懐かしい広島に到着です。
昼食は早めの駅弁で済ませました。
新幹線を降りて、すぐ向かったのは駅に隣接するホテル、グランビアの花屋さん。
数度、宿泊で利用したこともあるので、慣れたものです。
改札を出ると、5~6分で到着。
供花の花束を二つこしらえてもらいました。
親戚用にも別に、もう二つ。
小型のキャリーバッグとその花をもって、タクシーに乗り込み、夫の菩提寺に向かいました。
夫の菩提寺
春のお彼岸以来、5か月ぶりのお寺訪問。
感慨がこみ上げてきました。
きっと、夫も私が来るのを待ち侘びてくれていたことでしょう。
寡黙で孤高の人。
弱音や愚痴を聞いたことが、一度もなく。
夫が、私に文句を言ったり、子供を叱った事さえも、私の記憶にはありません。
とても心が広くて強い人、と思い続けていた私でしたが・・・・・・。
意外にも寂しがり屋さんであることが、闘病中、看護しているときに、よく分かりました。
私が病室に来るのを、足音に耳をそばだてて、待っていてくれました。
看護師さんにも、
「ご主人が待ち焦がれておいででしたよ」
とよく言われたものです。
一時間以上かかる病院に、雨の日も風の日もほとんど連日、私は通い続けました。
そんな夫でしたから、きっと私の墓参を心から喜んでくれるに違いありません。
13日はお盆入りの日。
私は、夫を迎えに行く。
そんな心境でした。
毎日、お位牌に向かって、夫への感謝の言葉を忘れないようにしている私ですが・・・・・・。
もっと積極的な行動でもって、その気持ちを表したい。
それが私の場合、新幹線に乗車してまで通うお墓参りです。
夫が出張の際、寄ったスイスのお土産です。
「アルプスの少女ハイジ」がテレビで放映されていた頃のことです。
この番組を家族で心から愉しみ、まるでハイジ一色のような日々でした。
このテーマソングを聞かせて、子供たちを幼稚園に送り出したりしたものです。
夫の病室にはこのお人形を飾っていました。
気休めにすぎなくても、私の心が満たされるのですから、私には外せない一番大きな年中行事なんです。
お寺は、お墓参りの家族連れで賑わっていました。
夫の家のお墓にも、すでにお参りをしてくださった方たちが数名いらしたようで、小さなお塔婆が数本立てかけられていました。
お墓の前に立つと、まず夫や義父母様に声をかけ、感謝の気持ちを伝えます。
近況報告も。
それからは炎天下の下で、ひたすらやらなければならない諸事をこなしました。
お墓を磨き、草取り、周りのお掃除等々。
あまりに暑くて、頭がもうろうとしてくるようでした
15分毎くらいに、お寺さんの軒下にあるベンチで休憩して水分補給。
そうしないと確実に日射病になりそうな強い陽射しでした。
いつも二時間近くはお墓を離れられない私ですが、今日は日帰りとあって、そうもいかず、いつもより少し早めにお墓を後にしました。
そのあとは、住職さまにご挨拶。
お土産のお菓子折りを台にしてお布施もお渡ししました。
その時、異常な暑さに触れると、
「墓地が特に暑いのですよ。お墓からの照り返しや輻射熱を受けますから」と。
そしてお暇しようと、最後のご挨拶をし終わったとき、まだお若いご住職が、満面に優しい笑みをたたえ、嬉しそうにおっしゃいました。
「最近、子供が生まれました。男の子です」
私が思わず返した言葉の、なんと失礼だったこと。
「まあ~おめでとうございます。
良かったですね~。
私も安心しました」
まるでこれでは、お姑さんの感想ですね~。(笑)
でも私は、本当にとても心配だったんです。
テレビ局のキャスターでいらした、それはそれはそれはお美しい素敵な奥様でしたが、なかなか子宝に恵まれないことを。
お寺さんにとっては、跡継ぎの問題は重大事でしょうから。
ご住職は、私の言葉を気になさる風もなく、本当に嬉しそうでいらっしゃいました。
義父は市の中心地で開業していましたから、このお寺は遠方にあたるのですが。
なぜか、かかりつけ医だったようです。
ですから、私も特別な親近感が沸いてきます。
父母の菩提寺のご住職は私はちょっと苦手だけれど(跡継ぎの息子さんは、ファンといってもいいほどなんですけれどね)。
こちらの住職さまには、私は親近感をとても持て、お好きな方です。
聖職の方に、好きとか苦手とか。
そんな選別のまなざしを向けては、罰があたりそうですが。
タクシーを呼びましょうか、と言われたので、お言葉に甘えてしまいました。
一息つく間もなく、タクシーで次に向かったのは、夫のいとこにあたる高齢のご夫婦宅です。
この時のお話は、次回にまた回させていただきます。
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