雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

7万台への挑戦、お世話になった有馬さん

2008-05-08 04:34:40 | 7万台の挑戦の時代
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阪神ライデングスクールの有馬さんにお会いしたのは89年の夏、鈴鹿の全国二輪車安全運転大会のパーテイの席上であった。

ちょっとした挨拶だけだったのだが、何となく気になっていて8月30日にぷらっと独りで訪ねた。
その日の日記にこう記している。

『---ほんの1,2分の挨拶だけであったが、普通のM/C屋との大きな差みたいなものを感じて見に行くことにした。行ってよかったと思う。
ひょっとしたらこの出会いが、いつの日か大きな実りになることを期待したい』


ホントにそうなったのである。
この日から何年間か、密接なお付き合いが始まった。
有馬さんと会っていなかったら、カワサキライディングスクールなど絶対に出来たりしなかったのである。


私の記憶に誤りがなければ、こんな話をお聞きしたと思う。

有馬さんのお父さんは鹿児島で自動車学校を経営されている。
有馬さんは全国二輪車安全大会の鹿児島県チームの監督をして全国優勝を成し遂げた。
何とか、二輪専門の自動車学校の設立をと考えたが、鹿児島県では生徒の絶対数が足りない。それで阪神間でどこかと場所を探すことから始めた
最初は伊丹空港の滑走路の端辺りはどうかと空港に行ってみたが断わられた。
阪神電車の空き地があって、そこが今の教習場である
二輪専門の自動車学校の免許取得は難しいが何とかなった。
今はB-lineというオートバイ屋も阪神ライデングのレースチームも持っている。
カワサキさんも『二輪専門の自動車教習場』をやりませんかと言うようなことでなかったかと思う。


有馬さんの夢のある話に感動したし、何よりも阪神ライデングスクールの人たちの態度が素晴らしかった。
『ほんとに自動車教習場やってみようか』と思ったりしている。


いろんなことに挑戦をしたが、それぞれのプロジェクトでそれぞれ核になる人がいるものである。
この人が若しいなければ絶対に実現しなかったと言い切れるほど強烈なものは、そんなにない。核を造ればいいのである。

然し、このライデングスクールのプロジェクトは、有馬さんなしには実現しなかったのは間違いない。


有馬さんの、阪神ライデングスクールを訪ねたのは1989年8月30日。
それからいろいろとあって、長い年月が流れた。
自動車学校の認可が下りたのは、1995年4月28日
指定自動車学校の開校式は、1996年4月8日    である。


この間、カワサキでは南、谷沢、渡部君など、その実現のためにホントに難しい挑戦を続けた。
重本、野村君などが担当したレース分野では、サテライトチームの一つとして阪神ライデングスクールは8耐などで活躍をした。
有馬さんにはこのほかにも、カワサキ独特の安全運転教室運営も手伝って頂いた。


この頃、有馬さんにはずっとお世話になった。
最近はお会いしていないが、いまは関東にも進出されて、ニ推の委員もされているとか。
ふと出会ったのは、89年夏、8月の鈴鹿であった。

コメント
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