雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

20年前の仲間たち

2008-06-30 04:40:38 | 7万台の挑戦の時代
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昨日、20年ほど前のKAZEの話など書いた。
懐かしいいい時代であった。
それから20年当たり前の話だがそれぞれ20才年を取る。

当時若かった働き盛りの人たちももうOBになってしまったり、定年近い人もいる。
まだ現役パりパリもいる。



昨日のKAZEの機関紙の原稿は誰が書いたのだろう。
あの時代をこれだけ詳しく正確に知っている人はそんなにいない。
やはり「やたおさん」かなと思っている。

当時のKAZEはケイスポーツシステムと言うソフト会社で専門的に事業として運営されていた。
遊びの金も結構使ったが、基本的にそれは稼ぎの中から使ったものである。
遊びを経営として事業としてやってくれたのは南昌吾君を中心にしたホンの数人のメンバーである。

今までに経験のないことへの挑戦であったが、失敗を恐れずにどんどんやった。
そんな感じであった。やったことは殆ど世の中ではじめてのことばかりであった。




この写真、
土曜日にあったカワサキモータースジャパンのゴルフコンペの表彰式である。
それこそ20年近く続いている。
立ってスピーチしているのは『じゅこう』さん。前回のコンペ優勝者今回ブービーのスピーチである。
彼は当時のKAZEを支えた仲間の一人である。まだ、現役である。

そして、そのヨコ、髭を蓄えているのは、元チームグリーン監督『重さん』である。
野村君や「モリチャン」とともに、当時のレースを支えてくれたKSSのメンバーである。
もう69歳のOBだが、この会はOBも呼んで貰えるので私も参加している。
ちなみに彼のハンデイは0である。SPA直入がスタートした頃、ゴルフを始めた。
私が一応先生なのだが、あっという間に抜きさられて、昨日もベストグロスであった。

もう一人キーパーソンと言えば、渡部『タッチャン』つい先日まで九州のオートーポリスの責任者であった。
『鈴鹿を抜いて、観客動員数では日本一』と関係者から言ってもらえるまでに成長したオートポリスだが、
『タッチャン』も7月からは明石のショールームに戻ってくるらしい。次回ぐらいからはまた参加するだろうから、賑やかになるに違いない。
彼は南君を助けて、何でもこなした。
自動車学校なども軌道に乗ったのは彼の功績だろう。
KSSの前は日本でのジェットスキーの販売網の構築を藤田孝明君と担当してくれた。

そしてKSSではなかったが、
ユーザー管理システムなどソフト面を支えてくれた谷沢君、
広報の小林君などが中心に当時の広報活動は展開されたのではなかったかなと思っている。

そして、こんな猛者たちの相手をずっとしてくれて、いろんな遊びの展開を具体的に起案してくれたのが『やたおさん』である。
こんな人たちの努力に支えられて、
当時のカワサキの活動は「遊び半分」ではなくて、仕事としてそのノウハウやソフトを蓄積していったのである。


私もお相伴で、いろいろ付き合ってきたので、
このスタンスは今も続いて、
『どこ竹の竹とんぼ』や『ミニSLフェア』などいろいろと役立っている。

『ひょこむ』の中には、いっぱい面白い仲間がいる。
「たっちゃん」もそうだし、X-11のスポーツ4輪を手がけた「胡蝶」さんも、「thirai」さんや「モリチャン」やライダーの塚本君など当時の仲間はいっぱいいる。
新しい現役の仲間も加わり始めた。

もっと何か面白いことはないかと、今、探している最中である。
そんな意味で、「ブログ」も「ひょこむ」も大いに機能してくれているのである。


この写真で、追加してコメントを。
『じゅこう』さんの右隣がカワサキモータースジャパンの河野社長である。
ちなみに、昨日のゴルフは、取締役の『大江ちゃん』と西村君とご一緒だった。
西村君、優勝である。おめでとうございました。




コメント (2)
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