飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

学生を後ろから襲った戦車 六四天安門事件

2019-06-01 22:17:08 | ブログ

天安門事件が如何に残虐なモノであったか!
虐殺どころではなく、
大虐殺であったことが改めて浮き彫りにされる…!
米国もそれを語り、
30年の歳月はその無念を明らかにする…!

 

一番隠したがっているのは、

中国共産党である。

その又私兵の人民解放軍である。

中国人は総体的に自由を求めているだろうが、

中共はまた別である。

 

支那人も含め、

各諸民族を圧政の中に奴隷化を進めている。

その典型が新疆ウイグルであり、

チベットであるが、

その矛先は支那人自身にも向けられたのが「六四天安門事件」であった。

 

その犠牲者は軽く1万人を超える。

直後の発表では0人であった。

隠しきれなくて200人になった。

その内、

1000人となりそれ以上と囁かれるようになったが、

今では一万人以上、

数万人とする説もある。

 

丸腰の抗議者を一瞬にして万人単位で虐殺したのである。

前代未聞の大虐殺だ。

戦争以外で一般市民に対してこれほどの大虐殺は他に例がない。

しかも、

一日一夜にしてである。

 

その詳細な状況が明らかにされているが、

当の中国人には知られていない。

知る必要がある。

「天安門事件は虐殺」米が中国非難 人権問題でも圧力か NHKニュース

 

あれほど「天安門事件隠し」に中共政権に忖度してきたNHKも

アメリカ国務省報道官の「虐殺」明言で、

やむなく報道を開始し始めた?!

だんだんと外堀が埋められてくる。

 

ファーウェイに続いて、

「六四天安門事件」は弥が上にも制裁理由に遡上してくる・・・。

当然に成り行きである。

「法輪功学習者弾圧」暴露と批判もこれから高まる。

「臓器移植・売買問題」も然りである。

 

とにかく、

中国共産党は非道の限りを尽くしている。

中共政権は末路の道をひた歩むことになろう。

今は、

貿易戦争というソフト対立だが、

その底辺は中共の諜報戦略の破壊である。

それにより経済衰退から、

軍事兵站の劣化に繋げようとしている段階である。

 

やがて、

中国共産党に対する政治攻勢が強まるだろう。

共産党のお家芸である「二枚舌」と暴虐非道体質に対する攻勢だ。

折しも、

その子分格である北朝鮮の粛清問題が

暴露され始めた。

何と、

米朝会議の推進スタッフが、

ハノイ会談決裂の責任を問われ、

死刑を含む強制収容所送りの粛清を実施したというのだ。

恐ろしい話である。

 

[ソウル 31日 ロイター] - 韓国紙の朝鮮日報が31日に報じたところによると、北朝鮮は2月の米朝首脳会談が物別れに終わった責任を問い、金革哲(キム・ヒョクチョル)対米特別代表、および事務レベルの交渉を行った複数の外務省担当者を処刑した。

同紙が匿名の北朝鮮筋の話として伝えたところによると、金革哲氏は4人の外務省幹部とともに3月に平壌の美林飛行場で処刑された。いずれも米国のためにスパイ活動を行った罪に問われたという。

同筋は朝鮮日報に「交渉に関して米国の意図を適切に把握しない不十分な報告を行ったため」、金革哲氏はスパイの罪に問われたと述べた。

同紙によると、金正恩朝鮮労働党委員長の側近で、米朝首脳会談に向けてポンペオ米国務長官のカウンターパートを務めていた金英哲(キム・ヨンチョル)党副委員長は強制労働と思想教育を受けるために中国との国境近くの施設に送られた。

 

それによると、

金正恩の妹金与正も謹慎という話である。

 

共産独裁と言うのは、

常に責任を他者に転嫁することを憚らない。

これは中共も北朝鮮も同じである。

日本の左翼・新左翼もほぼ同じ。

総括と言う悲劇がかつての若者を貶めた。

連合赤軍リンチ・殺人」事件が記憶に新しい。

 

共産主義と言うイデオロギーが、

唯物史観で人間の神性を認めず、

自己中心性で他者攻撃を常としているからである・・・。

ブラックホールの様なそのエネルギーは、

やがて、

自己崩壊を起こしていく。

 

今がその時かもしれない。

 

【転載開始】
六四天安門事件

民主化を求めて天安門広場に集まった学生を中心とした一般人に向けて、共産党政権は戦車を配備し、丸腰の市民を無差別に虐殺した。写真は戦車の動きをうかがう学生ら(ネット写真)

民主化を求めて天安門広場に集まった学生を中心とした一般人に向けて、共産党政権は戦車を配備し、丸腰の市民を無差別に虐殺した。写真は戦車の動きをうかがう学生ら(ネット写真)

1989年6月4日、北京の天安門広場で、民主化運動を軍が武力鎮圧した「六四天安門事件」が起きた。中国共産党政権はこの日、天安門広場に集まった学生を中心とした丸腰の一般人に、戦車で無差別に攻撃した。政権に影響する「敏感な」過去の事件として検閲されているため、中国国内では事件の事実を知ることができない。現在の中国の若者は、文化大革命のように、事件のことを全く知らないという。

 天安門事件の体験者は、写真や著書で当時の様子を生々しく伝える。中国法政大学元講師の呉仁華さんは、事件で何が起きたかを伝える本を台湾で出している。2007年に『天安門血腥清場内幕(血塗られた天安門の内幕)』を出版。2014年5月、「厳戒部隊」について加筆した増訂版を出した。他にも『六四事件中的坦克第一师(六四事件の戦車第一師団)』を執筆している。

 天安門広場の学生と市民を武力で鎮圧することは、当時の軍委主席・鄧小平が決定した。当時の共産党総書記で軍委副主席を兼任する趙紫陽氏は鎮圧の命令書へサインを拒んだため、党の総書記や政府と軍のすべての職務から外され失脚し、2005年に死去するまで軟禁生活を余儀なくされた。

 呉さんの著書を読めば、上官から進行命令を受けた戦車隊が、天安門広場に進入して大虐殺が繰り広げられるまでの一部始終を知ることができる。下記は、呉さんの著書の一部抜粋して抄訳したもの。


 学生たちに催涙弾発射

 中国政府は事件当時、民主化運動を鎮圧するため北京に20万以上もの軍隊を投入した。このなかには第38集団軍の戦車第6師団と天津警備区の戦車第1師団が招集されていた。

 6月4日早朝6時5分、厳戒部隊の司令部から出動を命じられた戦車第1師団が新華門付近になだれ込み、辺りにいた学生らを追い払うと、8台の戦車が4列に分かれ、2台ずつ揃って前進していった。西長安街から西へ約1キロを過ぎたところでは、市民や学生数百人が地面に横たわり、十数メートルにわたる「人間バリケード」を作っていたが、戦車は減速することなくそのまま前進した。100m、50m、30m…戦車隊は確実に人間バリケードに近づいていったが、市民や学生らは微動だにしなかった。戦車は、ギリギリのところで速度を落とした。

 当局は軍事用催涙弾を使用することを決めた。戦車隊はゆっくりと群衆を取り巻き、新華門付近から追い払っていった。戦車隊が天安門広場から出発してから、わずか30分間の出来事だった。

 戦車隊は新華門付近の群衆を追い払い、なおも西長安街から西に向かって高速で移動しながら発砲したり軍事用催涙弾を発射したりしていた。そして学生や市民らを電報大楼の西側へと追いやると、戦車の一部が六部口で検問を張り、残りが新華門の前で一列に並んだ。

 帰路につく後ろ向きの学生を襲う戦車

 戦車隊が新華門西側からほど近い六部口に差しかかった時、天安門広場からそれぞれの大学に帰ろうとしていた学生の隊列とかちあった。数千人の学生が校旗を掲げ、自転車道を西に向かって歩いていたところだった。すると戦車隊は広い自動車道ではなく、彼らのいる自転車道に進路を向けた。学生たちはまさか戦車が背後から自分たちをひき殺しに来るなどと考えてもいなかったため、多くの人が逃げ遅れ、多数の死傷者を出す結果となった。

 天安門事件で子どもを亡くした親の会「天安門の母」の調査によると、六部口だけで、死傷者は14人に上り、13人は名前・年齢・所属・けが状況・死亡原因など詳しい状況が突き止められている。書籍にはこの時の様子が記されている。

 「あまりにも悲惨なこの様子に言葉を失った。悲痛な叫び声が響き渡った。むごたらしい姿に変わり果てた学生たちの遺体が、歩行者道のあちこちに転がっていた。その道路から2メートルほど離れた場所にあった遺体の頭部には、大きな穴が開いていて、なかから崩れた脳みそがまるで潰れた豆腐のように露出していた。そして脳みそと血が混じり合って、1メートル先まで噴き出した跡があった。歩行者道の脇には4人の遺体が横たわっていたが、そのうち2人は自転車と一緒に戦車に轢かれており、体が自転車に食い込むようにつぶされていた」

 虐殺の証拠として 学生が学生の遺体を収用

 「助かった学生の一部は泣きながらも、殺された仲間の遺体を運び去るかどうかを相談していた。厳戒部隊に遺体が奪われて、虐殺の痕跡が消されてしまうことを恐れたからだ。市民の助けを得て、数人の学生が仲間の遺体を一体ずつ、西長安街奥の胡同に運び込んだ。1人の自営運転手が5人の遺体を政法大学まで運ぼうと提案した。厳戒部隊が一般市民を虐殺した証拠を法的に残すためだった。学生らはこの意見に同意し、5人の遺体を運転手の小型トラックに乗せた。そのうち1体は、自転車と一緒に押しつぶされた学生だった」

 「政法大学の東門では、教師や学生数千人がトラックの到着を待っていた。辺りは静まり返り、ただ泣き声だけが響き渡っていた」

 そして最後にはこう記されている。「六部口の惨劇は、天安門事件の残虐さを最も色濃く映し出している。この大虐殺を指揮したのは羅剛という人物で、狂ったように人間を押しつぶした戦車の番号は106だ。羅剛はその後戦車第一師団副師団長に任命され、内モンゴル軍区の副指令官に昇格した」


 中国共産党政権が27年間「六四天安門事件」の真相を徹底的に封鎖し、恐怖と嘘で人々を洗脳した結果、多くの中国人は事件の真相を分からず、特に若い人達のほとんどは「六四天安門事件」という言葉すら知らない。

 

(翻訳編集・桜井信一/単馨)

 六四天安門事件の他の写真を掲載。一部ショッキングな写真あり。

(ネット写真)
(ネット写真)
(ネット写真)
(ネット写真)

 

(ネット写真)
【転載終了】

【参考資料】

本日のつぶやき⇒https://twitter.com/hyouhei


「つぶやき」終了!ブログ記事再起動・・・。

2019-05-19 18:59:15 | ブログ

4月23日をもって、
「つぶやき」は終了しました。
GooBlogの設定が変更になり、
ツイッター連携が終了したからです・・・。
「つぶやき」投稿は中断し、
ブログ記事を再起動します・・・。

 

「つぶやき」は毎日ツイッター発信をしている内容ですので、


https://twitter.com/hyouhei

お訪ね頂ければ幸甚です。

何よりも事実を掴むことが、

真実を見極めるのに欠かせません。

 

幸い、

最近はSNSが発達して、

ブログを開始した2007年とは雲泥の差があります。

当時、

マスメディアの情報に疑いを持ったら、

ネットサーフィンを繰り返して、

様々な情報を当たる他ありませんでした。

そして、

その情報を取捨選択して確度を高める必要がありました。

 

今は、

大きく違います。

直接SNSで一次情報に触れることが可能になったのです。

典型的なのは、

トランプツイッターです。

マスメディア情報には多くの「フェイクニュース」が

混在していることを明らかになりました。

 

「真実を求めるブログ」と銘打った当ブログも、

所詮は「陰謀論」と揶揄されることも多かったのですが、

全部までではないものの、

今では、

「陰謀論」⇒「真相論」となった記事もあります.

そもそも、

「陰謀論」とは真相を隠す意図を持ったレッテルです。

そのレッテルを貼られないためにも、

論に流れず、

ソースを示して真相を洞察するスタンスを保つ努力が欠かせません。

 

「陰謀論」レッテルを貼り始めたのが、

「陰謀」の専門機関CIAであったというのは皮肉な話です。

諜報機関(インテリジェンス)は、

防諜と諜報を専門としているわけです。

まさしく「諜(はかりごと)」を旨として活躍していて、

「陰謀」から防衛する、

「陰謀」もって情報を得ることを目的としているわけです。

 

「陰謀」は存在します。

 

世界政治の動向は、

陰謀に始まり陰謀に終わっているのです。

表の政治権力は深く陰謀を張り巡らされたDeep State(深層政治権力)の

氷山の一角にすぎません。

 

その事が最近衆目に晒されるようになってきました。

経済もメディアも、

一見自由で自然発生的に見えますが、

大きな部分はDeep State(深層政治権力)によって、

手繰られています。

 

今、

その事実が大きく暴露されつつあります。

それが「陰謀論」⇒「真相論」となっている事情です。

マスメディアが主導してきたニュースも、

その多くが「フェイクニュース」と揶揄される時代となりました。

トランプ大統領(米国)に代表されるように、

直接SNS(ツイッター)で呟かれると、

マスメディア主導のニュースが

フェイクニュースとして暴かれるようになったわけです。

 

日本ではまだまだですが、

米国のNHKとも言われるCNNが、

フェイクニュースの総本山として脚光を浴びるようになりました。

主として、

民主党系のリベラル左派のCNNが、

トランプツイッターに屈した形です。

 

ツイッター、Facebook等々のSNSも、

扱い方によっては直接情報を得る好手段です。

その裏を取る作業は欠かせませんが、

誰でも挑戦することができます。

その意味で、

やり方によっては「真相」を得る格好の手段です。

 

以前は、

独自の情報材料から、

洞察をもって収集し、分析を必要としました。

それが、

格段に手早く、

省力化されたわけです。

 

今や、

マスメディアもそこにニュースソースを求め、

端緒を得て、

メディアニュースを構築している例も少なくありません。

少なくとも、

良いニュースも悪いニュースも、

瞬くままに拡散します。

 

その真贋を見極め、

裏を取り、

ソースを示しながらブログ記事を再起動しようと思っています。

どんな事実も、

洞察なくして真相を見極めることは出来ません。

洞察は、

精神の感性に依りますが、

同時に、

「純粋な理知」に依る判断を余儀なくされます。

 

「純粋な理知」というのは、

単に知性・理性という意味だけではなく、

魂に備わっている本来の「知性・理性」という意味です。

言い換えれば、

人間としての「生き方・人生観」と言うべき、

本質的なものです。

 

ですから、

人によって自ずからその違いはあるでしょう。

共感をする方もあれば、

反感する方も居ると思います。

それはそれで致し方ありません。

 

互いの「純粋な理知」で判断していただければ、

それで結構だと思いますし、

共有できれば本望ですし、

さらに、

発展して新たな見解・境地に至れば、

楽しみでもあります。

 

拙い事柄も、

拙い見解も真剣に書いてまいりたいと思っています。

 

『純粋な理知をブログに注ぐー飄(つむじ風)』再起動です。

 

【参考資料】

本日のつぶやき⇒https://twitter.com/hyouhei

 


復活! 立ち止まる暇はない・・・!

2015-11-30 08:02:04 | ブログ

とは言うものの、
寂寥感と言いしれぬ喪失感は、
理性を超えてしばらくは漂うだろう・・・。
父親の死は、意志の喪失感だが、
母親の死は、虚脱感だ・・・。

 

6年前、『『老老介護』の介護に、帰ってきた!!』を書いて、

2か月丁度で、父は逝った。

その後、母は一人暮らしだった。

年々、足腰は衰え、家事を一人で熟すのも億劫だったようだ。

で、

もっぱらの帰郷は、

男所帯でささやかな食事を饗す楽しみだった・・・。

 

何しろ、

一人暮らしというのは、

自由だが、何もかもの雑務が一人の肩に掛かる。

畢竟、

帰郷する頻度も多くなった。

電話は3日と欠かしたことはなかった。

ある機能性外科手術で、

20日間入院を促し、同伴したこともある。

 

ホームケアーは、頑として受け付けなかった。

勿論、デイサービスすら年寄りくさいと嫌った。

ホーム入居など論外だ。


不調を訴えれば、臨戦態勢で待機した。

介護、介抱というより、

残された母の人生との同伴である。

逝く前日も元気な声で2度電話で話した。

その直後である。

突然に逝ってしまった。



<葬儀は神式・・・自宅で行われる>

 

当然、現場検証と検死の捜査は入る。

その最中に実家にたどり着いた。

おそらく、心房細動による昏倒死であろうと思う。

同居しておれば、心臓マッサージとAEDがあればと、悔いられた。

が、

時は既に遅いのである。

 

突然というのは、実にキツイ・・・。


巷に言われるように、「大往生」かもしれない。

年も、父親には及ばなかった(享年94才)が、

享年89才というのは不足はないと言えるであろう・・・。

 

しかし、

残された者にとっては、虚空に響く世間知である。

静かに一人になると、

思いは正反対のやり場のない怒りに憑りつかれる。

せめて、

2~3日でも臥せって、時間をくれなかったのかという思いなのか、

何かまだできる事はなかったのか? 

という自責の怒りなのかは分からない。



<地区民総出(多謝)の、最後の土葬かもしれない>

 

自分以外は、

親族も含めて、世間知に順じて気丈であるが、

自分がそれが出来ない。

かと言って、

表面上は、同じ様に振舞っている自分が許せない気分である。

 

父の死に際しては、

この度の逝った母が未だ居た。

その母のためにも気丈になれた。

今回は、誰も居ないのである。

この瞬間、故郷は共に消えてしまったかのようだ。

所詮は、幾つになっても子供なのである。

母親の前では子供なのである。

 

魂の法則を熟知する立場である。

その永遠性、不滅性を確信している・・・。

且つ又、輪廻転生も一点の疑いも挟まない。

なのに、

幽冥を異にするのは言いしれぬ虚脱感がある。



<最後の別れである>


少なくとも、

今生においては別れである。

それを味わうための必要な体験かもしれない。

そう必死に思っている自分が情けなくもある。

無数の同じ体験を、人々はしているのであるから、

殊更に一人感傷にふけるのは、

大人げない事かもしれないが、

母親の前では単なる子供に立ち戻るのである。

 

成人して、

涙を見せることは殆どなかった。

人前では兎も角、

一人で偲んでいると、

その不覚を止めることが出来ない。

涙を見せない姿が、

実は、

世間知に流された人生の不覚であったのかもしれない・・・。

 

涙は、

自分を正直な思いに誘う。

母親は、

理性を超えて、

本性の感覚を取り戻してくれる存在なのかもしれない。

理論理屈ではないのである。

 

さて、

この涙と共に煩悩を洗い流して、

明日からは、

残り多いとは言えない娑婆の激流を乗り越える為に、

再び復活する事としよう・・・。

激流に敢て棹差すは、

拙くも選んだ生き様だ・・・。

泣き言は、なしだ。

言挙げ仕様にも、

その存在は今生から永遠に消えた・・・。


誰もが通る途である。


掘削場所に置かれた土嚢の様子~やっぱり危惧は・・・!

2015-09-14 11:42:43 | ブログ

やっぱりな! 堤防決壊の危惧はあった・・・!
太陽光発電に隠された電源開発利権・・・?!
これも悪しき官僚利権の片鱗を見る。
原発利権は形を変えて・・・?!

 

元来、太陽光発電の利便性を否定するものでないが、

電源立地と送電問題を加味すると、

ほとんど発電量は、送電により損失するから無意味であるとの見解があある。

電力損失計算式は、P'=R・I2(R=抵抗、I=電流)である。


 

これに拠ると、太陽光発電の電源立地は、

最寄りの100V電柱を起点にしているはずであるから、

100V送電であるはずである。

どこまで距離が伸びるかによるが、

相当量の電力損失が考えられる。

 

一説によると、

ほとんどが無駄になっているとの情報もある。

となると、気休め発電にほかならない。

しかも、買電金額は高価であるが、その金額は電気量で賄われている。

結局、電気消費者負担である。

発電すればするほど、電気消費者負担は増えるし、

その殆どは、大空に胡散霧消になっているとしたら、

何のための電源かということになるのである。

 

屋根につけて、消費するのは合理的と言えるが、

メガソーラーは疑問符が付く。


 

しかも、

その立地基準は、曖昧である。

各地で、立地場所の崩壊や、水没による被害が報告されている・・・。

 

【転載開始】

掘削場所に置かれた土嚢の様子。これで「堤防自体は全域にわたり同レベル」って??ありえない!

2015-09-13 | 災害

(管理人より)土嚢の様子や泥流で壊れたソーラーパネルが散乱している様子が見て取れます↓

フレコンバッグを2段ぐらいしか積んでないように見えますね。

映像では少ししか写ってませんが、土がむき出しになっている上に、1~2?列、2段?しか土嚢が積んでいないということがわかります。

せっかく取材に行ったのなら、なぜこの土嚢付近を丁寧に撮さないのか不思議です。

土嚢が崩壊して、しょぼかったことがバレたくないのかもしれません。とりあえず、まあ、参考にはなりますのでアップしました。


鬼怒川の氾濫、土手掘削 問題視の声も TBS NEWSi  2015/9/12 (12日16:49)

 

鬼怒川の氾濫をめぐっては、地元住民から「土手が掘削されたことなどに問題があったのではないか」との声が上がっています。

 「地元にとってはびっくりした。崩しているから」(近隣住民)

 国土交通省や常総市議会の議事録などによりますと、決壊した堤防のおよそ5キロ上流で、去年3月ごろ、民間の事業者が土手より宅地側にソーラーパネルを設置するために、土手の上部2メートルを長さ150メートルにわたって削り取りました。

 

関係者によると、その場所は「もともとの土手にも十分な高さがない」と、堤防の建設を求める住民もいたといいます。そこに始まった掘削・・・

 

 

 「山がなくなったときに、大水が来たらあふれるなという自覚は、この辺の住民はあった」(近隣住民)

 土手は民有地で、国交省は「掘削は法律に違反しない」としていますが、住民の不安を受け、国交省は、掘削した場所に去年7月、土のうを設置しました。今回の氾濫では、この場所から水があふれ、その後、5キロ下流の堤防が決壊しました。

 

 

 「これをきちんとやっていれば、こんな大きな被害出なかった」(坂東市 吉原英一市長)

 常総市に隣接する坂東市の吉原市長も11日、政府調査団にこのように訴えました。それに対し・・・

 「堤防自体は全域にわたり同レベルにできていた」(太田昭宏国交相)

 太田国交大臣は12日、こう話しましたが、国交省は市などの要望を受けて人工の堤防を設置するため、去年から用地買収などを進めていました。

 また国交省は、「今回の掘削と堤防の決壊に関係があるかどうかは分からない」としています。(12日16:49)

 【転載終了】