音楽の喜び フルートとともに

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天上の声か、恐怖の楽器か?

2024-02-19 21:00:00 | 古典
土曜日は、次男夜勤のはずでした。
ところが午前1:30にスマホに電話。
 
「会社の階段で、転倒して骨折ったみたいだから迎えに来て。」って

午前中、地域の小学校でうどん作りをして帰ったら夫と土曜日でも見てくれるところを受診してくれてました。

見事に膝骸骨が真っ二つ。
ギプスしておくので、月曜日に別の病院で手術してって言われたらしい。

全治3ヶ月。
チタンで繋いで、半年後また手術して取りましょうと言われました。

私は12月に骨折。骨は治ったけれどその後コロナになって後遺症も治りきらないのに…。
参りました。

私のベッドがまた役に立ち。
杖では足りなくて次男は松葉杖をつくようになりました。
あ~あ!
いよいよお祓いしてもらわなくては。
ってそんなに信じているわけではありませんが。こう続くとね。

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791年)神聖ローマ帝国ザルツブルク大司教国ザルツブルク生まれ、神聖ローマ帝国オーストリア大公国ウィーン没


アダージョとロンド ハ短調 K.617を作曲しました。

楽器編成はグラスハーモニカ、フルート、オーボエ、ヴィオラ、チェロの五重奏。

自筆譜の最初のページ(大英図書館所蔵、シュテファン・ツヴァイク・コレクション Zweig MS 61)
盲目のグラスハーモニカの名手、マリアンネ・キルヒゲスナーのために1791年5月23日に作曲され(モーツァルトの自作作品目録の日付による)、6月10日、ウィーンのブルク劇場の音楽アカデミー(演奏会)で初演されました。続いて、8月19日にケルントナートーア劇場でも演奏されています。

グラスハーモニカは
グラス・ハープを工夫し、多数の音を様々に奏しやすくさせ、細かな音の動きや、同時に多数の音を独りで奏することが容易になりました。

直径の異なる碗状にした複数のガラスを大きさ順に十二平均律の半音階に並べ、それらを鉄製などの回転棒に突き刺して回転させながら、基本的には、水で濡らした指先をガラスの縁に触れさせる摩擦によって、グラス・ハープと同様に共鳴するガラスからの音で音楽を奏します。

パガニーニは
「何たる天上的な声色」と言い、
トーマス・ジェファーソンは
「今世紀の音楽界に現れた最も素晴らしい贈り物」と主張し、
ベンジャミン・フランクリンは
「何ものに比べがたい甘美な音」と表現したと伝えられています。
またフランクリンは、もしハープが「天使の楽器」であるなら、
アルモニカは「天使の声」であると形容しました。
ゲーテ、モーツァルト、ハッセ、テオフィル・ゴーティエなども、この楽器を絶賛した記録が残っています。

マリー・アントワネット


も、これを習って奏したと記録されています。

作曲家のグルックや、イギリスの演奏家ウィリアム・デレヴァル(William Deleval)が、水を入れる量によって音程を調整された複数のゴブレットを奏でる演奏会をベンジャミン・フランクリン

が1757年にイギリスで聴きました。
その魅惑的な新楽器をもっと工夫したいと思い、1761年にフランクリンはこのアルモニカを完成させました。

ロンドンのガラス吹き師チャールズ・ジェームズ(Charles James)と共に製作された最初の1台は、
1762年1月にマリアンヌ・デイビーズ(Marianne Davies)による演奏で世界に初披露されました。この楽器は、アメリカ合衆国において発明された楽器の記念すべき第1号でした。

ちなみに、ベンジャミン・フランクリンは発明家としての信念に則り、爆発的な人気を呼んだこの楽器の特許の申請を生涯拒否し続け、発明による喜びを潔く社会に無料奉仕したのでした。

この魅惑的な音色を持つ新しい楽器は最初から熱狂的な支持を得て、人々はその音色に酔いしれ練習に熱中し、1700年代のうちにおよそ4,000台とも、5,000台ともと言われるほどの台数が欧州各地に出回ったとされています。

しかし、その風が変化したのは、練習や演奏に熱中した多くの人が、アルモニカのせいで神経障害やうつ病、目まい、筋肉の痙攣などに罹ったと言い出した時です。
アルモニカはその美しい音色とは裏腹に大変怖い楽器だという噂が口々に伝わって、人々の恐怖感が煽り立てられました。

実際に、精神病院に入院したり夭折した者もいましたが、それがますます根拠のない憶測を招き、えも言われぬ甲高い響きが死者の魂を呼び寄せて神秘的な力を宿らせ、聞いた人の頭をかき乱しておかしくしてしまったなどと口々に言い始めるようになってしまいました。

更には演奏会場で子供が死亡するという事件まで発生してしまい、その事件をきっかけに、ドイツのあちこちの地方で警察当局が全面的にアルモニカ演奏の禁止令を発令するまでに発展しました。家庭内の痴話喧嘩から、早産やペットの痙攣まで、おかしなくらいにそれらが次々とアルモニカのせいにされ、奏しているのを発見されると逮捕される始末でした。

催眠術と呼ばれる技術を最初に始めたのは、モーツァルトのパトロンでもあったウィーンの医師フランツ・アントン・メスマー(Franz Anton Mesmer) 

でした。
メスマーは自ら仮説を立てた動物磁気説に基づき、後世に催眠術や催眠療法と呼ばれるものに近いことを行ないました。(現代、英語で「催眠術」のことを"Mesmerize(メズマライズ)"と言い、「催眠術師」のことを"Mesmerist(メズマリスト)"と言うのは彼の名に由来します。)

このメスマーの治療では、しばしば締めくくりにガラス製のアルモニカを演奏することでも知られていました。

人気の彼は、盲目のピアニスト、マリア・テレジア・フォン・パラディス(Marie Paradies)


の治療を依頼されましたが、視力を一時的に取り戻すことに成功したにもかかわらず、彼女の精神衛生を後に害したとされ、ウィーンから追放されるという処分を受けました。

現代においても、当時の神経障害の要因について明確な科学的根拠が解明はされていません。良からぬ噂が楽器に対する精神的な先入観を植えつけたせいとも言われています。

第一に、ガラスとの摩擦によって引き起こされる持続的な振動のせいで、演奏後には指先に痙攣を覚えますが、それが神経を害するというものです。

第二に、そこはかとない高音が聴覚から脳を共鳴させ、悪影響を与えるというものです。

第三に、柔らかい吹きガラスの類は、鉛を25~40%も含んだクリスタル・ガラスを用いていたため、濡らして触れる指先から鉛が浸透し、鉛中毒を起こしたせいというものです。

しかし、第三の説については特に信憑性が低いです。鉛中毒は18世紀と19世紀前半において、アルモニカ奏者であろうとなかろうと、治療のために医者から鉛の化合物を処方されて長期間服用してきた患者もいれば、食物や飲物の中に防腐剤や甘味料として恒常的に添加されていた酢酸鉛を人々は多く経口摂取していたし、更にスズや鉛の鍋やヤカンなどが調理に使用されていました。

第一、第二の説も、はっきりと科学的には証明されていません

この後、この楽器はすっかりと姿を消してしまいました、

ゲアハルト・B・フィンケンバイナー(Gerhard B. Finkenbeiner)によって1984年に復興されました。

発明当時アルモニカの第一人者は、オーストリアの盲目の女性演奏家マリアンヌ・キルヒゲスナー(Marianne Kirchgessner)でした。モーツァルトは彼女と親しくしていて、彼女のために『アダージョとロンド ハ長調 KV.617』の美しい五重奏曲や『アダージョ ハ長調 KV.617a』の独奏曲を作曲しました。

最近までこの曲は、パイプ・オルガンやピアノで代用されて演奏されてきましたが、いよいよグラスハーモニカの「天上の声」で世界を浄化してみたい。