「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

オークションで購入したオーディオ製品

2015年10月29日 | オーディオ談義

オークションをよく利用される方ならご存知だと思うが、落札した商品のネット(「マイオークション」)での表示期間は120日となっており、それが過ぎると自動的に削除されていく。

そこで、この120日間の落札商品を惜別の思いとともに振り返ってみると、全体で35件となっていた。1か月あたりになおすとおよそ9件、1週間あたりでは2件となる。多いか少ないかの判断は読者にお任せするとして、すべて音楽・オーディオ関連なので比較的熱心に利用しているといっていいだろう。

なにぶんにも顔の見えない相手との取引なので、たぶんに博打的要素が強いオークションだが、35件ともすべてトラブル無しというか、ハズレがなかったのは「運が良かった」の一言に尽きる。裏返すと、音楽&オーディオは極めてマイナーな分野なので「ワル」がはびこるゆとりがないのかもしれない(笑)。

35件の内訳は真空管が15件、ケーブル類が8件、その他はCDやトランスなどが12件といったところ。

価格順からいくとDAコンバーターの「エルガー プラス」が筆頭で、次いでグ~ンと落ちて真空管「71Aプッシュプルアンプ」、SPユニット「フィリップスの口径30センチのダブルコーン」(2ペア)などが続く。

これらは過去のブログですべて触れているので、今回は陽の目を見なかった小物類にスポットライトを浴びせてみよう。

☆ SAEC サエク DB-a/6n デジタルケーブル

この10月26日(月)に到着したばかりのほやほやのケーブルである。

            

左側がこれまで使っていたフツーのケーブルで、右側が今回の該当のケーブル。ともに長さ1m。ご覧のとおりプラグ端子の両端に金属の加工物が取りつけてあり、何となくいい音がしそうだとピ~ンとくるものがあった。20年近くオークションをやってると、カンの方もバカにならない。それに、だいいちお値段が手頃だったのでまるでダボハゼみたいに飛び付いてしまった(笑)。

このケーブルをどこに使うかといえば、「USBメモリ」を聴くときの専用として同じDAコンバーター同士のマランツの「NA11-S1」とdCSの「エルガー プラス」との間を繋ぐ役目を持っている。

アナログとは違って、デジタル機器同士を繋ぐときはデジタル専用のケーブル1本で済むが、たかがケーブルごときで音が千変万化するのはどなたも経験済みだと思う。

昨日(28日)、さっそくヒヤリングテストを行った。ソースはもちろんUSBメモリで寺島靖国さん監修のジャズが入っている。目の覚めるような低音が入っていて、ときどき耳の洗濯に使っている愛聴USB(笑)。

システムの流れを記載すると、「NA11-S1(USB)」 → 「エルガー プラス」 → 「真空管式プリアンプ」(E80CC:ヴァルボ2本) → 「真空管式パワーアンプ」(PP5/400シングル) → 「フィリップス」(口径30センチ:ウェストミンスターの箱入り)

低音が欲しいときは必ず「ウェストミンスター」の箱の出番となるのが我が家のしきたりである(笑)。

やっぱり、違いますねえ!ケーブルの差が如実に感じ取れた。何といっても音のとげとげしさが無くなり、伸び伸びとして柔らかくなる。我が家の場合に限ってだろうが、これは明らかに音が良くなった時のいつもの兆候である。これなら長時間聴いても疲れることはない。

まあ、これも比較して分かることで旧ケーブルを単体で聴いているときは違和感を感じないのだから世話はない。その程度の耳の持ち主だ(笑)。

次に移ろう。

☆ ゴールデンドラゴン GD 4-300B LX チタンプレート

               

つべこべ言う前に手っ取り早く出品されたオークションの解説を載せておこう。

「一本切れてしまい、1本のみの出品です。同じ球を持ってる方、補修用にいかがでしょうか?手持ちの300Bアンプに挿して、音が出ることは確認してあります。」

そうなんですよねえ!中国製の球を使っているとおよそ3年以内ぐらいに必ずといっていいほどペアのうちの1本がイカレテしまう。いわば生存率50%で、少なくとも我が家のケースでは2ペアともそうだった。

したがって現在、残っているのは片割れが1本づつだが型番は同じでもソケットの色が白と黒なので視覚的に違和感がつきまとってしかたがない。オーディオは見た目も若干あるしねえ(笑)。

そこで今回の落札となったわけだが、いまさら中国製でもないんだけど、最近のブログに登載したように「エルガー プラス」の導入のおかげで、中国製の球が息を吹き返したのでコスパ(コストパフォーマンス:費用と効果の対比)の一環としての有効活用にあたる。

テレビの音を聴くのならこの真空管で十分でお釣りが来るくらい(笑)。

最後に次に移ろう。

☆ MAZDA AC/HL(MH4)2本 中古良品

電圧増幅管のAC/HLはとても使いやすくて愛用している真空管。それも英国MAZDA(マツダ)ブランドとくれば、その筋では垂涎の的になる真空管である。その真空管が何とも格安で出品されているではないか!まずもって、あってはならない価格に驚いた(笑)。
                        

「可哀想に」という想いが先に立ってしまった。世が世なら華々しくスポットライトを浴びるものを、こんな晒し者になって
・・・。

AC/HLを使っているアンプは「WE300Bシングル」(モノ×2台)と「71Aシングル」の2台だが、スペアを現在2セット(ナス管)持っており、そんなに消耗する球でもないのでおそらく存命中は大丈夫だと思うが、つい右手が勝手に動いて入札欄をポチッ。無事落札(笑)。

到着後にテストしてみると無事立派な音が出た。同じ規格とはいいながら一般的にST管仕様はナス管仕様に比べると「μ=増幅率」がやや高めのようなので元気なことこの上ない。その代わり、人生の翳りといった雰囲気を表現するのは苦手で一長一短あるところ。しかし、もともと自分は内向的な音が好みなのでこのST管の出番は永久に巡ってこないかもしれない・・。

もう要らないと分かっているのに銘管が格安で出品されていると黙ってみていられなくなる、これこそ真空管マニアの悲しい性ではなかろうか(笑)。
 


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モーツァルトとバッハ

2015年10月27日 | 音楽談義

前回からの続きです。

2015.10.20付のブログの末尾で「音楽鑑賞においてモーツァルトとバッハは両立しない」なんて、あえて挑発的(?)なことを記載したところ、さっそくこれに反発するかのように読者のYさんから次のようなメールが届いた。

タイトルは「モーツァルトとバッハ」。


「ブログ 拝読しました。
ショルティの「魔笛」のSACD、非常にお気に召したご様子で、本当に良かったです。やはり 最高峰の機器で聴く アナログ最盛期の デッカの録音は 別次元の「音」なのでしょうね。私も欲しくなりました(笑)。

私も モーツァルトの音楽が大好きで、バッハ、ベートーヴェン、ブラームス 等と共に 私のCDライブラリーの中核をなしています。「魔笛」のCDも ショルティ旧盤、スウィトナー盤、サヴァリッシュ盤、ベーム新盤、クイケン盤、カイルベルト盤などを聴いています。(敢えて 私の好みを挙げるとすれば、スウィトナー盤でしょうか…)

バッハの作品も 大好きですよ(笑)。
もちろん 「マタイ」 「ロ短調ミサ」 ヴァイオリンやチェロの「無伴奏」といった"大作"も良いのですが、「二つのヴァイオリンの為の協奏曲」、ブランデンブルク協奏曲の「第5番」、チェンバロ協奏曲の「第5番」等の協奏曲作品は 美しいメロディーが出てくる、"気軽"に聴ける曲として よく聴いています。
  
もちろん、好き嫌いや 考え方は 人それぞれですし、他人がとやかく言う事は出来ないのですが、エベレストやヒマラヤ山脈に"挑戦"するよりも、久住(くじゅう:大分県)の山々に登って 大自然を満喫するのも、"アリ"ではないかと思います。
 
勝手な事を書いて、申し訳ありませんでした。バッハとモーツァルトの音楽を愛する、"変人"の 戯れ言 だと思って、目を通していただければ幸いです。」

以上のとおりで、我が浅慮を軽くたしなめられた感じだがむしろ爽快感の方が先に立った。魔笛のスウィトナー盤をお好きとは相当「通」の方であり、これほどの魔笛ファンは初めてで同類に接した喜びに心底うれしくなった。

しかも、モーツァルトとバッハを(高いレベルで)ちゃんと両立させている方がいるんだからやっぱり世間は広い!(笑)

こういう実例を目にするとバッハに再びチャレンジする元気が出てくるから不思議(笑)。たしかに、音楽鑑賞は山登りと一緒で初心者が最初からエベレスト級の山に登ろうなんてどだい無謀な話かもしれない。

さっそく、近場の山に登るつもりでYさん御推奨の「ブランデンブルグ協奏曲」を聴いてみることにした。

           

そういえば、ずっと昔の「ショパン・コンクール」(1985年)で優勝した「ブーニン」がこの曲を激賞していたのを思い出した
。どこかに新聞の切り抜きがあったはずだがと、ガサゴソと探してみるとあった、あった。

            

昨日(26日)、じっくり聴かせてもらったがマタイ受難曲などに比べると親しみやすくて、これならバッハの森に1~2歩ほど分け入った感じが持てた。

とはいえ、あの天馬空を駆けるような自由奔放なモーツァルトの音楽に比べるとバッハは何と言っていいのか「線香臭い」と言うと、叱られるかなあ~。そういう異質感は拭えそうもなかった。無信心の人間には、まだまだ時間がかかりそう(笑)。

しかし、これは自分に限ってのことかもしれないが、若い頃とは違って段々年齢がいくと、クラシック音楽を聴くときにはいちいち「動機づけ」が必要となるが、こうしていろんな形で外部から曲目を提示してもらうと刺激になって大いに勉強になる。

これにあやかって、次に登場するのが今度は女流ヴァイオリニストのシュタインバッハーが弾く「ヴァイオリン協奏曲3~5番」(モーツァルト)。

           

前回のブログでご紹介させていただいたKさんのホームページで「2014年のベスト1」と激賞されていた新盤である。

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲のSACD盤とくれば買わざるばなるまいて(笑)。HMVネットでさっそく入手した。

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲は1番~5番まであるが、聴きどころは4番と5番の第二楽章にあると思っている。「音楽史上もっとも霊妙な美しさを湛えている」と称えられているが、モーツァルト独特の美しくて儚い旋律には思わず言葉を失う。

これまで世評高いグルミュオーをはじめ、クライスラー、オイストラフ、ハイフェッツ、オークレール、レーピンなどいわゆる一流どころを熱心に聴いてきたが、シュタインバッハーという奏者は初めて聴くので興味津々。

まず横顔をネットから引用して紹介しておこう。

日本名は「アラベラ・美歩・シュタインバッハー」で、父はドイツ人、母は日本人。1981年生まれ(ミュンヘン)だから当年とって34歳、テクニック的には脂の乗り切った年齢である。使用している楽器は日本音楽財団より貸与されている1716年製ストラディヴァリウス「Booth」。

演奏も期待に違わず良かったが録音の秀逸さにも驚いた。我が家のCD在庫の中では「AXIOM80」にもっともふさわしい音楽ソースといっていい。末永く愛聴盤になりそうだ(笑)。


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釣り紀行~2015.10.22~

2015年10月24日 | 釣り紀行

この9月に6年ぶりに釣行したところ、以後病み付きになってしまい10日に一度ほどは竿を握らないと何だか調子がおかしくなってしまいそう。ほんとうに凝り性だ(笑)。

それにしても我が三大趣味の「音楽&オーディオ」、「読書」そして「釣り」とくれば共通点が一つだけあるのをお気づきかな?

そう、すべて、独りだけで遊べる趣味である(笑)。

このところ、娘との会話に段々とテンポが追いつかないようになり、将来認知症になるのを心配してか「お父さん、ずっと家に閉じこもってないで、もっと積極的に人の輪に入って会話した方がいいんじゃない。これはお父さんのためを思って言ってるのよ。」と説教される始末だが、ゴルフはまったくやらないし社交ダンスとか聞いただけで身震いするほどなのでたしかに集団活動は苦手の部類に入る。ま、せめて運動ジムとオーディオの仲間で救われている面があるのかもしれない。

な~に、認知症になる前にポックリ逝くさと開き直って(笑)、一昨日(22日)もいそいそと近場の釣りへと出かけた。

片道クルマで10分だから楽なことこの上ない。「釣はフナ釣りに始まってフナ釣りに終わる」という名言があるが、仕掛けのシンプルさとともに体力的な消耗を軽減するという両方の意味合いがきっとあるに違いない。

そういえば、オーディオも「フルレンジに始まってフルレンジに終わる」という意味深な名言がある。我田引水だと受け取られそうなので、もうこれ以上は言わない(笑)。

          

釣り場に到着したのは8時頃だったが周囲に釣り人は誰も居らず広い釣り座を独り占めで開放感いっぱい。この日の潮は長潮で干潮は9時前後。

当日の潮汐表は次のとおり。

        

4回目にしてようやくこの釣り場の個性が分かってきた。干潮を挟んで前後の2時間、つまり4時間ほどは確実に釣れないのだ。

したがって9時から11時ごろまで、たった5センチほどの稚ダイが釣れるばかりですべてリリース。今日はダメかもしれないと不安がよぎり、日頃大言壮語している手前、釣果ゼロは格好悪いのでブログへの掲載は止めておこうなんて不埒な考えもチラホラ湧き起こる(笑)。

ところが、「上げ3分」に入った11時半ごろからいきなり爆釣モードに突入するのだからほんとうに釣は分からない。潮回りという自然現象に人間は翻弄されるばかりだが、状況が急転直下するところに釣りの醍醐味があるのかもしれない。

それと途中からエサを変えたのも功を奏した。自家製のパン粉を固めたエサの食いが悪かったので予備として持ってきた市販の練り餌「生ミック」を使ったところ、これが大当たり。入れ食いになった。

           

たしかに製法が創業者の秘伝と喧伝するだけのことはあって、釣り好きの人は一度お試しあれ!

腕が疲れてきたので丁度14時に納竿したが結局今日も6時間の長丁場となった。

本日の釣果はいつものとおりで、手の平~足の裏クラスのサイズが40匹ばかり。

           

ここ1週間ほど体調が思わしくなくて、どうやら飲み過ぎのようなので3日間スッパリ酒断ちしているが、新鮮な焼き魚に対しても強固な意志をもってアルコールを拒絶(笑)。
 


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「ヴァイオリニストは音になる」を読んで

2015年10月22日 | 音楽談義

指揮者にしろ、演奏家にしろ音楽に携わる人の著作は非常にタメになることが多いので、図書館で目かけたら必ず借りることにしている。
                     

とりわけ、日本の女性ヴァイオリニスト「千住真理子」さんはひそかに敬愛している演奏家の一人なので「ヴァイオリニストは音になる」(2015.8.1)を興味深く読ませてもらった。

音楽や音響を主な題材にしたエッセイ集だったが、書中でガンにより最愛のご母堂が亡くなられた由、謹んで哀悼の意を表します。合掌。

さて、207頁に「バッハは自分を消さないと弾けない」との小見出しのもとに次のような記事があった。

「バッハは私の人生そのものであり、私の心の中にある聖書、神でもある。バッハは一生追い続けていくと思うのですが、バッハを弾くときというのは<お坊さんがミソギをする心境ってこんなかなと思う>そこまでいかないとバッハが弾けないと思っています。

それはどういうことかというと、<自分を表現しよう>と思ったら弾けなくなるのがバッハなのですね。<こう弾こう>と思ったら弾けなくなるし、<こういう音を出そう>と思ったら弾けない。つまり自分というものをいっさい消し去らないと、バッハは入れてくれない。バッハの世界に入れません。

要するに<無になる>ということなのですが、これは大変難しい。これこそなにかお坊さんの修行というのが必要なのかなと思ったりします。<無になったぞ>と思った瞬間は、なったぞと思ったことがもう違います。ふっと無になっていて、するとまた邪念が出てくるのですね。

<あ、次は、二楽章はこう弾こう>と思った瞬間にまた自分に戻ってしまう。<どうやって自分を捨てるか>というのがバッハとの闘いで、たぶん私は生涯バッハを弾くたびに、そうやって修行をしていくのだなと思います。それでも好きな曲がバッハですね。」

以上のとおりだが、これまでいろんな作曲家の音楽を手広く聴いてきたものの、もっとも苦手とするのがバッハの音楽である。どうも肌に合わないのだ。

「平均律クラヴィーア曲集」をはじめバッハの残した作品は、後続の作曲家達にとって常に教科書であり御手本だったという意味から「音楽の父」とも称されるバッハ。

バッハが自分のレパートリーに入ると音楽人生がもっと豊かになるのは確実なので、これまで世評高き「マタイ受難曲」をはじめ、「ロ短調ミサ」などに何度挑戦したか分からないが、その都度、どうしても「お前は縁なき衆生(しゅじょう)だ!」とばかりに場外へはじき出されてしまう(笑)。

前述の千住さんの記事からも伺えるが、どうやらバッハに親しむには「無になる」ことが演奏家のみならず鑑賞する側にも必要かと思うが、どうも自分には邪念が多くてそういう資質が無いのかもしれないと諦めている今日この頃。

そういう自分に最後のチャンスが巡ってきた。同じ千住さんが書かれた先日の新聞記事にこういうのが載っていた。

                      

バッハの「シャコンヌ」の素晴らしさに言及しつつ、「4分半を過ぎたあたり、小さい音で音階を揺らしながら奏でるアルペジオの部分。涙の音が現れます。~中略~。巨匠といわれる演奏家のCDをひととおり聴きましたが1967年に録音されたシェリングの演奏が別格です。完璧で心が入っていて、宇宙規模でもあり・・・。すべて表現できている。<神様>ですね。」

う~む、ヘンリク・シェリング恐るべし!幸いなことに、シェリングが弾いた「シャコンヌ」を持ってま~す(笑)。

            

何といっても敬愛する千住さんがべた褒めするシェリング演奏のシャコンヌ、もういつ聴いたのかはるか忘却の彼方にあるCDだが、バッハの音楽に溶け込める最後のチャンスとばかり、この程じっくり耳を傾けてみた。「涙の音」が聴こえてくればしめたものでひとつのきっかけになれば・・・。

システムの方も久しぶりに「AXIOM80」の出番となった。丁度フィリップスのユニットのエージングも済んだ頃だし、そろそろ入れ替えの時期だったので実にタイミングがいい。

「低音が出にくい」など、毀誉褒貶相半ばする「AXIOM80」だが、あの濡れたような、すすり泣くような独特のヴァイオリンの音色の再生にかけては、断言してもいいがこのスピーカーの右に出るものはない。

だが、しかし・・・。

真剣になって耳を澄ましたものの、この名演からでさえも「涙の音」どころか、そのかけらさえも感じ取れなかった、無念!

やっぱりバッハは鬼門だなあ。そもそもバッハとモーツァルトの両立は難しいのかもしれない。

バッハを愛好する人で「魔笛」が死ぬほど好きという人はこれまでお目にかかったことも、聞いたこともないんだから~(笑)。


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「エルガー プラス」のおかげで息を吹き返した我が家の真空管

2015年10月20日 | オーディオ談義

「またSACDがらみの話か、もうウンザリだ!」。まあ、そう言わずに(笑)~。

今回は先日導入したDAコンバーター「エルガー プラス」が我が家の真空管アンプに変革をもたらした話。

                       

SACDとCDの違いで気がついたことは再々述べているように音響空間の広がりと自然な雰囲気、音像が小さくなる、そして楽器の前後左右の位置関係が明瞭になることなどが挙げられるが、これによってようやく真空管アンプの本来の性能を推し量る判断基準を持てた気がしている。

前段機器によってしっかりした情報量を確保できると、それを増幅する役目を持つアンプの能力も多角的な見地から変化するのはあたり前の話だが今回ばかりはそれを身をもって体感した。

手元に8台ある真空管アンプだが、これまでとっかえひっかえして試聴してきたものの、いずれも「帯に短し、たすきに長し」で、たとえば「分解能はいいけど力感が足りない」「元気はいいけど雰囲気や奥行き感の再現力が今一つ」など、隔靴掻痒(かっかそうよう)の感があったのだが、この「物差し」の登場で混迷状態からようやく抜け出すことができた気がしている。

ここ1週間ほど、ああでもない、こうでもないといろんな事を試してみたが主に気が付いたのが次の2点だった。

☆ 息を吹き返した300B真空管

            

忘れもしない今年(2015年)の4月1日に我が家にやってきた真空管アンプ「371シングル」。以降、この半年あまりいろんなアンプ遍歴を重ねるものの、とどのつまりは自然とこのアンプに戻ってくる。飽きのこない魅力はやっぱり我が家の本妻として一番ふさわしい(笑)。

入力トランスからインターステージ、出力トランスまでトランス界の名門「UTC」(アメリカ)で統一しているが、唯一の弱点ともいえるのが「371」真空管(トリタン仕様:1920年代製造)の出力がたかだか1ワット未満のせいかやや力感に欠けることだった。

せめて2A3真空管並みのパワーがあったら鬼に金棒なのだが・・・。

ただし、音響空間の雰囲気の再現力は抜群なのでその欠点を補って余りある存在として重宝しているが、このアンプのミソは製作者の工夫で「371」の代わりに同じ4ピン形状の「300B」真空管を切り換えスイッチひとつで差し換えられるようになっているところにある。

そこで、これまでも度々両者を差し換えて実験してきたものの、惜しいことに聴感上の問題としてどうも折角の300Bがフルに実力を発揮できなかった経緯がある。パワー感は出てくるものの、「371」に比べるとどこか不自然さがつきまとう。

ところが今回、「エルガー プラス」を導入しSACDを聴くに及んで、念のためとばかりWE300B(1950年代)に差し換えたところ、何とこれがベリーグッド(笑)。

力感不足が払拭されたうえに細かいニュアンスもなかなかの表現力で、これなら本家の「371」と遜色なし。

こうなるとオールドのWE300Bのスペアがもう1セット欲しくなるが、ビンボー人にはおいそれと手が出せないお値段になっているので、その代わりというわけでもないが今度はこれまで散々謗ってきた中国製の300Bに差し換えて聴いてみたところ、「アレッ、これもなかなかいけるじゃない!」。まさに「君子豹変す」(笑)。

とはいってもオリジナルのWEが100点だとすると80点程度だが、以前は60点ぐらいに思っていたので大躍進。やんちゃ坊主のような「元気はつらつさ」にはなかなか見るべきものがある。

前段機器のレベルが向上すると、全体的に真空管の瑕疵が目立たなくなり息を吹き返すのはたしかのようだ。これだから不要になった真空管を簡単に売り払うわけにはいかない(笑)
。         

☆ 息を吹き返したSTCのドライバー管

およそ1年ほど前にUTCのインターステージ・トランスを挿入してもらった「PP5/400」(英国マツダ:初期版)シングルアンプ。

          

我が家の一線級としてサブのスピーカーに起用しているが、これも製作者のご好意でドライバー管を「71A」と、STCの「3A/109B」(CV1663:以下、「STC」)のどちらかを選択できるようにしてもらっている。

これまでは「STC」よりも「71A」の方がやや優位にあったのだが、このほど念のためSTCと差し換えて聴いてみたところ、音響空間がさらに大きく広がったのには驚いた。ドライバー管によってもこれだけ変わるのだから真空管アンプの奥の深さが身に沁みる。

「エルガー プラス」はこれまで使ってきた真空管の固定観念を次々に打ち破っていく!

こうなるとSTCのスペアがもう1セット欲しいところで、「せっかく得たこの音を失いたくない」と、つい守りに入ってしまうのが自分の悪いクセ(笑)。

滅多に見かけない稀少管だからオークションでも無理かなあと、祈るような気持ちで覗いたところ何と同じSTCの「3A/107B」が出品されている。今のところ入札者無しだが、締切期限はあと3時間ほどというギリギリのタイミング。

17日(土)の夕方だったが、急いでこのアンプの製作者Gさん(福岡)に問い合わせた。

「STCのスペアが欲しくて、オークションを覗いたところ3A/107Bがありました。3A/109Bと比べてどこがどう違うんですかね?」

「ちょっと待ってください。調べてみましょう。ああ、ミュー(増幅率)が7になってます。109Bは6ですから、ほんの少しの差だけです。プレート電圧など、ほかの数値は一緒なので十分、互換性がありますよ。」

ああ、良かった!即決で落札。

               

これまで英国の名門ブランド「STC」の真空管を使ってきて一度も期待を裏切られたことがないので性能に疑問を挟む余地はなし。

これで枕を高くして眠られるなあ、メデタシ、メデタシ(笑)。


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釣紀行~2015.10.13~

2015年10月15日 | 釣り紀行

昔からといっても、現役を退いてからのことだが、釣に行く日はなるべく週の後半の木曜日or金曜日に決めている。

これが何故だか理由が分かる人はかなり場数を踏んだ釣師である。

もったいぶらずに理由を述べると、「土曜、日曜日の休日には沢山の釣り人が押しかけて、釣り場に撒き餌をまき散らかしている。したがって月曜日や火曜日辺りは魚も満腹状態となっていて、食いが悪いしスレてもいる。木曜か金曜日あたりならきっと魚も腹を空かしているに違いないので食いがいいはず。」

こんなことはどんな釣り雑誌にも書いてないので、自分の勝手な思い込みかもしれないが、経験上あまり外れたことはない。

さて、そういう考えからすると13日(火)の釣行は3連休明けの直後ということもあって最悪の日だが、前回の釣行の時の撒き餌がまだ残っており(冷凍保存)、早く新しい仕掛けを試してみたいので無理を承知で出かけてみた。それに潮の具合もなかなかいい。「大潮」なので、潮の干満の差が一番大きくてその分、潮の流れも早くて魚の食欲が増すはず。

なお、仕掛けはどんなに良く釣れた仕掛けでも釣行のたびに変えることにしている。進歩がないから・・・。これってオーディオシステムに対処するのと同じ(笑)。

当日の別府近郊の「潮汐図」は次のとおり。

           

「下げ7分」の金言からすると、10時前後がベストだが大潮とあっておそらく干潮時の14時ごろまでダラダラと釣れるはずと踏んだ。

釣り場に着いたのは9時頃だったが残念なことに、自転車で来ている先客が一人居た。いくら何でも狭い釣り場に割り込むほどの度胸は持ち合わせていないので、離れた場所で釣り座を構えるつもりだったが、とりあえず先客に「仁義」をきっておこうと「どうですか、釣れますか?」と声をかけたところ、気さくに「いやあ、小さいのばかりです。」と返事があった。拝見したところお年の頃は75歳前後の方とお見受けした。

この初めの何気ないやり取りが、後で功を奏すのだから人生はほんとうに分からない(笑)。

         

この場所は初めてだが、どうも釣りにくかった。捨石が沖の方まで伸びていて、撒き餌を遠方まで投げないといけないが、この日はとても風が強くて仕掛けを沖の方に飛ばすのが難しく思ったような釣りができない。

もちろん悪いことばかりではない。風が吹くことでさざ波が立ち、海中の魚からすると視覚的、聴覚的に釣り人の気配を消してくれるので(魚の)警戒心を解くというプラス作用もある。これに限らず、釣りというゲームはいろんな事象でプラス、マイナスの相反する側面が非常に多いがこの日はなにぶんにも風が強すぎてマイナス面の方が大きかった。

大苦戦である。すると12時頃だったろうか、知らぬ間に先客のお爺ちゃんが後ろに立っていた。

「どんな具合ですか?」「いやあ、風が強くてとても釣りづらいです。」すると、「ボチボチ帰りますが、魚は要りませんか?」

「えっ、いただけるのならそれはありがたいですが・・。」「釣っても捨てるだけですから、どうぞ~」

というわけで、釣り道具をそっくり移動させながら、お爺ちゃんの後をのこのことついて行った。

海中のスカリに容れた30匹ほどのクロの中から型のいい物を10匹ほどいただいた。残りはすべて海中に戻したが、かなり腕のいい釣師である。よくよく、お話を伺ってみると「独り暮らしです。リストラにあってからは釣り三昧とお酒の毎日です。お医者から酒は止められているんですが、もういつ死んでも構いません。」

リストラの嵐がこんなところにもと、何だかお気の毒になってきてついホロリ~。それからは話が弾んで、いろんな情報を教えてもらった。熟知されたこの釣り場にはときどき大物が来て、仕掛けごと持って行かれたことが2~3度あるとのことで、それは愉しみ~。

結局2時ごろに納竿。本日の釣果は次のとおり47匹だったが、前述どおりもらったものが10匹ほどなので釣果は前回よりは悪かった。新しい仕掛けは風に弱くて期待外れだったが、型の方は幾分良くなったかなあ。それでも「お刺身」に出来るのは一番左側上の1匹だけ。

            

どうせ夕食は魚の塩焼きかと思うと急に日本酒が呑みたくなったので、近くのディスカウントショップへ。

糖質ゼロという文句が目に入って、購入してみた。

           

熱燗で呑んでみたところ不味い!とても飲めたもんではないが、カボスの果汁を絞り込んだところどうにか飲めるようになった。芋焼酎と同様に、ときどきはいいかもねえ~。
 


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SACDの「サキソフォン コロッサス」を聴く

2015年10月13日 | オーディオ談義

9月中旬にDAコンバーター「エルガー プラス」が我が家にやってきてから、ずっとSACDの余震冷めやらずといったところだが、「この人、ちょっとはしゃぎ過ぎ」と思われる方は不愉快になるだけなので、どうかこの先は読まないように(笑)。

今回はつい最近購入したSACD盤「サキソフォン コロッサス」(以下「サキコロ」)の試聴結果について記してみよう。

まずはじめに「サキコロ」を購入した経緯について触れておくと、

9月下旬のブログで、オペラ「魔笛」(モーツァルト)のショルティ指揮盤がSACDとして発売されていることに関連して、「
しかし、アナログ時代のそんな昔の録音をSACD盤に焼き直したところでどのくらいの効果があるんだろうかとちょっとためらいを覚える。」と、記していたところ、メル友のYさんから次のようなメールをいただいた。匿名ということで無断転載お許しください。

「以前、真空管アンプとヘッドフォンについて御教示していただいたYです。

~前略~

さて、今回の貴ブログの記事にて、SACDでアナログ録音は聴けたものなのか…と言うような趣旨の事を書いておられましたが、私としては 「是非、聴いてみて下さい!」と言いたいですね。

特に '60~'70年代の録音の 適切なリマスタリングが施されたものは、デジタル録音のSACDよりも、聴いた時のインパクトという点で明らかに上に感じます。何故だかは 解りませんが、私の安い DENONのSACDプレーヤーでも 確認出来る程ですので、「ラ・スカラ」、「エルガー・プラス」という最高峰の機器からは どのような「天上の音」を紡ぎ出されて来るのか 興味が尽きません。
  
機会があれば アナログ録音のSACDを聴いてみて下さい。」

誠実さがひしひしと伝わってくる真摯な文面に思わず心を打たれて、そうですか、成る程!

SACDの先輩がこれほどまでに仰るのならと、ようやく聴いてみる気になり(笑)、とりあえず2セット購入してみた。

ジャズの名盤として知られる「サキコロ」(ソニー ロリンズ)と「魔笛」(ショルティ指揮:3枚セット)。いずれも1950年代前後のアナログ録音をSACDにマスタリングしたもの。

ジャズは滅多に聴かないのだけれどこの「サキコロ」だけは別格の存在。いくら門外漢でもジャズのエッセンスが感じられるから不思議。それに、システムを代えたときのテスト盤としてこれほど最適な盤はない。モノラル盤なので音像定位の確認の面からも重宝している。

ど素人の自分がいくら名盤といっても信じてもらえないだろうから、関係者の言を引用しよう。

≪まず演奏の当事者から≫

トミー・フラナガン(ピアノ)

あっという間にレコーディングが終了した。リハーサルもなし。簡単な打ち合わせをしただけでテープが回された。録り直しもなかった。やっているときからこのレコーディングは素晴らしいものになると確信していた。
 

マックス・ローチ(ドラム)

ソニーは何も注文を出さなかった。妙な小細工を一切せずにそのときの気持ちを素直に表現しただけだ。豪快で大胆、ソニーの持ち味がこれほど理想的な形で聴ける作品はほかにない。


≪ジャズ演奏者≫

トム・スコット(テナー・サックス)

セント・トーマスのリズミックなフレーズこそ彼ならではのものだ。普通のスウィング感とは違う。それでいて、ありきたりのダンサブルでもない。ジャズ特有の乗りの中で、独特のビートを感じさせる。これぞ典型的なロリンズ節だ。
 

ブランフォード・マルサリス(テナー・サックス)

ロリンズのアルバムの中で一番好きなのがサキソフォン・コロッサス。ここではいつにもまして構成なんかまったく考えていない。出たとこ勝負みたいなところがある。それで終わってみれば、構成力に富んだ内容になっている。これってすごい。うらやましい才能だ。この盤は不思議な作用があって、何かに悩んだときに聴くと、必ず解決策が浮かんでくる。お守りのような作品だ。全てのテナー奏者が聴くべき作品だし教科書でもある。
 

この盤の凄さが分かっていただけたと思うが、今回のSACD盤の購入によって、とうとう録音の違う「サキコロ」が3種類になってしまった(笑)。

            

上段左がビクターのXRCD盤(20ビット録音)、右側がDSDマスタリング盤、そして下段が今回のSACD盤。

いずれも録音のボリュームレベルが非常に低いのが特徴だが、これを順番に聴いていってそれぞれの盤のどこがどう違うのか、最終的にはSACD盤の音質を確認しようという試みである。

ときは10月9日(金)、1枚に全部で5曲収録されていて時間にしてトータル40分程度だが、3枚すべて通しで聴いた。したがって、2時間ほどのぶっ続け試聴となった。

ここでテストに使ったシステムの内訳を記しておくと、

CDトランスポート「ヴェルディ・ラ・スカラ」(dCS) → DAコンバーター「エルガープラス」(dCS) → 「トランス式アッテネーター」(カンノ) → パワーアンプ「オリジナルWE300Bシングル(1950年代)」(モノ×2台) → スピーカー「フィリップス」(口径30センチ:ダブルコーン、ウェストミンスターの箱入り)

けっして自慢にはならず、むしろ恥ずかしい限りだがどんなに気に入った音が出ていても3週間ほど続けて聴いていると変化が欲しくなる。したがって組み合わせるアンプをクルクル替えることになるが、何ともはや因果な性格である。もっとも、伴侶の場合は対象外なので念のため(笑)。

試聴のポイントの第一は低音とか高音がどうのこうというよりも、違和感なくそして飽きることなく最後まで聴けるかどうかということで、不自然な音が出てくれば自ずから耳が受け付けなくなって、途中でリモコンのストップボタンを押すということに相成る(笑)。

その点では3枚とも最後まで聴けたが、結局「XRCD」盤は繊細だがやや力感に欠ける、「DSDマスタリング」盤はマッシブだがやや分解能が劣り彫が浅い、そして両盤とも高域がシャリシャリして刺激的でやや耳につく。

それがSACD盤となると、スカッと抜けきった高音域がスッキリ爽やかでいっさい耳障りに感じないのが不思議!したがって拘りなくアッテネーターのボリュームを2目盛ほど上げられ、その分、レンジから力感、スケール感が増大し、他の2枚の盤で聴いたときのいろんな不満点が見事に解消された。

さすがはSACD盤!(笑)。

次は、ショルティ指揮の「魔笛」のCD盤とSACD盤の比較について~。いよいよ本命の登場だ!


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CDトランスポートの「ピックアップ」騒動記

2015年10月10日 | オーディオ談義

1980年代の初頭にCDが登場してからおよそ35年余りが経過した。

当時、新し物好きでなので見境なくレコードからCDに乗り換えたが、両方ともに一長一短あるようではたしてどちらが良かったのかどうか、今となっては常に「?」がつきまとっている

とにかく、はじめて購入したのはパイオニアのCDプレイヤーで6枚のCDが続けてかかる便利物だったが、じきに飽きてしまいデンオンの「DCD-S1」にグレードアップした。これはなかなかの優れもので5年ほど愛用したが、そのうち、またぞろリとオーディオの虫が蠢いてきて、ワディアの「270」へと乗り換えた。

これは10年近く愛用してこれで打ち止めにするつもりだったが、トレイの開閉やディスプレイのランプの故障が生じて仕方なく修理に出し、その間に馴染みのショップ(東京)から借りたのが「ヴェルディ・ラ・スカラ」(dCS、以下「スカラ」)だった。

            

一聴してみると非常に緻密な音に驚き、これまで使ってきたワディアの詰めの甘さに疑問を抱くのにそれほど時間はかからなかった。

何でもそうだが、いったんレベルを上げると落とすのは非常に難しくなる(笑)。

とうとうワディアの代わりにスカラが居座ってしまったが、当時、心ない読者から「この人、dCSの中古を買ったくせに妙にはしゃぎ回って・・」と悪口を書かれてしまった。おそらく、今では「この人、今ごろになって時代遅れのSACDに妙にはしゃぎ回って・・」と、きっと思っているに違いない。不快に思うくらいなら何もわざわざこのブログを見なければいいのに~。こちらも大迷惑(笑)。

さて、スカラを使い出してこの10月で1年半ほどが経ったわけだが、つい最近になって仲間から次のような親切なアドバイスがあった。

「CDトランスポートの故障はトレイの開閉に関わるゴムベルトと、ピックアップの故障が大半です。ピックアップが故障すると再生中に音が飛ぶようになります。これらは消耗部品ですから予備を持ってた方がいいと思います。それにゴムベルトの方は故障しても何とかなりますが、ピックアップ部分は難物です。生産打ち切りともなると、代替品が無いためそれだけで修理ができないようになります。是非、今のうちに予備を手に入れておくことをお薦めします。」

成る程、成る程!

すぐに「スカラ」を購入したショップに問い合わせてみたところ「メーカー側は部品の単売は行わないそうです。しかもこの製品は既に生産中止ですからそもそも在庫がないそうです。」

エッ、そんなあ・・・・。やむなく「それではピックアップのメーカー名と型番だけでも教えてください」と粘ったところ、ソニー製で型番が「〇〇〇」というのが分かった。

あのdCS(イギリス)がソニー製を使っていた!

すぐにソニーの相談窓口にメールで型番と在庫の有無を問い合わせると、当然のごとく「生産完了品で在庫はありません」とのつれない返信。

ここで引き下がってたまるかと、「それでは同じ型番のピックアップを使っている貴社のSACDプレイヤーを教えてください。」と方向転換した。

ソニーのSACDプレイヤーを丸ごと買って、ピックアップの予備を確保しておこうというとても雄大な構想である(笑)。

すると、すぐにメールが来て同じピックアップを使っているプレイヤーは全部で3台あるそうで、それらの型番をすべて教えてもらった。

ああ、良かった!これなら手に入りそうで、こういうときこそネットオークションさまさまだ。

「ソニー CDデッキ SACD」で絞り込むと、すぐに1台見つかった。もはや15年ほど前の製品だから驚くほど安い!当時の定価が18万円ほどの製品が何と〇万円。

ピックアップ部分がどれほど傷んでいるかはサッパリ分からないが、「CDの音が出るのは確認しました。SACDは未確認です。」のオークションでの解説に、半分首をひねりながらも、ま、いっかと落札した。

ほどなく、このSACDプレイヤーが到着したのは10月4日のことだったが、何とこの日は運が悪いことに家内が居座る日曜日だった。

当日、早朝に覚悟を決めて「おい、かなり大きめの荷物が今日届くから俺がいないときは受け取っておいてくれ」

「エッ、また、何か買ったんですか!」と、いきなり柳眉を逆立てるカミさん。

「ガタガタ言うな!不要になったオーディオ機器を売りさばいたお金で買うんだから、お前が要らん心配せんでいい」と、ひと悶着(笑)。

案の定、荷物が届いたのは午後の運動ジムに行っている不在の最中だった。

帰宅するとさっそく、梱包を解いて機器を据え付けプリアンプと結線して緊張の音出し。

            

まずCDから聴いてみたが、無事に音が出てひと安心。次に問題のSACDをかけてみたところこれも無事読み取ってくれて音が出た。ああ、よかった。

ピックアップの確保だけが目的だったとはいえ、こうなるとつい欲が出てきて万一「スカラ」が故障したときの代役が務まるかもしれないと、真剣になって音質を吟味した。

すると、いかにも全体的に沈んだ音でパサパサしていて情報量不足は明らかである。こうなると、することはただ一つ。

このSACDプレイヤーのデジタルアウト端子からRCAデジタルコードでDAコンバーターの「エルガー プラス」(dCS)のデジタルイン端子に接続した。

つまりCDトラポ部分はソニーを使い、DAコンバーター部分はエルガーを使うという離れ業(笑)。

音が激変しましたねえ!形容すると、音が柔らかい、品が良くなった、伸び伸びとしている、など。メデタシ、メデタシ。やっぱりデジタル系の肝はDAコンバーターにあり。

こうなると調子に乗って、USBメモリを使うときだけ利用しているマランツのDAコンバータ「NA-11S1」のデジタルアウト端子からも光ケーブルで「エルガー プラス」のデジタルイン端子に接続。

つまり、DAコンバータ部分はすべて「エルガー プラス」に集結させた。

USBメモリでのマランツとエルガーの比較でも音質の差は顕著だった。

前者は音が粗っぽくてぎらぎらした印象を受けたが、後者では見事に英国紳士に変身(笑)。

例えて言えば、中国製の300B真空管とオリジナルのWE300Bとの比較の時の音の差とそっくりだった。デジタル系機器の音の優劣は情け容赦なく、個人の情緒的なものをいっさい介入させないところがある。

予備のピックアップの確保がうまくいったので、直ちに仲間に報告したところ「中古でもピックアップメカを手に入れておけば一安心ですね。使用に伴いだんだんと半導体レーザーの出力が落ちてくるというのは勿論ですが、最近の物はレンズがプラスチック製なので経年変化で透過率が落ちてダメになるみたいですよ。」と、あった。

音の入り口である「デジタル系」は後顧の憂いが無くなった積もりだったが、消耗品という紛れもない事実に一難去ってまた一難・・・。

「浜の真砂は尽きるとも、世に悩みの種は尽きまじ」(笑)。 


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釣紀行~2015.10.7~

2015年10月08日 | 釣り紀行

昨日(7日)は2週間ぶりの釣行となった。

クルマで15分ほどの近場なので当初から(魚の)型狙いは諦めて、釣感覚を錆びつかせないための釣行だったが、日頃オーディオや読書などの室内遊戯ばかりなので、久しぶりに太陽と潮風に当たって健康的にリフレッシュするのも狙いのひとつ(笑)。

自分だけかもしれないがときどき潮風に当たっていると風邪を引かないのも事実。

しかし、音楽とオーディオから釣りモードへの急激な移行は、そう簡単ではなく3~4日前から仕掛けの準備と併せて気分的な転換を徐々に図っていくことにしている。そして、日程決めの最たる指針は「潮汐表」である。

ちなみに当日の別府近郊の潮汐表は次のとおり。

          

釣果は潮の動きに完全に左右されるので事前の調査は欠かせない。釣果と潮の流れの関係を言い表した金言として「上げ三分、下げ七分」というものがある。

どういうことかというと、干潮を0、満潮を10として「潮位が0から3に上がったとき」を「上げ三分」、「潮位が10から7に下がったとき」を「下げ七分」という。

当該画像の横軸(時刻)からいくと、午前6時前後が「下げ七分」、そして午後1時前後が「上げ三分」となるが、この時間帯が最も潮の動きが激しく、魚の食い気が立つときなので最高の「釣れどき」であることを表わしている。

原則はそういうことだが、当然のごとく釣り場の環境によって一概には当てはまらない。ダラダラと散発的に釣れる場所もあったりして、やっぱり釣り場にも個性というものがある。したがって当日はテストの積もりで午前8時頃に出かけてみた。

仮説といえば大げさなので予想と言い換えるが、「予想と検証」はあらゆる物事を考察し楽しむうえでの基本である。

な~んちゃって!(笑)

そして案の定というか、午前中はサッパリで5センチほどの稚鯛ばかりが釣れてリリースばかり。よほど場所を変えようかと思ったが、午後1時前後が本命だと自分自身に言い聞かせて、何とか粘ってみたところ、ようやく12時頃から手の平クラスのクロ(メジナ)が入れ食い状態になった。

そして14時ごろから食いが遠のいたので、あっさり納竿。本日は6時間ほどの釣りとなった。

            

前半3時間は空振り状態だったので後半3時間ほどの釣りで結局46匹の釣果だった。型はイマイチだったが我が輩の手にかかるとこういう具合だ(笑)。

「上げ三分」の金言はやっぱり生きていることを実際に体感した1日となった。

           

帰り際に、南から北方向へ臨んで釣り場(丸い石垣の部分)をパチリ。平日とあって釣り場は誰もおらず、180度の角度で竿を振り回したが、これは稚魚のエサ取りをかわすのに大いに役立った。

海岸線からかなり離れた釣り場にもかかわらず、わざわざ見物人が1人来たが、「こんなに釣れるのなら自分も来ようかな」と宣うた。

冗談じゃない!撒き餌の打ち方から仕掛けの選択までノウハウが山ほどあるのに、そんなに簡単に釣れてたまるか(笑)。

ところで、夕方帰ってきた家内が渋~い顔。こんなに沢山の魚を捌くのは無理というわけで、ご近所にお願いして「型はイマイチですが、新しいのだけが取り柄です。」と、もらっていただいた。

いつもかなりの音量でご迷惑をおかけしているオーディオルーム側のお隣さんは温厚そのものの老夫婦だが魚好きなのでいつも喜んでもらってくれる。こうして少しでも心証を良くしておけば、心おきなく音楽を楽しめようというもの。

魚釣りは間接的にオーディオにも大いに役立っているのだ(笑)。
 


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デジタル機器の非情な世界

2015年10月06日 | オーディオ談義

随分、間が空いたが1週間前の「AXIOM80愛好家の集い~第5回~」(2015.9.29)の続きを。

オーディオ機器を比較試聴することによって、少しでもその個性に近づこうという趣旨で開催した試聴会だったが、その際に掲げたテーマが次の3つだった。

1 SACDとCDの違い

2 DAコンバーターの「dCS」と「ワディア」の違い

3 SPユニット「フィリップス」と「グッドマン」の違い

1については、すでに明らかにしたとおりで、圧倒的な差でSACDに軍配が上がった。ま、今更という話なのでそれほど目新しいことでもないが、弱者の視点から「CDにもいいところがある」と弁護したいものの、これがまったく皆無なのが残念。原理上、0か1かで割り切るデジタルの非情な世界がこんなところにも現れている(笑)。

そういえば・・・。

アナログの世界を例にとるとレコードプレイヤーや真空管アンプなどは安物は安物なりにシンプルなツクリが意外なところで訴える力があったりして、なかなか捨てがたく高級器との対決においても一方が100点、片方が0点という一方的な結着はまずあり得ない。

ところが、これがデジタル機器同士の対決になるといとも簡単に「100対0」が成立してしまう。裁量の余地をまったく残さない。つまり白か黒かで灰色が無い。はたしてこれがいいことなのか、悪いことなのか・・・。

1980年代初頭のCDの登場によって、オーディオの世界が様変わりし、「音質改善の工夫の余地が少なくなってしまい、良い音質を得ようと思えば必然的にお金がかかる。」というあまり好ましくない風潮が蔓延したのもこのせいかもしれない。この時期辺りから若い世代が一斉にオーディオから遠ざかっていったのもむべなるかな~。

アンプによる電気系の増幅、スピーカーによる振動系の変換ももちろん大切だが、その前に位置する音の入り口部分のデジタル系で、ある程度音質が決まってしまうのだからその重要性は計り知れない。

オーディオの中では異質な存在で、カルチャーというよりもサイエンスの色彩がとても濃い。

そして、まったく同じことがデジタル・オーディオを象徴する機器「DAコンバーター」(デジタル信号をアナログ信号に変換する機器:Digital to Analogu Converter:通称DAC → ダック)にも当てはまる。

前置きはこのくらいにして、2番目のテーマであるDAコンバーターの「dCS」と「ワディア」の違いに移ろう。

両者の比較に入る前にまず双方の諸元を明らかにしておくが、
ネットで調べても曖昧模糊の部分があって、おおかたのところで述べると、

まず、dCS「エルガー プラス」について。

イギリス製、1995年前後に登場、当時の定価は250万円前後、CDとSACDの再生が可能

次にワディア「27ixVer.3.0」について、

アメリカ製、1990年前後に登場、当時の定価は155万円前後、CDのみ再生可能

両方の機器ともに、両社のフラッグシップ(旗艦)的な存在だが
ワディアの登場の方がやや早い。当時はデジタルの雄として業界を席巻したものだったが、後発のdCSの登場によって、どなたかのブログによると「dCSの登場によってワディアは奈落の底に叩き落とされた」(笑)とあったが、そもそも当初からお値段が相当違うのでワディアにも同情すべき点がある。

しかし、採算を度外視したフラッグシップモデルの持つテクニカル的なイメージの浸透力はなかなか侮れないものがある。

たとえば、自動車の世界でのベンツとトヨタを例に挙げると、世界販売台数が年間1位のトヨタ、つい最近あのフォルクス・ワーゲンが排ガス規制機器の不正により自らコケてしまったので、ますますその地位を強固にしているが、それにもかかわらずいまだに高級車のイメージではベンツに及ばない。

いい見本がベンツの旗艦車種「マイバッハ エクセレロ」(8億円!)だが、これにはいかにトヨタとはいえ天下の「レクサス」をもってしてもちょっと無理。もちろん伝統の持つ重みも無視できない。

今となってはワディアもdCSに負けじと採算を度外視してフラッグシップモデルにチャレンジすべきだったと思うがもう後の祭り。いまだに技術的に後れを取ったイメージをずっと引き摺っている。


実はここ15年ほどワディアを使ってきて音質に対する不満はいっさい無かったし、とうとう部品の供給が途絶えて「メーカーでは修理不可能」という情報が入ると、恐怖心を覚えて同じ中古をもう1台購入したほどだった。

そして、たまたまオークションで見かけて、はずみで(?)手に入れたのがエルガープラス。我が家にやってきたのはおよそ2週間前の9月18日。

まず、エルガーを聴いてみて音響空間のなかで音が消え入るときの余韻の漂い方に驚いた。以後、テレビ音声を聴くときはワディア、そして本腰を入れてクラシック音楽を聴くときはdCSと勝手に決めつけてしまった。ま、CDトランスポートの「ヴェルディ」もdCSなので純正の組み合わせの利点ももちろんある。

そして、今回の試聴会である。改めて3人による複数の耳での「dCS」と「ワディア」の一騎打ち~。はたして巷間言われるほどの差があるのか。

試聴条件は同じにした。

CDトランスポート「ヴェルディ・ラ・スカラ」(dCS) → DAコンバーター「ワディア」 or 「dCS」 → 「真空管式プリアンプ」(入力2箇所) → 真空管式パワーアンプ「PP5/400」(初期版:英国マツダ)シングル → スピーカー「フィリップス」(口径30センチ、ダブルコーン)

            

プリアンプのセレクタースイッチひとつで両者の比較ができるようにしており、それもSACDではなくCDで比較した。そして2時間ほどかけての試聴結果では・・・。あえて言うまい、いや言いたくない。武士の情けである(笑)。

次に、急いで3番目に移ろう。

SPユニット「フィリップス」と「グッドマン」の違いについて。

フィリップスは口径30センチのフルレンジ・ダブルコーン型、アルニコマグネットで1960年前後の製品。

グッドマンの「AXIOM80」は口径20センチのフルレンジ・ダブルコーン型、1950年代の製品。

いずれもヴィンテージ品といっていいが、試聴結果の結論から言うと、ピアノの響きはフィリップスに軍配が上がり、ヴァイオリンの音色はグッドマンといったところで両者とも実力伯仲、お値段からするとフィリップスの善戦ぶりが目立った。

口径30センチのフルレンジが持つ音の豊かさとバランスの良さはAXIOM80の繊細な音色に十分太刀打ちできると、きっと試聴者は思われたに違いない。

我が家では「AXIOM80」の出番がますます減っていきそう(笑)。

そして、特筆すべきは3日(土)のことだった。近くにお住いのYさんがお見えになったので、ウェストミンスターの箱に入っている「フィリップス」を初めて聴いていただいたところ、Yさんご持参の寺島靖国さん監修のジャズから豊かな低音が出てきたのにはお互いにビックリ。

Yさん曰く、
まさかこの家でこれほどの低音が聴けるとは夢にも思いませんでした。JBLのD130(口径38センチ)の時よりも、質のいい低音が出てますよ!」

SPユニットは振動系の機器だから、容れてやる箱次第で音が激変するのは当たり前の話だが、これほどとは思わなかった。やはりシステムの調整にはジャズの最新録音も必須だとの思いを強くした。

「これで我が家の音は決まり!」といきたいところだが、いったん電気回路を通った音が原音そのままということはまずありえない。どこかに歪があるはず。

所詮は、せいぜい「うまく騙して欲しい」という錯覚の世界なので、結局、これからも「狐と狸の化かし合い」が果てしなく続いていくことだろう~(笑)。
 


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胃もたれ

2015年10月04日 | 復刻シリーズ

昨日(3日)の早朝、恒例の朝の準備体操を終えてパソコンを開きブログの過去記事ランキングをチェックしたところ「胃もたれ」と題したおよそ5年前の記事がいきなり上位にランクされていた。

その理由がサッパリ分からないが、かなりのヒット数なのでどこかに共感を呼ぶものがあったのだろう。憶測だが、夏の無理がたたって、今ごろになって「胃もたれ」の方が多くなったのかもしれない(笑)。


それはともかく、これまで通算すると、1400件ほどの記事を掲載してきており内容の方はすっかり忘却の彼方なので再読してみると、現在でも通用する中身みたいなので再掲してみよう。

先日の記事「AXIOM80愛好家の集い~第5回~」(2015.9.29)での積み残しの話題があることは十分承知だが、現在鋭意作成中なのでしばしお待ちを~(笑)。

それでは「胃もたれ」について。

このブログを開設しておよそ3年半になるが、段々コツが分かってきてなるべく記事の話題を片寄らないように、そして同じ話が
連続しないように分散して投稿するようにしている。

これまでの記事のアクセス結果から推し測ると一番評判が悪いのが「オーディオ関連」の記事。

やや専門的すぎて敬遠されているみたいで、娘に言わせると専門用語が沢山出てきて「何のことかサッパリ分からない」し、”ウーファー”と言いながら一人で笑い転げている。

ところが、「分かっちゃいるけど、止(や)められない」と、ここ最近オーディオ関連の記事が何と連続5回という”しつこさ”。

それだけ、アタマの中がオーディオのことで一杯になっていたというワケで、やっぱりあの「片チャンネル・ウーファー4発」にしたのが利いている。

それはさておき、今回は久しぶりに別の話題に。

1月中旬ぐらいからどうも胃の調子がおかしくなった。なかなか治らないので、食生活の見直しをすることにし、まず朝食後にいつも服用している各種のサプリメントを中止、次に大好きな晩酌を控えたところ、2日後ぐらいから胃がスット軽くなった。

「やはり、その辺に原因があったか」とようやく突き止めた感じでひと安心。

2月中旬頃に復調したので安心して、せめてアルコールぐらいは復活させてもらおうと、運動ジムから帰って、夕食までのひととき、空きっ腹に「マッカランの12年」をストレートでちびり、ちびりやっていたところ、またもや症状がぶり返してきて毎食後にゲップ症状が出て”胃もたれ”が始まった。それも朝食後が著しい。

そのうち治るだろうと高をくくっていたがなかなかどうしてで、症状が軽くなるどころか益々重苦しくなっていく。

「国民の二人に一人がガンになる時代」と、散々聞かされているので年齢も年齢だし内心、心配になってきた。しかし、まあ、ガンだとしても胃ガンの場合は早期発見で手術すれば大半が直る時代なので恐るるに足らず。

それでも、ようやく重い腰を上げて4月1日(木)に近くの胃腸科専門の評判のいい個人病院に行ってみた。

その日の朝、愛用のスピーカーの上にカミさんが「お神酒と塩と水と米」をお盆に載せていて「それを拝んでいけ」と”しつこく”言う。気楽に音楽が聴けるのも今日が最後かと神妙に「どうかガンでありませんように~」。

さて、人間ドックの場合、ずっと前から予約を入れておかねばならないが、個人病院の場合は即日、胃カメラが可能かもと朝食を採らずに出かけたがこれが正解。

キビキビしたいかにも”やり手”のお医者さんから腹部超音波を診てもらい「どこも異常ありません」のあとで早速胃カメラへ。

麻酔のせいでカメラを胃の中に挿入されたのをまったく覚えていないほどで楽だった。麻酔後のアタマがボンヤリした中、30分ほどで診察室に招き入れられて所見結果の宣告。

「先生、ガンではないでしょうね?」と、開口一番。「違います。が、ホラ見てごらんなさい、胃が荒れてところどころ出血してます。胃の入り口部分から上部にかけてがひどいですね。ここなんかはもう胃潰瘍になりかけですよ。ピロリ菌はいないようです。」

へえ~、これが自分の胃の状態かと恐ろしくなるほど。

「何かストレスがあるんですか」と、先生。

「いいえ、もう現役を退いて趣味三昧の生活ですからストレスなんてまったく縁がありません。(93歳になる母親がショート・ステイに行くのを見送るときに哀しくなるくらいのもの)。ただどうも、以前、黒酢などのサプリメントを服用してたのがきっかけになったみたいです。」

「黒酢で胃を悪くされる方は非常に多いですよ。この病院でもしょっちゅう患者さんがみえられます」。

ずっと以前、九大医学部の研究で「黒酢を飲むとガンに罹りにくい」という記事をみかけたことがあり、つい”つられて”乗ってしまったのだが、どうやら個人ごとに体質があるようだ。

「先生、”黒にんにく”も食後に服用してるんですが止めたほうがいいでしょうかね」

「そうですね、胃が治るまでは止めたほうがいいでしょう。4週間は見ておいたほうがいいです。最後に念のため採血して血糖値、コレステロ-ルの値も調べておきましょう」。

「にんにく」「黒酢」といえばガン予防食品として横綱クラスだが、個人の体質もあろうが胃には良くないみたいで、やはりいいことづくめというわけにはいかない両刃の剣だ。

結局、「胃酸を抑える」「胃の粘膜を保護する」という二種類の薬をくれたのでその日から真面目に服用したところ、随分と胃が軽くなってきた。

今回ばかりは、10年来の常備薬「ソルマックS」も利かなかったのが残念!

ところで、面白いと思ったのが「今回の会計」。診察費と薬代合わせて1万円程度だったが、これが人間ドックだといつも5万円ほど支払うので随分と落差がある。

人間ドックといっても思い当たるのは今回の診察内容にレントゲンと心電図の検査を付け加えたぐらいのものなのでどうも腑に落ちない。

帰宅してカミサンに言うと、「今ごろ分かったの~、人間ドックは保険が利かないのでバカらしいのよ」。

フ~ン、そういうことか。

大きな病院に行って、何時間も待たされて診察はたったの5分程度よりも、腕のいい個人病院で診てもらうほうが時間短縮にもなると分かったのは大きな収穫。

とまあ、以上のとおり。

現在の胃の調子だが、「黒酢」の方は完全に廃止しており、「黒にんにく」の方は家内が自宅の電気釜で作っているので気が向いたときに口に入れる程度。晩酌の方はウィスキーや“いも焼酎”は止めて缶ビール1本だけにしているせいか、どうにか現状維持を保っている。

それから、当時はオーディオの記事がまことに評判が悪かったというのが面白い。今では隔世の感があってオーディオ以外の記事の方が逆に人気が無くてアクセス数がガクンと落ちる。

つい最近、運動ジムでお会いしたブログランキング協力者のNさんによると、「私もオーディオの記事ばかりではちょっと面白くないですね」とおっしゃるので、こういう顔の見える読者も大切にしたいし、これからも適度に記事を散りばめていくことにしよう(笑)。


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「音と音の間に横たわる沈黙」を聴く

2015年10月01日 | 音楽談義

一昨日(29日)の午後、運動ジムからの帰途のことだった。翌月のTVガイド(月刊番組表)を購入しようと本屋に立ち寄ったところさりげなく店内に流れていたBGMがモーツァルトのピアノソナタだった。

「ああ、いいなあ!」と、思わずウットリして立ち尽くしてしまった。

このところまったくご無沙汰だったピアノソナタ(全20曲)だが、「一生の間、間断なく固執して作曲したジャンルに作曲家の本質が顕現している。モーツァルトのピアノソナタは湧き出る欲求の赴くままに、何らの報酬の当てもなく作られた故か不思議な光芒を放って深夜の空に浮かんでいる」(石堂淑朗氏)のとおり、モーツァルトの作品の中では非常に地味な存在だが聴けば聴くほどにモーツァルトの素顔が顕わになる音楽であり、一度はまってしまうと病み付きになる音楽でもある(笑)。

急いで自宅に戻ると関連のCDを引っ張り出した。

      

感受性が豊かだった30~40代の頃はたびたび感涙に咽んだものだが、この年齢になるとスレッカラシになってしまい涙の一滴も出てこないが、それでもやはり相性がいいのだろうか、相変わらず琴線に強く触れるものがある。

一昨日から昨日にかけて当時一番耽溺したグールドに始まって、ピリス、内田光子、アラウ、ギーゼキング、シフと聴いてみたがこの年齢になると自然体の演奏が一番ピッタリくるが、その点グールドはあまりに個性が際立っていてちょっと押しつけがましい気がする。

その一方、ピリスはまことに中庸を得ていて、気取ったところが無く何よりも「音楽心」があってたいへん好ましい。年齢に応じて好みの演奏家も変わるのだろう。

「音楽は普段の生活の中で味わうものです。何も着飾ってコンサートに行く必要はありません。」が、彼女のモットーだが、この演奏も等身大そのままの音楽を聴かせてくれる。

このソナタを久しぶりに堪能させてもらったおかげで、このところオーディオに傾いていたマインドが振り子のように音楽に戻っていったのはメデタシ、メデタシ。これが「音楽とオーディオ」の本来のあるべき姿なんだから(笑)。

そして、ふとこの「音楽の押しつけがましさ」で連想したのがつい最近読んだ「生きている。ただそれだけでありがたい。」(新井 満著:1988年芥川賞)
の中の一節。

                     

この中でなかなか興味深いことが書いてあった。(61頁)

著者が娘に対して「自分のお葬式の時にはサティのグノシェンヌ第5番をBGMでかけてくれ」と依頼しながらこう続く。

「それにしても、何故私はサティなんかを好きになってしまったのか。サティの作品はどれも似たような曲調だし、盛り上がりにも欠けている。淡々と始まり、淡々と終わり、魂を震わすような感動がない。バッハやマーラーを聴く時とは大違いだ。

だが、心地よい。限りなく心地よい。その心地よさの原因はサティが声高に聴け!と叫ばない音楽表現をしているせいだろう。サティの作品には驚くほど音符が少ない。スカスカだ。音を聴くというよりはむしろ、音と音の間に横たわる沈黙を聴かされているようでもある。

沈黙とは譜面上、空白として表される。つまり白い音楽だ。サティを聴くということは、白い静寂と沈黙の音楽に身をまかせて、時空の海をゆらりゆらりと漂い流れてゆくということ。

毎晩疲れ果てて帰宅し、ステレオの再生ボタンを押す。サティが流れてくる。昼間の喧騒を消しゴムで拭き消すように。静寂の空気があたりに満ちる。この白い壁の中には誰も侵入することができない。白い壁の中でたゆたう白い音楽。」

以上、これこそプロの作家が音楽について語る、まるでお手本のような筆致の文章で、自分のような素人がとても及ぶところではない(苦笑)。

サティの押しつけがましさのない音楽の素晴らしさが充分に伝わってくる文章だが、実は、文中にある「音と音の間に横たわる沈黙」については思い当たる節がある。

以前、クラシック音楽の大先達だった五味康祐さんが生涯に亘って愛好された曲目をベスト10として掲げてあるのをネットで拝見したが、第1位の「魔笛」に続いて第2位にランクされていたのがオペラ「ペレアスとメリザンド」(ドビュッシー)。

五味さんほどの方が愛好される音楽だからさっそく聴いてみようと指揮者の違うCDを2セット購入して聴いたところ、これがサッパリだった。

           

気の遠くなるような長い静寂の中を登場人物がぼそぼそと囁くようにつぶやく、まことに冴えないオペラで、メロディらしいものもなく盛り上がりにももちろん欠ける。五味さんほどの方がこんな曲の何処が気に入ったんだろうと正直言ってガッカリした。

しかし、今となってみるとこれはサティの音楽とそっくりで、五味さんはもしかすると「音と音の間の沈黙」を聴いていたのかもしれないと思えてきた。いや、きっとそうに違いない。

この沈黙を聴きとるためには、聴く側にも心の準備として自己の内面と向き合う「静謐感」が必要であることは、クラシック音楽ファンならきっと思い当たるに違いない。

「音楽とオーディオは音と音の間に横たわる沈黙を聴きとることで昇華できる」なんてことを偉そうに書くと、すぐに馬脚が現れそうなのでこの辺でお終いにしておこう(笑)。 


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