雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

私の日記から   昭和42年(1967)~昭和44(1969)

2023-12-11 07:24:32 | 自分史

★昭和42年(1967)は34歳である。
 この年の1月に明石から仙台に異動になった。生涯ではじめての転勤である。
 当時のカワサキはまだ国内市場が中心で、アメリカ市場の開拓がはじまった時期である。
実用車のカワサキ』と言われていた時代で東北6県がカワサキの中でも最大の市場だった。
 当時はまだ全国各地に自前の代理店がありその下にサブ店と称する販売店、と言っても殆どが自転車屋だが、そこにバイクを委託する『委託販売』の時代だった。
 この委託販売方式は本田宗一郎さんの発案で、50㏄モペットを大量に売るために、当時の全国自転車屋、5万店以上にバイクを委託するという日本独特の販売方式だったのである。

 カワサキの場合は当時はモペットもあったが、販売の中心は125ccの実用車や90ccの中間車種に時代で、C2SSなどは東北が圧倒的に売っていたのである。

  

  
★東北6県だけでも広いのに、3年目からは北海道もテリトリーになって、
 その移動だけでも大変だった。
 この地域のカワサキのサブ店だけでも1000店以上もあって、そのサブ店訪問が仕事の一つだったから、
 お陰様で、東北・北海道の道はよく走ったし、
 東北以外の日本のいろんな町も訪問したところが多くて、
 最近テレビで日本国中のニュースが流れるのだが、
 いろんな町が懐かしく思い出されるのである。

 約40年間の現役生活のうち、3回、20年間国内市場を担当したので、会社の費用で全国を回らせて貰ったようなところがある。
日本の全都道府県を自分で車を運転して走ったから、大体どこでも解るような気がするのだが、
 特に東北と北海道は詳しいと言っていい。
 
  


 地図でご覧になっても、岩手県が日本で一番の大県なのだが、
 その他の県も大きさではベスト10に入っていて、
 移動はクルマだったが、当時は峠道など砂利道が多くて大変だった。
 英国の舗装率が100%などと聞いて、日本もいつになったらそんなことになるのかとよく思った。

 久しぶりに『道路の舗装率』をみたが、
 世界ではイギリス・イタリアなどは100%なのである。


  


★そんな東北6県なのだが、当時はまだ事務所も何もなくて、
 土地を買って事務所を建てるところから始めたのである。
 日本中の土地の住宅化などが真っ最中の時代で、
 仙台に出来たバイパス沿いの土地を決めたのだが、
 「カワサキだから何千坪でも買えるから、大きく買ってあとで分譲すればいい」と不動産屋は言ったのだが、
 会社からは許可が出ずに300坪ほどの土地を買ったのである。
 当時の他社の大きなところはホントに大きく買って、
 あとで分譲して儲けていたそんな時代だったのである。
 「大きな土地を買う許可を取る」のが一般企業ではムツカシイのだが、
 カワサキならその理由が幾らでも言えるというのが、
 不動産屋が勧めてくれた理由なのである。


 今はこんなにぎっしり家が建っているが、
 当時は何千坪でも買える空き地だったのである。
 
  

 

★ この時期のカワサキで一番台数を売っていたのが「岩手カワサキ」で、
 私の担当時にも毎年金賞を受賞していたのである。
 当時の久保社長が南部の出身で、
 まだ伊達だとか南部・津軽などと昔の藩の呼び名で言われたりしていたが、
 岩手県でも南の方は「伊達だから」と販売の主力は南部の国が中心だった。

 

 
 青森県でも南部と津軽はかって戦ったということで、
 同席せずに南部カワサキ会津軽カワサキ会に分かれていたりした。

 そんな東北での販売経験だが、
 末端の販売状況がよく解ったのもいい経験になったし、
 代理店の経営では、メーカーの言うことを聞いて大量に販売した代理店は、
 「資金繰りが大変」でその借入金対策からメーカー系列に入ってしまったのは、
 カワサキだけではなく4社みな同じだったのである。
 現在は、自前の代理店などは消え失せてしまって、すべてメーカー直営となっているのである。
 この営業外と言うか、資金繰り・バランスシート関連の実地を勉強できたことは、
 その後のメーカーでの販売会社経営や事業部経営時に大いに役に立ったのである。
  
 
★家庭では、家賃も仙台は安かったので一戸建ての庭付の住宅に住めたので、
 犬も飼ったりしたし、家内も何となく結婚以来初めて主婦らしい暮らしになったのかも知れない。
 長男が小学校、長女が幼稚園にそれぞれ入学する時代で、
 休みには、子どもたちの相手もしたし、
 東北6県は十和田や八幡平、蔵王・松島、などなど名所も多いので、
 家族旅行も楽しめたのである。

  

  

 この仙台時代には、私の「人に対する考え方」が私なりに確立出来た時代だと言っていい。
 もともと『性善説』に立っていたが、『人を疑うこと』をしない東北人の良さを身に染みて感じたのである。
 家には雨戸が無くて、家内が家主に『不用心』だと言ったら、
 『泥棒はいない』と言うのが答えだったとか。
日本一の販売を続けた岩手カワサキの久保社長のサブ店の扱いなどを見ても、
 そのベースは『信頼』から成り立っていたのである。
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 青野ヶ原モトクロス    雑感 | トップ | 飴にハマっている »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

自分史」カテゴリの最新記事