「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

新しい「スピーカー・スタンド」の到着

2021年10月31日 | オーディオ談義

これまで、「スピーカースタンド」にはまったく関心がなかったが、この度の小型SP「PL100」ですっかり心を入れ替えた。

音が変化する要因の一つとして十分な存在感を示してくれたのである。

というわけで、オーディオ仲間のYさんからお借りした「スピーカー・スタンド」(画像)だが「いっそのこと譲ってくれませんかね」と、我が家に試聴にお見えになったときに申し込んだ。

すると、「あれは口径10センチのユニット用に作ったものです。ちょっとチャチですからPL100にもっと相応しいスタンドの方がいいと思いますよ」

「そう言われてみるとちょっと不安定ですかね~」。

何しろ地震大国「日本」だし、とりわけ四国・九州地方は来たるべき東南海地震の到来を想定しておく必要がある。

ということで、急遽オークションでスタンド探し~。

そして目星を付けたのがこれ。



解説にはこうある。

✰ 無垢のハードメープルが使用されたビクターの中でも際立つ美しいデザインのスピーカースタンド(ペア)

✰ 臨場感豊かに音が放射状に拡がります

✰ スーパー美麗WAX済み

✰ 特筆物の優雅なデザインで頑強なスピーカースタンドです。スピーカーのメーカーを問わず使用できます(サイズはご確認ください)。左右で色合いが異なります。

以上のとおりだが「無垢のハードメープル(楓)」と聞くだけで、胸が高まってしまった(笑)。

かなり激烈な競争だったが執念で見事に落札した。

これは余談だが、いろいろと物色するうちに「即決980円」という代物があった。立派なつくりだし見栄えもいいのに、やたらに安いなと説明文をよく読んでみたら、なんと送料が「3万円」だった。中国から送ってくるという。

無茶な話である。うかつにクリックしなくて良かった。うまい話には必ずと言っていいほど「落とし穴」があるので皆さま「即決の超安値」にはうかつに乗らないように気を付けましょうね~。

いずれにしろ、現物は京都からの発送だったのですぐに到着。

さっそく、入れ替えた姿がこれ。



音の変化はあまりわからなかった。まあ、見栄えとか気分的にはこちらの方がよろしいという程度かな(笑)。

ところで、リスナーから見てこの「PL100」の角度をどうするか、つまり内向きにするか、正対にするか、あるいはやや外向きにするかちょっと迷ってしまう。

丁度タイミングよく、いつも拝読している「T」さん(東海地方)の最近のブログにこうあった。

「ヘッドホンの音が良いのは左の音は左の耳に、
右の音は右の耳に到達します、決してLR混じりません、

なのでスピーカーを外向きに置き、聴いてみました、ステレオ録音のCDでは鮮度も有り、中々良さそうです。

f:id:borotoren:20211026222439j:plain

というわけで、「Pl100」をちょっと外向きにしたところバッチリだった。

あまり「お金」をかけないで音が良くなると、めっぽう楽しくなるのは生まれついての「ビンボー性」のせいなのだろうか(笑)。

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バッハは自分を消さないと弾けない

2021年10月30日 | 音楽談義

つい先日のブログ「素人と玄人の文章の違い」はかなりお固い内容にもかかわらず、アクセスも多くなかなかの好評ぶりだった。

明らかにオーディオ記事よりも歓迎されていることがわかった(笑)。

正直言ってほんとうに書きたいのは「オーディオ記事」の方だが、それだとこのブログがもたないというか、持続的に関心を持ってもらえないので、せめて1日おきにでもと遠慮しいしい挟み込んでいる状況だ。

さて、「素人と玄人の・・」の内容を端的に要約すると「いい文章を書くには夏目漱石のモットーである則天去私のように最終的には自分を消すことにある」ということだった。


このことに関して、後日ふと思い出したのが女流ヴァイオリニスト「千住真理子」さんの次の言葉である。

「バッハは自分を消さないと弾けない」

どういう意味なのか少し立ち入ってみよう。

ずっと以前のことだが、あるご熱心な音楽愛好家から千住さんに関して次のようなメールをいただいたことがある。

千住真理子さんの本のことを紹介されておられました。私は読んだことがないのでブログを拝読して、そうか、そうだったのかと思うところがありました。

実は、千住真理子さんはバッハの無伴奏全曲を録音されており2枚組CDが発売されています。このCDを聴いた感想を私のHPに書き込んでいるのですが、本の中で述べられていることとまさに符合するような演奏でした。

お目汚しのCD感想をご紹介するのも大変恐縮なのですがご参考までにそのサイトをお知らせします。」

◎バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(全曲)



千住真理子(ヴァイオリン)    UCJ JAPAN UCCY-1049/50 (2SHM-CD)

今年がデビュー40周年となる千住真理子が満を持して挑んだというバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全曲が発売になりました。

この録音については千住真理子自身もかなりの思い入れがあるようで、解説書には「バッハを弾くことは祈ること」だと自ら書いていました。

それだけ思い入れの強い録音ということなのですが、その演奏はというと、丁寧ではあるものの平板な印象がありフレージングは素直あるいは平易なもので、付点のリズムの強調も抑え気味で強弱の幅も大きくありませんし、音色も比較的穏当といえるもので、こういう演奏は品が良いという言い方もできるかもしれませんが、あまりに表現力がなさ過ぎじゃないかとも思ってしまいました。

そのため、物足りない思いを感じながら聴き進んでいったのですが、その淡々とした演奏の歩みは一向に変わる気配も無く、よくもまあ、これだけ抑制された丁寧な演奏を延々と続けることができるものだと、だんだん感心する思いになってきて、そしてついには、そうか、これが千住真理子が言う「バッハを弾くことは祈ること」なのかと思い至るようになりました。

そう思って聴くと、これはテクニックや表出力を誇示したり、自己の表現をアピールしたりというのとは正反対の、一切の虚飾を排して一音一音を紡いでいくことに専心した、まさに信徒の勤めの如き演奏であり、そこには静かで揺るぎのない祈りが込められているのではないかと感じられるようになり、あとは心が洗い清められるような思いで聴き入ってしまいました。

また、ここでの演奏は伝道師のように聴く者に教え広めようというのではなく、1人の信徒としてひたすらに勤めを果たしている、その姿を記録したような趣があり、むしろそのひたむきな演奏の姿にこそただならぬ感動を覚えてしまいました。

この演奏に対する私の聴き方がどれだけ正鵠を得ているものなのかは分りませんし、あるいは弾いている本人の本意ではないのかもしれませんが、すっかりショービジネスと化しているクラシック音楽の演奏を聴き慣れている者としては、日々忘れがちな大切なことを思い起こさせてくれたような気がしていますし、これは名演というよりも、1人のヴァイオリニストのまったき演奏の記録として、ぜひとも一聴をお薦めしたいと思います。」

以上のとおりだが、クラシック音楽はこのように接し、そして聴くものだというお手本みたいな感想だとホトホト感じ入った次第。

逆に鑑賞する側から言えば、バッハの音楽に堪能できる人は「自分を消せる人」なのかもしれないですね。

道理で自分が(バッハの世界に)なかなか入れないはずだとよく分かりましたよ(笑)。


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クラシックでもジャズでも何でもござれの万能サウンド

2021年10月29日 | オーディオ談義

前々回のブログ「PL100のベストアンプを求めて」の続きです。

ひとくちにスピーカーとアンプの相性テストといっても、とても奥の深い世界だといつも思う。もしかしてオーディオの醍醐味とは「ここにあるのではないか」と考えることもしばしば。

所詮は「スピーカーの持ち味をアンプでもっていかに引き出すか」に尽きるわけだが、お互いに持ちつ持たれつの関係にありダメSPやダメ・アンプがお互いの欠点を補い合って見事に生き返ったりするケースがあるので、うかつに単独で能力を決めつけられない面白さがある。

たとえば、我が家のように「陽気でおしゃべりの奥さん」と「陰気で口数の少ない旦那」で丁度マッチングするみたいなものかな(笑)。

我が家には現用中の真空管アンプが9台あるが、「そんなに沢山持っていても仕方がないでしょう」という向きがほとんどだが、不遜な物言いになるがこれまで自宅でも他家でも「完璧なアンプ」に接したことはなかった。

もちろん、軽く80点以上のサウンドを出している方がほとんどだが、「違うアンプで鳴らすともっとSPの良さが引き出せそうだな」という思いをどうしても捨てきれなかったケースがほとんど(笑)。

我が家のアンプ群でも「帯に短し、たすきに長し」ばかりなのでSPとの相性探しには選択肢の数が多ければ多いほど当たる確率が多くなるだろうとの思いで持っているに過ぎない。

そこで、いよいよ本題に移ろう。

今回は当初から低出力の理由で4台のアンプが脱落し、残り5台のアンプによる相性テストになった。



焦点は「PL100」の良さ、つまり2800ヘルツ以上を受け持つ「リボンツィーター」の良さをアンプがいかに引き出せるかに尽きるといっていい。

低音域の方は「サブ・ウーファー」で何とかカバー出来るはずだと踏んでいた。

今回のテストで、わざわざ来ていただいたオーディオ仲間のYさんが部屋に入られるなり開口一番「PL100はクラシックはとてもいいんですけどジャズはどうなんですかね?」との疑問を呈された。

小型SPに伴う当然の疑問だろう。

そこで、「初めからサブウーファーをウェストミンスター(改)にしてみましょうかね」と応じた。

おそらく日本で一番贅沢なサブウーファーである(笑)。

ムンドルフの無抵抗コイル「8mh+6mh」でハイカットしているので100ヘルツ以下(-6db/oct)を受け持つことになる。

この組み合わせで「豊饒なサウンド」になること間違いなし(笑)。

最初に登場させたのは「WE300B」シングルだったが、如何せん相手の「PL100」が「負荷4Ω、能率88db」と厳しい環境なので、少々パワー不足の感がする。肝心の「リボン・ツィーター」がときどきやや歪み気味になるのである。

想像外の事態にちょっと慌てた(笑)。

プリアンプを代えてみましょうと、急遽ゲインの高い「安井式」のプリアンプに繋ぎ変えたところ、ようやく症状が収まった。

結局、プリアンプまでセットで考えないと、この気難し屋の「PL100」には太刀打ちできないことが判明した。

次のアンプは一番高出力を誇る「EL34」プッシュプルだったが元気はいいものの「プレゼンスの微妙な表現」となると「アウト」で、このアンプはサブウーファーしか使えないことが分かりあえなく脱落。

次に、「6098=6AR6」、「2A3」、「PX25」と順次取り換えていった。

そして、これら3者とも「WE300B」に負けず劣らずで見事に合格してホッと一息。

とりわけ最後に登場した「PX25」シングルだが出力管の出自は英国であり、小型SPの「PL100」も同じ英国である。

やはり「お国柄」というのがオーディオの世界にも確実にあって、英国の製品はクラシック向きだし、アメリカの製品はジャズ向きである。

そこで実は「PX25」シングルに一番期待していたのだが、当初はややパワー不足のショボい音だったので、慌てて初段管を「LS7」(GEC)から「AC/HL」(英国マツダ:初期版)に取り換えたところ見違えるほど元気のいいサウンドへ変身。

「PL100」の特殊な環境には「AC/HL」が合っていそうだ。

ちなみにそれぞれの「μ(ミュー)=増幅率」は前者が10前後で、後者は30前後と3倍近く違う。ピンは同じ形態なので切り替えスイッチで変更できるようになっている。



結局、当分の間「PL100」を「PX25」シングルで、サブウーファーを「EL34」プッシュプルで鳴らすことにしてようやく一段落。

これで、「クラシックでもジャズでも何でもござれ」の万能サウンドになった。

いっさい後顧の憂いもなく、今年は一段と「素敵な秋」になりそうだなあ(笑)。


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「人物往来」の後日談

2021年10月28日 | 独り言

つい先日、7年ほど前に掲載した記事「人物往来」が、たまたま過去記事ランキングに登場していたので目を通してみたら懐かしい思い出が蘇ってきた。

今回の内容はいわば後日談になるが、フラッシュバックのように過去と現在とを対比してみよう。

まず「一人目」の方。

☆ 運動ジムで出会った方

猛烈な台風19号の襲来により、いつもは午前中に済ます運動ジムでのトレーニングを午後に回して、閑散とした中でストレッチをしていたところ、旧知のご婦人とバッタリ出会った。外国旅行がお好きで見るからに知的でハイカラな方である。

「いやあ、お久しぶりです。台風のせいで午後に来ました。滅多にお会いできませんがお元気でしたか?」

「はい、相変わらずです。ブログいつも読んでますよ。ポチッといつもランキングを押してます。いつも1位ですが、2位のときは2回押してます!」

「どうもありがとうございます。ホントに感謝です。」

いつもオーディオがらみの内容なので門外漢には難しいにもかかわらず、こうしてきちんと追跡していただいている方がいる。こういう支えのおかげでブログを続ける意欲が湧いてくる~(笑)。

ちなみに運動ジム通いの方々にもいろいろ知り合いがいるが、(自分の)ブログの存在を明かしているのはこの方だけである。

以前に心臓にステントを入れる手術をしたときに、ご長男が国立大学の医学部卒ということもあって医学にも詳しく、薬の飲み方など親身になって心配していただき、それ以来お会いするたびに親しく言葉を交わしている。


しかし、そういえばまだお互いの名前さえも知らないのはちょっと変~。今度お会いしたときはせめてそれぐらいはお伺いしておこう(笑)。

<後日談>(2021年10月28日現在)

その後、とうとう名前をお伺いすることもないまま、ここ3~4年ほどこのご婦人をまったく見かけなくなった。今頃どうされているんだろう、ご健在なんだろうか?

もし、今でもこのブログに目を通されていたら、ぜひメールをくださいね~。

二人目はこの方。


☆ 我が家に来た大工さん

そろそろ冬の到来を心配する季節になってきた。猫の額ほどの小さな庭に家内が蘭などの観葉植物を熱心に育てているが、小さな温室を作りたいとのことで、改築したご近所の紹介で当の大工さんに来てもらった。

すぐに工事にとりかかられたが、目ざとく庭の片隅に積んである大量のCDケースに気が付かれた模様で、家内に「ご主人は音楽が好きなんですか。実は自分も演歌が大好きでいつもクルマの中で聴いてます。」

というわけで、家内がその大工さんを我がオーディオ・ルームに案内してきた。

「ワァ~、凄い!」オーディオに素人の方が、室内に入られたら10人が10人とも同じ言葉を吐かれる(笑)。

歌謡曲とくれば光テレビの「ミュージック部門」に限る。

坂本冬美、美空ひばり、青江美奈など次から次に聴かせてあげたが、「実に澄んだ音ですね。こんな音は聴いたことがありません!」

それはそうでしょうねえ、システムの内訳は、dCSのCDトランスポート、ワディアのDAコンバーター、真空管71Aシングルアンプ、「AXIOM80」で聴くボーカルのレベルは、ちょっと自画自賛になるが相当なものである。

ひとしきり聴いていただいた後で、今度は「JBL3ウェイ・マルチ・システム」に変更して再び同じ曲を聴いていただいた。

単刀直入に「どちらがお好きですか?」と伺ってみたところ、「後で聴いた方(JBL)が、実際の本当らしい音に感じました。その点、はじめに聴いた方(AXIOM80)が、何か音づくりをしているように感じましたが、それが実に魅力的な音になっていて強く引きつけられました。強いて言えば、はじめに聴いた音の方が好きです。」

同感! 素人さんの耳は怖い(笑)。

30分ほど熱心に聴かれてから、未練タップリのまま仕事に戻られたが「これから、気が向いたときはいつでもどうぞ~」と、申し上げておいた。

<後日談>

この大工さんは3年ほど前に「膵臓がん」に罹り、おそらく手術ミスだと思うがあっという間に亡くなられた。とても気のいい人だったのに・・。

現在、我が家の天井裏にときどき小動物が入ってきてゴソゴソ動き回っている。こういうときは「いの一番」にこの大工さんにお願いできたのにと、返す返すも残念!

三人目はこの方。

☆ ご近所の方


大工さんの試聴が済んで小1時間も立たないうちに玄関のチャイムがピンポ~ン。今日はやたらに忙しいなと、出てみると自治会の会計をしていた当時に知り合いになったご近所の方(徒歩で10分ほど)だった。

床清掃のモップの勧誘をされているそうで、「現在無料のお試し期間中なので使ってみませんか」。

「はい、家内が不在ですので預かっておきます」と、引き取ったが、大工さんの“ほとぼり”がまだ冷めやらぬ後ということもあって、つい「オーディオルームを見てみませんか」と大胆な言葉が出てしまった(笑)。

物怖じしない方とみえて「エッ、いいんですか」と、履物をサッと脱いで室内に入られた。どうやら人畜無害と思われたらしい(笑)。

ここでもまた、「ワァ~、凄い」。是非写真を撮らせてくださいと4枚ほどパチリ。

実際に聴かせてあげると、非常に音楽が大好きな方で澄んだ眼をキラキラ光らせて大感激。

はじめに光テレビの歌謡曲をひとしきり、次に「もっと音がいいですよ~」とCDに移行。

「ほんとにこれがスピーカーから出ている音なんですか?まるで目の前で歌手が歌っているみたいです。もう生演奏と変わりませんね!」

極め付きとなったのはジャズの名盤中の名盤「エラ&ルイ」。

      

「トランペットの音がまるで突き刺さってくるみたいです!ジャズを初めて聴きましたが実に雰囲気が素敵ですね。これなら大好きになれそう。」

大工さんといい、この方といい、これほど素直に喜んでもらうと、実に気持ちがいい。久しぶりに世の中で善行を施した思いがする(笑)。

「単身赴任している主人にオーディオルームの写真を見せます。週末にでも一緒にぜひまた聴かせてください。」

「はい、いつでもどうぞ~」

<後日談>

この方とは今でもウォーキングの途中でときどきお会いするが、簡単に挨拶をする程度で「オーディオ」のオの字も話に出てこない・・。

まあ、そういうもんでしょうね(笑)。



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「PL100」のベストアンプを求めて

2021年10月27日 | オーディオ談義

前々回のブログ「あの手この手のアプローチ」からの続きです。



今や溺愛中といってもいい「PL100」(モニターオーディオ)をあれやこれやと弄り回すうちにようやくたどり着いたのがこの画像のような方式。

両方の”いいとこ取り”として「スピーカースタンド」を使いながらサブウーファーの「AXIOM80」をすぐ後ろに置いて鳴らすというもので、その結果はといえばすこぶる「GOOD SOUND」でこれでようやく騒動が一段落した感じ。

両方のユニットともに簡単に移動できるように歯車が付いた台の上に載せているので(けっして好ましいことではないが)、
サブウーファーを次から次に、たとえば「ウェストミンスター」や「D123」(JBL)に取り代えて楽しめそう。

気になる相互のユニット間の位相の差も気にしなくてよさそうでクロスオーヴァーが200ヘルツ前後だから「波長1.7m」の範囲内に十分収まっている。

そして、あれこれ弄り回すうちに新しい発見があった。



ご覧の通り、「PL-100」の背後のSP端子はバイワイヤリング接続なのでこれまで低音域のSP端子にバナナプラグを挿し込んでいたのだが、試しに高音域端子にバナナプラグを挿し込んだところ一段と「ハイ寄り」の魅力的な音になったのには驚いた。

何度も驚くばかりで恐縮だが(笑)、この「PL100」は物凄くデリケートなスピーカーなのである。

なにしろ、どこかをちょっと弄っただけで敏感に反応してくるんだからたまらない。その辺は「AXIOM80」と実によく似ている。

というわけで駆動するアンプの選択にもほんとうに迷ってしまった。

何しろ「スピーカーとアンプは」持ちつ持たれつの関係なんだからどのアンプを使うかで天と地ほど音が変わる


しかもこの「PL100」は残念なことに「インピーダンス4Ω」「能率88db」という低負荷、低能率の持ち主である。

これは明らかにTRアンプによる駆動を想定しているのが読み取れる。

ちなみに「AXIOM80」の場合は「インピーダンス15Ω」、能率は(おそらく)95dbぐらいでアンプ側にとって実に優しいといえる。

そこで、真空管に関する泰山北斗「北国の真空管博士」にアドバイスを求めた。

「真空管アンプでインピーダンス4Ωのスピーカーを鳴らす場合、出力トランスに4Ω端子が出ていたら(半田付けで)繋ぎ変える必要がありますか?」

すると「三極管(出力管)はスピーカーのインピーダンスに鈍感なところがあります。わざわざ(アンプの裏蓋を開けて)8Ω端子から繋ぎ変える必要はないでしょう、その一方5極管などは比較的影響を受けやすいので要注意です」

というわけで、従来通りSPコードは「8Ω」端子に繋ぐことにした。

ただし、今回の場合低出力の真空管アンプ、たとえば「71系アンプ」などの4台は始めから落後状態だから悲しくなる。

そして、残りの「6098=6AR6」、「WE300B」、「PX25」、「2A3」のシングルアンプ4台、そして「EL34」プッシュプルアンプの計5台が土俵に上る資格を有している。


そこでつい先日のこと「PL100」にマッチしたベストアンプを選定するためにオーディオ仲間のYさんに応援を求めた。

さあ、どのアンプが一番相性がいいんだろうか。

低負荷、低能率のSPを対象とした特殊な環境となると、実際に接続して聴いてみないとまったく闇の中である。

一番優位な立場にあるのは最大出力「30W」を誇る「EL34」プッシュプルだが「5極管」だし、はたしてそう簡単に問屋が卸すものだろうか・・。

一般的に物事は「Plan → Do → See」つまり、「計画(予想)、実行、検証」のサイクルで進んでいくものだが、我が家の場合は「Plan」の状態のときが一番ワクワクして楽しいですね~(笑)。



以下、続く。

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指揮者「ベルナルト・ハイティンク」の訃報

2021年10月26日 | 音楽談義

つい先日、史上最高の「夜の女王」の歌手だった「エディタ・グルヴェローバ」の訃報記事に接したばかりなのに、今度は指揮者「B・ハイティンク」死去の記事(10月23日付)が掲載された。



享年92歳といえば日本男性の平均寿命81歳を軽く越えているので天寿を全うしたといえるのかもしれないですね。合掌

その指揮振りを一言でいえば、中庸を心得ていて心が暖かくなるような音楽に尽きる。

たまたま「グルヴェローヴァ」の訃報記事のときに引き合いに出していたのをご記憶だろうか。一部を抜粋しよう。

グルベローヴァについては「アーノンクール」盤よりも「ハイティンク」盤の方が断然いい。声量と勢いが違う。同じ歌手でもこういうことがあるから油断できない。しかし、やはり並みの歌手と比べて歌唱のレベルが抜きんでていて史上最高の「夜の女王」の感を一層深くした。

それにしてもハイティンク盤の「魔笛」は素晴らしい。録音も奥行き感に秀でて聴き出すと途中で止められなくなって最後まで聴き惚れてしまった。
            

という内容だった。

ほかにもハイティンク指揮のCDを持っていたはずだがと漁ってみたら次の2枚が出てきた。



左側の「武満 徹」氏の代表作ともいえる「ノヴェンバー・ステップス」と、右側がドビュッシーのオペラ「ペレアスとメリザンド」。

まず、前者は「武満徹・音楽創造への旅」(立花隆著)を読んで、大いに感銘を受けて購入したもの。

日本古来の「琵琶・尺八」と「オーケストラ」が融合した演奏で、20分あまりの作品だが、果てしなく深い暗闇の世界に引き込まれるような感覚を覚えさせられる。ただしメロディや音階などを期待してはいけない。

リスナーの心にひたすら「静謐感」を要求してくるので、なかなか手強い音楽だが、これをハイティンクが指揮したというのが実に興味深い。日本古来の音楽に大いに興味があったとしか思えない。

ちなみに録音は「フィリップス・レーベル」なので極めて良好。

続いて「ペレアスとメリザンド」だが、これは稀代の音楽愛好家「五味康祐」さんが生涯にかけて好きな音楽の中で「ベスト2」に選出していたので興味を惹かれて購入したもの。

ちなみに「ベスト1」はモーツァルトのオペラ「魔笛」である。

ところがこの「ペレアスとメリザンド」というのがまったくの期待外れで箸にも棒にもかからない音楽だった(笑)。

出てくる歌手たちが軒並みボソボソと呟くようなメリハリの無い音楽でどうしても馴染めない。

こんな曲目をどうして五味さんが選んだのかと思うばかりだが、やはりそれなりの良さがあるのだろう。

音楽には一度聴いて好きになれる曲があるかと思えば、何回も耳にタコができるほど聴いてから好きになれる曲の2種類があるが、おそらく後者に属するのだろう。

そこで性懲りもなく、現在この曲に耳を傾けながらこのブログを作っているのだが、BGM風に何回も聴いているともしかして好きになるかもと思わせるところがあるかもしれない、そういう気がしてきた(笑)。

実は、過去に「魔笛」がそうだった憶えがある!

ハイティンクの訃報記事がきっかけになって新たに好きな曲が生まれてくれれば「ハイティンクさん、亡くなってくれてありがとう」になるのだが
ちょっと不謹慎かな(笑)。



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読書コーナー~「空気の研究」~

2021年10月23日 | 読書コーナー

前回のブログで「音は空気の波紋だ」と書いておいたので、そのための「空気の研究」かと思われた方がいるかもしれないが、な~に「本」の題名です(笑)。

「日経新聞」に「リーダーの本棚」という記事が定期的に掲載されている。各界における会長さんや社長さんなどの、いわゆる「登りつめた」トップリーダーたちが自己の愛読書について逐一解説されている。

日経新聞といえばなんといっても最新の経済記事が売り物だが、こういう肩の凝らない記事は大好きなのでいつも興味深く読ませてもらっている。

紹介される本の種類は各人によってさまざまだが、お仕事には関係のない本が紹介されていたりすると、おそらく想像を絶するほどの「修羅場」を限りなく「くぐり抜けた」経験をお持ちのはずなのに「余裕がある人なんだなあ!」といつも感心する。

たとえば、過去には「日本取引所自主規制法人理事長」の「佐藤隆文」氏が「バッハにみる悠久の秩序」と題し座右の書として「バッハ全集」を掲げられていた。

佐藤氏は財務省の主計官出身だが、「リーダーの本棚」でクラシック音楽関係の書を見かけたのは後にも先にもこれが初めてなので強く印象に残っている。

また、人事院総裁の「一宮なほみ」氏が大のミステリーファンとして「ジェフリー・アーチャー」(イギリス)のスパイ小説を挙げられており同じミステリーファンとしてとても親しみが持てた。

そして、先だってはロイヤルホールディングス会長さんの愛読書が8冊ほど紹介してあって、その中に「空気の研究」(山本七平著)というのがあった。

「人が意思決定をする際に、それを支配するのは議論の結果ではなく、その場の雰囲気であることが往々にしてある」という趣旨のもとに、「雰囲気=空気」とはいったいどこに由来しているのか、むやみにその場の空気に流されないための解決法は何かということが書かれているとのこと。

「空気の重要性」については、組織で働いた経験のある方ならおそらくピンとくるに違いない。

当方も曲がりなりにも37年間の宮仕えを務め終えたが、空気を読むことの大切さ、ひいては人を納得させ動かすことの難しさを痛感する毎日だった。

組織の運営には「理屈だけではどうしても足りないものがある」ということだけは分かったつもりだが、とうとうその辺を満足に習得することなく、またそういう能力も持ち合わせなかったが、未完のまま卒業してしまった憾みが今でも残っている(笑)。

そういうわけで「後悔先に立たず」だけど、今更ながら「空気の研究」をぜひ読んでみたいと思い立った。

さっそく図書館から借りてきたのはいいものの、とても寝転がって読めるような本ではなく想像以上に堅苦しくて学術書並みの難解さだった(笑)。

以下、曲がりなりにも自説を交えて箇条書き風に要約してみた。興味のない方はどうか読み飛ばしてください。


             Photo  

★ 「空気」とは言い換えればその場の「雰囲気」である。

そう言うと「身も蓋もない」が、山本氏はこれを「臨在的把握」と称されている。対象物の背後にある何か「恐れ」のようなものを感じることをいう。

その背景には「万物に霊魂が宿る」的な意識が色濃く残る日本と、一神教である西洋文明との対比が際立っており、結局「日本人論」が主題となっている。

★ なぜ「空気」を取り上げるのか

戦前、戦中、戦後と時代は変わっても「空気」なるものが我々日本人の意思決定の目を曇らせていることに尽きる。

★ あの時はそういうことを言える「空気」ではなかった

あの無謀な戦争に突入しようとしていた時点で、軍部を中心にマスコミひいては国民全体が戦争一本やりになったことを私たちは忘れてはならない。

ちなみに、マレーシアの元首相「マハティール」氏はかっての日本の軍国主義を顧みて「日本人は直線的に行動したがる」と評している。

★ 戦後においてもその「空気」による意思決定は脈々と続いている

たとえばかっての公害問題において学術的論議を無視した企業叩き、自民党からお粗末な民主党政権への移行時の熱狂ぶり、つい最近ではコロナウィルスや皇室の結婚問題など、もうウンザリするぐらい連日の報道が続いている。寄ってたかって誰かを悪者扱いにする風潮がみられる。

★ どうしてそういう空気が蔓延するのか

幕末、明治あたりと違ってこの100年ほどは一部のエリートが無知な民衆を導くという政治の形から、(一応の)民主主義体制への転換によって一般庶民にまで情報が行き渡りメディアの充実とあいまって「全体のムード」(=空気)が生まれやすくなった。

★ どうも我々日本人は集団ヒステリーに罹りやすいようだ

そこで山本七平氏は「水を差す」というアイデアを挙げる。みんなで盛り上がっているときに否定的な意見を言って現実に引き戻す役割を担う。

★ ただしそれも結局は「まあまあ、それはそれとして」とウヤムヤになってしまいがちだ

どうもその辺が「和をもって尊し」とする日本人と一神教の欧米人との違いがありそうだ。

★ 本書で「空気」への対抗手段は示されない

あくまでも分析に終始していて、その答えを導き出すのは我々への宿題である。 

結局、「その場の空気に流されるのを潔しとしない」冷静さを我々一人ひとりが持つことが新しい日本流の「個人主義」につながっていくのではないだろうか。

とまあ、以上のとおりだが、どうしても「隔靴掻痒」の感を覚える方はどうか原書をお読みになってくださいね(笑)。

最後にたしか「鈴木光司」さんの本だったと思うが、先の戦争の「特攻隊志願」の状況をふと思い出した。

たとえば厳しい指揮官のもとに隊員が一斉に整列した中で「志願しません」とはどうしても言い出せない雰囲気があるかと思えば、柔軟な指揮官のもと「親兄弟のことなどで行きたくない奴は自由に抜けてもいいぞ」という雰囲気のもとでは実際に手を挙げるものがいたという。

たとえ「何よりも大切な命」がかかっていたとしても、人間はその場の「空気」に支配されるのだからたまりませんね。



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「古い音」 と 「新しい音」

2021年10月22日 | オーディオ談義

前々回のブログ「小型スピーカーPL-100を巡る波紋」の続きです。

「女房と畳は新しい方がいい」という、味も素っ気もない言葉があるが(笑)、オーディオにも似たようなところがあるようだ。

つまり、新しいサウンドは「新しさ」というだけで愛好家を魅了するところがあり、それはそれで結構なことだが問題はそういうハネムーンの期間が過ぎてからのことで、段々とほんとうの実力が分かってくると「何だ、たいしたことないな」というオチをこれまで何度も何度も繰り返し経験してきた。

これはいいも悪いもなく、冒険好きのオーディオ愛好家の宿命みたいなものだが、今回の小型SP「PL-100」ばかりはまったく話が違ってきて、我が家に来てからおよそ10日あまり、毎日10時間ほど飽くことなく付き合っているが聴けば聴くほどに魅了されてしまう。

これまでとはまったく系統の違った音で、聴き慣れた音楽がどういう音で鳴ってくれるんだろうという期待のもとに次から次に聴きたくなる。こういうことはこれまでのオーディオ人生の中でも極めて珍しい。

周辺からも注目されているみたいで、メル友さんやオーディオ仲間からもいろいろ便りが舞い込んでくる。

そして、近隣のオーディオ仲間「Y」さんからも「スピーカー・スタンド」提供の申し出があった。まったく願ってもない話でさっそく持参していただいて二人して試聴した。

これまでは自作の箱(AXIOM80内蔵)の上で鳴らしていたのだが、「SPスタンドでこんなに音が変わるの!」と、腰が抜けるほど驚いた。

一言でいえば、音響空間の広がりと透明感が際立ってきた。

「これは素晴らしい」と思わず叫んだ!

Yさんも非常に感心されたご様子で「こういう透明感のある音を聴くといかにもAXIOM80の音が古く感じます。スピーカーは時代とともにちゃんと進化していたんですねえ・・。

ある高名なオーディオ評論家がレイ・オーディオの大型システムからいきなりモニター・オーディオのシステムに変更したのもわかる気がします。

こういう音を聴くとこれまでの苦労がいったい何だったのかとガッカリしませんか?」


「いいえ~、ガッカリしませんよ!むしろこれまでの苦労がやっと報われたと、うれしいくらいです。Yさんは我が家に比べてはるかにお金持ちなんだからいっそのことモニター・オーディオの上級システムに変更したらいかがですか」

「ウ~ン・・・」

小型スピーカーはその姿だけで「どうせ低音が出ないだろうから所詮はセカンドシステムだ」と軽視される傾向があるが、それはとんでもない話でいろいろと教えられた。

たとえば、音は空気の波紋なんだから出来るだけ小さな音源できれいな波紋を素早くスピード感をもって音響空間の中で広げていくことが本来の在り方ではないだろうか・・等々。

まあ、これを「我田引水」と受け取るような「縁なき衆生」が居ても仕方がないけれど(笑)。

それにしても、この「PL-100」を知らないまま人生を終える可能性も十分あったわけだが、そもそものきっかけは9月のオーディオ愛好家「YA」さん宅(豊後大野市)への訪問だったことになる。

そのYAさんからも昨日(21日)連絡があって、「PLー100に興味があります。ぜひ試聴させてください。」「ハイ結構ですよ、いつでもどうぞ~」

さて「仕事の途中ですから・・」と、早々にYさんが辞去されたあとで再びじっくりと聴き込んだが、音楽ソースのたとえばオーケストラなどを聴くときは、やはり「ほんのもう少し低音域の量感があるといいなあ」という感がどうも拭えない。

さあ、どうしようか・・。

以下続く。

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史上最高の「夜の女王」歌手の訃報

2021年10月21日 | 音楽談義

一昨日(20日)の早朝、読売の朝刊を見ていたら「エディタ・グルヴェローラ」の訃報記事が目に飛び込んできた。享年74歳。惜しい、まだ早すぎる!


史上最高の「コロラトゥーラ」歌手を偲んで過去記事の「史上最高の夜の女王」を再掲し、ここに哀悼の意を捧げよう。

「5月6日から始めた 「光テレビ」(NTT)による「クラシカ・ジャパン」(クラシック音楽専門チャンネル)の無料試聴期間(16日間)が終了したものの、うまく引継ぎが出来て現在は「スカパー」(CS専用アンテナ+チューナー)による無料試聴期間の続行中。

そして、手当たり次第に録画した中から、シャハム兄妹の「ヴァイオリン・ソナタ(モーツァルト)」に続いて二度目の大当たりとなったのが「ポートレート~エディタ・グルベローヴァ」(1時間半)である。彼女の生い立ちから歌手デヴュー、そして今や世界屈指の歌手となった現在に至るまでを克明に追った番組。

             

実を言うと「エディタ・グルベローヴァ」(ソプラノ)という名前を聞いただけで背筋がゾクッ、ゾクッとくるほどの大ファンなのである。

まず、話を展開する前に基礎知識として「女声の種類」をチェックしておこう。

☆ ソプラノ(女声の歌う高い方の声域)

コロラトゥーラ → もっとも高いソプラノ(夜の女王役「魔笛」)

スーブレット → もっとも軽いソプラノ

リリック・ソプラノ → その次に軽いソプラノ(王女役「魔笛」)

リリコ・スピント → その次に軽いソプラノ

ドラマティック・ソプラノ → もっとも重量級のソプラノ

ただし、スーブレット以下の区分は、音色と声質の差であり音域はあまり関係ない

☆ メゾ・ソプラノ(女声の中間声域、ソプラノより暗く低い音域)

☆ アルト(女声の最低音域)

グルベローヴァは最も高い声域が要求されるコロラトゥーラ歌手であり、そのコロラトゥ-ラの出番といえば何といっても最高のはまり役が「夜の女王」(モーツァルトのオペラ「魔笛」)。

最も難度が高いと言われる「夜の女王」役をこれまで
無難に歌いこなせた歌手は手元の「魔笛」(44セット)を聴いた中でも数名程度である。最高音の”ハイF(ファ)”のときにどうしても声が続かなかったり、不安定になったりしてあえなく敗退の憂き目にあった歌手は数知れず。

「魔笛」(全二幕)は誰憚ることなくモーツァルトの最高傑作だと自信を持って言えるが(ちなみに、ベートーヴェンもゲーテもそう言っている!)、この「夜の女王」役と「ザラストロ」役(バス:男性の最低音域)に適任者を得ないと、オペラそのもののスケールが”こじんまり”となってしまうから恐ろしい。

そういう重要な役柄の中で、今もって「これは最高だ!」と鮮明に記憶に残っているのが「クリスティーナ・ドイテコム」(ショルティ盤)と「エディタ・グルベローヴァ」のご両人である。

ドイテコムは残念なことに歌手人生が短くてあっという間に居なくなったが、グルベローヴァはDVDではサバリッシュ盤、CDではハイティンク盤、アーノンクール盤に出演しており、夜の女王役以外にも多彩な活躍をしていて極めて息の長い歌手生命を保っている。

さあ、折角なので久しぶりに改めて両者を比べてみようかと、ハイティンク盤(1981年)、アーノンクール盤(1987年)のグルベローヴァと、ショルティ盤(1969年)のドイテコムを聴いてみた。

意外にもドイテコムはこれまで持っていた印象と異なって”ちょっと落ちる”と思った。オーディオ装置が変わったせいもあるが、如何せん、1969年のアナログ録音が古すぎて音質がイマイチでお気の毒~。レコード再生ならいい線を行くかもしれない。

グルベローヴァについては「アーノンクール」盤よりも「ハイティンク」盤の方が断然いい。声量と勢いが違う。同じ歌手でもこういうことがあるから油断できない。しかし、やはり並みの歌手と比べて歌唱のレベルが抜きんでていて史上最高の「夜の女王」の感を一層深くした。

それにしてもハイティンク盤の「魔笛」は素晴らしい。録音も奥行き感に秀でて聴き出すと途中で止められなくなって最後まで聴き惚れてしまった。
            

さて、録画した「ポートレート~エディタ・グルベローヴァ」では興味深いエピソードが満載だった。

 チェコのひなびた農村出身の彼女が地元の唱歌隊で神父や指揮者から才能を見込まれ「オペラ歌手になりなさい」と熱心に進められたのが歌手デヴューのきっかけ

 ウィーン国立歌劇場でのテストを受けたとき、試験官の芸術監督は奥の窓際に立って外ばかり見ていたが、テスト曲の「夜の女王」役の”ハイF”音を歌い上げたときに初めて振り向いて彼女を見つめた。同時に周囲にいた者たちが寄り集まってきて、そのまま事務局に連れて行かれて、即契約!

 音楽評論家のヨハヒム・カイザー教授によると、「マリア・カラス、サザーランド、リタ・シュトライヒなどこれまで数知れぬコロラトゥーラの名歌手たちを聴いてきたが彼女は同等か、それ以上の存在であり、スラブ的な真面目さがあって農民出身らしく浮ついたところがない」とのこと。

 グルべローヴァによると、「歌手は経験を積んで来たら絶対にモーツァルトを歌わないといけない。その音楽には宇宙的な広がりがある」。

最後に、グルヴェローバさん安らかにお眠りくださいね、合掌。



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小型スピーカー「PL-100」を巡る波紋

2021年10月20日 | オーディオ談義

我が家のオーディオに久しぶりに新風を吹き込んだ小型SP「PL-100」(モニター・オーディオ:英国)。

やっぱりオーディオの華は「スピーカー」に尽きることを痛感しますね(笑)。



さっそく、ブログを読んだメル友さんたちからもお便りが寄せられた。

まず横浜のKさんから。

「小型(超小型ですね)のSP記事楽しいです。読み手も”わくわく”しながらブログ開いてます。素敵な記録に感謝です。ネットで調べるとPL-100はかなりの高額商品ですが、お小遣いの額が違いますね(笑)。」

これに対して次のとおり返信。

「それこそ、毎日のように”爪に火を灯す”ような細々とした生活の中でオーディオ経費を捻出しています(笑)。これから他にもいろんな鳴らし方に挑戦してみる積りです。どうかご期待ください」

そして次は東海地方の「I」さんからも次のようなメールが届いた。

「モニター・オーディオ良さそうですね。ハイエンドの系譜ですね。たぶん16センチウーファーで普通(?)の人は十分満足されてると思います。ただ、低音を・・・と感じてしまうと、泥沼の始まりでしょうね。ウェストミンスターで落ち着くかとというと、きっと落ち着かないですよね!それがマニアの性ですから(笑)。

ところで、モニターオーディオのPL-100の中高音域はAXIOM80よりいいですか?どんな違いでしょうか? ブログ記事で結構ですので教えてください」

これに対して、

「PL-100を大いに楽しんでます。AXIOM80との違いですが周波数レンジがさらに広いことです。繊細な高音域が果てしなく伸びていく感じです。鮮度も抜群で臨場感に溢れており思わずハット息を呑むような美しさです。このリボンツィーターを聴くともう元に戻れませんね。」

そして近隣にお住いのオーディオ仲間「Y」さんからも18日(月)の午後に電話があった。

「PL-100の件ですが以前製作したSPの置台がありますよ。現在使っていないので持って行きましょうか。ガラッと音が変わりますよ」

「エッ、それはありがたいですね。ぜひ試してみたいのでお願いします。」

そして1時間後には次のような状況に・・。



これから波乱万丈の展開が待っているとは、そのときは知る由も無かった・・。

以下、続く。
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素人と玄人の文章の違い

2021年10月19日 | 独り言

「国民的作家」と言われた「司馬遼太郎」さんが亡くなられてからもう25年も経つ。

好きな作家の一人なので、折にふれ著作に目を通しているが「未公開講演録」という本があった。

あれほどの作家なので国内各地で行った講演は数知れないが、その講演録をまとめた本である。



何回も推敲ができる小説と違って、講演は聴衆を前にしての一発勝負でいったん発した言葉は放たれた矢と同じで修正、取り消しがきかないので意外と本音が聞ける楽しみもある。


「司馬遼太郎が語る日本~未公開講演録愛蔵版~」は23話の講演録をまとめた本で、構成はつぎのとおり。

私の小説の主人公達  1~10話

文学と宗教と街道    11~23話

となっている。

居ながらにして司馬さんの講演が23話も聞ける重宝な本でいずれも興味の尽きない話ばかりだが、ここで取り上げるのは第20話にあたり、期日:1984年11月29日、開催地:大垣市文化会館、テーマ「日本の文章を作った人々」による講演である。

内容は明治維新になっていったん崩壊した文章日本語が夏目漱石に至って成立したこと、天才漱石の偉大さを讃えるとともにモットーである「則天去私」(天にのっとり私を去る)は生活論ではなくて芸術論であったことを中心に述べている。

はたして漱石は自分の作品の中に「則天去私」をどう発揮したのだろうか。

司馬さんは分かりやすい例として(講演の)冒頭で「素人と玄人の文章の違い」
にふれている。

もちろん司馬さん流のものの見方であることが前提だが、「文章は相手に判ればいいのであって、勝手気ままでよい、そんなに堅苦しいことを言わなくてもいい」という向きにはまったく縁のない話である。

まず、ここでいう素人(アマ)と玄人(プロ)というのは文脈から推すと必ずしも文筆で生計を立てているかどうかという区分でもないようで、つまるところ文章の背景に起因する精神の問題のようである。

さて、一流の作家からみてアマとプロが書いた文章はどこがどう違うのだろうか?

司馬さんによるとこうだ。

「たとえば一流の学者、実業家が文章を書いた場合にもたしかに上手に書けているけれど、一見してこれはアマが書いた文章だと判るケースがある。また、逆にこれはプロが書いた文章だと感じさせる場合もある。

文章の技術ということではアマもプロも違いはないが、決定的に違うところがある。それは文章を書くときの精神の問題で「私心」があるかないかということ。

文章は物を表すためだけに、あるいは心を表すためだけにある。正直にありのまま書けばそれでいい、これが基礎だが、アマはつい格好をつけたがる。「俺が、俺が」と、自己をひけらかしたりするのが私心である。

自己というものは本来、生まれたては清らかだが世間を渡っているうちに競争心が出てくる、負けず嫌いにもなってくるが、文章を書くときにそれを出してはいけない。漱石にも負けず嫌いの気持ちがあっただろうが、それを押し殺しての“則天去私”である。」

かいつまむと、以上のような内容だがたしかに自分にも「アマ」のひとりとして大いに思い当たる節がある。

たとえばブログを書くときにどうしても自己顕示がらみで自慢めいた話になりがちなのを自認している(笑)。これは明らかに「競争心=ひけらかし」の気持ちを押し殺していない好例である。

とはいえ、これから改める積もりもないので、自分にはとても漱石のような「則天去私」の心境には及びもつかないのがよく分かる。

そもそも本心を押し殺すなんて精神衛生上良くないし、大好きなオーディオだってそれが推進力の一つになっているぐらいなんだからとても無理な相談だ。

結局、これが文章家としても人間としても大成できない理由なんだろうが(笑)、別に(文章で)日銭を稼いでいるわけでもなし、(ブログを)読んでくれと頼んでいるわけでもないし、(人生の)残り時間も限られているし、ま、こういうアマのままでずっと行かせてもらうことにしましょうね(笑)。 


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運転免許更新に伴う認知症検査

2021年10月17日 | 独り言

自分の誕生日は3月7日だが、来年(2022年)が丁度運転免許の更新の年になる。

その半年前にあたる今年の10月7日付で我が家に一通のハガキが舞い込んだ。

標題は「認知機能検査・高齢者講習通知書」。



要するにそういう年齢なんです・・、嫌だなあ(笑)。

正直言って「認知症検査」にはあまり自信が持てない。

近年記憶力が随分鈍っていて、オーディオ仲間との会話のときにも、「ほら、あの時に・・」と、言われてもついていけないことが多くなった。

日常生活には何ら差支えないが「運転免許更新」のときの検査を無事クリアできるんだろうかと実は2~3年ほど前から気になっていた。

何しろ現居住地は別府市内でも郊外の小高い山の上に位置しており、バスは通っておらず便利が悪いところで運転免許がないと片足をもがれたような状態になる。

いずれは「免許返納」になるのだろうが、まだまだ早すぎる。

何としても合格せねばと意を決して直接「運転免許センター」(大分市内)に乗り込むことにした。

予約なしでの受験がOKだし、何度受けても良いというので、まずはダメ元で1度受けて不合格のときはそれなりの対策を講じようという魂胆である。

週の初めの月曜日や週末の金曜日は混むだろうと、13日の水曜日を選んだ。玄関受付で画像のハガキを提示して別室へ誘導されてテスト会場へ。

受験料は「750円」だった。ま、いっか(笑)

40分ほど詐欺防止のありきたりのビデオを見せられてから20名単位でこじんまりした教室へ。

それぞれに問題用紙が配布された。

全体で3問あった。

第一問は「年、月、日、曜日」、そして「現在時刻」を問うもので腕時計を見ずにおよその推定時刻を記入せよというもので、「時間認識」がテーマだった。他愛のない問題でこのくらいは簡単至極。

次の2問目が恐怖の的だった「記憶力テスト」だった。

「大砲、オルガン、ペンチ、ラジオ」といった脈絡のない4枚一組のイラストが連続して4組、計16個のイラストを見せられてから、数分間置いてからどのくらい覚えていますかというもの。

結局、16枚のうち9枚ぐらいしか思い出せなかった。悔し~い(笑)。

最後の3問目は「11時10分を示した時計を描け」という問題でこれは簡単。

20分ほどで終わるとすぐに試験管たちが採点にとりかかって、一人づつ別室に呼び込まれた。

総合点によって次のように区分されている。

A 76点以上  記憶力・判断力に心配ありません

B 49点以上76点未満 記憶力・判断力が少し低くなっています

C 49点未満 記憶力・判断力が低くなっています

要するに、Aは「高齢者講習」が2時間で済み、Bは3時間の「講習」を受けなければいけない、そしてCは医師の診断が必要になるということだった。

まず問題なく日常生活を送っている人なら49点以上はお茶の子さいさいですね。

「認知症テスト」なんてまったく「恐るるに足らず」でした(笑)。

印象に残っているのは「車椅子に乗っていた老婦人」の介添えの方が聞こえよがしに「まあ、94点も取って」、すると老婦人が誇らし気に周囲を睥睨したシ~ン。

ちょっと嫌味だったがハンディキャップを乗り越えようと日頃から人一倍努力されているんだろうと素直に敬意の念を抱いた。

ピンからキリでいくと、49点以下の方もいた様子で見るからにそれなりの人が別室に呼びこまれて個別面接されていた。

そして、最後に自分の得点だが「A」の範囲だったけど「ヒ・ミ・ツ」にしておく方が無難だろう(笑)。


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スピーカーの存在を意識させない自然な音

2021年10月16日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

14日(木)の早朝のこと、家内に向かって「おい、今日は何時ごろに出かけるんだ?」

「10時ごろよ、どうして?」「いや、俺のクルマが先だから動かさないといかんからな・・・」。

昨日からクルマの中に積んでいる「PL-100」を早く引っ張り出したい一心だ(笑)。

そして、ようやく作業に取りかかれたのが10時半ごろだった。一人では重すぎて持てないのでトランクの中で大型のカッターナイフを使って極めて頑丈に梱包された荷物を解体した。

そして、ようやくピアノ・ブラックの艶やかな光沢に包まれた筐体が姿を現した。

中古とあったがほとんど新品と見まごうほど
で程度は極上。そして、小型とはいえズシリと重たい。とりあえず1台づつ大切にオーディオルームに運び込んだ。

早く音を鳴らしたいが、空になった段ボールなどの処理の方が先だ。ほとんど木に近いような硬い段ボールに無数に留められた大型ホッチギスの針をペンチで引き抜くのが一苦労で20分ほどかかった。紐で一括りにしてゴミ出し日まで倉庫の片隅にひとまず保管。

さあ、いよいよ待望の音出しだ。もう期待と不安と緊張で頭が鉢割れそうだ(笑)。



ご覧の通り、グッドマンの「AXIOM80」(復刻版)とJBLの「D123」の上に載せた。

そして、まず単独で鳴らしてみた。

アンプは「WE300Bシングル」だ。カタログ上では「能率88db」とあったのでパワー面でも十分いけるだろうと踏んだ。



はじめに「ブルーレイ」に収納している「エンヤ」を聴いてみた。とりあえず何よりも「ノイズ」が皆無なのにひと安心、それからじっくりとサウンドに耳を傾けた。

実にさりげなく、それでいて奥行きが深くて密度の高い音・・。

そして、両方のスピーカーの間に(聴感上の)ステージ(舞台)を作ることが出来ることを確認した。音像定位が乱れているとこうはいかない。それに小型の割には低音域もよく伸びている。

リモコンで「ちあきなおみ」、「小椋佳」など次から次に聴いてからいよいよ真打のモーツァルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364」に移った。

第一印象は、弦楽器のハモリ具合がたいへん美しい!

それに加えて「スピーカーの存在を意識させない、自然に音楽に没入できる音」といえばいいのだろうか。

これは明らかに従来の「ブリティッシュ・サウンド」を踏襲していて大歓迎。さすがは英国製だ。

また、音が消え去っていくときの余韻がことのほか美しくて、音響空間の中ではかなく漂いながらそっと気配を絶っていく印象がお見事。「リボン型ツィーター」の面目躍如である。

しかし、欲を言うとキリがないがもう少し低音域の量感があるといいんだけどなあ・・。

というわけで、我が家の常套手段である「フルレンジ+サブウーファー」(2台のアンプを使用)の展開へ持ち込むことにした(笑)。

かねてからの狙い通り「第一弾」として「AXIOM80」(復刻版:15Ω)を「サブ・ウーファー」として使ってみることにした。

おそらく世界初の組み合わせだろうし、世界で唯一のサウンドになるだろう。


次の「第2弾」は「D123」を(サブウーファーとして)使う見込み。

そのための「画像」のような配置である。先刻、ご承知の通りかな(笑)

さあ、いよいよ実験開始~。

以下、続く。



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東奔西走

2021年10月15日 | 独り言

前々回からの続きです。

たまたまオークションに出品されていた小型SPの白眉ともいえる「PL-100」(英国:モニターオーディオ)。「千載一遇」のチャンスが巡ってきたともいえる(笑)。



となると「どのくらいの金額なら落札できるんだろう」の一点に絞られる。

そこで、これまで数知れないほどオークションを利用してきた経験を踏まえて自分なりの「落札のセオリー」を披露しよう。

たとえば、その製品の定価の3割程度で入札すると落札する確率が50%ほど、つまり五分五分だし、もし4割程度なら70~80%へと確率が上がり、定価の5割程度で入札したときはほぼ100%近い確率で落札できるというもの。

もちろん、例外があって「AXIOM80」や「WE300B真空管」のような根強い人気製品の場合はこのセオリーはまったく当てはまらない。

というわけで、今回はどうしても落札したかったので目一杯の「5割」で入札した。

入札時刻は10日(日)の深夜だったが、自分は早朝型なので毎晩20時までには就寝する。そこで夕食後のほろ酔い気分のもと乾坤一擲とばかりに入札して後は白川夜船~。

翌朝の3時頃に目を覚ますとワクワクしながらパソコンを開けたところ見事に「貴方が落札者です」の文字が躍っていた。ニンマリ(笑)。

しかも肝心の落札価格となると、定価の3割程度にちょっと毛が生えた程度なのでもう二重の喜び~。

幸か不幸か、このSPの凄さを知らない人が多いみたい。おそらく「小型だから」との先入観があるのだろう。

たしかに大型SPのそれなりの良さもあるが、裏腹としてどうしてもサウンドが大味になる傾向にあるのは否めない(と思う)。

したがって両方を天秤にかけるとしたらきめ細かで緻密な再生を誇る小型SPに軍配を上げたくなるのが現時点での我が心境である。

さて、こうして落札できたとなると出来るだけ早く送付してもらいたいので急いで「出品者」(関西地方の業者)に連絡したところ、意外とスローモーで返事が来たのが翌11日(月)の夕方だった。遅過ぎるっ!

「送料込みで〇円になります。振込先はPAYPAY銀行です。運送はS運輸に絞っています。宅配をやっておらず営業所留めになりますので送付先(近くの営業所を)を指定してください」

面倒くさいなあ・・。

長年オークションを利用してきたが「PAYPAY銀行」への振り込みとか、営業所留めの送付なんて初めてである。

とはいえ、言われたとおりにしなくては仕方がない。ネットで調べるとS運輸の営業所は県内2か所で「大分市」と「杵築市」(県北)となっている。

とにかく12日の午前9時過ぎにネットで代金を振り込み(PAYPAY銀行は「へ」で検索して出てきた!)、「大分支店留めにしてください」とコメントを添えたところ、同日の夕方には「商品を発送しました。問い合わせ番号は〇〇です」と予想外に早い連絡が入った。

オッ、なかなか手早くてよろしい(笑)。

関西から大分への場合は発送翌日には到着するが、おそらく12日の夜に発送したとなると到着は14日(木)の午前中だと踏んだ。

そこで、とりあえず「S運輸大分支店」の場所を知っておきたいし、(荷物が)支店到着後にすぐに連絡を入れてもらいたいしで、電話ぐらいでは埒(らち)が明かないので13日の午後になってカーナビを頼りに「S運輸大分支店」目指して出発。

すいすいと快調に飛ばして50分ほどで無事到着。

事務所の窓口で「明日、荷物が届くことになっているんですが・・」「送り状番号はどうなってますか」「ハイ、006-・・・ですが」「あれ、もう届いてますよ」「エ~ッ」とうれしい悲鳴(笑)。

ところが・・・。小型SP2個とはいえ二つまとめて梱包となると図体が結構大きいし、重さも半端ではなく一人で抱え上げるのはとても無理。

結局、係りの方に加勢してもらい、車のトランクにギリギリで詰め込んだ。滑り込みセーフ~。

帰りの道中で「重たすぎるので車のトランクの中で荷物をばらして1台づつ外に出さないと無理だな」などと思案しながら自宅に到着。

すると、何と車庫の奥に家内のクルマが止まっている!

どうやら今日は早めに仕事を終えて帰ってきたらしい。これは拙いなあ・・。

「触らぬ神に祟りなし」で本日の作業は止めて明日(14日)に伸ばすことにした(笑)。

今日はやたらに忙しかった。

午前中は大分市の「西」の方向に当たる「運転免許センター」で「運転免許更新に伴う認知症テスト」を受けたし、午後は「東」の方向に長距離運転だし文字通り「東奔西走」でいろいろたいへんだった(笑)。



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長生きは したくないねと ジム通い

2021年10月14日 | 独り言

社会的にも生物学的にも「役立たず」となった人間がむやみやたらに延命にこだわるのは傍からみてけっして見よいものではない、いやむしろ周囲の害になるときさえある。

ただし、当事者となると話は別でおそらく「総論賛成・各論反対」が日本中至るところで展開されている光景だろう(笑)。

そういえば昔こういう川柳があった。

長生きは したくないねと ジム通い

そういうわけで、図書館の新刊コーナーで「長生きに関連する本」があるとつい手が伸びてしまう。今回は3冊まとめて記録に残しておこう。


まず左側から。

✰ 「新しい免疫力の教科書」

そもそも「免疫とは何?」だが、本書によると「免疫とは外部から侵入してくるウィルスや菌といった異物から体を守る機能のこと」で、人間の身体にはまず3段階の防御システムが機能している。

「最初は皮膚でブロックし、次に粘膜でブロックし、最後に免疫細胞でブロックして、すべて突破されたときに発病する。」と、非常にわかりやすい。

免疫機能をアップするためにはいろんなアプローチがあるが、そのうちの一つに「体内時計を整える3つのルール」というのがあった。

1 睡眠時間は7時間  2 朝食は必ず食べる 3 夕食は就寝の3時間前までに

外野席から「そのくらいはとっくの昔に分かってるよ」とヤジが飛んできそうだ(笑)。

✰ 「開かれたパンドラの箱~老化・寿命研究の最前線~」

たしかに「最前線の研究」を謳うだけあって、極めて専門的な内容だった。そこで、ややこしいことは抜きにしてポイントだけ挙げておこう。

酵素にはいろんな種類があるがそのうちの一つに「NMN」(ニコチンアミド・モノヌクレオチド)というのがあり、最近「抗老化物質」として世界中から大きな注目を集めている。

効果がある理由を紹介するとなるとメチャ長くなるので省略するが、「NMN」が含まれている野菜を列挙しておこう。(126頁)

「枝豆、ブロッコリ、キュウリ、キャベツ、アボガド、トマト、マッシュルーム」だが、この中でも「枝豆」は群を抜いている。

ただし、現在は時季外れなのでスーパーで「冷凍もの」を購入している。



運動ジムから帰ってきて、ビールのつまみにかじっているがほんとうに効果があるといいんだけどなあ…(笑)。

そして、最後がこれ。

✰ 「日本長寿食事典」

分厚くて膨大な内容だった。日本で長寿食といえばきりがないし捉えどころがないともいえるので、ただ一つだけピックアップしておこう。

それは「1日に水を2リットルくらい飲む」というもの。

水は新陳代謝を助けて、老廃物や有毒物を体外に排泄する働きもしている。体重の半分以上は水だ。その水を常に入れ換えて新しくしておくことが健康を保つコツである。

水には溶かす働きがあり、体内に有害な物質があればそれをいち早く溶かして体の外に排出してくれる。できるだけ自然に近い水を飲んでサラサラ血液を目指すことが不老長寿の王道である(131頁)。

というわけで、いつも「ミネラルウォーター」を常備して飲んでいる。



これも効果があるといいんだけどなあ・・(笑)。

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