音楽の喜び フルートとともに

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音楽であそぼう!6月

2008-06-14 21:55:32 | 音楽で遊ぼう

今日の「音楽であそぼう!」は水の音をたのしむ。images
「みんなは、今頃、出てくるお尻のところが光る虫を知ってる?なんて名前か知ってる人?」
「ほたるや。」「ほたる!」

東大寺の近くでもう蛍が出ているそうです。
私は数年前に井手町の蛍を見に行ったことがあります。井手町は蛍の保護を町の条例で決めている珍しい自治体です。井出川の峡谷から数え切れないほど多くの蛍があがってきます。網でとると一すくいで何匹も取れます。バケツの中にいれてみると、バケツが蛍で点滅します。

Sさんと一緒にふれあいフリースクエアで「音楽であそぼう!」を続けて4年目。今日は水の曲がテーマです。

まず、メロディベルで「ほ、ほ、ほたるこい あっちの水は苦いぞ。こっちの水はあまいぞ。ほ、ほ、ほたるこい。」
とみんなで合奏した後は、音楽室の好きな楽器を使ってそれぞれ簡単な伴奏をつけて合奏して楽しみました。

木琴、マリンバ、ピアノ、オルガン。好きな楽器を使った後は、「フィンガルの洞窟」を聴きながら、それぞれのイメージを膨らませた絵を描きました。

「えー!何描くの?」「わからん。」
「なんでも、すきなもの。音楽聴いて頭に浮かんだこと何でもいいねんで。」
ぶつぶついっていたのに、音楽が始まるとみんな集中して、終わるまでに大概の子が仕上げてしまいました。

大きな鯨を描いた子、大きな洞窟に船にのった人を描いた子どもは、その人が捕まえられた女の人を探しているそうです。イルカが小さな魚を追いかけている絵を描いた子もいました。
子どもの絵って何でこんなにすてきなんでしょう?

「なぁなぁ、これって月一回なん?毎週来てくれたらいいのに。」
Nさんは6年生、3年生の時に初めて出会って以来、ずっと「音楽であそぼう!」に来てくれています。
Aさん5年生は「ねぇ、ピアノ弾いてもいい?」となんの脈絡もなく言い出します。「ごめんな、私たち一生懸命プログラム作ってきたから、つきあってくれたらうれしいな。」「うん、ええで」やさしい子です。
Aちゃんには後で、ほたるこいをピアノでみんなの前で弾いてもらいました。

子どもと遊ぶのは本当に楽しいです。来月は何であそぼうかな?


虹をみる

2008-06-14 01:40:07 | Weblog

images植物園の噴水の中に虹が見えます。同じ日、同じ時間に同じ空の下を歩いていても、虹が見える人と見えない人がいます。いや、見える時と見えない時があるといったほうがいいのでしょうか。

子どもたちは感性豊かです。泣いたり、笑ったり、喜んだり、怒ったり。一つ興味深いおもちゃが見つかると、なでたり、触ったり、叩いたり、なめたり、噛んだり、においを嗅いだり。五感を使って味わい尽くしています。

雑草のヒメジオンをみると私の中に、それをつんで遊んだ記憶のほかになめたり、におったりした記憶はもうないのに、ヒメジオンの味、匂い、感触がよみがえってきます。子どもの頃は五感が開かれていて、その全てを使って、世界を知ろうとしていたのだと思います。
  大人になるにしたがって、まず、雑草は口に入れないものである。という判断が五感を使おうとする前に立ちはだかります。
  経験と知識と判断が自らの感覚を閉じさせるのです。

  感性を狭めるもののもう一つは、恐怖だそうです。フルートを吹いていて、ある音のところで変な音が出ると、次からその音をだそうとすると、体が硬くなって、冷や汗がでてきます。
  人間は恐怖の記憶の方がが、幸せな記憶よりはっきりと長く覚えているそうです。
 
なぜなら、原始の森の中で、命の危険のある記憶は自分の身を守るために大切だったからだそうです。

  ところが、一番危機対応できるのは、危険な状況をはっきり認識していながら、柔らかい心と体の状態にあるときだそうです。
 その状態とは脳に、「問い」があるときだそうです。「答え」や判断があるときではないそうです。恐怖があれば、近づいていって恐怖の正体を調べ、観察し、見極めること、正体が見えれば恐怖は減り、対応もできるようになるのは当然ではないでしょうか。正体を確かめなければ、対応もできない・・・というのは良くわかる話ではありませんか?変な音はどうやって出るのか?ということを確かめればそうでない方も勝手に分かってくるのはよくあることです。 感性や五感が豊かに働く時は、探求心のある時であって、答えのある安心で気持ちの良い状態ではないということです。
 
 虹や、通常そこにあるはずの無いものが見える時は、「自分は世界のことを何でもわかっている」と思っている時ではなく、「何か自分の理解を超えるものが世界にはあるかもしれない。」と思っているときのほうが虹を見つける可能性が大きいでしょう。考えれば科学はそうやって発展してきたとも思えます。

  「判断」や「経験」「恐怖」を脇において、感覚を研ぎ澄まして、興味を向け、検証するのは、私たちに大人にとって本当に難しいことです。でも、きっと、できるはず。かつて子どもの頃、してきたことなのですから。思い出しさえすればいいのですから