徒然なか話

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「御馬下の角小屋」番頭の話

2024-03-29 21:40:55 | 歴史
 2008年に放送されたNHK大河ドラマ「篤姫」が今、NHK-BSで再放送されている。現在、篤姫が将軍家定へお輿入れするあたりまで進んでいる。先月、「津々堂のたわごと日録」さんが触れておられたように、このドラマではお輿入れのルートを船旅として描かれているが、実際は陸路ルートだったことがわかっている。
 薩摩藩の参勤ルートは江戸前期には日向細島港から船出する東ルートや川内川河口あたりから船出する西ルートなどの海路もあったようだが、江戸後期にはほとんど陸路を使っていたらしい。薩摩街道を北上すると当然熊本藩を通過することになり、しかも薩摩街道(豊前街道)は熊本城二の丸を通ることになるので、熊本藩士との間で一触即発ということもあり、街道を避けて脇道を使うこともあったようだ。もちろん篤姫のお輿入れの時は熊本藩も最大限の配慮をしたことだろう。熊本城から北へ豊前街道を7㌔弱進んだところに「御馬下の角小屋」という庄屋の屋敷があり、薩摩藩もここを休息所として使っていたが、ここに篤姫のお輿入れのエピソードが残っている。「御馬下の角小屋」で永年番頭を務めた利平の目撃談が、今は資料館となっている屋敷の一角に貼られている。





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2 コメント

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おはようございます (九州より)
2024-03-30 09:05:36
篤姫一行の通った宿場に当時の記録が残っているいう記事を読んだことがあります。
熊本では北上する街道は豊前街道と呼ぶのですね。
私の家のすぐ近くを旧薩摩街道が通っています。これが街道だったのかというような細道です。
Re:九州より様 (FUSA)
2024-03-30 09:26:01
篤姫お輿入れのルートの各宿場にはいろいろ記録が残っているようですね。
熊本城下に入るまでは薩摩街道と呼ぶようですが、城内の里程元標からは豊前街道と呼んでいます。
今も国道3号線の脇に細い旧豊前街道がところどころに残っています。

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