雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

さよなら北海道ー4

2007-10-20 06:27:16 | 北海道&建機
さよなら北海道と札幌に別れを告げたのは、99年6月5日である。

5月末日までが任期であった。
株主総会や挨拶ビジネスなどを全て終えて、6月に入ってからは、送別ゴルフや引継ぎや、家内が来ていたので札幌市内の散策や、夜の個人的な会食などで最後の札幌を楽しんだ。

帰りの便は、申し込みが始まった途端に直ぐ売り切れるという、
人気の「トワイライトエキスプレス」の切符を大滝さんが取ってくれて、22時間の汽車の旅で戻ってきた・


6月5日、午後2時5分札幌発だったが、
余程、嬉しかったんだろうと思う。その日の日記には、
大滝、花房、松田、佐藤、紺井、鈴木、近江谷、広田、重森、野村君などと見送りに来てくれた人たちの名前が書かれている。
もう少し居られたと思うがーー。女性の人たちもいたのに名前はここにない。
その名前も今では忘れてしまった。

流石に、名前を書いてみるといろんなことを思い出す。
みんな、大会社にはなかなか居ない、個性のあるいい人たちであった。
今でも、北海道川重建機はそんな人たちで支えられているのだろう。



永くサラリーマン生活をした。  お付き合いのあった人たち。

旧川崎航空機、川崎重工業に合併になってからの人たち。
カワサキオートバイ、旧メグロ、旧メイハツの人たち。
カワサキモータースジャパンになってからの若い人たち。
レース関係のライダーやメカニックや、関係者。
二輪業界のH、S、Yの方たち。
CKDのタイやインドネシヤの現地の人。
世界各地の販売店、特に日本の販売店の人たち。
末端の二輪やジェットスキーのユーザーたち。
お世話になった旅館の人たち。

などなど、考えてみると意外に籍を置いた川重よりもっと遠いところでの親しいお付き合いが多かった。
そんな人たちとの想い出を今となっては鮮明に覚えている。


短かったが、北海道の人たちともちゃんとお付き合いが出来た。
担当期間中は、間違いなく川重よりも川重建機を中心に考えた。

川重建機では、意外に株主の発言力や比重が高い会社であったが、
株主よりは従業員を、会社自体のことを考えていたと思うし、その通り出来たと思っているのだが。

とにかく、面白かったサラリーマン生活の最後が、
北海道で、「仕事をして終えられた」ことは幸せであったと感謝している。

コメント
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