雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

私の日記から 昭和54年(1979)

2024-01-09 07:30:20 | 自分史
★ 私の人生はホントにツイてたなと思うのだが、
  その典型的な年がこの昭和54年(1979)と言えるかも知れない。
  自分の人生など、自分の力だけではなく、周囲の人たちの力で動いていくものなのだが、
  加えて、めぐりあわせ的な運も大きな影響を持っていると思う。
  それを呼び込むのは、日ごろの努力なのかも知れない。
  
 単車事業の中核であったアメリカ事業が『ハーレーダンピング問題』もあって大変な時期だったのである。
 この『ハーレーダンピング問題』が独特で、
 アメリカに於ける二輪業界経費率以上は認めないというものなのである。
 当時、国内4社で地域販社のほかに、販社本社のあったのはカワサキだけで、その構造対策をしなければ、
 カワサキだけがダンピングに引っかかるというようなことになっていたのである。
 川崎航空機工業時代の取締役カワサキオートバイ販売の社長をされていたし、重役陣も大物部長級が揃っていて、
 そう言う意味でもその経費率が高かったのである。

★この対策案が当時の企画部門を中心に検討され、
 この販社本社をなくそうとするのだが、なかなか上手くいかなくて、
 前年の10月に事業本部長から直接営業部にいたその対策案を創れという指示が出たのである。

 その私案は、従来のカワサキオートバイ販売の本社は残すのだが、
 本社の陣容は10人ほどの小規模なものにして、
 実際は単車事業本部の営業部がカワサキオートバイ販売の本社機能を持つことにして、兎に角その『経費率の縮小』を図り、ハーレーダンピング対策としたのである。
 この案で川重本社も通ったのだが、その説明時に、
 『実際は誰が旗を振るのか?』という本社側の質問に対して、
 事業本部長は『それは古谷です』と即座に答えられたのだが、
 本社の大西常務が『それなら古谷をカワ販の常務にするように』と言われて、
カワサキオートバイ販売・常務取締役と言う途方もない肩書になったのである。

 まだ若干46歳だったし、川重での職位は課長だったのだが、
 国内販社グループ約400名の指揮を執るという、とんでもないことになったのである。

★カワサキの国内販売の総帥と言う地位なのだが、
 当然ながら年上の方はいっぱいおられたし、
 カワサキオートバイ販売の前社長ほか重役陣も直接経営にはタッチされなかったが、顧問軍団として残られたので、
 その対応だけでも大変だったのである。

 ただ、本当にツイていて、この年にあのFX400が発売されたのである。
 DOHC4気筒車で、この車がカワサキの初めての量販ヒット商品だと言っていい。

  
 


 それまでにもZ1/Z2などヒット商品はあったのだが、
 その販売台数ではこの車がカワサキにとって初めての国内市場量販ヒット商品となって、
 当時のカワサキオートバイ販売には、10億円に近い累損があったのだが、
 この車のお陰でそれもすべて2年ほどで消去出来てしまったのである。
  
★ この当時、このカワサキオートバイ販売については、
 その新しい形を川重本社が認可したということもあって、
 私は本社の大西常務に毎月報告に行っていたのだが、
 この年末辺りには、販社の損益もどんどん改善されて、累損も減っていくのである。
 従来はかっての川崎航空機の役員さんが社長をしても上手くいかなかった販社なのに、
 若手の私が担当してどんどん良くなるものだから、
 秋には川重専務になられていた大西さんから、
 『1年前からこうなると君は解っていたのか?』などと、
 言われたりするのだが、

 これは私の力などではなくて、すべて400FXのお陰なのである。
 そう言う意味でも、本当にツイてたなと思うのである。
 


 



 川重全体も、カワサキの二輪事業もみんな苦しい時代に、
 ひとり国内市場だけが好調だったので、本当に目だった存在だったのである。
 そんな時期に毎月の本社報告もあったりして、私の名前も本社の人達にも『売れた』そんな時期になったのである。
 これはツキ以外の何物でもないと思っている。

★ この年には息子古谷大治小野高校に進学しているのだが、
 小学生時代から始めたサッカーでいろいろと忙しかった時代で、
 私も仕事の傍ら息子のサッカーもよく観に行っている。
 小学生時代から三木選抜になったし、
 中学時代も兵庫選抜に選ばれたりしたのだが、
 高校生になると兵庫選抜は勿論、関西ユースのメンバーになったり、ベスト・イレブンに選ばれたりするものだから、
 私自身も息子のサッカーに熱が入ってた時代なのである。

 そんなことで、公私ともにホントにツイていた年だったと言えるのだろう。


  

 
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