大雪の空

46歳から始めて嵌ってしまった山歩きの記録と野球などの雑記帳。時々帰郷中の島暮らしの日常。

浜串教会

2011年11月23日 | 教会巡り/島歩き
何かビルっぽい


イエス像


正面入り口


希望の聖母像


洒落た待ち合い

ここの分岐からの下りは長かった。
1.7キロ もあり、途中で登り返すのは諦めた。

道を掃除している人達がいたが、
先日の豪雨の土砂を片付けているとの事だった。

教会は余り風情がない。
道路脇にあるし、何だか今までとは雰囲気違い過ぎ。

港の防波堤先に「希望の聖母像」があるとかで見に行った。
海に向かってマリアがイエスを抱いて立っていた。

バスの待合所から奈良尾の民宿に電話したが
なかなか出ずに三軒目にやっと出た。
混んでるが一部屋空いているらしい。

疲れ果てて、布団に寝て風呂で癒さないと明日は無理。

初代は1899年、二代目の現教会は1967年の竣工。

      








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船隠教会

2011年11月23日 | 教会巡り/島歩き
ちゃんと鐘楼がある


正面


側面


マリア像


分岐は登り返しが辛い

船隠教会は途中の神ノ浦の待合所で残りの弁当で
お昼にしたりしたから、二時間かかって着いた。

途中、とうとうイノシシの姿を見てしまった。
緩い坂をノンビリ歩いていたら、突然右手の崖から
ドカドカとデカイ音がして目をやると、立派なイノシシだった。

彼らは静かにやり過ごさずに逃げるからなあ。
崖の側は歩かないようにしないと危ない。
この後浜串教会迄に姿を見たのが二度、音を聞いたのが一度。
イノシシ増え過ぎ。

船隠分岐から15分で着いたが登り返しに25分もかかった。

竣工1956年。
初代の教会が傷んだのと戦後の復員や帰郷で信者数が増加して建て替えた由。


    
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佐野原教会

2011年11月23日 | 教会巡り/島歩き
よく見る屋根の色。


正面






初日最初の教会は三日ノ浦から歩く佐野原教会。
朝一番のバスにいつもの通り、小学生二人と
下のオジオバ、それと後一人の計6人と盛況。

乗り換えて降りたバス停の待合所で
朝飯の唐揚げ弁当を半分で止め歩きだした。

沢沿いの道で案外きれいで、夏は水の中を歩けば涼しいだろう。

約一時間で着いた教会は可愛らしい建物。
木造でスッキリした造りだ。

昔は子供も多かったのだろう、教会の目の前の広場に
滑り台とブランコ?があったが錆びついていた。

1963年の竣工と結構経つが綺麗でそうは見えない。

この教会は今迄で唯一海が見えなかった。
やっぱり海の傍じゃ無いと風情がない。

しかし、便利な海辺を捨てて、不便な山奥によく住んだものだなあ。


  
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最難関をやり終えた!

2011年11月22日 | 教会巡り/島歩き
いやあ、疲れたなあ。
初日に疲れ果て、テントの予定がビジネス泊まりになった。

太股の前部が痛み出して、途中バスを使った。

この日に訪れた教会は以下。

佐野原教会 船隠教会 浜串教会 福見教会 高井旅教会

五教会だが、船隠と浜串の二つは結構下り、特に後者は分岐から1.7キロも下った。

この下りでウンザリして、バスで次の福見教会まで移動した。

その後は奈良尾まで歩き通し、浜串で予約を入れたビジネスホテルに泊まった。

二日目は予定通り桐教会の後、若松のターミナルまで歩いたが、
大平教会はタクシーでピストン。

有福教会は日島から歩き、土井ノ浦教会は途中から歩いた。

歩きだけなら途中寝ないとちょっと無理。明日が雨もあるが、
さすがに歩き疲れもあって車を使った。

しかし、この二日間で九つ終わったから、残りは「中ノ浦教会」
「大浦教会」の二つだけになったぞ。

この二つも帰りのバスで計ったら、約二十分かかったから結構な距離だ。
しかし三時間はかからないだろうから、どうにか次回で最終回にできそう。

結構な日数がかかったが、なかなか面白い歩きだった。
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海やら紅葉やら

2011年11月20日 | 教会巡り/島歩き
途中で出会った景色やら何やらをアトランダムに載せてみよう。


荒れた海


可愛い紅葉


柴田勝家子孫の墓とある。本当にここまで逃げてきた?


豪華過ぎる


中は普通


江袋のは普通


櫨の紅葉





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江袋教会写真特集

2011年11月20日 | 教会巡り/島歩き
前回魅了されたが写真を載せてなかったから、ついでに足を延ばして撮って来た。
敷地が狭いからなかなか撮り辛い。



      


    


    


以下はデジカメ収録の写真


    


      


   
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曽根教会

2011年11月20日 | 教会巡り/島歩き
下から見上げた教会



正面から


サイド


ルルド


マリア像

やり残した「曽根教会」と写真が酷かった「大水教会」、
そしてあの「江袋教会」へ再度出かけた。

曽根教会はバス停からすぐのとこだったが、風が強くて寒過ぎる。
たまらず、雨具を着た。

中は結構広く、来月のクラシックのミニコンサートの会場になる筈だ。
派手さの無い質実剛健?な教会。

歩く途中に右手遥かに、あの「頭ヶ島大橋」が見えている。
写真では写らないが、肉眼でははっきり分かる。

煌めく水面と逆光の中の黒い島のコントラストが素晴らしい。

大水教会を終えて暫くして来たバスで江袋教会へ向かった。







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倭寇の頭目「王直」の話

2011年11月19日 | 教会巡り/島歩き



歴史の教科書に載っていたよなあ。
確か室町時代末期に五島に来て、本拠地にして
明の沿岸部を荒らし回ったんだ。

先日の「焼崎教会」への歩きの途中解説板があった。

1540年に福江に来航して、ここを根城に荒らし回った。
二年後平戸に移ったが、当時平戸領だった猪ノ瀬戸周辺も根拠地にしたが、
海賊にはもってこいの地理だぜ。

入江を大きな島が隠しているから、襲撃や遁走には最高だ。

最後は明に捕まって殺されたが、なかなかスケールのデカイ海賊だった。
やっぱり、俺の先祖は海賊だったんだと確信した。
こんな島で生き抜くにはそんな稼業しかなかろうよ。
むしろ、それに最適なこの地にわざわざ移り住んだのじゃなかろうか。

それにしても、若松島周辺の美しさは格別だ。
歩きは大変なのは分かりきってるが、この綺麗な海岸線と島、
それに静かな水面の作り出す絵の様な風景の中なんだから楽しみの方が大きい。

来週には歩かないとまずい。
結構雨が降るから晴れたら即出発しよう。
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ブレル神父達の殉教

2011年11月18日 | 教会巡り/島歩き
今日は朝から大雨。雨が屋根を叩く音が明け方から聞こえていたがこれほどとはなあ。
初冬に降る雨じゃないぜ。

有川では一時間に106ミリの猛烈な雨とテレビに流れた。

昨日歩いたのは最高だったなあ。
教会内部の撮影ができて良かった良かった。
実際に見てみないと美しさは分からない。
言葉で表現できるほどの才能も無い。

ブレル神父が12名の信徒と共に殺された事件の犯人達は
一体どうなったんだろうか。

頭ヶ島の説明板では漂流する13人を助けた船の連中が
金目当てに全員殺して海に投げ棄てたとあったが。
乗組員にカトリック信者がいて発覚したらしいが、
後日談が何も書かれていない。

明治18年の事件なんだから、ちゃんとけりを着けたろうに。

犯人どもにちゃんと天罰が下らないと示しがつかない。

殉教だから案外曖昧模糊とした方がいいのかも。
本当にそんな殺され方をしたのか、ただ船が転覆して死んだだけなのか、
死体はあがったのかなど、疑問点だらけなんだがなあ。
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「聖ヨハネ五島」のこと

2011年11月18日 | 教会巡り/島歩き
鯛ノ浦教会の庭にあった銅像四体のモデルを書いておこう。

「ブレル神父」「聖ヨハネ五島」「中田秀和画伯」「ドミンゴ森松次郎」

の四人だが、「聖ヨハネ五島」の碑文を載せておこう。

聖ヨハネ五島(1578~1597)

1596年の暮れ、豊臣秀吉の命令によって捕縛された24名のキリシタンたちは、京都で左の耳たぶを削がれ、見せしめに京都や大阪の町を引き回され、その後長崎までの約900キロを寒風吹きすさぶ中、歩いて連行されて行った。途中2名の若者が加わり26名となった。多くの苦難を乗り越え1597年2月5日、長崎西坂の丘で十字架に架けられ、槍を胸に受けて殉教した。ところで、この26名の中にイエズス会士と共に大阪で布教に携わっていた五島出身のヨハネ五島がいた。彼は西坂での殉教前に浦上のサン・ラザロ病院で初誓願を受け、正式にイエズス会修道士となった。1862年、教皇ピオ9世は「日本26聖殉教者」として聖人の位に彼らを挙げた。

以上碑文の全文。

京都から長崎まで歩かせるとはいくら金を使いたくないとはいえよくやるよなあ。
まあ、見せしめにやったんだろうが。
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鯛ノ浦の虐殺・殉教

2011年11月17日 | 教会巡り/島歩き
1870年1月27日の深夜、鷹巣に住んでいた「中田寅吉」方に有川郷士と名乗る4人組が「キリシタン征伐に来た」と怒鳴り込み、寅吉の妻「ヨネ」、長男「勇次」、次女「レツ」、平戸からお産に来ていたヨネの妹「コン」とコンの夫「友吉」を殺害、それに加えてコンの胎児まで突き刺し、2家族計6名が残忍な殺害によって殉教した。その後、6名の遺体と血痕は、福江からの検視役の調査を待って棺と容器に収容され、遺体は聖堂裏の丘へ、血痕は聖堂脇の窪地に埋葬された。後に4人の郷士は「赦されぬ新刀試し切り」として、切腹を申しつけられている。

以上碑文の文章。

注目すべき点はこの事件の発生したのが明治になってからだという事だろう。

世の中一新と言いながら、キリスト教禁教令は解かれなかったのだ。
それに沿って福江藩はキリシタン弾圧を強め、その中で起きた惨劇だった。

もっと酷いのは福江島近くの久賀島で起きた事件だろう。
200人のキリシタンを6畳の牢に8ヶ月も押し込み、42人が死んだ事件。
まったく考えられないやり方だよなあ。
これは明治元年の出来事だ。

この4人の罪状は笑う。
余りに酷すぎたので全く関係ない理由をでっち上げたんだ。
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鯛ノ浦教会

2011年11月17日 | 教会巡り/島歩き
教会全景

聖家族像


側面


四人の銅像


可愛いトイレ(窓がステンドグラス風なんだ)


昨日、弟が帰ったから歩きに出た。
明日から三日間は雨模様だから、せめて鯛の浦教会でもと
朝一番のバスに飛び乗った。

乗客は小学生二人と下のおばさんの四人だけ。
途中から一人乗り込み五人だ。
蛤浜から歩く予定が運転手のポカで一つ先で降ろされた。
俺にもう少し歩いた方がいいという事にしとこう。

しかし大した時間もかからずに着いた教会は
やけに新しかったが、後ろにレンガ造りの教会があった。
レンガは浦上天主堂の被爆レンガを使った由。

聖母像や四人の銅像などが古い教会と同じ一段高い所にあった。
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旧鯛ノ浦教会 その2

2011年11月17日 | 教会巡り/島歩き
内部の写真を載せてみる。
タイトル写真は天井

これを見て鉄川与助の作品と思ったが設計施工共に不詳となっている。

しかし、戦後の鐘塔改築時に窓枠から与助の墨書が見つかったので関与はしていたらしい。


柱部分


サイド入り口


祭壇近くの窓


地味なステンドグラス


明治36年に木造平屋造りで建てられたが、
戦後にレンガ造りの鐘塔部分が改築された。

下にある現在の教会は1979年に
一戸当たり80万の拠出金で建てられた由。

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旧鯛ノ浦教会 その1

2011年11月17日 | 教会巡り/島歩き
レンガ造りの正面部分
後ろの本体は木造



後ろ側


マリア像


祭壇方向


入り口方向


木造部分


現在使われている教会の後ろに昔の教会が資料館みたいになっていた。
お陰で撮りたくても撮れなかった内部の撮影ができてラッキーだった。

青砂ヶ浦教会も大曽教会も同じ様式で造られている。
ステンドグラスや細部は違いはあるだろうが、
天井や柱などはほぼ同じと考えて良かろう。

天井は白い漆喰に蝙蝠の羽みたいに骨木が走り、コントラストが美しい。
































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帰宅第一弾の山は?

2011年11月16日 | 近場の山
いくら教会巡りでロングウォークをしたといっても、
山歩きとは次元が違うからなあ。

まあ、のんびり・まったりじゃないとなあ。

いくらなんでも弘法山は面白味が足りない。

あの御坂黒岳から赤石や悪沢と富士の眺望を楽しんでみるか。
あの峠道は極上のハイキング道だ。

展望台から直に降りるのが面白いが富士急は高いからなあ。
といっても石和に戻るよりは安いか。まあ、気分次第で良かろう。
携帯は使えるだろうから、ルートはその時にメールしよう。
万一通じなかったら、元来た道を戻るだけだ。

天気は良いだろうが、雪が大して付いてないかもな。

まあ、復帰?第一弾にはいいところかもだ。
天気が良い日にいつでも歩けるというのが最高!
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