大雪の空

46歳から始めて嵌ってしまった山歩きの記録と野球などの雑記帳。時々帰郷中の島暮らしの日常。

鯛ノ浦の虐殺・殉教

2011年11月17日 | 教会巡り/島歩き
1870年1月27日の深夜、鷹巣に住んでいた「中田寅吉」方に有川郷士と名乗る4人組が「キリシタン征伐に来た」と怒鳴り込み、寅吉の妻「ヨネ」、長男「勇次」、次女「レツ」、平戸からお産に来ていたヨネの妹「コン」とコンの夫「友吉」を殺害、それに加えてコンの胎児まで突き刺し、2家族計6名が残忍な殺害によって殉教した。その後、6名の遺体と血痕は、福江からの検視役の調査を待って棺と容器に収容され、遺体は聖堂裏の丘へ、血痕は聖堂脇の窪地に埋葬された。後に4人の郷士は「赦されぬ新刀試し切り」として、切腹を申しつけられている。

以上碑文の文章。

注目すべき点はこの事件の発生したのが明治になってからだという事だろう。

世の中一新と言いながら、キリスト教禁教令は解かれなかったのだ。
それに沿って福江藩はキリシタン弾圧を強め、その中で起きた惨劇だった。

もっと酷いのは福江島近くの久賀島で起きた事件だろう。
200人のキリシタンを6畳の牢に8ヶ月も押し込み、42人が死んだ事件。
まったく考えられないやり方だよなあ。
これは明治元年の出来事だ。

この4人の罪状は笑う。
余りに酷すぎたので全く関係ない理由をでっち上げたんだ。
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鯛ノ浦教会

2011年11月17日 | 教会巡り/島歩き
教会全景

聖家族像


側面


四人の銅像


可愛いトイレ(窓がステンドグラス風なんだ)


昨日、弟が帰ったから歩きに出た。
明日から三日間は雨模様だから、せめて鯛の浦教会でもと
朝一番のバスに飛び乗った。

乗客は小学生二人と下のおばさんの四人だけ。
途中から一人乗り込み五人だ。
蛤浜から歩く予定が運転手のポカで一つ先で降ろされた。
俺にもう少し歩いた方がいいという事にしとこう。

しかし大した時間もかからずに着いた教会は
やけに新しかったが、後ろにレンガ造りの教会があった。
レンガは浦上天主堂の被爆レンガを使った由。

聖母像や四人の銅像などが古い教会と同じ一段高い所にあった。
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旧鯛ノ浦教会 その2

2011年11月17日 | 教会巡り/島歩き
内部の写真を載せてみる。
タイトル写真は天井

これを見て鉄川与助の作品と思ったが設計施工共に不詳となっている。

しかし、戦後の鐘塔改築時に窓枠から与助の墨書が見つかったので関与はしていたらしい。


柱部分


サイド入り口


祭壇近くの窓


地味なステンドグラス


明治36年に木造平屋造りで建てられたが、
戦後にレンガ造りの鐘塔部分が改築された。

下にある現在の教会は1979年に
一戸当たり80万の拠出金で建てられた由。

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旧鯛ノ浦教会 その1

2011年11月17日 | 教会巡り/島歩き
レンガ造りの正面部分
後ろの本体は木造



後ろ側


マリア像


祭壇方向


入り口方向


木造部分


現在使われている教会の後ろに昔の教会が資料館みたいになっていた。
お陰で撮りたくても撮れなかった内部の撮影ができてラッキーだった。

青砂ヶ浦教会も大曽教会も同じ様式で造られている。
ステンドグラスや細部は違いはあるだろうが、
天井や柱などはほぼ同じと考えて良かろう。

天井は白い漆喰に蝙蝠の羽みたいに骨木が走り、コントラストが美しい。
































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