音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

出張「音楽であそぼう!」

2009-10-19 21:10:08 | 音楽で遊ぼう

出張「音楽であそぼう!」
今日は一人で行って、いつも一緒にいる児童会の子ども達としました。

『大丈夫かなぁ?』いつも自由にあそんでもらっている子ども達が、私のプログラムに付き合ってくれるかとっても心配。
一人では、どうしても出来ないことがあるので、K先生にもお願いしなくてはなりません。打ち合わせはせいぜい5分。
勤務の前に、準備をしておいて、保育。いつものおやつの時間に10月生まれの子どもたちの誕生会の中でワークをします。
自分の中でいろいろ役割を変えないといけない。こんな器用なことをしたことはないので、とっても心配でした。狭い一部屋に全員集まって地べたに座るのも心配です。じっと座っていられるかな?

まず、フルートを吹くと知っている子ども達の前で、服の下に隠しておいたリコーダーを取り出し、「みんなこれ知ってる?」
「リコーダー」「そんなん知ってるわ。」
「そう、リコーダー。後で、別の笛も吹くのでどう違うか聴いて下さいね。」
「こぎつね」を吹いたら、みんなきょとんとしてしまった。
「それ、何の曲?」1年生はまだ知らないようです。
吹き終わる前に、4年生の女子が「ええから、はよ、フルートふいてーや!」お、きたきたまずい。ここの子ども達は、いつもこんな感じ。

「はい、はい。吹きますよ。では、これはフルートです。どうかな?さっきとちがうかな?」
モーツアルトのソナタk285の一楽章のほんの抜粋。3分ないです。演奏しだすと、ざわざわしていたのが、すぐに空気が変りました。『聴いてる。聴いてる。』

さすがモーツアルト。しかし、何か起したい子ども達もいます。後5小節のところで、小2女子に楽譜立てをひっくり返されました。
しかし、覚えていたので最後まで何事も無かったように
吹ききったら、「あー!覚えてる!」と異常に受けました。

静かに聴けるようだったら、何曲か吹こうと思っていましたが、この事件で、とりやめ。今日のメインイベントを出します。

「みんなさっきから気になっていると思うけれど、これはメロディベルです。次の曲は、みんながベルで手伝ってください。メロディベルとフルートで演奏します。」
「ベルをやりたい人、手を上げて出てきてください。ふざける人はやめておいてください。」
さっと手を上げたのは、4年生ばかり。そうなると、下の学年の子ども達は遠慮して手をあげません。

「数はたくさんあるから、大丈夫だよ。やりたい人出てきてよ。」
何度か促しましたが、だめ。子ども達の世界も階層社会です。
「今年で最後だから、4年生優先でいきましょうか。」と、指導員の先生も言うので、4年生だけでやることになりました。

「では、まず練習ね。」ベルの持ち方を説明し、3拍子の頭の音だけを順番に指示しながら練習します。4年生の演技なので、いつもうるさい子ども達も、おとなしく待っています。あれ?「れ」の音をする人が足りない。「誰かしませんか?」というと、指導員の先生が一人協力してくれました。
「まだあるよ。他の人もしない?」というと、さっき楽譜立てをひっくりかえした小2女子が、「私、やる。」
「じゃあ、行くよ。立って。」というと、「座ってやる。」「ベルは立ってするのがルールなの。」「座ってやるよ。」「じゃあ、やらなくていい。置いといて。」
不満そうな顔をしていましたが、今度は黙って座って聴いてくれました。

そして、本番はK先生に指示だしをしてもらって、私はフルートを吹きます。

千と千尋の神隠しの「いつも何度でも」ベルのやさしい音と、フルートの音が混ざった途端、またまた、ざわつきかけた空気がガラッとかわりました。4年生も真剣な表情で、2回くりかえし。大拍手。
猛々しかった部屋の空気が優しい空気に。

やっぱり音楽はいいです。いつも、やんちゃで先生達ももてあまし気味の3年のAくん、帰りかけに、「先生、あの曲なんていう曲やったん?」「千と千尋の神隠しと、モーツアルト。気に入った?」
「うん、よかった。」演奏中も、正座して神妙な顔で聴いていました。
一年生の男子「吹いてるとき変な顔やった。」「そうやねん、あんな顔しないとフルートは音ならないんだよ。」「ふーん。」

いつもはさようならして帰ってくるけれど、影響を知ることができてとてもおもしろいです。
私は、なんとか、終えることができてほっとしました。ここで、出来たらほとんどの小学校はOKです…きっと。




 


イベールの二楽章

2009-10-19 00:54:06 | 音楽

朝から、Sさんと合わせ。施設を借りて、練習。いつもの防音ルームと違って、残響が多く、気持ちいい。

イベールのコンチェルトの2楽章を演奏していると、教会の中にいるような気になってきました。
技巧的な一楽章、力強い三楽章と、違ってこの楽章は父を亡くしたイベールが、書いたレクイエムのようです。
peaceful 平和的なとレクチャーされた先生もいました。

人にはいろいろな面があるということを、イベールは教えてくれます。戦争に志願し、何度も戦い、天皇陛下の皇紀2000年祭に来日し、映画音楽をたくさん書き、音楽院で教えた生前に成功した音楽家、精力的で、多忙。

荒々しく、超絶技巧な力強く猛々しい曲を量産する一方で、この二楽章のような、繊細で、美しい曲をたくさん残しました。

美しい中に、悲しみ、運命、諦観、その先にあるうっすらとみえる希望。
私には、ただ、父への追悼だけでなく、大きな力に翻弄され、戦争の影響を受けずにはいられなかった、この時代の作曲家の思いを凝縮した曲のように思えます。

第二次大戦以降も世界中で戦いは絶えません。

地球規模で見ると、たまたま生まれたところが日本で累が直接及ばないように見えるだけで、私達は今も累々たる屍の前にたたずみ、戦いの影響を受け続けているとも言えると思います。
この現状の中にいることを、認識し、私は人として何度も何度も問う責任があると思います。

戦いを放棄するためにどうしたらいいのか?
再び武器をもたないために何をしたらよいのか?
平和を作るためには何をしたらいいのか?
子ども達を、平和に育てるために何をしたらいいのか?