フュルステノーの練習曲11番を演奏した時に、悩んだのは、下線4本のAの音作りでした。
録音して聞いてみると、伸びがない。鈍い音が出てしまっています。
ところが、自分で演奏して生の音を聴いているときはそのことがさっぱりわからない。
楽器外向けバージョンや、口腔内を縦に広げたバージョン、脱力バージョンなど、いろいろな形を取ってみて、いい音にならないか、何度も録音して聴いてみましたが、気に入らないし、変化が音に現れない。
そのうちコンサートは近づいてくるし、あせってくる。脱力して、唇をやわらかくして、体を柔軟に…。
いろいろ試してもだめ。そうなると、ますます緊張で体が硬くなる。一人でがちがちになってますます出口が見えなくなってきます
そんな時、人間関係心理学ゼミに参加しました。
そこで、「人や、相手を変えることはできなくても、自分を変えることはできます。うまくいかないときは、自分がどう思い、どう考えてその言動を選んでいるのかということを知ること。」
ふむふむ、そんなこと分かっている。自分は変な音を出している。いい音を出して、いい演奏をしたいと思っている。そのためにあらゆる種類の音と体の実験をおこなっているのだ。
その次D講師が言います。「どうしているのか知れば、勝手にどうすれば良いのかはわかります。」
ええーっわからん。なんで、ちゃんとわかっているのに。わからへんやんか。
すると、またD講師が言います。「どう言う言動をとっているかわかるということは、そのやり方を再現できるということです。つまり意識的に再現=心と体を意識的にコントロールできるということです。」
あっ再現できん。勝手に変な音がなっちゃう。・・・ということは自分が何をしているのかわかっておらんということなのか。
これは帰って試してみねば。
帰って試しました。改良済みの良い音を録音しようという試みをやめ、昨日録音して聞いた変な音を再現してみました。
・・・すると、わかった自分が良い音を出そうとして口腔を縦に広げすぎ、そのためにAの音程が下がっていたのでした。
「自分のやっていることがわからないときは、大抵、自分はそんなことをするはずがない。そんなひといことするはずがない、とやっている事を否定し、無かったことにし、目をそらしている時なのです。」
D講師の言葉が思い浮かびました。何とかせねばと思いながら、そんな変な音を自分が出すなんて赦せない。そんなはずはないと緊張して、レコーダーにつぶやいていた自分がいたのでした。
「人間は完璧ではない。自分がいやだと思っていることをしている自分を否定せずに受け入れれば、ちゃんと自分がやっていることが見え、他の人が同じような失敗をしていても、人としていとおしいという気持ちが湧き上がってきますよ。」とD講師。
なるほど、確かにレコーダーにつぶやいていた自分が笑えて来ました。やっていることがわかれば、どうすれば良いのかわかってもきました。等身大の自分を発見してうれしいような、恥ずかしいような・・・。
これだから、音楽修行はやめられない。今回は音楽だったけど、人生でも相手に向かって、「私がそんなことしているはず無い」と心の中で叫んだら、今日のことを思い返してみよう。きっと笑えてくるはず。