JR上熊本駅から京町台へ登る新坂は明治24年(1891)に九州鉄道が熊本まで開通した時、池田駅(上熊本)から坪井方面へ馬車を通すために新設された道路ですが、その登り口から左手へ分かれる細い坂があります。これが昔、「赤尾口の坂」と呼ばれていた坂で、この坂の南側の丘の上に、清正公の頃まで熊本城の外城として、北からの侵入を防ぐ役割を持つ「赤尾丸城」がありました。慶長16年(1611)に清正公が亡くなった時、この赤尾口の丘の上で荼毘に付され、遺骸は中尾山に運ばれ埋葬されました。殯(もがり)が行われた赤尾口の場所には庵が建てられ、「静慶庵」と名付けられました。今では「静慶庵」もなく、九州森林管理局の土地となっていますが、明治42年の「清正公三百年遠忌」の際に「静慶庵」の跡に碑が建てられています。
▼加藤公殯處碑
▼赤尾口の西方に、埋葬された中尾山の浄池廟とその後方に金峰山を望む
▼加藤公殯處碑
≪碑文≫
▼赤尾口の西方に、埋葬された中尾山の浄池廟とその後方に金峰山を望む