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「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

音楽は楽譜で読むものか

2012年12月30日 | 音楽談義

今年の「ノーベル文学賞」はアジア地域からの選考だったので、村上春樹氏(以下、敬称略)の受賞が濃厚とされていたが、周知のとおり中国の作家に浚われてしまった。

図書館で新刊本の「ノーベル文学賞」というタイトルの本をざっと立ち読みしたところ、近年の選考基準は既に世界的に著名な作家、いわばポピュラーになった作家には与えない方針とかで、昔は既に有名になっていたヘミングウェイなども受賞しているのに、まことに手前勝手な都合のいい話だが何とも仕方がない。

来年はアジア地域以外からの選考になるので、村上がもし受賞するにしても数年先のことだろうが、村上はエリーティズムには程遠い作家なので、ノーベル文学賞を受賞しなくてもおそらく何ら痛痒を感じていないことだろう。

彼の小説は昔は随分読んだものだが、かなりの思考力を求めてくるので近年は根気がなくなってしまい今や苦手の作家のひとりとなってしまった。「IQ84」などもなかなか読む気にならないが、インタビュー形式の著作は率直な語り口で非常に面白いので、機会あるごとに逃さず目を通している。

最近では、「村上春樹インタビュー集」~夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです~が面白かった。1997年から2011年にかけて、19本のインタビューが紹介されている。

               

つい読み耽ってしまったが、185頁に音楽ファンにとっては実に興味のある問答が収録されている。

「20世紀の偉大な文学作品の後にまだ書くべきテーマがあるでしょうか?文学にはもはや書くべきテーマも、言うべきものごともない、という意見に同意されますか?」と、一人の外国の愛読者が発する問いに対して村上はこう答えている。

「バッハとモーツァルトとベートーヴェンを持ったあとで、我々がそれ以上音楽を作曲する意味があったのか?彼らの時代以降、彼らの創り出した音楽を超えた音楽があっただろうか?それは大いなる疑問であり、ある意味では正当な疑問です。そこにはいろんな解答があることでしょう。」

とあり、以下長くなるので要約すると「音楽を作曲したり物語を書いたりするのは”意味があるからやる、ないからしない”という種類のことではありません。選択の余地がなく、何があろうと人がやむにやまれずやってしまうことなのです。」とある。

文学的には、村上が理想とする書いてみたい小説の筆頭は「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)で、小説に必要なすべての要素が詰まっているそうで、そのことを念頭に置いて解答しているわけだが、興味を引かれるのは音楽的な話。

「バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの3人組に対して、はたして他の作曲家の存在意義とは?」

これはクラシック音楽における永遠のテーマではなかろうか。「ブラームス、ワーグナー、マーラー、ブルックナーなどが居るぞ」と声高に叫んでみてもこの三人組の重量感にはまったく抗しようがないのも、なんだか虚しくなる事実である。

本書には、もうひとつ音楽に関して興味あることがあった。(312頁)

村上は映画が好きで青春時代に台本(シナリオ)を読み耽ったそうだが、それが嵩じてそのうち自分なりの映画を空想の中で組み立てていくクセがついてしまった。

それは、近代音楽の雄であるアーノルド・シェーンベルクが「音楽というのは楽譜で観念として読むものだ。実際の音は邪魔だ。」と、言っていることと、ちょっと似ているとのこと。「実際の音は邪魔だ」とは実にユニークな言葉。

「楽譜を読みながら音楽を頭の中で想像する」ことが出来れば実にいいことに違いない。第一、それほど広くもない部屋の中で我が物顔で大きなスペースを占めているオーディオ・システムを駆逐できるのが何よりもいい(笑)。

文学は文字という記号で行間の意味を伝える仕組みになっているが、音楽だって音符という記号で情感を伝える仕組みだから同じようなものかもしれない。

もしかして、楽譜が読める音楽家がオーディオ・システムにとかく無関心なのもその辺に理由があるのかも。人間が勝手に描くイマジネーションほど華麗なものはないので、頭の中で鳴り響く音楽はきっと素晴らしいものに違いない。

これからはオーディオに投資することを止めて、できるだけ頭の中で想像しながら聴くことにしよう(笑)。


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オーディオは細かいチューニングの積み重ね

2012年12月27日 | オーディオ談義

オーディオマニアの方ならどなたでも経験があると思うが、毎日毎日同じ音を聴いていると耳が麻痺してしまってシステムの欠点に気が付かないことが往々にしてあるものである。

昨日(26日)の午後、我が家に大分市からお見えになったオーディオ仲間のEさんとMさんから実にいいアドバイスを3点いただいた。Eさんは70歳代半ばの方だが、50年近く毎日毎日オーディオの細かい調整を続けてきた超ベテランで、お見えになるたびに貴重なご意見をいただいている。

☆ SPコードの接続ミス

我が家のメインシステムである「AXIOM80」でEさん持参の「高橋真梨子」のCDをかけたところ、「どうもおかしいなあ、低音域と中高音域が音を打ち消し合っているよ。SPコードの接続ミスによって逆相になっているんじゃないかなあ」と、Eさん。Mさんもまったく同意見。

急いでSPコードをつなぎ替えて試聴してもらうと「うん、これでいい。随分聴きやすくなった」。

我が家のWE300B真空管アンプは度重なる改造のためSP接続用のプラス端子にマイナスのSPコードを接続するようになっているのに、つい「うっかりミス」を、やってしまったらしい。このシステムでは日頃クラシックばかり聴くものだから位相の違いに気付きにくかったが、歌謡曲を聴くとたちどころに判明したというわけ。

しかし、自分は改めて「駄耳」だと痛感。

☆ スピーカーの背圧を逃がす

試聴盤にワーグナーの「ワルキューレ」をかけたところ、「低音域の音がちょっと籠りがちだねえ。1個のユニットだけでも背圧を逃がしてやったらどうかなあ」。

「そうですか、4か所の穴の木の栓を取り除いてみましょう。」

        

「いやあ、これだけでも大違いで明らかに抜けが良くなったよ。」

☆ スピーカーベースの取り換え

このところスピーカーのベースは設置場所が移動できるようにゴムの歯車がついた台車にしていたのだが、この辺をこのお二人は見逃してくれなかった。

「スピーカーの下にゴムを敷くと音が丸くなって良くないよ。金属のベースで固定してしっかり支えた方がいい。極めて重要なポイントだからすぐにやろうよ。善は急げだ。」

3人がかりで、スピーカーを持ち上げて金属ベースを3点支持によって敷いた。(上記写真のとおり)

これでベートーヴェンの弦楽四重奏を試聴。Eさんのたっての所望によるもので、弦楽四重奏の再生はオーディオシステムにとって極めて難しいとのこと。

「素晴らしい音やね~。細かくて繊細な音がよく出るし、奥行き感も十分あるし、まったく言うことなし。この音を聴いて悪いという人はオーディオが分かっていない人だから気にしなくていいよ。」とまで、絶賛。

たしかに、AXIOM80をこれまでずっと愛用してきたが、今日は最高の鳴りっぷり。

JBLの3ウェイシステムも聴いてもらったが、あまり興味を示してくれなかった。どうやらAXIOM80の魅力には及ばなかったようで(笑)。まあ、好き好きだろうが。

とにかく、今回はお金を一銭もかけずに音質に磨きがかかったのは実にありがたい。

「オーディオは細かいチューニングの積み重ねだよ。」との言葉を遺して、EさんとMさんが辞去されたのは5時前だった。およそ3時間にわたる試聴だったが、値千金にも均しい時間でお二人にはまことに感謝である。

システムに対してとかく自己満足に浸りがちのマンネリズムの中、ズバズバ遠慮なく(システムの)欠陥を指摘してくれるオーディオ仲間もまた良き哉!


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音は人なり

2012年12月25日 | 独り言

12月23日(日)は霙(みぞれ)交りの冷たい雨が降りしきる厳寒の中、3か月ぶりに市内のYさん宅を訪問させてもらった。Yさんとそのお友達のUさんは同じ別府市内の方々だがわずか3か月ほど前にこのブログがきっかけで知り合ったばかり。

オーディオが取り持つ縁で、こうして見ず知らずの人間同士が知り合いになって行き来できるなんて実にありがたいことである。

とはいえ、まだお付き合いの日も浅いので観察期間中といえば身も蓋もないが、お互いに「どういうタイプの人なのかなあ」といえる段階だろう。

ただし、オーディオ好きは言葉を交わすよりも音をたびたび聴かせていただいたほうがおよそ性格なり”人となり”は分かるものである。「音は人なり」。言葉よりも音の方が以心伝心になるのがこの世界の面白いところ。

Yさん宅の音は二度目の試聴となるが、一度聴いたくらいではよく分からないし、さらに我が家のシステムの問題点を客観的に把握するためには、他所様の試聴が欠かせないのも訪問した理由の一つ。

クルマで10分ほどの距離なのでほんとうに助かる。Yさん宅のシステムはスピーカーがスパーウーファーを含めてオールフォステクス、CDプレーヤー、デジタルプリアンプ、パワーアンプ(片チャンネル1台)はすべてアキュフェーズの高級品。

           

我が家では真空管アンプを多用しているので、その違いにも大いに興味がわく。

その試聴の結果だが、低音域から高音域まですべての帯域に亘ってエネルギーが充満していて、我が家のッステムは高域を抑え気味にしているのでその分、鮮烈な印象を受けた。

一言でいうと、とても華やかな音である。Yさんはきっとこれまで恵まれた屈託のない人生を送られてきたことだろうと推察した。
我が家のシステムの一ひねりも二ひねりもした翳りのある音とは随分違う。実際にフルートを演奏される方なので「生の楽器の音」を追及していくと、こういう音になるのだろうと納得できた。

Yさんとモーツァルト談義をしていたところデヴェルティメント(K・136)に話が及び、貴重な映像で観せてもらった。スルスルと大きなスクリーンが目前に降りてきて、後方の映写機は三菱の製品だそうだが、画質や解像力の良さに驚いてしまった。我が家の液晶テレビ(45インチ)の寿命が尽きたら、即買い!

またK・136の演奏もなかなか良かった。水戸室内管弦楽団で、小澤征爾が顧問、指揮をしているそうだがこの演奏については指揮者不在だった。自分がしょっちゅう耳にしているコープマン指揮のCDと比べてまったく遜色のない演奏でそのレベルの高さには驚いた。

視覚と聴覚を存分に楽しませてもらった一日だったが、Yさん宅を辞去しながら「今度はUさん宅のパラゴンをお聴きしたいですね」と申し上げたところ、さっそく、YさんがUさんと連絡をとってくれて翌日の24日(月)の午前中に試聴会が実現の運びとなった。実にありがたい。

           

我が家から車で15分ほどのUさん宅のシステムはJBLのパラゴンとアルテックのA7である。

           

アンプの方はマッキンを愛用されていてC-220のプリと275のパワーアンプ。周知のとおりいずれも真空管式。A7の方はマッキンのトランジスターのプリとラックスのMQ60のパワー(真空管)。音の入り口はレコードプレイヤーが主体でCDプレイヤーはこれまたマッキン。

ステレオサウンド誌で「ネス湖の怪物みたいなアンプ」と称されたマッキンの275を本格的に聴くのは初めてだったが、バランスのいい豊かな鳴りっぷりには本当に驚いた。スケール感も十分でどこといって不満が出てこない音である。Uさんは根っからのジャズファンなのだが、この音ならクラシックでも十分いけそうである。

ちなみに、275は真空管KT88のプッシュプルなので4本の特性がそろっていないとおかしなことになるが、スペアとしてマッキン保証付きの特性をそろえた4本の真空管を別途準備されておられ、お値段を伺うと「15万円」。275はお金もかかりそう(笑)。

それにしてもパラゴンをここまで手なずけて鳴らされるとは、相当の年期が必要だろうと思ったが、お伺いしてみると40年近く愛用されているとのことで、その集大成がこの音なのだと納得。

続いて、アルテックのA7を聴かせていただいたが、これまた豊潤な音。A7は有名なSPなので他所様のお宅でもたびたび聴かせてもらっているが、これ程の鳴りっぷりは初めてだった。

「音は人なり」から推し量ると、Uさんはバランスのとれた円満な人格を持った方なのだろう。

こうしてお二方の音を次々に聴かせていただいたところ、お蔭で我が家のシステムのいいところと悪いところが浮かび上がってきた。

長所をもっと伸ばす方向がいいのか、それとも欠点を是正する方向がいいのか、さ~て、ここは思案のしどころだが。

おっと、一番大切なことを忘れていた。出来るだけお金がかからないようにしなければ(笑)。

 


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返却期限オーバー

2012年12月20日 | 独り言

「貸出した図書の返却期限が過ぎています。至急、返却を願います。それから予約された図書の準備が出来ています。」と、いつも利用している図書館から督促の電話。

「いやあ、どうもスミマセ~ン。大至急返却に行きます。ところで予約の準備ができたという図書は何ですかね?」

「”楽園のカンヴァス”と”深い疵(きず)”の2冊です。」「はい、分かりました。」

日頃、4つの図書館を利用していると、すぐに2週間の返却期限がオーバーする。「督促の電話代も手間賃も煎じ詰めれば税金の一部だ。返却期限がオーバーしたらペナルティとして利用者から何がしかの反則金を徴収してもいいのに。その代わり返却期限を3週間ほど延ばしてもらうといいのだが」なんて、虫のいいことを考えながらクルマを運転したことだった。

20分ほどで図書館に到着して、返却したついでに予約の図書を受け取り、ついでに興味のある本を物色。

結局、借りたのは予約を含めて次の本。

 「楽園のカンヴァス」(原田マハ著 2012・1・20 新潮社刊)

 「深い疵(きず)」(レネ・ノイハウス著 2012・6・22 創元推理文庫刊)

 「あんぽん」~孫 正義伝~(佐野 真一著 2012・1・15 小学館刊)

☆ 「完盗オンサイト」(玖村 まゆみ 2011・8・8 講談社刊)

            

まず「楽園のカンヴァス」は、新潮社の最近の宣伝誌(月刊)にこう書いてあった。

「本年度山本周五郎賞受賞!書評家、読者、書店員から早くも2012年ナンバーワンの声、続々」とあり、あらすじが書いてある。

「ニューヨーク近代美術館の学芸員ティムはスイスの大邸宅であり得ない絵を目にした。ルソーの名作”夢”とほとんど同じ構図、同じタッチ。持ち主の富豪は真贋を正しく特定した者に作品を譲ると告げる。ライバルは日本人研究者、早川織絵。リミットは7日間。カンヴァスに塗り込められた真実に迫る、絵画鑑定ミステリーの傑作。」

凄く評判がいいようだし、なかなか面白そうなのですぐにネットで予約したわけだが、読み始めてみると絵画鑑賞の薀蓄は別としてどうも、自分にとっては「?」だった。息もつかせぬ面白さにはほど遠く、頁をめくる手がどうしても鈍くなる。リアリティにも不満があってこの作家とはどうも相性が悪いようだ。


しかし、7頁に次のようなくだりがあった。「画家を知るにはその作品を見ること。何十時間も、何百時間もかけてその作品と向き合うこと」。

これは音楽も同様で「作曲家を知るにはその作品を聴くこと。何十時間も、何百時間もかけてその作品と向き合うこと。」ではなかろうかと思った。しかし、鑑賞時間からすると、モーツァルトにかけては人後に落ちない自信があるが、自分は彼のことをどれだけ知っているんだろうか、となると、とても自分は音楽を通じて作曲家と対話できるほどの鑑賞の
レベルに至っていないことを痛切に感じる。

次に、「深い疵」は8月の地元紙の「読書コーナー」で「ドイツ発、上質ミステリー」と見出しがあり、次のようなあらすじが書いてあった。

「ドイツで累計200万部を超えたベストセラーシリーズの初邦訳。ホロコーストを生き延びたユダヤ人として著名だった92歳の男性が殺害され、現場に「16145」と謎の数字が残された。司法解剖の結果、被害者は刺青がありナチスの武装親衛隊員だったという信じ難い事実が判明。第2、第3の殺人現場にも同じ数字が残され、被害者とナチスとの深い関係が浮かび上がる。ベストセラーになったのも深くうなづける上質のミステリーである。」

さて、ふれこみ通りならいいがと期待しながら読み進んだが、一気読みしたものの点数としては70点程度かな~。それよりもドイツではいまだに終戦時の影を引きずっていることが興味深かった。たとえば、逃げる避難民に追いついたソ連兵が男性はすべて銃殺し、女性はすべて暴行するというくだりには慄然とさせられた。

犯人像も動機もそのことと若干関係するのだが、殺害現場に残された「16145」の数字の意味はありふれていて肩すかしだった。それにしても登場人物の紹介が28人にも上っていて長ったらしいカタカナの名前を覚えるのにえらい苦労した。

次に「あんぽん」~孫 正義伝~

「孫 正義」(以下、敬称略)といえば、押しも押されもせぬ「IT」関連企業の盟主「ソフトバンク」の社長で、プロ野球「福岡ソフトバンクホークス」のオーナーである。いわば無一文からたたき上げた立志伝中の人物だが、その一代記みたいなもの。

著者はノンフィクション・ライターとして著名な「佐野 真一」氏。本書では徹底した取材のもとに個人の過去について「ここまで書くのか」という箇所が随所に散見される。

はじめに題名の「あんぽん」の由来だが、これは韓国人の「孫」の日本名が「安本」で幼少時代のあだ名だったからである。「孫」はJR鳥栖駅近くのバラック建ての「朝鮮」で豚の糞尿まみれの生活の中で育った。幼い頃から頭は良かった。小学校6年時の担任の先生が思い出として次のように語っている。

「なぜか彼のことはよく思い出すんですよ。思い出すのは、そう、彼の目です。授業中、目をかっと見開いて、正面を見据えているんです。微動だにせずに、子供離れしたすさまじい集中力でした。しかも、その目が澄み切っていた。邪心というものがないんです。何かを必死で学び取ろうと、熱い視線を教師に向けている。そんなことを感じることなど、長い教師生活でもめったにありません。彼は何を見ていたんでしょうかね。教師の私なのか、それとも黒板の文字なのか。あるいはもっと奥にある何か別のものなのか。あの澄み切った目の奥に、何が映っていたのか、いまでも知りたくなるときがあるんです」

「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」ということわざがあるが、それを彷彿とさせるエピソードである。

それにしても、本書の内容は「孫」のあさましいともいえる親族の状況やみじめな貧困時代を赤裸々に綴ってあり、よくも孫はこういう本の発行を黙って許したもんだという気がする。

佐野氏はこれに味をしめたのか、大阪市長の橋下氏の出自に関わる記事を「週刊朝日」に連載しかかったところ、橋下氏の猛反撃にあい、周知のとおり、「週刊朝日」の社長の引責辞任にまで発展した大騒動となったことはまだ記憶に新しい。

人間には誰にでも人から触られたくない過去があるもので、そっとしておいてやるのが一番いい。まあ「俺にはそういう過去は無いぞ」という方があるかもしれないが(笑)。

最後の「完盗オンサイト」は昨年(平成23年)の「江戸川乱歩賞受賞作」。

天才的クライマーを雇い、皇居の貴重な盆栽を盗み出すという設定だがアイデアはいいとして人物の彫り込みがちょっと弱い。「ミステリーは犯罪がテーマなんだからそれを実行する人物像や動機がしっかり描けていないとダメ」というのが持論である。そういう意味でこの作品は軽すぎる。

本年度受賞作の「カラマーゾフの妹」といい、今回の作品にしろ、このところ乱歩賞受賞作には振られっぱなしである。

結局、今回借りた本のうちミステリーは総崩れで一番読み甲斐があったのは「あんぽん」だった。
 


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「いつも、いじってますね~」

2012年12月18日 | オーディオ談義

先日、我が家に試聴にお見えになったYさんが「いつも(オーディオを)いじってますね~」と仰った。おそらく、ときどきこのブログを拝見されているのだろう。

その口調から好意的な言葉だと受け止めたがよく考えてみると、自分ではありあまる自由時間に任せて好きなことをやっているので、これが当たり前だと思っているものの、はたから見ると何だかソワソワ浮き足立って落ち着きがないように映っているのかもしれないと思う今日この頃。

「音楽とオーディオ」は周知のとおり目的と手段の関係にあり、ある程度オーディオに区切りをつけたうえで音楽鑑賞に浸りきることがまっとうな姿でそれは分かっているのだが、オーディオに限っては手段と目的が混同してしまう罠に陥りやすいように思う。とにかく、どこかをちょっとでもいじると、音が変わるので実に面白くてたまらない存在。

とにかく、我が家では実験道具には事欠かない。

 ツィーターを(システムに)入れたり、外したりする。また、入れるときはコンデンサーをとっかえひっかえしてローカットの値を調整する。中域用ユニットのハイカット、ローカットも同様。

 SPユニットごとにアンプを使い分けしているため、ボリューム調整が必要となる。そこでアッテネーター3台とプリアンプを2台を選り分けている。今のところ低域にはアッテネーターを使用し、中高域にはプリアンプをあてがった方がふわっとした空気感が出てきて好みの音になる。

 真空管アンプが5台あるので、SPユニットごとに相性を確かめている。 

 真空管アンプは初段管や、ドライバー管、整流管、そして出力管によってコロッと音が変わるので、いろんな銘柄を挿しかえて楽しむ。

☆ オーディオ機器の電源コードや機器を結ぶ音声コードの銘柄によっても音が変わるし、もちろん相性も無視できないのでときどき入れ替える。また、電源については「200V→100V」やアイソレーション(CSE)の使用をアンプごとに選分ける。

ざっと挙げただけでも、以上のとおり。

しかし、システムが「自分好みの音」となって満足感を抱くようになるとあまり”いじる”ところが少なくなるようで、ちょっと淋しい思いがする。

実は現在のシステムがそういう状況にある。「AXIOM80」も、「JBL3ウェイシステム」「リチャード・アレンの20センチ口径フルレンジ」も、今のところ好調なのでそれはそれでいいのだがどうも一抹の寂しさを覚える。

        

このところ毎日の張り合いがなくなって、何だか魂の抜け殻みたいな状況に陥りつつある。どうやらオーディオは自己採点で70点ぐらいに留めておく方が楽しい面もあるようである(笑)。

さて、この辺で何か驚くような起死回生の手段がないものか。

あとは、Yさんがおっしゃるように音の入り口対策としてPCを利用し、CDを超える高音質とされる「ハイレゾ音源」(24bit/192kHz)の利用ぐらいだという気がするが、PCの深入りは正直言ってちょっと自信がない。どなたか手取り足取り教えてくれる人がいるといいのだが。
 


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「第九」の時期になった

2012年12月16日 | オーディオ談義

今年も残すところ、わずか2週間あまりになった。

音楽ファンにとって年末とくれば「第九」(ベートーヴェン)だが、大分地区では本日(16日)が開催予定日。例年、カミさんには、仕事がらみのお付き合いで入場券2枚が配布されてくるが、どうやら近所の散歩友達を誘って出かける予定のようだ。

音楽にあまり興味がないし、このブログにもいっさい無関心なカミさんだから心弾んで出かける様子ではない。

           

ちなみに、本日は衆議院選挙の投票日だが昨日(15日)、既に「不在者投票」を済ませている。我が町内の投票所は近くの小学校が会場になっているが、駐車場の出入り口の見通しが悪く、うっとうしいので今年から広い駐車場のある市役所に直接出かけて投票することにした。

カミさんと投票を済ませて、市役所の玄関を出るときにNHKの出口調査にカミさんがひっかかった。「野田内閣はいいが、民主党が不満なので別の政党に入れた」なんて趣旨の設問もあったそうで、なるほど、なかなか正鵠を射ている(笑)。

個人的な意見だが、一言でいえば民主党は人材不足だった。非常にお粗末な大臣が何人もいたが、これは政策云々以前の問題で、これでは官僚を使いこなせるはずがない。まだまだこれから気長に育て上げていかねばならない政党なのだろう。

さて、「第九」は20代の頃にフルトヴェングラー指揮(1951年:バイロイト祝祭盤)の演奏に心から傾倒したものだった。

第三楽章までは人間が作ったものだが、第四楽章に限っては音楽の神様が乗り移って作曲していると思ったほどで、当時は真剣だった。今となっては、すっかり熱も醒めてしまったがそれでもフルヴェン以外の演奏を聴くとイメージが壊れる気がするので、折角の生演奏だがいつものとおりパスさせてもらった(笑)。

ただし、合唱付きの第四楽章については「不要だ」という向きもあるようで、たとえば往年の名指揮者「ハンス・フォン・ビューロー」はベルリンフィルの常任指揮者を引退する最後の演奏で第四楽章を意識してカットし、第三楽章までを指揮して終えた。「アダージョで静かに終わりたい。」というのがその意向だった。(「指揮者 マーラー」94頁、中川右介著より)

たしかにベートーヴェンのアダージョは幽玄かつ深遠でまことに素晴らしいし、淋しく引退するのに「歓喜の歌」を指揮する心境にはとてもなれまいて。

ところで、この一年間の我が家の「音楽とオーディオ」のハイライトはジャズを頻繁に聴くようになったことが挙げられる。これにはオーディオ装置が大いに関係しており、 「JBL3ウェイシステムに375ドライバーを起用した」
ことが特筆事項。

これまで音に満足がいかず、始末に困って買い手を探していた「375」ドライバー(16Ω)だったが、たまたまメル友の示唆を受けてダイアフラム(口径10.4センチ)をJBLの純正(ダイアモンド・エッジ)に取り替えたところ、音が激変。危うく375の真価を知らないまま手放すところだった。

このドライバーは管楽器の演奏のときに最大の威力を発揮するようだ。

14日(金)に我が家にお見えになった市内のYさんのご意見では「やはり管楽器はホーン型システムで聴くほうがいいです。もともと楽器そのものの形がホーン型になっていますからね」。Yさんは実際にフルートを演奏される方なので非常に説得力があり、勇気づけられる。

弦楽器の再生に堪能な「AXIOM80システム」と管楽器の再生に威力を発揮する「JBLシステム」は我が家のシステムの車の両輪である。

今のところ、一つのシステムで弦楽器と管楽器をうまく再生するのは至難の業のような気がするのだが、どうだろうか。


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「宮本文昭の名曲斬り込み隊」を読んで

2012年12月14日 | 音楽談義

 週一度の恒例の図書館通いでたまたま目に触れて借りてきたのが「宮本文昭の名曲斬り込み隊」。(2009・11、五月書房刊)

                           

「宮本文昭」さんといえばクラシック通ならどなたでもご存知のように著名なオーボエ奏者だが、世に名曲の解説本は多いものの、実際に演奏する立場からの視点による解説本は意外と少ないのが実状。

また、オーボエという楽器は管楽器全体を引っ張っていく存在だから、そういう視点からのアプローチも面白そうなので読み始めたところ、つい引き込まれて一気読みしてしまった。


本書で取り上げてある名曲は以下の8曲。

 モーツァルト「ディヴェルティメントK.136」  「協奏交響曲K.364」、  
チャイコフスキー「交響曲第5番」、  ベートーヴェン「交響曲第3番英雄」、 5 ブラームス「交響曲第1番」、  リムスキー・コルサコフ「シェラザード」、  マーラー「交響曲第9番」、  ブルックナー「交響曲第8番」

いずれも比較的、世に知れ渡った曲ばかりだが自分なりの思いがある曲目をいくつかピックアップしてみた。

のK・136はオペラなどの大曲を除くとモーツァルトの中で一番好きだと言ってもいいくらいの曲。トン・コープマン指揮の演奏がダントツにいいが、本書でもコープマンのCDが紹介してあった。

                    

この曲では特に第二楽章が好みだが「悲しいというのではないんだけど晴れやかでもない、そこはかとない哀しみが漂う、これまた名曲です。」(本書35頁)と、あるがたしかにそう思う。

「モーツァルトの哀しみとは?」と問われて、それを言葉で表現しようなんてとても無理な相談だが「それはK・136の第二楽章を聴けば分かりますよ」というのが、まっとうな解答というものだろう。ケッフェル番号が136と非常に若いが、わずか16歳のときの作品だというからやはりミューズの神が与えた天賦の才には、ただひたすら頭(こうべ)を垂れるほかない。

は正式には「ヴァイオリン、ヴィオラと管弦楽のための協奏交響曲」(K・364)というが、モーツァルトにしてはそれほど有名な曲目ではない。自分もこれまでじっくり聴いたことがなく、たしかこのCDはどこかにあったはずだがと探してみたところ、五嶋みどり(ヴィオリン)さんと今井信子(ヴィオラ)さんのコンビのものがあった。

                          
                 

いわばこれまで素通りしてきたと言ってもいいCDだが、本書の解説をもとにじっくり腰を据えて聴いてみると実にいい。すっかり惚れ込んでしまった。

取り分け第二楽章については「深い憂愁につつまれた楽章だ。23歳のアマデウス先生が希望に胸を膨らませて向かったパリで失意を味わい、”もののあわれ”を知ってしまったのだろうか。モーツァルトが全作品の中でもめったに見せたことのない、ほとんどロマン派と見まごうばかりの彼のプライベートでセンチメンタルな一面が垣間見れる。」(本書210頁)

ヴァイオリンとヴィオラの優雅な絡み合いの何とも言えない美しさに不覚にも目頭が熱くなってしまった。この辺の微妙な表現力となるとSPユニット「AXIOM80」の独壇場で魅力全開である。五嶋さんも今井さんも楽器は「グァルネリ」だというが、日頃よく耳にするストラディヴァリよりも美しく聴こえたので、(AXIOM80とは)相性がいいのかな。

本書のおかげで新たに好みの曲を発掘できたのは大きな収穫で著者に大感謝~。

次に3、4、5、6、7は割愛して最後ののブルックナー「交響曲8番」についてだが、これは周知のとおり1時間半にも及ぶ長大な曲で、著者が高校時代に毎日繰り返し聴いて感銘を受けた曲とのこと。プロの演奏家になった現在では分析的な聴き方になってしまい、高校時代のように「あ~、いい曲だなぁ」と音楽に心を委ねきることが出来ないと嘆いておられる。

これはほんの一例に過ぎないが、総じてこれまで自分が見聞したところによると純粋に音楽を心から楽しもうと思ったら指揮者や演奏家を職業にしない方がいいような気がして仕方がない(笑)。

ブルックナーについては、天下の「五味康祐」さんが次のように述べている。

「ブルックナーの交響曲はたしかにいい音楽である。しかし、どうにも長すぎる。酒でいえば、まことに芳醇(ほうじゅん)であるが、量の多さが水増しされた感じに似ている。これはブルックナーの家系が14世紀まで遡ることのできる農民の出であることに関係がありそうだ。都市の喧騒やいらだちとは無縁な農夫の鈍重さ、ともいうべき気質になじんだためだろう」(「いい音、いい音楽」)

さて、ブルックナーの8番はチェリビダッケの指揮したCDを持っているが、これは超絶的な名演とされる「リスボン・ライブ」盤(2枚組:1994年4月)である。

                      


おいそれとは簡単に手に入らない稀少品で、もちろんHMVでは無理。参考までにオークションを覗いてみると、何と3600円(12月13日現在)のプレミアム価格がついている。

本書のおかげで久しぶりにこの曲を聴く気になったが、スケール豊かで重厚感あふれる曲なのでJBL3ウェイシステムで聴いたが、たっぷりした音の洪水の中で音楽の魂が吸い込まれていきそうな気にさせてくれる名演・名曲である。

本書は演奏家、指揮者の視点からの分析もさることながら、著者の音楽への愛情がひしひしと伝わってくるところが実にいい。クラシックの愛好家でまだ読んでいない方は機会があれば是非ご一読をお薦めしたい。  


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雪中決死試聴隊

2012年12月12日 | オーディオ談義

9日(日)はかねて予定していたオーディオ仲間の湯布院のAさん宅での試聴会。

先日、初めて我が家にお見えになった別府市内のYさん、Uさんのたっての依頼で実現したものだが、前日からの猛烈な寒波の襲来で盆地の湯布院の雪模様が唯一の懸念材料。

当日の朝、Aさんにお伺いしてみると「小雪が舞ってますが今のところ大丈夫でしょう。念のため大分回りのコースがいいでしょう。」

別府から湯布院に行くには、最短コースの山越えコースと平地の大分経由コースとがある。

Yさんが運転するクルマに便乗させてもらって、9時20分に別府を出てAさん宅に着いたのが10時20分ごろだから通常のおよそ2倍の時間がかかったことになる。高地の湯布院に近づくにつれ、見事な雪景色に変容していくのには驚いた。

AさんとYさん、Uさんのお二人は初対面ではないので、ご挨拶もそこそこにさっそく試聴に。初めに「2階のシステムから聴いていただきましょう。」とAさん。

           

この部屋には二つのシステムが置いてあって、一つはJBLの5ウェイシステム。

低域から順にスーパー・ウーファー、130A、2441、LE-85、075のコンビ。二つ目のシステムがJBLシステムの後ろにあるクリプッシュのCN-191コーナーホーン。

はじめにJBLのシステムから試聴させてもらったが低域から高域までレンジにまったく過不足がなく実にうまくまとめてある印象を受けた。私見だが、ユニットの数が多くなると(各ユニット)の周波数の被りが多くなるし、位相合わせの問題も出てくるので一長一短だと思っているが、この場合はそういう懸念を見事に吹き飛ばしている。

1時間ほどブラスやジャズを堪能してから、今度はコーナーホーンに切り替え。とたんに、ほっと一息付けるような音に変身。「ひと肌の温もりを感じさせるような音」という表現が似合っている。クラシックをじっくり聴くのには最適だろう。

こうして音楽に夢中になっていたところ、ふと外を見ると何と雪がますます激しく降り出していて、野原が完全な銀世界になりつつある。車の運転手のYさんが「ノーマルタイヤだけど、無事に帰りつけるかなあ?」と言われる。まことにごもっともな心配で、ちょっと試聴ペースを早めることにして今度は1階のウェスタンの15Aホーンの試聴に移った。

           

いやあ~、このシステムばかりはいつ聴いても圧倒される。まったく次元が違う音で、低音や高音がどうのこうのと”ちまちま”したことを言うのがはばかられるような音である。電源対策に特別の工夫を凝らした、わずか数ワットの真空管アンプ(WEー300B)で「鬼太鼓座」の太鼓の音が少しもクリップすることなく鳴り響くのだからたまらない。

雪が心配の中、30分ほど切り上げて、全員で近くにある「南の風」というレストランに移動して昼食。湯布院という風土はオーディオ・マニアを育むのが特徴でこのレストランでも2階にオーディオ機器が置いてあり、昼食後に聴かせてもらった。

              

真空管アンプを次々に自作するマニア(福岡在住)から譲っていただいたというアンプ群のもとでいろんなスピーカーを鳴らされている。いずれもグッド・バランスで聴きやすかったが、ひときわ目を引いたのがダイアトーンのP610ユニット(16センチ口径)を納めたエンクロージャー。

                       

手作りのショートホーンや緻密に計算されたダクトの大きさもあいまって、Aさんともども「いい音ですねえ!」と、大いに感心したことだった。

結局、この日はずっと雪が降りやむことはなかった。名残惜しいままに、雪を恨みながら14時半ごろに湯布院を後にした。

翌日、Yさんから「雪中決死試聴隊」と題して次のようなメールが届いた。無断引用、お許しください。

「おかげさまで良い経験を積ませていただきました。
300Bシングルであのグリップ力は本当に脱帽というか信じられません。世の中には自分がまだ知らない世界がありますね。ウエスタン15Aホーンを初めて聴きましたが、まさにスーパーマニアの世界です。中音のホーン音はキレが良く音離れに、他にはない独特のリアリテイが有りますね。他人の音を聴くと勉強になります。

どうやら今回の試聴会にご満足していただけたようで、本当に良かった。


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ムンドルフのコイル

2012年12月10日 | オーディオ談義

8日(土)の10時ごろに日課のウォーキングをして帰宅したところ、即座にカミさんから一声、「代引きで小荷物が届いていましたので立て替え払いをしておきましたよ~」。

「失敗った」、こんなに早い時刻に到着するとは思わなかった。どなたでも同じだろうがオーディオ製品を購入するのは家人には知られたくないものである。まあ、今回は大した金額ではなかったので事なきを得た。

その昔、薄給のサラリーマン時代にタンノイ・ウェストミンスターを購入することを自宅に配送される前日まで言い出せず、とうとう1週間ほど口をきいてもらえなかった悲しい思い出が今でもときどき蘇る(笑)。

さて、今回購入したのはムンドルフ社(ドイツ)のコイルである。一番、直流抵抗が少ない逸品。

           

左側のコイルの左下の端が一部欠けているが、これは発送前に業者から「性能に関係ありませんが、1000円値引きしますので我慢してください」といった趣旨の一方的なメールが事前に届いていた。たしかに性能に関係がないとはいえ、神経質な人ならおそらくキャンセルすることだろう。

自分の場合、性能本位で音さえ良ければ見かけにはこだわらないので、もちろん「それで良し」とした。後で瞬間接着剤で”かけら”を張り付けることにした。

さてこのコイル、折角購入したものの、ちょっとした発注時期のタイミングの差でもはや無用の長物と化しつつある。

以下、ちょっと専門的な話になるが経緯を説明しよう。

☆ 第一段階(発端)

我が家のSPユニット「AXIOM80」(以下、「80」)は周波数200ヘルツ以上(6db/oct)を受け持たせているが、どうも(200ヘルツ以下の)低音域との繋がりが今一つよろしくない。つまりこの辺の周波数の豊かさが足りない。「繊細で、ふっくらした艶やかな響き」を出すにあたって、「ふっくら」感が足りない原因となっている。まあ、欲を言えばキリのない世界だがこの辺が解決すれば「鬼に金棒の音になるのに」という思いはどうしても断ち切れない。

☆ 第二段階

そこで、「80」専用のプリアンプのボリュームを上げてやれば即座に解決する話だがことはそう簡単にはいかない。我が家の「80」は残念なことに「オリジナル仕様」と違って「復刻版」なのでそのせいか、ソースによっては最高音域がちょっとうるさく感じることがある。したがって、プリアンプのボリュームを上げると、最高音域までうるさくなって始末に負えない。

☆ 第三段階

この傾向は手持ちのパワーアンプ(真空管)「WE300B」、「PX25」のいずれのアンプを使っても同じ状況を示す。もちろんこれは球のせいばかりではない。真空管アンプの特性は出力トランスや回路によっても大きく左右されるので、我が家のアンプでは、たまたまそういう傾向にあるという条件下での話。

☆ 第四段階

そこで、一計を案じて「80」のSPコードにコイルを挿入して最高音域を抑えればプリアンプのボリュームを上げてもうるさくならず、その一方、200ヘルツ付近が適当に膨らんでくれるだろうと思って(このコイルを)購入した次第。

このコイルは数値が0.15mh(ミリヘンリー)なのでこれをSPコードのプラス線に挿入すれば「80」のインピーダンスが公称15Ωなので周波数早見表から計算するとおよそ16000ヘルツのハイカットの値となる。

これはもちろん理論上の話でこれで最高音域がうるさくなくなればベストだが、オーディオは実際にやってみなければ分からないことの方が圧倒的に多い。これで満足のいかない結果が出れば0.2mh前後のコイルを別途購入して再び実験せざるを得ないのがつらいところ。

コイル購入の経緯は以上のとおりだが、前回のブログに登載したように今回修繕してもらった「KRー52BX」アンプがそういう懸案事項を吹き飛ばしてしまった。とにかく「80」に用いたところ、まったくコイルの必要を感じないほど念願だった「ふっくら」感が良くなった。その一方で「繊細、艶やかさ」が犠牲になっていることもさらさらなし。

1週間ほど前に「KR-52BX」アンプが我が家に届いておればコイルを発注しなくて済んだのに~。ほんのわずかの差だった。

とにかくこのアンプは我が家の真空管アンプの勢力地図を一気に塗り替えてしまったのはたしか。

あまりに好結果が出たものだから今度は欲を出してJBL3ウェイシステムの中域を担っている「375」ドライバーに接続したところこれまた、あっと驚くような音が出てきた。

こうなると、「KR-52BX」アンプからの「80」と「375」への「スピーカー切替機」が欲しくなる。

奈良のMさんに相談してみると、「手動が一番だと思います。バナナプラグをお使いでしたら手動でも苦にならないと思います。検索してみましたところスピーカー切替機を使うと音が変わってしまうと嘆いていた方がいらっしゃいました。(某メーカーのものでした)。やはり接点が増えるのですから使わないのが無難なようです。細かく言えば、バナナプラグも使わずにターミナルに直付が理想でしょうね!」

そこで当方から二の矢を放った。

「直接、線材を繋ぐのがいいのでしょうが、バナナプラグの場合SPターミナルとの接着面積が大きくなりますね。その点で、メリットもあるのかなと思ってますがどうですかねえ。非常に細かい話で恐縮ですが。」

すると次のような回答が返ってきた。

「私見ですが、たしかに面接触は接着面積は大きくなりますが、面と云えども点接触の集まりになります。接触には、接触圧も重要になります。バナナプラグですとスピーカーの線が圧着(異種の金属の接触はあまり良いとはいえない)して接続されてバナナプラグの本体金属を通過してアンプのSPターミナルに軽く面圧接続されます。
経路をたどりますと、線材→バナナプラグ本体→軽圧接触 となります。バナナプラグを使用しなければ 線材→やや点接触でありますが、今度は締め付けますので高圧接触になり、ここにもシンプル・イズ・ベストが成り立つように思います。」

何かを得れば何かを失うのがこの世のならい。音質は多少損なわれるものの便利さを優先して、当面バナナプラグを使って「80」「375」の両方のユニットのつなぎ替えを行うことにした。

ムンドルフのコイルの話から取りとめのない話になってしまったが、このコイルはまだまだ使い道がありそうで、「375」ドライバー(16Ω)のハイッカット用に使えば12000ヘルツ(6db/oct)の値になるので、ツイーター「075」のローカットをいじって楽しむ手段も残されている。

転んでもただでは起きないぞ!(笑)


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戻ってきた真空管アンプ

2012年12月08日 | オーディオ談義

真空管アンプを愛用するようになってから随分久しい。知らず知らずのうちに5セット溜まってしまったが、そのうち4セットが現在稼働中で、残りの1セットはどの真空管アンプが故障してもいいようにスペアとして待機中。

このスペアになっているアンプを、たまには電源を入れて可愛がってあげようと先日スイッチをオンしたところ左チャンネルからブーンというハム音がする。アレッ、おかしいなぁ。

こういう時の故障はまずハンダ付けの接触不良を疑った方がいいのでアンプをひっくり返して点検するもまったく異常なし。こうなると、素人にはまるでお手上げの状態で専門家のお出まし、お出まし~。

頼みの綱の奈良のMさんに連絡をとってみたところ、「別のアンプの修繕を請け負っているのでしばらく待ってください」とのことで、それから1か月ほどしてようやく送付の許可が出た。

我が家で一番図体が大きくて重たいアンプなので梱包するのにてこずったが、ヤマトさんに取りに来てもらったので楽だった。関東方面と違って別府から奈良へは翌日配達なので助かる。  

そして、点検してもらったところ何と修繕個所が出るわ出るわ(笑)。

電解コンデンサーの液漏れや出力管へのカップリングコンデンサーの液漏れ、手薄なヒート対策、そしてパンク寸前状態のブロックコンデンサー。

                

そして、ついにハム音の原因が判明して、次のようなメールがMさんから来た。


「ありがたい、ありがたい、情報でした!!

>ラックにこのアンプを納める時に、ちょっと強引に収めたのですが、それから急にハム音が出るようになった気がします。
>もしかしてラックに収める時に、指が内部に入って部品を押し付け異常をきたした可能性も捨てきれません。

〇〇さん(自分のこと)の、このメールがなければ、真空管ソケットを交換しようとは思わなかったことです。ソケットを取り外して、診ましたところ絶縁チューブが破れてカソードとヒーター片側が接触事故を起こしていました。

原因が発見出来て今夜の晩酌は、旨い、美味い晩酌となります。」

先日のブログにも記したようにオーディオにとって磁界対策と振動対策は非常に重要だが、こればかりは目に見えないだけに実に厄介な代物。そこで、せめて、アンプのシャーシが鉄製の場合には常時、底板を取っ払って磁界がこもらないようにしていたわけだが、今回はそれが裏目に出てしまった。

しかし、このたびは「災い転じて福」となったのは明らかで、他の修繕個所が次々に見つかってよかった。購入してもう20年以上にもなるので部品の劣化があるのは当たり前でいずれ大きな故障に繋がったことだろう。

そして、一昨日(6日)にMさんから次のようなメールが到着。

 「修理が完了して試聴してみたところピアノがまさにグランドピアノの鳴りっぷりには驚きました。音の良さに、早く〇〇さんに聴いていただきたくなり、いま出荷しました。明日7日の時間指定14時から16時にしましたが、遅れるかも知れませんとのことでした。アンプを持つ位置は左右アウトプット・トランスの真横がよろしいと思います。話半分で、あまり期待せずにパワーオン願います。」

こういうメールをいただくと、もう胸がワクワク。そんなに”いい”と仰るなら、我が家のエースである「AXIOM80」用のアンプとして使ってみようと決意した。

そして、朝から首を長くして待つことしばし、ようやく14時30分ごろに到着。

        

画像右側が戻ってきた「VV52BX」アンプで、左のPX25・1号機と比べると、その大きさが分かっていただけよう。

さっそく接続して聴いてみると明らかに低音域との繋がりが良くなっている。音がすごく豊かになって全体の雰囲気も極上でクラシックを鑑賞するのにはもってこい。思わず”万歳”と叫んだ。

「AXIOM80」の理想の音は「繊細で、ふっくらした艶やかな響き」とされているが、「繊細と艶やか」感はともかく、「ふっくら」感だけは銘球とされるWE300BやPX25をもってしても、どうしても出せなかったが、このVV52BXでようやく目的を達した。

この音ならオーディオをいっさい意識せずに音楽に浸れそうだ。

試聴盤はレコード盤からCDにコピーしてもらったビーチャム指揮の「ペールギュント」。

            

この「ペールギュント」(グリーク作曲)は最新録音のヤルヴィ指揮のものを持っているが若い時から聴きなれてきたビーチャム盤でないとどうも落ち着かない。カップリングは「パガニーニの主題による狂詩曲」(ラフマニノフ作曲)で、凄くロマンティックなメロディが含まれていてこれもフリッツ・ライナー指揮でルービンシュタイン演奏が一番好きなのでこのCD盤は宝物的存在。

ほかにもコレルリの合奏協奏曲(イ・ムジチ:フェリックス・アーヨ)、ミサ・ソレムニス(クレンペラー指揮)をCD化してもらった。我が家にはもう「レコードプレイヤー」がないのでほんとうにありがたいことである。


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サッパリ面白くなかった「江戸川乱歩賞受賞作」

2012年12月06日 | 読書コーナー

日本における推理作家の登竜門とされる「江戸川乱歩賞」。

創設が昭和30年で今年(平成24年)で58回目を迎える長い歴史を誇っている。過去の受賞者では東野圭吾や高橋克彦など錚々たる作家を輩出しているが、何といっても副賞としての1千万円も大きな魅力で、粒ぞろいの作品が集まる中で選出されるのも注目の的。

幼い頃からホームズや金田一耕助、明智小五郎などの活躍に胸踊らせてきたミステリー・ファンなので、これまで同賞受賞作はほぼすべてと言っていいほど読んできたが、当たりはずれがなくいずれも面白かった。

先日の新聞の見出しで今年の受賞作は「カラマーゾフの妹」(高野史緒)とあり、単行本で発売されているのが分かったが、オークションと違って期限が切られているわけでもなく、そのうち読める機会があるだろうと悠長に構えていたところ、隣町の鄙びた図書館で運よく借りることが出来た。

                          

現在、4つの図書館をハシゴしているが人気本を借りられるのはいつもこの図書館ばかりで、自分にとっては実に貴重な穴場的存在である。しかし、住民票を持たない人間が面白い本を先に読む機会を奪ってしまい、管内の町民の方々にはまことに申し訳ない(笑)。

さて、「カラマーゾフの妹」という題名は、なんという文学的な香りを放っていることだろう。もちろん名作「カラマーゾフの兄弟」をもじっていることは言うまでもない。

著者である文豪「ドストエフスキー」の偉大さについては、もはや申し上げるまでもなかろう。

「小説家が読むドストエフスキー」という本の中で著者の「加賀乙彦」氏(小説家、精神科医)は次のように述べられている。

 世界の全ての小説の中で「白痴」が一番の傑作(72頁)

 「白痴」が分かると「悪霊」が分かりやすくなり、「悪霊」がわかってくると最後の大作「カラマーゾフの兄弟」が分かりやすい。(102頁)

 20世紀の作家は全てドストエフスキーの肩の上に乗っている。ドストエフスキーを読まずに小説を書きはじめた人は私の周辺を見回してもいない。(116頁)

 ロシア的なキリスト教の形のもとで、いずれの作品ともに犯罪、殺人が主題になっており、罪の極点を描くことで逆に神の愛が描かれている。罪も愛も無限定で極端で途方もないエネルギーに満ちていて、この作品群の究極の姿、総決算が「カラマーゾフの兄弟」です。「カラマーゾフ万歳!」(212頁)

周知のとおり、名作「カラマーゾフの兄弟」は続編の第二部が予定されていたが、著者の死亡により未完に終わっているが、この「カラマーゾフの妹」はその続編に挑戦したものだというからいやが上でも期待に胸が高まる。

さあ、「音楽」も「オーディオ」もしばし忘れて意気込んで読書開始~。

ところがである。どうもイマイチでストーリーに惹き込まれない。そもそもカタカナの長ったらしい名前の登場人物が多すぎて何がなんやら~。ときどき巻頭に戻って人物紹介を見ざるを得ないのも大きな手間。

しかも、面白いと一気読みをするのだが、あまりピンとこないものだから日を置いてときどき読むことになり、そうすると益々”あらすじ”や登場人物が分からなくなる。

それでも無理してようやく1週間ほどで読み上げたが後半部の山場に惹き込まれることもなく、全体を通じてサッパリの印象だった。「江戸川乱歩賞」受賞作でこんなに面白くない本は初めて。

しかし、本書の巻末にある5人の選者(いずれも作家)の選考経過を読んでみると、うち4名が最終候補作5編のうち本書を一押しなので、自分の読解力が落ちてきたのだろうか。ちょっと不安になった。

選者の一人、「桐野夏生」(作家)さんは次のように述べている。

「物語は、カラマーゾフ事件から13年後、次兄イワンが未解決事件課の捜査官となって「父親殺し」の真相を探るために帰省するところから始まる。しかも多重人格者ときている。この荒唐無稽さを乗り越えてしまえば次第に著者の世界に引きずり込まれていく。前作の長大さに比べれば何ともミニマムながら実は精緻で深い世界を構築している。」

どうやら、本書の展開についていけなかった原因の一つは主人公の多重人格という荒唐無稽さに無意識のうちに拒絶反応を起こしたらしいことが分かってきた。

著者はSF作家だというが、ミステリーにSFを持ち込むのは「ルール違反」だと思うんだけどねえ~。



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あ~、忙しい!

2012年12月04日 | 独り言

12月2日(日)は朝9時から半年に一度の恒例となっている町内会の大掃除。

自宅の周囲を一世帯当たり1名が出て共同で清掃するのだが、一番たいへんなのが空地の草刈り作業。雑草が生い茂って道路に50センチほどはみ出してきている。

120坪ほどの空地の持ち主には市役所の方から草刈りをするように何度も督促してもらっているがいつも”なしのつぶて”でほんとうに困る。もし家を建てて引越しをしてきたら積年の恨みを一気に果たしてやろうと牙を研いでいる。(笑)

とにかく、高齢者が多くて戦力にならない人が多いので比較的若い年齢層の我が家ではカミさんと自分の二人で獅子奮迅(?)の活躍。

掃除の終わりがけになって「お父さん、玄関先にクロネコヤマトの宅配便が来てますよ~」とカミさんの声。

留守と勘違いされて行ってしまわないように「お~い、待ってくれ」と、声を上げながらあわてて自宅の玄関先まで駆けていった。修繕に出していたJBL375ドライバー(1個)がようやく戻ってきた。

以前のブログにも記したとおり、先月のオークションで落札した375用のダイアフラム(ペア)だが、そのうちの1本は自分で取り付けたものの、片方はボイスコイルの断線で岡山の修理専門店で調整してもらった。

戻ってきたので比較したところ、明らかに自分で(ダイアフラムを)取り付けた方の音が、ごく微妙なところで少し歪んでいるような感じがする。

「気のせいかな」と思うほどのことだが、やっぱりマニアの常で気になりだすと、どうしても”あきまへん”(笑)。

正月前に白黒つけようと修繕に出したわけだが、修理専門店によると「随分ビビッてましたよ。内部配線材も替えておきました。」とのことで、結果的に修理に出して正解でこれで気分的にもスッキリした。

「375」に限ってはダイアフラム(直径10.4センチ)の取り付け時のセンタリングは素人はやらない方が無難のようである

さて、町内大掃除の終了後、システムへの取り付け作業を行って音出しを行った結果、左右両チャンネルからちゃんと均等に聞えてきたのでひと安心。

しかし、聴き慣れてきたせいかどうも音にイマイチ釈然としないところがある。どこがどうとは具体的に言えないが、なんだか胸に澱のようなものが溜まった感じがする。なぜかな?いわば長年のカンみたいなもので、どこかをいじればもっと良くなりそうな気がして仕方がない。

午後からは、以前故障していたケンウッドの「Lー01A」アンプを携えて、クルマで40分ほどの杵築市内のMさん宅へ。あいにくの小雨が降りしきる中、アンプをビニール袋に包んでの訪問だった。

あ~、忙しい!

「L-01A」アンプは30年以上も前のDCアンプだが、発売当時、「非磁性体構造」で有名だった。

信号系の近くに磁性体が存在することで発生する「マグネティック・ディストーション」(磁気による歪)を一掃するためにアンプ全体を非磁性体で構成しており、まず磁束の塊りであるトランスを別筐体に納め、増幅部本体の筐体からもネジ1本に至るまで「鉄」を一掃しているほどの念の入れよう。

我が家では低域はDCアンプ、中高域は真空管アンプで鳴らすのがモットーなので「L-01A」はまさにうってつけの代物。Mさんは「Lー01A」の詳細な回路図を持っておられ、プリメイン型式をメイン型式に改造したりして、どこをどういじるかは自家薬篭中のものになっており、これまでオークションで安価に購入した「L-01A」6台をすべて改造してもらっている。

アンプを預けた後で、久しぶりにご愛用の「アポジー」のスピーカーでクラシックを聴かせていただいた。

                           

このSPはいわゆるリボン型なのでとても能率が低く、通常の真空管アンプによる駆動はとても無理で、Mさんご愛用の「L-01A」3台を駆使して鳴らしておられる。コーン紙によるスピーカーとはまったく音を出す原理が違うが、音楽に専念できる音とでもいうのだろうか、いっさいあれこれ”いじろう”という気にさせない説得力がこのSPにはある。

ヴァイオリン、ピアノ、オーケストラときて、一番最後にモーツァルトの弦楽五重奏曲15番を聴かせてもらった。ベルリン五重奏団で第一ヴァイオリンはズスケ。

「モーツァルトにしては随分、思索的な曲風ですね。」

「ハイドン・セット4曲のうちの2番目だよ。」

「道理で~。モーツァルト独特のまるで天馬空を駆けるような音符の疾走が感じられないですね。何だか丹念に推敲した跡が感じられます。(モーツァルトが)崇拝するハイドンに捧げるにあたって、きわめて慎重に作曲を進めたことが伺えます。」

「ハイドン・セットは”不協和音”と”狩り”が有名だが、この15番はもっと注目されていいと思うよ。今のところモーツァルトの中ではこの曲が一番好きだね。それにモーツァルトの弦楽五重奏は試聴盤に持って来いで、システムがおかしいとすぐに和音的にイヤな音を出す。」

「たしかに。第二楽章はまったく風雅の極致ですね。自宅で是非鳴らしたいのでこのCDを貸してください。」と、強奪(笑)。

ところで、オーディオがらみでMさんに次の質問をしてみた。

「自宅のJBL3ウェイシステムですが、中域の375と高域の075を同じ真空管アンプで鳴らしていますが分けた方がいいでしょうかね?」

「ツィーターは安易に付けるものではない。弊害も当然あるし、クラシックならほとんど不要だと思った方がいい。むしろ中域の透明感を追求すべきだ。ジャズを聴くのならしかたがないが、アンプの負担を考えると中域用と分けたほうがいいだろうね。」

「やっぱり、そうですかねえ。」

15時40分に帰途について、自宅に到着したのが16時20分。これから夕飯前の”ひと仕事”でJBLのシステムを前にしてひと踏ん張り。

「JBL075」ツィーター(ローカット:9000ヘルツ)専用のアンプとして、現在待機中の真空管アンプ「PX25・1号機」を接続した。

            

これで聴いてみると以前と比べて音響空間がはるかに大きくなった!

ツィーターを単独で音量調整できると、システムの「音づくり」の自由度が飛躍的に向上するようだ。

  


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~オーディオ訪問記~その2

2012年12月01日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

大分市のMさん宅に続いてOさん宅にお伺いしたのは28日(水)の15時前後のことだった。Oさんは現役時は県内随一の老舗デパートでオーディオ売り場を担当されていて根っからのジャズ愛好家。いわば趣味と実益を兼ねた仕事に従事されていたことになる。

時代の移ろいでオーディオが今日のよう状態になったのはとても残念なことで、「(オーディオが)不採算部門になって幹部が売らせてくれないんですよ~」と当時、淋しそうにしておられたのが記憶に残っている。

「不採算部門」でふと思い出したが、2週間ほど前に知人からメールが届いた。

「ローサーのPMー6Aですが、私の手におえないボイスコイルの断線があり秋葉原の50年の老舗「ヒノオーディオ」に修理代金を振込み修理依頼をしました。

もうそろそろ出来上がるかなと思い、進捗状況のメールを入れましたが、一ヶ月ほど前は、もう一本の
ほうで難儀していますのメールがありましたが、今回はURLからの問い合わせをしても、自動返信メールのみで、担当者からのメールがありません。「あれ~おかしいな!」 と思い電話をしてみたら「お客様の都合により現在つながりません」のメッセージが流れました。


ググってみますと、2チャンネルに「お店のシャッターが降りていて、督促状の張り紙がいっぱい貼ってある」
とのこと、どうやら倒産したようです。この場合、スピーカーと修理代は諦めるしかないですかね」

もう随分前の話だが、自分にも覚えがある。とあるオーディオショップにラックスのアンプを委託販売で預けていたところあえなく倒産。電話連絡がつかないので直接お店に行ったところ、入り口のドアに沢山の張り紙がしてあったのでガッカリ。「今にして思えばその兆しがあったのに、早く気がつけば良かった」と悔やんだが、もう後の祭りだった。

とにかく「ヒノオーディオ」さんは「AXIOM80」の在庫で有名なお店だったが、これからどういう風に在庫品が流通していくんだろう?

昨日(30日)届いた、あるオーディオショップの「冬季ボーナスキャンペーン」のカタログでは「AXIOM80」のオリジナルボックス入りに何と「525,000円」の値がついていたのにはほんとうに驚いた!

旧いオーディオ製品のほんとうの価値を知る連中はもはや60代以上の年齢層に限られるのだが、購買力を当て込んでのことだろうか。それにしてもね~。

話は戻ってOさん宅のオーディオシステムである。

            

JBLのパラゴンを特注のラックでもって、ちょうど耳の高さで聴けるように上げてあるのが何と言っても大きな特徴である。

パラゴンは重さが350kgあるそうで、その点このラックはちゃんと強度計算して作ってあり形もパラゴンに沿わせてある。迷ったのが塗装の色だったそうで、パラゴンと同じ色を考えたけれど区別がはっきりしなくなるのであえて違う濃いめの色彩を施されたという。

また、ラック内に収めてあるアンプ類はすべて引出し可能になっているのも心にくい。特注品ならではの機能である。

こうして工夫を凝らされたパラゴンだが、たしかに聴きやすかった。音のバランスが非常に良くて、これならクラシックも十分聴けるほどだと思った。それでいてジャズの雰囲気も申し分なし。

「パラゴンに音は期待しない方がいい。あれは家具を兼ねているところに良さがある。」というのが通説だが、この音ならイメージがあっさり覆ること請け合い。

あまりに良かったので、どうしても我が家で同じCDを聴きたくて3枚借りてきた。そのうちの1枚が「Basie Big Band」。どうやら病み付きになりそうなビッグ・バンド!

アンプの方は組み合わせが3系統あって、「ゴールドムンドのプリとSAEのパワー」「JBLのプリ(SG520)とパワー」「マッキントッシュのプリメイン」。

JBLプリの「SG520」は一度は聴いてみたいアンプだったが、けっして帯域は欲張ってないのに芯があって何よりも音に色気があった。「色気」なんて俗な言葉を使って申し訳ないが、自分では音を表現するのにこれほど適切な言葉はないと思っている。

マッキントッシュのアンプはパラゴンの両脇に置いてある「ヴァレンシア」(アルテック)用である。

音に聞き惚れているうちに早くも17時近くなって夕食時になりそうなので、名残惜しかったがMさんとともに辞去した。

今日はMさん宅の「タンノイ・オートグラフ」、Oさん宅の「JBL・パラゴン」と、実にいい耳の保養をさせてもらった。良く調整された他人のシステムを聴かせていただくと、我が家のシステムを客観的にながめることが出来て実に参考になる。

その意味でも、貴重な1日だった。


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