雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

サマータイムの思い出

2008-05-28 13:21:53 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
『サマータイムやっていない日本が異例』
と福田さんが言ったとか。


サマータイムとは、どんな制度で世界ではどんなな状況かWikipediaで調べてみた。
いろいろと書いてあるが、簡単に言うと

『明るいうちに仕事をして、夜は早く寝るようになるから、結果的に省エネルギーにつながるとされている。緯度が高く夏の日照時間が長い欧米諸国などでは一般化した制度である。』

と言うことであるらしい。
省エネルギーが大きな目的になっている。


私は『サマータイム』は経験がある。
出張先のアメリカなどでは何度も経験したが、これはもともと時差があるので特に何も感じなかった。

高校の1年、2年の頃、日本も『サマータイム制』が実施されていた。
日本に於けるサマータイムについてはこんな風に記述されている。


『日本におけるサマータイム

日本は敗戦し、米軍などにより占領統治された。その時期に、1948年4月28日に公布された夏時刻法に基づいて、
同年5月から毎年第1土曜日24時(=日曜日1時)から9月第2土曜日25時(=日曜日0時)までの夏時間を実施していた。
結局、サマータイムは4回(4シーズン)実施された。
それに先立って1952年4月11日に夏時刻法は廃止された。よって5回目の夏時間は実施されていない。
以後、日本では法律に基づく全国一斉の本格的なサマータイムは実施されていない。』

省エネなどには関係なく、アメリカの占領下であったので、アメリカ流にやらされたということであろうか。


私自身の日本のサマータイムは、確か高校3年の時にはなくなったのだが、
『ホントにほっとしたのを』よく覚えている。
当時、野球部にいた。
夏の大会前の練習が厳しくなる時期にサマータイムは始まるのである。

時間に関係なく『暗くなるまで練習する』当時の名門野球部では、サマータイムは1時間練習時間が延びるということであった。
1年生の頃は、毎日晩飯は12時近かった。
8時ごろまでは明るいのである。ボールが見えるまで、そこまではノックがある。
暗くなりかけてからランニングが始まる。練習が終わるのは9時を過ぎる。
1年生はグランド整備、後片付け学校を出るのは10時は過ぎていた。
家に帰って飯が食えるのは12時近かったのである。

3年の時、確かサマータイムはなくなった。
練習時間が1時間短くなって『ほっとした』のをよく覚えている。
省エネなどとは何の関係もない私の『サマータイム』であった。

でも、2年の時夏の甲子園に出場出来た。
サマータイムのなくなった、3年の時は準決勝で負けてしまった。
『サマータイム』のお陰かも知れない。


コメント
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紙単さんからのコメント

2008-05-28 04:17:09 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
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昨日『エコレーシングカー』と言うブログをアップしたら、
それとは直接関係はないのだが、『紙単さん』なる方からこんなコメントを頂いた。



お世話になります (紙單)

2008-05-27 00:21:07

その節は当ブログ「45歳からのKawasakiリターンズ」にコメントを頂き誠にありがとうございました。
実は本日、仙台の服部会長にお会いする機会があり、いろいろとお話を伺いました。会長のご実家と、私の妻の実家が隣町というサプライズもあり、世の中は狭いな~としみじみ思いました。近況報告になってしまいましたが、近い将来、お会いできる日があればゆっくりとお話がしてみたいと思っています。今後共、宜しくお願い申し上げます。それでは失礼いたします。



最近は物忘れがひどくて、心当たりがないのである。
『45歳からのKawasakiリターンズ』も紙単さんも。

コメントには服部カワサキの服部君の名前もあるし彼の故郷の岩手遠野とも関係があるとか、ご返事する前に調べてみなければと
『45歳からのKawasakiリターンズ』で検索して見つかったのがこのブログである。


飛び込んできたのが服部カワサキである。
いろんな写真のなかで、看板にある『E-shop服部』と言う文字が私には一番印象的であった。
もうずっと前に消えてしまったカワサキの優秀店かExclisive店のネーミングであったが、何故か服部君はその名前に拘っていたのはよく知っていた。
今でも、残しているのである。
如何にも服部君らしいと思った。

それは兎も角、『紙単』とはどうも紙の単車のようである。


それも、私の営業のスタートの東北の岩手県に関係がおありのようである。
ブログはこんなことがあるから、面白い。

ブログ村にも出てきたので、ひょっとしたらぶろぐ村でお会いしたのかも知れないのである。


いずれにしても『Kawasaki派』であることは間違いない。
カワサキでなくても、二輪業界にとって『紙の単車』は面白い。

こんな方は貴重である。
機会があれば私も是非お会いしたいが、岩手ではなかなか難しい。
当面は、ネットでのお付き合いになるだろう。



ところで、
『二輪車なのに、なぜ単車なのか』ご存知ですか?

私が知っているわけではないのですが、大先輩が私が若い時に教えてくれました。
このブログで『カワサキ単車の昔話』を60回ほどシリーズで綴っていますが、


その第1話にこのシリーズのコンセプトと『何故単車か』と言うことを書いています。


私には何故か『単車』と言う言葉はカワサキだけが使っていたような気がします。
永く『単車事業部』でした。
私にとって『単車』にはいっぱい思い出があるのです。
コメント (4)
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