飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

不思議な少年!! その91

2010-11-30 23:40:54 | 物語

イエスひとり山に行って祈る。弟子たち彼をさがし出す!! 


 ある日のこと、ふとある喫茶店に入った。勿論、理由なきサボリングである。別に理由はないから、何か雑誌でもと、本棚に目をやると、雑誌ではなくびっしりと本が詰めてある。

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記事に無関係>  


 インドのヒンズーの本やら、何やらかにやら小難しい本が並んである。どうせ暇つぶしで、その中の一つを取った。それがこの書である。暇つぶしが時間つぶしに変わってしまった。すっかり、辺りは暗くなってしまっていた。 


 聖書は座右にあるが、ひと味違った魅力にとりつかれた。一応、書名は控えてあったから、ネットで調べると、あった。既に絶版であったが、古本で見つけた。買った。結構、古本でも高かったように想う。3000円近くはしたであろう。もう10年も前の話だ。


 しかし、繰り返し読んだ。何度読んでも飽きなかった。この本が本物であるとか、そうでないとか言う次元の頓着はない。著者についても、原作本の由来など関係ない。書いてあるそのまましか承知していない。だが、面白かった。只それだけである。


 本はこれまでにも結構読んできた。大して取り柄もないが、本の虫でもある。最近はネットでの情報収集で忙しいから、あまり読めなくなったが、言わば乱読派である。しかし、そうでもない場合がある。この本であった。もう、4,5回は読んでいる。こんな事は滅多にない。聖書ですら、通読は2度までだ。


 そこで、ブログを始めた序でに連載を志した。理由は精読をするにはぴったりだ。勿論、他の誰かに、読んでも戴きたい。そういう気持ちもある。それだけである


 何よりも、自分の感覚を拠り所としたい。その本が、正しいとか怪しいとかは考えない。正しいと感じたら正しいのだし、怪しいと感じたら、怪しい。人がそう言ったとしても、それはその人の感じ方だから、文句はないが、自分は自分の感じ方を優先する。


 この本は、不思議な魅力がある。そして、今はもう青年だが、少年の時から、こよなく愛着を感じてきた。そして、その言動は、信じられる。もっともだと思う。聖書よりも具体的で、分かり易い。これが史実と符合しているかどうかは、確かめようがないが、そんなことは2の次である。これが、本書の転載の理由である。


 イエスひとり山に行って祈る。弟子たち彼をさがし出す。十二弟子を招き共にいやしながらガリラヤを一周す。テベリヤで癩病人をいやす。キリスト者カペルナウムに帰る。イエスわが家で中風患者をいやし、治療の哲理と罪の赦しを明らかにす。


 

 キリスト者の先生は姿を隠した。誰乏の行方を知らない。ペテロとヤコブ、ヨハネがさがしに行って、彼がハンモス山の集合所に居るのを見出した。


 ペテロは言う、「カペルナウムの町は大騒ぎです。人々は町に集まり、どこの広場も人々で一杯です。男も女も子供たちも、到るところで意のままに病気をいやす人をさがして居ります。


 あなたの家もわれわれの家も、みな病人で一杯です。彼らはキリストと呼ばれているイエスを呼んで居ります。彼らに何と言えぱよいでしょうか。」

5)イエス、「ほかの多くの町々も呼んで居る。彼らに生命(いのち)のパンを持って行かねばならぬ。ほかの人々も連れて来て、一緒に行こう。」


 そしてイエスと十二人はピリボ、ナタナエルの住んでいるベッサイダに行って教えた。群集はキリストを信じ、罪を告白してバプテスマを受け、そして聖なる者の御国に入った。


 キリスト者の先生と十二人はガリラヤの町々をあまねくまわって、教え、また信仰を抱いて来て罪を告白するすべての人々にバプテスマを施した。彼らは盲人の目を開き、聾者(つんぼ)の耳をあけ、憑かれた者の悪霊を追い払い、その他あらゆる病気をいやしてやった。


 そして彼らが海の近くのテベリオで教えていると、ひとりの癩病人が近づいて来て言う、「主よ、わたしは信じます。若し御心なら、聖言(みことば)を言って下さい。さらばわたしは清められます。」


 イエス、「わが意に叶った。清くなれ。」するとその人は即座に清められた。


 イエスは彼に命じて言った、「誰にも言わず、行って祭司たちに自分を示し、それから清められたことに対して、律法(おきて)の定めに従って供物(そなえもの)を献げよ。」


 この人は狂気せんばかりであった。しかし祭司たちに行かないで市場に行って、到るところで自分の身に起ったことを語った。

 そこで病人たちは群をなして、治療者と十二弟子に押し寄せ、いやしてくれと懇願した。そして彼らはあまりにしつこいので、手の施しようがなかったからキリスト者たちは群衆の居る往来を去って荒野に行き、そこについて来た群集を教えた。


 数日の後、キリスト者たちはカペルナウムに帰って来た。イエスが家に居ることが分かると、民衆がやって来て、家のなかの部屋という部屋に一杯になり、入口もその通りであった。


 そこにはガリラヤの各方面から、またエルサレムから、律法学者、パリサイ人、博士たちが来ていたので、イエスは彼らに生命(いのち)の道を明らかにした。


 そこに四人の人々がひとりの中風患者を小さな寝台(ねだい)に乗せて連れて、来たものの、入口から入ることが出来ないから、病人を屋根に上げて通路を開き、これを治療者の面前に引きおろした。


 イエスは彼らの信仰を見て中風患者に言った、「わが子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は悉く赦された。」


  これを聞いた律法学者とパリサイ人は言った、「なぜこの人はこんなことを言うか。神のほかに人の罪を赦すことができるか。」


 イエスは彼らの思いを察し、自分たちの間で問答していることを知って、彼らに言った、「なぜそのように互いに論じ合っているか。わたしが、汝の罪が消えたとか、起きて床を取り上げ、歩めと言ったとて、それがどうと言うのか。

 人がここで人の罪を赦すことができることを証明するため言おう。」(と言って中風患者に向って)、


 「起きよ。床を取り上げて帰るがよい」と言った。


 すると、その人は彼らの面前で、床を取りあげて去った。


 人々は見たこと聞いたことが附に落ちない。彼らは互いに「今日は忘れがたい日だ。驚くべきことを見た。」と言った。


 人々が立ち去った後、十二弟子が残っていたから、イエスは言った。


 ユダヤの祭典が近い。来週われわれはエルサレムに行き、遠くから来た兄弟たちに、王に逢える道を開いてやろう。」


 キリスト者たちは、静かな自宅に行って、数日問折りにすごした。


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            

第十四部 イエ スのキリスト奉仕者としての第一年
 

第九十章 イエスひとり山に行って祈る。弟子たち彼をさがし出す。十二弟子を招き共にいやしながらガリラヤを一周す。テベリヤで癩病人をいやす。キリスト者カペルナウムに帰る。イエスわが家で中風患者をいやし、治療の哲理と罪の赦しを明らかにす。


1)キリスト者の先生は姿を隠した。誰乏の行方を知らない。ペテロとヤコブ、ヨハネがさがしに行って、彼がハンモス山の集合所に居るのを見出した。

2)ペテロは言う、「カペルナウムの町は大騒ぎです。人々は町に集まり、どこの広場も人々で一杯です。

3)男も女も子供たちも、到るところで意のままに病気をいやす人をさがして居ります。

4)あなたの家もわれわれの家も、みな病人で一杯です。彼らはキリストと呼ばれているイエスを呼んで居ります。彼らに何と言えぱよいでしょうか。」

5)イエス、「ほかの多くの町々も呼んで居る。彼らに生命(いのち)のパンを持って行かねばならぬ。ほかの人々も連れて来て、一緒に行こう。」

6)そしてイエスと十二人はピリボ、ナタナエルの住んでいるベッサイダに行って教えた。

7)群集はキリストを信じ、罪を告白してバプテスマを受け、そして聖なる者の御国に入った。

8)キリスト者の先生と十二人はガリラヤの町々をあまねくまわって、教え、また信仰を抱いて来て罪を告白するすべての人々にバプテスマを施した。

9)彼らは盲人の目を開き、聾者(つんぼ)の耳をあけ、憑かれた者の悪霊を追い払い、その他あらゆる病気をいやしてやった。

10)そして彼らが海の近くのテベリオで教えていると、ひとりの癩病人が近づいて来て言う、「主よ、わたしは信じます。若し御心なら、聖言(みことば)を言って下さい。さらばわたしは清められます。」

11)イエス、「わが意に叶った。清くなれ。」するとその人は即座に清められた。

12)イエスは彼に命じて言った、「誰にも言わず、行って祭司たちに自分を示し、それから清められたことに対して、律法(おきて)の定めに従って供物(そなえもの)を献げよ。」

13)この人は狂気せんばかりであった。しかし祭司たちに行かないで市場に行って、到るところで自分の身に起ったことを語った。

14)そこで病人たちは群をなして、治療者と十二弟子に押し寄せ、いやしてくれと懇願した。

15)そして彼らはあまりにしつこいので、手の施しようがなかったからキリスト者たちは群衆の居る往来を去って荒野に行き、そこについて来た群集を教えた。

16)数日の後、キリスト者たちはカペルナウムに帰って来た。イエスが家に居ることが分かると、民衆がやって来て、家のなかの部屋という部屋に一杯になり、入口もその通りであった。

17)そこにはガリラヤの各方面から、またエルサレムから、律法学者、パリサイ人、博士たちが来ていたので、イエスは彼らに生命(いのち)の道を明らかにした。

18)そこに四人の人々がひとりの中風患者を小さな寝台(ねだい)に乗せて連れて、来たものの、入口から入ることが出来ないから、病人を屋根に上げて通路を開き、これを治療者の面前に引きおろした。

19)イエスは彼らの信仰を見て中風患者に言った、「わが子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は悉く赦された。」

20)これを聞いた律法学者とパリサイ人は言った、「なぜこの人はこんなことを言うか。神のほかに人の罪を赦すことができるか。」

21)イエスは彼らの思いを察し、自分たちの間で問答していることを知って、彼らに言った、

22)「なぜそのように互いに論じ合っているか。わたしが、汝の罪が消えたとか、起きて床を取り上げ、歩めと言ったとて、それがどうと言うのか。

23)人がここで人の罪を赦すことができることを証明するため言おう」(と言って中風患者に向って)、

24)起きよ。床を取り上げて帰るがよい」と言った。

25)すると、その人は彼らの面前で、床を取りあげて去った

26)人々は見たこと聞いたことが附に落ちない。彼らは互いに「今日は忘れがたい日だ。驚くべきことを見た。」と言った。

27)人々が立ち去った後、十二弟子が残っていたから、イエスは言った。

28)ユダヤの祭典が近い。来週われわれはエルサレムに行き、遠くから来た兄弟たちに、王に逢える道を開いてやろう。」

29)キリスト者たちは、静かな自宅に行って、数日問折りにすごした。


【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


                        SECTION XV

SAMECH

The First Annual Epoch of the Christine Ministry of Jesus

CHAPTER 90

Jesus goes alone to a mountain to pray. His disciples find him.
He calls the twelve and they journey through Galilee teaching and healing.
At Tiberius Jesus heals a leper. The Christines return to Capernaum. In his
own home Jesus heals a palsied man and makes known the philosophy of healing
and the forgiveness of sins.

THE Christine master disappeared; no one saw him go, and Peter, James and John set forth to search for him; they found him at his trysting-place out on the Hammoth hills.
2) And Peter said,
The city of Capernaum is wild; the people crowd the streets and every public place is filled.
3) The men, the women and the children everywhere are asking for the man who heals by will.
4) Your home and our homes are filled with people who are sick; they call for Jesus who is called the Christ. What will we say to them?

5) And Jesus said,
A score of other cities call, and we must take the bread of life to them. Go call the other men and let us go.
6) And Jesus and the twelve went to Bethsaida where Philip and Nathaniel dwelt; and there they taught.
7) The multitudes believed on Christ, confessed their sins and were baptized, and came into the kingdom of the Holy One.
8) The Christine master and the twelve went everywhere through all the towns of Galilee, and taught, baptizing all who came in faith, and who confessed their sins.
9) They opened up blinded eyes, unstopped deaf ears, drove forth the evil ones from those obsessed, and healed disease of every kind.
10) And they were in Tiberius by the sea, and as they taught a leper came a-near and said,
Lord, I believe, and if you will but speak the Word I will be clean.
11) And Jesus said to him,
I will; be clean.
And soon the leprosy was gone; the man was clean.
12) And Jesus charged the man, say naught to anyone, but go and show yourself unto the priests and offer for your cleansing what the law demands.
13) The man was wild with joy; but then he went not to the priests, but in the marts of trade, and everywhere he told what had been done.
14) And then the sick in throngs pressed hard upon the healer and the twelve, imploring to be healed.
15) And they were so importunate that little could be done, and so the Christines left the crowded thoroughfares, and went to desert places where they taught the multitudes that followed them.
16) Now, after many days the Christines came back to Capernaum. When it was noised around that Jesus was at home, the people came; they filled the house till there was no more room, not even at the door.
17) And there were present scribes and Pharisees and doctors of the law from every part of Galilee, and from Jerusalem, and Jesus opened up for them the way of life.
18) Four men brought one, a palsied man upon a cot, and when they could not pass the door they took the sick man to the roof, and opened up a way, then let him down before the healer's face.
19) When Jesus saw their faith, he said unto the palsied man,
My son, be of good cheer; your sins are all forgiven.
20) And when the scribes and Pharisees heard what he said, they said,
Why does this man speak thus? who can forgive the sins of men but God?
21) And Jesus caught their thought; he knew they questioned thus among themselves; he said to them,
22) Why reason thus among yourselves? What matters it if I should say, Your sins are blotted out; or say, Arise, take up your bed and walk?
23) But just to prove that men may here forgive the sins of men, I say,
(and then he spoke unto the palsied man)
24) Arise, take up your bed, and go your way.

25) And in the presence of them all the man arose, took up his bed, and went his way.
26) The people could not comprehend the things they heard and saw. They said among themselves,
This is a day we never can forget; we have seen wondrous things today.
27) And when the multitudes had gone the twelve remained, and Jesus said to them,
28) The Jewish festival draws near; next week we will go to Jerusalem, that we may meet our brethren from afar, and open up to them the way that they may see the king.
29) The Christines sought the quiet of their homes, where they remained in prayer for certain days.

 【続 く】


暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!56

2010-11-29 17:54:10 | 123

本家ブログ『(新)日本の黒い霧』さんの情報
池田昌昭氏の新刊が出版されたようだ!!
まだ、読んではいない...。
まずは先にその書評から、ご覧あれ!! 第56弾



 見てきたような講釈は出来ないから、転載ブログにお任せするとして、別な角度から論じることとしよう。

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 はたして、日航機123便を撃墜したのは、自衛隊か米軍か? との解答は、証拠と推定事実だけでは明らかになるのは難しい。仮に確定事実であっても、事実は真相の断片に過ぎない。断片を繋ぎ合わせて、真相が浮かび上がるかというと、絶対と言うわけにはいかない。


 真相が明らかになってこそ、真実が見えてくるのである。逆に真実は真相を明らかにしなければならないが、事実からだけでは真相が明らかになるとは限らない。そこに真相解明の難しさがある。


 そこには、叡智が必要である。


 叡智とは、物事の真実在の理性的、悟性的認識と辞書にはあるが、要するに勘の高級な様なものだろう。それなくして、とうてい真相に迫ることは難しい。一種のお告げみたいなものかも知れない。それが悟性的認識という意味だろう。


 その意味で、123さんの存在は大きい。彼の言説は、最初、投稿者にも全く以て理解不能であった。しかし、何故か魂の奥からの叫びを感じた。叡智は魂の奥から出でるものだと想われる。


 最初は判然とはしなかったが、この本家『(新)日本の黒い霧ブログ』の情報出所は、多く123さんに依るものであることが分かる。多分、sさんは123さんの事であろう。


 その闇の軍部組織であるが、これはいずれにしても存在する。だが、今、見極めが定かではない。見極めというのは、勿論、真相の洞察範囲内のことではあるが、別のかなり信憑性の高い情報ももたらされている。ソースは明らかに出来ないが、符合する。


投稿者の信頼出来る情報筋から

その一団はクーデターを起こせる規模が存在するとのことです。この点に関する事実についての深奥は我々には語ってくれませんが、この事実を“取材”するというのであれば、命がけになると思います。』という、言質を頂いた。意味深である。


 如かし、全容を把握するには、今暫く時間がかかるだろう。確信が持てたら、順次、考察していくつもりである。


【転載開始】

AL123便墜落事故-真相を追う-書評:池田昌昭著「鎮魂 JAL123便」

2010-11-26 21:44:16 | 日記

「御巣鷹ファイル」シリーズなど、123便事故関係の真相究明書籍で有名な池田昌昭氏による最新刊「鎮魂 JAL123便」が、今月15日初版で発売されました。今回は出版社なしの完全なる自費出版のようで、一般書店での入手は困難かもしれません。幸い、同書 籍を入手できたので、簡単な書評をここに記述させていただいます。

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写真1:池田昌昭著「鎮魂 JAL123便」
  ========================(11/28追記)======================
  同書は以下の連絡先へFAX、または注文メールで購入可能です

  うつのみや柿木畠本店 (http://www.utsunomiya.co.jp/)

  FAX:076-234-8131
  Mail:honten@utsunomiya.co.jp
  本店「山田店長」様宛てとお書きください。

  価格:1,890円(書籍)+600円(着払い料金) 全国発送可
  ===========================================================


■池田氏が主張する123便の事故原因(Aパート)

まず、123便の墜落に至ったテクニカルな論証として、池田氏が主張する内容を箇条書きにて以下に掲載します。

 A1. 遠隔操縦による御巣鷹山近辺への誘導
 A2. 気象兵器による天候操作
 A3. 核兵器の使用
    (1)相模湾上空での中性子爆薬の使用
    (2)焼津沖上空での中性子爆薬の使用
    (3)墜落現場における中性子爆薬の使用(2回)
 A4. 日本はすでに核配備されている

■池田氏が主張する123便の事故原因(Bパート)

次に、Aパートで記載した攻撃を123便に遂行した理由・動機について、池田氏は次のように結論付けます。

 B1. 日本社会に巣食う黒幕的組織の存在
    (1)日本の再軍政化を指向する官産軍複合体
    (2)日本の再軍政化を指向する日米複合体
    (3)日本の再軍政化を指向する海陸空自衛隊合同体
 B2. 新兵器(中性子爆薬他)の実験および日本の軍事力の誇示
 B3. 報道管制など将来のクーデター実行に必要な予行訓練

■「(新)日本の黒い霧」管理者の基本的見解

同書の中には、本ブログを参考にした旨の記述、また、本ブログでも証言をご紹介した、現場一番乗りの民間人、M氏の再取材内容も含まれています。これまで の著作の中で、池田氏は絶えず日本の軍政化グループの存在可能性をご指摘され続けていたいました。本ブログを立ち上げた当初、私自身、「それは言い過ぎな のでは・・」と思っていましたが、これまでの記事で取り上げたように、大規模で組織的な激しい取材妨害を受けてきた現在、基本的に池田氏が主張する「黒幕 的組織」が日本の政官財界、軍・ヤクザ組織まで浸透していることは認めざるを得ないと思われます。

ただし、詳細においてはかなりの部分で本ブログの主張と異なる点があります。真相は未だもって闇の中ですから、どちらが正しいのかと強弁することに意味はありません。ここでは、違いは違いとして現在の見解をお知らせしておきたいと思います。


■米軍の立場は何であったのか?

同書の中でに「米軍犯人説の矛盾」という一節があります。記述によると、(1)米軍は横田基地に123便の着陸許可を出し、(2)日本政府に対し乗客の救 助要請を出した、のだから、日本の組織的犯行に加わっていないという論拠のようであります。しかし、それだとB1(2)でご指摘されている日米複合体の存 在と矛盾が生じると思います。

そもそも、(1)の着陸許可は捏造が疑われているフライトレコーダーからの類推でありますし、(2)の救助要請についても、事故から10年後に突然マスコ ミに登場したアントヌッチ証言を根拠にしたものであり、このような事実が本当にあったかどうか信憑性の確認がとれない限り、根拠として使用するのは控える べきだと私は考えます。

そして、池田氏があえて避けてるようにみえるのが、墜落現場周辺から発見された、数々の米軍機の破片です。本ブログを読まれているにもかかわらず、これら にあまり触れられていないのが気になります。また、忘れてならないのが、旧ソ連軍機、旧ソ連地上部隊の残骸、また航空自衛隊機の破片です。米国機に限ら ず、これら証拠品の存在を無視して結論を導くのは、まだ早いのではないかと思います。


■必然性がない軍事力誇示説

池田氏のB2、B3説に共通する「軍事力の誇示・訓練」に至っては、私はかなり懐疑的な見解をお伝えするしかありません。本ブログでは、123便の積荷と 思われる軍用化学物質(4フッ化ホウ素)が現場に大量に残されていることをお伝えしました。一般旅客機を標的に軍事訓練を行ったとするなら、積荷となった 軍事物資に何の意味があったのでしょうか?軍事物資を回収する訓練も合わせて行ったとでもいうのでしょうか?だとしたらば、未だに現場に放置されている理 由は何なのでしょうか?また、若い自衛隊員と思しき集団が、登山者や山林の整備事業を装い、残留放射性物質の危険に晒されながら、墜落から25年を過ぎた 現在まで破片の回収を行い続けているのはどう説明したらよいのでしょうか?

遠隔操作や核爆薬の実験を行うなら海上を長距離飛行する国際線を狙うべきでしょうし、目撃者の多い地上での撃墜で報道管制能力をテストしたかったというな ら、もしもそれができなかった場合の首謀者側のリスクは多大なものになります。報道管制をやり切れる絶対の確信はどこから得られたのでしょうか?以上の推 理からも軍事力誇示説を主張するには、まだまだ状況証拠の段階で無理が多いと言わざるをえません。


■可能性の高い核兵器の使用

中性子爆薬については、池田氏は「放射線強化型超小型水爆」と時々、言い換えて表現しているようです。4回の爆発にはそれぞれ差異があるとのご見解のようですが、簡単のためにA3で示された核兵器を「中性子爆薬=中性子線の放出を強化した水爆」として一括りに解釈します。

爆発前の唸るような金属音、閃光の色、きのこ雲など、池田氏本人が現地取材で得た多くの目撃情報から、核兵器が使われた可能性が極めて高いことは、本ブロ グの見解としても同意いたします。相模湾上空での使用についてもその可能性を否定しません。何より、現地調査で協力いただいているS氏が罹った急性放射線 障害、墜落現場付近で真冬でも雪が溶け出す地熱が高いエリアの存在、現場に最初に入ったM氏が10年後に肺癌を罹患したこと、また、伝聞レベルですが、初 期に現地に入った雑誌記者がやはり肺癌で亡くなっているなどの情報、南相木側での比較的高い放射線測定結果など、核兵器の使用、もしくは核弾頭搭載機の墜 落を示唆する状況証拠は比較的揃っています。

ただしそれが中性子爆薬であったかどうかは疑問です。同書には中性子爆弾の実験写真が引用として掲載されていましたが、国際軍事評論家のB氏によると、本 当に中性子爆弾が開発されたかどうかは軍事評論家の間でも疑問の声があるとのこと。そもそも、中性子爆薬の開発思想とは爆発力よりも中性子線による生命の 殺害を優先することであり、同書が記述しているように、乗客乗員に脳機能障害を引き起こした(ボイスレコーダに示された乗員の不明瞭な言葉や遺書の字の乱 れが根拠)程度ですむはずがないのです。「中性子線が放出されたのならば、理論上、機内の人間は全員即死のはずです」とB氏は語ります。

私は、今の段階であえて中性子爆薬を強調する必要はないと思っています。何かしらの核兵器が使用された、その結論だけでも池田氏の精力的な取材内容が否定されるものでは決してありません。

■誰が核兵器を使ったのか?

A4にあるように、池田氏は日本の核が使われたと断定しています。これまで、本ブログでは、B氏が東海村の動燃施設内で日本製核弾頭の実物を目撃したこと があるとの証言をご紹介しました。その他、私に届く伝聞情報レベルでは、日本の核武装はもはや公然の秘密となっている感があります。

しかし、日航機事件に関しては、核攻撃を仕掛けたのが直ちに日本の黒幕的組織と断定するにはまだ論考を重ねる必要があると考えます。これまでお知らせした とおり、123便のエンジンに突き刺さった不発ミサイルは米国軍のものである可能性が高いこと。しかしながら墜落現場周辺には大量のミサイル片、日米ソ連 軍機破片が散乱しており、相当な乱戦が展開したことが予想され、誰が誰を狙ったかを単純に特定するのが難しいと言えます。

当時から日本に核兵器が配備されていたのならば、日米ソ全ての軍が核兵器を使用し得る立場にあります。核兵器の使用者(=123便の撃墜主体)に関して は、目撃情報や散乱軍機片の解析からでは限界があり、当時の国際政治・国際軍事の背景、日本の黒幕的組織の実態を解明し、互いの戦略論理を精緻に分析する ことでしか答えを求めることは不可能だと思われます。


■疑われる新兵器の投入

A1の遠隔誘導については、米国産航空機は基本的に遠隔操縦できる仕様になっているという陰謀論的な噂も絶えません。本ブログとしては、「できたかもしれ ない」程度の同意に留めておきます。当時、電子立国と呼ばれた日本の技術水準ならば、軍仕様レベルでそれくらいのことができても不思議ではないからです。

またA2の気象兵器の使用については「確証はないが、極めて疑わしい」とだけ答えておきましょう。とはいえ、個人的には1985年以前に竣工された臼田の大パラボラアンテナの機能について強い疑いを抱き、軍機大量撃墜の主犯ではないかと仮説を立てたのは、以前に「蘇る亡霊(5)」で示したとおりです。公式発表されている臼田パラボラの研究内容の一つに「エネルギー伝送」という項目があります。

1980年代、発電エネルギーを送電する手段としてマイクロ派に変換し伝送する方式が議論されていたことを今でも覚えています。私も物理学を専攻する者で あり、仲間と「伝送中のマイクロ波内を飛行機が横切ったら、どうなるだろう?」とふざけて議論していたことを覚えています。答えはもちろん「墜落」しかあ りません。

これに加え、臼田近辺の事情に詳しいM氏から次のような話を聞いています。「『臼田の大パラボラが動いていると、飛んでるカラスが落ちる』なんてのは、地元では有名な話ですよ」。

池田氏が主張し、本ブログも認める「日本の黒幕的組織」の存在。科学振興行政を預かる文部科学省、またその所管であるJAXA(宇宙航空研究開発機構)な ど、軍事技術と直結する研究機関がその黒幕的組織に加担していない保障はありません。もしかしたら日本のHARRP(*1)とも言える技術が、この時、日 本でも完成し、気象操作がすでに実現化していたこともまんざら無いとは言えない気がします(*2)(*3)。

*1:HARRP(ハープ):米国のオーロラー観測設備。陰謀論系の議論の中では、
  天候操作や、人工地震の発生に使われていると言われている。

*2:・1994年1月17日 カルフォルニア大地震
  ・1995年1月17日 阪神淡路大震災
  日米両 HARRP 攻撃の応酬と捕らえる説もあります。日を改めて解説しますが、
  被害地の神戸は日航機事件にも関連する重要都市であり、117という数字から
  御巣鷹で発見されたステルス戦闘機 F-117 との連想も働く。日航機事件が
  隠された日米戦争ならば、同説もそれなりに説得力があると言えるでしょう。

*3:1983年、平和相互銀行による馬毛島事件は自衛隊の特殊レーダ(OTHレーダー)
  の建設利権に深く絡む事件でした。OTHはパッシブには長距離観測レーダーの
  機能を有しますが、アクティブには電子戦の攻撃用途に使うこともできるとの
  こと(B氏)。日本版 HARRPの可能性を考えるならむしろこちらのOTH。この建設
  案件は立ち消えになったそうですが、どこかで形を変えて計画が生き残ってい
  たのかもしれません。また、この事件は、当時、政・財・官(軍)が著しく癒着
  していたことを象徴しています。平和相互銀行は1985年、うやむやのまま
  住友銀行(現三井住友銀行)に吸収合併されました。

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写真2:臼田の大パラボラアンテナ。2階建て管理棟が小さくみえる(管理者撮影)。
    山の中腹にあるため、アンテナは東の群馬県側にしか向けられない。
    反射面精度は非常に粗く、これで深宇宙の探査や衛星追跡ができるとは
    到底思えないのだが・・・


■黒幕的組織を考える

日本の黒幕的組織については、本ブログ「蘇る亡霊」シリーズにおける中心テーマです。このテーマを扱うこと自体が非常に危険ですが、池田氏のように取材妨害と闘いながら勇気ある告発をなされる方が居られることは、私にとっても大きな励みです。

このような組織を分析するときに、欠かしてはならない大事な視点があります。それは、「組織は一枚岩ではない」という事実、というか、人間社会の現実で す。陰謀論の類で最も陥りやすい間違いは、例えば「米国の陰謀」というように、3億人も人口がいる米国をたった一つの総体としてみなす乱暴な論法です。現 実の社会で、組織が大きくなればなるほど幾つもの派閥が生まれ、中には利害が正反対化し対立が始まるなどというのは、少し世の中で仕事をした人なら誰でも 理解できる例えではないかと思います。

その意味で言えば、池田氏の主張するB1(1)~(3)なる複合体の分類は、かなり荒っぽいと言わざるを得ません。「蘇る亡霊」シリーズでは、黒幕的組織 との関連が疑われる自衛隊基地、駐屯地を実名で掲載しましたが、だからといって全ての自衛隊員がその一員だと言ってる訳ではありません。私の目から見て、今も昔も、自衛隊は大きく分裂しています。このような状態を正確に把握分析して、如何に黒幕的組織の解明に結びつけるか、それが本ブログの役割と捕らえています。


■最後に

書評の最後に、池田氏が決定的に言及を避けている事項に少し触れたいと思います。一国の政治・経済が力を得るには、良くも悪くも「軍事力の裏付け」がなく ては話になりません。残念ながらそれが現実です。一国の政治・経済の裏付けに軍事力が必要なら、軍事力を行使するに当たりそれを正当化するものがどうして も一つ必要となります。それは"権威"です。この日本において軍事に権威を与えるもの、それは一つしかあり得ません。日航機事件の解明を最後まで突き詰め ていけば、自ずとその点に触れざるをえない、それは、このブログを読む「黒幕的組織」の関係者にもよく理解していただく必要があるでしょう。


* * *

先月10月、東京都上空に出現した米国海軍・海兵隊および、陸上自衛隊による編隊飛行の解説は、12月4日に開催されるB氏の定期セミナーで詳細を発表 後、本ブログで再掲載したいと思います。現実に起きた事象を通して、自衛隊・在日米国軍内での対立・協調関係、未遂に終わっただろう東京内戦(クーデター 計画)など、日航機事件と密接に関連する日米軍事・政治の現実をお知らせいたします。


DIXIT ERGO IESUS AD EUM NISI SIGNA ET PRODIGIA VIDERITIS NON CREDITIS
そこでイエスは彼に言われた、「あなたがたは、しるしと奇跡を見ない限り、決して信じないだろう。」


管理者 日月土

【転載終了】


『ガンは癌にあらず』の配本について!-業務連絡-

2010-11-29 12:48:59 | 癌の治療

配本は今週以内に完了の予定です。
ご安心下さい!!


 当初、ご案内した『ガンは癌にあらず』著作本は、著者側に発送依頼を予定しておりました。ところが、


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 ご注文が殺到致しまして、大部数になりましたので、対応が少し遅れる結果となりました。まことに申し訳ありません。

1




 今は、新規受注を在庫切れとして、部数制限を設けさせて頂きましたのもそれが理由です。他意はございません。




 急遽、必要冊数を手配して、発送体制を組み替え致しました。そのため、少し、配本が予定より少し遅れておりますが、それでも、今週中には発送完了の予定ですので、ご安心下さい。

3



 ご心配の向きは、メールでお問い合わせ頂いても、ご説明させて頂いております。待ちきれない方、気分を害して、変更(キャンセル)される方がおられましても、ご希望に完全に沿います。ご心配には及びません。



 キャンセルの場合は、返金処理も即応致す所存ですので、ご安心下さい。

Photo_2


 以上の事情ですので、今しばらく、時間をご猶予頂きますよう、伏してお願い申し上げます。


                                    管理者  飄平拝

 


 

戦争画策(延坪島の廃墟)をズームアウトすると・・・???

2010-11-29 10:22:24 | 飯山一郎

なんともはや?!
一コマの映画制作のようだ!!
そうだ!戦争画策映像がメディアに流されている・・・・・・。
ズームアップすると、そこはセットの中だった?!



 9.11自作自演テロでも、映像が多用された。中にはCG映像も組み込まれていた。飛行機など実際に誰も見てはいない可能性がある。それとよく似ている。


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 下に行く程、ズームアウトする。すると、殆ど無傷な市街が開けてくる。どこが火の海だったのか? そりゃあ、どこだって火災現場にズームインすれば、廃墟の映像となるだろう。


 だからといって、街全体が火の海であったわけではない。


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 穏やかな町並みが見えてくる。


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 これで分かったであろう。戦争画策映像であったのである。死亡者も負傷者も、そして、あまりに対応が早い撮影画像も、検証することが必要だ。


Haikyo01



「これはヒドイ! 住宅街が破壊しつくされました! じつに残酷な無差別砲撃です。」
と 日本のテレビ局のアナウンサーが悲痛な叫び声をあげる。
テレビの画面には、無残に破壊された住宅の映像が繰り返し映しだされる。

日本のテレビ局が朝から晩まで「延坪島の現場から実況放送」したあの現場!
ソレを上空から見ると、上の写真の黄色いマルのなか!
上の左の写真は延坪島の南側の街の全景だが、街は、何ともない!

これで、民間人の死者が実質ゼロ! という理由が良く分かった。
ヒドイ!
のは、日本のテレビ局だ。悪辣だ。
ウソ八百どころか、ぜ~んぶウソ! これが日本のテレビ局だ。悪質だ。

「残酷非道な北朝鮮!」
こう思わせるために、ウソでもヤラセでも何でもやる! これが日本のテレビ局だ。

とにかく、日本のメディアは、絶対に信用できない! これが結論。【転載終了】


春ウコンを守れ! 3000年守ってきた沖縄に感謝!!

2010-11-26 22:56:00 | 癌の治療

守るべきはこのことである!!
驚くことに、春ウコンは沖縄にしかないらしい!!
秋ウコンではない
紫ウコンでもない
沖縄の産業基盤になることを切に祈る
! 第3弾 




 しかし、これだけでは危険である。はたして、どれだけ多くの民間伝承医療が廃れてきたか? 調べれば、すぐに分かること事である。

P2040020



 アフリカのシャーマン(酋長)は殆ど、根絶やしにされたと聞く。残された最後のシャーマンはクレド・ムトウと聞く。インディアンはもういない。南アメリカも同様だろう。

Credo


 この現実を誰も語らない。


 しかし、事実は事実である。このままでは春ウコンは危険である。今は、まだ誰も知らないが、知られてくると嗅ぎつける者が現れる。これを強く書いておきたい。


 そうでなければ、拡散の必要はない。そうでなければ、急がない。一番良いのはその種を一人ずつ庭に植えることだ。そっと植えて守り育てよ。

Images

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 産業には沖縄にもっと感謝を以て、育てることを支援する必要がある。どうせアメリカは撤退する。そんなことは誰の目にも分かる。別に、政治的発想で言うのではない。歴史的必然で言うのである。


 中国が沖縄を占領する? 戯言はいい加減にするべきだ。戦争は全て、画策して起こった。今も、その画策が盛んだが、画策するのは利権があるからである。利権がなくて誰が画策するか。戦争は戦争で食う人間が画策するのである。


 沖縄が軍事基地で繁栄するというウソはもう終わりにする時が来ている。終わりになるだろう。春ウコンで健康と治療の基地にする方が、よっぽど繁栄する。戦争は破壊である。どんなに美化しようとも、破壊である。破壊して、利権があるのは極一部の人間だ。多くは塗炭の苦しみに会う。そんなことは、子どもでも分かる理屈だ。


 大人は、策を弄し、理屈を並べ立て、利得に迷って言い訳を作る。ウソである。壮大なウソである。しかし、それももうじき終わる。ウソが暴かれるからだ。


 癌は、年々増えている。医療が進んだと言いながら、増えている。医薬が溢れても増えている。金をあらん限りつぎ込んでも増えている。タバコが激減しても肺ガンが増える!


 何故だ? ウソだからである。


 こんな簡単な事実が、何故解らないのか。不思議としか言いようがない。


 ウソに洗脳されているからである。ウソで固めて、春ウコンが奪われるのを食い止めなければならない。


 少しだけ、本から引用する。


【転載開始】 ガンは癌にあらず --春ウコン免疫賦活剤が制する成人病 から

3.5 沖縄が世界的な主産地
 薬効からみて, 太古は春ウコンが主流であったと考えられる. しかし, いつの時点からかは不明であるが, 春ウコンは秋ウコンにとって代わられた. この理由を考えてみると, いくつかあげることができる. その一つは, 春ウコンは生育が比較的容易な沖縄で栽培されているが, (秋)ウコンに比べてやや手間がかかると言われている.

 (秋)ウコンはそのまま植えておいても多年草のように増えるが, 春ウコンの方は, いったん掘り起こし植え替える必要があるとのことである.

 その他, 食味の違いも大きい. 春ウコンは極めて苦みが強い. 人によっては「この苦みが好き」, 「とくに問題ない」という人もいる一方で, 中には勧めても「どうしても飲めない」という人もいる. さらに, 春ウコンに比べて秋ウコンが多用途に利用できる点も大きい. 食品だけでなく, 黄色の染料として現在も利用されているように, 色が鮮やかで落ちにくく防虫効果もある染料としても優れた性質がある. また, ヨーロッパではパエーリャに入れるサフランの代替品としても珍重されたようである. もちろん(秋)ウコンが一定の薬効があることは広く認められている.

 これらを総合して考えると, どこかで春ウコンに代わって秋ウコンが主流を占めるようになったと思われる. 前述のようにカレーを常食とするスリランカ, バングタデシュなどで春ウコンを探したが, 全く知られていなかった. このことからも, かなり以前から春ウコンは省みられなくなっていたと思われる.

 わが国は, 江戸時代では生薬として珍重された春ウコンも, 明治以降は全くすたれてしまった. これは西洋医学の発展と軌を一にしていると思われる. 漢方医学は全くといっていいほどかえりみられなくなったからである.

 とはいえ, 効用は確かであり, 栽培地・沖縄では, 民間薬としてほそぼそながら伝えられてきた. このことが現在, 私たちが春ウコンの恩恵に与かることができる最大の理由であり, 伝えつづけて頂いた沖縄の人たちに深く感謝せずにはいられない. そして, 今後, 沖縄が健康のシンボルとして世界中から脚光を浴びるに違いないし, また, そうしなければならないと思う.【転載終了】


 

 さて、

ガンは癌にあらず ←ここに全ての解答がある。

ガンは癌にはあらず表 ガンは癌にはあらず裏

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著者の略歴

松井 良業 (まつい よしなり)

 現在:国立大学法人山形大学 客員教授

 1942年(昭和17年)生まれ 東京大学工学部工業化学科卒業
 1965年 味の素(株)入社 中央研究所(研究員) 本社(開発企画室部長,
      医薬開発室部長, 化成事業部長など)
 1993年 富士レビオ(株) 取締役(医薬事業本部長など)
 2000年 化学関係学協会連合協議会
 2004~05年 国立大学法人山形大学 理事 副学長

 

粕渕 辰昭 (かすぶち たつあき)

 現在:国立大学法人山形大学 客員教授・名誉教授

 1944年(昭和19年)生まれ 岐阜大学農学部農芸化学科卒業
 1966年 農林省農業技術研究所(現・農業環境技術研究所) 研究員
 1986年 農林水産省北海道農業試験場 水田土壌管理研究室 室長
 1992年 山形大学農学部 助教授  
 1995~2009年 教授 (2003~05年)農学部長


は、思いの外、ご賛同賜った。そして、
ガンは癌にあらず --春ウコン免疫賦活剤が制する成人病 サイトにも大勢の方々が、足跡を残されたと聞く。5000アクセスを超えたと言うことだ。喜ばしい。良いことは早く世に知らしめなければならない。


 本も後残すところ、わずかとなった。投稿者が取り敢えず、協賛して拡散する部数は限られている。ひとまずは、区切りとしたい。あと残りは約70冊近くになった。これが終われば、打ち止めとする。簡易在庫を設定したから、注文出来なくなった時点で終わる。

P151



 著者に直接申し込まれるのがよろしかろうと思う。


 ご注文を戴いた方々には、心から御礼申し上げる。この場を借りて、来週中には配本を開始し、お手元に届き終える様、最善を尽くす予定である。暫く、お待ち頂きたい。心を開いて読まれると、投稿者が感じたように、目からウロコが落ちる。

 決断された方々に、敬意を表する。


 しかし、情報の発信は、これからも投稿者の自由意思で行う。だれも止められない。信念に従って行う。本を手にした方は、投稿者も含めて幸いだ。これで安心立命が垣間見えた。安心立命とは、死を避けることではない。寿命を異議ある大安心の下に、生き抜くことである。


 人間は、最後には死ぬ。それが癌かも知れない。人間は死ぬ時は免疫が完全に絶たれるであろう。春ウコンでもさすがに無理かも知れない。当たり前だ。与えられた生命(いのち)を、ウソで殺されないようにすることが出来れば、本望だ。


 そういうことで、この本を推奨した。それだけの話だ。判断し、行動するのは読者諸氏の自由意思に委ねられる。投稿者の意見も一つに過ぎない。その事をお忘れにならないようにして頂ければ幸いだ。


 まだまだ、隠された真実がある。忙しい!!