電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

効果音としての「蝉しぐれ」

2015年08月20日 06時04分01秒 | -藤沢周平
藤沢周平著『蝉しぐれ』を、再び読んでいます。その題名の由来は、おそらく最終章「蝉しぐれ」から取られたものでしょう。そして、それはたぶん、

顔を上げると、さっきは気づかなかった黒松林の蝉しぐれが、耳を聾するばかりに助左衛門をつつんで来た。蝉の声は、子供のころに住んだ矢場町や町のはずれの雑木林を思い出させた。

というあたりでしょう。この文章に続く最後の描写は、黒松林の中から真夏の強い陽射しの中へ馬腹を蹴って走り出すというもので、何となく明るく決然とした印象を受けます。

ところが、「矢場町や町のはずれの雑木林」の記憶というのはどういうものであったか。それは、第五章「黒風白雨」中の、

その空地の中に、山ゆりやかんぞうの花が咲き、日陰になった暗い雑木林の中では蝉が鳴き競っている様子を横目に見ながら、文四郎は空地の前を通り過ぎた。蝉の鳴き声はまるで叫喚の声の用に耳の中まで鳴りひびき、文四郎は蝉しぐれという言葉を思い出した。

あたりでしょうか。これに続く場面は、実は養父助左衛門が藩の監察に捕えられ、帰ってこない不安な情景となっています。



最後の場面、黒松林の中の蝉しぐれは、一瞬、過去を振り返る気分の背景音、効果音として使われているのでしょうか。このあたりも、映画的な想像力の要素を感じます。短い文章(場面)の中に、過去の文章(場面)が重層的に生きています。藤沢周平『蝉しぐれ』は、読み返すたびに様々な発見がある、ほんとうに素晴らしい作品だと感じます。

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