「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

ケイト・テンペスト

2023年08月31日 | ウマさん便り

「ウマさん」(南スコットランド在住)からのお便りです。

「ケイト・テンペスト」
 

ラップミュージックって知ってるよね?

音楽に乗せて、速射砲みたいに詩やメッセージを歌う(語る?)んやけど、それ自身にメロディーはほとんどない。アメリカで生まれた音楽の一つのジャンルやと思うけど、この手の音楽、僕は苦手で、とんと興味はない。なぜか?

そもそも、言ってる内容がわからないと聴いてる意味がないからや。自分の奥さんのしゃべる英語がわからなくて聞き返すことは毎日のことです。そんな僕が、ラップミュージシャンの語る早口の英語がわからんのは当たり前や。

ほんでな、普通、音楽ってさあ、メロディ、リズム、そしてハーモニー、この三つの要素があってこそ音楽じゃないの?だから、歌詞にメロディーが付かないラップミュージックって音楽やろか?とも思う。 

ところがね、そんな考えを根底から覆したのが、ケイト・テンペストなんです。2015年6月、世界最大の音楽祭、グラストンベリーフェスティバルで、数万人の前で演奏する長女のくれあをBBCの実況中継で観た。

その時、くれあのすぐ前で歌って(?)いたのが、英国、いや、世界的にも珍しい女性のラップミュージシャン、ケイト・テンペストだったんです。

テレビカメラが映す観客・聴衆の様子を見て僕はびっくりした。中高年が圧倒的に多いその広い会場で、なんと泣いてる人が少なからずいるんや。

僕にはケイトの歌ってる(語ってる)言葉の意味はわからない。でも、その内容が、聴衆の胸に響いている、いや、迫っている事実は十分理解出来た。 

ラップミュージックというのは、韻を多く含んだ歌詞を、音楽、特にリズムに乗せて語る、ま、ダンス用ミュージックやろと思ってた僕に衝撃を与えたのがケイト・テンペストだったのね。

BBCのその映像を観てて、もちろん彼女が語る内容は理解出来なかったけど、僕は思った。この人、ラップミュージシャンとちゃう、詩人、いや、メッセンジャーや! 彼女の語る言葉に涙を流す聴衆は、間違いなく彼女のメッセージに心打たれているんやとも思った。
 

ラップミュージックは音楽とは言いにくいと云った僕やけど、数万人の聴衆を惹きつけ、さらに涙を流させるケイト・テンペストは普通じゃない。さらに、こんなミュージシャンって、そうそういるもんじゃないと、ある種の感銘さえ覚えた。ステージで彼女が語る(歌う?)その意味がほとんどわからないにもかかわらずですよ… 

その後、ケイトと頻繁にワールドツアーに出たくれあが、彼女の価値を述べたことがあった…

「おとーちゃんな、本を丸一冊暗記してそれを朗読出来る人っておるか?ケイトはな、それに近いことをやってるんや。彼女が自分で書いた長い詩やメッセージは、社会、政治、経済、歴史、文化、恋愛、戦争、性、貧困、あらゆるテーマを含んでる。  

それらを30分40分、ときには1時間近くぶっ続けで語るんや、いっさいメモを見ずにやで。わたし、毎回、彼女の後ろで伴奏してて、この人天才ちゃうかと思うねん」 

詩人?ケイトが初めて書いた小説は、出版社の間で取り合いになり、結局、出版社間で入札したそうや。これ、前代未聞とちゃうか?そして、その小説は、英国最高の文学賞にノミネートされた。

とにかく言えることは、ケイト・テンペストは才女、いや、超才女だと云うことですね。さらに、ケイト・テンペストのCDは、毎年、英国で発売されるベスト50に必ず入ってるそうです。
 

いつだったか、ケイトがグラスゴーで公演したとき、僕やキャロラインを招待してくれた。開演前、会場のコーヒーショップでくつろいでいたとき、なんと、ケイトがわざわざ僕らのテーブルに来て挨拶したんや。これにはびっくりした。普通、スーパースターはそんなことせえへんやろ。その時、ケイトは僕の寿司の差し入れに、めっちゃ感激してくれた。

その後、縁があったんやろか、今や、世界的なカリスマメッセンジャーと言えるケイト・テンペスト、そんな彼女がアラントンを訪ねてくれた。もちろん、ウマは、お寿司を作りましたで。細巻きで書いた彼女のキャッチフレーズ「LOVE MORE」を見た彼女、もう目を丸くして、なんとウマにビッグハグやった。

この人は、間違いなく英国社会、いや、そのほか多くの国で、少なからず影響を与えていると思う。その証拠に、彼女が何か政治的発言をすると、必ずメディアが取り上げる。 

2019年のグラストンベリー音楽祭で、ケイトはくれあだけの伴奏でパフォーマンスした。というのは、それに先立つヨーロッパツアーで、くれあだけの伴奏が、より自分を表現出来ると判断したようなんです。

で、今回のBBCの実況中継、巨大なメインステージは、ケイトとくれあだけだった。だから、くれあのアップが頻繁に出てきたんで、親としては嬉しかったですね。 

そして、ケイトが大観衆に向かって「クレア・ウチマー!」と紹介した瞬間、大歓声が上がった。で、ウマはテレビ画面の観客に向かって叫んでしまった。

「クレア・ウチマのおとーちゃんはここにおるでぇー!」

いかんいかん、やっぱりミーハーおやじでござるなあ。反省自省…

BBC実況中継2019年グラストンベリーフェスティバル、くれあとケイト


ウマのお寿司「LOVE MORE」に大喜びのケイト



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「(笑)」でこの笑いは伝わるか

2023年08月30日 | 読書コーナー

読者はすでにお気付きのようにこのブログは時々文章の終わりなどを(笑)で締めくくっている。

たとえば、前回のブログでは、

「いまさらタンノイなんて・・」という気もするが、そこはそれ、破格的な安いお値段だったらと、少し食指をそそられたのも事実(笑)。

といった調子。

なぜ「(笑)」を付けるのかと、訊ねられたとしたら「音楽やオーディオなどの記事はとかくシリアスな内容になりがちなので、その雰囲気を少しでも和らげたいため」と答えるしかないが、はたしてその意図はちゃんと読者に
伝わっているのかな・・。

たとえば「己の卑しさ、醜さ」を「(笑)」でごまかしているんじゃないかと勘繰られたりして‥(笑)。

折しも、格好の本があった。



本書の「297頁」に「(笑)でこの笑いは伝わるのか」(武田砂鉄)というエッセイがあった
ので、そっくり引用させてもらおう。


「インタビューをしたり逆にインタビューを受けたりする仕事なので、とにかく繰り返しインタビュー原稿のチェックをしている。

自分が参加しているわけではない対談やインタビューを読むと「この人たち、とってもスムーズに会話をしているな」と感心するのだが、実際にスムーズだった場合とそうではない場合があるはずで、おおよその「スムーズ」は編集作業によって作り出されている。

たとえばこんな発言があったりする。

「いや、だから、そうですね、その社会の今っていうのは、正直なところ、ちょっとあんまり良い方向に向かっていないってところっていうか、でもそれが、どこからきてどこに向かっているのかが、あんまりよく見えない、ってところはあるという風な感じじゃないですか」

話が下手くそな人だと感じるかもしれないが、人が誰かに向かって話す様子を正確に文字起こししてみると、これくらいのものである。

でも掲載されるときには、

「今、この社会を見渡していると、正直、あまり良い方向には向かっていないですよね。そして、どこから来て、どこへ向かっていくのかさえ見えない、これが不気味なのです」

などとスムーズに読める文章になる。こういう作業が繰り返され、掲載される原稿が出来上がっていくのだ。

<感情表現は繊細>

いまだに慣れないのが「(笑)」の扱いで、送られてきた原稿に入っていても、自分がまとめる原稿に入れても「果たしてここに「笑」を入れていいのだろうか」と悩む。

この(笑)に基準はない。その場でこれくらいの笑い声がしたから入れる、これくらいでは入れるべきではない、なんてものはない。

どんなにささいなことでもニコニコ笑ってくれる人がいれば、仏頂面で淡々としゃべり、そんな人が少しだけ歯を出してニコリとする場合もある。

後者のニコリのほうが貴重なのだが、その笑いを「そんなことないですよ(笑)」などと表現すると、あたかもそこだけ興奮しながら面白がったように読まれてしまう。

対談やインタビューの盛り上がりを伝えたい気持ちはあるので、どこかに「(笑)」を入れたくはなる。「ワッハッハ」や「アハハハハ」と、具体的な笑い方が伝わるように表記されている場合もあるが、こうなると今度は緊張感が崩れる気がして、あまり好きではない。

インタビュー原稿をまとめながらそもそも笑うってなんだろうと考え始める。大笑い、高笑い、愛想笑い、苦笑い、含み笑い、薄ら笑い・・・、笑いにはいくつもの種類があるが、目の前で起きた笑いがどれに該当するかは、明確にわかるわけではない。

とっても楽しそうに笑っているつもりでも、相手からは含み笑いだと思われたり、相手の大笑いを愛想笑いと受け止めていたりする可能性もある。~中略~

新聞にしろ、雑誌にしろ、記事に「(笑)」とあると、これはどういう意味合いなのだろうかと考え込む。

特に意味はなく、ただただ大きな声で笑ったのかもしれないが、ではその場で起きていたすべての笑いが表記されているかといえばそんなことはないはずなので、その「(笑)」は恣意的に選び抜かれている。ならば、その意図とは何だろうと考え込む。そんなの健全な読み方ではない。


<雰囲気表すには>

インターネットの記事や動画配信の場合、そのインタビューや対談の全編を確認できる場合も多い。それはそれでうれしいのだけれど、限られたスペースに詰め込むようにまとめ上げた記事を読むのが好きだ。

その日の話の要素が凝縮されていて、長い話をコンパクトにまとめた苦労を想像する。「(笑)」のような装飾も最低限で、二人が心地よく話し合っているのが伝わってくる。

削ぎ落しながらスリムなボディーを作り上げる、そんなインタビューや対談を読みたい。そういう記事には「(笑)」が多用されていない、というのが自分なりの調査結果である。

コレ、誰かにわかってもらえるだろうか。誰も分かってくれなかったりして(笑)。

とまあ、以上のような内容でした。

どうやら総じて「(笑)」には否定的のようだと受け止められますね。

たしかに「感情表現は繊細」なので、このブログにおいてもなかには「(笑)」はどういう意味なんだろうと考え込む方がいらっしゃるかもしれません。

でも、けっして他意はなく冒頭に述べたように「和やかな雰囲気を醸し出す」ためだけのものですからね・・、念のため申し添えておきます(笑)。



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オークション情報~大量のタンノイのユニット~

2023年08月29日 | オークション情報

英国のスピーカーの名門「タンノイ」については今でもいろんな思いが複雑に絡み合っている。

なぜかといえば・・、

何しろ今から50年以上前の話になるが、青春時代に傾倒していた「五味康佑」(作家)さんのご推奨のスピーカーだったし、当時の乏しい小遣いをやりくりして初めて購入した思い出のスピーカーだったのでね~。

「ⅢLZ・イン・オリジナル・キャビネット」 → 「インパルス15」 → 「ウェストミンスター」と遍歴を重ねてきたが、途中から自分の求めている音ではないように思えてきてアッサリ「AXIOM80」など現在の方向へ舵を切ったが、はたしてその見切りが正しかったのかどうか・・。

まあ、オーディオは簡単に割り切れないことばかりですから、その一環ですけどね~(笑)。

そういうタンノイのユニットが先日のオークションで大量に放出されていたので、気づかれた方も多かったに違いない。



タンノイの「ゴールド」タイプがまとめて「7ペア」も出品されていたのだから誰もが驚く。こういうことはきわめて珍しい。

内訳は「口径25cm(10インチ)」が1ペア、「口径30cm(12インチ)」が3ペア、「口径38cm(15インチ)」が3ペアといった具合。

「いまさらタンノイなんて・・」という気もするが、そこはそれ、破格的な安いお値段だったらと、少し食指をそそられたのも事実(笑)。

ちなみに、タンノイの歴史と伝統はユニットの変遷に象徴される。

マグネットのカバーの色によって「ブラック」 → 「シルバー」 → 「レッド」 → 「ゴールド」 → 「HPD」・・となっており、音質の方は古ければ古いほど上質とされ、市場価値も見事に比例している。

ブラックは希少品で市場にはほとんど出回っていないと聞くが、今回は「ゴールド」だから飛びつくほどではないかな・・。

ちなみに前述した「五味さん」が愛用されていた「オートグラフ」には15インチの「レッド」が入っていた。

興味の対象はいったいどれくらいの価格で落札されるんだろう?

注目の落札日は「26日」(土)の夜だった。

もったいぶらずに、結果を明かすと、口径25cmが「75千円」、同30cmが平均で「9万円」前後、同38cmが「18万円」前後だった。

これが「レッド」タイプなら軽く2倍以上はいくことだろうが、それにしても通常のユニットと比べるといいお値段である・・。

「タンノイ人気いまだ衰えじ」の感を強くした。

そういえば4年ほど前にこのブログの読者(タンノイ愛好家)からメールをいただいたことを想い出した。

以下、再掲してみよう。当時、このブログに搭載することはご了解を得ているので再度ということで無断掲載をお許し願いたい。

「タンノイは、ボワンボワン・キーキーという定説的な評価がありますが(これがお好きな方もいますが)、私は決してこれがタンノイの真実ではないと思います。

私自身は、Hpd385A、モニターゴールド15を通じて16年間タンノイと格闘(笑)していますが、そういった縁で個人宅で様々なタンノイを聴かせていただく機会に恵まれました 。

どのお宅のいずれも、定説的な音で鳴っているところはなく、タンノイの使いこなしについて様々なご教示を頂くことが出来ました。

アンプやケーブルの選択に気を使われていることはもちろんなんですが、ある法則があることに気が付きました。

① モノラルパワーアンプを使用している。

② 機材は、スピーカーの間に置かない。

③ spは、mm単位で調整

④ タンノイ以外のスピーカーは置かない。

私がここまでタンノイへの興味が尽きないのは、十数年前に聞かせていただいた定説的な音とは真逆のタンノイを聴いてしまったからなんです。

部屋いっぱいに展開するオーケストラ、立体的な音像、風のように静かに流れて来る低弦楽器、これが本当のタンノイと知ったゆえなんです。

 〇〇さんにも、本当のタンノイの音を知って欲しい。そうすればもう「タンノイさん」なんて揶揄するような言い方をしなくなるんじゃないかと(笑)。

 機会があれば、拙宅の音もぜひ聴きにいらしてください。ヒントは惜しみなく公開しますので(笑)。」

これに対して、以下のとおり返信した。

うまくタンノイを鳴らそうとたいへんご熱心に取り組んでおられることにまず敬意を表します。16年もの年月をかけたタンノイの音はきっと「いい音」なんでしょうね。およそ想像がつきます。

そして、具体的に4点のご指摘がありましたが、すべて我が家のシステムの状況とは真逆ですね!

しかし、まことにごもっともなご指摘だと思いますよ(笑)。

ただ、オーディオに関する論議の場合、こればかりは実際にお互いの音を聴き合ってこそ「成る程、あなたのご意見の趣旨はよくわかりました」となるのが普通なので、このままでは「闇夜の鉄砲撃ち」みたいな感じになってしまう懸念が大いにありますね。

このことを念頭に置いて話を進めましょう。

  

これは五味康祐さんが使っておられたタンノイ「オートグラフ」(モニターレッド入り)の復元です。わざわざイギリスから直輸入されたもので生粋のオリジナルです。

はたして箱がオリジナルかどうか、これはタンノイを評価するうえで大きな要素だと思っています。(日本国内にはティアック製などが蔓延してますからね)


実は、これまでオートグラフを主体に幾多のお宅の「タンノイ」を聴かせていただきましたが、オーケストラはたしかにいい線をいっているけれど・・、総じて「ボーカル」「ヴァイオリン独奏」「金管楽器の咆哮」にやや物足りなさが残ったのは残念です。ジャズはもちろん論外でした。

こういう先入観を払拭するためにも、ぜひ「I」さん宅の「ほんとうのタンノイの音」を聴いてみたいというのがホンネですが、何しろ距離が遠すぎて・・・(笑)。

というものだったが、やはり現時点においてもタンノイはどんなにうまく鳴らそうといえども自分に言わせると望遠鏡みたいな感じの音という印象がぬぐえないのが偽らざるホンネ。

「AXIOM80」のような緻密で顕微鏡的なサウンドはどう転んでも無理なので長く付き合うのは無理ですたい・・、おっと、とうとう九州弁が・・(笑)。

「夕焼け小焼けの赤とんぼ・・・、とまっているよ竿の先 」



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「音楽&オーディオ」に「現(うつつ)を抜かす」のは幸せの証明みたいなもの

2023年08月28日 | 音楽談義

習慣というものは恐ろしい。夏の時期はあまり「本」を読む気がしないのだが、それでも定期的な図書館通いは止められない。

もしかして、暑さを吹き飛ばすような面白い本に出くわすかもしれないという期待感に背中を押されてのことだが、ピッタリだったのが「世界の中の”日本の順位”がわかる本~すごい日本、ダメな日本が一目瞭然~」。

                   

表紙の裏に次のようなことが書いてあった。

「国別ランキングほど面白い知識はない。日本が世界で“第何位”かというシンプルな情報から、「日本と日本人の本当の姿」 「各ジャンルの意外なトップ国」 「世の中にある大きな動き」まで手に取るようにわかるからだ。雑学知識を楽しみながら、教養を高め、話材も増える本!」

そして、「はじめに」の部分では本書の楽しみ方が述べてある。

1 ちょっとした発見を楽しむ

「日本は島国だから国土は狭い」 「日本人は勤勉で仕事をする時間も長い。教育にも熱心だ」と思っている人は多いだろう。だがランキングを見ていると、それとは違ったおもしろ情報が見つかる。

「国土の広さは世界の上位3分の1にランクインするし、海の広さは世界第6位」 「日本は世界6位の軍事大国」であり、「日本人の働く時間は長くはない」し、「日本は教育熱心な国とはいえない」。驚かれたかもしれないが、外国と比べると「日本の凄い一面・ダメな部分」「日本人の素顔」が浮き彫りになるのだ。

2 日本が抱える課題も浮き彫りになる

「家族を一番に考える人が少ない」「男女の平等度は先進国では最低レベル」「国の借金は危険水域」・・・・図解を見るだけでも数字で具体的に理解できる。

3 逆に日本人が当たり前だと思っていることが、世界では称賛の的になっている例も少なくない。

「時間に正確」「他人に親切」「公共料金はきちんと払う」「世界中のグルメが楽しめる」・・・・。そうした国は実は珍しいことが分かり、日本人として誇りに思える部分を再認識できるのだ。


前置きが長くなったが、本書にザット目を通してみると基礎データとしての「人口」「国土」「経済」「健康・体」を皮切りに、93項目の多岐にわたって世界における日本の順位が記してあった。

1章「日本の技術力が分かる!」 2章「日本の文化・教養」 3章「日本人の健康度」 4章「日本人の頭の中がわかる」 5章「日本の政治問題」 6章「日本の3年後の経済を占う」 7章「世界が評価する“日本と日本人の魅力とは”」

まあ、全体的に日本は好ましい項目群で上位に位置していることが分かって、愛国心をくすぐられることは間違いない。しかも第1章にわざわざ世界に誇れる「日本の技術力」を持ってくるところなんか、なかなか気がきいている。

もう一つ、第2章の中の「音楽売上」の項目にも注目。何と、「全世界の売り上げの4分の1を占める!」というのだ。

ちなみに、2021年における音楽市場規模の国別ランキング(ネットから引用)では、

1位アメリカ 2位日本 3位イギリス 4位ドイツ 5位フランス ・・


欧米の先進国がズラリと顔を並べている中で何と日本は2位ですよ!

どうやら音楽を楽しむには政治的な安定、経済的な“ゆとり”、そしてある程度の知的な環境が必要なのかもしれないですね。


中国は現在GDP世界第2位だが一人当たりにするとおそらく下位に転落するだろうから問題外だし、ロシアが圏外なのも納得がいく。

これまで幾多の名作曲家・演奏家を輩出し、音楽の歴史と伝統に深く彩られた国だけど・・、この国は指導者や政治体制がイマイチですからね(笑)。


さて、「国の豊かさ=音楽好きが多い」を敷衍(ふえん)して、今度は個々人に具体的に当てはめてみるとしよう。

つまり「音楽を楽しむ人はお金持ちなのか?」

残念なことに自分のような例もあるので、これは完全に当てはまらないが(笑)、知人や「よそ様」のブログなど知っている範囲で見回すと音楽愛好家はいずれもそれなりの余裕のある方々ばかり。

「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが、
ある程度の「資産」のゆとり → 「時間」のゆとり → 「心」のゆとり(静謐感も含めて)がないと、音楽(クラシック)を心から楽しめないのかもしれませんね。

それと、忘れてはいけない大切なものが「健康」で、心身の不調や睡眠不足だと、もう音楽やオーディオどころではないですよね。

結局「音楽&オーディオ」に「現(うつつ)を抜かす」のは幸せの証明みたいなものかもしれませんよ~(笑)。


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優柔不断のオーディオ顛末記

2023年08月27日 | オーディオ談義

何度も書くようだが、このところの音楽ソースは「You Tube」のせいで「ボーカル」主体へ移っている。


スピーカーも自然とそれに応じて「小口径」のものへ~。

で、前々回のブログ「味覚と聴覚の共通点」でご紹介したのは小型の「PL100」(英国:モニターオーディオ)だった。

すると、「もう一つ、おいらを忘れちゃいませんか・・」と、声高に主張してくるのが、これまた小振りの「口径20cm+175ドライバー」だ。これもボーカル再生の有資格者だ。



このブルーの箱に当初入っていたのは「LE8T」(JBL)だったが、どうしてもうまく鳴らせなくて・・。

そこで紆余曲折を経てウーファー専用のユニットを容れて「2ウェイ方式」にしたところ、ツィーターが使えるようになって当初の目的通り高音域方向へのレンジの拡大ができた。

で、オークションで調達したこの口径20cmの国産のユニット(東芝)だが、お値段は何と「2000円」で「送料」と「どっこいどっこい」だったのだから驚く。

いまどき、「2000円」で何が買えます・・、
サントリーの角瓶くらいかな~(笑)。

マグネットは「アルニコ」だし新品なのにこの値段・・、需要と供給の関係でいえば、ユニットだけ買って箱に容れるという比較的簡単な「自作派」でも、圧倒的な少数派になったせいだろうが、自分にとってはたいへんありがたいこと。

「ウーファー」専用だと、必要悪である「コイル」を使わなくて済むのも大助かり、で「175ドライバー」だけをコンデンンサーで「2000ヘルツ」でローカットしている。

で、肝心の音質となると・・。



オーディオは単独の評価となるとあまりにも主観的になり過ぎるので「聴き比べ」によってはじめて個性の差が露わになる・・、で「PL100」と比較してみよう。

すると英国系の音とアメリカ系の音の差が見事に浮き出てきた。

「PL100」は、たとえば問いかけると内部でいったん咀嚼し一呼吸おいてから回答が返ってくる感じ。いわば思慮深いというのだろうか・・。

その一方「175ドライバー」は、口径20cmのスピード感とピッタリでバランスがとてもいい。切れ味鋭く即座に回答が返ってくる感じ・・。

はたして、どちらが好ましいんだろう。

オーディオの場合は客観的な価値観と主観的な価値観がどうしても混在してくる。たとえば「いい音とは思うけど嫌いな音なんだよなあ・・」といった具合で、どちらかといえば個人的な嗜好が優先される傾向にある。

そこが、「しゃくし定規」にいかないオーディオの面白いところなのかもしれない。

で、そういう状況の中で一律に御するものといえば「原音に近いかどうか」の尺度だろう。

今回の場合は「原音」に近いのは「175ドライバー」のような気がしているが、「PL100」の方が気持ちに寄り添ってくれるのもたしかである。

どちらを選択するか、こればかりは個人ごとに「オーディオに何を求めるか」で違ってきますね。

まあ、別に優劣を決める必要もないし、その日の気分次第で使おうかなと、思っていたところ「待てよ・・、175を075ツィーターに代えてみたらどうなんだろう、075はたしか3000ヘルツあたりから使えるしなあ・・」

ものの5分程度で入れ替え完了。



わくわくハラハラしながら耳を澄まして聴くと、高域方向へのレンジが果てしなく伸びていく感じで、まるで澄み切った秋の青空みたいな爽快感に満たされた。

もう、これで「決まりだね」といきたいところだが、2~3日聴いてみてから判断するのも遅くはあるまい(笑)。

相変わらず「二転三転する我が家のオーディオ」である。

言い換えると「優柔不断のオーディオ」とでも言えるかな(笑)。



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NHKが悩む日本語~読書コーナー~

2023年08月26日 | 読書コーナー

前回のブログのタイトルはご存じのとおり「欠かせない視覚的な誘因」だったが、投稿した後で気づいた。

失敗った、もしかして「誘因」は「誘引」ではなかったかな・・。

広辞苑では「誘引=さそいいれること。いざなうこと」とあり、「誘因=ある作用を引き起こす原因」とある。

今回のケースでは明らかに「誘引」の方が正解ですね。こういうときは、素知らぬ顔をしてそっと訂正しているのだが、それがタイトルの中の言葉となると、ちょっと目立ち過ぎるかなあ・・(笑)。

というわけで、あつかましく「誘因」で押し通すことにした。

「第一次変換」で出てきた言葉を違和感を持たないまま使った「怠慢」だと謗(そし)られても仕方がない・・、ことほど左様に「日本語」は「同名異議語」があるので難しい。



今年(2023年)の4月刊行だから、比較的ほやほやの新しい本である。

84頁にこういう「小節」があった。

質問:「気になるにおい」という場合の ”におい” の漢字は?

答え:嗅覚で感じられる ”におい” の場合、よいにおいは「匂い」、不快なにおいは「臭い」と書きます。

しかし、”におい” は人によって快・不快の感じ方が異なったり、どちらとも判断できなかったりすることもよくあります。


このため迷う場合は、無理に感じを使わず、平仮名(場合によってはカタカナ)で書きます。

ブログ主:いかがでしょうか・・、「匂い」と「臭い」の使い分けをご存じの方がどれだけいらっしゃるか、興味深いところですね(笑)。

解説にこうありました

”におい” は、どちらの漢字を使ったらいいか迷う言葉ですが、放送においてこうした悩みが生じたのは、比較的最近のことです。

常用漢字表には、かっては ”におい” の訓読みを持つ感じが無かったため放送ではひらがなで表記してきました。

それが、平成22年(2010年)の常用漢字表の改定で、新たに「匂」という感じが加わったほか、もともと常用漢字表にあった「臭」にも ”におう” という訓読みが追加されました。

これによって、 ”におい” は「匂い」「臭い」の2つの漢字で書けることになり、放送においても ”におい” を意味によって書き分けることになりました。

 嗅覚で感じる ”におい” のうち、よいにおいは「匂い」。

たとえば、梅の花の匂い、匂い袋

 嗅覚で感じる ”におい” のうち、不快なにおいは「臭い」。

たとえば、魚の腐った臭い、生ごみが臭う

 人によって快・不快の感じ方が異なる場合やどんな ”におい” なのか判断が難しい場合は、 ”ほのめかす” という意味で使われる場合は、ひらがな。

たとえば、たばこのにおい、生活のにおい、犯罪のにおいがする、不正をにおわす

このほか、「気になるにおいについて」など、くさいとまでは言えないが、ひらがなにすると前後を挟まれて読みにくい場合などは、カタカナを使って「気になるニオイについて」と書く場合もあります。

また、「臭い」は「くさい」とも読めます。「臭い臭い」は「くさいにおい」とも「くさいくさい」とも読めてしまうので注意が必要です。

ふとしたときに気になり始めるさまざまな「におい」。どう書くかまで悩まされる、なかなかやっかいな存在です。

で、そうは仰いますが・・、言語が豊かで複雑な国ほど日頃から頭を使うせいか「知的レベル」が高いような気がするのも事実。

さあ、「チャットGPT」に訊いてみよう。

「難しい言語の国は知能が高いのか」という問いに関して、多角的に考えるために以下のような視点で考えてみましょう。

1 言語の難易度とは何か
まず、何を「難しい言語」と定義するかを明確にする必要があります。文法の複雑さ、語彙の多さ、発音の難しさなど、さまざまな要因が考えられます。また、難易度は母国語や文化背景によって大きく異なる場合があります。

2 知能とは何か
知能をどう定義するかも重要です。知能指数 (IQ) のような数値で表されるものだけでなく、クリエイティブな思考、感受性、社交性など、さまざまな側面が知能に関連するとされています。

3 言語の難易度と知能の関連性
一部の研究では、多言語話者が認知機能の柔軟性に利点を持つ可能性が示唆されていますが、これは必ずしも母国語の難易度と直接関連しているわけではありません。

4 文化的・社会的要因
ある国や文化圏の人々が持つ平均的な知能は、教育、経済、社会構造、歴史的背景など、多くの要因に影響されます。これらの要因は言語の難易度とは直接関連していない場合が多いです。

5 進化的視点
人類の言語は進化の過程で形成され、それぞれの地域や文化に適応する形で変化してきました。言語の難易度が知能や適応能力にどれだけ影響を与えたかについては、現在の科学的知識だけでは十分に答えることは難しいです。

結論として、言語の難易度とその国の人々の知能との間に直接的な関連性を主張するのは簡単ではありません。多くの要因が絡み合っており、単純な因果関係を見出すことは困難です。

フ~ン・・、ちょっと逃げてる感じがするけどなあ(笑)。


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欠かせない「視覚的な誘因」

2023年08月25日 | 音楽談義

前々回のブログ「百花繚乱のソプラノ歌手たち」は大好評でした。美人の画像が目白押しだったので、訴求力が大きかったのかな・・。

「文章」が主体のブログとはいえ、やはり「視覚的な誘因」は手っ取り早い効果があって、欠かせないようですね~(笑)。

で、そのブログの末尾に掲載した極めつけのソプラノ歌手の画像がこれだった。



声もいいし、見てくれもいいしで、ぞっこんだが残念なことに名前がわからないので、「ご存じの方は教えて~」と呼びかけたところ、ご親切にも2名の方から応答がありました。

そのうちのお一人「ウマさん」(南スコットランド在住)からはこうありました。

「チェコ出身のパトリシア・ヤネチコヴァで、まだ25歳です。
とても残念ですが、昨年2月に乳がんを患ってることを発表し、活動を休止したとのことです。
ウィキペディアに経歴が出ていますし、YouTubeにも出ています。
とても美しい方ですね。僕もうっとりしてます。」

ありがとうございました!

周辺のデータから推測するところ、この画像はご本人が「芳紀まさに19歳」ともいえる「花盛り」の時のようです。(広辞苑「花盛り=容色の最も美しい年頃」)

早く治ってまた第一線で活躍してほしいですね~。

そして、翌日再度ウマさんから次のメール「我がソプラノ歌手」
いただいた。

「中学生の時、音楽雑誌のグラビアに出ていたそのソプラノ歌手に釘付けになった。

なんて可愛いんだろう! 早速、その白黒写真を切り抜いて、机の前に貼りました。
エディット・マティス…ベルリンオペラの歌手だった。僕が一番最初に意識したソプラノ歌手でしたね。
 
それと「スッゲェー美人やなあ」と、その見てくれだけでレコードを買ったのが、エリザベート・シュワルツコップ。

綺麗な声で顔もよし。かなり後年、コンサートに行きましたよ。当時のお金で5千円。貧乏学生にしたら清水の舞台…やった。

フェスティバルホールの最後列…まず、前座のおばちゃんが出てきはった。鉄人28号みたいな体型で貫禄たっぷりだけど、まあ驚いた。素晴らしい唄声で、後ろの席まではっきり聴こえる。前座のおばちゃんがこれだったら、シュワルツコップさんはもう…

ところが、このおばちゃん、延々と唄ってるのよ。で、隣のおじさんに訊いた…
「シュワルツコップさん、なかなか出てこないですね」すると…
「彼女、今、唄ってるじゃないですか」…
がぁ〜ん!ショック!大ショック! シュワルツコップさんが鉄人28号!…お願い!イメージ壊さないで!
 
アンナ・ネトプレコさん…やはり見てくれと歌唱力、そしてスタイルが抜群だった。ところがところが…
YouTube で拝見するそのお姿…だんだん時を経ると…頬あたりがどんどん膨らんできて…

お願い! イメージ、壊さんといてーぇ!
 
「音楽とオーディオ」の小部屋の主さん。やっぱり、見てくれって大事ですよねえ?」  以下~略~。

懐かしい! 私も「マティス」にはぞっこんでした。オペラ「魔笛」や「フィガロの結婚」に出演してましたね。



若いころの映像がどうしても見つからなくて・・、やむなくこの画像を使用しましたが、年齢がいってもこの美貌ですからね~、往時が偲ばれます。

現在85歳だそうです・・。

しかし、外国の女性は年齢とともに肥大化する傾向が後を絶ちませんね。ソプラノ歌手だって例外ではありません。

「ネプレチコ」も「フレミング」もそうです。

ウマさんと同じく「お願い! イメージ、壊さんといてーぇ!」(笑)


 
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味覚と聴覚の共通点

2023年08月24日 | オーディオ談義

前回のブログ「百花繚乱のソプラノ歌手たち」で述べた通り、このところ我が家での音楽ソースはボーカルが圧倒的に多くなっている。

となると、自ずとスピーカーの方もそれに対応したものになる。

で、このところ羽振りを利かしているのが「PL100」(英国:モニターオーディオ)だ。



「口径10cmの小口径ユニット+リボンツィーター」は音の粒子が細かくて音響空間にびっしり詰まった印象を受ける。

ほら、人間の口ってせいぜい大きく開けても直径数センチ程度でしょう・・。したがって、ボーカルの場合にはユニットもできるだけ小さいほうがいいという気がするが、どうなんでしょう。

ちなみに、我が家では早くから口径38cmのユニットを追放してせいぜい口径30cmのユニットに留めているのだが、それでも、ことボーカルに関しては大味に感じるのだから「慣れ」というものは恐ろしい(笑)。

このスピーカーを今のところ2台のアンプで駆動している。

リボン型の高音域(2800ヘルツ以上)には「WE300Bシングル」アンプ、中低音域(2800ヘルツ以下)には「2A3シングル」アンプという編成。

  

このスピーカーはもともと大出力の「TRアンプ」を前提に製作されているので、真空管アンプには少し無理があるような印象を受けている。能率はたしか「88db」だったかな~。

せめて「95db」ぐらいあれば大好きな小出力の「71系アンプ」を使えるのだが・・、残念。

特筆すべきは「2A3シングル」アンプで、出力管に使っているのはフランス製の「VISSEAUX」(刻印)で、オークションでもめったに見かけない代物だが、やや低音域に比重がかかっている音質でとても気に入っている。今回もそれが奏功した。

この球については、以前に当時のオーディオ仲間と次のような会話をしたことを想い出した。

「フランス人はファッションと料理ばかりにうるさいと思ってましたが、音にもなかなか拘るもんですなあ。これほどの真空管を作る技術があるとは驚きました。」

「フランス人はやっぱりセンスがいいですね。刻印入りの2A3なんかは、一枚プレートを別にしてアメリカ製を軽く凌駕していますよ。

味覚は聴覚と相通じるものがありますよ、ほら、日頃から塩辛い味に馴れた人が正常な料理を口にすると物足りないと思うでしょう。

聴覚も同じで、いつも低音をドスン、ドスンと鳴らして聴き慣れている人がAXIOM80みたいな音を聴くと物足りないと思うのと一緒ですよ。」


「成る程、それでわかりました。我が家にお見えになるお客さんは、経験上、音が気に入る人と気に入らない人が極端に分かれますが、気に入らない人は日常聴き慣れている音と比べてあまりの違いに違和感の方が先に立ってしまうんでしょうね。」

「世の中には舌が正常でなくてほんとうの味が分からない人が意外に多いみたいですよ。」

というわけで、己の舌が正常かどうか、ひいては耳の方も・・、よくよく気を付けた方がいいようですね。

ちなみに、ブログ主は「舌」も「耳」もあまり自信がないので念のため申し添えておきます(笑)。

最後に「チャットGPT」に「味覚と聴覚の共通点」を訊いてみた。

「味覚と聴覚は、一見すると異なる感覚に見えるかもしれませんが、実際にはいくつかの共通点があります。以下にその共通点をいくつか挙げてみましょう:

1 感覚器官による受容
 両者とも特定の感覚器官が関与しています。味覚は舌上の味蕾に、聴覚は内耳の蝸牛に情報を受け取る部分があります。

2 外部刺激の変換
両方の感覚は外部の刺激を神経信号に変換します。味覚では化学物質が味蕾を刺激し、聴覚では音波が内耳を刺激します。

3 脳への伝達
受け取った情報は、神経を通じて脳に伝えられ、解釈・認識されます。

4 学習と適応
両者の感覚は経験に基づいて学習と適応が可能です。たとえば、特定の音や味に慣れることができるのは、これによるものです。

5 個体差
人によって感じ方や認識が異なる場合があります。一部の人々は特定の音の周波数を聞き取れなかったり、またある人は特定の味を感じ取る能力が高い(例:超味覚者)など、個体間の差が存在します。

6 外部の要因による影響
 環境や健康状態、ストレス、年齢などの外部の要因によって、両者の感覚は影響を受けることがあります。

以上のように、味覚と聴覚は機能的な側面や感覚の受容・処理のメカニズムにおいていくつかの共通点を持っています。

もちろん、両者の感覚はその本質や作動原理においては大きく異なる部分も多いですが、生物学的・神経学的な視点で見れば、共通する側面も見受けられます。



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百花繚乱のソプラノ歌手たち

2023年08月23日 | 音楽談義

新しいテレビがやってきて我が家の音楽環境が一変したのは先日、投稿した通り。

ちょっと「くどい」かもしれないが、書かずにはいられないほど素晴らしさを満喫しているので続編を~(笑)。

題して「百花繚乱のソプラノ歌手たち」・・。

昔から大好きなモーツァルトの宗教曲「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ K165」は「ソプラノ歌手と小編成の管弦楽団」という素朴な組み合わせだが、日本ではそれほどポピュラーな曲目ではなくどんな演奏会でもプログラムに入っているのをこれまで見たこともないし、聞いたこともない。

ところが、「You Tube」のテレビ画面でこの曲を検索してみると、ずらっとこの曲のアルバムが登場してくるから驚く。

欧米ではこの曲が中世風の素敵な小ホールで、まるで当たり前のように数限りなく演奏されていることにショックを受けた。宗教音楽がとても身近に鑑賞されている!

で、たくさんのソプラノ歌手たちの歌唱を次から次に楽しませてもらったが、その中でも特上だと気に入ったのが次の2名の歌手。

「Stefanie Steger」



はじめて聴く歌手だったが、声の張りといい、伸び具合といいたいへんな逸材ですね、おまけに見てくれもいい。もう、ぞっこんです(笑)。

そして、次は「Arleen Auger」(アーリーン・オジェー)



いかにも落ち着いた佇まい、自信に満ち溢れた表情のもと、その揺るぎない歌唱力に感心した。こんな歌手がいたなんて・・、大発見である。

急いでネットでググってみると、エ~ッ・・、1993年に59歳で鬼籍に入っていた! まだ若いのに惜しい・・。

ほかにもありまっせ~。

歌劇「死の都」(コルンゴルド作曲)はそれほど有名ではないが、その中の曲目「マリエッタの歌~私に残された幸せは~」は名曲中の名曲で、何度聴いても胸が熱くなる。

この一曲だけで「死の都」の存在価値があると思えるほどで、ほら、歌劇「カバレリア・ルスティカーナ」もあの有名な「間奏曲」で持っているのと同じようなものかもね~。

で、「マリエッタの歌」も演奏会のプログラムに頻繁に登場しているようで、次から次にいろんな歌手が楽しめる。

シュワルツコップ、ミゲネス、オッター、そして日本人の「中江早希」も十分伍しているので楽しくなる。

名前は不詳だがこの歌手も大変良かった。



こうして、次から次にお気に入りのソプラノ歌手たちがタダで発掘できるのだから、もう時間がいくらあっても足りない(笑)。

そういえば、昔の演奏会のプログラムは「ソプラノ」が中心だったんですよねえ。

裏付けるために、ずっと以前のブログから抜粋してみよう。

図書館から借りてきた「クラシック名曲全史」に目を通していたら、興味深い資料があった。



「1783年のモーツァルトの音楽会のプログラム」

いわば240
年前の「音楽会」の演目なので極めて珍しい。

モーツァルトは1791年に35歳で亡くなったので、換算すると27歳のときの演奏会になる。

ウィーンで開かれた演奏会のプログラムの内容はこうだ。

1 序曲「ハフナー」交響曲

2 オペラ「イドメネオ」よりアリア(ソプラノ)

3 ピアノ協奏曲K415(モーツァルト演奏)

4 オペラのシェーナK369(テノール独唱)

5 「ポストホルン」セレナードの協奏曲楽章

6 ピアノ協奏曲K175(モーツァルト演奏)

 

7 オペラ「ルーチォ・シッラ」よりアリア(ソプラノ)

8 モーツァルトのピアノ独奏

9 オペラのシェーナK416(ソプラノ独唱)

10 終曲(序曲の終楽章)

解説によると、当時の音楽会の目玉演目はいつも声楽であり、注目されるのも声楽家たちだった。

1番と10番はオーケストラだけの演奏で、まだ電気も発明されておらず普及していない時代なので1曲目の序曲は開幕のベル代わりであり、最後の10曲目にあたる終曲は終了の合図だった。

つまり交響曲はベル代わりで「前座」のようなものでありコンサートの華は歌曲だった。

以上のとおりだが、コンサートの華が歌曲だったということに大いに興味を惹かれる。人の声(ボーカル)は昔も今も変わらない「最高の楽器」なのでしょうね。

我が家の音楽鑑賞においても中心となるのはやはりボーカルだが、その再生は簡単そうに見えて実はオーディオ機器の欠点を洗いざらい白日の下にさらけ出す手強い難物でもある。以下~略~。

以上のとおりだが、「You Tube」を通じて欧米のソプラノ歌手たちの充実ぶりに感心すると同時に、我が家のオーディオシステムの対応力にもこの上なく満足していますぞ!(笑)

最後に、モーツァルトの名曲で誰もがウットリする「ラウダーテ・ドミヌム K339」(讃美歌)を歌ったこの歌手にも惚れ込んで毎日、「目」と「耳」の保養をさせてもらってま~す(笑)。

どなたか、名前を知っている方は教えてくださいな~。



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ウマさんのミーハー交遊録~最終回~

2023年08月22日 | ウマさん便り

南スコットランドからの寄稿「ウマさん便り」の「ミーハー交遊録」は盛況なアクセスのもと、残念なことに今回が最終回です。

それでは、まず「藤原紀香」さん…
 


神戸に住んでいた故ダンカンさんには、女房のキャロライン共々ずいぶんお世話になった。スコットランド人の彼とは、東京にある「日本スコットランド協会」が関西で催した会で知り合い、急速に親しくなった。

「ウマとキャロライン、おいしいビールを呑みに来ない?」 達者な関西弁を喋(しゃべ)る彼に、時々三宮に呼び出されたりした。もちろん彼が大阪に来た時もよく会っていた。いつも袖(そで)が擦(す)り切れたよれよれのジャケットに、同じくよれよれのネクタイ、靴もゴム底のドタドタ…そしてカシオの黒いプラスチックの安っぽい腕時計… 

ある時、用事があって彼に電話をした。電話に出た女性が「リプトンティー・ジャパンです」と応えた。紅茶で成功したリプトンさんがグラスゴー出身のスコットランド人だというのは知っていた。ダンカンさんってリプトン紅茶にお勤めだったんだ…。で、「ダンカンさんをお願いします」そのあとの彼女の言葉には驚いた。  

「会長は、ただ今、外出しております」 エッ?! ダンカンさんて、リプトンティー・ジャパンの会長?!あの擦り切れた袖のよれよれのジャケットを着ている人がリプトンティージャパンの会長? あとでキャロラインが云ってた。

「ほんとのジェントルマンって、もう格好なんて気にしないの…」 

神戸の西北にある広大なスポーツパークで催された、日本スコットランド協会主催の、スコットランドの伝統行事「ハイランドゲーム」に家族一同で出かけたことがあった。

ジェイミーが三歳ぐらいやったと思う。ダンカンさんの娘で当時高校生だったあやちゃんが、同級生のお友達と来ていた。この二人、ジェイミーの面倒をよく見てくれたなあ。あやちゃんとはその時がきっかけでずいぶん親しくなり、日本スコットランド協会の様々な催しで、ダンカンさんやキャロライン共々いつもいっしょだった。
 

さて、時は流れ、六甲山をトレッキング中のダンカンさんが急逝(きゅうせい)し、その後キャロラインと子供たちはスコットランドへ移住、ウマがせっせと日本でアルバイトに精を出していたある日、そのあやちゃんから電話があった。

「ウマさん、わたし東京で結婚式を挙げたんですけど、地元の神戸でも披露パーティーをするんで来てくれませんか?」 キャロラインと子供達はスコットランドに移住したのでボクだけだけど…「ウマさんだけでもぜひ来てください」

ダンカンさんには本当にお世話になったので、せめてあやちゃんのお祝いの席には顔を出さんとあかんよなと判断した僕は、パーティー会場の、あの有名な北野クラブへ出向いた。

席に着いて驚いた。めちゃ驚いた! 僕のとなりのとなりに、なんと藤原紀香がいるんです。なんでここにあのスーパーアイドルが? もうウマさん、そわそわソワソワ…、アカン、やっぱりミーハーや… 

やがて各テーブルに挨拶回りをしていたあやちゃんが僕らのところに来て藤原紀香に云う。

「紀香、ホラ、むかし、ハイランドゲームの会場で、交通標識の赤いコーンを頭からかぶってウロウロしてた男の子、覚えてる?」

 「ああ、私がダッコしたあの可愛い子」

「そうそう、こちら、あのジェイミーのお父さんのウマさんよ」

だんだん思い出してきた…。そうや、あの時、あやちゃんといっしょにいて、ジェイミーの面倒を見てくれた同級生…。まさか、その高校生がのちに有名タレントになるなんて、そりゃ、あんた、夢にも思いませんよねえ。 

藤原紀香とあやちゃんは、なんと幼稚園から大学まで一緒だったという。

ま、こうして、同じテーブルの紀香さんとはけっこう話が弾んだんです。

彼女と同じテーブルにいて感心したことがいくつかある。ウマと彼女の間に一人おられたせいもあるんやけど、テーブルが長方形だったので、紀香さん、いちいち身を乗り出し、顔を傾けてウマの話を聞いたり話したりするんや。ツンと澄ましたところなどまったくない。 

このパーティー、圧倒的にあやちゃんと紀香さんの同級生が多かった。ところが、懐かしい同窓会みたいな雰囲気のこのパーティーで、紀香さんのほうから同級生に声を掛けてるのを何度も見た。

「ダレダレ、元気やった? 今、なにしてんの?」

ふつう、こんなスターは、ほかの方からワインなど注(つ)いでもらうよね。ところが彼女、ボトルを持ってほかのテーブルへ行き、ワイワイ言いながら元同級生たちに注(つ)いであげてんの。もちろん、ウマにも何度も注いでくれた。

アイドルやスターと一緒に写真を撮りたいのは皆いっしょだよね。ところが、紀香さん、自分が撮られたあと、「わたしが撮ったげるから、みんな並び!」 まるでスター気取りがない。 

関西弁の藤原紀香なんて想像も出来なかったんで、あっと云う間に打ち解けちゃった。エエ人や。人気があるのがよ~くわかった。その昔、ジェイミーがあやちゃんの同級生にダッコしてもらった光景はよく憶(おぼ)えている。たしか写真も残ってる筈や。それが、まさか藤原紀香とは知らなんだよなあ、まったく。

で、ミーハーのおとーちゃん、さっそくスコットランドにいるジェイミーに電話をした。「もしもーし、おい、ジェイミー! ええか!よ~く聞けよ! 驚くなよ! 君なあ、三歳のとき、なんと、あの藤原紀香にダッコしてもらったんやで!」

ジェイミーの返事…

「ダレや、それ?…」  

藤あや子さん… 


2001年に英国で大々的に催されたジャパンイヤー…

その一環の音楽使節として、臨時に編成され、英国全土をツアーしたのが「アンサンブルトーザイ」だった。僕の旧知のヴァイオリニスト木野雅之を始めとする日本を代表する素晴らしいカルテットだった。

和太鼓をヨーロッパに広めたロンドン在住の廣田丈二、同じくロンドンで活躍するピアニスト藤澤礼子、そして、唯一(ゆいいつ)日本から参加したのが、若き尺八(しゃくはち)の名手、加藤秀和さんだった。

 それから、数年後だったかなあ…、ある日、その尺八の加藤さんから思いがけない電話があった。

「ウマさん、今、大阪にいるんですけど、今週末、よかったらイッパイ呑りませんか」…そしてその週末、アラントンでも素晴らしい尺八を吹いてくれた彼と、難波は歌舞伎座すぐそばの地酒の店で、実に久しぶりに会った。

いやあ、久しぶりやねえ、どうして大阪へ?

「ウマさん、歌手の藤あや子って知ってる? 彼女の公演では、僕、かなり以前からずっとレギュラーで尺八を吹いてるんです」

エッ? 藤あや子って、いつも和服の、めちゃ別嬪(べっぴん)さんの演歌歌手とちゃうの?「そうそう、彼女の歌舞伎座公演が今日で終わって、今、スタッフたち全員が打ち上げしてるとこ。で、ウマさんに会うチャンスは今夜しかないんで、僕だけ抜け出して来たんです。でもね、彼女、お酒大好きなんで、スタッフとの打ち上げが終わったらここに来るよ」

エーッ!? ほんとぉー? ミーハーのウマ、もう、ドキドキやー… 

そして夜10時半ごろ、和服のイメージとはまったく違う、ジーンズにTシャツ、眼鏡(めがね)をかけた御本人さんが現れた時は、もう、びっくりしてしもた。二十歳過ぎぐらいの女性と一緒に来られたんやけど、やっぱりめっちゃ別嬪さんや。

加藤さんが僕を彼女たちに紹介した。

「ウマさんと初めて会ったのはスコットランドなんです」

乾杯したあと、ひとしきり、スコットランドに関する話題で盛り上がった。

ところがや、すごく海外に興味があるというその若い女性、なんと、あや子さんの娘さんというんでびっくりしてしもた。こんな大きな娘さんがいるなんて、あや子さんの年齢を想像するととても信じられへん。もちろん、プライベートなことを訊くのは遠慮したけど、かなり若い時に結婚しはったんやろか? 

お酒の好きなあや子さんは、歌舞伎座での公演がある時は、いつもこの店に来るそうです。なるほど、地酒の品揃えが素晴らしい。秋田出身のあや子さん、秋田の銘酒「飛良泉(ひらいずみ)」が大好きだとおっしゃる。いやあ僕も大好きですよ!と調子を合わせるウマは、やっぱりミーハーでござるなあ。

「私の公演には、加藤さんの尺八は、なくてはならないんですよ」

加藤さんをすごく高く評価されているんで、僕もすごく嬉しかった。

 楽しくお酒をいただき盛り上がっていた時、加藤さんが云ったことには驚いた。

「ウマさんね、あや子さんはね、ほんとはロックが大好きなんですよ」

エーッ? 一瞬驚いた僕に、彼女もニコニコして云った。

「そうなんです。私ね、ロックが一番好きなんです」 

ほんまかいな? いやあびっくりしてしもた! 演歌専門だと思ってたら普段はロックばっかり聴いているんだって!自分でロックっぽい曲を作ることもあるともおっしゃる。完全にイメージが狂てしもた。いつも和服の藤あや子とロック!? 

化粧を落としておられたにもかかわらず、やっぱり綺麗な方やなあ。

でも、よくしゃべり、よく呑み、ぜんぜん気取らないその明るい性格は、僕が抱いていたイメージとは大いに異なっていた。娘さんとも、まるで姉妹みたいで、とても親子には見えなかったなあ。

人間ってね、会って話をしてみないとわからんもんやなあとつくづく思いましたね、その夜は… 

ステージから降りた有名歌手の、その素顔に接っすることが出来た忘れられない夜となりました。加藤さん、また、呼んでや! 

次に御登場の方も、まったくそう…、完全にイメージが狂いました、ハイ… 

八千草薫(やちぐさかおる)さん… 


革命前の不穏(ふおん)なイランで、慶応大学のイスラム学者K教授と知り合ったことが、女房のキャロラインさんが日本に来るきっかけとなった。来日直後は、千葉の田舎のK教授の実家にしばらくお世話になったが、その後、彼の妹さんが住む渋谷区代々木上原に引越し東京での生活が始まった。

ある日、キャロラインは、何かとお世話になっているK教授の妹さんに、ランチに呼ばれた。で、ついでに僕も誘(さそ)われたのね。 

妹さん宅のダイニングキッチンには先客がいた。

その顔を見た途端、ウマは、もうビックリしてしもた。なんと女優の八千草薫さんなんです。K教授の妹さんのごく親しい友人だとおっしゃる。近くの代々木公園でテレビドラマのロケがあったので寄ったそうなんです。

いやあ、イメージが狂っちゃったなあ、この有名な女優さん。 

八千草薫っていうと、なんか物静かで日本的、おしとやかなイメージがあるんだけど、ぜんぜん違うのこの人…。まあ、べらべら喋(しゃべ)りっぱなし笑いっぱなしなんです。キャロラインは、彼女のことなどまったく知らないからいいとしても、ウマはこの有名な女優さんを映画やテレビで何度も見てますがな。だから最初は緊張しましたよ。でも、すぐ打(う)ち解(と)けちゃった。

この女優さん、めちゃ面白い人なんや。日本語がまだまだ不自由だったキャロラインに、八千草さん、一生懸命英語を喋(しゃべ)ろうとするんです。ところがや、まあ、そのとんちんかんな英語に、自分でずっこけて笑ってるんです。 

夏の暑い日だったので、食卓に冷奴(ひややっこ)が出てたのね。それを八千草さん、キャロラインに英語で説明しようとされる…

「あの、キャロライン、これね、ヒヤヤッコ、えーとー、そうそう、コールドヤッコ! わかる? コールドヤッコ!」 わかるわけないでしょうが…

そして、キャロラインに食べ方を説明される…

 「ほら、生姜(しょうが)をね、えーとー、そうそう、ジンジャーね、ジンジャーをこう乗っけてね、それでね、えーとー、ウマさん、お醤油(しょうゆ)って英語でなんて言うの? そうそうソイソース、それでね、ジンジャーを乗っけたコールドヤッコにソイソースをこうかけてね…ベリーデリシャスよ!」

ま、こんな調子で、ず~っとしゃべりっぱなしでございましたねこの有名な女優さん… 

でも、駄(だ)じゃれを言い、自分のずっこけ英語に高笑(たかわら)いされたりと、まったく気取りのないその人柄には、ウマは、とても好印象を持ちましたね。大好きや、こんな有名人… 

さらに、いや、驚いちゃった。僕が大阪出身とわかるやいなや、八千草さん、突然、流暢(りゅうちょう)な大阪弁を喋り始めたんです。もう、びっくりしましたがな。彼女、なんと大阪出身だとおっしゃるんや。ぜんぜん知らんかった。

「エッ!ウマさん大阪? ほんま?」 

大阪弁をしゃべる八千草薫…、K教授の妹さんも、目の前で大阪弁をペラペラしゃべる八千草薫さんに「ひとみ(八千草薫さんの本名)が大阪弁をしゃべるの初めて聞いたわ」と、もう目を白黒させておられましたねえ。

有名人のイメージって、ずいぶん違うことがあるんやなあと、僕はランチをご一緒して思いましたね。

K教授の妹さんが八千草さんをキャロラインに紹介した時

「キャロライン、こちら、私の親友のひとみよ」と、本名で紹介したもんだから、キャロラインは、八千草薫さんのことを、ずっと「ひとみ」って呼んでましたね。  

で、キャロライン、「ひとみって本当に女優なの?」って、本気で疑ってた。 

でもその後、何年も経(た)って、大阪の自宅のテレビで、ドラマに出演していた八千草薫さんを見たキャロライン 「あっ、ひとみ!」

やっと、彼女が女優だと信じたみたいですね。 

以上、ウマのミーハー交友録でございました。

あのー…、ミーハーって、ダメ?


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「エース」で「4番バッター」が不在のオーディオ

2023年08月21日 | オーディオ談義

何度も書くようで恐縮だが、我が家のオーディオはつくづく「もったいない精神」で成り立っていると思う。

というのも・・、

過去に購入した機器にはそれぞれに独自の思い入れが有るし、さらには未練がましく「鳴らさないまま遊ばせておくのは実にもったいない・・」と、夜ごと「うなされる」ほど責め苛(さいな)まれるのだ(笑)。

たとえば、ごく最近の例を挙げると・・。



新規に購入した「口径25cm」のウーファー(低音専用ユニット)を生かすために、泣く泣く「175ドライバー」(JBL)を外して、デッカの「リボンツィーター」を据え付けた。

これはこれで満足なのだが、行き場のなくなった「175」を何とか活用できないものだろうか・・、弦楽器はともかく、管楽器やボーカルの再生にはもってこいの代物なんだけどなあ~。

で、活路を求めた結果こういうことに~。



音声信号に対するレスポンスが早い口径20cmのユニットと「175」の組み合わせは、きっとうまくいくはずだとにらんだが、やっぱり~。

まあ、自己満足に過ぎないのだが・・(笑)。

これで一躍、我が家の「レギュラーメンバー」入りが決定~。



ちなみに現在の「レギュラー」をこうしてズラリと一堂に会してみた。

今のところ5系統あるが、それぞれ捨てがたい味があって墓場まで持っていきたいものばかり(笑)。

左から順に「ユニット名」と「持ち味」を紹介すると、

1 「TRIAXIOM」(口径30cm:同軸3ウェイ)

クラシックをいかにも音楽として聴かせてくれる存在。「同軸型」ということもあってか、ハーモニーに破綻が無く音楽ソースに対する「当たりはずれ」は、これが一番少ない。

ただし、惜しむらくはスケール感がイマイチでもう少し大きな箱に容れるともっとよく鳴ってくれそうな気がする。

まあ、イメージとして打順でいえば3番で、守備では捕手ですかね。

2 「口径25cmウーファー+デッカのリボンツィーター」

クラシックからジャズまで何でもござれで、かなり周波数レンジが広い。いかにも80点主義の秀才を思わせるけど、少し器用貧乏というところかな。打順は2番で、守備はサード。

3 AXIOM80(オリジナル版)

やや神経質なのでゆったり聞き流すのにはどうも・・。ただし、このユニットの可能性から考えると、まだ十分鳴らし切っていない憾みが残る。せいぜい70%ぐらいだろう。

しかし、どこからどう手を付けるか・・。バッフルをもっと薄い板にしたり、大きな箱に容れるのも手だが我が家ではスペースが足りない・・。打順は5番で守備は一塁手といったところかな。

4 「PL100」(モニターオーディオ:英国)

ほかのスピーカーたちはすべて「素人に少し毛の生えた程度」の自分の手垢にまみれているが(笑)、これだけは純粋にメーカーのオリジナルそのものである。いわば、孤高の存在。

さすがに、いっさい破綻を見せない鳴りっぷりだが、安心感とは裏腹に「大化け」する可能性も少なく「ワクワク度」の魅力が少し足りない気がする。打順は5番で守備は二塁手。

5 「口径20cmウーファー+175ドライバー」

小気味よく弾んでくる音楽ソースに相性抜群で、この分野ではまさに独壇場。俊足で軽快な動きとくれば打順は一番、守備は遊撃手。

ちなみに、バックにそびえる「ウェストミンスター」(改)は、100ヘルツ以下を受け持つ「サブウーファー」専用。いわば、控えの捕手みたいな存在~。

というわけで、お気付きのように「これは」という「柱」になる「エース」で、「4番バッター」が不在の状況です。

我が家ではオーディオに「絶対」とか「万能」とかいう言葉の辞書はないので、どうやらこのまま終焉を迎えそうな気がする。

これもまた良き哉~(笑)。



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「茶の湯」と「ゴルフ」

2023年08月20日 | 独り言

図書館の「新刊コーナー」でたまたま目に入った本がこれ。


作家の「井上 靖」氏、「司馬遼太郎」氏、「松本清張」氏のお歴々の「鼎(てい)談」とくれば見逃す手はない。

ちなみに、「対談」とは二人で向かい合って話す、「鼎談」は「鼎(かなえ)」(支えが3本足)からきた言葉で3人で向かい合って話すことを意味する。

三名ともいずれも「故人」なので、過去の「鼎談」や「対談」を寄り集めて発行した本である。

興味深く読ませてもらったが、長年の疑問が一点だけようやく氷解したので、それに絞って記録しておこう。

その疑問とはこうである。

「血で血を洗うほどの凄まじい戦国時代の猛将たちが、なぜあれほど茶の湯に没頭したのか」

な~に、取るに足りない「ささやかな疑問」だが(笑)、これに関して以下の通り引用してみよう。

井上「大体において戦国の武将はみんな字がうまいですね。家康や秀吉に限らず戦国の歴史に名を出している連中は、だいたい立派な字を書いてますね」

松本「やっぱり教養の一つでしょうね。だから各国の禅僧を手元に置いたりして、信玄なんか五山文学をささえて、それから山口の大内ね、幸い応仁の乱で禅僧たちは京都で食えないから、地方大名に保護を求めて行った。」

井上「それからお茶ですね。茶道具というものをそれぞれ大切にしているけれども面白いことですね。僕など凡人は乱世になったら、そんな余裕はないな、まず勝たなければならないと思うんだけれども。」

司馬「そういう意味で言えば文化というか、そういうものへの憧れは我々の想像以上に強かったようです。」

井上「強いですね。今の時代は茶がなくとも生きられますけれども、あの頃は生きられなかったと思います。ほんとにあの頃は茶というものが、彼らの持っていた死生観の中に生きていたと思います。それほど凄まじい時代だったでしょう」

司馬「それを非常に殺風景に解釈すると、茶や茶室というものは非常に利用価値があった。たとえば松本清張先生と私が話をするときは松本先生が上段の間に座って、室町時代の作法だと私のような若輩ははるか下へ座って、顔を上げちゃいけないんです。

ですから将軍が「これからお前と協力して信濃国を盗ろうと思うがお前はこうしろ」とディテールを話そうとしても、数十歩を隔ててですから、できない。それは室町の小笠原流ですね。

それで対面の式が終わったあとで、茶室へ行こうというので行くと、松本清張将軍は亭主に過ぎない。それから私は客に過ぎないでしょう。そうすると、亭主と客というだけの無階級の場で、一尺隔ててのことですから、非常にディテールを話すことができる。

つまり、お茶というものが政治工作にどれだけ大きな役割を果たしたか、想像を絶するほどですね」

とまあ、以上の通りで「茶の湯」にそういう側面的な役割があったなんてまったく「目からうろこ」だった。

「茶席での内密の話」を知り過ぎた茶人「利休」が危険視されて切腹を命じられたのもわかるような気がしてくる。

それにしても戦国時代の「茶席」の意義は現代における「ゴルフ」に通じるような気がしてならない。

大事な商談をはじめ組織での重要なポイントなどが公式の場を離れて私的なゴルフのときの身近な会話を通じて決められていく・・。

たとえば・・、「あいつは付き合いが悪くて何を考えているか分からん、そのうち閑職に回そうと考えているんだ・・」

で、ゴルフをしない人は自然と出世競争から脱落・・。

あ~あ、「音楽&オーディオ」に割く時間を「ゴルフ」に充てていたらもっと出世したかも・・、もはや「時すでに遅し」「後悔先に立たず」だな~(笑)。



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「夏の終わり」を象徴するもの

2023年08月19日 | 独り言

昨日のこと、日課となっている夕方の散歩をしていたら、久しぶりにバッタリ出会った知人からいきなり「(大気中の)空気が変わりましたね・・」、「ハイ、お盆が過ぎてから明らかに変わりましたね」。

そして、コース終盤の竹林の近くに差し掛かったところ「トンボ」が大量ではないが気になるほど舞っていた。

トンボといえば、夏の終わりの象徴みたいな存在・・。

で、「チャットGPT」に「トンボはなぜ夏の終わりに出るの?」と訊いてみた。

すると、

「トンボが夏の終わりに特に目立つ理由にはいくつかの要因があります。

1 生活サイクル

トンボの一生は、水中での生活を経て、成虫として飛び回る段階に達するという生活サイクルを持っています。水中での幼虫期間は数週間から数年と長く、その後に成虫として羽化します。多くのトンボの種類は、夏の終わりから初秋にかけて成虫として最も活発になります。

2 繁殖

成虫になったトンボは繁殖のために活動的になります。そのため、夏の終わりや初秋には多くのトンボが飛び交っているのが目につくことが多いです。

3 気温と活動

 トンボは温暖な気温で活動的になりますが、過度な暑さでは活動を控える傾向があります。夏の終わりや初秋の気温は、トンボにとって活動しやすい温度帯となることが多いです。

これらの要因の組み合わせが、夏の終わりにトンボが特に目立つ理由です。」

フ~ン・・・。

調子に乗って、「夏の終わりの象徴って何?」と訊いてみると、

「夏の終わりの象徴は、地域や文化によって異なることがありますが、日本の文化や風景における夏の終わりの象徴を挙げると、以下のようなものが考えられます

1 虫の声

セミの鳴き声が徐々に少なくなり、コオロギやスズムシなどの秋の虫の声が聞こえるようになる。

2 花火大会

 日本の夏の風物詩で、多くは夏休みの期間中に行われる。しかし、花火大会が終わると夏の終わりを感じる人も多い。

3 夏祭り

 浴衣を着て行う町の祭りも夏のシンボル。祭りが終わると夏の終わりを感じる。

4 夏の果物の終わり

スイカや桃などの夏の果物が少なくなり、代わりに梨や柿などの秋の果物が市場に出回るようになる。

5 日の出・日の入りの時間

夏の終わりに近づくと、日の出が遅く、日の入りが早くなり始める。

6 涼しい風

熱帯夜が少なくなり、夜間や早朝に涼しい風を感じることが増える。

7 田んぼの風景

夏の終わりには稲穂が黄金色に熟してきて、収穫の時期を迎える。

このように、夏の終わりの象徴は自然の変化や文化的なイベントによって感じられるものが多いです。」

なるほどねえ・・。

で、このままブログを終えても「芸がない」と思われるのがシャクなので(笑)、我が家独特の「夏の終わりの象徴」を述べてみよう。

それは、毎日の楽しい晩酌が「ウィスキーから焼酎のお湯割りに移り変わる」とでもいおうか・・。

というのも、夏の終わりごろになって本県の特産物「カボス」がボチボチ出回り始めるのである。9月が本格的な収穫時期だが、8月でもどうにか食することができるようになる。

2年ほど前に「やぶ蚊」の発生を防止するために裏庭の「カボスの木」をバッサリ伐ったために、とうとうお店から購入せざるを得なくなった。



まだ果実が小さくて、そして硬いので絞っても汁が少ないが、焼酎のお湯割りに使うぐらいは間に合う。

夕方、冷房が効いた部屋でウォーキングでひと汗流して帰宅すると、焼酎にカボスの汁を垂らし込んで、お湯で割ってちびりちびりやりながら、モーツァルトを聴く。至福の時間である。

   

上質なオーディオとはいかに人間の耳(脳)をうまく騙してくれるかに掛かっているが、相呼応して人間の脳も騙されやすいようにアルコールでもって程良く下地を作ってあげると「壺中の天」の境地となり高価なシステムなんぞはもう要らない気がしてくるから不思議。

圧倒的に安上がりで済むんだから~(笑)。
   

最後に、ずっと昔にこのブログで「カボスは県の顔」と題して投稿したことがあるが、覚えている方は皆無と思うので再掲させてもらおう。
 

「猫の額ほどの我が家の庭にカボスの木を2本植えている。2本とも15年以上は経つもので、そのうち1本は種が無い種類のものである。

剪定もせず、肥料もやらないのに毎年実を付けてくれる本当に手間のかからない感心なカボスの木である。

カボスは大分県の特産品でまさに県を代表する顔となっており、イメージアップにも随分貢献している。日銀や大企業の支店長さんが任期を終えて大分を離任するときに「カボス大使」になっていただき今後とも大分県をよろしくということで送り出している。

弱小県ならではの工夫とイメージアップ戦略を展開しているが、収穫時期が8月~9月と限られているため、年間を通して出回らず全国展開にはなかなか苦労しているようだ。強力なライバルもいてそれは四国の「スダチ」。

一県民としてカボスの宣伝に一役買いたいが、これといったセールスポイントがないのが残念である。高齢化社会となり、健康ブームなので、ガンによく効くとか新しい効能が発見されると起死回生の妙薬となりそうだが・・・・・・。

最後に「カボス」の語源として豆知識を一つ。

皮を刻んで 、蚊いぶしに用いたことから「蚊いぶし」がなまって「カブス」になり、カボスはその音転である説が一般的。」



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ウマさんのミーハー交遊録~その2~

2023年08月18日 | ウマさん便り

南スコットランド在住のウマさんから「ミーハー交遊録」のお便りがあり、ありがたくこのブログに投稿させていただいたところ、「庇(ひさし)を貸して母屋を取られる」のではないかと心配するほどの大好評でした。

いささか微妙な気持ちのもと「~その2~」といきましょう(笑)


それでは、永島敏行さん…
 


かなり以前のこと… 

大阪は平野区のレストランで、俳優の永島敏行君と二人でワインをしこたま呑んだのはとても楽しい想い出ですね。 

フレンチレストラン「ゴルドナーヒルシュ(金の鹿)」のオーナー木下順子(よりこ)さんは、ある酒の会で意気投合(いきとうごう)して親しくなった方。

ある夜、順子さんから電話があり、今すぐ店に来て欲しい

「今、俳優の永島敏行さんが来てる。ウマさん、ちょっと相手してくれない」

 誰やソレ? あまり気乗りしなかった僕に「あとで加賀まりこさんも来るから」と順子さんがいう。エッ!よっしゃよっしゃすぐ行く!今すぐ行く!

あかん、やっぱりミーハーやボク。で、自転車で駆けつけた。 

その日、永島敏行は、「飛天(ひてん)(旧コマ劇)」での千秋楽(せんしゅうらく)の舞台がマチネーで跳(は)ね、舞台関係者との打上げのあと平野に来たらしい。

順子さんの友人が出演俳優の何人かをよく御存知だそうで、加賀まりこさん始め他の共演俳優たちも、あとでこの平野の店で合流するという。

で、皆さんが来られるまで、僕に、一人で先にやってきた永島敏行君のお相手をしてほしいんやなと解釈した。ウーム、やっぱりどっかで見た顔や。

いや、感心しましたねこの人、順子さんが 「こちらウマさんです」と紹介すると同時にさっと立ち上がり(がっちり背が高い 182cm!)「永島です。どうぞよろしく」と軍人みたいに60度のお辞儀(じぎ)をしたあと、ニッコリ大きな手を差し出すんや。いやあ礼儀正しいなあ、その強い握手(あくしゅ)にたちまち好感を持った。 

そして二人がけテーブルの彼の向かい側に座ると、なんと彼、すかさず厨房(ちゅうぼう)に行き、僕のためにワイングラスを持ってきた。

ウェイトレスがいるのにですよ。あと片づけに忙しい彼女たちへの気遣(きづか)いだったんじゃないかな。

僕は基本的に、あるいは個人的に、芸能人はあまり好きじゃない。でも、こういう気遣(きづか)いをする人っていいよね。

で、永島君、僕に丁寧(ていねい)にワインを注いでくれるのはエエんやけど、なんの話をしたらエエんか迷っちゃった。

で、「飛天(ひてん)」ではどんなお芝居だったんですか?と話を向けた。話を聞いてるうちに、彼、永島敏行のことをだんだん思い出してきた。

僕は、週刊誌や新聞の書評・映画評はたいがい目を通す。特に佐藤忠男の映画評には常に注目していた。その佐藤忠男が、たしか永島敏行主演の「サード」っちゅう映画のことを書いてた筈や。それを思い出したんや。僕は、音楽や映画のこととなると、もう、めちゃ記憶力がエエんだよね。 

ひょっとして「サード」っちゅう映画に出てはったんとちゃいます?

 「ええそうです。二回目の映画出演でした…」 

僕、その映画は観てないんですけど、監督はたしか、桃井かおりさん主演の「もう頬杖(ほおづえ)はつかない」の東監督だったですよね…

僕は、映画はある面で、プロデューサーや監督で観るものだと思っている。

「そうなんです。ウマさんよく御存知ですね」というあたりから、だんだん話が弾(はず)んできた。監督、脚本家、カメラマン、映画音楽などに僕があまりにも詳しいもんだから、永島くん嬉しくなったんでしょうね。顔がそう云ってる。 

NHK大河ドラマを書いたこともある大物脚本家・金子成人(なりと)の話しになった。永島くんも彼のシナリオはとても好きだという。

で、前述の中井貴恵さんの項にも出てきた僕の友人舟橋君、当時、フジテレビの小川ひろしショーのアシスタントディレクターのバイトをしていた彼が、中央線、荻窪(おぎくぼ)の金子さんの小さなマンションへ僕を連れて行ってくれた時の話をした。

その頃、まだまだ駆け出しのシナリオライターだった金子さん宅には書斎がなかった。もちろんワープロなどない時代ですよ。

で、金子さん、キッチンテーブルで僕がビールをいただいている目の前で原稿用紙に向かってましたね。それで二三枚書き上げると「ちょっとNHKまで行ってきます」…下駄(げた)はいて裸の原稿用紙を手にヒラヒラ持って…

今は脚本家として押しも押されもしない大家の金子さんの、まだまだ駆(か)け出し時代の話に、永島くんは興味津々(きょうみしんしん)、耳を傾けてくれた。

「へえー、下駄(げた)はいてNHKですか…」 

それから、監督、脚本、カメラ、音楽、そして俳優…、すべてが完璧だと僕が思っているフランス・イタリア合作映画、永島君も観(み)たという 「太陽がいっぱい」の話になった。

脚本・監督は、「禁じられた遊び」のルネ・クレマン、音楽はニーノ・ロータ、そして、なんと言っても素晴らしいアンリ・デュカエのカメラワークなどを熱っぽく語る僕に、永島くんもすっかり打(う)ち解(と)け、身を乗り出してウンウンと頷(うなず)きながら僕のグラスにワインをどんどん注ぎ、自分もどんどん呑んだ。もう、永島くん、…このおっさん、よう知っとんなあ…ってな顔つきだったですよ。
 

アラン・ドロンがね、ナポリの魚市場をブラブラするシーン、ストーリーとはまったく関係のないすごく穏(おだ)やかなシーンなのに、マリンバを用いたニーノ・ロータの音楽がこの映画で一番緊張感溢(きんちょうかんあふ)れる音楽になってる。

画面のイメージと全然異なる音楽…このシーン、結末を暗示しているようで僕は忘れられないんだよね。ルネ・クレマンの演出に舌を巻いたのがこのシーンなんですよ。

永島くん 「そのシーン、ぜひ観なおしてみます」 

ラストオーダーがとっくに終わってるのに、シェフが気(き)を利(き)かして、ワインに会う前菜風(ぜんさいふう)の色とりどりの肴(さかな)を、きれいな漆(うるし)のボードにたくさん盛り付けてくれた。コレ、めちゃ豪華なアテ(肴(さかな))やないか! と目を瞠(みは)っている僕に 「ウマさん、どれがいいですか?」と永島くん、自分のお箸(はし)で僕のお皿にたくさん取り分けてくれた。

ぜんぜんわざとらしくなく、ごく自然にそういう気遣(きづか)いをする…いいよね、こういう人…。ウマさん、めちゃ気に入った。
 

すっかり打(う)ち解(と)け、和気あいあいとお互いにワインを注(つ)ぎあい、映画の話で随分盛り上っていた時、彼が意外なことを云ったんでびっくりした。

「ウマさん、畑仕事をしたことありますか?」 なんとこの俳優さん、秋田に畑を借り、時々野良仕事に行くと云うんや。さらに稲も地元の方たちと植え、秋には収穫の手伝いにも行くという。

「土や野菜に触れてると気持ちがとても落ち着くんですよ。僕にとって畑で過ごす時間が最高なんですよね。ウマさんもどうですか?」

驚いた。野良仕事が最高やなんて云う俳優さんがいたんだね。

「将来は、農業をやろうかなって思ってるんですよ」

ほんまかいな? なんちゅう俳優や!

後年、僕がアラントンで野菜作りに精を出すことになるとは、その時はもちろん想像も出来なかった。だけどね、今、彼、永島くんの気持ち、もう、すんご~くわかりますよ。

畑にいるとね、どうしても自然と対話することになるんや…そして人間が謙虚になるんやね。畑仕事…こんな素晴らしいものはない。アラントンの野菜は完全無農薬、めちゃ美味しい! で、今となっては、永島君に是非ともウマが栽培したアラントンの野菜を食べてもらいたいよなあ。
 

順子さんが、ポラロイドカメラで写真を撮ってくれるという。

いやあボク…、有名人と一緒に写真に納まってニコニコするほどミーハーじゃないから写真は遠慮しときますよ、ハッハッハッ…で、でも、や、やっぱり撮ってくれる? 僕の右側に立った永島くん、なんと手を差し出して僕に握手(あくしゅ)をするじゃない。

…で、ニコニコと握手をするウマと永島くんの写真がすぐ出来た。さらに順子さん 「ウマさん、写真にサインしてもらったら?」

いやあボク、有名人にサインしてもらって嬉しがるなんて、もうとっくに卒業しましたよ…、ハッハッハッ…で、でも、や、やっぱり、サインしてください…ここで、ちょっと驚いた…

〈ウマさんへ〉や〈日付〉を書くのはまあ分かる。ところが彼、写真の一番下に〈ウマさんへ、会えてよかった。永島敏行〉と、実に丁寧(ていねい)に書いてくれたんや。いやあ嬉しくなりましたねえ。 

永島敏行…素敵な人や。有名人なのに、偉ぶることのない、実直・素朴な人に間違いないとウマは判断した。

「ウマさん今日はありがとう。ぜひまた会いましょう」再会を約束した永島くんのお蔭で、その夜のワインはずいぶん美味(おい)しいものとなった。彼と二人で、かなり高級なワインを三本以上空けたんとちゃうか。

さらに順子さんが、ウマさん、きょうはお勘定(かんじょう)はええのよ、と言ったので、よけい美味しかったなあ (もっと呑んだらよかった)。

ところで、加賀まりこさん、まーだぁー? 

五木寛之さん… 


旧友で、呑み仲間でもある日本唯一のファド歌手・月田秀子と、作家・五木寛之さんのジョイントコンサートが、東京、名古屋、大阪で催されたのは2003年の12月はじめのことだった。

五木さんとジョイントコンサートをしたら?と月田秀子に薦(すす)めたのは、実は、彼女のコンサートを何度も企画してきた僕、ウマなんです。

五木さんが語り詩を朗読し、その合い間に月田秀子が歌う…という構成のステージ…。その夜、大阪サンケイホールは満員だった。 

僕は、あらかじめ、電話で月田秀子に言われていた。

「ウマちゃん(彼女は僕をちゃんづけで呼ぶ)、コンサートが終わったら打ち上げがあるから4階の楽屋に来てね、五木さんを紹介するから…」 

素晴らしいコンサートだった。やっぱり人気作家や。自分では、九州訛(なま)りで口下手(くちべた)だと謙遜(けんそん)しておられるけど、話のだんどりと言うか、お喋(しゃべ)りのその構成が緻密(ちみつ)なんだよね。

決して饒舌(じょうぜつ)じゃない、どちらかと云えば、訥々(とつとつ)とした語り口なんだけど、ツボを得た、しかもユーモアを忘れないそのおしゃべりがとてもいい。引出(ひきだ)しの中に様々な話題を、もう豊富に持っていらっしゃるんやろなあ。

兵庫県加古川市の、五木さんの親戚の中学一年の女の子が電車で痴漢(ちかん)に会ったという。

「彼女が痴漢に敬語を使うんですよ。わたしのオッパイ触(さわ)りはるねん…」サンケイホール、大爆笑でしたね。 

で、コンサートが盛況裏(せいきょうり)に終わり僕は四階の打上げ会場へ行った。

長テーブルが三つほど並べられた立食パーティー。ところが、たった一人だけポツンと椅子に座っておられたのが五木さん。あまりにも大物過ぎて皆さん敬遠してるんやろか。

月田秀子は向こうで取り巻きに囲まれている。五木さんはかなりお疲れの様子です。ウーム、どうしたものかなとウマが思案していると、月田が取り巻きの輪から離れて僕のところへ駆(か)けて来た。そして、サッと僕の腕を掴(つか)んで五木さんのところへ連れて行き

「五木さん、こちら私の後援会会報に連載コラムを書いてくれてるウマちゃんです」と紹介した。とてもお疲れの様子の五木さんだったけど、わざわざ立ち上がって僕に挨拶されたのには恐縮した。で、三人でしばらく話をしたんだけど、僕が、月田秀子に、どうして五木さんと知り合ったの?と訊(き)くと、彼女、呆(あき)れた顔して   

「ウマちゃん、あなた何を云ってるの? 私がファーストアルバムを出した時、あなたが、五木寛之さんに送ってみたらって云ったの憶(おぼ)えてないの?」 それを受けて五木さんがおっしゃった。

「送られてきたCDには驚きましたね。当時、日本にファド歌手がいるとはまったく思ってなかったですから」 

 ここで、月田秀子との出会いを振り返る… 

もう30年ぐらい前になるかなあ。ある酒の会で共通の友人から紹介された。

「ファドを唄ってます」という彼女に、ああ、ファドって云うとアマリア・ロドリゲスですよねと応(こた)えた僕に、彼女はとても驚いていた。

当時、ファドを知る人なんて日本ではほとんどいなかったんじゃないかな。でも僕は知っていた。さらに五木寛之さんの初期のエッセイ集「風に吹かれて」の中で、五木さんが、ファドの女王、ポルトガルの国民的英雄アマリア・ロドリゲスのことを書いておられたのも憶(おぼ)えてたんです。

そんなわけで、月田秀子のファーストアルバムを五木寛之さんに送るように薦(すす)めたんだと思う。そして月田秀子の熱心なファンとなった五木さんは、TBSラジオの自分の番組に、時おり彼女をゲストで呼ぶようになったのね。

さらに、彼は、連載している日刊ゲンダイのコラムに、ちょくちょく月田のことを書いてくれた。ま、そんなきっかけをつくったのが、つまり、ウマだったというわけ。
 

そのあと、五木さんと二人だけで30分ほど、いろいろとお話しした。

スコットランドへは行かれたことありますか?との僕の問いに

 「五回行きました。いつも車で移動するんですけど、もう、うんざりするほどきれいなところですね。そして、ウォルター・スコットやロバート・バーンズなど、作家や詩人の銅像があちこちにある国っていいですね。僕は毎回、グレンイーグルとターンベリーでのゴルフが楽しみなんですよ」とおっしゃる。でも五木さんとゴルフってちょっとイメージが合わないんだけど…

彼との会話中、彼が僕のことをずっと「内間さん」と呼んでいたのが印象深い。月田秀子をはじめ、まわりにいた誰もが僕のことをウマ、あるいはウマさんウマちゃんと呼んでいたにもかかわらずです。そういう礼儀が、彼の矜持(きょうじ)なんでしょうか。

こんな方って、上から目線じゃないんだよね。

続く


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真夏の夜の夢

2023年08月17日 | 独り言

「〇〇子ちゃん、ちょっとYou Tubeの操作方法を教えてくれないかなあ~」と、急に「猫なで声」になったオヤジ。

大好きな「音楽」の前には、父親の権威もへったくれもないんだから・・(笑)。

お盆休みを利用して帰省した娘に、この際とばかりリモコンの操作方法を教えてもらおうとする、(デジタル機器の操作に疎い)「老いた父親」がいる。

今さらだが「You Tube」は音楽の宝庫である。どんな曲名であろうと、アーチストであろうと検索してクリック一つでテレビにアルバムがずらっと展開されるのだから利用しない手はない。

「You Tubeを制するものは音楽を制す」、といっても過言ではない気がする~(笑)。

ところが・・、曲目の頭出しなどはそこそこわかるものの、曲目の保存方法や先送りの方法などがサッパリわからない。

何か解説本はないものかと、先日のこと、クルマで40分ほどの「大型書店」に出かけたものの「動画投稿の方法」などの内容ばかりで、そういう目的に適った親切な本は皆無だった。

というわけで、冒頭のシ~ンに戻ろう。



しばらく「You Tube」の画面を見ながらテレビのリモコンを弄っていた娘だが、「ああ、わかった。こうやればいいのよ・・」と、話が早い。

つまり、ポイントとなるボタンは画面の中央付近「決定」の周りのうち上にある「▲」ボタンで、ここを2回押すと「チャンネル登録」などができる画面が表示されるというわけ。

こればかりは絶対に習わないと無理だった・・、「▲」ボタンを2回押すという発想は絶対に出てこないんだから~(笑)。

この基本操作によって、一気に応用範囲が広がって「You Tube」がぐっと身近になったのは言うまでもない。

それにしても「You Tube」はメチャ便利が良い・・、まるで好きな曲目を「サーバー」に預けている感じがして、たとえば手元にCDを大量に保管してもいたずらに場所をとるばかりで意味がない気がしてきた。

で、ここから少し発想を飛ばしてみようかな・・。

いわば「真夏の夜の夢」

まず、各家庭では各自の好みの音を出す「スピーカー」だけを準備する。

そして、各種のレコード・プレイヤーや、DAコンバーター、プリアンプ、パワーアンプなどについては、集中配信をするメーカーがあって「キー・マシン」(仮称)が1台あれば、それで自由自在に選択できるというシステムがあれば面白そう。

たとえば、今日はレコードを聴こう、プリアンプは真空管式にする、パワーアンプはTRにして・・、と自由に選択してその音が配信される、もちろん「キー・マシン」には「フルレンジ」「2ウェイシステム」「3ウェイシステム」の区分が設けられており、それぞれボリューム調整は自由自在にできるようになっている。

さらに、空想をもっと広げて・・、

各家庭で腕によりをかけて出された音が全国津々浦々に配信される、終段のパワーアンプから出される音が(各家庭で)受信出来て、それをスピーカーに繋いで自由に楽しむことができる。

今日は〇〇さん宅の音を聴こう、明日は△△さん宅の音を・・といった具合。

そういう夢のような時代がやってこないかなあ・・。

自分独りで楽しむだけではなく万人が好きな音で好きな音楽を楽しむことができる、これは人類の福音(ふくいん)ではないだろうか・・。

ところで、娘の帰省はいいことばかりでなかった。

夕方、一緒にウォーキングを終えてうまそうに飲む「冷えたビール」に、つい誘われて「お父さんにも少しくれないかなあ・・」。

とうとうクセになってしまい、娘が帰った後も「冷えたビール」が当たり前になってしまった。

血糖値の高い人間にとって、冷たい水で胃の裏側にある「膵臓」を冷やすのはご法度だが、もう知ったこっちゃないんだから・・(笑)。


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