大雪の空

46歳から始めて嵌ってしまった山歩きの記録と野球などの雑記帳。時々帰郷中の島暮らしの日常。

ブレル神父達の殉教

2011年11月18日 | 教会巡り/島歩き
今日は朝から大雨。雨が屋根を叩く音が明け方から聞こえていたがこれほどとはなあ。
初冬に降る雨じゃないぜ。

有川では一時間に106ミリの猛烈な雨とテレビに流れた。

昨日歩いたのは最高だったなあ。
教会内部の撮影ができて良かった良かった。
実際に見てみないと美しさは分からない。
言葉で表現できるほどの才能も無い。

ブレル神父が12名の信徒と共に殺された事件の犯人達は
一体どうなったんだろうか。

頭ヶ島の説明板では漂流する13人を助けた船の連中が
金目当てに全員殺して海に投げ棄てたとあったが。
乗組員にカトリック信者がいて発覚したらしいが、
後日談が何も書かれていない。

明治18年の事件なんだから、ちゃんとけりを着けたろうに。

犯人どもにちゃんと天罰が下らないと示しがつかない。

殉教だから案外曖昧模糊とした方がいいのかも。
本当にそんな殺され方をしたのか、ただ船が転覆して死んだだけなのか、
死体はあがったのかなど、疑問点だらけなんだがなあ。
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「聖ヨハネ五島」のこと

2011年11月18日 | 教会巡り/島歩き
鯛ノ浦教会の庭にあった銅像四体のモデルを書いておこう。

「ブレル神父」「聖ヨハネ五島」「中田秀和画伯」「ドミンゴ森松次郎」

の四人だが、「聖ヨハネ五島」の碑文を載せておこう。

聖ヨハネ五島(1578~1597)

1596年の暮れ、豊臣秀吉の命令によって捕縛された24名のキリシタンたちは、京都で左の耳たぶを削がれ、見せしめに京都や大阪の町を引き回され、その後長崎までの約900キロを寒風吹きすさぶ中、歩いて連行されて行った。途中2名の若者が加わり26名となった。多くの苦難を乗り越え1597年2月5日、長崎西坂の丘で十字架に架けられ、槍を胸に受けて殉教した。ところで、この26名の中にイエズス会士と共に大阪で布教に携わっていた五島出身のヨハネ五島がいた。彼は西坂での殉教前に浦上のサン・ラザロ病院で初誓願を受け、正式にイエズス会修道士となった。1862年、教皇ピオ9世は「日本26聖殉教者」として聖人の位に彼らを挙げた。

以上碑文の全文。

京都から長崎まで歩かせるとはいくら金を使いたくないとはいえよくやるよなあ。
まあ、見せしめにやったんだろうが。
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