雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

中学・高校・大学 私の学生時代  その2

2021-03-15 06:52:58 | 自分史

★ 前回、神戸一中時代の2年生まではよく勉強したが、
 3年生で共学になって『英語・数学は1年程逆戻りした』と書いたが、

 数学で言うと『対数』は私は3回習っている。
 中学2年生の時が初めてで、そして共学になった3年生に時、
 そして学区制で明石高校に転校して、明石高校でも習ったのだが、

 いま『対数とは?』と聞かれたらよく解らないのである。
 このlogが現れる『対数』は3回も習っているのにアタマに入っていないのである。

 

 数学も好きな学科だったのに、
 この『対数』が出てきて一度に興味を失ってしまったようにも思う。
 どうも現実に『必要がない』と思ってしまうのである。

 学科で言うとこの時代『歴史』の教科がなかった。
 多分、戦後すぐのことなので『教科書』が出来ていなかったのだと思う。

 英語は中学時代『よく勉強した』。
 興味もあったし、ひょっとしたら、中学時代の英語のレベル以上にはなっていないのかも知れない。

 特に神戸一中時代の英語のレベルが高かったのだと思う。
 勿論、This is a pen. からスタートしたのだとは思うが、
 1年生の夏休みには、こんな文章で始まる『舌切り雀の物語』を暗記させられているのである。

 出だしのこんな文章は、今でもよく覚えている。

     Once upon a time, there lived an old man and his wife .
  They treated the bird as tenderly as if it were their child.


★ 3年生の夏ごろから県一女と一緒になって『男女共学』となったのだが、
 小学校時代は戦時中のことで、3年生からは男女別のクラスだったから、
 『男女共学』などは初めてのような経験だったが、
 意外にスムースに抵抗もなかったように思った。

 最後列左から3番目である。

  
  

  男女共学になって『神戸高校併設中学校』ということになった。

  男女共学になって『変わったこと』というなら
  流石に『運動場での立食』がなくなった。
  それまでは神戸一中の伝統だなどと言って、
  弁当は運動場で立ち食いをしていたのである。

  それがどういう意味を持つのかは、よく解らなかったが、
  運動場で立って動きながら食っていた。
  『立ち食い』はそのまま残ったが、教室の中での立ち食いだったのである。
多分、こんな伝統も、今の神戸高校ではなくなってしまっているのだろう。

★ 兎に角、まだ戦後の時代だったと思う。
 明石からの国電を何故か『省線電車』と呼んでいたが、
 窓ガラスは半分はガラスではなく『板張り』になってたりしたし、
 三ノ宮からのバスなども3年生の頃になってやっと走り出したが、
 殆ど乗ったことはなかったように思う。

 『修学旅行』なども未だ世の中に存在しなっかった。
 天皇陛下が泊られるホテルが神戸にない時代だから、
 学生が泊る宿などまだなかったし、
 大体、『米の飯』がなかった時代なのである。
 麦飯や、『なんば粉のパン』など食っていたのだと思う。
 その『なんば粉』のトウモロコシも何故かまずくて『トウモロコシ』の印象は悪くて食わなかったのだが、
ずっと後北海道でトウモロコシを食って、こんなに旨いものかと驚いたのである。

★ そして3年生の末期になって『高校の学区制』が翌年度から始まるとなって、
神戸市灘区から通っている生徒を除いては、それぞれの校区の高校に進学することになったのである。
 神戸一中の生徒は灘区以外が圧倒的に多かったから、
みんなそれぞれの校区に進学せざるを得なかったのだが、
生徒だけではなくて先生も適用されるなど『区制のモデル校』として非常に厳しかったのである。

 確かこの年度に『灘高校』は進学校への方向転換をして、
神戸一中から先生を含めて大量な人員の転校があって、一挙に『進学校』になたように思う。
 
灘校のWiki を見ると
当時は神戸一中(現:神戸高校)や神戸二中(現:兵庫高校)、神戸三中(現:長田高校)等に入学できなかった者が入学してきたが・・などの記述もあるが、
この年には神戸一中からの転校が大挙してあったのである。

私自身は、校区の明石高校に転校することになり、
旧制の神戸一中を2年間、男女共学の神戸高校併設中学1年間の3年間の中学生活を終わるのである。

 ただ今振り返って思うと
 学校で勉強をしたのは国民学校と言われた今の小学校6年間と
 この神戸一中時代だけだったような気がして、
 本当に懐かしい学生としての想い出の時代なのである。


 
 
  
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家から防災公園まで

2021-03-15 06:51:40 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★毎朝スロージョギングに行っている三木総合防災公園までは約4km、
 車では6分ぐらいの距離である。

 昨日は家から防災公園の駐車場まで、車の中から動画を撮って
 それを1分半ほどに纏めてきた。
 ご覧になって下さい。



 
 私が住んでいる『三木市緑が丘』はかっては丘陵地というか山だったのだが、
 大和ハウスが開拓して膨大な新興住宅街を創り上げている。
 もう50年にもなるので、新しく建て替えらえた家も多い。

 動画の中からの写真でその様子をご紹介してみたい。


 我が家の前のお宅を左折してスタートである。

 


 左に曲がるとこんな光景になる。
 真正面の道は人は通れるが車は通れない。
 住宅街の中での『車のスピードを抑える効果あり』である。




左折すると、こんななだらかな坂道。






 そこを右折だが、左手には新しい家が3軒並んでいるが、
 かっては1軒のお宅だったが、そこに3軒立てて分譲されたのである。





 そこをさらに左折するとこんな表通りに出る。
 この辺りの左右の家は、その石積みを見ると旧いお家だと解る。
 最近はこんな石積の塀は見られなくなってしまった。



 大きな道を渡って、この左側は広大なスポーツ公園である。
 神戸などでは珍しいほどの広さでサッカーなどが出来る広大なグランドと
 手前にはテニスコートが10面以上ある。




 そこを右折すると坂道が続く。

 この辺りに来ると新しく追加開拓された場所で、
 その外壁を見ると明らかである。




 坂を上り切ったところが、関西国際大学である。



   新興住宅街はここまででそこから先はこんな下りになり、
 左右は山となる。





 そしてこんな4車線の道に出る。
 

 
 それを500メートルほど下ったところが
 防災公園の入口の交差点である。

 


 そして 入口。




 そしてこんな駐車場がある。

 こんな大きな駐車場が あちこちにいっぱいあるから、
 満車になることなどはない。
 少々大きなイベントがあっても大丈夫なのである。




   ここの駐車場に止めて毎日6キロちょっと走っている。
 大体家からここまでの距離なのだが。
 道を走るよりは公園の中を走る方が、
 コースもいっぱいあるし気持ちがいい。

 殆ど毎日こんな距離を走っている。
 1キロ台の日は、雨で走らなかった日なのである。


    

 
 


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