音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

スピード!スピード!スピード!

2008-06-26 00:51:12 | Weblog

久しぶりにS先生のレッスンを受けました。
月二回のレッスンは、怪我のおかげで、一回飛びました。本調子ではありませんが、とりあえず動くのでレッスンです。

実は以前からずっと「ゆっくり演奏しなさい。」「もっと音を聴きなさい。」「決して早くしてはいけません。」といわれていましたが、つい、早く演奏していました。

録音してみるとすぐわかりますが、本当に聴けていない。もう情けなくなるくらい。こんなはずではない音があちこちで鳴っています。

曲は、カミュの「シャンソンとバディヌリ」
フランス近代ものの特徴で、細かく転調してモネの絵のような色彩感をだしていますが、早く動かせなかったので、ゆっくりと音程の変化を楽しみながら一音一音出す練習をしていました。それが効果をあげたのか、先生も「よくなってきたねぇ。」と楽しそう。

今回は無理やりだったけれど、おかげさまで、ゆっくり練習することの大切さが、身にしみてわかりました。

フルトベングラーだったかな?「早くしなさい。といわれて育ったこどもは決して良い音楽家にはなれない。」
納得です。

私は、母に「あんたは、何やっても遅いなぁ。早くしなさい。」と言われながら育ったような気がします。
ある日、小学生の頃、家に帰ると、壁にカレンダーの裏紙をつかって貼り紙がしてありました。

「今、今という間に今ぞ過ぎ行く。」
「スピード!スピード!スピード!」

子どもながらいやな気がしました。他の家族に比べて、自分が遅いとは思っていましたが、こんな風に書かれると、落ち着いて家にいられなくなるような気がしました。

子どもの頃、私は遅く、母は早い。と思い込んでいました。大人になって、母の母、祖母がある日
「もう、あの子はのろまやから、イラチののろま。気ばかりあせってやることはおそいんや。」とこぼしているのを聴いて、びっくりしました。

考えたら母があせって「早く、早く」と言っているときは社会との関係で母があせるとき、私が学校へ遅れないか?仲間との待ち合わせに遅れるのではないか?という恐怖があるときで、そんな時私は、母のあせりに共鳴して、たっぷり時間があってゆっくり準備できるのにもかかわらず、ありえないスピードで仕度しなければならないと、あわてて準備し、結果いろんなものを忘れていくという失敗を繰り返していたのです。

そういえば、母は自分が出て行くときも、大慌て、きちんとできていても、できていなくても、バタバタしながら出て行くのです。母が外の社会との関係でストレスや、緊張を感じるから、ありえない速さで行うよう、「早く、早く」と言っていたんだなあと最近では思います。
あせらなくても、時間通りに準備し、間に合う方法はあるんだとも。

考えてみれば、母が貼り紙をしたと言うことは、学校に行きだして、社会のテンポとずれると、私が困るので「早く」と書いたのであって、逆に家の中、わが母系家族の中ではゆっくりテンポで動くことが赦されていたんだと最近思うようになりました。祖母も、娘のことを「イラチののろま」と言いながら、なんともうれしそうでした。

ショッカーのアレグロや、プレストの演奏では、片足を上げてゆっくりとスローモーションで太極拳のように動かしながら、ぐらつかない。そして指や、舌は早いけれど安定したテンポで動き続けると言う感じです。

アレグロなど早いテンポはあせってとか、もっともっととか、よーいどん競争とか、そういうテンポではなくて、アレグロのテンポをぶれずに保つことが大切です。平常心で、体の中心を決める。演奏ができればいいんだと思いました。母の緊張の嵐の中で、「私は間に合うから大丈夫。」そういえたら、OKじゃないかな?