まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

敬老の日につらつらと

2019-09-16 08:37:18 | くらし

敬老の日、ねえ。
横浜友に
「9月はちゅっぱはブドウ狩りだって、次の週は広島に行くんだって。その後も保育園の行事があるんだって。顔が見られないわ」
とぼやいたら、ふたりに速攻で、
「そりゃあ、ばあばの家よりブドウ狩りの方がいいに決まってるでしょ。いいじゃないの、今まで散々楽しんだんでしょ」
言われてしまった。その通りだわ、さんざん楽しませてもらったわね。
ちゅっぱは成長し、老夫婦は老いていく、そんなものよね。ま、ブドウが送られてきたからそれで良しとするか。

こういうのを「泣き面に蜂」「ふんだりけったり」というのかしら。
台風後の*ミモザの枯れ枝を剪定していた時よ。
フェンスから遠くの枝に体をいっぱいのばして鋏を入れようとしたら、バランス崩しておっとっとっと状態。
右ひざの踏ん張りがきかなくて、左脇胸をしたたか打った。
いたっ!いたたたっ!が約1週間。ようやく痛みが治まってきた。

あああ、年は取りたくない。と言っておきながら、そうだメモしてあったんだと思いだす。

もう何年も前(メモは2017年2月とあるがそれが信用できない自分)のTV「クローズアップ現代」で観た
「老年的超越」という言葉、すごく印象深くて。 

80歳を境にして、身体機能の衰えが目立つ半面、今の生活を積極的に受け入れるポジティブの感情が芽生え強くなっていく傾向がある、なかでも、多くの百寿者がありとあらゆることに幸せを感じる多幸感「老年的超越」を持っていることが分かったと。

車イスの生活だが、週に1度しか外出できなくなったいまも、ふさぎ込むこともなく「毎日幸せを感じている」という。
「東京五輪を楽しみにしているのよね、行きたい?」と聞かれ、「そう、行きたいし、出ます」という元気の良い答えが返ってくる。

足立さんは15年前に妻を亡くしてから近所付き合いもなくなったが、必ずしも孤立感を深めているわけではないという。
「周りの方、事物の一切のもののおかげを受けていると思います。このように生きさせてもらって不思議ですなあ。感謝感激です」

これが老年的超越と呼ばれるものなのだろう。
できないことが増えても、できることに喜びを見い出すのも老年的超越の大きな特徴だそうだ。

メモ書きだから分かりにくいし、現在の社会事情ではずいぶん違ってきているかもしれないけれど、
そんな考え方もできるのかと目からうろこだったことは確か。
年をとることの否定的な面しか見ていなかった私は、すこし元気づけられたものだった。
誰しも願うこと「なるべく長く元気でいたい」わ。しなしなとやろう。

 

コメント (4)
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