雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキ単車の昔話-71

2007-08-14 05:56:44 | カワサキ単車の昔話
海外出張


JALの御巣鷹山の航空事故からもう22年も経ったという。

お盆休みの前だった。
その翌日、JALに乗って高橋鉄郎さんと一緒にアメリカに出張している。
1985年8月13日である。

流石に飛行機はがらがらだった。
もう既に決まっていたので、「事故の翌日だから大丈夫だ」と変に理屈を作っての搭乗だったが、余り気分はよくなかった。

大庭本部長の3年目で、あの頃はめちゃくちゃ忙しい頃でお盆休みでみんなが休んでいるときに、わざわざ海外出張の日程を組んだのである。

KMCは田崎さん(現川重会長)リンカーンのKMMは佐伯さん(元川重副社長)の時代であった。
KMMへも行っている。リンカーンの夏はかロスと違って猛烈な暑さであった。

確か田崎さんの最後の年で、次期百合草体制の相談だったと思う。
佐伯さんは一番張り切っていた頃だった。
当時の日記に「KMMはよくやっている」と書いている。余り工場のことなど解らぬのだが、素人にもそんな風に見えたのだろう。

8月22日、無事帰国している。



飛行機と言えば、
もっと以前の話だがCKDの調査団でイランからタイに向かう飛行機の一番後ろのトイレでごみを捨てる箇所のふたに、突然指を吸い込まれて抜けなくなった。
真空状況になっていたのだと思う。

何人もの人が助けに来てくれて、指を幾らか切ってやっと抜くことが出来た。
アメリカの航空会社であったが機体はジャンボであった。


その時の状況はホントにアッと言う間の出来事で、話をしてもなかなか信じて貰えず、そんな仕様の機体にもその後出会わなかった。

その後何年かして、日本でJALのジャンボに乗ったったとき、同じ仕様のトイレを見つけて、同乗していた田崎さんに「これだよ」と一緒に見に行った。

確か、御巣鷹山に落ちたジャンボは後部の翼か何かが動かなくなり操縦不能になったとか。
ひょっとしたら,あんな風に真空状態になったのではと、勝手に想像したりした。
事故機がどんな機体であったのか、確認などはしていないので単なる想像だが。


その時の怪我はタイの空軍病院で幾針か縫って貰った。
帰国したら「これはPLで訴えたら」と言ってくれた人もいたが、
直ぐファーストクラスに移してくれて,タイの病院の手配やらいろいろやってくれた日本人のスチュワーデスの対応と印象がよかったので何にもしなかった。

高橋鉄郎さんは、その後そのスチュワーデスに会われて当時の話をされたとか言われていた。

JALの事故22年ということを聞いて、こんな昔話を思い出した。


コメント (2)
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