まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

『若冲』を読む

2017-02-27 09:00:22 | 

 読み終わってはあっとひと息ついて。感想がどうにもまとまらない。

いやいや随分と面白くて楽しませてもらったのに、なんだか今ひとつ自分が高揚しない。
澤田さん、もう少し若冲さんを生き生きと魅力的に書いていただきたかった。
と、これが何といっても唯一にして最大の注文。

自死させてしまった妻の死を悔やみ、その思いを画布にぶつけてひたすら描いている若冲さんなんて。
姉を死なせた、と怒りと憎悪に燃えたぎらせ若冲に立ち向かう弟弁蔵の憎悪をエネルギーに自分対抗して絵筆をとる若冲さんなんて。
若冲贔屓としてはどうもその若冲さんの捉え方が納得いかないのよ、ざらざらとした違和感があるのよ。

ましてや若冲さんは生涯妻をめとらなかったんだもの。
いくら小説といえど無理がある気がしたのよ。

うーんまあ、澤田さんの若冲の視点がそこにあって、それを軸に物語を構築してるのだからのっかっていったけれど。

私もしつこいから録画してあった「若冲展」のビデオ2本を見直してみた。
小林先生の*隠居して一気に描くことの喜びが溢れている*解説に深く深く納得 
《動植綵絵》の 相国寺への寄進は、長男なのに結婚もせず子供も残せず親の許しを得ず隠居した若冲自身の懺悔であり、
先祖や両親自分自身の永代供養としてお寺へ寄進し、いわば若冲の子供である。
と説明している。

《動植綵絵》はその喜びに満ち溢れている、命あるものみんなが生き生きとした生を生きている、私自身
そんな感じを受けるから小説の若冲に、きっと違和感があったのね。

若冲は相国寺寄進状に書いている。
「世間に画名を広げたいといった軽薄な志で描いたのではありません。荘厳の具となり、永久に伝えられることが望みです。」

そして、小説の最終章で澤田さんは登場人物の重要な一人、中井清太夫に
「いかに世が推移したとて、絵は決して姿を変じませぬ。描き手である画人が没しようと、
それを描かせた大名が改易となろうと、美しき絵はただひたすらそこにあり、大勢の人々を魅了いたしましょう。
ならばその世々不滅の輝きを守ることこそが、儚く変ずる世に生きる者の務めではございませんか」

と言わせている。若冲の寄進状の文章と重なるじゃないの。すっきりしたわ。

なんだかんだと偉そうに感想を書き散らかして来たけれど。
おもしろいのよ、ぐいぐい読ませてくれるのよ、澤田さんが。
面白くなければほおり投げるのだけれど、読む人を惹きつける筆力があるから困る。

まだ40歳の若さ。期待しています、別の小説にも挑戦してみます。
ちなみに、『若冲』は2015年(上期)の直木賞候補作品だったのね。

 

 

コメント
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