を出発したのが午後4時20分。往きと違って天候が悪化し土砂降りの中、別府到着が5時40分。心配していたモヤはかかっていなかったが往きも帰りもきっちりと計ったように所要時間1時間20分だったのには驚いた。

自宅の玄関を開けるなり夕食はそっちのけでオーディオ・ルームに駆け込んで早速セットして聴いてみた。まずは最近購入したレーピンの「ブラームスのヴァイオリン協奏曲」。ヴァイオリンの音色がなんとも艶かしい。これまでも不満は感じず、よく鳴っていたのだが今回の部品交換で一段と音に磨きがかかってほんとにイイ音になった!

続いてジャズの
「ソー・ホワット」。マイルスのトランペット、コルトレーンのサックスが極めてヌケがよく生そのもの。しかも物凄くデリケート極まる音で、何気ない演奏者の動作の音までをも拾ってくれるような印象で聴いていて楽しくなる。

また、テレビの音もオーディオ装置に接続していつも聴いているが、その音でさえもより鮮明に聴こえる。

たとえば録画していた「開運!なんでも鑑定団」の番組。この中で鑑定員がお宝を鑑定中にレフト側から伴奏音楽とともにチリーン、チリーンと鐘の音が鳴るがこの音の響きがこれまでとまるで違う。

極めて鮮やかに聴こえるとともに余韻が室内空間の中に漂ってスーッときれいに溶け込んで消えていくのがたまらない。これは明らかに音楽鑑賞とは違った楽しみでオーディオの醍醐味ともいえる。

「ビシェーの抵抗」と「東一のコンデンサー(銅箔)」恐るべし。もし気に入らない機器があってもこの辺の部品を入れ替えてやると音質が激変する可能性があるのでゆめゆめ簡単に下取りに出そうなんて考えないほうがよさそう。


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読書コーナー~「学問はどこまでわかっていないか」~

2009年03月14日 | 読書コーナー

デービッド・ハルバースタム(1934~ 2007)

アメリカのジャーナリスト。ニューヨーク生まれでハーバード大学を卒業後ニューヨーク・タイムズの海外特派員として活躍、ピューリツァーを受賞。

彼の著作に
「ベスト&ブライテスト」というのがある。数年以上も前に読んだ本だが書いてあったことが妙に記憶に残っていて折りにふれて思い出す。

既に読破された方も多いと思うが本の内容は、ネットの紹介が簡にして要を得ているのでそのまま丸写しさせてもらおう。

「ケネディ(大統領)が集め、ジョンソンが受け継いだ「最良にして最も聡明な人材」と絶賛されたエリートたちがなぜ米国を非道なベトナム戦争という泥沼に引きずり込んでしまったのか、賢者たちの愚行を綿密な取材で克明に綴るベトナム問題の記念碑的レポート」。

この本のどこが記憶に残っているかといえば、ケネディを取り巻く政策スタッフたちというのがとにかくスゴイ人材ばかり、たとえばハーバード大学の教授といった学者たちをはじめ民間企業のトップ、さらには学業成績がトップクラスの履歴を持つ優秀な人間ばかりだったのに、肝心の政策遂行がうまくいかなかった

ベトナムの地政学的な位置づけ及びベトナム人民に対しての初歩的な理解などがまるで行き届いておらず、さらには先を見通す力、洞察力といった面でもお粗末だったと指摘していた点。

話が飛躍するが今回の金融危機だってそう。経済学者は沢山いるが一体何を研究しているのだろうか。人々が経済学に求める最大の研究成果はこういう金融危機が起こらないようにすること、さらには予測することにあるのではなかろうか、なんて思ってしまう。

結局、極めて「頭がいい」とされる人間たちが寄ってたかってなぜこんなミスリードをしたのだろうかという素朴な疑問を「頭の悪い」人間(自分のこと)なりに長年、懐に暖めていたわけだがようやく一つの回答らしきものに出会ったのが次の本。


「学問はどこまでわかっていないか」(堀田 力著、講談社)  

著者の「堀田 力」さんは弁護士・(財)さわやか福祉財団理事長で’76年東京地検特捜部検事としてロッキード事件の解明に当たった方で法務大臣官房長を最後に退職。

本書の内容について次のような解説がある。

「世の中、わからないことだらけである。単純な疑問ほど答えが見つからない。果たして学問はどこまで分かっているのか、いないのか。~(中略)~超一流の専門家に好奇心の塊、「堀田 力」が素人の疑問をぶつけた知の探検書」。

本書は8章で構成されている。

1 大脳生理学「男と女の愛の根源は何か」
2 女性学「女と男の関係を決める要素は何か」
3 動物行動学「動物の行動はすべて利己的か」
4 心理学「正しい学び方を探る」
5 経済学「経済学の扱う範囲はどこまでか」
6 政治経済学「これだけ研究者がいるのになぜ政治も経済もうまくいかないのか」
7 国際政治学「戦争はなぜ起きるか」
8 刑事法学「なぜ人を罰するのか」

お察しのとおり、このうちのにお目当てのものが書いてあった。要約してみる。

仮説として
、「政治学者や経済学者がソ連邦の崩壊を予想できなかったのは「人間」を学問の基礎に置いていなかったからである」と、提案。

次に考証として以下のとおり展開される。

ソ連邦の崩壊は歴史の必然だったが、理論的に予想できなかったのは経済学者や政治学者の個々の責任に帰するとは思わない。
学問の専門化にすべての責任がある。政治学も経済学も専門化が進むことによって「人間の観察」をしなくなった。

カール・マルクスは人間を考え、社会を考え、そして経済体制を考えた。今の学問の分類でいえば彼は哲学者であり、政治学者であり社会学者であり経済学者であり、そしてその理論を実地に試す専門家として社会全体の問題に真正面から取り組んだ。

彼が理論の基礎に置いた人間像は「不当な資本家の搾取に耐えきれなくなり、自らの幸せを求めて反乱を起こす」というもので、当時は貧しい人々が圧倒的に多かったからその人間像の把握は時代をよく反映していた。

以下、この人間像をもとに創られた社会体制も豊かな時代になるにつれ人々の価値観が変遷していったことにより崩壊につながっていくとあるが、これは余計な話。

とにかく要は、「学問の基礎に的確な人間像を置く」ことが「生きた学問」として大切という話なのだが、今回の金融危機だって、その根源には「濡れ手に粟のような利益の追求のみに狂奔する人間像」の把握がおろそかではなかったのかなんてつい短絡的に思ってしまう。

ここで、またまた話が大きく飛躍するが芸術作品とエンターテイメント(娯楽)の境界線がはっきりせずに混沌としている時代だが両者の大きな違いというのは「時の流れとともに風化するかしないか」にあるように思うし、その生き残っていく理由の一つには「どんな時代になっても通用する人間の本質に迫ってくるものがある」ことが挙げられるとも思う。

河合隼雄さん(故人:前文化庁長官、心理学者)がいみじくも一流の芸術は、その底流に死を内在している」と言われていたが今にして思い当たるのである。

生れ落ちたときから「死」という「ゴール」に向けて一歩一歩、歩を進めているのが人間。「死」はたしかに怖いし避けられない宿命だが、それを不変的に慰め癒してくれるのは芸術作品を措いてほかにない。


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音楽談義~「ブラームスのヴァイオリン協奏曲♯2」~

2009年03月11日 | 音楽談義

1ヶ月半ほど前にまとめて3枚注文(HMV)していた「ブラームスのヴァイオリン協奏曲」。

そのうち一足先に「デ・ヴィート演奏~フルトヴェングラー指揮」と「ヒラリー・ハーン演奏~マリナー指揮」が到着したがこれら2枚の試聴結果は先日のブログで既に紹介済み。

そして、それに続いてようやく残りの1枚が別便になって3月10日午前中に我が家に配達された。

「デ・ヴィート演奏~フリッチャイ指揮」1951年録音     

この1月中旬にヨーロッパで発売されたばかりの輸入盤なので輸送に手間と時間が掛かったものとみえる。実を言うと今回はこれを本命盤として注文したもので他の2枚は”ついでのついで”、付け足しのようなものだったが、僥倖のようにフルトヴェングラー盤が大当たりしたのはまったくうれしい誤算。

さて、これで大好きなブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏したCD盤は16枚目になる。もちろん人によって好き嫌いがあるだろうが、このうち自分のお気に入りは”くどい”ようだが「ヌヴー演奏~イッセルシュテット指揮」「デ・ヴィート演奏~フルトヴェングラー指揮」、そして「レーピン演奏~シャイー指揮」で、これらは順番のつけようがないほどの大切で宝物のような3枚。

当然この「デ・ヴィート演奏~フリッチャイ指揮」にも「デ・ヴィート演奏~フルトヴェングラー指揮」と同様に大いに期待が持てるところ。

ワクワクしながら早速、試聴してみたが、残念なことに結論は「?」である。

まず音質がいまいちで、当然のことながら1951年のモノラル録音をデジタル処理しているのだが、針音ノイズなどの雑音がないのはいいとしても、ところどころ歪っぽい音がするのが気になる。もっとも演奏が気に入れば音質の悪さなんて小さな瑕疵に過ぎないのだが、その肝心の演奏がもうひとつ。

どうもスタジオ録音のためかデ・ヴィートの演奏が非常に抑制的で、いわば常識的かつ冷静的すぎて精彩がない。フルトヴェングラー指揮の盤で聴けた「情熱のほとばしり」「フレージングの柔軟さと大胆さ」「奥からにじみ出てくるような音色の変化」がまるで感じとれない。まあ、これも好き好きでどちらがいいとか悪いということではないのだが自分は思い入れたっぷりに熱を込めた演奏のほうが好き。

同じデ・ヴィートが弾いていてもライブ録音とスタジオ録音とでは大違いで、最後まで聴き終わらないうちにこの盤は自分の好みに合いそうにないと分かった。

結局「音楽とは一過性の芸術」を改めて確認したというわけで、1952年3月7日の夕、イタリアのトリノという場所でデ・ヴィートとフルトヴェングラーが一緒になってたまたま優れた芸術が創造されたということになるのだろう。

どんな演奏者だっていつもいい演奏ができるとは限らない。そのとき、その場所で本人の体調とか共演者との相性とか与えられた環境次第で左右されてしまう。結局デ・ヴィートの演奏はフルトヴェングラー指揮のライブ盤で十分だった。

幾分ガッカリしたが購入しないであれこれ考えるよりも、こうやって手元において確認できた方が精神的にスッキリするのでまったく後悔なし。

ただ、これからというときに病気で夭折した名指揮者フリッチャイの真価はこんなはずではないというのが心残り。これから「第九」でもじっくりと聴いてみようかな。


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独り言~WBC「内川選手の活躍」~

2009年03月09日 | 独り言

第二回WBCの一次リーグがいよいよ開幕。例年よりひと足速く本格的な野球シーズンの到来である。

日本は3月5日の中国戦(4対0)で順当に勝利。問題は苦手とする韓国戦(3月7日)だったが何と14対2のコールド勝ち。

野球評論家も予測してないような圧倒的な勝利だった。「勝因は?」といえばまず原監督の采配、それも選手起用がバッチリ当たったこと。

16打席無安打と絶不振だったイチローを信頼して起用し続けたこと、中島、青木の2,3番コンビの活躍もあったが、原監督の勝利後インタビューにもあったように大きかったのは初回に、
この日6番で初スタメンに起用した内川選手(大分県出身)の2点タイムリー。

1点先取後のノーアウト1塁、2塁で4番村田、5番小笠原があえなく三振で2アウト。このまま1点で終わるか、それとも追加点が入るかはその後の試合展開に大きな意味を持っており実に大きな勝負どころである。

ここで期待の内川選手登場。「左殺し」の異名をとる内川選手は昨2008年のシーズンでも対左投手には4割5分前後の打率を挙げており、この数字は得点圏打率(走者2塁、3塁時での打率)と同じくらいで「勝負強さ=左殺し」をも証明している。

韓国の左腕の好投手、昨年の北京オリンピックでも散々苦しめられた「金投手」のスライダーをカウント2:2から見事に引っ張り抜いて3塁線を破る2塁打で2点を追加したのはまったく同慶の至り。

この日同じ球団(横浜)の村田が試合を決定付ける3ランホームランを打って試合後のインタビューで「野球人生で最高の瞬間」と語っていたが、後輩の内川がやってくれたので、先輩の自分もやってやろうと奮い立ったと言っていたのが印象に残る。

昨年の北京五輪についての内川選手の話。

「壮行試合でセ・リーグ代表として日本代表チームと戦ったんですが、代表の選手たちは普通じゃ考えられないようなミスをしていた。それだけ日の丸を背負う重圧はすごいんだなァと感じました」。

自分に言わせると、いわば「オールジャパン」のユニホームを着て野球をするのと、単なる企業の看板を背負って野球をすることの違い、結局「名誉と利益」の比重になるんだろうが、選手たちの緊張感は察するにあまりある。そういう中、全国民が注視する緊張感に包まれたチャンスでの初打席で実力を発揮できるとは大したもの。

昨年「何とかチャンスがあれば代表のユニホームを着てみたい。日の丸を背負った立場で野球をやってみたいという意識は強いですね」と語っていた好漢、内川選手。

本年の1月1日付けのブログ
「2008年セの首位打者・内川選手」のタイトルで彼の巧まざる打撃センスの良さを喧伝したがうれしい限りである。

「国威の発揚」というとおおげさだが、何かと暗いニュースが続くこの世相に「おくりびと」のアカデミー賞(外国語部門)受賞に続いて、日本チームのWBCでの健闘を祈らずにはいられない。

いよいよ二次リーグでのアメリカではB組の2チームと準決勝進出を目指して激闘が始まる。今のところ、キューバとメキシコ(予想)そして日本、韓国との四つ巴。

キューバ・チームの強さはこれまでの国際試合で計り知れず、メキシコだって大リーガー14名による強力チーム。まったく楽観視は禁物で予断を許さない。

日本チームは
「投手力は一級」だと思うが問題は打撃陣で、体格を含めてやや非力なのは否めない。結局「守備力」と「機動力」、そして「チームワーク」といった持ち味を発揮できるかどうかだろう。

最後に、再掲になるが昨年(2008年)のセ・リーグ首位打者として3割7分8厘(右打者として歴代最高打率)、安打数(189本)、得点圏打率4割4分9厘と主要な打撃タイトルを総なめにした内川選手の
「打撃開眼のコツ」について述べておこう。

~驚くべき打率です。昔”打撃の神様”と呼ばれた川上哲治さんが「ボールが止って見えると語ったことがあります。そんな感じですか?~

「春先、調子が良かったときにはそれに近い感覚がありました。ほら戦争映画なんか観ていると相手に向かって機関銃を構え、カーソルがピピピピッと合っていく。あんな感じなんですよ。しかも自分が合わせているのではなく、ボールの方からカーソルに入ってきて、焦点がピタッと合う。”これは打たなきゃ損だろう”という感じでバットが自然に出てくる。面白い感覚を味わうことができました。逆に打たなくていいボールは、ボールのほうでカーソルから外れていってくれる。不思議な体験でした。」

~そうした感覚は長続きしない?~

「そうですね。”こういう感覚って凄いな、面白いな”と感じた瞬間には、もうなくなっていました。思うのですがバッティングって(コツを)摑んで放し、放しては摑むその繰り返しだと思うんです。いい結果を残すためには、摑んでいる時間をなるべく長く保たなければならない。自分の中で大事にしたい感覚を見つけることが出来たのが最大の収穫だったと思っています」。

今朝(3月9日)の朝刊(地元新聞)では、韓国戦の活躍で一躍脚光を浴びた内川選手に米国のメディアから取材があり、大リーグ挑戦への意欲を問われて「行ってみたいという気持ちがないと言えば、うそになる」と答えて、「球場とか雰囲気を味わってみたい」と渡米が待ち遠しそうだったという。

彼は、たしか横浜入団(ドラフト1位)から8年経過しているのでフリーエージェントはもうすぐのはず。今後の活躍が楽しみ。

追伸(3月10日)

3月9日の韓国戦では心配したとおり打撃陣の不振で完敗。得点差は1点だったが試合内容はそれ以上の感があった。韓国のバッターは体格がいい上に何だか威圧感があるのに比べ日本のバッターは・・・。一方、投手陣は良かったので長所と欠点が両方見えた試合だった。「投攻守」のうち「功」の奮闘がないと勝ち抜いていくのはやはり難しい。


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音楽談義~ブラームスのヴァイオリン協奏曲~

2009年03月05日 | 音楽談義

いろんな作曲家の「ヴァイオリン協奏曲」の中で「王者」とされているのはベートーヴェンのものだが、自分はどちらかといえば「ブラームスのヴァイオリン協奏曲」の方が好き。

作曲者の人柄そのもののように極めて内省的でありながら奥に秘めた炎がじわ~っと燃え上がっていくような独奏ヴァイオリンを聴いていると、つくづくこの曲が「好きでよかったなあ~」と「至福の時間」と言ってもいい満ち足りた感覚が味わえる。

モーツァルトのオペラ「魔笛」、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ「32番」(作品111)、モーツァルトの一連のピアノ・ソナタと並んで自分にとって生涯の伴侶ともいえる作品である。

ただし、この作品はヴァイオリニストにとって技巧的、精神的に至難とも難渋ともいえる曲目とされ、凡百の演奏家では退屈極まりない作品に堕してしまうのも事実。つまりものすごく演奏家を選り分けるので、少しでも良い演奏があればと、これまで次々にCD盤を収集してきた。ざっと挙げてみると次のとおり。

 オイストラフ演奏盤

・1955年盤(コンヴィチュニー指揮)  ・1960年盤(クレンペラー指揮) ・1961年盤(ライブ録音) ・1963年盤(ライブ録音) ・1969年盤(ライブ録音) ・1969年盤(セル指揮)
この6枚の中では、1955年盤(コンヴィチュニー指揮)が一番好き。

 ヌヴー(女流)演奏盤

・1946年(ドブロウェン指揮)      ・1948年(イッセルシュテット指揮)
僅差だが1948年(イッセルシュテット指揮)をとる。

 コーガン演奏盤(1953年)     オークレール(女流)演奏盤(1958年)

 ハイフェッツ演奏盤(1955年)    シェリング演奏盤(1967年)

 メニューイン演奏盤(1949年:フルトヴェングラー指揮)

 グリミュオー演奏盤(1971年:コリン・デービス指揮)

 レーピン盤(2008年:シャイー指揮)

自然と溜まってしまった上記の15枚だが、このうち厳選した結果、自分の好みに合うのは次の3枚。

 オイストラフ盤(1955年:コンヴィチュニー指揮)
 ヌヴー盤(1948年盤:イッセルシュテット指揮、ライブ録音)
 レーピン盤(2008年:シャイー指揮)

そして、新たにこの3枚に挑戦すべく1ヶ月ほど前に注文して今回到着(3月4日午前中)したのが次の2枚。

・ハーン演奏(2001年:マリナー指揮)

・デ・ヴィート演奏(1952年:フルトヴェングラー指揮、ライブ録音)

                        
              ハーン                   デ・ヴィート        
               
なお、これまでずっと放送局秘蔵とされ本年1月中旬に発売されたデ・ヴィート盤(輸入盤:フリッチャイ指揮)は、上記の2枚と合わせてHMVに注文していたのになぜか手に入らなかったとみえ一方的に取り消されて今回は未着。

寒さがぶり返して何かと肌寒い3月4日(水)の午後、みっちりとこの5枚を試聴してみた。以下、試聴結果については言わずもがなですがあくまでも
「私見」です。

 ハーンの演奏

やっぱりシベリウスのヴァイオリン協奏曲と同じで、全体的に「きれいごと」に終わっている印象。とにかく響きに芯がない、軽い、細身すぎる、ブラームスの哀感が伝わってこないなど形容する言葉に事欠かない。もっとも彼女はまだ若くて将来があるのでマイナス評価はこの辺に留めておく。

 デ・ヴィートの演奏

ウーン、これは素晴らしい演奏!指揮者フルトヴェングラー独特の虚無の中から湧き出てくるようなオーケストラ(オケ)のオープニングからぐっと気を引き付けられる。もちろん1952年と演奏時期が古く、モノラル録音で雑音がつきまとうが聴いているうちにそんな瑣末なことは気にならなくなる。

何よりも、デ・ヴィートの演奏が凄い。はじめて聴くずっと昔のヴァイオリニストだがありきたりの言葉では形容できないほどで、実に深~い感銘を覚えた。フルトヴェングラー率いるオケにちっとも負けていない豊饒な響き、豊かでたっぷりとした感情表現、燃え上がるような魂の燃焼力、骨の髄まで染み込んでくるようなヴァイオリンの響き、いやあ~、すっかり圧倒されました!

おそらくフルトヴェングラーにとっても快心のブラームスではなかろうか。カップリングされているメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(いわゆる「メンコン」)も魅力たっぷり。

 ヌヴーの演奏

ヌヴーの演奏についてはこれまでこのブログで散々書き尽くしてきたのでカットするつもりだったが、デ・ヴィートの演奏に感激したので、もしかするとヌヴーを超えているかもと心配になって急いで聴きなおしてみた。

しかし、さすがにヌヴー、演奏がどうこうというよりも「魂の純粋さ」という点において傑出していて他の追随を許さない。まるで「音楽の神」をも感じさせるような演奏、やはりヌヴーはヌヴーである。しかし、評価としては両者甲乙つけ難しというのが正解かもしれず、自分ごときが両者の順番を付けるのはまことにおこがましい気持ちになる。


ただし、いずれも共通しているフレージングの柔軟さと大胆さ、自ずと奥からにじみ出てくるような音色変化の素晴らしさは一発勝負のライブ録音の良さで、「作りもののスタジオ録音」ではとても望めないように思う。

 オイストラフの演奏

「優しくて円満な」という形容に尽きる演奏。これはこれでとても好きな方がいて当然だが自分にはちょっと物足りない。もっと燃え上がるような激しさが欲しい。

 レーピンの演奏

ヌヴー、デ・ヴィート、オイストラフといった往年の大家たちと並んで聴いても何ら遜色を覚えないというのがレーピンの凄いところ。録音(音質)が断然いいし、豊かな響きでもって何ら過不足のない演奏には十分といっていいほど満足できる。日常聴くのであれば「レーピンで十分」で少なくともオイストラフは必要ないという気にさせられる。

ただし感涙に咽ぶのであれば「ヌヴー」「デ・ヴィート」は絶対欠かせないところ。

なお、こうなると未着のデ・ヴィート演奏(フリッチャイ指揮)はぜひとも欲しくなる。

 


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独り言~「お詫び」ほかあれこれ~

2009年03月03日 | 独り言

 お詫び

先日のブログ「レーピンとキーシンのCD」の末尾に耳寄りの情報としてNHKーBS2チャンネルで23日午前0時40分から「キーシンの演奏会」が放映される旨お知らせしていたが、実際に録画した番組を観たところまるっきり登場していなかった。

月刊誌「デジタルTVガイド」には演奏者「キーシン」の名前がはっきりと記載されていたのに・・・。月刊誌のガイドは月の後半になるとかなりいい加減な番組情報になるがこれはその好例。
もし期待して録画された方には本当に申し訳ありません。


 「浅見光彦シリーズ」の読破

今年に入って1月中旬ごろ、内田康彦(1934~)さんの「萩原朔太郎の亡霊」を読んでみてまあまあ面白かったので、同氏の「浅見光彦シリーズ」を読み始めたところこれが病み付きになってしまってキリがなくなった。3月3日現在の約1ヶ月半位で読破したのが次の27冊で2日に約1冊のペース。

・佐渡伝説殺人事件   ・美濃路殺人事件   ・鞆の浦殺人事件
・江田島殺人事件     ・隠岐伝説殺人事件   ・「紫の女」殺人事件
・斎王の葬列       ・箱庭            ・札幌殺人事件
・記憶の中の殺人     ・蜃気楼         ・皇女の霊柩
・遺骨            ・藍色回廊殺人事件  ・はちまん
・黄金の石橋        ・氷雪の殺人      ・ユタが愛した探偵
・中央構造帯        ・しまなみ幻想     ・贄門島
・化生の海         ・十三の冥府      ・戸隠伝説殺人事件
・夏泊殺人岬        ・十三の墓標      ・死線上のアリア

特別に出来のいい本があるわけでもない代わりに、極端に不出来もないといったところで、いずれも評価5点満点にすると、3点~4点といったところで見事に統一されている。当たりハズレがないのがまあいいところ。

すべての作品の共通点を挙げると次のとおり。

・ これだけ多作なのにマンネリに陥らないように、意識して事件ごとに「浅見光彦の登場」の仕組みを変えるなどいろいろと趣向をこらしている

・ トリックを凝らしたミステリではなく人間の葛藤、犯行の動機に重点を置いている

・ 前半で早々と殺人事件が起こり思わず「謎解き」に引きずり込まれて興味をそそられるが、結末となると犯人像が平凡すぎて物足りない。やや竜頭蛇尾の傾向あり。これは作者が始めから結末なんか全然想定せずに書きなぐっていき終わり頃になってこじつけるように犯人を仕立て上げているから。つまり明確なプロットがない。

・ 旅情ミステリの感があるほど日本各地の伝説や名所旧跡が舞台となっている

・ 防衛、医療、食管法などの社会的なテーマをうまく殺人事件の背景に置き丹念に掘り下げている

・ 文章がこなれていてクセがなく実に読みやすい

・ 主人公の設定が面白い。探偵役の「浅見光彦」は三流大学卒のしがないルポライターだが頭脳明晰で女性にもモテる。しかし、肝心のところで女性に振られいまだに結婚できない。一方、兄の方は警察庁刑事局長として全国刑事警察組織のトップに位置。浅見光彦が現地警察とモメるごとにその威光が発揮されるという仕組みでまるで水戸黄門の「印籠」のような働き。

まあ、以上のとおりで毒にも薬にもならない本といえばそのとおりだが読み始めると時間が経つのが速い。とにかくこれだけ読んでもまだあと100冊ぐらい残っているというから驚く。

ネット情報によると発表した
作品の累計発行部数は1億部を超えるという超人気シリーズなのも分かるような気がする。

 


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